■【降水王】ユーリイ・シュトラウス
準<超級>と呼ばれる者達がいる。第七形態への進化こそ叶わないまま、それでも<超級>に準ずる強さを得た……とみなされる人間だ。超級職や<上級エンブリオ>、戦闘力の主たる要素は様々だが、たったひとつ、共通することがある。
彼らは決して二番手ではない。至高の<超級>との違いは単なる進化段階の差に過ぎない。むしろ明確な指標が存在しないなか、その戦力のみを以てその名を世に知らしめる、そう、彼らはーーーー
「紛れもなく、強者……」
ユーリイはブラーをーー空を駆け抜ける暴力的流星をーー見上げて呟いた。その様は準<超級>と呼ぶにふさわしいものだ。強力でピーキーな<エンブリオ>の賜物だろう。
彼自身は違う。ユーリイに言わせれば、彼は弱者だった。超級職は非戦闘用、<エンブリオ>の能力は貧弱も良いところだ。
「羨ましいですよ、あなた方が」
その瞳が敵と、今のところ敵ではない彼を映す。
「塩の攻撃……」
グリゴリオが跳躍し、その鉈を振り下ろす。動きは用心深く、常に反撃を警戒している。
「物体の膨張と、収縮」
シマが走る。その両手には再出現したのだろう刀が握られ、その刃は斬ったものを歪めていた。瓦礫が飛び散る。
「そして、自分の強化……でしょうか」
視線の先。AFXがブラーの超音速突撃に撥ね飛ばされていた。いたぶっているのだろう、無重力によって飛びすぎないよう角度を付けている。
あの攻撃を受けてAGI型が即死しないのはかなりの強化具合だ。おそらくはなにか特殊な外部コストを持ち合わせている、とユーリイは推測する。
それを一方的に弄べるブラーの能力もまた凄まじい。速度に特化した飛行能力は純然たるエネルギーだけで全てを追い越せる。
「どれも強力な能力特性ですよ、本当に……だからこそ、度しがたい」
それほどに恵まれた力を、可能性を、人間としての大きさを与えられてなぜ……
「なぜ……僕のような凡人に敗北するのか!」
ユーリイが踏み込む。その右手の傘がグリゴリオの
そして、ユーリイは傘を後ろへ向け、振り向くことなく広げた。その盾は過つことなくシマの剣筋を受け止める。そんな攻撃、簡単に読める。
「《クラスター・バン》」
その体勢のまま、石突が対人拡散弾を吐き捨てる。その弾幕は回避したシマの右半身を掠め、安直な考えで背後の物陰に隠れていたカークを牽制した。
「本当に、分かりませんよ、僕には。僕のような、何も持ち合わせていない平凡な人間が努力を重ねる間、あなた方は恵まれた力に胡座をかいていた。こちらでも、あちらでも、同じことです。恥ずかしくはないんですかね」
その顔は変わらず笑顔だった。限りなく柔和な微笑みだった。だが、目尻の皺に、口元のへこみに、どこか恥じるような色が浮かぶ。
感情を揺さぶられ過ぎた。それは隙であり怠慢だ。正負を問わず、心は律されねばならない。それが人の、理性の本懐であるがゆえに。
強者は君臨するものだ。そうあれかしと、ユーリイは自らに定める。だが、既に綻びは微かな音を立て始めていた。
「……平凡な、か?随分な皮肉だな。都市ひとつ呑み込める広域制圧型の何処が平凡だよ……おまけに、個人の戦闘力も申し分ない」
グリゴリオが上から文句を付けた。カークの蔦を掴むその手が身体を手繰り寄せる。
「そう、申し分ない。【降水王】……雨乞系統が、だ。お前、そういうことだな?」
グリゴリオの顔が忌々しげに歪む。サブで補助してはいるのだろうが、それにしても強い。ならば、そういうことだ。
「反則だぜ……リアルから持ってきた技術なんてよォ!」
言葉と共に地面へと降り立つ、その瞬間に鉈が閃く。それを唾棄するような眼で見やりつつ、ユーリイは笑顔を崩さなかった。
