星と少年   作:Mk.Z

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第十三話 RUNAWAY(ランナウェイ)

 □【教会騎士】メアリー・パラダイス

 

 ウーが言葉を残して去った後、部屋に一人残されたメアリーは、

「あいつ……超ムカつく!」

苛立ちに震えていた。

「決めた!こんなとこ早く逃げ出してやる!」

 その決意はしかし、黒い枷に戒められている。途端に身体に力が入らなくなり、アシュヴィンもまた沈黙した。

 それは金属製の【契約書】だ。『逃げ出さない』という論理の枷、力では壊せない。逃れるためには、同じく論理でもって外さなければならない。

「……強制的な契約なんて、そもそも不可能のはず」

 さっきだって、ウーを殴り飛ばすことはできた。無理を通すために効果を限定していることは明らかだ。その融通のきかなさこそ、付け入る隙になる。

「だったら!」

 メアリーが立ち上がり、鎖が音を立てる。思念を読み取ったアシュヴィンが浮き上がり、狼狽えるように指を動かした。

「……でも、一か八かやってみるしかないでしょ」

 両のアシュヴィンが懇願するように掌を組み、制止するように手を突き出し、脅すように指を広げる。そして最後に、諦めたようにその両手は脱力した。メアリーが肩をすくめる。

「じゃ、よろしく!」

 

 そして、忠実なるアシュヴィンの拳はーーーーメアリーの右手を、粉々に押し潰した。

 

「……ッ!」

 骨が砕け、筋肉が裂ける。皮膚がちぎれ飛び、神経は断絶する。消された痛みではなく、腕が挽き肉へと変わるその感触にメアリーは身震いをした。溢れ出る血液とともに、無傷の黒い枷がずるりと落ちる。

 その瞬間、メアリーの心身を縛っていた契約が消失した。

 強制契約のリソースは重く、前提として満たすべき条件もまた厳しい。その一つである四つの枷(アイテム)の装着が崩れたことで、枷の能力もまた崩壊したのだ。

「そして、これはあくまでもあたしの自由な自傷行為。だから契約では縛れない……成功だね、《癒しの息吹(ヒリング・オーラ)》」

 金色の光が迸り、ズタズタに裂けたメアリーの腕が再構成される。骨が、肉が、皮が、蠢いては継ぎ足されていく。まだ桃色の右腕に【回復薬】を掛けながら、メアリーはふてくされるアシュヴィンを宥めるように言った。

「怒らないでよ、もう二度とこんなことさせないからさ……次は、ドアを壊してくれる?なるべく静かにね」

 かくして、メアリーは脱走した。時間は五分とかからなかった。

 

 ◇◆

 

「思ったより、広い……」

 薄暗い地下を見渡して、メアリーは呟いた。地下道は僅かに湾曲しながら遠くへ続いており、その先は闇だ。もし奥深くへと迷い混んでしまえば、面倒なことになる。

 隧道の石壁には点々と門扉が据え付けてある。メアリーはその一つを試しに押し開け、ため息をついた。

 その先は別の地下道に通じていた。薄暗い道は少し先で枝分かれしている。まるで蟻の巣だ。

「どの道が正解なのかなぁ……」

 少女が二つ目の扉に手を掛ける。その通路が鉄格子で封鎖されているのを見て、メアリーは扉を閉めた。腐臭と獣臭が微かに残っていた。

「いっそ、真っ直ぐ進んでみるか……?」

 顎に手を当てながら、アシュヴィンが三つ目の扉を開ける。

 扉の向こうは小綺麗な部屋になっていた。メアリーが軟禁されていた場所とよく似ているが、幾分手入れがされている。天井に据え付けられた照明が白い光で辺りの全てを照らしていた。そして、そこには、

「……?」

一人の子供がベッドに腰かけて、メアリーを不思議そうに見つめていた。メアリーの全身が即座に緊張する。

(敵……!?いや……)

 《看破》が作動する。見えた名前と戦力に、メアリーはすぐにほっと息をついた。レベル0。間違いなく、無害な単なる子供だ。<マスター>ですらない。よく見れば、その顔には見覚えがあった。ミンコスの店の前にいた子供連れの片方だ。

 メアリーが口を開く。

「君も、捕まってるの?」

 少年は答えなかった。ただ見定めようとするように、その双眸がメアリーを捉えている。

「怖がらなくていいよ、あたしも捕まってたんだ!敵じゃないから。一緒に逃げよ?」

 少年が立ち上がる。その唇が、無遠慮に動く。

「お姉さん、誰?」

 やっと聞けたその言葉を友好と捉えて、メアリーは言った。

「あたしは、メアリー・パラダイス。【教会騎士】だよ。君は?」

 少年は首をかしげたあと、しばし逡巡して言った。

「僕は……トビア。ただのトビアだ」

 

