□【偵察隊】
アレックスは未だに覚えている。割れるガラスを。揺れる窓枠を。勢いよく叩きつけられるように閉まるドアを。ヒステリックに鳴るドアベルを。
家を出ていく母親の、別人のように見える貌を。
それが彼にとって、始めての裏切りだった。
◇◆◇
「《
AFXが厳かに言う。次の瞬間、彼の左手に光が灯った。
鮮やかな緑色の光だ。光を纏う紋章が蠢き、鼓動し、そして
現れたのはイバラを象った模様だ。毒々しい緑のそれが<エンブリオ>の紋章から延び、AFXの肌を走っていく。刺々しい輪郭が腕を、首を、頬を伝う。そしてAFXは顔を上げ、緑に染まった瞳をメアリーとトビアへ向けた。
「……逃げてッ!」
メアリーが咄嗟に叫ぶ。AFXは明らかに正気ではない。彼の能力ならレベル0のトビアくらい簡単にひねり殺せる。
「早く!」
「……わかった」
トビアは事態を把握しきれていないようだったが、それでもAFXの異様な威容は逃げ出すに十分だった。踵を返し、通路を走っていく。その足音を背後に聞きながら、メアリーはAFXを見た。
イバラに覆われた身体は沈黙していた。ただ絶望のままにふらふらと揺れ、力無く立ち尽くしている。トビアを追う様子もない。そしてその目が、ゆっくりとメアリーの瞳を見つめ返す。
(まさか、標的は……あたし?)
「AFX!」
メアリーが叫ぶ。
「聞いて!あの子は敵じゃないの、あたしは君を裏切った訳じゃない!」
その言葉に嘘はない。《真偽判定》にも物言いはさせない。
「約束した。そうでしょ?あたしは君を……」
そこでメアリーは言いよどんだ。AFXの表情は不気味なほど静かだ。穏やか、と言い換えてもいい。いつものあの臆病で、どこか不貞腐れているような感じは微塵もない。まるで……
「意識が……!」
その瞬間、呼吸が乱れ、AFXが飛びあがった。ナイフや銃を使うのではない。格闘術の片鱗すらもない、原始的な跳躍。
「……ッ!」
メアリーはそれを躱し、身体を低くした。復活したばかりのアシュヴィンがおろおろと周りを飛ぶ。それを鋭く叱りつけながら、メアリーは油断無くAFXを見つめた。
まるで動物のようだった。ゆっくりと息を吐きながら床に手を突き、半立ちになる。その両手がやがておもむろに掲げられ、
「……!?」
指が白くなり、呼吸に異音が混じる。間違いなく本気の絞殺だ。
「なんで……自殺を!」
メアリーが狼狽え、とにかく止めようと走り寄る。そして、
「かっ……は……」
メアリーの両手もまた、彼女自身の喉を締め上げていた。
見下ろせば、その腕をAFXのものと同じ新緑のイバラ紋様が這っているのが分かる。いつの間にかは不明だが、イバラはメアリーをも能力の射程に取り込んでいたらしい。明らかにメアリーのものではない意思で、その腕は動かされているのだ。操作しているのは……
「AFX……いや、メドラウトか……」
全力で抵抗しながらメアリーが呟く。少女は息を荒くしながら、首から自分の両手を引き剥がした。
「自分の“動き”を相手に押し付ける能力……でも、絶対じゃない」
AFXの膂力は決して大きくない。メアリーの力なら抵抗できる。自殺を図ろうとする指に引き続き拒否の命令を送りながら、メアリーが一歩AFXに近づく。
恐らく、メドラウトは第六形態へと進化している。その引き金を引いたのは先だってのやり取り、そしてこの現象は必殺スキルへの覚醒。
メドラウトの能力は大雑把に言えば、共通点を見出だすこと、仲間と敵対することへの対抗。そして、現在起きていることはある意味、その真逆だった。
対象者の身体に、AFXのものと同じ動きをさせること。それは相手に共通点を作り出す能力であり、生死の同期。AFXの死人のような無表情が雄弁に語っている。そう、
『
「でも、そんな願いは聞けないよ……!」
メアリーがまた一歩、ぎこちなく動く。
彼女の身体は彼女のものだ。恐らくこの強制力にもメドラウトの強化が乗っているが、それを加味してなお彼女の方がまだ強い。意識さえしていれば、己の意思で動ける。
「このまま……間合いを詰めれば……」
AFXの所へ辿り着いて、そしてどうする?メアリーは思わず、眼を逸らした。
彼を殺すことは出来るだろう。アシュヴィンだってまだ生きている。だが、それは果たして大団円だろうか?他に目指すべき結末があるのではないか?
