■【爪拳士】ジンジャー・ロッソ
黒煙と蒸気が渦巻き、炎熱で空気が揺蕩う。ジンジャーはあえてそれらを動くに任せた。放った炎が弱まり、煙が晴れる。そして彼女は忌々しげに舌打ちをした。
「姑息……」
リンズの枝に囚われたまま熔解し焼けついているのは、Ⅳ世の足を覆っていた鎧だった。
「脱ぎ捨てて逃げたってわけ?往生際の悪い!」
ジンジャーが踏み込む。捨てられたガムのようになっている
『……ッ!
「《
その身体をⅣ世の腐食が襲う。
「ッ!逃げてなかったのね、味な真似をォ!」
「攻めるとき、最も守りが薄くなる。戦の常であるな」
樹木の影に隠れた老騎士が笑う。彼が先鋒を務め、対メルストーンの隙をついたのはこのためだ。既にあの巨漢は投げ落とされた。
「遠慮は不要」
ならば、至近の周囲に慮るべき味方はいない。
シバルバの無差別瘴気がリンズの枝を侵し、ジンジャーへと肉薄する。だが、
「なめ、るなァ!」
その両手が紅く光る。触れれば問答無用で病む毒気のことは、彼女も既に知っている。触れなければ良い。
「燃やせ、ヘスティア!」
その掌から焔が上がる。爆炎が包むのは、他ならぬジンジャー本人だ。
(《
炎がジンジャーを呑み込み、固形化する。歪な、しかし強大な炎熱で作られた即席の鎧は瘴気を退け、焼き払えるはずだった。
だが、シバルバは止まらない。
「ウーム、触れ得るなら……壊せるのである」
静止状態で燃え盛る炎をも侵すのがシバルバの能力。外界の全てに一切の例外を見いださないからこそ、その瘴気は強いのだ。ゆえに、固められた炎と言えど病んでいく。
「甘んじて受けるがよい、それは貴殿の固められた焔の当然の特質よ。触れるなら触れられる、壊すなら壊される。堅固なる
それは彼女にとって想定外だった。固められた炎すらもシバルバの能力範囲内であったことは。
拮抗はしている。ヘスティアの焔は確かにシバルバを退けている。だが、足りないのだ。
触れる端から喰われていく。じわじわと彼女の焔は瘴気に負けて崩れていっていた。遠からずいずれ敗北するのは明確、ゆえに、
「…………ァァァァもう、解除!解除!解除ォ!」
炎の鎧が爆発する。その勢いが一時的に瘴気を吹き飛ばし、ジンジャーは逃げ出した。
「ヘスティアが溶かされるとか……相手してらんない!」
彼女の戦法はヘスティアの固形化炎を前提にしている。それを容易く蝕まれるのは相性が悪い。
ゆえに、別の手を使う。
「リンズ!潰せ!」
『了解した、
大樹の竜の輪郭が膨らむ。そして、群衆を蹴散らしていた枝がひとつに束ねられる。
『……興味深い能力だが、主の言う通り潰れて貰う』
その言葉と共に、大質量の樹木が頭上からⅣ世を押し潰した。老人が呻く。
シバルバはその特性に違わず、ドラグリンズの樹木をも朽ち滅ぼしている。だが、樹木竜の特性は再生、膨張、変形……瘴気の侵食は、その体積によってほぼ無為なものになっていた。そして、その稼いだ時間があれば攻撃の……圧殺の余裕がある。
『あらゆるモノを病ませる能力……しかも制御機構を徹底的に廃することにより出力を上げているな?意志無き物質をも病毒に侵すとは、独自の
大木がうねり、枝がざわめき、美しい森が老騎士を包み込む。それは、死の抱擁にして歓喜の叫びだ。
『
「それは良かったわねぇ、リンズ……ほら、押し潰してあげなさい、中身も少しは見られるわよーー」
ジンジャーが猫なで声で呟く。その手が猛禽の如く獰猛さを帯びる。
「ーー後ろはあたしに任せてさぁ!」
《ウィングド・リッパー》ーー遠隔攻撃の刃が炎の爪から迸る。それを躱そうと割れた敵勢にタイミングを合わせ、ジンジャーは飛び込んだ。ほんの少し、【爪拳士】としての疾さをもって撫でるように切り裂く。《クリムゾン・スフィア》を固めた爪は遺憾なくその熱を発揮しーー
「BOMB!」
傷口が炸裂した。だが、
「《ホワイト・フィールド》」
「《エメラルド・バースト》」
凍てつく風がそれを相殺する。
「撃て撃て!炎の攻撃はダメだ、固められる!それ以外の手段で攻撃するんだ!」
大衆を鼓舞する声が響く。
「前衛、熱を防げる奴らは前に出ろ!それ以外の遠距離は炎を壊すんだ!」
その声……キュビットに、ジンジャーは舌打ちをして振り向いた。
「何堂々と仕切ってんだァァお前……それは、自分から沈めてほしいって意味よね?!」
炎の爪が構える。
キュビットの能力は既に把握している。音波を操って攻撃するか、あるいは【司令官】の援護能力か。どっちにしろ、火力ではジンジャーに遠く及ばない。近づけば一瞬で燃やし尽くせる。
ジンジャーの足が大地を蹴りつけ……
『わたしを忘れてやしないか?』
そして、低いバリトンが右後ろから声をかけた。
その声には聞き覚えがある。聞いたのはつい先刻のこと。そう、
『第二ラウンドだとも!このメルストーンがな!』
「……しつッこいわね!」
ジンジャーが振り返り様に右腕の爪を振り抜く。いや、それだけでは済ませない。今度こそ、徹底的に砕く。
「《タイガー・スクラッチ》!」
炎の三連撃、燃え上がるそれは風を炙り大地を焼く。その一振りが右後方のメルストーンを今度こそ焼き尽くし……
「……空振り?」
……てはいない。圧倒的熱量の炸裂は誰一人呑み込むことはなく、無駄撃ちに終わっていた。少し遠くでキュビットがニヤリと笑う。
「ヤマビコ、上出来だ」
そしてジンジャーの全身に鳥肌が立つ。これは明確な隙だ、作らされた隙だ!