「鍛練を積みましたから」
それは自負だ。彼が故国にて重ねた近接戦闘訓練の数々は、今でも容易く思い出せる。
「あなたも場慣れしている、認めましょう。喧嘩術としては大したものです……でも、それは所詮我流でしかない」
ユーリイはゆっくりと歩を進めた。その一歩一歩にどれ程の判断と思考が込められているか、眼前の彼らには理解すら及ばないのだ。
「僕が訓練を始めてから十八年、こちらの時間を考えれば二十一年が経ちます。なにぶん非才の身、技は進歩しなくなって久しいですが、それでも得られたものはある……きちんと体系化された理論を基に目的意識を持って積み重ねた技術は、素人の闇雲な、六年そこらくらいの実践で上回れるものじゃないんですよ」
そう、ユーリイに武の才能はない。一欠片もない。肩を並べたものたちは自分より遥かに強く、洗練されていた。もっともその多くは既に死んでいるか、その道を離れたのだが。
ただ、費やした時間は裏切らない。その一点において、彼は自分を誇ることができた。そして、その修練はこの世界において乗算を結実させたのだ。
「この肉体は地球よりずっと強い……相対的には、ですが。あなた方のような雑な操縦では余りにも……その真価を活かせない」
それは憎悪だった。時間という平等な資産さえ無為に食い潰す彼らへの。あまつさえ、自我の発露たる<エンブリオ>など、漫然と振るうだけ。それはあまりにも、あまりにも……怠慢だ。
彼の<エンブリオ>、アイテールの能力は、こんなにも弱いと言うのに。
「なのに、何故、僕は準<超級>なんでしょうね……」
◆
雨は都市を覆い、触れたものを空へ浮かべていた。問答無用の無重力、強者の戦術だと人は言うだろう。
それはその通りだ。彼の“雨”は強力無比な戦法だった。だが、それを構成するひとつ、彼のアイテールそのものは……或いは、最弱の<上級エンブリオ>と言っても過言ではないかもしれない。
【天上天下 アイテール】。TYPEはルール・ワールド、その能力は重力の低減。そして、発動条件は『触れる』ことだ。
素手である必要はない。剣や槍を用いることは構わないし、ダメージも必要ない。魔法を当てても発動する。常時発動型の法則が彼の行動をすべて変質させるのだ。加えて、能力の発動はフレキシブルにコントロールでき、対象やタイミングは自由自在。前もって特定個人を除外したり、その逆であっても可能だ。
ただし……出力は極めて貧弱である。一回の接触につき、減らせる『重さ』はせいぜい……0.0001%といったところだろうか。たとえ一万発重ねても知覚すらされない。砂漠をティースプーンで掬うようなものだ。とてもとても、実戦で使い物にはならない。そして、それ以外ではなんの役にも立たない。
仮に接触回数を増やせても、生半可なそれは相手を利するだけだ。身体を軽くすれば、動きは速くなる。圧倒的に減らせないのなら、使わない方がましなのだ。現にユーリイ自身も、自らの<エンブリオ>を戦闘に用いたことはほぼなかった。彼の格闘センスを活かすため、当然の帰結として前衛系の職に就き、そしてそれのみでそこそこの強さを手に入れた。
速度型の格闘タイプだとして、一回の戦闘で相手に叩き込める攻撃は何発だろうか。数十発?数百発?その程度では、アイテールは役に立たない。リソースを腐らせる日々は長く続き、彼の心もまた腐っていった。
そして、彼は【
【雨乞】は文字通り、雨を降らすことを得手とする下級職だ。そして戦闘能力は一切存在しない。降らせる雨は本当に自然現象の域を出ない雨であり、『ダメージ』などという軽薄な言葉とは無縁のものだ。
