星と少年   作:Mk.Z

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第十八話 ジャンク・パンク・行軍(パレエド)

 □■冶金都市グロークス

 

 最悪だ。最悪の状況だ。生まれてこのかた、これ程ひどくなった試しはない。

 グロークス市長マンドーリオ・グラマンは、苛々と爪を噛んだ。

 最初は、単に<エンブリオ>……憧れの力を手に入れたかっただけだった。情報を探らせ、コンタクトをとり、あとは市長としての莫大なポケットマネーで協力を取り付けられるはずだった。

 それが今や、逆に脅迫され、共犯者に仕立てられ、あまつさえ“クーデター”ときたものだ。カルディナへの反逆者がどうなったか、彼も統治者の家系、記録に残らない顛末を耳にしている。死ぬより酷い目にあわされるかもしれない。ひょっとするとペルヌ送りにさえ……

 街を傾けて資源を供出したことも不味い。これまでグラマンが抑え込んでいた反グラマン派の商家を核に、己の派閥からも離反者が出ていた。あのテロリストどもがグラマンと繋がっていることなど、知っているものは知っている。

 そう、最大の問題は、逃げ道がないことだった。彼の活路は【教授(プロフェッサー)】ウーの計画が成功した先にしかない。

「成功すれば……成功すれば、私にも<エンブリオ>が……」

 グラマンは不安から逃れるため、甘い想像に酔おうとした。力を手に入れた自分。紋章を手に入れた自分。世界に愛される彼らと同じになれた光景を想像する。

 

 もしそうならなければ、彼は破滅だ。

 

 カルディナ征服にも世界征服にも興味などない。都市の長として富を集め、あとは<エンブリオ>があれば完璧だった、それだけなのだ。自分以外の人間の欲のために裁かれることなど、この上なく耐え難い。

「……」

 グラマンは立ち上がり、執務室の窓から外を眺めた。

 市庁舎は爆破され倒壊していたが、あくまでそれは中央ブロックだけのこと。周囲の設備は無事であり、グラマンの居住スペースも残っている。地下への通路も。

 それを目当てに今、敵が近づいてきている。モハヴェド、そしてカルディナ中央の依頼を受けた<マスター>たち。

 排除せねばならない。グラマンは腹を括った。ウーに見放され、使い捨てられるのだけは御免被る。何のためにここまで苦痛に耐えてきたのか。

「排除、排除だ」

 グラマンが上ずった声で呟く。

「私への“害”は!すべて、排除だァ……!」

 

 ◇◆◇

 

 □■グロークス市庁舎

 

 崩れかけた建物に、雨は降り注いでいた。白い石材は粉々に割れ、微かに火薬の匂いが残っている。

 半壊した瓦礫の周りを兵士たちが蟻のように動いていた。雨粒にも怯むことなく、銃を手に、軍靴を鳴らす。

 都市各地で戦乱が起きているのは彼らも知っていた。知った上で無視しているのだ。

 上官の命令は絶対であり、そして崇高なる目的(エンブリオ)のためにグラマン市長の意思を遂行するという大事もある。多少の流血はやむを得まい……というのが建前だった。

「……おい」

 兵士の一人が口を開く。もう一人の憲兵も頷くと、その銃口を上げた。

 人影が見える。どこか怪しい足取りは薬物中毒者(ジャンキー)のそれとよく似ていた。その影が一歩、近づく。

「止まれ!」

 憲兵は叫んだ。

「このエリアは現在我々グロークス憲兵の警戒下にある!速やかに立ち去れ!」

 銃口が鈍く光り、引き金に指が掛かる。それを気にも留めない様子で、人影はまた一歩近づいた。

「警告終了!発砲する!」

 雨にくぐもった銃声が響く。硝煙は湿った風に重く沈み、二発ずつ、四つの銃弾は人影の頭と胸に命中した。

 

 そして、弾は虚しく弾かれた。

 

 暗がりから、人影が歩み出る。ヒトの形をしているのは輪郭だけだ。化粧釘のように鋲を打った銀色の身体、扁平な顔面、軋む関節。一人だけではなく、後ろから続々と。

 それは、ファティマの人形たちだった。

「……ッ!なんだこいつらは!」

 兵士たちがたじろぎ、続けざまに発砲する。だが、鉛の弾は小石のようにあえなく防がれ、人形たちはそれを引き金にしたように、腕から刃を引きずり出した。

「……敵襲ゥーー!敵襲だッ!」

戦闘人形(キリングドール)多数!非常に堅牢!」

 憲兵たちが蟻の巣をつついたように騒ぎだす。小銃などというもはや効果の見込めない武器を怠惰に撃ち続けるほど、彼らは愚かではなかった。

「迫撃砲、構えェーーッ!」

 二百メテルほどの距離を空け、歩兵部隊が空へと砲口を構える。

 【MW088トレンチモルタル】。ドライフから輸出された、数世代前の携行武装である。総合性能では最新型に一段劣るが、現在でも信頼性と安定性に優れる武骨な逸品だ。

 花火筒のようなそれらが一斉に炎を吹く。ずんと腹に響く音を立てて空へ上がった砲弾が、雨に混じって人形たちへ着弾した。

 銀の人形たちが吹き飛ぶ。歪んだフレームと破断した手足が耳障りな音を鳴らしていた。だが、それでも人形たちは止まらない。

「敵、接近してきます!」

「前線後退!距離を取れェーーッ!」

 小銃の弾幕とともに、部隊が下がる。後方では素早く迫撃砲を展開した歩兵たちが第二射を敢行した。

 そして、そこが限界だった。怒れる人形軍が迫撃砲の射程の内側へと踏み込む。これ以上の砲撃は味方にも被害が及ぶ状況だった。人形の砕けかけた頭が、がちがちと鳴っていた。