メアリーが立ち止まる。AFXは相変わらず自分の首を絞め続けていた。愚直に、盲目的に、絞め続けていた。
そして、唐突にアシュヴィンが墜落した。
2体の腕は突如、飛行を戒められたように石床へと墜ちた。メアリーが驚愕に眼を開く。
「これは……」
アシュヴィンたちが踠く。だが、その体躯は完全にイバラによって覆われていた。黒と金の装甲を緑が汚していく。押さえつけられているのだ、
「……ッ!?」
思わず駆け寄ろうとしたメアリーの脚を、何かが掴む。視線を落とせば、地面の彼女の
それが動く。平面的だった筈の紋様がめくれ、浮き上がり、輪郭を成す。いつしかその紋様はがさがさと葉擦れの音すら獲得していた。
メアリーの脚を捕まえているのはそれだ。まるで手、腕のように変じたイバラの塊。それが、ゆっくりと身体を起こす。肩が、胴が、胸が、そして……頭が産まれる。
彼女は思い違いをしていたのだ。メアリーが本気になれば、AFXを止められる、倒せる、殺せる、彼はメアリーより弱いのだから……それは果たして真実だろうか?否、彼と彼のメドラウトは決して……少なくともこれから起こることは、単なる児戯ではない。《
緑の“それ”がゆっくりと、顔を上げる。イバラの象るその顔面は、確かにメアリーの顔と同じ顔をしていた。
準備は整った。“
◇◆◇
□■冶金都市・地上・市庁舎跡近辺
キュビットたちはどうにか目的地周辺まで辿り着いていた。機体の内部はこの上なく狭く、手足を伸ばすことすら覚束なかったが、雨は凌げる。
【降水王】の存在を知らずとも、彼らとてもう雨のギミックには気がついていた。その動作の詳細も。雨に当たらない時間が続けば、重力は少しずつ戻ってくる。
だが、【マーシャルⅡ】は破壊寸前だった。
「このッ!木偶どもが!」
モハヴェドが悪態をつき、ハッチの隙間から拳銃を発砲する。ユーフィーミアが硝煙の匂いに顔をしかめた。
この機体を取り囲んでいるのは街に放たれた人形兵たちだ。ぎらりと光る硬質な刃は、少しずつ【マーシャルⅡ】の装甲を蝕んでいた。特に脚部の損傷が激しい。遠からず擱坐してもおかしくはない。
ここにいる人間にフレキシブルに大火力を運用できる能力者はいなかった。人形たちは硬く、強い。生命体ではないのでたとえ頭を撃ち抜いても止まらない。
「キュビットさん!」
ユーフィーミアは擦りむきかけた掌で操縦桿を握りながら言った。
「わたし、思い付きました!共振です共振!あの人形を、共振破壊で一網打尽に!」
「無理だよ……」
キュビットは肩を竦めた。
「共振で破壊ッてさ……少なくともあの金属の固有振動数が分かってないと出来ないし、たまたまそれを当てられても、固有振動数は材質だけじゃなく形状や質量の影響を受けるんだよ。人形が動けば変わる。ヤマビコの能力じゃそこまでの対応は出来ない」
「そうですか……」
ユーフィーミアはため息をつく。Ⅳ世がコクピットの奥で潰れながら呟いた。
「いざとなれば儂が出て全て壊すが……ウーム、ここで使ってよいものかどうか」
ゴルテンバルトⅣ世の
「私のサトリは今これにかかりきりですし、そもそもあの人形相手じゃ心も読めないし……」
ユーフィーミアが嘆息する。打つ手なし。それを確認しただけだ。
そしてその瞬間。右の脚部フレームが、ガタリと音を立てて崩れた。
「ウ、ワ!」
【マーシャルⅡ】がつんのめり、前傾姿勢で石塀に衝突する。中古のエアバッグが動作不良で破裂した。
「不味いぞ!」
傾いたハッチから身を乗り出してモハヴェドが叫ぶ。眼下では、人形たちが手を伸ばしていた。
「囲まれた……」
「儂がやらざるを得まい」