【蒼海術師】などとの違いがそれだ。この雨は嵐ではない。災害ではない。水の魔術でこそあれ、攻撃ではない。煩雑な下準備を必要とし、場所は基本的に固定され、
しかし、被弾ではあった。
降りしきる雨の一粒一粒、それは一回一回の“接触”だ。たとえダメージなどなくとも、それは独立した物体だった。
雨に打たれて死ぬ人間などいない。戦闘中に傘を差す人間などいない。そのことは、アイテールにとってプラスに働いた。能力が知れ渡ってからも、降る雨を全て警戒してはいられない。絶対的先制攻撃がここに成立する。
では、天から降る雨粒の数を数えられるだろうか?無数の雨は、少しずつ、少しずつ“重さ”を奪っていく。重力加速度を削っていく。ティースプーンの一掬いとはいえ、無数であれば砂漠をも掘り起こすのだ。そしていずれ
こうして、彼は広域制圧型の準<超級>に至った。【
◆
実を言えば、ユーリイは嫌いだった。自らの<エンブリオ>が。
それはユーリイ自身の心の表れだった。幾度となく接触を、命中を重ねて漸く結果が出る能力……まさしく彼の弱さを表出させている。
信じられないのだ、たった一発で何かが変わるなどとは。だから回数を重ねて、重ねて……無数でなければ安心できない。自分を信じられない。かつて才能に乏しい身体で訓練に励んだように、苦痛なしに達成を欲せられない。都合のいい夢を見ることができない。それは現実主義者の臆病さだ。
周りでは多種多様な<エンブリオ>が雑な力を振るう。彼らのように、大雑把な能力を使えたら、馬鹿になれたらと何度思ったことか。自分を過信することすら彼には出来ないのだ。自分勝手な自由は眩しく、厭わしい。一歩踏み出したい。愚か者のように、あるいは……英雄のように。けれど、彼の積み重ねた堅実さはそれを許さない。
なんのことはない、彼を凡人にしたのは彼自身だ。それを分かっているから、見せつけられるから、なおのこと彼はアイテールを好きになれないのだった。
「それが今や、この有り様ですか……なんて醜い」
そして、ユーリイが傘を振るう。動きの芯を捉えた一閃は、シマの脚を強く打ち、転倒させた。路面に手を突く彼の後頭部をユーリイが蹴り飛ばす。
彼のAGIは【疾風剣士】のそれよりは低いものの、自分より速い相手であっても動きを予測すれば避けられる。そして、回避が最も難しい位置に攻撃を置けば当てることも不可能ではない。ステータスの差は技術が埋めてくれる。
だが、埋めきれない差というものもあるのは事実だった。
一瞬、轟音と暴風が沸き起こり、そして流星が通り抜ける。AFXがぼろ雑巾のように建物に激突し、反動で空中を流れていく。
「他所でやってはくれませんか、ブラーさん」
聴こえないだろうとは思いつつ、ユーリイは言った。あの攻撃を食らえばさすがに不味い。避けるのも容易くはない。
「……つまり、そういうことですよね、それ」
気遣いはしない。味方だと思うな。その立ち回りは雄弁なまでにそれを物語っていた。
ならば、彼もまた遠慮はしない。
「お互い、フリーにやりましょう。準……おっと、僕らのようなレベルの戦力をひとつところに集中させるのは非効率的ですが……まぁ、それは僕のほうで調整しますよ」
ユーリイが地面を蹴る。大空を泳ぐ少年は、滑らかな動きで浮き上がり、街を見下ろした。
「
その手が傘を構える。その傘も当然、単なる装備ではない。各所に内蔵された武装は、職人の手で造られたものではなく、あくまで世界に形成されたものだ。
【重武装砲門傘 エシ】ーー古代伝説級の特典武具。かつては超重武装の暴走兵器ゴーレムだった仕込傘だ。あらゆる部分に兵器を搭載し、MPを消費して発射できる。本来、そのMPの全てを雨に捧げる雨乞系統とは併用不可能な武器だが……問題はない。