「今度こそ、ここだ、女ァ!」
「食らえ、《破城槌》ァ!」
突き進む左の正拳。しかし、ジンジャーはかろうじて振り向いた。振り向いたなら、目で見て避けられる。
「【破壊者】……STR特化は所詮、速度が足りない!」
【
ジンジャーの右腕が肩から消し飛ぶのと同時に。
「……ッ!?」
「《破城槌》……?フフ、そんなエネルギーはなかったとも。別のことに使ってしまったからな……」
人間の形を半ば失いながら、メルストーンがほくそ笑む。
彼のハデス、その必殺は既に消費されてしまったが……他に下位の攻撃技が無いなどといった覚えはない。威力こそ大幅に劣るが、隠蔽性は同等だ。最後のMPを燃やして放っていたそれは、不可視のままジンジャーの片腕を潰した。
「ふーむ、しかし、この私を顎で使うとは……キュビットとやら、覚えて……お……」
メルストーンが光の塵になって消失する。その傍らで、ジンジャーが悔しげに吠え……
『隙ありだ』
Moooが狙撃銃の引き金を引く。ほんの小さな弾丸は狙い過たず、ジンジャーの左膝を撃ち抜いた。
『
リンズが揺れ、
「……崩れたな?」
そしてⅣ世が立ち上がる。
「気を乱したか、であらば、付け入る隙が出来た!」
Ⅳ世の斧が光り、そして大樹の隙間をこじ開ける。撒き散らされる木屑と共に老騎士がジンジャーへ向かって吶喊した。
「今だ、畳み掛けろ!」
キュビットが叫ぶ。それに呼応して、大衆の中に光が走る。
「膝を撃たれた、もう走れまい」
「大技のチャンス!」
あるものは杖を掲げ、あるものは手を翳す。共通点はひとつ、溜めのある必殺技だ。
「終わりだ!《
「《
「……《
辺りの太陽光が一点に収束し、大質量の毛髪が押し寄せ、巨大なカニの鋏が大砲のように発射される。轟音と粉塵がジンジャーのいた場所を中心に膨れ上がった。
「やった……!」
キュビットが一息をつく。多数派の強みを活かした複数段攻撃。たとえ【ブローチ】を付けていたとしても、磨り潰されて終わりだ。
そう、当たっていたなら。
土煙が晴れる。深い穴が空いた地面を、Moooは訝しげに見つめた。
『深すぎる』
今しがたの着弾痕の深さではない。そう、これは……
「ちょっとは俺を見直したか?ジンジャー」
「……調子に乗らないで」
声が聞こえる。そして、大地が崩れる。キュビットが叫ぶ。
「お前……!」
「あぁ、俺だぜ」
穴の底にいたのは、ボロボロのジンジャーを抱える黒い鎧……【芸術家】モーリシャス藤堂だった。
◆
その鎧は、まるで昆虫のように黒光りしていた。いかにも分厚く、また丈夫そうだ。先だっての必殺連打も余波ぐらいなら受けられたのだろう。
「来るなって言われたけどよ、一応待機はしてたんだよ」
藤堂が言う。
TYPE:アームズ【劣級武装 アルマリカ】。他人には見えないが、鎧<劣級>の銘はそれだ。武装……物体としての堅さに長けた鎧、ゆえにそう簡単には壊せない。
「……往生際が悪いだろう、とは思っていたさ。予期せぬ事態じゃない」
だが、キュビットはすぐに立て直す。
「頼みますよ、二段構えの方々」
「承った」
その後ろから後詰めの彼らが姿を現す。
「既に発射準備は完了している……見るがいい、我らが合体奥義!」
その口上を聞いてやる義理もない、とばかりに藤堂が飛び上がる。傷ついたジンジャーを迎えるようにリンズが枝を藤堂に向け……
「《
「《
「《
些かネーミングセンスに欠ける合体技が、しかし驚異的なスピードで迫る。絶対追尾機能付与、散弾化、加速の<上級エンブリオ>によって改造された闇属性奥義が藤堂に迫り……
「ほぅ?」
アルマリカにそのほぼ全てが防がれた。
「うお、やべ!穴が空きやがった!」
煙を上げる黒鎧の穴を擦りながら藤堂が毒づく。その身体をリンズが受け止め、枝をざわめかせた。
『他の傷はともかく、腕は不味いな。すぐに塞がねば大量出血で死ぬぞ』
「るっさい!まだ負けてない!すぐに回復するわよ!」
左手で薬瓶を呷りながらジンジャーはわめく。その目がふと、遠くの空に向けられる。
「……雨か。準備は済んだみたいね」
都市を呑み込んでいく降雨の線を一瞥し、ジンジャーがため息をつく。
ここからは全く別の戦いだ。彼女の望む楽しい
「助けられたとは思わないわよ、シュトラウス」
◇◆◇
□【偵察隊】AFX
その戦場は幻想的ですらあった。降りしきる雨、天空へと浮遊する人間たち、屹立する城塞、薄汚れた街、そして――雨傘の少年。
ユーリイ・シュトラウスの戦術は、重力を奪う雨だ。肌を流れるその雨粒が、AFXたちから重さを奪っている。ほんの軽い踏み込みで空へと吹き飛び、打撃を受けただけで後ろへ飛んでいってしまう。そして、降りしきる雨粒は刻一刻と更に体重を奪っていっていた。
