□■ある人足 カルディナ・砂漠・某所
その男は、ものを運んでいた。
それは彼の仕事、職業であり、また約束でもあった。男はずっとそうしてきたし、そうすることに疑問など無かった。背中に沈みこむ重みも、照りつける陽光も、慣れ親しんだものだ。
だが、太陽は次第に弱まっていた。砂漠にあるはずのない曇天が近づいていたからだ。その力のかつての持ち主を思い出して、男は少しだけ感慨を持った。少しだけだ。余分な荷物は少ない方がいい。
そして、時計が鳴った。男にだけ聞こえる音で、懐の内側で、小さく二回。その音に数秒先んじて、男は懐からコンパスを取り出した。
古びた道具だ。この物品にどれ程の歴史があるか、男は知らなかった。少なくとも一つか二つ、国家の興亡を知っているはずだ。コルタナ郊外の砂の中より掘り出してからというもの、これは彼とずっと共にあった。
彫られた植物のレリーフには黒い錆がたまっていた。その模様は明らかに、今日カルディナと呼ばれている連合体が勃興する以前の文化に属するものだ。
男は歴史に敬意を表するように、恭しくそのコンパスの蓋を開き、端を指で弾いた。コンパスーー【
「……【
コンパスは男の魔力を吸い込み、震え、針を小さく動かした。男は頷いた。方角に誤差はない。進路に変更はない。
男は歩み続けた。その足跡は実直な熟練者の正確さに満ち、そして足跡の傍らでは、重厚で長大なケーブルが砂地に沈み込んでいた。
◇◆◇
□【高位従魔師】Mooo
死ぬのは慣れない。この精緻な世界では、痛覚を消していても死の感覚がリアルに過ぎた。彼の意識に実害がないと分かっていても、愉快な感覚ではない。
(インスピレーションには、なるが)
人が死ぬとき、まず始まるのは寒さだ。血が足りない、命が足りない身体が幻の寒さに震え出す。視界が歪み、暗くなっていく。手足がうまく動かない。
(引き金を……)
それでも足掻こうとした彼の指を、一瞬のうちに黒い爪が斬り飛ばす。銃身がへし折れ、手元で爆発した。
「死にそうじゃねえか。良い様だぜ」
「……」
眼前では藤堂が、その巨躯を誇るように笑っていた。黒光りする装甲が揺れる。
Moooが火薬式の拳銃をホルスターから引き抜く。得物はこれで最後だ。まだ関節が残っていた親指の残骸をトリガーに押し当てる。フェザータッチの拳銃は、即時発射の姿勢で待機した。
藤堂がMoooを殺せていないのは、攻撃力の不足ゆえにではない。彼がそうしたかったからそうなっただけだ。
端的に言えば、嬲り殺し。藤堂だってそう言っていた。
「そんな拳銃だって、俺には通じねえよ」
それも事実。今の藤堂に足りないものがあるとすれば、おそらくAGIだ。そしてそれは【高位従魔師】のMoooには突けない弱点だった。
全身はよろわれている。掌には刃がある。人を殺すには十分な能力だ。
「せめて、スライムの<エンブリオ>が生きてりゃ話は違ったろうが」
それも不可能。<エンブリオ>の再構成に要する時間はバラバラだが、ソラリスが半日やそこらで再構成されないことはMooo自身がよく知っていた。二十三時間と三十分。それが所要時間だ。
そして、藤堂は十分に愉しくやったようだった。その爪が蠢く。
「《
Moooは逆さまの街を見た。眼下の虚空へと垂れ下がる異形の街を。目的とする市庁舎跡は遠い。逆転世界がそれを阻む。
「……《瞬間装着》」
だから、彼は鎧を着込んだ。
「……?なんのつもりだ?」
藤堂が首をかしげる。《鑑定眼》が作動した。
安物の鎧だ。レベル100にも満たない人間が付けるような、ろくに能力も込められていない代物。物体としての厚みはあるが、それだけだ。