【降水王】の奥義は《
「そういえば、ブラーさんも手に入れたようですね……いやはや、追い付かれちゃったなぁ」
そして、エシの武装は様々だ。副砲、牽制……殆どはそれほど強力ではないが、中には主武装たる兵器も存在する。
石突がカチリと音を立て、内部で駆動音が唸る。狙いは地上、カークの鳥による妨害射撃を考慮して、少し照準をずらす。
「《換装》・《M=
銃口が吠える。地上へと音速で突き刺さったその弾頭は、着弾ののち即破裂して、その中身を撒き散らす。そう、猛毒ガスの中身を。
灰色の煙が渦を巻き、街並みの隙間を流れていく。これこそがエシの主砲、《M=GAS弾頭》。触れた生物を【石化】する毒ガス兵器である。
これにはティアンも<マスター>もない。手足が固まり、表面から石になる。根源たる特典武具の多機能性ゆえにその進行は遅いが、しかし着実に皮膚から肉へ、骨へ。【石化】の能力が広がっていく。
しかも、一発では済まさない。二発、三発……ガス兵器が街に流れ込み、灰煙の海を広げていく。
その光景に、小さな声でグリゴリオが悪態をついた。これで地上の領域は制限された。そして、市街地の上澄みは……
「僕のエリアですよ」
アパルトメントの隙間をユーリイが走る。足が風を踏み、空気を蹴る。既に彼自身は無重力、上下すらない。絶対的正義たる彼自身の座標を中心に、世界が回る。
「ならよォ……!」
シマもまた、走る。壁を伝い、跳躍を繰り返す。そして、その身体が足場を踏み外し、灰色のガスへと落ちる。
「……おや、迂闊ですか?」
ユーリイが言う。だが、シマは空中でニヤリと笑った。その爪先が重たげなガスを掠め、運動ベクトルが反転する。
「重力はマイナスだ、誰かさんのお陰でな」
空中。大空へ落ちるシマが刀を構え、
「食らえや!」
反・自由落下の攻撃。だが、そんなものは所詮、曲芸の域を出ない。
「奇抜な思いつきはどこまで行っても悪手ですよ。基本を高いレベルで遵守することが『強さ』です」
ユーリイが空中でバックステップを踏み、そして傘を居合のように振り抜く。
「……!」
「ですが、奇手で注意を引くのに合わせての背後からの攻撃。そのタイミングは評価しましょう」
背後。グリゴリオが構えた鉈を弾かれて舌打ちをする。
「だが、触ったぜ」
その軽い身体は反動で流されるが、得られたものもある。鉈での攻撃を受けたなら、
「《
その物体は【塩化】する。
ユーリイの傘。古代伝説級特典武具の一部が白く染まる。全体からすればほんの少しの欠片だが、それでも一は一だ。
「通じない訳じゃない……理不尽な相手よりよっぽどやりやすいさ。少しずつでも削っていけば、勝つのは俺たちだ」
「……ええ、そうですね」
ユーリイが笑顔で踏み込む。
「僕より先に死ななければ、ですが」
シマが剣を振るい、グリゴリオも鉈を叩きつける。だが、もう当たらない。
「防御が悪手と分かったのですから。受ける理由はない」
ユーリイは馬鹿ではない。必ずしも戦闘に快楽を見いださない訳でもないが、敗北のリスクは侵さない。
「ゲームで勝つ方法を知ってますか?相手の攻撃を全部避けて、自分の攻撃を当てていけばいい」
建物の間隙を飛び回りながら、ユーリイが言う。簡単な方程式だ。そして、ユーリイにはそれを可能にする戦闘技術がある。
ユーリイは被弾しない。そして、雨を避けられなければユーリイの攻撃を避けたことにはならない。その調整は現場で行える。ならば、彼に敗北はない。
それに、雨だけが彼の武器ではない。
「いつの間にか、マイナス重力にも慣れてきたようで」
