■【降水王】ユーリイ・シュトラウス
空気は湿っていた。頭上の電信柱、その森からは無数の水滴が滴っていたが、それは既にアイテールの権能を外れている。
(これは単なる雨水だ。“雨”……でなくては、【降水王】の範疇でなくては、僕の能力は発動しない)
雨乞系統の《レイニー・プレイ》は雨を降らせる魔法だが、その降らせた雨の行き先はまた別の要素だ。アイテールの影響下にあるのはあくまでもユーリイ、その動作だけ。
(この電信柱はそのためだ。恐らくは
そこまでは理解した。ならば、勝利条件はひとつだ。
(既にこの能力の主は覚えた。殺害して解除する!)
タンムーズの消失。それさえ成せば、雨は再び降り注ぐ。屋内に逃げ込む暇すら与えない。自分の身体も空へ逃がせる。
だが、そう簡単にはいかないのだ。
「《
何処からか、宣言が響く。
周りを走るAGI型たちが鳥へと変わる。炸裂する弾道が視界を貫いた。
(これで五回目……数で言えば十二羽)
ステュムパリデスの交換転移。戦術上の有用度は言うまでもない。
(いつ切れる?)
永遠には続かないはずだ。そんな期待と共にユーリイはそれらを容易く、身をよじって躱し、そして自らのミスを悟った。
「《爆竜》」
「《旋竜》」
「……道士系の!」
道士系上級奥義は概ね面制圧の傾向だ。前衛を巻き込みかねないそれは軽々に撃てるものではないが……今さっき、鳥との交換で前線は空いている。
焔と風が一体となり、爆風としてユーリイに迫る。逃れる術はない。
「……ッ!《瞬間装備》!」
そして、ユーリイの身体が爆風に直撃した。
無重力の肉体は、荒海の木っ端のごとく吹き飛んだ。石造りの壁へと叩きつけられ、ユーリイが喘ぐ。その右足を、弾丸が貫いた。
「急くなよ!」
リンダが慎重に近づきつつ叫ぶ。
「攻め手を飛ばすな!手順通りにゆっくりやるんだ、油断して近づくな!」
【降水王】の脅威を彼らは十分高く見積もっている。少しの優勢に浮き足だって足元を掬われることだとて、想定してしかるべきだ。
「……それは正しいぜ、【
ふらりと現れたカークが呟いた。
「【身代わり竜鱗】だ」
「……なんだっけ、確か……被ダメ軽減?」
そう、ユーリイは無事だった。【竜鱗】はレベル0で亜竜級の一撃すら受けられる逸品。【降水王】といえど、簡単には殺されない。
「けれど、そりゃ奥の手だよね……」
リンダは呟き、傍らの電信柱を見る。そこに取り付けられた電話がリリリンと鳴った。
タンムーズは単なる電信柱の森ではない。その能力特性は有線通信だ。張り巡らされたケーブルは、電信柱を伝って会話を運んでくれる。
リンダが受話器を上げる。
「
『こちらBグループ。位置に着いた』
「タンムーズのあいつは?」
『無事だ。もう前線には出させない』
「上出来」
リンダは笑い、そしてユーリイを見た。這いずりながら必死に攻撃を躱す、【降水王】を。
「……ローテーションを繰り上げろ。“雨傘”を詰めるよ」
見ろ、あの無様を。準<超級>なんて言われてたって、所詮は非戦闘職だ、囲んでタコ殴りにすれば……リンダは思った。ユーリイは明らかに広域制圧型、それが個人戦闘型の真似事をやるからこうなるのだ。
半壊した屋上に、AGI型がズラリと並ぶ。それら全てが刃を構え、ツーマンセルで走り出した。
これで終わりだ。クーデター一派が何をやろうとしていたかは知らないが、中核の準<超級>を失っては計画も進むまい。
攻撃が止んだことにユーリイも気づいたのだろう、腹這いで叫び出した。水浸しの大気が細かく震える。