「あのティアンの浮浪者が浮かなかったのもそういうわけか」
這いつくばるグリゴリオが苦々し気に呟く。
「あいつは雨を避けていたからな……この雨の<エンブリオ>に触れることが低重力のトリガーなんだろ?」
「うーん、いくつか訂正がありますね」
まともに歩くことにも難儀する彼らを前に、ユーリイは言った。
「まず、ティアンが浮いていないのは《
ユーリイが傘の下で指を折る。
「もうひとつ……雨の<エンブリオ>ではありません。この雨は単に【
既に見えている情報なら構わない、とばかりにユーリイは朗らかに告げる。その瞳が、ふと上空を向く。
「ところで、カークさん、何か弁明は?」
「お、俺は裏切っちゃいねえぞ、そんなつもりは無かった!」
上方。そこには、家の屋根に引っかかるようにフォトセット・カークがしがみついていた。屋根瓦に掛けられた指が震え、その顔が狼狽に引きつる。
「本当だ!俺は無実だ!」
「おや。《真偽判定》には反応がありませんね」
ユーリイが穏やかに言う。その笑みが少し、深くなった。
「……《真偽判定》は本人の認識に依るところも大きい。質問を変えます、あなたは彼らに情報を与えるなど、有利になるような取り計らいをしましたか?」
「そ、そんなことは……」
カークが叫ぶ。ユーリイは唇を吊り上げて言った。
「偽。ならカークさん、それは裏切りというんですよ」
ですが、とユーリイは続ける。
「あなたのその恐怖は本当のようです。チャンスを与えましょう。今すぐこの都市での殲滅活動に参加して下さい」
その言葉に込められた最後通告の意味合いに、カークが震える。彼にとって最良の選択肢は既に潰えた。ここからウーが敗死したとしても、裏切者の彼を追うものはいるだろう。その筆頭はこのユーリイだ。
カークが細雨の中、乾いた唇を舐める。その瞳が動揺と逡巡に揺れ、
「俺らを無視するんじゃないぞ……《塩害》!」
憤るグリゴリオが走り出した。その周囲には、何本もの塩の結晶柱が斜めに屹立している。
「浮き上がる身体は、逆に三次元機動の助けにもなる。足場があればな……そして、一度遮蔽物に触れた雨が効力を失うのも確認済みだ」
重力は枷だ。それから解き放たれたグリゴリオの身体は、羽根のような軽さをもって俊敏な機動力を手に入れている。それはスピード重視のシマ、そしてAFXも同じこと。
そして塩の結晶の下を走れば、これ以上の重量を奪われることはない。跳ね散り流れる水はもう“雨”ではないからだ。加速したAGI型の二人が、両翼からユーリイに迫る。そして、
「《エメラルド・バースト》」
突如巻き起こった爆風に吹き飛ばされた。ユーリイが【ジェム】を投げた左手をからかうように揺らす。
膨張する大気の圧力に、羽根のような体重の三人が翻弄される。それを為した雨傘の少年は、笑顔のまま言った。
「その程度、想定してしかるべき手です。僕の想定を超えるには足りませんね」
「このっ!」
シマが吠える。その双刀が閃き、地面を抉る。
「賦羅素丸!埋納素丸ゥ!」
プラスとマイナス、膨張と収縮の二つの能力特性が大地に対して行使される。自然、矛盾する法則を強いられた地面はたわみ、歪み……ユーリイめがけて爆発した。石畳や土砂、砂礫が弾丸のようにはじけ飛ぶ。塩の柱に掴まった三人が、すかさず攻撃を叩き込む。
「《
「《サンダー・スラッシュ》!」
「《スリーピング・ファング》……!」
三方向から、微妙な時間差をつけた攻撃が迫る。だが、
「……!」
それらは全て、ユーリイが傾けた傘に容易く止められた。AFXが歯噛みし、ユーリイが笑い……
「《
そして、傘に銃弾が突き刺さる。
「お、おおおお、やってやった、撃ってやったぞコラァ!」
カークがわめき、銃弾が発芽する。蠢く植物が雨を遮り、ユーリイを押し退け、蔦を伸ばす。
「決めたぞ、俺はお前さんたちの方に付くってな!どうせ望みがねえなら賭けだ賭けェ!」
屋根の端でひきつった顔を晒すカークは、自分を鼓舞するように吠えていた。
「テメーらァ!マジで勝てよ、こいつら全員“監獄”行きにしてくんねぇと俺は終わりだ!」
「あぁ……心得た」
グリゴリオが呟き、加速する。地面を這うように進む彼の右手が鉈を振り抜く。
「【降水王】……【雨乞】の超級職か?ならば、典型的な非戦闘型のはず、純粋な接近戦ではこっちに分がある!」
それは正しい認識だ。【雨乞】系統には戦闘力などない。直接戦闘能力だけでなく、繰り出せるダメージソースそのものが存在しない。生産職ですらない非戦闘員。ただし……
「……!?」