 ◇◆◇

 

 トビアを連れたメアリーは、四つ目の扉を開けた。木材と金属でできた扉はギイギイと軋みながらその蝶番を滑らせた。冷たく湿気を含んだ空気が動く。

「この向こうは外に通じてるの?」

「少なくとも……あの、やっぱり僕は……」

「いいから、逃げるの!」

 メアリーがトビアの肩を掴む。

「あのね、どんなふうに騙されたか知らないけど、ここは危ない人達のアジトなんだよ!?君みたいな子供がいちゃいけないの!」

 瞳が熱意に光る。どこか酔ったような微笑みでメアリーは続けた。

「でも大丈夫!あたしが守るから」

 面食らったような顔のトビアの腕を引っ張って、メアリーはその扉のなかに飛び込んだ。

「未知数……リスク……」

 トビアが口のなかだけで呟く。メアリーは気づかなかった。その独り言にも、その昏い視線にも。

 湿り気と静けさに満ちた地下道には、意外にもなかなかしっかりした明かりが灯されていた。石の隙間を影が流れている。

「……主要通路には照明が点いてるんだ」

 トビアの不満げな呟きは地下に反響し、消えていった。小さな灯りが揺らめく。メアリーはそれでも薄暗い足元に業を煮やしたように、紋章から左腕(レフト)を呼び出した。陽気な掌が辺りを見回し、トビアに気づいてその指を差し出す。その丸太のような人差し指を睨みながら身構えるトビアを横目で捉えて、メアリーは言った。

「大丈夫だよ、気のいいやつだから……レフト、《治癒(リカヴァリー)》」

 その言葉とともに、最下級の治癒能力が作動する。金色の光を纏ってサムズアップする左手を、トビアは気に入らない様子で眺めていた。メアリーが頷く。

「これでちゃんと見えるよね!いやー、暗いの嫌いだからさ!」

「……そうだね。僕も嫌いだ」

 トビアが言う。ふとその足が、止まった。

「悪いけど、やっぱり案内はここまでだ。僕は残る」

 その言葉に、メアリーが口をあんぐりと開ける。左手も慌てたようにその掌を振った。

「まだそんなことを……!残るって!?せっかく逃げられたのに!」

「僕は捕まってたわけじゃない。むしろ、あなたの言う危ない人達の側なんだ」

 トビアの眼が鋭さを増した。

「僕にはやることがある。いま、ここで。それを果たすまで離れるわけにはいかない」

「やることって……」

 メアリーは困惑したように言った。

「あいつらのやろうとしてることは————」

「————《冷凍光線(ケイモーン・アルパ)》」

 その時、その瞬間。叫ぶメアリーの背後を突如、光が襲う。冷気の煙が嵐のように立ち上り、メアリーはつんのめった。それを追うように、暗闇から冷徹な声が響く。

「【教会騎士】、ボスの説得は失敗したようだな」

 メアリーは知っていた。その声を。冷酷で氷のようなその言葉の主を。

 

「白色矮星……!」

 

 それは、氷の【高位従魔師(ハイ・テイマー)】。

「脱走者に与えられるものはふたつ。降伏か、あるいは敗死。お前は————」

 黒い服の女が暗がりから歩み出る。その傍らでは馬のような大きさの鳥が嘴を怒らせていた。女の白髪が灯を映して静かに煌めく。

「————後者のようだ」

 メアリーが疾駆する。その両側をアシュヴィンの両拳が舞い、金色の光を放つ。

「《癒しの息吹》」

 アシュヴィンの能力は治癒と再生。凍結した身体でさえも、容易く復元できる。だが、それゆえに、

「やはりガードナーとしては、三流のようだな!」

 白色矮星が両手を広げる。それを合図にして、巨大鳥————ウルルが突進した。【高位従魔師】により強化されたその体躯がアシュヴィンを蹴り飛ばす。その陰で、白色矮星は速やかに銃を抜く。