「僕を殺すなら……殺せば、計画は終わりですよ、それでも?」
何が悪いのか?リンダは首をかしげた。敵にする命乞いの台詞ではない。
「錯乱したのかい?」
リンダはそう納得した。追い詰められた人間は不可解なことを口走るものだ。そのくらいの可愛げは、彼にだってあるだろう。
最初のコンビが刃を閃かせる。もうすぐユーリイは血みどろに切り刻まれる。だが、一発では終わらせない。念には念を入れて、徹底的に身体を壊す。先鋒が大きく最後のステップを踏み……
そして、リンダは二人の足取りが乱れたような気がした。
いや、気のせいではない。見間違いではない。
先鋒のツーマンセル、その右側の一人の背中にナイフが突き立っている。
「なっ……!」
その光景に、思わずその場の全員がたたらを踏んだ。
「なにやってる、お前!」
「ここにきてそんなドジを……!」
彼らが口々に言い募る。その中で、また一人。
「……?」
青色に短髪を染めた女が自分の脇腹を見る。いや、脇腹があった部分の大穴を。
「かはッ……!」
「おい!何してんだい!」
リンダが叫ぶ。現場は混乱していた。攻撃を繰り出すはずだった段取りは乱れ果て、怒号と困惑が飛び交う。
「はは、は……おい、【降水王】!ど、どうだ?これは、“十分”か?」
「なに言ってんだ、お前!」
その混乱をもたらした幾人かが取り押さえられ、地面に伏す。馬乗りになった戦士たちが叫んだ。
「スパイ!スパイだな、姑息な真似を!」
「違うぞ、スパイ?知らないね、おい、【降水王】!そうだろ!なぁ、
「この……!」
訳の分からないことを口走る彼らに、取り押さえたほうも動揺を隠せない。そして、リンダの傍らの電話が鳴る。彼女は静かに受話器を取った。
「……
『大変だ!』
電話の向こう。通信越しの声にも、こちらと同じく揺れているものがあった。嫌な予感にリンダが眉をひそめる。
「何が……」
『背中を……裏切りが……!』
耳を刺すノイズとともに通信が混乱する。次の瞬間、通信がひときわ耳障りな雑音を上げて途絶した。
そして、ユーリイがゆっくりと起き上がった。
「言ったでしょう……デモンストレーションだと!」
埃と泥を払う。うつ伏せに隠していた治癒能力の薬瓶が、軽い音を立てて落ちた。
「いい働きです。計画が済んだ暁には我々の王国の市民として、迎えられるでしょう」
ユーリイが笑みを深くする。口元の皺がまるで大きな峡谷のようだった。
「お前ら、最初からそのつもりで……!?」
その瞬間、カークの背後にも、さっきまで味方だった者のバトルメイスが叩きつけられる。
「……ッ!《グロウ》!」
ツル植物が醜い棘とともに爆発する。下手人を素早く拘束したカークは、血反吐を吐きながら問いただした。
「イカれてるのかよ……そんな、不確かな!」
「いいえ、確実ですよ」
ユーリイが笑う。その足が地面を蹴り、風を蹴り、そして肉薄したカークをボロ雑巾のように蹴り飛ばした。銃身が手を離れ、明後日の方向に吹き飛んでいく。
「絶望、苦痛、恐怖……そんなものに意味はないんです。ましてや<マスター>相手ではね。人間は希望を胸に生きるものですから」
どこか恍惚とした光を宿して、ユーリイの瞳が揺れる。カークが潰れかかった肺腑を鳴らして言った。
「希望だと……!これがか?<劣級エンブリオ>を欲しがるのが、それか!」
これは、多発するこの状況は、自発的な裏切りだ。唆したのではない、脅したのでもない。目の前に釣られた“力”という餌に群がっているに過ぎない。