 中近距離戦闘に頭を切り替えた兵士たちが次々と走り出す。端にいた一体、特に損傷の大きい人形は、飛びかかる兵士たちに押さえつけられて鈍い音を上げた。

 背中に馬乗りになった兵士がホルスターから大きな釘を引き抜き、鈍く尖るそれを人形の首筋へと無理やり押し込んだ。人形が悲鳴を上げるように異音を立て始める。

「……逆探知、成功。やはり【傀儡師】系統の人形と推定。攻性魔術障壁(ファイアウォール)なし、ダミーの反応もありません」

 傍らの兵士が大振りのチェーンソーを持ち上げ、壊れかけた人形の首と手足を素早く落とす。駆動部を断ち切られた人形は、主人に見捨てられてか、即座に沈黙した。

「……【傀儡師】か。なら、操作している本人が付近に居る筈だ。位置は?」

「はい。操作者位置、出ました……」

 兵士が絶句する。

「……凡そ、南下方、直線距離四〇〇メテル!」

「バカな、装置の故障だ!」

 上官が狼狽えたように言う。そのもとへ、新米の若い兵士が駆け寄ってきた。雨を蹴立てて、足元で破裂音が鳴っている。

「た、大佐ァ!」

「作戦行動中は隊長と呼称しろ!……で、なんだ」

「はい、あちら……北側エリアより通信で……!」

 全力疾走してきたのだろう新米兵士は息も絶え絶えに言った。

「<マジンギア>……所属不明の【マーシャルⅡ】が一騎、警戒域に侵入した模様です!」

「な……ッ!」

 上官……カーヴル大佐が青ざめる。その後ろで、人形が銀色の鎌を振り上げた。

 

 ◇◆

 

「やはり、グロークス軍は連携が取れていないな」

 戦域から少し離れたアパルトマンの上。【運搬王】は一人呟いた。

 これはキュビットの作戦だ。人形の振る舞いは明らかに“<劣級>勢力”に属している。市庁舎で憲兵たちも混乱していたことから、敵方は一枚岩ではないということが予測できる。

 人形をグロークス憲兵隊のところまで誘導すれば、後は勝手に戦い合う筈だ。その戦闘を陽動代わりに、手薄になったところから市庁舎に侵入すればいい。強襲の足はある。

「……とか、言ってたか。どうでもいいが」

 人形たちと憲兵はいまやら近距離で混じり合って戦闘を行っていた。ナイフや斧が閃き、人形もまた仕込み刃を震わせ、光らせる。戦況は、ファティマの人形に有利なようだった。近接戦闘に持ち込まれれば人形に分がある。何せ急所がない。倒すには駆動部を破損させるのが一番だが、相手の刃の間合いでもある近距離でそれをこなすのは難しい。

「まぁ、市内で迫撃砲ってのもどうかと思うが。一応ここは市街地だろうに」

 【運搬王】はため息をついた。彼の故郷の都市は戦争で亡びたのだ。戦火に良い思い出などない。

 見通せば、憲兵たちが傷を負って撤退していくのが見えた。巧くやれば、集団戦で戦死は少ない。それでも、その光景は血なまぐさい。

 硝煙が舞い、弾丸が飛び、それを雨が洗い流していく。そんな中、兵士たちの動きは確かに変わり始めていた。

 歩兵が消極的に攻撃を繰り返し、少しずつ退き始める。それも、ただ後方に下がるのではなく、中央を空けるように横へ退いていく。そして石壁の向こうから、巨大な戦車が現れた。

 【運搬王】は思わず口笛を吹いた。

「おいおい、なんだありゃあ」

 重厚な装甲、キュルキュルと鳴く履帯、丸みを帯びた砲塔。その車体が人形を轢き潰し、砲弾を撃ち込んでいく。

「【ガイスト】ですらない……あの形と色、“ホワイトオーガー”か」

 【クノッヘンⅢ・寒冷地仕様弐式】、通称“ホワイトオーガー”。【ガイスト】系より更に二世代前の機体、その局地戦仕様だ。生産台数の少なさから、現存している機体はほぼ皆無。性能も決して高くはない旧式である。

「博物館ものだぞ、よくもまぁあんな骨董品を」

 動いているのが奇跡だ。数十年前の機体で、あまつさえ寒冷地仕様(コールディー・タイプ)。市内とはいえ砂漠気候での運用は想定の埒外のはず。今までどこかに死蔵されていたのを持ち出してきたか。

 とはいえ、戦力としては人形兵に対抗できているようだった。傷だらけの白っぽい装甲が人形とぶつかり合い、弾き飛ばしていく。数世代前とはいえ、その多層式装甲は十分に役目を果たしていた。

(補修したとはいえ中破した【マーシャルⅡ】なら……五分五分くらいは敗けの目があるな。まぁあいつらはそろそろ乗り捨ててる頃合いだろうが)

 諸事情により【運搬王】は機体に乗れない。別行動を強いられることに不満はないが、やはり気に食わないものはある。それはもっと根本的な不快感なのだが。【運搬王】は眉をひそめた。

 

 そして、その眉間に弾丸が突き刺さった。

 