撃つ(ピロボロウ)!」

 魔術の弾丸が地下の空気を貫く。その二つは過たずメアリーの左鎖骨を砕き、右ふくらはぎを抉り取った。鮮血が黄金の治癒の光に交じる。

「白色矮星!」

 その後ろでトビアが叫ぶ。その声は抗議の色を含んでいた。

「僕に当たるところじゃないか!もうちょっとで……!」

「知ったことか」

 だが、女は冷たく切り捨てた。

「“自殺”の連れの子供……最初から気に入らなかったのさ。そして、脱走者の手助けときたからには、大手を振って敵だ」

 その弾が再び放たれる。咄嗟に顔を傾けたトビアの頬を掠め、背後の石壁が破片を吐く。

「安心しろ……ボスには明確に『脱走者と共謀の結果、処刑』と伝えてやる……だから、大人しく死ね」

 巨鳥が口を開く。その口腔で白光が膨張する。その純白が、仄かな虹色の輪郭を帯びた。光が炸裂する。

「《大冷凍光線(メガレーケイモーン・アルパ)》」

 暗い地下道を光線とともに氷結が塗りつぶす。アシュヴィンが凍り付き、氷に捕縛された。その合間を縫って走る銃撃がトビアに迫り……

「!」

メアリーの掲げた両手に止められる。

「なんで……!?」

「いいから!身体を小さくして!」

 叫ぶメアリーの身体を銃撃が刺す。飛ぶ血飛沫に、白色矮星が笑う。

「ふはははは!これは傑作だ、グルのお仲間の為に傷を受けるか!いいだろう、ならばそのまま……」

「《癒しの息吹(ヒリング・オーラ)》!」

 黄金の光が迸る。その発光と同時、氷の枷を割って、自分を癒したアシュヴィンが飛んだ。その行先は、メアリーのもとだ。

「……なるほどな」

 白色矮星が忌々し気に言う。

「ガードナーを防御に回し、その上で回復能力を乗せれば、遠距離で簡単には抜けない。ウルルの氷結も相性がいいとは言えない」

 アシュヴィンが拳を丸め、盾の姿勢を取る。<エンブリオ>から伝播する光がメアリーの傷を癒していく。【凍結】が消され得る以上、いたちごっこだ。

 

 であらば、戦い方を変えるのみ。

 

「《躍動的三分間(ウルル)》」

 

 宣言が響く。女が飛び乗る。そして、ウルルは跳躍した。

 

 ◆

 

 ■【寒輝凛冽 ウルル】について

 

 鳥のくせに、飛べないガードナー。有象無象からそう言われることは不愉快極まりなかったが、それでも白色矮星自身は自らの<エンブリオ>を十分愛していた。その白い翼は風に乗るためのものではない。空を不躾に漂うことなど、彼女の戦術ではない。ウルルにとって真の世界、それは、

「アシュヴィン!!」

『Gyaaa!』

至近距離での肉弾戦である。

 《躍動的三分間》の効果は至ってシンプル、かつ強力だ。時間を区切った自己強化のみの一点である。第六形態ガードナーの真髄を注ぎこんだ能力ゆえに、その強化率は凄まじい。

「貴様ご自慢の腕の化け物など、比較にならん!」

 ウルルの身体はいまや紅白に染まっていた。紅蓮の足蹴りがアシュヴィンの装甲を砕き、そしてまたーー凍らせる。

「氷結は健在、いや、更に、ってわけね……」

 メアリーが治癒の魔法を灯しながら言う。その顔は危機感にひきつっていた。

「氷と格闘のコンビネーション。真っ当に、強い」

「ああ。そして、ちょろちょろと彷徨き回るお前の<エンブリオ>を剥がせば治癒は消える」

 それはアシュヴィンの負う制約である。能力を発動するためには基本的に、対象者への接触が必要だ。

(広域型の《極大(マキシマム)》は無差別……差し引きゼロ。この状況じゃエネルギーの無駄。なら、自前で!)

「《サードヒール》!」

「《冷凍障壁(ケイモーン・ガンマ)》!」

 メアリーが拳を振るい、そして氷のオーラがその手を蝕む。極悪な凍傷が組織を侵し、ウルルの脚とかち合った指の欠片が飛んだ。一瞬の後、発動された治癒が働くが、不十分だ。

「アシュヴィン……」

「させん!」

 女が叫び、ウルルが吠える。その紅白の翼が風を叩き、氷風とともにその体勢を立て直す。深紅に染まった脚がローリングソバットのごとく両手を吹き飛ばす。そして、白色矮星はニヤッと笑った。

(いい位置だ。こちらの残り時間も決して多くはないからな……ここで決めてやる)