ユーリイが身体を捻る。その足が軽やかなステップを踏み、グリゴリオとすれ違う。その一瞬、がら空きになったグリゴリオの背後にユーリイがハイキックを食らわせた。グリゴリオが上空方向へと吹き飛び、蔦に捕まって事なきを得る。
「軽い脳味噌だ……さっき攻撃を傘で防いで見せたのを忘れたんですか?」
嘘臭い笑顔でユーリイが言う。その瞳に雨を遮る障害物の数々が映る。
それらは対処法として簡単に思い付く類いのものだ。だからこそ、それに対する手もまた。
ユーリイが傘を静かに閉じ、ライフルのように構える。その石突の銃口が光り、熱を孕む。
「《グレネード・ランチャー》」
そして、石突が吐き出した大爆発が巨大蔦と塩結晶を砕き割った。傘を閉じ、全身に糸雨を浴びながらユーリイは笑う。
「そろそろ
その身体を雨粒が流れる。そして、ユーリイの身体もまたその重みを失っていく。
「あなたたちにとって重力は足場です。でも僕にとっては……無重力こそが足場なんですよ」
叩きつける雨に体重を洗い流されるユーリイが、閉じて畳んだ傘を剣のように構える。左腕の十字を象った紋章が光り、その足元が山吹色の長靴に覆われる。
「【劣級歩行 ウォーキッカ】、《ウォーク》」
ユーリイが空中へと飛び上がる。そして上方、
◇◆◇
□■冶金都市地下施設・居住ブロック
「<超級>を?」
メアリーは強ばった顔で繰り返した。壮大な計画だ、なにより、そのアイデアが。
「そんなこと……」
不可能だ。仮に<超級エンブリオ>を作れるなら、その<エンブリオ>はすなわち、<超級>と同じ力を持つことになる。実質的に進化を飛び越えるに等しい、あり得ない理論だ。
だというのに、ウーは眉ひとつ動かさず、自信ありげに続けた。
「……我がエキドナは、<劣級>を創造することができる」
その言葉と同時、両手の白手袋が鈍く煌めく。それこそがウーのエルダーアームズ、エキドナだ。
「正確には、捧げたリソースをコストとして<劣級>に変換、凝縮、固定……必要となるリソースは膨大、さらに完成した<劣級>の出力の上限……制約は多い」
それはエキドナの《
「コストって?」
メアリーは尋ねる。嫌な予感を抱きながら。
「何を捧げるっていうの?」
「神話級金属などの高リソース物が基本だ……数値の上ではな。加えて、『生命』……犠牲を捧げる必要もある。つまり、ティアンの屠殺だな」
生贄は必須だ。生命は高密度のリソースを含んでいる。それが無機質なエネルギーを<劣級>へと励起するトリガーになる。
「そう、それこそが我が計画の要だよ」
ウーは絶句するメアリーを愉快そうに眺める。
「通常のスキルプログラムに含有される制限を外すことは、我がエキドナの必殺スキルをもってすれば可能だ。そして、大量の生命を捧げることでその器を満たす……第七形態相当の<
唇が愉悦に歪む。その目が理想家の熱を帯びる。
「なぜこの都市を制圧したと思う?その全て、我がエキドナの供物とするためだ。都市ひとつ分のリソースは<超級>……あるいは
その理論は、凄みと悪辣さをもってメアリーを圧倒した。都市ひとつ、ひしめく人口を滅ぼすというアイデアは、それだけの重みがある。
「……なんでそこまでして?」
だから、メアリーの口から出たのは純粋な疑義だった。
「ティアンに恨みでもあるっていうの?」
常人の神経なら、そんな所業をもってしてまで果たしたい目的などない。あるはずがない。
だが、狂人はそれを一笑に付す。
「恨み?恨みか、そんなものはないとも。あるはずがない、顔も知らない他人に恨みなどどうして抱ける?」
ウーが掌を広げる。
「わたしは欲しいのだよ、<超級エンブリオ>が。無いなら造る、当然の帰結だ、そのためのコストは惜しみ無く支払う。そしてこの計画が成功したとき、わたしは<超級>を量産できるという証明を手にすることになる……」
それは大きな意味をもつ事実だ。
「いずれ<超級>になりたいと願う<マスター>もすべからくわたしに額づくことになるだろう。それを求める輩などいくらでもいる……些事だがね」
そう言いきるウーにメアリーは目を瞬かせる。だが事実、彼にとっては些事だ。自身の<エンブリオ>を持つ<マスター>連中に<超級エンブリオ>を与えてやることは、あくまでも寄り道に過ぎない。ウーの本当の目的は別にある。
「……あなたが本当に狙っているのは、ティアンなんだね」
メアリーがおぞましいものを見るような目で呟く。ウーはその視線を受け止め、言った。
「あぁ。<マスター>……<エンブリオ>の存在が彼らに与えた衝撃は大きい。ましてや<超級>ともなればこぞって彼らはそれを求めるだろう……最近、傍証を得たばかりだ」
そう、<マスター>は特別だ。世界に愛されている。それは一度きりの命を懸命に生きるティアンにとってはどう映るだろうか?