 【運搬王】の顔がのけ反る。弾丸が屋上の地面に落ち、軽い音を立てた。

「……古代伝説級金属(アダマンタイト)のフルメタルジャケットか。いい弾だな」

 額の掠り傷を確かめながら、【運搬王】が呟いた。

「あァ、クソ!首ゴキッつったぞ!なんでいつも狙撃されるんだ俺は?座ってただけだろうが!」

 貨物を触りながら、【運搬王】が立ち上がる。

「手ェ離すと《信用装甲(プロテクション)》が切れるから別行動。通信機能の運搬だからまだ終わりじゃない。理屈だよ、実にな。面倒な仕事だ」

 通常なら頭蓋を貫かれていただろうに、【運搬王】の額には掠り傷があるだけだ。

 人足系統。下級職【人足(ハマル)】に代表されるように、その特性はEND型だ。攻撃性能を廃してまでの極端な防御特化である。

 人足とは、ものを運ぶ職能。その運搬は悪路や妨害を潜り抜けるものでなければならない。たとえどれ程の苦難であっても、乗り越えていかなくてはならない。

 だから、彼らは膨大なENDを得る。そして、それを所持品のうちひとつ、貨物に足し込むことが出来る。《信用装甲》の名の通りに。

 【運搬王】が背負っている通信ケーブルは本来とても脆いもの。それなりの戦士、それなりの刃物があれば切断できるだろう。だが耐久型超級職のENDを重ねられたそれは、いまや砂漠を無防備に横断することすら可能なのだ。それも手を離せば終わってしまうが。

「運び屋に通信兵もどきをやらせようって最低の仕事だが……俺の仕事の邪魔はさせねェよ」

 言うや否や、【運搬王】セ・ガンはケーブルごと跳躍をした。目指すは、直下。 

 背中に背負った通信装置から、ケーブルが巻き上げられていく。落下の衝撃を身体を震わせて殺すと、【運搬王】は進行を開始した。

所属不明者(アンノウン)、一名!人形どもの増援か!」

 兵士たちが小銃を構え、撃つ。金属の人形には効かずとも、ヒトの身体には刺さる筈、との目算だ。

 だが、【運搬王】には効かない。

 後ろのケーブルを何かの急所と見て狙い撃つものもいたが、それも無為。彼本人の防御力を抜けられなければ、貨物もまた壊せない。

「……俺は中立だ。無害な運び屋に過ぎん。それなのにいつもコレだな」

 【運搬王】が呆れたように言い、歩みを進める。

「まぁ、見逃して……くれるだろ?俺はあいつらと合流しなきゃならないんだ、仕事なんでな」

 

 ◇◆◇

 

 ■■市庁舎・内部

 

 華麗なる市庁舎の内部には粉塵が積もっていた。爆破の欠片らしきそれらを踏みながら、キュビットたちは進んでいた。目指すは、地下だ。

 市長は敵方。そして、敵は地下構造に潜んでいる。なら、市長が掌握するこの中央区と市庁舎に地下への入り口がある筈だ。

 そして、それを証明する存在は今、目の前に姿を現していた。

「まさか、直々のお出ましとはね……」

 キュビットが呟く。

「……市長」

「この先は通さんぞ!」

 グロークス市長、マンドーリオ・グラマンはキイキイ声で叫んだ。

 その手が廊下を塞ぐようにばたばたと動く。

「他ならぬ貴様ら!その顔は覚えてるぞ、私にさんざ不法行為を働いてくれた張本人ども、許しておくものか、そうだ、許しておくものか!この貧民どもめ!排除だ排除!」

「……ということは、この先に泣き所があるとみてよいのであろうな」

 Ⅳ世が剣と、盾代わりにむしってきた【マーシャルⅡ】の装甲を構える。その目は明らかに呆れていた。

「降参したまえ、市長どの。貴殿に止められる筈もあるまい」

 グラマンは武人ではない。その肥った身体、締まりのない腹。贅沢を凝らしてきた富豪に荒事が出来る筈もない。事実、先刻は手も足も出ずに捕まっていたのだ。

 それが一人でのこのこと立ち塞がったところで、人質が増えるだけだ。尤もこの連携の拙さから推察するに、グラマンをウー一派が気にかけているかどうかは甚だ疑問だが。

 それでも、敵方に詳しい人材であることには変わりない。

「出来れば案内も頼むよ、本丸までね」

 キュビットが肩を竦め、無造作に近づく。グラマンは声を荒げた。

「わ、私には膨大な資産があるのだぞ!貴様らなど一捻りに出来る資産がな!」

「はいはい、分かったよ。それで、その“資金力”で、どう一捻りにするんだい?」

「それは……」

 グラマンが俯く。キュビットがその肩へ手を伸ばし、

 

「……こうするのだよ」

 

「キュビット!」

次の瞬間、キュビットの肩から胸にかけて、鮮血が噴き出していた。

 Ⅳ世が踏み込む。キュビットの身体を素早く掴んで引き戻すと、その勢いのままグラマンに斬りかかった。

 その刃が止められる。金属がぶつかる耳障りな音が響く。

「……」

 Ⅳ世の剣を止めていたのは、角から現れた巨漢の持つ刃だった。

「イイぞ、ウルジ!イイ働きだ、砂糖をくれてやる、二欠片だな!」

 その後ろで、廊下の壁が崩れ落ちた。キュビットを斬ったとき、壁ごと刃を通したのだ、頑丈極まりない石材に。

(石すら易々と斬る切れ味、これは……)