考えてみれば当たり前の話だった。<エンブリオ>は<マスター>にとっても特別だ。実際の戦力の多寡とは関係なく、その名前だけで人を酔わせる毒になる。希望という名前の毒に。
「そう、希望!どんな状況でも希望を見いだすのが人間の強さ、そしてそれこそが前へと進む力になる!希望、欲望、展望、ポジティブな信念が世界を変える!」
「なぁ、おい、【
目の前で【
「僕たちには、社会がない」
断言する。起き上がろうとして、カークはよろめいた。
「当然です。僕たちにとってここは“知らない場所”だ。生まれも、地位も、名誉もない。社会という軛がなければ人がその基準にするのは、“利益”……みんな欲しいでしょう?<エンブリオ>が」
「そうだ、俺たちはあんたらに付くぜ!」
「そっちのほうが面白そうだわ!」
「国崩しだァ!《エメラルド・バースト》!」
喝采が始まっていた。波及する同士討ちに呼応して、声が上がる。
「<
「<
「<
『『『<
「ええ、我らが
その頭がゆっくりと空を見上げ、そして浮上する。タンムーズが崩壊し、曇天が露になる。
「《ウォーク》」
歩行とは、反発する運動系。
空を踏みしめる長靴は、あらゆる面を地面に出来る。無限に分割された空間は、一本の軌跡へと再構成される。
すなわち、飛行だ。
ウォーキッカを連続的に、低レベルで発動させる。まるでスキーでもするように、ユーリイは空を滑った。上へ、下へ、そしてまた頂点へ。
その目はもう敵など見ていなかった。必要を喪失したからだ。ことは済んでいる。《上昇方程式》の名の下に。
「クソが……!」
口惜しげにわめく彼らがゆっくりと、浮き上がっていく。同士討ちのざわめきと共に。
「……あぁ、忘れるところでしたね」
ユーリイが手を伸ばす。その傘の石突が、カークの頭を砕き割り……
「【グローリカ】回収しましたよ」
ユーリイは、光に混じって落ちる<劣級>を受け止めた。再び降り始めた氷雨とともに。
◇◆◇
□■冶金都市・地下
断続的に金属弾が降り注ぐなか、三人……グリゴリオ、シマ、そしてAFXはもう一人の敵、腕彦へと攻撃を仕掛けていた。
「《
グリゴリオが石床を塩に変え、槍に変える。半透明の結晶が地下の澱んだ空気を割き、そしてあえなく弾かれた。
「……やはり効かないか」
シマが顔を歪める。
腕彦の身体はまるで重装甲の戦車だ。明らかに<エンブリオ>のリソースをEND強化のみに注ぎ込んだ能力。しかも、
「勘だが、<劣級>も、だ」
グリゴリオは吐き捨てるように言った。その頭上をコイルガンの弾道が駆け抜けていく。
「あぁ、もう!」
AFXが叫ぶ。斜め上方より注がれる《電磁投射砲》の威力は食らうまでもなく絶大だ。機関銃のように雨あられではないのがせめてもの救いだったが、一発でも当たれば致命傷になりかねないというプレッシャーが、注意力のリソースを削いでいく。
(煙幕の持ち合わせは……いや、ダメだ、敵の残弾が読めない)
コイルガンの照準はレディの視覚に依存している様子だ。それを絶てば、狙い撃ちは確かに出来なくなるだろう。だがーー
(闇雲に撃ってくる可能性を排除できない!この閉鎖空間じゃ僕らの移動範囲はさして大きくない、勝ち目のあるギャンブルだ)
目の端、落ちた弾丸の残骸を捉える。着弾の衝撃で石材と癒着した金属塊を。
(あの弾丸……市販品か?数を揃えられるものか?闇雲に撃ち続けて良いと、判断するだろうか?)
確信できない。そして、煙幕の類いは諸刃だ。【偵察隊】であるAFXは多少対抗できるが、無視界戦闘では弾丸を躱すことが間違いなく難しくなる。
(そんなことを考えてると……!)