物性だけでは防げない。ここは、リソースの支配する世界。書き込まれた力の質が全てを左右する。
ここで躊躇う藤堂ではなかった。踏み込み、跳躍し、風を切り裂いて跳ぶ。
「ハッタリか?やりそうなことだな!」
その爪が唸りをあげ、ついにMoooの胸部……右半分に突き刺さる。致命傷だ。あと少し力を込めるだけで、スライム使いは胴体からバラバラになる。
そしてMoooは、怯むことなくその手を離した。すなわち……
「なっ……!?」
必死に屋根を掴んでいたはずの手を。
血まみれの掌が藤堂の腕を掴む。食い込んだ爪とMoooの腕、その二つで二人は繋がっていた。Moooの脚が屋根を蹴り飛ばす。そして、右手に引っ掛かっていた拳銃が頭上の街を目掛けて暴発した。
「てめー!何を考えて……自殺する気か!?」
「……違うな、藤堂」
Moooが言い切る。
「心中だ」
鎧は既に彼の一部。反転した重力は、その質量をも計算に入れる。それは天空へと彼を引き落とす、悪魔の誘いだ。
「さて藤堂」
Moooが言う。
「ニュートンを知ってるか?」
「うォォォォォォ!」
Moooにとって、アイテールの能力は既に完成している。それは完全なマイナス加速度……落下速度として現れた。銃の反動、足の蹴りの勢いも手伝って、みるみる遠ざかっていく地上に、藤堂は絶叫した。
「このッ!」
その手が爪を振りかざし、停止する。気づいてしまったからだ。
「俺を殺せば……確かに“重り”は無くなる……」
Moooが呟く。
「試してみるか……?既に五十メートルだが……」
落下の速度は本来のそれよりも少し遅いが、それでも毎秒高さを積み上げていく。
【劣級武装】は強力な鎧だが、その中身たる藤堂は所詮【芸術家】だ。鋼鉄の箱に入ったプリンを天空から落とせばどうなるか、想像できるだろうか。
「……どうか分からねえじゃねえか」
「なら、試せばいいと言っている……どうだ?」
Moooには、どちらでもいい。実際にどうかではなく、あくまでも可能性の話だ。彼にとってこのルートが一番可能性に溢れていた。
「お前は強い……とても敵わないさ。だから、お前の目的は遂げさせてやるんだ……俺の目的は、お前に勝つことじゃあないからな」
Moodの目的。それは、
「……ッ!あの女、そうだ、あの女は!」
ユーフィーミアを逃がすこと。
正確には、この都市をどうにかすることだ。それは彼自身がやらなくてもいいし、敵の一人を潰せるなら御の字だろう。
「てめえ自分を囮に!」
「それは違う……お前が執着した。視界の狭さまでは俺の責任じゃないぞ」
空へと浮き上がりながら藤堂が見回す。眼下では、家並みにしがみついて進む女の姿が見えた。
さっきまでの藤堂には気づけなかった。彼は彼の執着に従って嬲り殺しを楽しんでいたから。愉悦に酔っている間は見えないものが多くなるものだ。
「……数秒だ、判断が遅かったな……まぁ、墜ちて死ぬか、空まで墜ちるか……好きな方を選べ」
そして、二人は昇っていった。【降水王】の曇天へ。
◇◆◇
□【審問官】ユーフィーミア
「いやいやいやいやいや、無理!」
ユーフィーミアは思わず叫んだ。漫画みたいなオーバーな仕草で手を振り回す。そうでもしなければストレスに耐えられない。
彼女は路地を辿って市庁舎に向かっていた。辿る、というのは立体的な話だ。雨樋や蔓、煉瓦の出っ張りは絶好の足場だった。
そして、その後ろでは、金属製の人形が猛烈に走り出していた。
「ウワ来たァ!」