 油断なく腰を落とすⅣ世の後ろで、モハヴェドはキュビットの処置を手早く済ませると、自分も道中拾っておいた小銃を構えた。

「悪徳市長殿、あんたの私兵か」

「私兵?」

 モハヴェドの言葉にグラマンが嗤う。まるで、最高のジョークを聞いたと云わんばかりの笑顔だった。

「兵ではない。所有物……奴隷だよ。言っただろう、資産があると。自分で暴力を使うなんぞ貧民のすることよ、私のような者は資産で人を殺すのだ、バカめが!」

 その手をグラマンがサッと振る。その後ろから、さらに一人の奴隷が姿を現した。大柄な身体に簡素な布を纏い、口許を鋼の面頬で覆った禿頭だ。その外見はウルジとよく似ていた。

「ゴルジ、ウルジ。命令だ」

 グラマンが言う。

「殺せ」

 そして、二人の奴隷が勢いよく得物を振りかざした。剣や斧ではない、その細く硬い刃は、

 

「……天地の刀か!」

 

 Ⅳ世が叫ぶ。

 ここカルディナは大陸の中枢。天地の名刀とて金を積めば手に入る。その切れ味は折り紙付きだ。石材なぞ楽に切り裂くだろう。つまり、

「気安く受けてはおれぬな」

盾は意味がない。

 正面から受ければ斬られて終わりだ。弾くか当てるか、逸らすか。巨漢の奴隷たちが素早くないのが救いだった。どちらかと言えば大振りだ。

「であらば、先手必勝よ!」

 Ⅳ世は盾を放した。そしてそのまま蹴りつける。【マーシャルⅡ】からひきむしった胸部装甲は、ウルジの顔めがけて飛んでいった。

 その間隙を、Ⅳ世の剣が突く。視界を塞げば、その影でⅣ世の動きは読めない。だが、

「ぬぅ!?」

「……」

奴隷のウルジは素早く一歩下がると、刀を上段に構えた。その太刀筋が投げ捨てられた盾を豆腐のように割き、Ⅳ世へと迫る。当たれば鎧など容易く切り裂くだろう。

(防げるか!?)

 Ⅳ世が剣を構える。微妙な角度を付けて振られた剣は、断ち切られることなくウルジの刀と斬り結んだ。

 

 そして、ウルジの刀が紫を帯びた。

 

「なに!?」

「……」

 ウルジは語らない。ウルジは誇らない。それでも、その光景はウルジの得物の本性を雄弁に示していた。即ち、

「妖刀だァ!」

 グラマンが哄笑する。

「大枚をはたいたとも、天地の妖刀を買うのには。なんせ一本一千万は下らん品だ。四十二染が二振り!ひゃっひゃっ!」

 グラマンは心底得意気にその腹を揺らした。

「気づかないのか、【大騎士】?」

「何を……なッ!」

 Ⅳ世が顔を歪め、一歩飛びすさる。その首から赤い血がたらりと落ちた。

「剣で受けたろう。コレに持たせた刀は妖刀【首無丸(くびなしまる)】。その刀に受けた傷は全て、頚へと移る」

 だが、それは妖刀だ。

 ウルジの頚にも、同じように、同じだけの傷が開いていた。それはつまり、Ⅳ世を殺したときウルジの頚も同じく落ちるということなのだ。

「貴様、奴隷を使い捨てるつもりか!」

「……別に良かろうが。奴隷一個なんぞとは比べ物にならんのだ、妖刀の値はな。金持ちが何故金持ちか、無駄金を使わんから金持ちなのだ!」

 その叫びと共に、ウルジが加速した。めったやたらに妖刀を振り回す。その一撃が当たる度、斬り結ぶ度、頚へと傷が移っていくのだ。

 Ⅳ世が躊躇いがちに避け、躱し、剣ではなく前蹴りを放つ。だが、それは巨漢の肉体にはあまり効き目がないようだった。

「……ぬぅ!」

「なんだ貴様、博愛主義者か?それならそれで、自殺でもして見せるか!」

「人でなし……!」

 Ⅳ世の後ろで、ユーフィーミアが吐き捨てる。グラマンは嗤った。

「はっは!随分盛り上がっとるがなぁ……妖刀はもう一本あるぞォ!」

 そして、右のゴルジも刀を振り下ろした。ウルジの【首無丸】とは違い、当てようとする振り方ではない。ただ遠間で無造作に振るわれたそれは、一瞬の沈黙の後黒ずんだ炎を吐き出した。

「……ッ!」

 傷を負ったキュビットがのけ反り、モハヴェドが発砲する。その弾丸は、しかし実体のある筈のない焔に絡めとられ床へと落ちた。

「これは!」

 モハヴェドが焔に巻かれ、息を止める。

(熱くない……ッ!?)