「……!」
腕彦がその拳を振るう。圧倒的攻撃力の発露は、空気さえ爆発的に打ち砕いた。
耳鳴りと目眩にAFXの足が止まる。そして、腕彦がゆっくりとその左拳を引いた。その構えは、ボクシング……ストレートパンチのそれによく似ている。明らかに大技の構え。
「させるかァ!」
シマ、そしてグリゴリオがあらゆる攻撃手段を駆使して、その隙を突く。だが、無駄だ。
圧倒的なENDの前に、愚直な攻撃など無為。それを気にしないためのEND特化だ。
粗末なマスクが動く。腕彦の唇が開いていた。掠れた声が響く。
「《ハーデン》」
◆
■【硬拳士】腕彦
彼の<エンブリオ>、【剛等身 タケミナカタ】の能力はEND強化のルール。そして、<劣級エンブリオ>。【劣級硬化 ハーデニカ】も同じく、END強化能力だ。
<劣級エンブリオ>はパーソナル参照機能こそないが、それでも行動や発言をデータとして記録し、それを参考した能力で生まれてくる。能力の発現プロセスに乱数を持ち込むことで出力を確保する、そういうシステム。そして、同じ人間のパーソナルから発した“言動”であれば、同じ能力が発現することも決して、ゼロではない。
とりわけこの男に限っては、思考と行動が直結したこの【硬拳士】に限っては、それが顕著だった。何も考えたくない、面倒な障害を無視したい、それらの欲望は再び、END強化……些事をはね除ける鎧として結実したのだ。
その左拳にはグローブが嵌まっていた。《解放》によって機能制限を外された<劣級>の疑似<エンブリオ>体だ。通常【硬拳士】の奥義は無手でなければ発動しないが……問題はない。
<劣級>は寄生生命体。拳にモンスターがしがみついていたところで、それが触れることでENDバフを付与する能力を持っていたところで、それでも素手だ。
そして、《ハーデン》により腕彦の硬度はこの上なく高まっている。END×3+STR。猛烈なる攻撃力の奔流は殴打などというつまらない枠を飛び越え、ただ破壊の軌道として結実した。
「……!」
三人は間一髪回避した。というより、偶然軌道に入らなかったのだ。
音が消え、一瞬遅れて暴風が吹く。AFXは自分の頬をぬるりとしたものが伝うのを感じた。耳を少し吹っ飛ばされたらしい。
「バズーカかよ……ッ!」
そして、レディもまだ健在だ。触れれば消し飛ぶ超攻撃が二人分。状況は最悪だった。つんのめった三人を電磁力砲撃が襲う。
遠からず、誰かが死ぬ。それは無言の前提だった。いつか二人の攻撃が重なるタイミングが来る。そうなれば終わりだ。だから、
「AFX、先に行け」
グリゴリオはそう言った。
「何を……?」
「最悪を考えろ!」
グリゴリオが吠える。
「こいつらは壁だ!単なる障害だ!叩き壊すことは有意義だが、第一目標じゃない!」
この中で一番逃走の目があるのはAFXだ。足は速く、多少の追撃はメドラウトが防ぐ。
「お前の目的はなんだ!」
「メアリーを、助けに……」
「それがお前の理屈だろ。なら、優先しろ!」
グリゴリオが発破をかけるように言う。乱射しながら、レディが嘲笑った。
「あらァ、あの捕虜を救いに来たの?案外、こっちの味方になってるかもよ、<劣級>は魅力的だもの。ボスの説得で……」
裏切り。
自分に付きまとうジンクスに、思わずAFXが動揺する。シマが吠えた。
「聞いてンじゃねえ!敵だぞ!」
グリゴリオも力強く頷く。
「それにな、勝ち目はあるんだ……俺たち二人なら」
「あ?あー、そうだな」
シマが首を回す。そのすぐ横を弾丸が抜けていった。
「でも……」
「いいからさっさと……」
「……
二人が叫び、そして腕彦を殴り付ける。体重の乗った一撃に、【硬拳士】が一歩怯むように下がり、そして再び前進した。
「《ハーデン》」