「信頼?羨望?崇拝?畏怖?軽蔑?あるいは……憎悪か?わたしはその全てを満たしてやれる。この世界のティアンは我が掌の上で<エンブリオ>を得られるだろう」
それは、言ってしまえば神の在り方だ。<エンブリオ>という恵みを以て、彼はこの世界に君臨する。力や恐怖ではなく、人々の欲望がそう願うゆえに。
「理解できただろう?貴様は神の側仕えとしての地位を得ることが出来る。あの下劣な、ティアンを人とも思わない犯罪者の彼奴らとは違う、貴様だからこそ、我が軍門に下る意味が分かる筈だ……!さぁ、誓え!わたしに従うと!」
ウーが鋭く告げる。メアリーは戒められた両手に目を落とし、黒い枷を眺めた。そして顔が上がる。その瞳がウーを見つめ、唇が動く。
「お断り!」
メアリーが苛烈な気配を纏う。
次の瞬間、紋章から出現したアシュヴィンが両の拳で【
轟音と共に空気がはぜる。
「強制的に【契約書】と同じ術で脱出を禁止する枷。確かに強いけど、強すぎる。だから、『脱出』しか縛れない……」
メアリーの付けられた拘束具の弱点がそれだ。強制力ゆえに柔軟性に欠けること。
「お生憎様!逃げる気はないよ、これは単にあなたを攻撃しただけだもん!脱出のためじゃないからね」
それが行えていることが、メアリーの正直さを明朗に証明している。逃走も脱出も意図していない、純粋な暴力は契約をすり抜けてウーに炸裂した。不人気な道具には、不人気な理由がある。
「それに、あなたの計画って無茶苦茶じゃん?ティアンに<超級エンブリオ>を売るなんて……絶対に無理だよ」
メアリーが冥土の土産とばかりに言う。
「同じティアンを虐殺しないと作れないものを、ティアンが喜ぶわけないでしょ!」
唾棄するようなニュアンスを言外に匂わせて、メアリーはベッドから立ち上がった。用は済んだ。ボスを圧死体にされた敵はすぐに瓦解するだろう。その意識が“自害”コマンドを実行しようとし……
「……愚かしいな」
「……!?」
メアリーが驚愕する。それに呼応して
「だが、愚かな女というのは悪くない。どちらかと言えば、理性的な女は嫌いでね」
「うっそ……」
メアリーが呻く。その瞳には、既に《看破》の力が宿っている。
見えていた。何の隠蔽も働いていない、【教授】ーー非戦闘職の典型的な肉体ステータスが。
貧弱なSTR、脆弱なEND、惰弱なAGI。曲がりなりにも戦闘タイプのメアリーとは天と地の差がある。当然、アシュヴィンとも。
「ティアンが同じティアンを犠牲にするはずがないと?いやはや、傑作のジョークだ。ユーモアとしては百点だよ」
ウーが嗤う。その弱々しい筈の掌が、アシュヴィンの膂力を容易く押し破り、部屋の壁へと吹き飛ばした。
「くっ……!」
メアリーが踏み込む。AGIで遥かに勝る彼女の拳が、囚われた枷の範囲とは言えど、【教授】ごときには捉えられる筈もない速度で迫る。
それを、ウーは容易く躱した。技術ではない、純粋な速度で。
「ティアンは人間だ。わたしは彼らの人間性をこの上なく信じている……」
ウーの足が閃く。その鋭い蹴りはメアリーを再び古ぼけたベッドへと叩きつけた。
「そう、人間だ。自らの意思で、同じ人間を犠牲にすることこそ人間の本質だ。何故か分かるかね?」
空っぽになった肺で喘ぐメアリーを、ウーが見下ろす。
「人類という枠は
メアリーがウーを睨む。その瞳を受け止めるウーの目は、まるでガラス玉のようだった。
「正義のために、愛のために、同じ人間すら殺せるのが人間だ。ティアンは紛れもなく人間だよ。彼らの敵を滅ぼすため、彼らは彼らの敵を捧げるだろう、この上なく合理的じゃないか。ドライフがアルターに何をやっていると思う?カルディナをグランバロアがどう見ていると思う?」
そして、それを助けるのが彼、ウーの<
「そう、ここカルディナは世界の火薬庫だ。恨みと欲望が渦巻き、それを許容する論理も持ち合わせている。実に都合がいい」
火種さえあれば、必ず燃え盛る。その証明はつい最近、為されたばかりだ。そして転がり始めた戦争の炎はそう簡単には止まれない。
「戦果が戦果を生む、その方程式こそわたしが与える恵みだ。ティアンたちは喜んで受け入れるとも。<エンブリオ>をな」
戦果が戦果を、戦火を、戦禍を……そして人々は守るために戦うだろう、乱世に抗うために立ち上がるだろう。
ウーの余裕そうな顔を、メアリーは下からねめつける。その唇が血を吐き出し、そして言葉を吐き捨てた。
「何が<エンブリオ>……だ……あんたの<劣級>なんて、ホントはただの、
◇◆◇
□■冶金都市グロークス・地上
長雨は降り続いている。その領域は都市を呑み込み、すっぽりと覆い尽くしていた。その雨の権能、無重力の中をユーリイが跳ねる。
「《
空中を蹴って、長靴の少年が反転する。その傘の石突、銃口が光り、放たれた徹甲弾がグリゴリオの建造した塩の傘の支柱をへし折った。
「雨を避ける試みは無駄だと通告した筈です、その為に僕が前線にいるのですから」
ユーリイが隠れていないのは、ひとえに個別の事態に対処するために他ならない。無重力の雨ーー彼の<エンブリオ>、【天上天下 アイテール】の能力は、罠として完璧に機能している。
「いちいちたかが雨を気に止めるやつなんていない、僕らも……すでに、完全に、どうしようもなく術中に嵌まったってわけか」
雨天、その中空でぼんやりと漂うAFXが呟く。その手は虚しく空を掻いていた。
ユーリイの蹴りを食らって上空に投げ出された結果だ。引き留める重力なしには止まることすら難しい。不用意な運動ベクトルが体を回転させ、降りしきる雨はどんどんと体重を奪う。そう、今やーー