グリゴリオとシマの動きは見事なものだった。建築物の間を飛び回り、時にはお互いの身体をぶつけ合って運動ベクトルを操っている。ユーリイのアイテールを完全に逆利用してのけている。そう、
「……敵の能力を。まったく……」
実に、危機感がない。
「『グリゴリオ』『シマ・ストライプ』」
ユーリイが呼び掛ける。その目が微かに落胆の色を見せる。右手を翳す。立てるのは、人差し指と中指。動く。つまみを回すように。
「《
その瞬間、マイナスの体重は普段通りに戻る。慣れ親しんだ重力加速度が二人を包み込み……
「……では、
次の瞬間、無防備に落下した二人が【石化】の煙に墜落した。
◆
□【偵察隊】
身体は浮いていた。あたりの風景がゆっくりと動いている。マイナス重力に侵された肉体は、空へゆっくりと沈もうとしていた。そして、大空の浅瀬で溺れる彼を襲うのは、空を泳ぐ鮫。
『《
仮面の準<超級>。その能力を、AFXは既に聞いて知っていた。
「……運動ベクトル累加による飛行。その反動は自前のENDで耐え、超音速の機動力で勝つ……だろ?」
それは奇しくもAFXと似通った在り方だ。メドラウトによる防御と、自前のAGI。ただ一つ違うのは、
「《
彼には、攻めの能力もある。
「人間。男。年齢。身長。<マスター>……あの雪女よりは、ましだ!」
空中で、短剣を振るう。ブラーの速度は大きいが、捉えられないほどではない。目の端に映るそれを頼りに、がむしゃらな刃が閃く。
ブラーの攻撃は言ってしまえば体当たりだ。ダメージは基本的に物理的な衝突、そしてその肉体は自分から飛び込んでくる。場合によっては、それこそ“自殺”。
折れた骨が軋む。薬瓶を噛み砕き、中身を嚥下する。だが、そんなことは払うに容易いコストだ。
「僕は、友達を助けにいくんだ……」
AFXが叫ぶ。
「だから、邪魔を、するなァ!」
振り回す短剣がついに命中した。急停止したブラーの肩口から鮮血がぱっと飛び散り、その顔が怪訝そうに歪む。
「おいおい、僕のENDは四桁後半あるんだぜ?【盾巨人】を傷つけるなんて、そんなに強い短剣には見えなかったけどなぁ……」
それはメドラウトの特性だ。共通点によってこれほどに攻撃をしのげるなら、同等の関数をもって攻撃力も強化される。背信定理は揺るがない。
されど、限界はある。
「《サウザンドシャッター》」
青い光がブラーを覆う。短剣が砕け、刃の欠片にAFXは顔を背けた。そしてブラーの右腕、
「……攻撃力と防御力の強化、妙に強い……なんか面白い能力してそうだけど、ま、僕には敵わないね」
「準<超級>なんて言われて調子に乗って……!」
「……ッ!侮辱だなぁ、それは!」
ブラーが歯を食いしばる。<超級>の代用品よろしく呼ばれることなど、彼にとっては賛辞でもなんでもない。その怒り顔はすぐに、嗜虐的な微笑みへと変わる。
「……そうだ、丁度良い、新技の実験台が欲しかったんだ」
AFXは相当に打たれ強い。サンドバッグには絶好の人材だ。ブラーの背中で、バーニアが炎をちらつかせる。
彼の<エンブリオ>、アシュトレトは出力に優れた能力だ。ゆえにテクニカルな戦法は得意とするところではないが、アイデア次第でやりようはある。精密動作性を欠いていても、大雑把な動きは出来る。
「頼むからさぁ、こんなもんで死ぬなよ……?」
そして、運動エネルギーが即座に膨れ上がった。視界が擦りきれて色の線になる。噴煙が炸裂し、風が爆発する。AFXの身体が空気抵抗に晒されて轟音を鳴らす。
二人は上空へと超音速で飛翔した。雨雲がどんどんと近くなり、雨粒さえもが相対速度の力で鉛玉のような硬さを帯びる。
「普通の飛行は、点だ」
ブラーが不意に呟いた。断続的な爆風に言葉が砕けていく。
「運動ベクトルは全て、僕という点を移動させるためにある」