風が唸る。音すら吹き飛ばす無敵のストレートが床を削り、地下の石壁に円形の大穴を開けた。
「……ッ!」
AFXはそれ以上躊躇わなかった。即座に踵を返し、背後の大穴へと跳躍する。レディが絶叫した。
「行かせるとお思い!?」
フルゴラが尾を巻き上げ、雷撃をAFXに浴びせる。疾走する紫電は過たず少年の身体を貫き……そして、その身体が消えた。後にはただ石屑が落ちるばかりだ。
「幻術……いつの間にッ!」
「《塩害》!」
地下を塩の柱が埋め尽くす。その目隠しの隙間を縫ってグリゴリオとシマが走る。狙いは、レディ・ゴールデン。
「ガードナーとの喧嘩なぞという非効率的なことはしない。直接お前を落とせばその竜も消える!」
「ハッ!それはさっき否定した筈よ!」
そう、その言葉通り、腕彦が立ちはだかる。
彼は殺せない。腐蝕の極致たるシバルバも、ソラリスによる窒息死も、ここにはない。単純な物理攻撃では彼の皮膚を貫けないのだ。
だが、腕彦はそれで終わらなかった。彼は細かい思考が嫌いだが、バカではない。自分の強みと弱みは理解している。敵が何か策を弄しているならそれに気づける自分ではない。ゆえに、
「《
最後の切り札を切った。
宣言が終わるが早いか、腕彦の全身が変色する。黒い焔のような模様が拡がり、増殖し、やがてその皮膚を漆黒に染めた。
更に倍増したEND、そして拳の攻撃力。もはや鉄壁の要塞が歩いているようなものだ。核爆弾でも殺せまい。
現在のENDは四十万を越えている。上級職としては破格の数字だ。グリゴリオたちになす術などある筈もなかった……
「《瞬間装備》」
……かに、思えた。
「なぜ、あいつを先に行かせたと思う?」
グリゴリオが笑う。思わず溢れた、という風な余裕の笑みだ。
「これからやることに、あいつがいてもらっちゃ困るからだ」
「下らない策を……?叩き潰しなさい、
レディが激を飛ばす。その鞭が再びコイルを作り、フルゴラの尾がグリップに接続する。
腕彦が飛ぶ。膂力のみで自らを射出した黒の【硬拳士】が左手を構え、まるでミサイルのようにグリゴリオたちへ迫った。一秒遅れで、【金雷術師】レディ・ゴールデンの《電磁投射砲》が放たれる。
それを紙一重で躱しながら、グリゴリオは先程取り出したそれを軌道上に置くように放り投げ……次の瞬間、破壊の化身と化した腕彦の拳がそれを分子レベルにまで粉々に破壊した。
そう、リンダ・シリンダが渡していた、“
一秒などという長い間もなく、即座に中身が溢れ出す。出てきたものは、大量などという言葉でも生ぬるいほど多くの“水”だった。
「……ッ!?」
腕彦が水圧に押し流され、一瞬遅れてレディの所にも波濤が到達する。地下という閉鎖空間で解き放たれた水は、数ある穴から空気を追い出してその地下を水で埋め尽くした。
(……このッ!)
レディがフルゴラに命じようとして……臍を噛む。この環境では、電気竜の電撃は即座に漏電し、至近距離……レディ自身を焼く。
水を貯蓄するタイプのアイテムボックスはかなりメジャーだ。収納対象を絞った代わりに相当量を詰め込める特化型もある。
(最初から持っていたの?いえ、それなら一回目で使ってもいい筈、何処からこんな大量の水を……ッ!!)
レディが目を見開く。
(【
レディは知る由もない。リンダがユーリイの雨を逆に集めていたことを。状況を押し流す暴力的な一手に整えていたことを。
(あのバカの能力はEND特化型。【窒息】で殺そうと言うわけね……合理的。けれど、それは相手も同じ筈……)
既に息が苦しくなってきたことを考えないように、【金雷術師】は思考を回す。
(自爆覚悟で……?)
グリゴリオやシマの能力に水の操作は無かった筈だ。塩化のルール、膨張・収縮のアームズ。
暗い水の中、視線を彷徨わせる。目的のものはすぐに見つかった。即ち、
(あれは……!?)