 その手が空を握る。その瞬間、あかがね色の光がぼんやりとあたりを満たした。メアリーの身体がゆっくりと宙へ持ち上がる。

「これって……!」

「【フライリカ】……《フライ》!」

 <劣級>の能力解放。飛行を得手とするフライリカが、その力をメアリーに対して行使している。奇しくもそれは、【降水王】の戦法に似ていた。

 【劣級飛行 フライリカ】はTYPE:テリトリーを僭称する<劣級(レッサー)エンブリオ>。エレメンタルの類いに類似したエネルギー生命である。非実体の疑似エンブリオ体が取り憑いたものを持ち上げることで飛行しているのだ。であれば、他人をも()()()()()、空中に拘束することなど造作もない。

「お前のガードナーは飛行できるが、お前自身は違う。空中で身動きは取れない、だろう?」

 白色矮星が噛み締めるように一言一言、言葉を吐き出す。その吐息が白く汚れていく。

「そして、この一瞬、それだけのことが、我が勝利を連れて来てくれる……」

 白い髪が逆立ち、紅白の巨鳥が膨張する。その紅の羽根が、脚が、嘴が、眩い光を帯びる。

「《冷凍爆弾(ケイモーン・オメガ)》」

 そして、必殺により強化された極低温の冷気が地下道の中空で炸裂した。全てを塗りつぶす白い光とともに。

  

 ◆

 

 ■【高位従魔師】白色矮星

 

「勝負ありだな」

 白色矮星は髪を上げていたバレッタを外しながら言った。首筋を柔らかな感触が撫でる。

 地下道は氷と霜に塗れていた。彼女の冬に征服された世界が白い悲鳴をこぼしている。視界の端には、氷漬けになったアシュヴィン、そのガードナー体が黒と黄金の粒子に崩れて消えていくのが映っていた。

 《冷凍爆弾(オメガ)》は《冷凍障壁(ガンマ)》の発展形。ウルルの纏った冷凍光線のオーラを周囲へと爆発的に広げる能力である。

(ただでさえ避けられるはずも無い……ましてやあの位置だ)

 先の白色矮星の位置取りは決して無意味なものではない。メアリーが守ろうとしていたトビア、その脆弱な体がメアリーに隠れるように、さながらウルルが月食の太陽であるかのように場所を定めた。

 トビアを守るためには動けず、フライリカの拘束により移動は不可能、さらに全周爆破が迫る。と、こういう筋立てだ。一度に大量の情報と選択を叩きつけて行動を縛る。彼女の好んで用いる戦術である。

「あるいは、あの子供も余波で死んだかもしれんな」

 それでもいい。あるいはそうでなくても、レベル〇の子供など塵芥に等しい。いともたやすく仕留められる。

 

 だがそこで、白色矮星は妙な違和感を覚えた。

 

 些細なことだ。おそらく、何でもないことなのだろうが、目の前の光景の何かが変だ。女の思考が一瞬、内面へと向き……同時に煙が晴れた。

「……!」

 白色矮星が思わず息をのむ。違和感の正体もまた、眼前に姿を現していた。そう、

 

「————《金色生命闘法(アシュヴィン)》」

 

光り輝く黄金色とともに。

 

「馬鹿な……いや、そうか、そうだったな……!」

 メアリーは必殺スキルを切っていなかった。治癒の<エンブリオ>、恐らく必殺も強大な治癒の能力だ。その効果で永らえたのだとすれば、不思議はない。

 だが、その全身は傷だらけだった。血の紅が染み付き、凍りついた皮膚がひび割れ、低温で損傷した体組織が青黒く肉に沈んでいる。凍死体とみなして差し支えない容貌だ。

 しかし同時に、その肉体は仄かな黄金のオーラを纏っていた。やさし気な光がさざめき、傷を癒していく。凍傷など瞬時に消え失せた。半ば死んでいたその身体が急速に再生していく。

 そして、その腕。

「その、腕は……!」

 両の前腕から掌まで。メアリーの両腕は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。白色矮星が呻く。

 違和感はあった。粒子になって崩れるさまが、今まで見てきた<エンブリオ>の消失と違っていたから。それはむしろ形態変化(Form shift)の様相、あるいは————

「融合型の……!」

「やああああ!」

 そして、メアリーが駆けた。無謀ともとれる一直線で、白色矮星に肉薄する。

(くっ……フライリカの照準が定まらない!速すぎる!)