旋回。直進。停止。それは、ブラーという“点”を動かす力の発露だ。ゆえに、もう一歩先へ。彼を単なる点ではなく、体積を持つ立体として考えたとき、アシュトレトの戦術は進化する。
「点から線へ、面へ。有限の身体は、作用点から支点へと形を変える!」
ブラーの両手が広がる。AFXを掴んだままの右腕、小さな盾を構えた左腕。その両腕に、バーニアがびっしりと現れた。
「刮目しろ……《
そして、アシュトレトが吠えた。運動エネルギーが解放され、ブラーの身体が速度を増す。
ただし、
広げた両腕のバーニア群が、互いに違う方向へ向いてエネルギーを吐く。炎と煙が風を汚す。相反するその軌跡は、すぐに妥協点を見つけ出した。
それは……
「……回転!」
「正解だ、雑魚!」
正反対のエネルギーが発現したとき、そのズレはブラーを中心に回転の動きを作り出す。普段であれば超音速飛行すら可能にするエネルギーだ。ゆえに、その回転もまた超音速。ソニックブームを撒き散らす渦巻きは、大気と雨を切り裂いて宙を舞う。高空の囚人たちがなす術もなく吹き飛んでいく。見えていた街が、大空が、雨雲が、地平線が、光の線に溶けていく。
締め上げられたままのAFXは、その回転地獄をもろに食らっていた。遠心力と空気抵抗が身体を引き裂かんと暴れ狂う。全身の血液は外側へと流れ、意識が朦朧とし始める。
ヒトの身体は、さながら血の詰まった革袋だ。振り回せば流れは片寄る。鬱血と痺れが末梢から広がり、命が壊れていく。
「一発で終わるいつものやつとは違う……これは、“続く”攻撃だ。お前ご自慢の耐性能力で、何秒堪えられるかなァ!」
サイクロンの中心で、仮面の男が嗤う。
「人間やめてスムージーになれよ、雑魚!」
メドラウトは完全な防御ではない。ダメージは積み重なっていく。毎秒ごとに、AFXの身体は引き裂かれていく。だが、
「ま……だ……だ!」
まだ、終われない。
「ここ、で……死んで……いられるか!」
友達を見捨てること、それは裏切りだ。そして、先に諦めてしまうことも。
だから、悲観はしない。絶望もしない。そんな権利はない。足掻くことが、友情に報いるただ一つのーー
「ーー手段!」
AFXの目が力を孕む。その指が鷹のように曲がり、
「……!?」
ブラーの喉を締め上げた。
「ハッ……それで?」
だが、ブラーは平然と笑う。回る速度の渦中、互いに二人は向かい合った。
【
「忘れたか?ナイフだってかすり傷しかつけられなかった……ましてや素手で!」
その嘲りに、AFXはどす黒い血を吐きながら答える。言葉ではない。ブラーに見えないよう伸ばした、もうひとつの掌で、だ。
左手の絞撃は注意を引くための囮にすぎない。右手では、風圧と遠心力に骨が砕ける。そして、それこそが彼の、狙い。
「……!」
外側に伸びた右手に引きずられて、ついに皮膚が裂け、骨がひしゃげる。飛び散る肉と血液が機械鎧を汚し……
「おいおい、マジかよ!」
右肩が粉砕される。血みどろの肉片とともに、AFXが機械鎧のアームをすり抜けた。その勢いのまま、遠心力が彼を地上へと放逐した。
墜落した場所は、奇しくもさっきまでの通り。そしてそこには、ユーリイの【石化】ガスが充満している。目にも止まらぬ勢いで灰色の煙に突っ込んだAFXを、天空からブラーは見下ろした。
「無茶苦茶だよ……うわ、なんか垂れてる、キタナいな、もう」
黄色と緋色の肉を振り払い、ブラーが着地する。そのバーニアが暴風を吐き出し、ガスを押し退ける。
ゆっくりと浮き上がりつつ漂うAFXの体表面は、端から石に変わっていた。うまく曲がらない関節を動かして、その目がブラーを睨む。ブラーがため息をついた。
「偶然だろ、それ」