塩で出来たドームが。
◇◆◇
「……久しぶりだよ、この手を使うのは」
リンダが知っていたのか、あるいは偶然か。“水”はグリゴリオにとって馴染み深い武器だ。
塩のドームはグリゴリオのソドムが塩操作で形成したもの。対水圧のためスペースは乏しく、グリゴリオ一人分にすら満たない。そこまでしても現在、水圧に塩が軋む音がする。
「……《
グリゴリオが塩にエネルギーを注ぐ。塩が息を吹き返し、罅を埋めた。
手元には彼が常備する空気入りのアイテムボックスがある。残量は心許ないが、ここでは十分な筈だとグリゴリオは祈った。
その外では腕彦が溺れている。いくらENDを強化しても窒息死は防げない。だから、
「……《我が拳、巌となりて》」
腕彦は窒息覚悟で動いた。
身体中の酸素を使い果たしても構わない。今ここで、この敵を倒す。状態異常が暴れまわるのが分かるが、それも許容範囲だ。
一発打ち込めば終わる。現在の彼の一撃にはそれだけの重みがある。
粘り付く水を割いて、腕彦の左拳がゆっくりと引かれ、塩のドーム目掛けて放たれんとし……
(……ッ!?)
そして、背後からの何者かの攻撃に、腕彦は思わず手を止めた。
(水中で……だれだ!)
傷はない。が、動く水の“重さ”に腕彦の身体がつんのめる。
水を介して音が聞こえる。何かが動く音だ。速い物体が動く音だ。
(……あいつ)
それは、水中を鮫のように駆ける【疾風剣士】シマ・ストライプの音だった。
通常、水中での戦闘にはそれ相応の準備が必要だ。ジョブや潜水服、あるいは<エンブリオ>。だが、シマにはそれはない。あるのは積み上げたAGIと、
ゆえに、それだけで動いている。
地球でのシマは水泳選手だ。勿論無名なその他大勢に過ぎないが、それでも体系的な実践に基づいて訓練を積んだプロである。
その技術で今、シマは身体の抵抗を無くすよう姿勢を整え、そして腕は前後に広げていた。掌には<エンブリオ>がある。
後ろ手は膨張の刀。突き出すのは収縮の刀。周囲の水の体積を操作した結果として、シマは超スピードの遊泳を可能としていた。
周りの水をも巻き込んだ“鮫”は暗い水中を引き裂いて、飛ぶ。液体に作用するのはエビングハウスの能力でも無理筋であるため、ハイコストの追加スキルを起動しなくてはならないが、それでもこの二人を殺すだけの時間はある。
そう、二人を。
(……不味い!)
腕彦が床を蹴り、静かに浮かび上がる。今のシマは文字通り縦横無尽、あくまで地面の上でノロノロやっていたさっきまでとは次元が違う。やろうと思えば腕彦を飛び越えてレディを落とせる。ましてや、今あの女の雷は制限されているのだから。
(すぐに……ッ!?)
致命的なる回遊魚の魚影を捉えながら水を蹴る腕彦は、しかし一向に進まない身体に疑問を覚え……すぐに悟った。
あのドームの中。塩の【大戦士】は水を撒き散らして、その後は引きこもっているのだろうか?そんな無駄な真似をする人間だろうか?
(周りの水が、俺の確保をしている!あの男が何か……)
そう、その流体操作はグリゴリオの干渉だ。だが、塩を操作する能力で、何故?如何にして?その答えは……
「食塩水だぜ」
グリゴリオが塩の中でひとりごちた。
「俺がなんのために散々一帯を踏み荒らして回ったと思ってンだ?この水には塩化した床から塩が溶け出してる……その塩なら、操れるんだ、俺はな」
勿論、これは《塩害》の応用だ。精密ではなく、力も強くない。本職の液体操作能力には遠く及ばないが、真似事程度の力はある。少なくとも、この時、蠢く塩水は無類の硬さを誇る腕彦を完全に拘束していた。
そして、それは腕彦も悟っている。
(ほどけない……!)