もし母親に聞かれたら折檻ものの、品の無い叫び声と共に、ユーフィーミアは走り出した。両手の幅と同じくらいの路地を身体を擦るようにして疾駆する。
「わたしは、戦闘タイプじゃないのに!」
あれが何かだって想像も付かない。【傀儡師】の人形だろうか?生憎傀儡師系統の能力など知らなかったが。どんな能力を持っているのか、欠片も分からない。
そんなものが彷徨いている理由もわからない。わからないが、十中八九、
「敵!」
ユーフィーミアが振り向く。その掌が間に合せの石ころを握る。
「食らえ!石ころアターック!」
放り投げたそれは美しい軌道を描き、金属人形の頭を小突き……何事もなかったように転がった。
「まぁ、そりゃ、そうですよね……逃げます!」
藤堂から逃れた(Moooに逃がされた)というのにとんだ災難だ。最悪だ。危険物が次から次へとやってくる。
後ろでは金属の擦れ合う音が聞こえた。さっきよりも近い。
「……このぉ!」
ユーフィーミアは上半身だけを回し、また石を、今度は壁から剥がした古煉瓦を投げつけた。人の頭だってかち割れそうなそれは、人形の頭に当たって粉々に砕け散った。ポケットの中のビスケットみたいに。
「石頭!」
悪態。そして、ユーフィーミアは足を滑らせた。足元の空に腸が冷える。
人形は完全に彼女をロックオンしたらしかった。その刃を仕込まれた手足が路地の壁に手を掛け、登り始める。
「こ、来ないで下さいよ!」
ユーフィーミアが次の足場を探す。拙い壁面歩行の後ろでは、人形が壁に爪を突き立てて進んでいた。
非戦闘職のロッククライミングと、戦闘用人形の追撃。どちらが速いか、考えるまでもない。二人の距離がじりじりと縮んでいく。ましてやユーフィーミアは足を掛ける場所を探しながら進んでいるのだ。そして、
「嘘……!」
路地が終わった。
開けた視界に彼女は絶望的なため息をついた。普段の彼女なら、易々と横断できるような通りは、この逆転世界では奈落へ続く大峡谷だ。
渡れる場所を探すべく、彼女は外壁づたいに身体を回した。だが、
『ギギギギ……』
人形が追い付いた。
「ひゃあああ!」
ユーフィーミアが叫び、必死に爪先を振り回す。
「来るな、来るなぁ!」
人形は意に介さなかった。無機質な動作で、その左腕部の鎌が開く。刃の擦れる嫌な音が聞こえた。
「この!」
ユーフィーミアは決死の形相で腰のナイフを抜き、右の逆手に構えた。残りの身体で、落ちないように必死に壁を掴まえる。
ナイフが閃く。非戦闘職の使用を前提として造られたナイフは、そのよく研がれた綺麗な刃で人形を襲った。
だが、足りない。ファティマの人形はそんなものを防ぐのに十分な強度を備えている。かすり傷を無視するように、その人形は緩慢な動作で鎌を振り上げた。
「ちょっと待って待って待って!」
ユーフィーミアが叫ぶ。みじん切りの勢いでナイフの刃が振り回される。その結果は依然、虚しい。
人形の鎌が震えた。刃が振動し、つんざくような音を立てる。
「何ですかそのギミック!?」
刃だけでも危ないのに、さらにこれだ。ユーフィーミアは自分の持つナイフと比べて、泣きたくなった。何発叩き込んでも小揺るぎもしない。
振動鎌が振り下ろされる。ユーフィーミアは捨て鉢になって叫んだ。
「《ピースフル・ペイン》!」
闇雲なナイフが人形の顔面に当たる。そして、人形は……その動きを止めた。
◆
■【高位傀儡師】ファティマ
「あァァァァァァ!あぁ、ああ!」
ファティマはのたうち回っていた。柔らかな絹の寝具が捩れていく。
「あぁ、あぁ!」
「ファティマ!」
エリコが駆け寄る。その顔は恐怖に歪んでいた。
