□■冶金都市グロークス
壁は石積みへと変わっていた。シダのような草が生え始め、足元にはちろちろと汚水が流れている。トビアは目の前にある錆びきった鉄格子を蹴り破った。
外だった。あの地下迷宮は廃棄された用水路に繋がっていたらしい。狭く切り取られた空は曇天で、湿っぽい雨をつまらなさそうに垂らしていた。
トビアは用水路に造られた階段を登ると、あたりを見回した。知らない路地が知らない路地へ伸びていた。そういえば、どこへいけば良いのか考えてもいなかった。
瞬きをするのが、少しだけ恐ろしかった。今のこの状況が、夢なのではないかと思えたから。何もかもが浮わついていて、自分の名前すらおぼつかない。自分が誰で、何をしようとしていたのか、確信が持てない。
そう、恐ろしいのだ。
過去に戻れるなら、嫌なことが全てゼロに戻るなら、嬉しいはずじゃないか?そう思って、トビアはまた嫌な気分になった。
人気はなかった。石造りの倉庫らしきものが立ち並ぶ路地には雨水が跳ねていて、時折遠くから砲声のようなものが聞こえてきた。
「よお」
そして、トビアは振り返った。
「さっきぶりだな」
そこにいたのは、巴と名乗っていたあの剣豪だった。天地風の服装は雨に濡れ、腰の剣にも水滴が流れていた。
「こんなとこで何してる?道にでも迷ったか?」
巴十三は優しく言った。その手が、握手を求めるように差し出される。
そして、トビアが飛び退いた。
一瞬遅れで、十三の剣先が石畳を切り裂いていた。踏み込みの足をずらし、切っ先が上がる。十三は鋭く眼差しを叩きつけた。
「あぁ、やっぱりだ」
十三はそういうと、トビアを見つめた。
「お前、俺が斬る
トビアは答えなかった。十三は再び刀を中段に構え、足を整えた。
「足、視線、あるいは指や、肩と腰の微妙な強張り。そういうものから俺の“殺気”を敏感に先読みしている。そう出来ることじゃない」
黙っているトビアを面白がるように、十三は言った。
「で、そんな芸当のできるお前は、
「……二百回くらいかな」
初めて、トビアは答えた。十三はくつくつと笑った。
「あぁ、【ブローチ】か?闘技場か?ろくでもない師匠もいたもんだ、あいつだろ?あの一つ目」
侍は、おかしくて堪らないという風に笑い続けた。
「はっは、なぁ、気にはなっていたんだよ。お前のその目」
「目?」
「あぁ。天地でもたまにしか見ないぞ、そんなドス黒い眼は。それは人殺しの眼じゃあない、単なるゲスの眼なら幾らでも知っている……それは、修羅の眼だ」
トビアは顔をしかめた。
「なんだよ、それ」
「戦うために戦うやつのことをそう言うのだよ、小僧。眼を見れば分かる、お前は理由がなくても戦える人間だ。死線をくぐったとてそう身に付く気質ではない、生来のものだな」
「人を異常者みたいに言うんだな」
「別に、そうじゃない……俺は、天地の出だからな」
おもむろに、十三は語り始めた。
「あそこでは、いくさは茶飯事だった。そういう国だ、悪いことじゃない。泥と血を啜って食いつなぐガキも知ってる。そういうやつがどうなるか、分かるか?獣みたいに飢えるんだ、なにかを欲しがってな。だが、お前は違う」
十三は慈しむように言った。
「酷い目にあった子供は、大概が萎れる。空っぽになって、折れてしまう。そうでなきゃ、逃げたがる。そう、獣のように、常に飢えて暮らすことになる、それは幸せだったり食いもんだったり、平和ってもんだったりする。そんでもって、たまァ~に、いるんだ。牙を剥くやつがね」
十三は愉しそうだった。