 黄金の拳、アシュヴィンの手が風を割く。貫手がウルルの翼を抉り……しかしてその脚に止められた。

「調子に乗るなよ!」

 紅の爪が殺意に濡れる。《躍動的三分間》にはまだ猶予が残されている。

「防御を捨てた攻め、その稚拙さの報いだ!」

『Gyaw!』

 ウルルがその脚を一閃する。空中に引かれた紅の線は、

「今度こそ、致命傷ォ!」

無防備なメアリーの喉を即座に掻き斬った。

「これで……」

 だが、メアリーは止まらない。

 黄金の光が脈打ち、そして出血が停止する。筋肉が伸長し、皮膚が再結合する。そして何もなかったかのように、メアリーが攻撃を再開した。

 白色矮星が驚愕に怒号を上げ、ウルルもまた咆哮する。鳥類の金切り声が地下道を裂き、紅の羽根が威嚇するように膨らんだ。

「その治癒、そうか、お前の能力は……!」

 メアリーが蹴りを放つ。寸前で躱したウルルがそのまま間合いを取る。

「必殺の能力は……!」

 メアリーが踏み込む。その体重を載せた一撃が、正拳の輪郭を以てウルルに迫る。

「高速の……自動回復(オートリジェネ)!」

 凍結能力の壁を破って、拳が炸裂する。極低温の傷は一秒も保たずにかき消され、もろに拳を食らったウルルが悲鳴を上げた。

 

 ◆◇

 

 アシュヴィン。その名はかの知識の歌(リグ・ヴェーダ)に謳われる二柱、『馬を持つもの(アシュヴィン)』。蘇生と治癒を司るもの。ゆえに、《金色生命闘法(アシュヴィン)》もまた、その名に違わず絶大な癒しをもたらす。

 <エンブリオ>と融合したメアリーはその治癒能力を最大限に高め、()()()()させている。たとえどのような傷を負っても、即死しない限りは自動で再生するのだ。皮が、肉が、骨が、生命の息吹に満ち溢れている。

「《ホーリーランス》!」

「《冷凍光輪(ケイモーン・ベータ)》ァ!」

 輝きがぶつかり合う。その爆心地で、白色矮星は臍を噛んだ。

「なんたる再生力か……!」

 既にフライリカは引き戻し、ウルルの活動領域は三次元的拡大を果たしている。地下の閉鎖空間とはいえ、その程度の余裕はあった。

 空中をも足場にした半飛行格闘。戦術としては十分強力であり、メアリーに幾度も傷を与えている。致命傷寸前のものも少なくない。

(だが、全て無意味になる!)

 窮地だ。白色矮星の側にだけ、疲労とダメージが蓄積していく。紅白のウルルの羽根に、別の深紅が染み付いていく。

 なにより、回避に徹することも難しい。

「この速さ、自動治癒に加えて身体強化も載せているのか……?贅沢者が!」

 白色矮星は悪態をついた。

 金色に輝く少女は速く、直く、何より美しかった。黄金の軌跡に乗って、その手足が軽やかに舞い踊る。今、この瞬間、彼女は地を駆ける黄金の駿馬であった。その足取りが、鮮烈さを増していく。

「……だが、ありえない、ありえないぞ!あるいは間違いだ!」

 わめき声を乗せながら、ウルルが跳ぶ。それを追いかけてメアリーもまた跳躍する。

「お前、そんな能力……どうやってコストを!」

 メアリーの手に聖属性の光が点る。これが初めてではない。ましてや、彼女は既に幾度も回復魔法を使用した筈。

 白色矮星の見立てでは、必殺の自動回復もまたMPを消費して動作している。既にMPが枯渇して当然なのだ。

「【教会騎士(テンプルナイト)】ォォォ!」

 女が雄叫びを上げ、ウルルがメアリーを蹴りつける。そして、拳が右の翼をへし折ると同時に、深紅の脚がメアリーの防具の一部を砕いた。そして、その要が露になる。白色矮星が呆然と呟く。

「な……それは……!」

「なに?この回復増強アクセが気になるの?」

 その無邪気に首をかしげるメアリーを憎悪するように、白色矮星が叫ぶ。

「回復増強だと!?何の冗談だ……?それは、【MPブースター】だろう!」

 <遺跡>からのごく稀な出土品。先々期文明の遺した悪魔の発明品。カルディナで取引されている遺物のひとつ。

「MPを増幅する代わりに、付ければ寿命を……ッ!」

「寿命を、なに?」

「寿命を……」

 そう、初期ロット……通常の【MPブースター】は欠陥品である。その効果と引き換えに身体を蝕む装備品だ。ゆえに、使用者は多くない。

 だが、今のアシュヴィンとメアリーは治癒能力の化身。

「だから、これは回復力増強のアクセサリーなんだよ?」

 その言葉に、今度こそ白色矮星は絶句した。渇れぬ魔力。尽きぬ生命力。その双璧を前に、彼女に出来るのは……

「……ッ《冷凍重槍(ケイモーン・デルタ)》!」

 より苛烈な一撃のみ。

 纏われる凍気のオーラがウルルの嘴に集束し、さながら槍のごとく、氷結鳥が突撃する。鋭い冬が風を刺し、耳鳴りが響く。

(たとえ不死身の身体を持っていようと、即死は覆せまい……この一撃で、脳髄を砕く!)