「どうしたのですか、ファティマ!」
<エンブリオ>は精神の発露。彼女は彼女の生まれた源、主人の意識と繋がっている。自らの顔を押さえるファティマの感覚を、不明瞭で原始的な意思を通じて、エリコは把握した。
「これは……ファティマ、人形とのリンクを切断!すぐに痛覚をオフに!」
ファティマが即座にそうする。眼球を切り裂かれる痛みの残滓がその身体を震わせていた。
「【審問官】の……いえ、通常ならこんな……
エリコの特質は未だに彼女たち自身も検証が十分ではない。複数の因子が組合わさった結果は予測が付かない。
エリコがおろおろとファティマの背中を擦る。それを払いのけて、ファティマは吐きそうな声で言った。
「不愉快ね」
彼女を苦しめたことも、彼女の
「絶対に許さないわ」
だから、ファティマは……静かに激昂した。
◆
翻って、ユーフィーミアは大通りを渡らんと四苦八苦していた。歩道橋のようなものはないし、空は飛べない。
それでも、苦しいときにこそ知恵は沸くものだ。ユーフィーミアはやがて、バルコニーから垂れ下がった物干しの綱に気がついた。
深く息を吸う。痛覚を消していても、足元に吹き抜ける奈落は恐ろしい。本能が行動を拒否している。
ユーフィーミアは少しだけ頼もしげに見えるようになったナイフを抜き、その物干し綱を掴んだ。両手でしっかりと。勿論足も絡ませる。そして、
「はっ!」
鋭いナイフが吊り綱を切断した。
捨て置かれた洗濯物に混じって、ユーフィーミアは宙に投げ出された。彼女の身体を引くマイナス重力と、当然総重量はかなりなものである綱を引く本来の重力と、その矛盾する二つが独特の浮遊感じみた奇妙なものを作り出す。
彼女は必死に綱を掴んだ。油断するとすぐにすり抜けてしまいそうな綱の非日常の物理法則の果てに、やがて空想上の振り子は静止した。その重りはマイナスの座標の先端でほっと息をついた。
ここからは、クライミングだ。ユーフィーミアは綱に手を掛け、登り始めた。
子供の頃、よくこうして公園のロープを昇ったものだった。ユーフィーミアはふと思い出した。あの時と同じだ。違うのは、落ちれば天空へと
綱と擦れる掌が痛かった。それは幻だったが、彼女の緊張は本物だ。一手一手、確かめるように綱を握る。濡れぼそった綱は固く、重かった。
やがて彼女は、対岸のバルコニーの裏側へと手を掛けた。安堵に満ちた掌がそのざらざらした石を掴み、身体を持ち上げる。
「二度と、やらないです、こんな……」
冷たい石の上に横たわって、ユーフィーミアは荒い息を整えた。心臓が肋の内で暴れているのが分かった。まるで地震を呑み込んだみたいだ。
治まらない身体のどよめきに、ユーフィーミアは黙って座り込んだ。少しくらい休憩したって、バチは当たらない。
手が震えていた。こんなアクロバットは当然、未経験の非常事態だ。驚きや困惑というのは意外と身体に現れてくるし、押さえられないのだ、とユーフィーミアは思った。
いや、それだけではなかった。
「……これって!」
ユーフィーミアが立ち上がる。動悸は治まっていた。にも関わらず、身体の震えが止まらない。
そう、建物ごと揺れているからだ。
「まさか、地震ですか?」
カルディナにそんな自然現象があるのか、彼女は知らなかったが、あってもおかしくはない。あるいは、誰かの“能力”か。
「そんなはた迷惑な<エンブリオ>が……?」
幸いか、結論はそのあとすぐに現れた。それは不幸であったかもしれない。数秒の後、
「……!」
ユーフィーミアの