Ⅳ世が身体を起こす。
この四人のうち前衛で戦えるのはⅣ世だけだ。その老騎士とてこの数相手では長くは保たない。ゆえに、Ⅳ世は両手の素手を掲げた。
「皆、儂が彼奴らを<マジンギア>から引き離したら、市庁舎のほうへ走るのだ」
「Ⅳ世さんは……?」
「儂は囮だ。シバルバを使えば引き付けた人形どもを一網打尽にも出来得る」
そう言うと、Ⅳ世はコクピットハッチをすり抜け、地面へと飛び降りた。
鎧を雨粒が打ち、人形たちががしゃがしゃと鳴る。その一体を斬り捨てながら、Ⅳ世は走り出した。
「人形よ!このゴルテンバルトⅣ世が相手……」
しかし、人形はⅣ世を襲わなかった。扁平な顔はいずれも老騎士を無視して、【マーシャルⅡ】を見ている。流れる水のように、人形の群れはⅣ世の傍らを通り抜けていった。
「何故……!」
Ⅳ世が狼狽える。
「何故襲わぬ!」
人形は答えない。だが、彼らの主は遠く離れた地下でほくそ笑んでいた。
見え透いた陽動など、襲うに値しない、と。
「明け透けに過ぎたか……!」
それを悔いてもしょうがない。Ⅳ世が背後から人形たちに襲いかかる。
「されば、こうだ!儂を無視して只で済むと思うか!」
金属がひしゃげ、刃の音が鳴る。だが、人形の数が多すぎた。
人形たちがコクピットハッチに迫る。先頭の一体が脅すようにカタカタと頭を揺らした。眼も鼻もない、無機質な貌を。
「……絶体絶命?」
ユーフィーミアがそんな惚けた台詞を吐き、そしてモハヴェドがその人形を蹴り落とした。
「くそ!」
脚を引っ込める。人形兵の鎌に引っ掛けたらしい、その脹脛には紅が滲んでいた。
「移動……逃走……反撃……あぁ!」
キュビットがぶつぶつと喚く。打開策はない。こうしている間にもⅣ世の身体は再び重力を奪われて空へ墜ちようとしている。
「何か、策を、策を……」
打開策は、ない。
彼らに打てる手札はない。【高位傀儡師】ファティマとて、限定的ながらこの状況では準<超級>に比肩する能力者。【降水王】の雨と合わされば、一般レベルの<マスター>やティアンとはそもそも地力の……リソースの桁が違う。
だから、この状況を打ち破るのは……彼らではなかった。
◇◆
突如、轟音が響く。何か硬いものがぶつかる衝撃音だ。
それは近づいてきていた。中破した【マーシャルⅡ】の右後方、石塀の奥からだ。断続的に、その鈍い音が轟く。次の瞬間、石塀が粉々に砕けると共に、ひしゃげた金属人形が塀を突き破った。
その後ろから、足音が聞こえる。
「……」
現れたのは、砂漠の民が用いるような日除け布に身を包んだ、大柄の男だった。左手には紋章がない。黒い髪が僅かに溢れている。大きなサングラスの奥には、鷹のように鋭い眼差しが赤く光っていた。その眼が手元の黒く錆び付いたコンパスを見、そしてⅣ世を見る。
「お前は……違うな」
人形たちは躊躇わなかった。この闖入者は明らかに敵だ。その腕部フレームに仕込まれた鎌を叩きつける。だが、
「……」
その鋭い刃は、ティアンの男に傷ひとつつけられなかった。
男が歩みを進める。その瞳が、今度はユーフィーミアを見る。
「違う」
モハヴェドを見る。
「違う」
そして男はキュビットに眼を向け、持っていたコンパスを懐に突っ込んだ。
「……お前が、【司令官】ビビッド・キュビットだな?」
キュビットの肯定を待つことなく、男は背中に背負っていたものを下ろす。そこでキュビットたちは、男が長大なケーブルを引きずっていることに初めて気がついた。
視線を遠くに向ければ、聳える巨大な外壁の上を乗り越えるケーブルが見える。
(まさか、全部の壁を乗り越えてきたのか……?)