 黒ずんだ焔は大した熱を持っていなかった。代わりにあるのは、

「重い……ッ!」

重量。

「この焔、『重い』のか……!『熱い』のじゃあなく、『重い』……ッ!」

 妖刀四十二染が一振り、【焦椿(こがれつばき)】。その呪焔は黒く沈み、まるで砂袋のごとく纏わりついたものを押さえつける。熱ではなく、“重み”を燃やす焔。

 それが更に火勢を増し、モハヴェドを押し潰す。足元の床に罅が入り始めた。

 されどまた、それも妖刀。見れば、刀を握る手からゴルジの腕に酷い火傷が這い上がっていくのが分かる。

「……そんな扱いで良いのか!」

 Ⅳ世がウルジの腕と押し合いながら怒鳴る。

「……貴殿ら、そのような捨て駒でよいのか!こいつは貴殿らの命などなんとも思っとらんぞ!」

「なーにを言っているのだ?」

 グラマンは身体をくねらせ、せせら嗤った。

「説得!奴隷を説得か!いやはやうぶだなじじい、奴隷というのは契約で心身を主に捧げているのだ、こいつらがそんな事、聴くと思うか!」

 その太く毛の生えた指がおのれの口許を叩く。

「ましてや。こいつらは“無言奴隷”だ!」

 その言葉に、<マスター>たちは怪訝そうな顔を見せる。グラマンはますますつけあがった。

「知らんのか?そんな素人がよくも私のような“通”に口を出したものだ……!」

 グラマンが両手をバカにするように振る。

「“無言奴隷”とはな、舌を切り取り喉を焼き潰した奴隷のことよ!無駄口は利かんし口は堅い、これが実に扱いやすい。いくら痛めても耳障りに喚くことがない。だから、敵と勝手な問答をすることもない。よく出来ているものだろう?私は全部の奴隷をこれにするよう言っとるんだが、見世にはなかなか通らんでね」

 そのあまりの言い草に、Ⅳ世の瞳が揺れる。白い髪の毛が獣のように逆立つ。

 老騎士がウルジを見た。その口許を覆う面頬を見た。

 老騎士はゴルジを見た。その身体を焼く【焦椿】の呪いを見た。

 明らかに正気を通り越した激怒の形相で、Ⅳ世の紋章が輝き……

 

「取り込み中か?」

 

そう声をかけたのは、四人の後ろから現れた【運搬王】だった。

 

 ◇◆

 

「救世主ーー!」

 突然、ユーフィーミアが品もなく叫んだ。

「待ってました超級職!さぁ、やっちゃって下さい!」

「断る」

 【運搬王】は咥え煙草を燻らせながら言った。

「確認した筈だ。俺は配達者、同行して通信の確保はするが、戦闘行為は契約の範囲外だ」

「朴念仁!」

 叫ぶユーフィーミアをよそに、【運搬王】は市長を見た。

 グラマンは、さっきまでの得意気な表情を消していた。代わりに、驚きと猜疑心を以て【運搬王】を睨み付けている。

「……貴様」

「久し振りですね、義兄上(あにうえ)

 【運搬王】セ・ガンはサングラスを外し、砂漠の鷹のような眼でグラマンを見据えた。

「奴隷使いの荒さは相変わらずですか」

「黙れ、セ・ガン!」

 グラマンがキイキイと吠える。

「何をしに来た!」

「仕事。近くまで来たんで、顔でも見ようか、ってとこですよ」

 セ・ガンは煙草の煙を吐き出した。白い煙はまるで自由を満喫するように躍り、空中に溶けて消えた。

「あんたこそ、姉上の墓にくらいは顔を出したらどうです?」

 グラマンの顔は歪んでいた。炸裂する激怒ではなく、粘りつく不快感の表情だった。

「……こいつらの味方をしているのかね?」

 グラマンはただ尋ねた。

「……他ならぬ“黙殺(イグノア)”が」

「俺は中立だ。知ってるでしょう。金さえ払えばなんでも運ぶ」

「そういうことを聞いとるんじゃあない!」

 グラマンが叫んだ。キュビットが混乱した顔で言った。

「どういう事だ?あんた、市長の知り合いなのか?」

 【運搬王】……“黙殺(イグノア)”のセ・ガンはゆっくりと首肯した。

「親戚、と……言っていいのかな?」

「貴様など、親戚でもなんでもあるか!さっさとハルツェルへ帰れ!」

 グラマンは心底嫌そうに言った。その手が野良犬を追い払うように動く。ユーフィーミアが眼を見開いた。

 【運搬王】は再びサングラスの奥に視線を仕舞うと、ただ億劫げに背中の貨物を下ろし、無造作に腰かけた。その後ろにはお馴染みの通信ケーブルが長々と横たわっていた。

「……因みに教えとくが、奴隷の扱いは大概相応だ。酷い迫害を受けさせるにはそれだけの大義名分が要る。“無言奴隷”なら余程の罪を犯したと見て八割がたは当たりだよ、妊婦でも殺したか?」

 その手の事情をいちいち覚えるグラマンじゃあないだろうが、と【運搬王】は締め括った。

「……だとしても、ゲスだな」

「感じかたは自由だ。それで?」

 【運搬王】は指差した。

「死にそうだぞ」

 【焦椿】。重みの猛火がモハヴェドを押し潰す。キュビットが叫んだ。

「【運搬王】!」

「くどい!俺は同行するだけだ、契約の範囲に戦闘行為は含まれていない!お前らが敗北したら俺も帰るだけのこと、業務はあくまでも配送だ!その為なら戦闘に巻き込まれるのも厭わないってだけの話だ!」