「お前、恨んでいるだろう。敵を、じゃない。理不尽を、だ。不幸そのものを憎んでいる、そういうガキは少ない。時として、目の前にある救いや幸福よりも……不幸を蹂躙することを選ぶ。心当たり、あるんじゃないか?」
トビアは息を飲んだ。ふと脳裏に浮かんだ
「なんだよ、あんたになにが分かるって言うんだ!」
トビアは鼬のように獰猛な顔で言った。
「これは、僕のものだ。どこかの誰かと同じだとか、たまに見かけるだとか、そんな言葉で括れると思うな!僕が何かを恨むとしても、僕の、僕だけのものだ!」
「おお。その通りだ、すまんな」
十三はそういうと、前触れなくまた踏み込んだ。
刀が鳴った。風の音がして、雨粒さえも全て分かたれる。だが、
「……」
トビアは動かなかった。首筋の一寸手前にて、刀身が止まっていた。
「やる気のないのが分かるのか。やっぱりな」
「あの超音速突撃を何度も食らってれば分かるよ」
トビアはぽつりと言った。その足がふと屈み、その頭の上を刀が抜けていく。
純粋なスピードではあまりに大きな開きがある。それでも、動きを読めば躱せる。十三の武器が刀であることもその理由だった。線の攻撃は、躱せる。
だが、それは一撃だけだ。
十三が振り抜いた刀を起こす。返す刀を、トビアが後退りで避けた。その後すぐに横に転がる。上段からの一撃が石畳を砕き割った。
トビアが急いで身体を起こす。その頬を、横からの【明霊】の切っ先が切り裂いた。
「……ッ!」
「そう、それがお前の限界だ」
ぬるりと流れる血の手前で刀を止め、十三は言った。
「いくら先読みが出来ても、純然たる疾さは埋まらない。二手、三手と詰めていけばお前の首など簡単に落とせる」
十三は刀に力を込め……切っ先を離した。
「俺は、【剣聖】だ。レベル五〇〇だ。レベル〇のお前とは天と地の開きが……」
トビアは聞いていなかった。切っ先が離れたとたん、腰のナイフを引き抜いてその刃を倒し、水平に十三の心臓めがけて付き出した。黒っぽいナイフは、十三の皮膚で止まった。
「聞けよ」
十三が呆れたように言う。トビアはナイフを引き戻し、猫のように飛びすさった。
「隙を狙うな。どうせ通りゃしねぇぞ。まったく、擦れすぎだ、ガキめ」
「……」
冷静に十三を見るトビアに、十三はまた笑った。そういうのは嫌いじゃない。
「そう、そうだよ。逃げられない。単純な駆けっこなら、速さ比べになるだけだからな。よく分かってるじゃないか」
そう言うと、十三は何の気なしにそばの壁に近づいた。路地を挟む壁は、赤いレンガで出来ていた。
「さっきはあぁ言ったが、別にお前と偶然出くわした訳じゃない。むしろ、待ってたんだ」
そう言うや否や、十三は石壁を切り開いた。漆喰と石の破片は滑らかな切り口を晒し、すぐさま崩れ落ちた。
「来い」
十三は瓦礫の向こうに消えた。トビアはそこを覗き込んだ。
「何してる?来いって。雨が降っているだろう」
それが罠の類いでないことは分かっていた。トビアは瓦礫を踏み越えて、その倉庫の中へと足を踏み入れた。
天井の高い建物だった。中には乾いた床と、いくつかの戸棚と、
「……それは」
巨大なクリスタルが置かれていた。
「そうだ。まぁ、ここは元々鉱山都市だからな」
十三はそう言うと、そのクリスタルに手を触れた。
「案の定、【錬金術師】とか【冶金錬金術師】……【彫金師】【鍛冶師】……そんなものだろ」
十三は手を離すと、今度は自分の懐をまさぐり始めた。トビアは呟いた。
「左手」
「うん?」
「怪我してる」
「……あぁ、返してきたのだ」
十三は左前腕に巻いた、血の滲んだ包帯を撫でた。
「もう要らないものだからな。これも」
十三は腰の刀を外した。靴を脱ぎ、腰帯を抜く。耳飾りや腕輪の類いを投げ捨て、