数台の人形がケーブルを切りつけ、男の身体と同じく弾かれる。それを見もせずに、男は言った。
「届け物だ。……テレサ・ホーンズから」
「テレサさんから?あんた、誰だ?」
キュビットが尋ねる。サングラスの男は短く言った。
「……【
(王……ティアンの超級職か!)
だが、それだけ言って、男は押し黙った。キュビットは再び尋ねた。
「……名前は?」
男は小さく舌打ちした。
「下らん質問をするな……殺すぞ」
「言いすぎだろ」
キュビットの呟きを黙殺し、サングラスの【運搬王】は背後の荷物をぞんざいに差し出した。
キュビットがコクピットから【マーシャルⅡ】の陰の地面におずおずと飛び降り、泥濘に着地する。その泥はねを殺人鬼のような目線で睨み付けてから、【運搬王】は荷物をほどいた。
現れたのは、通信機だった。それも有線通信の大型だ。黒々とした箱に受話器が折り畳み格納されている。その受話器を引っ張り出すと、【運搬王】はキュビットに向かってそれを石礫のような勢いで投げつけた。キュビットがよろめく。
その背後から、人形たちが鎌を振り上げた。
「うぉっ!!」
キュビットが紙一重でそれを躱す。人形は泥濘を踏みつけにしながら追撃を開始した。
「くそ、この!」
キュビットが叫ぶ。その頭へ刃が迫り……
「木偶が」
【運搬王】の掌がそれを止めた。
鋭い刃をもろに掴んでいるのに、その掌からは血の一滴も落ちはしない。防がれているのだ、【
「俺の仕事を邪魔するな……!」
言うが早いか、【運搬王】は人形の頭を鷲掴みにした。金属製の人形は罅一つなく逆にその手を切りつけたが、やはり弾かれる。
【運搬王】は人形を持ち上げると、その躯体を振り回して別の人形を吹き飛ばした。
膂力が高いわけでもない、特殊な術を使うわけでもない、ただ己の硬度のみにものを言わせたごり押しだ。だが、この場においてその戦術は間違いなく人形たちの戦線を崩壊させた。傷を負わないのだから、あとは動きのぎこちない木偶たちを“退かせる”だけだ。
「面倒な、仕事だ!」
人形たちが吹っ飛んでいく。破壊こそされていないが、【運搬王】の堅牢さに人形たちは尻込みをしていた。それを殴り、蹴り飛ばしながらサングラスの【運搬王】が呟く。
「俺は非戦闘職だぞ、こんな荒事をやらせやがって」
「……嘘でしょ?」
キュビットが首を傾げる。【運搬王】は三白眼でキュビットを睨み付け、地面に何かを叩きつけた。
「……《ハイ・キネティック・レジスト・ウォール》」
【ジェム】が弾け、辺りに魔法の障壁が広がる。外から人形たちが結界を叩くが、高等な海属性結界魔法は小揺るぎもしない。内側に巻き込まれて暴れる人形を放り投げながら、【運搬王】は言った。
「掃除は済んだ。アフターサービスは終わりだ。さっさと喋れ。俺は早く帰りたいんだ」
勤務態度に問題がある。キュビットはそう口の中で呟きながら受話器を手に取り、直通通信ボタンを押した。【運搬王】の能力でいかにしてか
◇◆◇
『ハーイ♪調子はどう?』
「まずまずですよ」
テレサ・ホーンズの明るい声に、キュビットは面食らったように眼を細めた。
「通信妨害を抜けてこられるとは思いませんでした」
『あら。当然よ。この私だもの、途絶してから直ぐに最寄りの中継施設から有線引かせたわ』
当然だ。動き回るドラグノマドから直接ケーブルを下ろすわけにもいくまい。