 その言葉に助力を諦めたように、Ⅳ世が振り向く。だが、ウルジは攻勢を緩めなかった。

 窓枠が斬れ、壁が割れる。軟らかすぎる建物を切り刻みながら、刃の竜巻がⅣ世とモハヴェドを切り離す。

「……ヤマビコ!衝撃波!」

 キュビットが傷を押さえながら宣言し、大音量が空気を揺らす。その音圧がゴルジを一瞬怯ませ……

「……何をしてる」

グラマンが呟いた。

「ゴルジ!奴隷に撤退の選択はないぞ、何を止まってる?さっさとこいつらを始末しろ!」

 ゴルジが刀を振り上げる。その全身が一瞬にして焼け爛れ、【焦椿】が一際強く燃え上がった。

 そして、その動きが止まった。

『ゴルジ、止まれ』

 グラマンと()()声がそう命じていたからだ。

『ウルジもだ、即刻戦闘を中止しろ』

「おい、何してる!惑わされるな!」

 グラマンが激昂する。

『敵の策略だ』

「無視しろ!」

『私が本物だ』

「私が本物だ!」

『それは偽物だ、聞くな』

「何を!」

 それは、ヤマビコの声帯模写(イコライザ)。盲目的に従うことを叩き込まれた奴隷たちにとって、それはこの上ない撹乱として機能した。

 彼ら奴隷は唖だが、頭脳は残されている。どちらかが嘘であり、恐らくヤマビコの能力だろうということは分かるし、推測もする。それでも、主人の命令に反乱するリスクが一パーセントでも有る限り、彼らは動けなかった。それは絶対服従の裏返しだった。

 そして、その硬直(フリーズ)をⅣ世たちが突く。

「……すまぬ!」

 Ⅳ世が突進する。その拳がウルジの手首を突き、思わず開いた掌が妖刀を取り落とした。その勢いのまま、鳩尾に正拳を沈める。

「……肋が折れたぞ」

 モハヴェドが焔をすり抜けて立ち上がる。立ちすくむゴルジの腹を蹴り飛ばし、その一歩でグラマンの喉にナイフを突き付けた。

 ウルジが鳩尾を押さえて崩れ落ちる。ゴルジもまた、体勢を崩したまま後ろ向きに転んだ。全身を覆う熱傷に堪えられなくなったのだろう。

「ヒッ……」

「動くな」

 グラマンはしおしおと元気をなくし、瀕死のネズミのように顔をひきつらせた。

「案内しろ。お前の大好きな“<エンブリオ>を売る男”のところへ」

「は、はひ、喜んでェ……」

 その目はユーフィーミアの左手に向いていた。グラマンは首がもげそうなほど頷くと、両手を上げた。

「……い、一番近い入り口はあっちだ。広間の飾りを右に二回、左に三回捻ってから引くと隠し扉が開く」

「よし。歩け」

 グラマンがとぼとぼと歩き出し、他のものもそれに続く。そして二、三歩足を進めたグラマンの目がふと、危ない光を取り戻した。

「……セ・ガン。お前、私が嫌いかね」

「親戚のよしみで助けろってんなら無理ですよ。それは業務範囲外なんでね」

「いや?違うとも。因みに、私はお前が嫌いだ」

 グラマンが嗤う。

「だからな……お前が死んでもなんとも思わん!やれェーーッ!ウルジ!」

 

 その後ろで、気絶していたはずのウルジが飛び上がった。

 

 手には拾い上げた妖刀……【焦椿】。それが燃え上がる。一番近いのは、列の最後方に続いていた、【運搬王】だ。

「ハッハーッ!全員排除だァ!」

 時同じくして、グラマンが懐から拳銃を抜く。場が混乱したその隙に銃声を響かせようとして……

 

「《コンテナハンズ》……解除」

 

 突如、巨石が出現した。

 ウルジが吹き飛ばされ、衝撃の煽りを食らってキュビットたちもよろめく。グラマンの銃弾は天井に命中した。

「瓦礫は沢山あったからな。一番大きいのを拾っておいたんだ。さて……」

 ()()()()()()()()【運搬王】がウルジと、グラマンを見る。

「……お前、俺を殺そうとしたのか(仕事の邪魔をしたのか)?」

 その目は、刃のように鋭く、また野原の獣のそれのように乾いていた。グラマンは拳銃を振り回した。

「セ・ガン!仕事の邪魔だと?中立なんてものがその態度だと本気で思ってるのか!」

「……俺は中立です。常にね。それは全員の敵ってことでもあるでしょう。何か?」

 巨大な瓦礫に埋まった廊下を背後に、セ・ガンが油断なくグラマンを見る。その手の中の、成金趣味の拳銃を。

「豪華な銃だ。そんな金むくの得物で人が殺せるわけないでしょう。あんたは結局、常に“そう”なんですよ」

「私に説教なぞするな、セ・ガン!」

 グラマンが泣きそうに吠える。

「中立だ!?そんなもの、お前の勝手だ!本当に中立なら、お前とてこちら側に付くべきだ!分かるだろう、こいつらは<マスター>だぞ!」

 グラマンが金ぴかの拳銃を投げ棄てる。

「死なない!強い!万能の才!世界に愛された選民だ、なぁ、我々(ティアン)は棄民なんだよ、世界の脇役だ!贔屓された奴らと平等になりたいと願って何が悪い!」

 その激しい嫉妬と粘ついた渇望に、キュビットたちが思わず黙り込む。グラマンは金切り声で叫んだ。

「欲しくないのか?羨ましくないのか?<エンブリオ>を持っているというだけで、我が物顔でのさばるそいつらが!せめて私たちが“上”でなきゃ、不平等だろう。こいつらなど、虐げられてトントンだ!」

 男の顔が醜く歪む。嫉妬の炎を滾らせて、グラマンはふいごのような息を吐いた。

「死にさえしない!そんな特権が、独占されていていいわけがあるか!?今こそ叛逆するのが正義だ、そうだろう?答えろ!セ・ガン!」

 セ・ガンは眉ひとつ動かさなかった。やがて、その口が動く。

「俺の知り合いが……」

「は?」

「<マスター>なんですが。いつだったか、言ってたんですよ。愛する人を亡くしたとか」 

 【運搬王】は言った。

「こっちの、俺達の世界で。そいつはね、丸っきり泣きもしなかったし、恨み言も言わなかったが……その時思ったんですよ」

「何を……」

 