正しい重力の範疇にいる瓦礫が、水中に落ちた発泡スチロールのように沈んで、浮かんでいく。そして、その波紋の中央、破壊された路面からは……巨大な手が突き出ていた。
「あれは……」
それをユーフィーミアは知っている。ここカルディナでもそう簡単には手に入らない、他国からの輸入品。
「【マーシャルⅡ】!」
ドライフ皇国の科学技術の果ての異端児、人型の<マジンギア>がそこにいた。
その【マーシャルⅡ】は中古のサルベージ品だった。頭部センサーカバーには掠れたノーズアートが残っていた。火器類は売り払うため取り外され、電装系や一部開閉機構には断線がある。初期型の一般向けモデルゆえに、本来の性能も決して高くはない。
だが、それでいい。ファティマにとって必要なのは、その巨体だけ。
『踏んづけちゃえ!』
機械巨人が地下から這い上がった。傷だらけの装甲は継ぎを当てるように装甲板を貼り付けられ、強度そのものは上昇している。堅牢な人形重機が唸りをあげてユーフィーミアに掴みかかった。
「ウワァァァァァ!」
大きいものはそれだけで怖い。少なくとも、威圧の効果は十分だった。ユーフィーミアが叫びをあげて逃げ出す。
既に難所は越えた。街並みを縫い、密林の猿のように素早く逆さの建物を渡る。
だが、<マジンギア>は傍若無人だった。その機械仕掛けの身体が咆哮する。軋む金属音と共に、装甲に包まれた体当たりが家々を粉砕した。
これこそが【高位傀儡師】ファティマの本気。通常の人間より巨大な【マーシャルⅡ】を特大の“人形”とするごり押し技。コストパフォーマンスは悪いが、威力は本物だ。
瓦礫と悲鳴を掻き分けて、巨人が進む。ユーフィーミアの“足場”を破壊しながら。
「このままじゃ、追い付かれ……!」
この状況、ユーフィーミアの足ではまともに走っても逃れられるかどうか、だ。建物を伝いながらではとても振り切れない。
「っていうか、何かしました?わたし!」
ユーフィーミアが文句と共に息を鋭く吐く。そして、彼女の掴まる建物が爆発した。
石壁を正拳突きで砕き割った<マジンギア>は、粉塵を割ってその傷んだマニピュレーターを地面に叩きつけた。巨大な瓦礫が暴れ狂うように飛散する。そのただ中を、
「……やぁぁ!」
ユーフィーミアは跳躍した。
逃げる方角ではない。他ならぬ【マーシャルⅡ】の方へと、空中を走る。その足場は、今しがた飛び散った瓦礫だ。
空へと投げあげられ、しかし重力に引かれて落ちるそれらは、ユーフィーミアにとっては足元から浮上する足場のようなものだ。
落下運動の裏側を彼女は走った。土壇場のアクロバットは、幸運なことにその効果を発揮した。
「その図体じゃ!」
当の巨人が巻き起こした粉塵だ。土煙が立ち込めるなかを潜り抜ける彼女を見つけるには、その【マーシャルⅡ】は大きすぎるだろう。
巨人の背後でユーフィーミアがほくそ笑む。その小さな手が崩れ掛けたアパルトマンの石壁を掴みとる。
「今のうちに……!」
ユーフィーミアは素早く周囲を見て取ると、市庁舎の方角へ走り出すために土煙を出た。【マーシャルⅡ】は見当違いの方向を蹴散らしていた。
そして、巨人は轟音と共に振り向いた。
「《リモート・アイ》」
巨人の頭部のカメラアイは端から機能していない。図体ばかり大きいだけの木偶にとって、頭の向きなどなんの意味もない。
それを埋めるエリコの遠隔視認能力は、土煙を抜けたユーフィーミアを完全に捉えていた。
<マジンギア>がその足を持ち上げる。十数メートルの一歩一歩は、たかが人間の歩幅をちっぽけなものとして軽蔑するように一またぎで瓦礫の海を飛び越えた。