『で、知らせときたいことがあるの。まずグランバロア。黄河とのあれこれを建前に、陸上で戦力となり得る<超級>をカルディナに全員投入……バチバチの宣戦布告ねぇ、このせいでどこも大忙しよ』
実際、通信の向こうでは微かに喧騒が聞こえていた。
『まぁそんなだから応援は期待しないでね?で、ここから本題』
テレサは言葉を切り、
『【
ドラマチックに告げた。
「それって……」
『苦労したわよ。十二、三個は規定を破ったわね。方々探し回ってようやく……』
テレサは欠伸をした。
『コルタナ行政のクラン管理課に記録のコピーが残ってたの。先だってのゴタゴタに紛れて入手出来たわ。ウー……彼は二年前にクランを結成してる。構成員はウー本人と現【降水王】ユーリイ・シュトラウス、そして、大量のティアンの技術者』
「技術者?」
『主に生物学や医学、生理学の方面ね。あと魔術系の学者も山ほど……彼らは協力して、とある研究を進めていたそうよ』
「研究って……どんな?」
キュビットの質問には答えずに、テレサは静かに言った。
『クランの登録名称は……<プロジェクトE-02>』
「E……<
<エンブリオ>の研究……もしかすると、再現。
それが<
「そのメンバーは……?」
『メンバー?』
通信の向こうで資料を繰る音がして、テレサは言った。
『全員、行方不明よ』
「それって……」
キュビットが息を飲む。
「消されたってことですか?一人残らず!?」」
『……プロジェクトに参加していたティアンの研究員は四十八人。その全員が消息不明、死体はない。そもそもクラン登録情報の原本自体が、
つまり、真相は闇のなかだ。恐らく全員死んでいるのだろうが。だとすれば、ここまでウーの存在が露見しなかったことも説明がつく。
『ただ、少し気になることがあるの』
テレサの調子が変わった。
『冶金都市の完全通信途絶はある程度ニュースになってるわ。通例、付近の都市の軍に警戒配備が要請されるはず……それが、今回は全くないの。対グランバロアに支障を来すって建前でね』
「それは……」
『おかしいと思わない?<超級>なんて特大戦力に警戒するのは分かるわ、でもだからってこの事態を放っておいて良いわけがない。各都市の軍備は基本的に自治権の範疇よ、もしそれを飛び越えて“政治的な意向”を効かせられるとしたら……』
テレサが言い澱む。キュビットも驚きに声を揺らした。
「……カルディナ上層部の意向があるってことですか」
『私の権限レベルでは大した根拠はないわ。グロークスを捨ててどんなメリットがあるのかも理解できないしね。けれど、気をつけて』
テレサは真面目な声で言った。その声が少し緩む。
『ま、
「彼?」
『会ったでしょ?【運搬王】のセ・ガンよ、気難しいヤツ』
果たして気難しいで済ませて良いものか、キュビットは迷いながら受話器を【運搬王】に渡した。怪訝そうな顔から何かを察した表情に変わりながら、サングラスの男は受話器を受け取った。その顔が更に険しくなる。
「……俺だ。断る。勤務は終了だ」
【運搬王】が唸る。
「……あぁ、そうだ……だが、それは貴様の都合だろうホーンズ。その手の話は別件として受けるかどうかを改めて検討する。そして検討の答えは却下だ」
【運搬王】は深すぎて吐くのじゃないかと思う程の深いため息をついた。
「……いや。……あぁ、だがそれは……とにかく、お断りだ。選択権は俺にある、そうだろう」