ぐちゃぐちゃに裂けた右腕は、ガスへの接触面が多かったのだろう、表面は完全に石へと変わっていた。それが止血と固定の役目を果たしている。
「……そこまでして、何がしたいのさ」
「友達を……助けに……」
「友達って……ティアン?」
ブラーが尋ねる。沈黙するAFXに、仮面が呆れるようにチカチカ光った。
「<マスター>かよ……ますますクレイジーだぜ」
「そっちこそ、いいのかよ……」
AFXが死にそうな声で言う。
「ティアンの子供連れ……だったくせに……こんな」
「一緒にするなよ」
ブラーが吐き捨てる。
「トビアはそんなんじゃない。なんならあいつだって喜んでこの街焼くだろーよ。分かったような口きいてんじゃねえよ」
その怒り口調に自分でも驚いたように、彼は口ごもった。二、三呼吸。空に太陽は見えない。
「……早いとこ回復したら?その【石化】はあんまり強くない。傷が開くぞ」
ブラーが踵を返す。その不快そうな足取りは、さっきまでとはなにか別の苛立ちを孕んでいた。AFXが不安を隠せない声をかける。
「……いいのか?」
「興が冷めた。うんざりだ。どいつもこいつもマジになりやがって……これ、ゲームだよ?もういいから好きにしろよ、気違いが
ブラーが大仰な身振りで両手を振りかざす。その後ろ姿を見ながら、AFXは呟いた。
「クーデターを起こすのは気違いじゃないのか……?あの【降水王】だって……」
その言葉に、仮面の男は静止する。その視線が空を、大地を、そしてAFXを刺す。唇が狂暴に動く。
「……今、なんて言った?」
◇◆◇
■【教授】ウー
地上の喧騒も、地下までは届かない。とはいえ、ほんの僅かに響く轟音に耳を澄ましながら、その男は地下道を闊歩していた。傲慢な足取りは、例え誰かに出くわしても絶対に道を譲ったりはしないだろう。
計画は順調に進んでいた。下僕たちは概ね彼の命令に……喜んでではないにせよ従い、それぞれの能力は役割を果たしている。
ティアンの殺害に抵抗がないものを集めたのもその為だ。土壇場で情に絆されるようでは使い物にならない。その選定は彼自身の思想とはむしろ相反するものだったが、使い捨ての駒に拘る程贅沢なこともないだろう。
だから、これからは違う。ウーの王国に君臨する彼の使徒は多少なりとも、ティアンを人間とみなしていなければならない。クズは所詮クズ、彼の思想を体現することは出来ない。彼がやろうとしていることは、人間の解放なのだから。
ゆったりとした裾が揺れる。ウーは少しだけ煩わしげに足元に目を落とした。そろそろ自分の脚で歩くのも面倒だ。世界に轟く王者として、乗り物代わりに四つ足の下僕のひとつでも造らねばなるまいか……と、思案する。
プロパガンダは重要な戦略だ。輝きは目に見えなければ意味がない。まなざされることこそ存在の本質だ。
思考に浅く沈む。その足が扉の残骸を跨ぎ……
「……うふ。《
ウーの胴体が爆発した。
「……わざわざ自分の居場所まで撒き餌にして、都市からの離脱をやめさせよう、その心意気は大したものだけれど……リスク、忘れちゃいけないわ?」
楽しげな声が響く。沈黙したまま、二つになったウーが倒れる。下半身が光の塵になる。その様を嘲笑うように、二人の襲撃者が姿を現した。
「座標が分かれば攻撃される。当然のォ~
地下にいる。それさえ判明してしまえば、あとはインターフェースの有無だ。自らを撒き餌として強者を逃がさない作戦は、時に餌を食われてしまうリスクも当然、孕んでいた。
「しかししかし、まさかまさか、こんなに容易いとはねぇ~?アンジェリーナ?」
「仕方ないわよミランダ、あたしたちのコンビネ~~ッション!完璧なんだものォ」