震動に振り落とされそうになったユーフィーミアが、恐々後ろを振り向く。【マーシャルⅡ】はその巨大な腕を叩きつけるべく、肩を回して拳を振りかぶっていた。
「な……!」
逃げる時間はなかった。瓦礫にまみれた近辺で掴まれる足場は少ない。飛び石を探すも、目につくのは破壊された石屑ばかり。
歯車が唸る。装甲が震える。そして<マジンギア>はその豪腕を振り下ろした。
◆
大気が震え、地面へと昇る雨粒が揺らぐ。響いていたのは、金属同士がぶつかる硬質な音だった。
「……!」
ユーフィーミアが目を開ける。目の前で仁王立ちを決めていたのは、
「無事かね?」
【大騎士】ゴルテンバルトⅣ世、その人だった。
「な、なんでここに!?」
「これだけ騒がしければ嫌が応にも耳目は引くものだ。キュビットとモハヴェドもそこにいる」
振り向けば、二人が建物の陰にいるのが見える。Ⅳ世は髭を揺らして笑った。
「さて、反撃である!」
その足は地面に突き立っていた。爪先から脛まで、具足が槍のごとく改造されているのだ。
「即席の工作だが、いいアイデアであろう?」
老騎士はそう言いながら、受け止めていた【マーシャルⅡ】の腕を、弾くのではなく、逆に渾身の力で引いた。
「<マジンギア>とて!」
巨人と騎士が綱引きの様相を見せる。だが、
「むぅ……!?」
鎧が軋み、地面が割れ始める。拮抗する力の天秤は、【マーシャルⅡ】……ファティマの側に傾こうとしていた。そして、重力の加護を喪失したゴルテンバルトⅣ世には余裕がない。
「このままじゃ……キュビットさん!」
ユーフィーミアが叫ぶ。
「
「ッ!何を……?」
「いいから!」
ユーフィーミアの気迫に押されてか、キュビットが目配せをする。傍らで、モハヴェドが頷いた。
「良いだろう、了解した!」
モハヴェドが腰のホルスターから銃を引き抜く。既に破損した貴重品の魔力式ではない、サブ武装の量産型【HW08ピストル】だ。訓練十分の軍人の動きで、モハヴェドはしっかと<マジンギア>を照準に捉えた。
「発砲実行!」
弾は六発。機械がごとき正確さで、その弾丸は一点へと吸い込まれるように着弾した。雨の間を縫って火花が飛び、金属の装甲が音を立てて外れる。
「ナイスショット、です!」
そう言って、ユーフィーミアは跳躍した。足元に広がる空を飛び越えて、眼前に痙攣する【マーシャルⅡ】へとしがみつく。そしてその手は、【マーシャルⅡ】の
「何を……するつもりだ、ユーフィーミア嬢!」
Ⅳ世が歯を食い縛りながら叫ぶ。コックピットの内部へ這い入ったユーフィーミアは、洗濯機の中の衣服のようになりながら、必死に叫んだ。
「サトリ……」
Ⅳ世の足元がついに崩壊する。支えを失った老騎士は、途端に空へと浮き上がった。
「サトリ……」
モハヴェドが弾丸を再装填し、【マーシャルⅡ】の腕関節、駆動部を狙い撃つ。だが、駆動部が破損しても“人形”は止まらない。動力は【傀儡師】だ。モーターの性能など関係はない。
「サトリ……《
そして、紋章が発光した。
◇◆◇
□サトリという<エンブリオ>
それは、記憶を覗く獣。ユーフィーミアの望み、“他人の考えが知りたい”という恐怖を埋めるために生まれたガードナーだ。
ティアンにしか動作しない能力だ、と藤堂は言った。それも間違いではないが、根本の説明にはなっていない。記憶を覗くことが目的だから、ティアンにのみ発動するのだ。他の精神干渉のように身体を操ったり無力化したり、そんなことは彼女とそのガードナーにとっては雑事に過ぎない。
そう、彼女が興味があるのは記憶、思考、人格だった。それ以外はどうでもいい。当然、《