テレサが何事か叫ぶ声が漏れ聞こえ、【運搬王】も憤懣やる方無しといった様子で叫んだ。
「……ホーンズ!」
受話器を投げ棄てる。通信が切れたらしい、沈黙する受話器を、【運搬王】はその視線だけで人が殺せそうなほど睨み付け、石のように沈黙した。数秒経って、その首が動く。
「実に不本意だが」
そんな断りは必要ないほどの渋面で【
「
「あ、あぁ、実に……頼もしいよ」
キュビットはそう言って、深く頷いた。
◇◆◇
□■冶金都市・地下
「おォ、あったあった」
独り言を溢しながら、シマは薄ピンクのハンカチで水と瓦礫に埋まったそれ――<劣級エンブリオ>を拾い上げた。
腕彦とレディ・ゴールデンの肉体は彼らの死亡に伴って消失……管理Al一号の元で再構成フェーズへと入っているが、その身体に棲み付き隷従していた寄生体、<劣級>はその範疇にはない。純粋に別の生命体として同じ場所で沈黙していた。それを鹵獲することにはそれなりに意味があるだろう。
シマは膝まで砂交じりの水に漬かりながら、手に入れた二種の<劣級>を気味悪げに眺めた。当然だ、ヒトに寄生する生き物に親しみを抱けるはずも無い。
だが、その戦力は本物だ。シマは思った。
力を“増やす”手立ては幾つかあるが、どれも容易くはない。特典武具は<UBM>との会敵が難しく、何より特殊能力を持った怪物に勝利することが求められる。超級職とて黎明期ならいざ知らず、未だに発見されていないものは相応に解禁条件が厳しい。先々期文明の武装や古代の遺物という手もあるが、そんなものは特殊な伝手か天運でもなければ手に入るまい。
そして、<
(ウーに尻尾を振るだけで獲れる力、そう見れば悪くないだろう。寝返りは幾らでもあり得る……特にティアン社会との結び付きが弱いやつは)
更に言えば、別にひとつだけとも決まっていないのだ。
<
物思いに耽るシマはしかし、いい加減足を覆う冷たさに辟易して、少し小高い瓦礫の上に上がった。足元の水は既に動きを止めていた。崩落した瓦礫に溜められているのだ。
シマは気力を無くしたように、その止水を眺めていた。崩落の音は止まっていた。そして、水面を微かな波紋が揺らす。
次の瞬間、シマは
「出てこいよ」
微かに、チリのようなものが舞う。そして、空間が揺らめき、
「……良い勘をしてる」
剣豪が現れた。
朱の着流しは今しがたの一閃で袂が浅く傷ついていたが、皮も肉も斬られていないのは、剣豪の強さの証明だろう。そう、
「【剣聖】
「おいおい、名乗りくらいこっちでやらせろよ」
無遠慮に《看破》されて、剣豪が笑う。シマもまた薄い唇を歪めた。
「回収に来たかィ?大事なもんだろうからな、俺がとっといてやったよ」
柄を握ったまま、指二本だけでハンカチに包んだ<劣級>を見せる。
「で、これ返したら帰ってくれるのかな?」
十三が頭を振り、肩を竦め、そして刀を抜き放つ。
「……いや、それはダメだなあ」
だろうな。シマは納得した。
(こいつは俺と同じ……戦闘を楽しめるタイプの人間だ)
見れば分かる。喜色を隠せていない。理由を探してまで闘う人種だろう。
つまり、相手にとって不足無し。
十三もそれを分かったのだろう、空気が張り詰める。間合いはおよそ五メートル。お互い二歩で詰められるだろうか。
だが次の瞬間、十三の姿は掻き消え、
「……ッ!?」
〇.五秒後。剣を中段に構える十三はシマに肉薄していた。
(瞬間移動だと!?)