 無謀ともとれる一直線で、その槍は進む。防御などもういらない。迫り来る敗北より速いスピードで、黄金の敵を貫くのだ。

消え失せろ(ペサーネ)ァァァァ!」

 躍動的な冬の槍がメアリーの頭蓋に突き立つ。霜が沸き立ち、流血が凍る。吹き出した鮮血が紅蓮の華を広げる。

 

 だが、そこまでだった。

 

 黄金が沸き上がる。冬の槍は砕け、メアリーの傷が癒える。ウルルの深紅が薄れ、増幅された力も萎え果てていく。白色矮星は静かに吐き捨てた。

「三分、か……」

 それが断末魔だった。鮮やかだった紅を喪失した大鳥が悲しげに鳴き、黄金の拳が女の頚を吹き飛ばす。冷たい光の塵の吹雪には、どこか口惜しさが滲んでいた。

 

 ◇◆◇

 

 □【教会騎士】メアリー・パラダイス

 

 氷の女は消え失せ、冬の鳥もまた輪郭を喪失する。崩れ去る彼らのあとに残されたのは、黄金の【教会騎士】だ。

 メアリーが頭を振る。額の重傷がみるみる再構築される。だがその直後、アシュヴィンの輝きは急速に弱くなり、吹き消される蝋燭のように消失した。

 メアリーの両腕が膨らみ、そして黒褐色へと変じたアシュヴィンが分離する。

(傷は全快……けど、あと三十分くらいは使えない)

 《金色生命闘法》は治癒能力のリミッター解除。それを終えてしまえば<エンブリオ>のスキルシステムは焼け付き、使えなくなる。冷却と修復が終わるまで、アシュヴィンの一切の治療は封印される。それゆえにか警戒心を増した睥睨が、とあるモノを近くに捉えた。

「……?これは……」

 少しだけ臆病になった手付きで、メアリーは白色矮星の身体があった場所を探った。あたりの純白の霜の輪郭は、そこにだけ人間大の空白を作っていた。

 メアリーの手が何かを握る。その小さななにか、煌めくそれは、

「……ッ!」

()()()()()()()()だった。

「これは……まさか、これが……!」

 そして、メアリーの意識に情報が流れ込む。名称、形式、そして、提言。

『ゴ命令ヲ』

 メアリーが振り返る。さっきより幾分くっきりした輪郭で、あかがね色のソレは繰り返した。

『当方フライリカ。ゴ命令ヲ』

「<劣級(レッサー)エンブリオ>……!」

 メアリーが思わず言葉をこぼす。それを気にもとめず、フライリカは再三希求した。

『現在、(コア)ノ所有権ハ貴方ニアリマス。所有者殿(マスター)、ゴ命令ヲ』

 <劣級>は核に触れた人間に従う。それは本能であり、絶対の根幹プログラムだ。

 <エンブリオ>は従属キャパシティを圧迫しない。それを直接再現するのは不可能だったが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()であれば、結果としては同じことだ。ゆえに、メアリーの命令もまた効果を持つ。