いくつもの刀があった。異様な紫に染まった刀、刀身が外れるカラクリ仕込みの刀、輪を描いて反り返った刃、柄の後ろにもうひとつの刃を付けた刀。
十三はそれらを眺めていたが、やがて一番なんの変哲もない一振を拾うと、トビアへ投げて寄越した。
「ほれ」
「何?」
「やるよ。お前の腕の長さなら丁度だろう」
十三は自分もそっけない一振を拾うと、もう一度クリスタルに向き直った。
「それには何の術も掛かってない。練習刀だ。ま、切れ味は申し分ないから、手を切るなよ」
「何を……!」
トビアは呟いた。十三は少しだけ躊躇ってから、掌をぴったりとクリスタルに押し付けた。
「何してる……?」
「何って、別に?」
「別に?違うだろ!」
トビアは叫んだ。
レベル〇の眼でも、いや、だからこそ分かった。十三の印象が小さくなっていくのが。溜め込んだリソースが散逸していくのが。
「なんで……!それだけの才能があって、どうして!」
「要らないからだよ、もう」
十三は吐き捨てた。
「【剣士】【斥候】【武士】【忍者】【剣聖】……全部、全部、消去だ」
「な……!」
トビアは訳が分からなかった。
レベルは才能だ。それが欲しくて苦悩する人間など幾らでもいる。例外は才能に上限のない<マスター>だけだ。それを、積み上げた才能の証を、消すなどと!
「……俺はな、力が欲しかったんだ」
十三は、トビアをまっすぐに見た。
「天地じゃあ、強いやつはごまんといる。才能は前提だ、その上で研鑽するのが武の道というもんだ。だが、俺が血反吐を吐いて積み上げた力は、突然出てきた<マスター>連中に及ばなかった。不老不死!万能の才!何より嫉妬したよ、<エンブリオ>に。まさに力の象徴だからな、そして黄河からカルディナへ渡り、俺はそれを得た。ついにだ、それを、得た!」
十三は叫んだ。
「素晴らしい気分だった、最高の世界だった、少しだけ手が届かなかった場所に、やっと!呼び水だよ、俺はそれまで渇れてたんだ。特典武具もいくつか手に入った。今までの俺じゃあ無理だったろう、俺はやっと、流れ始めたんだ!」
十三は黙った。その刀はだらりと下がっていた。
「……だが、虚しい。何故だろうな?あんなに欲しかったのに、手に入れたのに、何故か、虚しいんだよ。本当に欲しいのは、なんだったのか、なんなのか、分からなかった。不思議だろ?お前なら分かるんじゃないか、この俺の気持ちが」
十三は再び刀を構えた。切っ先がきらりと光った。
「だから、もういい。お前を俺のレベルで苛み殺すことは容易いが、それは無意味だ。<
「……あぁ」
トビアも、その刀を構えた。刀の鍔には沢山の傷が付いていて、柄の後ろも磨り減っていた。子供の背丈に合わせられた刀が、かつてどのように使われていたのか、それはもう、どうでもよかった。
「そうしなきゃ、いけないんだ」
「今更だが、良いのか?今、俺とお前は
「それをしたら、僕は……」
トビアは十三を睨み付けた。十三は頷いた。
「……巴十三」
「……トビア・ランパート」
刀が光った。
「勝負だ」
◇◆◇
□■グロークス市庁舎・残存部・大広間
銃声やら砲声やら。煙と足音と、舞い散る火花。
『道路工事でもやってるの?』
「そうだったら良かったよ」
セ・ガンが唸るように言う。
【運搬王】は壁の前にゆったりと腰かけていた。タバコは五本目だ。
『禁煙しろってあたし言ったわよね?』
「あぁ。そして俺は、嫌だ、と言ったぞ。いい加減に人の趣味に口を出すな」
受話器を首に挟んで、【運搬王】は脂の滴る肉を香草で巻き、軽く炙ったものを齧った。通信の向こうで、テレサ・ホーンズが言った。