青髭、筋骨隆々。陶器のように白い肌の男が二人、ウーの上半身を見下ろす。しかし、ウーは狼狽えることなく口を開いた。
「……空間転移の能力か。地下堂周辺に生命の反応はなかった……地上から地盤を超えて侵入するとは、素晴らしい射程距離だ。我が配下にならないかね?」
「ンッンー!おあいにく様、あたしたち、独立心が旺盛なのよ」
「そォよ、それに……普段ならこんな距離を飛べたりしないわ。心当たり、あるでしょ?」
その言葉に、ウーは上半身を起こした。ボタボタと液体の音が響く。
「成る程、ファティマの……副作用。無差別だな」
だが、そんな重傷には目もくれず、その腕が身体を持ち上げる。その次の瞬間、
「……あまり見映えのせん格好だ」
ウーの下半身が再生した。五体満足のウーが立ち上がる。何事もなかったかのように、その瞳が地上からの襲撃者を睥睨した。
アンジェリーナが首をかしげる。【教授】ウーの名前の下に、ズラリとステータス数値が並んでいる。そこでアンジェリーナは目を見開いた。
「あーらあらあらあらあらあらあらあらァ!
肉体が再生したことなどもはや問題ではない。そんな能力はいくらでも考えられる。だが、
「あなた……何故HPが変わっていないのかしら?」
回復ではない。アンジェリーナはずっとウーを見ていた。下半身の再生に伴って数値が戻ったのではない。
「さっきから変動すらしていない……ありえないことよ?傷を負ったのなら、絶対に変化があっていいはず……」
それとも、胴体を両断されて尚、ダメージが0だというのだろうか?あり得ない。見えているものが矛盾している。
「まさに、
「
二人が観念したように天を仰ぎ……
「ミランダ!」
「よくってよ!《
その両手に四つの光が灯る。瞬間、二人が消え失せた。即座に加速したのだ。
(……どんなカラクリかは分からないけれど、全身を消し飛ばせばどうにかなるでしょう?)
逆にそれでどうにかならないとしても、カラクリの正体のヒントは手に入るだろう。全うな対応だ。
「追い付けないでしょう?【教授】!あたしたちの必殺技、是非お受け取りになって?」
その拳、魔法爆弾を掴んだ四つのコークスクリュー・パンチが炸裂する。だが、
「……下らないな」
その瞳が、アンジェリーナの視線を受け止めた。
「……!?」
それもまた、あり得ない事態だ。
STRやENDは攻撃力や防御力とイコールではない。他の要素によっても変動するのだから、最終的な発揮値とステータスが一致しないことは不可能ではない。
だが、反応速度はAGIとイコールだ。
(見ている、見えている?AGI型であるあたしたち二人の動きが!【教授】……それっぽちの、AGIで!?)
眼前のこの男の<エンブリオ>か?だが、彼の両手に嵌まっている手袋、その能力は第二の<エンブリオ>の創造であるはずだ。そこに疑いはない。《真偽判定》にも反応はなかった。
(自己強化型の能力を重ねているの?いや、だとしても違和感があるわ!噛み合わない……さっきから……)
ウーが跳躍する。空振りした爆弾の間隙をすり抜けて。ステータスと行動が比例していない。
(あたしが見てるのは、誰のステータスなの!?)
「……ふむ。悪くない。攻撃のタイミングや位置取り、絶妙だ。連携としては百点だな」
軽やかに着地したウーが呟く。その両手が、二人の方へと突き出される。
「速度型のコンビ。高火力爆発と空間転移のシナジー。称賛に値する……ゆえに、少し見せてやろう」
ウーの指が、猛禽のように曲がる。まるで照門と照星、照準を象るように。
ウーが笑い、二人が疾駆する。地下道に、風切り音が響く。
そして数分後。二人は成す術もなく、絶命した。
To be continued