彼の能力は純然たる
既に酸素も残り少ない。壊れ始めた脳組織に最後の命令を下し、腕彦はーー
ーーその左拳で、自らの胸を殴り付けた。
辺りは水だけだったが故に破壊することも出来なかったが、自分の肉体とて物質、殴れば衝撃が発生する。そして、周りは水だ。腕彦の肉体が自らの攻撃力で消し飛ぶのと同時、周囲の水も爆発した。
「な……ッ!?」
グリゴリオの塩ドームもまた予想外の圧力に消し飛び、地下堂の壁へと叩きつけられる。大量の水を呼び出したことが災いした。その質量は運動量を与えられ、比例してパワーへと変わる。地下堂が崩壊を始めるほどの。
崩落した瓦礫の合間を縫って、水が流れ、水位が下がる。爆心地で腕彦は光の塵へと崩れていた。
「クソ……何が?」
塩の鎧の欠片をはね除けて、グリゴリオが立ち上がる。そして、
「よくやったわ、腕彦」
レディ・ゴールデンが、言った。
「後少しで窒息するところよ……フルゴラ!」
「……gi!」
竜が牙を剥き、その尾を振りかざす。最大の雷撃の光がそこに、灯る。
そして、グリゴリオは水浸しだ。回避する時間もない。
「弾丸も伝導も要らない……直接、感電死するがいい!」
グリゴリオが状況を把握する。しかし、もう遅い。雷撃の準備は既に完了している。その驚きの瞳を優越感で見返して、レディは叫ぶ。
「《
「一手、足りなかったな……」
グリゴリオは呟いた。
「……お前」
「《サンダー・スラッシュ》ゥ!」
その瞬間。レディの頭上から落下してきたシマが彼女の喉を切り裂いた。
《賦羅素丸》。膨張の刀に切り裂かれた傷口は即座に膨らみ、脆弱な【金雷術師】の頸が裂ける。頸なしのレディが最後に残したのは、
「……」
雷の光ではなく、自らの死を示す光だけだった。
◇
「死ぬゥ……!」
「死なねえ。黙って回復しろ」
グリゴリオが落下死寸前のシマに言う。シマは不満そうに回復薬(静脈注射型)を自己投与した。
地下堂は惨憺たる有り様だった。水の三割ほどはグリゴリオが再回収したが、それでも水浸し。その上壁が崩れかかっている。
「地下での大規模戦闘は不味いな……最悪生き埋めの共倒れだ」
ここに留まることもあまりよろしくはあるまい。グリゴリオとシマは歩きだした。目標は……
「AFXとの合流だ」
「了解」
AFXの飛び込んだ穴はかなり様変わりしていたが、まだ奥の通路へと続いてはいた。瓦礫を塩塊に変えて蹴り砕きながら、グリゴリオたちは奥へ侵入した。
地下は冷たく、暗かった。生きていたのだろう照明も大水に破壊されて消えている。道を進んでいけば納骨堂のようなスペースは終わり、狭い隧道へと再び変わっていった。シマは灯りを灯そうと懐をまさぐり、そして何か思い出したように顔を上げた。
「おい、グリー」
「なんだ」
「忘れてたぜ……アレ、回収した方がいいだろ」
グリゴリオは眉を上げ、そして首肯した。
「仕方ないな。戻るか?……あ、あー、いいや、お前、戻って取ってきてくれ」
「おい、なんで俺が!」
「二人で戻ったら時間の無駄だろ。後から追い付け」
「……コインだ」
シマがリル硬貨を取り出し、投げる。グリゴリオが素早く言った。
「表」
「裏……チクショー」
シマが踵を返す。グリゴリオはそのまま、前へと進んだ。
地下道は下っていた。先の水攻めが流れ込んだのだろう、新鮮な水に濡れている。滑りやすい足元に毒舌を吐きながら、グリゴリオは目の前の扉を蹴破った。
溢れる水とともに中へと踏み込む。そこでグリゴリオは気づいた。
「クソ。この扉が閉まってたってことは……」
AFXはここを通っていない。
「途中で道を間違えたか……?だが、分かれ道なんて……」
グリゴリオは引き返し、そして立ち止まった。
目の前の暗がりには、少なくとも二本の地下道が隠れていた。更にその先にもうっすらと分岐が見える。
「……別行動は不味かったな」
グリゴリオは静かにため息をついた。
◇◆◇
□【偵察隊】AFX