『何食べてるの?』
「昼飯」
『吸いながら?止めなさいよホントに』
「知るか」
『どうせ味の濃いものばっか食べてるんでしょ?煙草やめないから舌がおかしくなるのよ』
セ・ガンはため息をついた。
『心配してあげてるのに!』
「そりゃありがたい。ついでに俺の食事の気分の方にも心配を向けてくれるといっそう素晴らしいな」
『そうやって話をずらして!いっつもいっつも理屈ばっか捏ねてあたしの言うこと聞かないんだから!』
【運搬王】は最後の欠片を飲み込んだ。目の前では弾幕が弾けていた。何発撃ち込まれても堪えない様子で長電話する【運搬王】に、兵士たちは相当頭に来ているようだった。
『心配はそれだけじゃないわ』
テレサは声の調子を変えて言った。
『妙なやつらに会わなかった?』
「奇遇だな。それを聞こうと思ってた」
【運搬王】は静かに言った。
「【
『いいえ?』
「俺をツケていた」
【運搬王】は手元で小さな手帳を広げた。
「少し前だ。道すがら拷問して色々と聞き出した。《真偽判定》にも掛けたからほぼ間違いはない」
『内容は?』
「要領を得ん。趣味の散歩だとか、待ち合わせがあるとか。だが、首都に戻って報告するという言質は引き出した」
【運搬王】は笑った。
「無茶苦茶だ。自分の趣味を誰かに報告するのか?だが、嘘の反応はない。滅茶苦茶な作り話みたいな話が真実だと言うんだ」
『そいつは?』
「グロークス領域圏内に入った瞬間に自殺した。こうなると、単なる趣味じゃねえだろ」
【運搬王】が思い出すように視線を泳がせた。
「全部が変だ。前もこういうことがあったがな」
『多分、カルディナの人形兵ね』
「人形兵?」
『勝手に呼んでるだけよ、正式名なんて無いんだから』
テレサは言った。
『暗部の噂は知ってるでしょ。そこに所属するエージェントは、精神干渉で頭を弄られてるの』
「どういう意味だ?」
『《真偽判定》とか、偽名を使ったり、敵意を察知されたり、そういうのの対策よ。精神干渉系の能力で記憶を消して書き換えれば、それは決して見抜けない真実になる。絶対にスパイが摘発されることはない。嘘をついてないのは本当なのだから……心当たりは?』
「あぁ。二年前だ」
【運搬王】は六本目に火をつけた。
「俺は、存在しない男に会ったことがある。コルタナ出身の、アッサジという【拳士】だった。そいつは五年間コルタナの中心街で暮らした記憶を確かに持っていたし、年寄りの両親と姉、別れた妻のことまで事細か過ぎるほどに話せたが、住んでた筈の家も、その家族も友人も、全てが存在しないものだった。本人の名前も含めて、な」
『五年前以前の詳細な記憶は無かったんでしょ?どうせ』
「俺は精神操作の能力者じゃない。裏は取れない」
セ・ガンは吐き捨てた。
「それで、またそいつらが動いてるのか?」
『確証は……ないわ。分かると思うけど、そこんとこに対策してる連中だもの。というか、存在自体が都市伝説と同レベルよ』
「お目当ては例の<エンブリオ>か。<マスター>に成りたがるやつらはごまんといるからな」
市長の顔を思い浮かべて、【運搬王】が言う。
「儲かるビジネスだろうよ。厳罰化されたってのに、今でも偽物を売るトンチキが絶えん」
『……気をつけてね。人殺しなんてなんとも思ってないのは確かよ、隠蔽することも。【
そして、突如通信が切れた。【運搬王】は顔をしかめた。
「あいつ、急に切るクセは相変わらずか?……!」
受話器を置く。通信機から伸びるケーブルへとかけて手を動かす。【運搬王】が平静さを崩した。
(切断されている……!)