「マイナスか……もう重りがないね」
AFXだけではない。彼らの体重はみなマイナス域に突入していた。
先だってグリゴリオが行った、アイテムボックス内の重量物による降下は、付近の全員が目撃している。模倣を試みたものも大勢いる。
だが、その方法は既に難しい。ゆっくりと上空に向かうのを緩める程度のものしか残ってはいない。
「雨に打たれた無生物までが重量を失うのは想定外だったなぁ」
アイテムボックス内部に仕舞われていたものは、外に出て雨を受けた途端に重量を奪われ始めていた。おそらくユーリイの能力対象に設定されているのが、『<マスター>と装備品』なのだろう。手持ちの重いものは全て使い果たしてしまった。
加えて、メドラウトが機能していない。共通点に応じて敵の攻撃を減衰する筈のルールは、今や超常の雨にすり抜けられている。
体重を減らす。見方を変えればそれは強化、
空へ落ちる。
それは幻想的であり、同時に恐ろしい体験だった。見上げるべき空は視点を変えた途端、無限の奈落へと変わる。そして、掴まるべきものは何もない。受け止めてくれる大地はない。
そして<マスター>本体を倒すのもまた難しい。銃を撃てば反動で飛んでいくような状態だ。ましてやユーリイはそう簡単に当たってくれはしない。
準<超級>、典型的な広域制圧型の猛者。倒す道筋は思い付かなかった。なにせ非戦闘職の癖して、妙に格闘も強いのだ。
(やっぱりあれは……そうなると反則臭いな)
実を言えば、地上へ降りる手段はある。AFXにしか使えない手だが、確実な手段だ。
(けど、やれるのは多分一回だ。それ以上はストックが怪しいし、絶対に目をつけられる)
奇襲で確実に沈めなければいけない。幸いなことにユーリイのENDは低い。当てられればダメージは通るだろうが、まず間違いなく【ブローチ】がある。二撃は最低限必須、ゆえに動けない。
「好機を待つしかないな」
そう、待つしかない。時間切れになる前に来るかどうかは分からないが。
◇◆
グリゴリオとシマは未だ地上にいた。状況は芳しくはなかったのだが。
他人の家に踏み込んで屋内戦に持ち込む目論見は、外からの一方的な爆撃で破綻した。塩で作った覆いは容易く砕かれてしまった。更に言えば、変形させられる塩結晶はもうない。
そして、一発でも攻撃をもらえばその運動エネルギーは彼らを容赦なく空へ放逐するだろう。そうなれば無重力に……いや、マイナスの重力に溺れて死ぬ。
「流石に成層圏まで
シマが呟く。その刀がきらりと光る。そして、刀にユーリイの影が映った。
「……ッ!」
鋭い呼気と共に二人が飛びすさる。建物の壁を蹴って軌道を殺す。
少しでも漫然とした動きをとれば、空中で移動できるユーリイに追い付かれる。ゆえに、一瞬たりとも気は抜けない。
「半ば無差別の重力低下……それを長靴の能力で一方的なメリットに変えている。惚れ惚れするようなシナジーだなァ、おい!」
吐き捨てるグリゴリオ。その背後で跳躍しながら、ユーリイは楽しげに言った。
「当然です。僕のウォーキッカは<劣級>第一号。他の人間とは年季が違う。戦術は完成の域にある!」
空を歩く<
「ふふふ……はは、これこそがオーナーの、偉大なる力!あの人のカリスマの現れ、<劣級エンブリオ>!恭順以外の選択肢はありませんよ?」
少しだけ、その慇懃さが割れて熱が覗く。だが、グリゴリオもまた、その熱に相乗りするように言った。
「よく言うぜ、偉大なる力?カリスマ?ペテン師のくせに」
その侮辱にユーリイの動きが止まる。アパートの歪んだ壁に張り付きながらグリゴリオは続けた。
「てめーらの<
時間が止まったようだった。あるいは無重力の海に漂っているのか。沈黙が雨音に溶けていく。それを破ったのは、シマの無邪気な呟きだった。
「どういうことだ?グリー」
その両手がお手上げとばかりに揺れる。グリゴリオは再び口を開いた。
「こいつらの<劣級>は<エンブリオ>じゃねえ。根本的に別物……モンスターの一種だ。まるっきり別個の生物が体内に取り憑いてる、だから俺の《
グリゴリオが跳躍する。静止するユーリイに間合いを詰めながら、彼の言葉は続く。
「核を持つ寄生型は珍しくない。そして外に出てるのは言っちまえばトカゲの尻尾みたいなもんだ、壊されても核が無事なら直る。ご丁寧に各TYPE系列まで再現したらしいが……アームズやチャリオッツはそれっぽい形のモンスター、ガードナーは言わずもがな、テリトリーは非実体の……レイス系あたりをベースにしたか?ん?」
ユーリイは心なしか顔を俯けていた。その髪を雨が流れ落ちる。
「<エンブリオ>を造るって言われれば大それた力だが、特徴だけ似せた寄生モンスターを造るってんならビビることはない。前例も山ほどあるだろ?有名どころなら、ドライフの【大教授】、それに<IF>の【魂売】あたりか。どうだ?」
グリゴリオが眉を上げる。
「訂正があったら言えよ、【
ユーリイが顔を上げる。その蒼白な顔面が能面のような無表情になり、そしてすぐさま笑顔に覆われる。
「驚き……とは言えませんね。露出させた以上推測され得るのは当然の可能性でしたから。ええ、想定内ですよ」
ユーリイは鷹揚さをアピールするように両手を広げた。降り注ぐ雨がその掌を流れている。
「あなたも僕も、オーナーの思想を真に理解するには時が足りない……未だ、無機質な言葉で知ることしか出来ない」
ユーリイが再び傘を順手に構える。その石突がグリゴリオを鋭く指す。
「それで、この状況のほうはどう対処するおつもりで?」
超級職の準<