その能力は、記憶の閲覧からさらに一歩進んだ特性……記憶の
「《再生》」
ユーフィーミアの両手は操縦桿を掴んでいた。死んだように眠っていた各機能が息を吹き返し、柔らかな駆動音が響き始める。魔力が新鮮な血潮のように隅々へ流れていく。
「……【
その名前は、かつてドライフの軍人崩れだった男のものだ。その記憶、【マーシャルⅡ】を駆っていた記憶が、ユーフィーミアの手足を動かしている。
操縦士系統の《操縦》とは違う。所詮は精度の高い猿真似に過ぎないがゆえに機体性能を上げる効果は望めないが、今、この状況では機体を動かすだけで十分だ。
【マーシャルⅡ】のマニピュレーターが動く。五本の指のうち三本は伝達機構が壊れていたが、残りの二本、親指と人差し指に相当するアームは確りと、空へ落ちかけていた【大騎士】ゴルテンバルトⅣ世を掴んでいた。
『なによ、それ!反則じゃない!』
ファティマが喚き、【傀儡師】の支配を強める。だが、内部から操縦系を確保された人形はギシギシと軋み、その支配に抵抗した。
「……これは、もう……」
ユーフィーミアが歯を食いしばる。
「……私のものです!」
【マーシャルⅡ】が咆哮する。それはつかえがとれ、自由になった歯車の音だった。
ファティマの能力が切れる。他人に操作される物体が【傀儡師】の範疇外だったのか、はたまたユーフィーミアの行動が所有権を書き換えたのか。
「……ユーフィーミア嬢?これは……?」
老騎士が面食らったように訊く。コクピットの中で、ユーフィーミアは荒い息を吐きながら得意気に笑った。
◇◆◇
◆◆◆
■冶金都市 地下
トビアとメアリーは暗い道を歩いていた。地下道の寒気を嫌がってアシュヴィンたちが紋章へ引き籠っていたので、今は本当に二人きりだ。そしてふと、トビアが口を開いた。
「さっきの……」
水滴が垂れる。額に落ちたそれを不快そうに拭って、トビアは続けた。
「さっきの話、確度は?」
その声は震えていた。震わせているのが何なのか、トビア自身にも分からなかった。メアリー・パラダイスは努めて静かに答えた。
「あたしが提供できる範囲で最大だと思う。言っておくけど、他の……普通の<マスター>も大体は同じだよ」
「だから、普通じゃない特例に頼もうって?」
トビアはバカにしたように言った。
「信用したわけじゃない。<劣級>は直ぐそこにあるんだ、そっちを選んだ方が確かなんだから」
攻撃的な態度とは裏腹に、トビアの足取りは穏やかだった。メアリーも、拘束や警戒の類いは見せていなかった。
「大体、あんたらは何なんだよ?さっぱり分からない……人間なのか?」
「人間だよ。分かりやすく言えば、<エンブリオ>と新しい身体を貰った人間……」
メアリーが明かりを揺らす。
「どうやったらティアンが<エンブリオ>を手に入れられるか、あたしには分からない。でも、それをくれた張本人達なら、きっと可能性はある」
「それで、直接会ったことはあるの?そもそも、
トビアは肩をすくめた。
「あたしは彼の顔も知らない。けど、有名人だし、言われてる推論には説得力があった。間違いないと思う」
トビアは黙った。自分がどうしたいのか、彼にも分からなかった。欲しいもの、嫌なこと、全体像は明らかでも細かい部分はすぐに霞んでしまう。それは、自分を自分で分かっていないからだ。
二人は歩き続けた。黒い道の水溜まりを避け、時に緩い上り坂の傾斜を進む。
「【
角を曲がる瞬間、トビアは呟いた。道の先には、明かりが増え始めていた。
To be continued