《
【運搬王】は立ち上がり、舌打ちをした。
ケーブルが切られたということは、【運搬王】自身の堅さを切り裂ける実力者がいるということだ。特化END型の彼の鎧を。
「……帰るか」
【運搬王】は銃撃を躱そうと顔を背けながら呟いた。どのみち、こうなれば仕事は終わりだ。
【運搬王】は懐からペンを取り出すと、豪勢な市庁舎の壁に大きく『退勤』と殴り書きして、歩き出した。
「貴様、どこへ!」
「止まれ!止まるんだ!」
兵士たちの声に、セ・ガンはふと立ち止まった。大股で進み、その掌が兵士の胸ぐらを掴む。
「そういやぁ……」
「き、貴様、何を!」
「モハヴェドのやつの部隊だ。それだけ聞いといてやろうと思ったんだ。……どこにいる?」
「!?」
「クーデターだろ?反対勢力の兵士は、どこにいるんだ?自由行動させておくはずがないだろう、皆殺しか?だが、それは手間だからな。相場は武装を奪って監禁だ。どこにいる?」
「それを教えると思うか!」
「さぁな。道すがら訊くさ」
【運搬王】は歩き出した。部隊がざわめく。
「貴様、人質とはなんと卑怯な!」
「隊長ぉ!」
「なんだお前、隊長かよ。部下に言えよ、名誉毀損は止めろって」
「黙れ、この!」
隊長は胸ぐらを掴む手を殴り付け、銃撃し、ナイフで切り付けた。全ては無駄に終わったのだが。
「ハハッ、固定ダメージの術でも使ってみるか?生憎、HPのほうもそれなりだが」
【運搬王】は笑い、正面玄関の大扉を蹴り開けた。
そして、その足を止めた。
「邪魔ですね、君」
「誰だ?」
目の前に突如降り立った雨傘の少年に、【運搬王】セ・ガンは顔を歪めた。
年は若いが、その落ち着いた振る舞いはひどく大人びていた。<マスター>にはままいる、若作りをするタイプだろうか。雨傘を指しているのに、その身体は濡れていた。戦いの痕跡らしい汚れや破損もある。
【運搬王】は眼を細めた。兵士を放り出す。
「ケンカでも売ってるのか?」
「いいえ?」
黄色い長靴の少年は、濡れた雨傘を回して言った。
「どうも、【降水王】です。初対面なのに恐縮ですが……とりあえず消えてもらえますか」
◇◆◇
□■冶金都市グロークス・第三クリスタル安置所
無銘の刀がぶつかり合う。子供と大人の膂力ではかなりの開きがあったが、それでもまだ平等だった。レベルによる暴力よりはマシだ。
トビアは足をずらし、刀を滑らせた。鎬を削る音が、屋内に響いた。
「いいぞ!」
十三は叫び、そのまま踏み込んだ。軸足を回し、水平に刀を振り抜く。
「いいぞ、そうだ!」
トビアはそれを受けなかった。右側、十三自身の腕の死角に走り、太股を狙って刃を振り下ろす。それを少しだけずらした剣筋で受けながら、十三は言った。
「緩めるなよ、小僧!」
「言われ、なくても!」
トビアも思わず叫んでいた。軽やかにバックステップを踏み、刀の重みに合わせて身体を倒す。その横を、十三の剣が抜けていった。
トビアの全身を、殺気が揺らしていた。砂漠でブラー相手に幾度となく“殺される”感覚を叩き込まれた身体は、十三の狙っている場所を勘で知らせるまでになっていた。
その野性的な振る舞いとは対照的に、十三の剣は綺麗だった。素人のトビアにも分かる、実践的で体系的な理論に根差した動きだ。
闇雲に振り回すのではない理詰めの剣に、トビアはその周りを大きく迂回することしか出来なかった。踏み込めば、詰められて殺される。