「死ねないのも、それはそれで大変そうだ」

 

 【運搬王】はそう言うと、グラマンの前に進んだ。足元で砂利が音を立てた。

「あんたは……ただ自分が上になりたいだけだ。金持ちとして到達できない高みがあるのが我慢できないだけだ。そうでしょう?義兄上」

 グラマンが歯を食い縛る。二人は暫し視線を闘わせ、そして【運搬王】が黙って引き下がった。

「……失礼した。続けてくれ」

「あ、あぁ。では、地下へと向かう」

 モハヴェドが市長を引き立てる。マンドーリオ・グラマンは、心底不服そうに従った。

 

 ◆

 

 やがて、一行は大広間に到着した。巡回していた兵士を昏倒させると、モハヴェドは言った。

「ところで、俺の部隊がどこにいるか知ってるか?」

 グラマンが首を振る。モハヴェドは続けた。

「全ての兵士がクーデターに協力したんではない、はずだ。見たところ半分足らずって数か。残りはどこにいる?」

「し、知らん!私はそんなこと管轄外だ!」

 グラマンはブンブンと首を振り回し、モハヴェドは諦めたようにため息をついた。

 キュビットは壁の飾り、悪趣味な金色に光る竜の首の彫像を、二回、三回と捻っていた。その開いた口を掴み、引く。何かがどこかで重い音を立て、そして壁の一部が擦れる音と共に開いた。

「嘘じゃなかったか」

「うむ。あれと同じだな」

 穴の中は石造りの階段のようになっていたが、半ば崩れ、輪郭をぼやけさせていた。湿っぽく生臭い風が奥から漂ってくる。

「おい、それで中央はどこに……」

 モハヴェドが振り向く。だが、

「……ッ!」

そこにグラマンは居なかった。

 見回せば、広間の二階部分。そこを駆けていく小太りの男がいる。時間にして凡そ三秒と少し。

「どうやってあんな……」

「……隠し扉はひとつじゃなかったみたいだ」

 キュビットが床にかがみ込む。精緻に組み合わされた床板のひとつが僅かに沈んでいた。それを押すと、ぎしぎしと音を立てて後ろの壁が持ち上がる。上階への昇降装置だ。動作音は竜の首のほうに被せて誤魔化したらしい。

「いやはやこの屋敷ときたら、山程カラクリが仕込んであるのだな……追うかね?」

 Ⅳ世の言葉に、キュビットは首を振った。

「ほっとこう。俺達にはやることがある」

 【運搬王】はほうほうの体で走り去るグラマンを静かに眺めていたが、やがて壁に空いた地下通路への入り口を覗き込んだ。

「……俺はここに残ろう。通信ケーブルは確保しといてやる、仕事だからな。壁は閉めるだろう?」

「あぁ。尤も、敵を倒したなら通信妨害も消えるとは思うがね」

 まず、Ⅳ世がその穴へ飛び込む。キュビットたちも後に続いた。

 

「さて、地下へと……“再入場”だ」

 

 そして最後に、【運搬王】が竜の首を押し込む。隠し扉が大きな音を立てて閉まる。

「侵入者か!?」

「貴様、手を上げろ!」

 広間になだれ込んできた兵士たちが【運搬王】を取り囲む。【運搬王】はただ、一休みと言ったふうに壁際に座り込んだ。

 

 ◇◆◇

 

 ■冶金都市

 

 AFXたちが少し前に、言葉を交わした浮浪者がいる。あの汚れ果てた飲んだくれの男だ。襤褸は擦りきれ、酒瓶は失くしてしまった。

 そして、現在の彼は雨の中を必死に走っていた。

 目の前で<マスター>たちが空へ浮き上がっていったこと、それはどうでもいい。お強い方々がどのように摩訶不思議な世界を過ごそうと知ったことではない。だから、彼を動かしているのはもっと差し迫った事情、彼自身の恐怖だ。

 足元で雫が跳ね、泥が飛び散る。濡れた石畳はひどく滑りやすく、転ばないことは難儀だった。

「ひ、ひゃ!」

 口から無様な音を立てて、路地に飛び込む。次の瞬間、彼は壁のように立ちはだかるものにぶつかった。

 慇懃に、それは言った。

「逃走を取り止めていただけると大変助かります。なにぶん、業務に必要でして。あなたに危害を加えないことは保証致しますよ」

 そこにいたのは、人間だった。何一つ特徴の無い男だ。顔つきは穏和で平凡、威圧感は欠片もない。体つきは中肉中背、服装にも印象に残るものはない。若くもなく、老いてもいない。街中ですれ違っても、二度と思い出せはしないだろう。

 

 まるで、そう意図的に設計されたかのように。

 

「な、なんだあんた!なんで俺を追っかけんだよ!」

 浮浪者は喚いた。男は困ったように眉を下げて言った。

「そう警戒せずとも、私はただ声をお掛けしただけですが」

「嘘つけェ!」

 浮浪者が息を荒くしながら身体をのけ反らせる。

「なんか企んでるな!お、俺をどうにかしようッてんだろ、騙されねぇぞ!怪しいぞ!」

 浮浪者の上ずった声に、男は目を細めた。

「こうも勘がよくては媒体として不適切でしょう。後で苦情を入れなくては」

 浮浪者の顔がひきつる。《真偽判定》で敵意がないことなど何の保証にもならない。眼前の男が何か特異な思考を、常識を持ち合わせていることなど簡単に想像できる。親切との題目で危険な目に合わされてもおかしくない、と思えるほどに。