だがシマとて素人ではない。視界に捉えたなら斬り結べる。即座に手首を返し、振り下ろされる刀を片手の<エンブリオ>で受ける。鈍く光る刃が触れあう。
そして、十三の刀がシマの刀を半ばから断ち切った。
「……ッ!おいおい、マジかよ!」
鮮血が飛び散る。シマは敢えて足の力を抜き、身体を後ろに転ばせた。胴を寝かせたまま瓦礫を蹴り飛び、身体を逃がす。
もし一瞬でも遅れていたら斬られていた。肩から腹まで綺麗に開かれていただろう。
十三は油断無く、振り抜いた刀を構え直してシマを見ていた。シマもまた警戒心を漲らせ、肩の傷から流れる血を拭う。落ちた赤色が足元の水を染めた。
間合いは再び二歩ずつの遠間。だが、それがあまり安心できない数字であることをシマは既によく理解している。
「瞬間移動……空間系の能力か?」
自分で言っておいて、即座にシマは自嘲した。そんなことを尋ねて何になるというのか?
(我ながらマヌケな台詞だぜ。仮にも剣士の握った上級アームズを!って聞くのがホントだろーによォ)
TYPE:アームズの破壊はただ事ではない。しかも……シマは素早く目を落とした。断ち切られた刀の切り口は、酷く滑らかだった。
(捻じ切る、砕く、へし折る……そういう形じゃねェ、これは……“切れ味”!)
「気になるか?」
十三が笑う。その手の刀がギラリと光った。
「妖刀【
故に<エンブリオ>の切断も容易い、と十三は嘯いた。
「むろん妖刀の
最も少しの間なら影響は軽いし、そこまで喰わせる前に使いやめる腹積もりだが。と、十三は微笑みながらのたまわった。
シマは笑わなかった。代わりに鋭く目を細める。
「やけに親切だなァ……随分喋るじゃあねェーか」
自分の能力を開示することは完璧にマイナスだ。逆に、それを発動条件にする特性もないではない。そしてその手の能力は妙にトリッキーなものが多い。
だが、十三は愉快そうに首を振った。
「罠ではないとも。教えてやろうと思ったから教えた、それだけだ」
その笑みが、裂ける。
「俺が欲しいのは闘争と勝利。慌てふためいたお前さんを苛め殺しても何も愉しくはないだろぅ?」
さぁ気を持ち直せとばかり、挑発的に【剣聖】が刀を振る。シマのまなじりがつり上がった。
「……てめェ、ナメてんじゃねェぞ?」
その左手が断ち切られた刀を格納する。一刀流のシマもまた中段に刀を構えた。
(一本になったが……残ったのは膨張の《賦羅素丸》。一太刀当てりゃそこから身体がめくれあがる)
「股裂きにしてやるぜェェ、キヒャア!」
その言葉が終わるより早く、シマが走り出す。巴十三も応じて大地を蹴った。その輪郭が消失する。
(また消えたか!だがよォ……)
シマは慌てない。狼狽えない。AGIは全開だ。その速度を緩めること無く、【疾風剣士】は刃を振り抜いた。金属音が響く。
「……やっぱりな」
消えたはずの巴十三が、その刃と斬り結んでいた。
「その瞬間移動は空間系じゃねえ。
「ご明察」
そう、【剣聖】巴十三のやったのは空間干渉ではない。なんのことはない、姿を消しながら一瞬で動いただけのことだ。それを可能にしたのは……彼の武装。
「足元の靴。あんときの猿どもの能力だな?他にも積んでンだろーがよ……<劣級>込みか!」
革靴型伝説級特典武具【沈黙沓 シャットアップエイプ】、能力特性:消音。