「どうした小僧!まだだ、もっと高められるはずだ!」
十三が叫んだ。
トビアはふと、下がる足を反転させた。あるいは彼も当てられていたのかもしれない。十三の、狂気に。
剣を避けるのではなく、前に踏み込んで躱す。それを見てとって、十三が哄笑した。刀は閃いて、軌道を変えた。トビアもまた、足を滑らせて軌道を変えた。
視界がやけに狭く、ゆっくりだった。刃の気配がお互いに絡み合い、まるで舞を踊っているようだった。
十三の敵意と戦意が目に見えるようだった。トビアはそれに合わせて身体を動かしさえすればよかった。レベル〇の二人は、幾度となく刀をぶつけ合った。
「……!」
それがふと、乱れた。十三が乱したのだ。トビアがたたらを踏み、十三の剣が上段へ持ち上がる。
「……これで!」
十三の全身が動く。滑らかに繋がった筋肉が、美しい太刀筋をまっすぐに振り下ろした。風が小さく唸った。
トビアが剣を離す。手から外れた刃を、十三の刃が綺麗に断ち切った。
その一瞬、ほんの一瞬だった。十三はトビアの刀に眼を向けた。
トビアは後ろへ下がり、すぐに踏み込んだ。鼻先を掠めた刀を見ながら、トビアの手が腰からナイフを引き抜いた。
ナイフを水平にする。身体の勢いが乗ったその一撃は、肋骨の隙間を抜けて、十三の心臓を一突きにした。
十三が刀を取り落とす。トビアは力を込め、大人の体重を支えた。掌に、ぬるりとした感触があった。
音が戻ってきた。
トビアは自分の手を見た。十三の顔を見た。血の色を見、匂いを嗅いだ。
「あっ……」
「どう、した、小僧……」
十三は笑っていた。満足げな笑みだった。
「なんだ、はじ、めて、か?
「あ、あぁ……!」
重たかった。刃越しに、肉と血の感触が伝わってきた。鮮血の、温度も。
「覚え、とけ……これが、それだ……」
トビアは思わず手を離し、十三の身体は崩れ落ちた。その手が、落ちた刀を目指して動いた。
「あぁ、結局、変わん、ねぇな……わかんねぇ」
刀の鍔へ、指が触れる。
「俺は、なにが、ほし、かったんだ?」
トビアはそれを見つめた。眼を逸らしてはいけない気がしていた。
「分かんねぇ、けど、まぁ……今のは、楽しかった、が……いい、や……」
死んだ。
トビアの身体が動くようになったのは、それから少し経ってからだった。
トビアは、ナイフを持ち上げた。十三は動かなかった。
うつ伏せに倒れたその背中に、トビアはナイフを突き立てた。すぐに骨にぶつかったそれを引き抜くと、赤いものがこぼれ出た。
トビアは、ナイフを持ち上げた。十三は当然、動かなかった。
肩を刺した。骨の上で滑ったそれは、勢い余って首筋の方をも切り裂いた。
トビアは一心不乱にナイフを動かした。粘りつく赤色が吹き出して、トビアを染めた。背を、首を、うなじを、腕を、足を、腰を、どこを突き刺しても十三は動かなかった。
十三の身体がズタズタになった後、トビアは、十三が切り開いた壁から外へ出た。雨は強くなっていた。頭から爪先まで、流れる雨水は十三の返り血を洗い流してくれた。
ふと、両手を持ち上げてみた。
さっきまで、戦闘の高揚に酔っていたはずのそれは、今や血にまみれて震えていた。
トビアは手を洗い始めた。雨に打たれて、赤いものが流れていった。それが見えなくなっても、トビアはずっと手を洗い続けていた。
To be continued