「えっと……取り敢えず大人しくしてて?」

『了解。フライリカ、待機状態(スタンバイ)デ停止』

 あかがね色の光が揺らぐ。フライリカは身じろぎをすると、殻に籠る貝類のように、自らの核へ戻った。そして、

「……!」

同時に静かなトビアがメアリーに飛びかかった。

 レベル0の子供の仕業とはいえ、現在はメアリーのAGIも非戦闘状態に移行している。速さはイーブン、ゆえに彼女の掌の上の<劣級(レッサー)>は……

「……だめ!」

……間一髪奪われなかった。

 メアリーがその核を握りしめ、地面を転がるトビアが叫ぶ。

「それを、寄越せ!」

「君、どうして……!」

「いいから、寄越すんだ!」

 トビアの形相が歪む。その手が一瞬で小さな銃を掴み、ホルスターを投げ捨てた。銃口が小さく光る。

「これは火薬式だ、僕の力でも威力を出せる……その<エンブリオ>を寄越せ!」

 メアリーが躊躇い、しかし首を振る。卵のような<劣級>を懐にし舞い込み、メアリーがトビアを見つめた。

「……寄越せ!」

 銃口が揺れる。しかし、引き金(トリガー)は動かなかった。メアリーが呟く。

「そんなもの、降ろしてよ」

「……断る!」

「なら、なぜ撃てないの!」

 メアリーが叫ぶ。

「撃ちたくないんでしょ?やめてよ、君はそんな子じゃない筈だよ!この<劣級>だって、正体を知れば欲しくなくなる!」

 トビアの瞳が揺れる。罪悪感と苛立ちに。()()()()拳銃を握る手が少しだけ緩む。傲慢な愚者。そして、偶然の詐欺師。

「僕の何を知ってるっていうんだ!」

知らない人(あたし)に親切にしてくれたじゃない!君は良い子だよ!」

「それがどうした!それとこれとは話が別だ!」

 トビアが思わず絶叫する。指先から爪先まで、雷のような怒りが走っていた。

「僕は<エンブリオ>を手に入れる、そのためならなんだってする!そう誓ったんだ!」

 その怒りに、微かな悲哀が混じっているようにメアリーには見えた。トビアの幼さを残した眼差しが、どす黒く濁る。

「子供扱いするなよ、僕にためらいはない!迷いや恐怖に立ち止まるやつらとは違う!人だって躊躇なく殺したことがある!僕は……!」

 致命的な堰が、

「僕は、強い!」

切れた。

「そうでもなきゃ、意味がないんだ……!」

 銃弾が放たれる。その弾は、メアリーが膝を曲げ躱そうとするその反射すら計算に入れて、正確に彼女の眉間へと命中した。

 

 だが、純然たるENDがそれを受け止める。

 

 【教会騎士】を筆頭に貯えられた彼女のリソースは、決して市販品の銃弾でやすやすと貫けはしない。どくどくと流れ出す鮮血、それが限界であり、悪手の証明だ。

「《ファーストヒール》」

 そして、その銃創も虚しく消えていく。鉛弾が落ち、メアリーが血を拭った。その唇が悲しげに動く。

「これは、<エンブリオ>なんかじゃない」

 そして、メアリーは語り出す。

「本物じゃない……それを真似て造られた偽物……」

 トビアが戦慄に震える。

「<劣級(レッサー)エンブリオ>……そういう名前の、寄生モンスターに過ぎないの」

 トビアが目を見開く。少しだけの沈黙が通りすぎていく。ちっぽけな身体を見下ろして、メアリーはもう一度口を開いた。

「ねぇ、教えてよ。君はどうして、<エンブリオ>が欲しいの?あたしに……あたしに、聞かせて?」

 

 ◇◆◇

 

「僕の村は、マフィアに焼かれた……」

 トビアは口を開いた。妙に滑らかな言葉が流れていく。

「家族も、友達も死んだ。黒焦げになったんだ」

 メアリーが息を飲む。トビアは感情を静かに滾らせながら言った。

「だから、力が欲しいのさ、僕は!」

「復讐なんて……!」

「違う!」

 トビアが否定する。

「さっきから、僕を勝手にわかったような……!恨みなんかない、僕はただ……」

 トビアが言葉を切り、メアリーを睨み付ける。

「はっきり知ったんだ、この世界がそういうものだって!善悪なんてない、強いやつにはそんなもの通じない。出来るからやる、なるようになる、それだけだ!だったら、僕だってそっちへ回ってやるんだよ!」