 浮浪者は後退りをしようとした。そして、男がため息混じりに言った。

 

「“CA157379J5270P555”、承認要請」

「……承、認」

 

浮浪者が突如、虚ろな顔になる。眼球が回り、釣られた魚のごとく唇が開き、閉じた。びくりと一つ大きな痙攣をした後、浮浪者の表情は別人のように変わっていた。

 

『……何故、俺を起こした』

 

 顔つきが変わるだけでこうも違うものか。ぼんやりと酒気に浸っていた眼差しは鋭く、口元は冷徹に引き絞られている。その唇から出てくる言葉は、全く別の人格に基づいているようだった。

『用件は?』

「ご報告と確認でございます」

 男はそう言うと、首もとで何かのつまみを捻った。容姿が揺れ、幻覚が解除される。現れたのは、

「グロークスの状況に関して」

 

巨大な白手袋の頭部だった。

 

 上品なスーツ姿の“セールスマン”は穏やかに一礼し、さっきまで浮浪者だった人間はさっと周囲を一瞥した。

『お前の管轄は中央だろう、なぜここにいる』

「おや、やはりこの身体は記憶に残りやすいですね。お陰で低リスクの情報しか持たせてもらえない。いやはや、特殊で代えの利かない人材というのは実に不便です」

『俺の更新頻度は一年周期だ。お前は、一月ってところか。前任のは……』

「流用はありません。と、()()しています」

 セールスマンは言った。その頭に生えた五指がもぞもぞと動く。

「さて、本題ですが。先ほど【運搬王(キング・オブ・ブリング)】がこの都市に侵入しました」

 “浮浪者”は表情を動かさなかった。

『【人足(ハマル)】の王か。それが?』

「計画には無かった事態です」

 セールスマンはそう言うと、頭を握りしめた。

「多少の誤差であれば想定内です。そもそもこのプロジェクトは提言されたもの……しかし、超級職所持者(ホルダー)の介入はその誤差の範囲を越えた事態です」

 白手袋が開く。

「本来の歴史ではあの【司令官】は既に死亡しているはずでした。この段階で彼が生存し、更に【爪拳士】が敗北していることもシナリオから外れています。今回のプロジェクトが直接演算されたものでないとはいえ、起こりうるはずの無い事態……」

 猛禽のように、セールスマンはその手を歪めた。

「何かがズレ始めている。本筋に影響がなければ良いのですが」

『【運搬王】か。この都市との関係性はそこまで強固なものでもなかったはずだが』

 浮浪者は瞳を狂ったように動かした。

『……人足系統直系超級職、【運搬王】。能力は概ね人足系統の発展。戦闘力は皆無』

 瞳孔が収縮し、拡大する。

『人足系統の特性は、【運搬者(ハウラー)】の《信用装甲(プロテクション)》等に見られるように自身のENDを所持品の一部……運搬物に加算すること。伴って、耐久型だ。超級職にまで至れば相応のもの。その“貨物”も含めて、排除は少々困難だろう。だがあくまでも非戦闘型、その能力はものを運ぶことのみに向けられている』

 “浮浪者”は再び“セールスマン”を凝視する視線へと戻った。

『知らないのか?』

記憶(データ)には記録(インストール)されていません。私の情報濃度は制限されていますから」

『これは一般レベルの知識だ。それで、排除するのか?当代はまだ常人(ティアン)だ。削除可能な要素だろう』

「リスクが大きすぎる。そんなことはしませんよ」

 セールスマンは静かに言った。

 裏路地は静まり返っていた。鼠の一匹すら、ここにはいない。いつしか雨の音すら消えていた。

「代わりに、この都市にいる“端末”の起動権を貸与していただきたい」

 その言葉の持つ意味の大きさに、“浮浪者”は首を振った。

『不可能だ。機密濃度が規定値を越える。解除コードは秘匿されなければならない』

「それで結構です。必要なのは明確な“視点”の確保。あとは其方に委託しますよ」

 セールスマンが頭を下げる。浮浪者も頷いた。

『……なら、そちらは例外因子の特定に努めたまえ。尤も、それほど大きな影響力を持つ不測要素はそうそう存在するものではないがね』

 浮浪者が踵を返す。汚ならしい男は、途端に普段の臆病で野卑な表情を作り上げて去っていった。その目の奥にある冷徹さの残滓を感じながら、セールスマンが顔を上げる。

 

 彼らは、自分達が何をしているのか知らない。所属しているものの全貌も、自らの名前も、その記憶には込められていない。

 名前はリスクだ。それは呼ばれるためのもの。だから、決して呼ばれるべきではない彼らには何一つ、固有名詞の持ち合わせがない。ただ無知なドミノ倒しの一片として、群衆に紛れるだけだ。

 

 セールスマンは白手袋を嵌めた右手を握り、即座にまた開いた。空だった筈の掌には、古びた金属で出来た笛が転がっていた。【運搬王】のコンパスとよく似た材質、輪郭だ。

 口など無い、ましてや呼吸器などある筈もないのに、“セールスマン”はそれを持ち上げ、吹き鳴らした。

 植物の意匠を彫り込まれた笛は、いつも通り澄んだ音を立てた。その音色が消えるより早く、彼の、清潔な黒スーツに身を包んだセールスマンとしての姿は、まるで幻のように消え失せていた。

 

 To be continued

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