足音が反響する。その中心を、AFXは走っていた。
息は荒い。全身の傷が、痛覚はなくとも違和感を主張してくる。
AFXは薬瓶を取り出し、少し考えてまた仕舞った。短時間に服用しすぎた。効き目はもはやほぼ無い。飲むだけ無駄だ。幸い、今はまだ走れるのだから。
地下の深部へと、坂を下っていく。途中で見つけた横穴に、AFXは躊躇無く飛び込んだ。こちらの方がより下の方へと潜っていたからだ。
扉を蹴破り、崩落を飛び越える。やがて灯りが増え始めた。恐らく、敵の中枢に近づいたのだ。
(<劣級>は魅力的だもの、ボスの説得で……)
レディの言葉がふと、脳裏に浮かぶ。AFXはそれを振り払うように速度を上げた。
ある筈がない。単なるつまらないジンクスを他人のせいにしているだけだ。彼女もそう言っていた。ジンクスを理由にメアリーを疑うなど、友情への裏切りだ。
「そうだ、きっと、絶対……」
AFXが左手を撫でる。彼の恐れの象徴、第五形態のメドラウトは常にそこにあった。
それも、もうすぐ変わる。そんな気がした。この恐れを克服したとき、彼の<エンブリオ>もまた決めるだろう。己の新しい形を。排撃か防御か、あるいは……第三の選択を。
地下道はより広くなっていた。汚水も少ない。人通りがあるのだ。
(近い……)
そう、期待に胸を躍らせながらAFXはまた扉へと近づく。蹴破る必要はない、鍵は開いていた。
重い取っ手を掴み、扉を引きずって開ける。軋む音が地下道に響き、AFXは思わず身構えた。
(もう少し静かにした方がいいかもな)
そんなことを思いながら扉を越える。そして、次の瞬間、
「やぁ!」
AFXは顔面を殴り飛ばされていた。
「ッ!?」
「あっ!」
驚いた声が響く。一瞬の後、黄金色の光が地面に倒れるAFXの全身を満たした。その使い物にならなかった右手も、治癒の光に癒されていく。
「ご、ごめん、普通に敵かと思って……」
「……メアリー!」
AFXが頓狂な声を上げる。
幽閉されていると思っていた。まさか出会い頭に出くわして鼻を殴られるとは……思いもよらない。
「ごめん、大丈夫?」
「あぁ、まぁ、平気」
実際、アシュヴィンの力でもう傷はなかった。むしろ健康になったと言っても良い位だ。久々に見た自分の右手を見つめながら、AFXはゆっくりと起き上がり、そしてメアリーの後ろに目をやった。
そう、所在なげに立ち尽くすトビア・ランパートに。
「……ッ!」
鋭く息を呑み込んだAFXが、即座に警戒体勢に入る。この顔を見るだけであのブラーの仮面が思い浮かぶほどだ。
(あの時、“自殺”と一緒にミンコスの店の前にいた子供!)
“自殺”の脅威はよく知っていた。この子供が【盾巨人】ブラー・ブルーブラスターと一緒にいたことも。紛れもなく、敵だ。
メアリー・パラダイスが、敵と一緒に行動している。
(地下を自由に……敵の子供と……誘惑、交渉、勧誘!)
頭が混乱する。口から出たのは、驚くほど単純な疑義だった。
「なんで、なんでその子供と一緒にいる……?」
メアリーが口を開く。それを制するように、AFXが叫ぶ。
「なんで、敵と、一緒にいるんだ!メアリー!」
メアリーは思わず、トビアを守るように前に出た。何か危ないと直感したからだ。
「待って!トビアは……」
それが分岐点だった。
頭の中で、レディの言葉が響く。
(<劣級>は魅力的だもの、ボスの説得で……寝返っても不思議じゃないわ)
あぁ、まただ。いつもこうだった。自分が上手くやれるだなんて、そんなのは単なる勘違いだったのだ。また壊れてしまった。この
AFXがその顔を歪め、まるで乞い願うような表情でメアリーを見つめる。AFXの前に立ちはだかる彼女を。
「裏切ったな、メアリー・パラダイス」
その瞬間、AFXの中で何かがごとりと音を立てて動いた。リソースが膨らむ。左手が熱をもち、静かに唇が開く。どのように言えばいいかは、もう知っていた。
「《
そして、血飛沫が弾けた。
To be continued