 そのためなら、なんでもやる。人道は壁であり、躊躇は弱点だ。

「寄生モンスター?だからどうした、結果が同じなら、望みには十二分だろ!」

「人が死んでるんだよ!?」

 メアリーが絶叫した。

「<劣級>の材料は人間……生け贄なの!あいつらはこの都市の人間を使ってもっと強いやつを造るつもりなんだ、それで良いの?!」

「くどい!そんなの、僕に関係ないだろ!」

 トビアは一歩前に踏み出した。

「僕の家族じゃない!僕の友達じゃない!顔も名前も知らないやつらを犠牲にしたって、今さら心なんか痛まない!僕は、強い心を手に入れたんだ!」

「暴力は強さなんかじゃない、人殺しとか犠牲とか、そんなのは強さなんかじゃない!」

「なら、ここで死んでみろ!」

 トビアが間合いを詰める。手を伸ばせば触れる距離で、視線が交錯する。

「死なないくせに、ちゃんと生きてもいないくせに!死にたくないって本気で思ったことあんのかよ!なぁ、人間モドキ(マスター)!」

 泣きそうな顔で、トビアが叫ぶ。その表情を咀嚼するように、メアリーもまた引きつった顔で返した。

「だからって、この街を壊すの?それは、君の村を焼いたやつと同じじゃあないの?」

 トビアが心底不快そうに顔を歪める。軽装鎧の上から<劣級>を押さえて、メアリーは言った。

「あたしは君と似てる人を知ってる。不幸の形を自分の頭で決めてる人を。でも、理屈じゃないよ、本当は!」

 メアリーもまた、一歩間合いを詰める。

「悲しいんでしょ!?家族が殺されたから!だったら、それを理由にして他人を傷つけないで!」

 トビアが唇を舐め、しかし押し黙る。その瞳が冷静さを取り戻し、表情が冷えていく。次の瞬間、即座に踵を返したトビアが通路の奥へと駆け出した。

「……ッ!アシュヴィン!」

 粘りつく闇の奥へ、少年が走り、そしてそれを一対の腕が追う。褐色の大きな掌は、容易くトビアを掴み取った。

「行かせない……!」

「離せ!」

「行かせない!」

 メアリーが宣言する。

「君を行かせたら、君はやつらに協力する……そんなのは、駄目!」

「独り善がりの……クソ女が……!」

 トビアが歯軋りを鳴らし、石床を叩く。

「<マスター>なんか大嫌いだ……!いつも勝手を通して!」

「それでも良い!あたしの勝手で良いから、もうやめて」

 メアリー・パラダイスは言った。真剣な顔で言った。

「……あたしは多分、君の不幸を埋められない。でも、人殺しは許せないし、君みたいな子供がそれの片棒を担ぐのも見過ごせない」

「それで……僕を捕まえるのか?」

 トビアが絞り出すように言う。

「正義のつもりで?僕を選ばないのは所詮、あんたの適当な感傷だろ……!」

 灯りが揺れる。

「力を手に入れられないなら僕は終わりなんだ……一生を、世界の脇役(ティアン)で生きろって言うのか!あんたが僕じゃなくてその他のやつらに味方する理由はなんだ!答えろ!」

「この街の人々は君の敵じゃない……」

「あぁ、敵じゃない。だからって味方になると思ったのかよ?僕が大事なのは僕の望みだ、そのために……」

だったら(ゼン)!」

 メアリーが叫び、アシュヴィンがトビアを持ち上げる。苛烈な視線がぶつかり合う。

「だったら、あたしが叶えてあげる、あなたの望みを」

「へぇ、<劣級エンブリオ>をくれるの?」

「違う……」

 メアリーがいささか向こう見ずに言う。

「誰も犠牲にしない、君も満足する、第三の選択を」

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 □■カルディナ 冶金都市グロークス上空 高度一万メテル付近

 

 そこには、薄っぺらな風だけしかなかった。対比される大地や海はない。主観の中心で、座標が霞んでいく。眼下には扁平な曇天が広がっていた。

『速度良好。周囲の異常無し』

 そんな場所に、ソレはいた。

『【降水王】の能力も範囲外……あのお方の演算通り。やはり発破の意味はあったようで』

 両手には白手袋。服装は仕立ての良いスーツ。そして、頭部にも……巨大な白手袋。

『ホーンズの越権行為?それはそちらにお任せしますよ、私の任務はこちらですので……はい、他の班はグランバロアの方面で手一杯でしょうから』

 少しだけ人の形からは外れている、異形の人物。

『ええ、回収と接触……場合によっては破壊。資料は其方にもお送りした筈ですが……あぁ、申し訳ない』

 ソレは通信音声越しに深々と右手型の頭を下げ……

『なにぶん、自由落下の最中なもので』

垂直に落下しながら、雑音を詫びた。

『しかし、利益相反にすらなりえるというのに。スポンサーというのは恐ろしいものです。だからこうして任務を遂行出来るという訳ですが』

 頭上の“黒”をちらっと見上げ、ソレは呟いた。眼下に雲が迫る。【降水王】の天候魔術を見下ろして、ソレは再び頭を下げた。

『では、任務完了の後に』

 ジャムライカ……エリコの能力圏内へと侵入し、通信が途絶する。水蒸気が凝結し、白い線を描く。

『音声記録。任務コード10066』

 ソレは手袋頭をはためかせて独りごちた。

『これより、対象に接触。冶金都市防衛圏内へと降下する……《変身(メタモルフォーゼ)》』

 分厚い雲へと彼がダイヴする。その直前、その身体の輪郭は露と消え失せた。

 

 To be continued

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