首飾り型逸話級特典武具【明滅玉飾 シラヌイダユウ】、能力特性:透明化。
腰帯型逸話級特典武具【踏破霊糸 ユメアルキ】、能力特性:悪路歩行。
足輪型<劣級エンブリオ>【劣級加速 ラシカ】、能力特性:瞬発加速。
十三の瞬間移動はこれらの並列起動による技だ。ひととき姿と物音を隠し、その隙に途轍もなく高速で跳ぶ。結果として、“瞬間移動”が出来上がる。だから、シマのようにその軌道を読んで剣を振るえば当たりもする。
だが、そんなことは問題ではないのだ。
(特典武具を複数……こいつ、マジでやベェ)
<劣級>は力だ。ホンの少し、
恐らく、この【剣聖】巴十三もそのような手合い。
(こんなやつをノーマークだったとはよォ……)
「……どうした?」
シマの沈黙に、十三が梟のように顔を傾ける。
「怯えているのか?」
「ハッ!んなわけあるかよ!」
シマが吠える。
「命のやり取り!死線!上等だぜェ、考察は十分だ!斬り合おうじゃねえか!」
「……そりゃあいい。やっと身が入ったか?」
「言って……」
シマの身体がたわむ。
「……ろォ!《サンダー……!」
【疾風剣士】が飛び出した。後ろで瓦礫が崩れ落ちる。
動きを読まれることは織り込み済みか、巴十三も今度は“瞬間移動”をやるつもりはないらしい。代わりに、その口が動く。
「【劣級加速】、《ラッシュ》」
「……スラッシュ》ァ!」
シマの剣が言葉すら追い越して風を切り裂く。だが、それは空振りだった。
躱されたのだ、確実に芯を捉えた一閃を。
「な……ッ!?」
シマが驚愕する。その目には、信じられないものが映っていた。
目にも止まらぬスピードで移動する、【剣聖】巴十三が。
波紋が走り、瓦礫が動く。その全てがまるで同時多発的に起きたようにすら見えた。地下を見渡すシマの視線より、視覚より、認識より、速い。
「これは、腕彦の真逆……AGIを倍加して……ッ!」
シマが踏み込み、刀を振る。一発当たればそこから“膨張”して弾け飛ばせる筈だ。
だが、当たらない。いまや十三の影すら捉えられない。AGI型としてそれなりの筈のシマですら、遅すぎるのだ。
「このッ!」
袈裟懸け。唐竹割り。逆袈裟。切り上げ。突き。あらゆる手を尽くし、エビングハウスを滑らせる。だが、それでも届かなかった。刀を振るより速く見切られている。そして、
「《レーザーブレード》」
シマの正面。突如減速した十三が加速の世界から飛び出し、光り輝く刃でエビングハウスが斬り飛ばされる。更に返す刃で、十三はシマの首を……骨もろとも断ち斬った。
血は零れない。切り口はまるで斬れていないかのごとく、ぴたりと吸い付いている。【明霊】の鋭さの証明だ。
『
十三の
「ホンの十秒間だけだ。倍加率も大したことはない。が、それでも俺にとっては大きい助けだ」
《解放》された<劣級>の力、そして、彼の【剣聖】としての
シマの首がぐらりと傾く。紅い線が、ようやく頚元に滲んだ。
「にしても、“命のやり取り”か。軽いな、言葉が軽い。だから
そこまで言って、十三は押し黙った。シマの首は血反吐を吐き、胴から離れた。水面へと落ちる首が、十三を見る。
その左手を。
「お、前……ティアン……」
刀が閃く。シマの首は水に触れるより前に、光の塵になった。
To be continued