「キヒヒ、どう対処すると思うよ?」
ユーリイが目を細める。シマが嘲るように両手をはためかせる。
そう、空の両手を。
(
不審を察したユーリイが腰を落とし、間合いを空けようとする。そしてシマが口を開く。
「何のために『お喋り』したと思ってんだ?もう遅い……《
その言葉は途中で風の音に呑まれた。激しい雨音もまた、渦巻く風に呑まれていく。
エビングハウスの能力は、斬った切り口を起点とした膨張と収縮。そして《
固体から気体へ、刃傷から接触へ。刀の輪郭すら霧散して、遍在する大気へと能力が発揮されるのだ。
膨張と収縮。プラスマイナスの矛盾が空気へ指向性を与え……
「これは……竜巻!」
暴走する気流は渦を巻き、ユーリイを中心に咆哮した。これこそがエビングハウスの奥の手。発動待機時間は長く、中心座標を指定する必要もある。効果は一瞬、にも関わらず前後で<エンブリオ>は使用不能に陥る。だが、裏を返せばそれだけのデメリットを載せた必殺技。その威力は凄まじく、
「く……!」
その渦中、ユーリイは木の葉のように翻弄される。荒ぶる風は、容易く【降水王】の【ブローチ】を砕き、地面へと叩きつけた。
「これしきで……!」
だが、ユーリイは即座に立ち上がる。戦闘の場において思考を止めることは自殺に等しい。だから、
「……!?」
その次の瞬間、目の前に瞬間移動してきたAFXに驚愕したことは、彼にとって大きな隙になった。
◇◆
好機をみてとったAFXの行動は素早いものだった。目的のものをアイテムボックスから取り出し、ついでに空になったそれを投げ捨てる。
彼が片手に握る小さなものは、平凡な火属性魔法の【ジェム】だ。それは主の意思を受けて、即座に爆発する。その爆風は未だ致命的ではなかったマイナス重力に抗って、AFXを地上へと打ち上げた。余波で近くにいた<マスター>が明後日の方向に飛んでいくが、些細なことだ。
AFX自身に、その爆風によるダメージはない。メドラウトの能力は共通点に比例したダメージの減衰だからだ。完全な同一、即ち自傷は完全に無効化される。
爆風に乗って、【偵察隊】にとってすら速すぎるスピードで、AFXが飛ぶ。AGIをフル活用し、必死に標的を捉える。
霞む速度の中で、狙うはユーリイただ一人。霧散した竜巻を通り抜けて、AFXが降着する。その位置は、ユーリイの正面。
(思った通り、隙を突かれないために背後を傘で守った!)
つまり、正面は手すき。言葉を交わす余裕すらもなく、二人が向かい合う。
純然たるAGIではAFXが有利。ゆえに、立ち上がりが同じならユーリイには防御は不可能。そもそも腕の速度が違うのだ。
「貰ったァ!」
短剣が狙い過たず、【降水王】の喉を狙う。刃が音速にすら迫るスピードで閃く。
完璧な連携だった。ここまで来ればユーリイに出来ることはない。彼の身体能力では対処の方法がない。
そう、身体能力には。
「《
何故か嬉しげなユーリイの唇が静かに開き……
「《
突如、瓦礫が爆発した。雨風を吹き飛ばして、超音速の一撃がAFXを地面へと叩きつける。まるで銃弾が防弾チョッキを殴るような鋭さで。
それを成したのはユーリイではない。横合い、アパートの外壁下部を粉砕して突撃してきた攻撃だ。何かを言いかけていたユーリイがため息をつきながら言う。
「……あと少しで僕を巻き込むところでしたよ。わざとですか?」
「まずは感謝が先だろ、シュトラウス」
ユーリイに答えるその声。この場に新しく出現したその声は、酷薄かつ愉しげだった。
「土下座でもしてみたらどうだい?貴重な体験だ、得るものは多いんじゃないの?」
土煙が晴れ、突撃してきた
「ていうかさぁ、こんな雑魚相手に追い詰められてる時点であり得ないよね。このゲーム辞めたら?」
厚手のマント、右手を覆う機械腕。紅い目を描いた仮面が鈍く輝く。その風貌に、AFXは見覚えがあった。
「その仮面……!ミンコスの店の前にいた……」
半ば地面に突き刺さったAFXが呟く。アパートを粉砕して現れた仮面の男は、愉快そうに首肯した。
「あぁ、なるほど、あの時のヤツか……結局『商人』は見つかった?」
「ご心配感謝するよ」
AFXが地面から腰を引き抜く。一方、仮面の男はグリゴリオに顔を向けた。朗らかさのなかに棘のある言葉が響く。
「そんでもってもう一人、知った顔がいるなぁ……塩男。元気そうじゃないか」
「馴れ馴れしいぞ、“
グリゴリオが仏頂面で答える。その言葉に、シマが口を開けた。驚きゆえにだ。
「おいおい、それって……」
「“
鋭い目のグリゴリオが吠える。AFXもまた緊張感を高めた。その名前には聞き覚えがある。カルディナで指名手配を受けていたーー
「ブラー……確か、準<超級>ーー」
「ーー“準”?」
そして、一瞬にして加速したブラーの突撃が、AFXの胴を直撃する。肋の折れた感触にAFXが呻く。それを気にも留めず、ブラーは言った。
「へえ、嫌に丈夫だな……丁度いいサンドバッグになりそうだ」
「あーあ、いつも混ぜッ返すんですね、あなたは……」
その後ろでユーリイが再び構える。もうさっきのような手は通じないと言わんばかりに。シマとグリゴリオも、思わず舌打ちでもしたい気分で戦闘態勢をとる。
敵は準<超級>二人。戦局は圧倒的劣勢だった。切り札も残っていない。そしてふと、ユーリイが口を開く。
「寄生生物がどうとか言ってましたね……そんな指摘、無駄なことなんですよ。丸っきりね」
◇◆◇
■冶金都市地下施設
「<エンブリオ>がどうとか……寄生モンスターでもってそんなこと言ったところで響かないよ……あなたの計画は頓挫する、絶対に」
メアリーが血を吐きながら言う。
「この事実はすぐに広まる。<マスター>の口は塞げないし、気づいたのはあたしだけでもない」
<エンブリオ>が偽物であれば、ウーの言動はペテン師のそれに成り下がる。いかに題目を並べようと覆らない。
だというのに、ウーは狼狽えない。動揺も戦慄もない。罪悪感や屈辱の欠片もない。
「寄生モンスター、なるほど。確かにそうだ。私の<劣級>はモンスターをベースに調整と改造を重ねた生命体だとも」
ウーは口を噤まない。ためらわない。弟子に説諭する師のごとく。
「コア埋没部分への紋章刻印、《鑑定眼》《看破》等への完全耐性、ランダムな能力特性の発現、
「ハッ!偽りはない?本物じゃないっていうおっきな嘘があるくせに!寄生モンスターなんて、誰も欲しがらないんだから!」
「では問うが」
ウーが顔を傾ける。その様はどこか獲物を屠る蟷螂に似ていた。
「何をもって寄生生物と断じたのかね?」
「……あたしの全体治癒に反応があった」
それはユーリイと戦った……ほぼ一方的に敗北したときのことだ。彼が使った<劣級>が、彼本人とは別に発光した。それはあのアームズ……長靴が、確固たる独立した生命であることを意味する。
「それに、グリゴリオさんも言ってたからね……別の命が取り憑いてるって」
その言葉に、ウーは深く頷いた。
「理解した。つまり、区別できないほど同化していれば良いのだな?リソースは重いが、いずれは不可能でなくなるだろう」
「……どっちにしろ寄生虫じゃないの」
メアリーが顔をしかめる。
「何だ?まだ要望があるのか?述べたまえ」
「要望じゃない、寄生モンスターなんていらないって言ってるんだってば!」
「だが、貴様は既に受容しているではないか」
ウーが心底不思議そうに呟く。
「<エンブリオ>。それが寄生生物でない、とどうして言えるのかね?宿主に取り憑き、決して離れず、リソースを収集し成長する。寄生虫そのものではないか」
「……」
沈黙する少女に、【
「我が<劣級エンブリオ>族と<エンブリオ>を区別するものはなにもない。あるはずがない。任意の条件に於いて同じ能力、同じ特質を持つならそれは畢竟<エンブリオ>に他ならないからだ……例えば……」
ウーが手を開く。その手の中、半透明の卵が煌めき、そして暗赤色の蝸牛がその身をくねらせて現れた。
「……上級のガードナーは概して、純竜に匹敵する性能を持つという。であれば、戦力の観点から見て、純竜を従えることは上級のガードナーを持つことに等しい。違うか?」
蝸牛が殻を震わせ、水の塊を吐き出す。それが竜を象り、そして弾けて消えた。メアリーが口を開く。
「違う、だって……それは……」
「……貴様も理解しているはずだ」
ウーが遮る。その唇が深く息を吐き、そして吸い込むことなく続けた。
「重要なのは結果だ。敵を殺すのに剣を、銃を、魔術を、あるいは奸計を。何を用いようと結果が同じならばそこに違いはない……ただ、人が<エンブリオ>に求めるのは力のみではなかったが」
蝸牛が眼を伸ばす。その瞳がウーとメアリーを見つめ、涙を溢れさせた。涌き出す水が眼球を肥大させていく。
「重要なのは力の名前。それが<エンブリオ>であることだ。名は呼ばれるためにある。呼ばれればそこに意味が生まれる。力の桁は変わらずとも、人間はそこに力を見い出す。そう呼べるなら。たかが名前に、だ」
蝸牛の<
「わたしはそれを笑わない。愚昧だとも思わない。だから、わたしは<エンブリオ>を売るものでいられるのだよ、パラダイス」
水の匂いがした。それはすぐに消え、代わって鉄の臭いが微かに漂う。
「その真贋は結果によってのみ規定される。<エンブリオ>に期待されるそれと同じ結果をもたらすなら、それは本物だ」
手袋ーーエキドナが鈍く光る。メアリーはそれに目をやり、粘りつく沈黙に沈んだ。《真偽判定》は何も告げなかった。
「……で、だから仲間になれ、って?」
そして、穿つような声音がウーを牽制する。
「いくら理屈を捏ねても、あたしはあなたの仲間にはならない。<劣級>もいらない。崇拝も欲しくない」
「あぁ、崇拝は私も要らないな」
「寄生虫は嫌。戦争も嫌。あんたは説得が下手!」
メアリーが歯を剥き出して叫ぶ。その全身に漲る拒絶の意思がギシギシと枷を揺らした。ウーは懐から羽ペンを取り出した。
「では、こうしようか。今後私が直接的にせよ間接的にせよ殺すであろうティアン、そのうち一万人を貴様に所有する権利を与える」
羽ペンが帳面の上を走る。青いインクがメアリーの知らない文字を記していた。
「選別は貴様の自由だ。あぁ勿論、その一部が
「……あたしは奴隷もいらない」
心底軽蔑しきった声でメアリーが言う。ウーの羽ペンが止まった。
「であれば、この一万人は死ぬことになる」
ウーの瞳が猛禽のそれのように少女の顔を捉える。その瞳孔が夜の猫のように開く。
「将来私が消費する人命だ。貴様に選ばれなかったものは極めて効率的にリソースへと変換される。効率的にな」
ペンと帳面が消失する。エキドナが蠢く。
「理解できるかね?貴様は今一万人を殺したのだ。今一度問う。我が配下となるかね?」
「あたしは……!」
メアリーの眼は憤りに燃えていた。
「……あたしは、配下になんか!」
「一万人が死んだぞ」
ウーが言い捨てる。その手が肘掛けを掴み、男は立ち上がった。
「既に結果は決まっている。逡巡と答え合わせの時間を与えよう。それが済んだなら、わたしに恭順しろ」
扉が閉まる。蝶番が一瞬、断末魔のような金切り声を上げた。
To be continued