星と少年   作:Mk.Z

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第二十一話 クリムゾン・キングの生誕

 ■冶金都市

 

 その瞬間、エリコの壁が燃え上がった。

 干渉射程を媒介し延長するラビリンスは、エキドナの能力をも街中に広げた。いまや、その白色のオーラは街を駆け巡っていた。怨嗟の声にも似た共鳴が始まり、街が揺れた。

 そして、命が集まってくる。エキドナに消費され、吸収されるための命が。

 【降水王】がアイテールにより転落死を余儀無くされた一般市民たち、あるいは<マスター>たちの“死”というリソースが、地下のウーのもとへと収束していった。持ち主のない武具や、倉庫の金属資源も、供儀の盤へ乗せられた贄として吸い取られていく。

 その渦を捕まえ、制御し、捏ね上げるのは、エキドナの内部に蓄積されたデータだった。<劣級(レッサー)エンブリオ>十二体の能力、戦闘、運用。蒐集されていたそれらの詳細な知識が砕け散り、狂乱の渦に方向性を与えている。

「そう、そうだ!もはや枷はない……リソースのままに、高密度に!<超級(スペリオル)>として誕生しろ!」

 ウーがそんなことを叫んでいるのが聞こえたが、三人にはなにも出来なかった。眩い光に、ウーの姿すら見えない。モハヴェドが発砲したが、その弾丸は光の渦をすり抜けていった。 

 贄としての膨大なリソース、十二体の錬成、それらの十分な戦闘データ、そして三基の<劣級エンブリオ>の共鳴をもって、この儀式は完成へと至る。地上では、ユーリイの懐で卵のようなそれが震え、光っていた。

 大勢がわめくような、苦しむような声が聞こえた。その喧騒には、確かにグラマンのそれが混じっていた。

「【教授(プロフェッサー)】ァァ!」

 キュビットが喚いた。彼はヤマビコによって強化された音を叩きつけたが、効き目があったようには見えなかった。

 そして、光の渦が真っ赤に変色した。まさに血のような、おどろおどろしい色だった。

「屈しろ!従え!エキドナの糧として!リソースどもよ!」

 風が吹いた。それは荒々しく収束し、吹き荒れ、そして弾けた。鮮血の光は風と一体になって渦巻き、怨嗟と嘲笑を響かせていた。

 そして、風が止んだ。

 時を同じくして血のような光が消え、そして炭屑になったグラマンの骸が床の上で崩れ落ちた。

 誰も、動かなかった。

 三人は凍りついたように地下堂を見つめ、ウーもまた硬直していた。儀式の残響は地下にこだまし、微かになって消えていった。

 初めに動いたのは、やはり【教授】ウーだった。彼はゆっくりと、黒く煤けた地下堂の中央へ足を進めた。

 硬質で冷たい足音が、虚ろに床を打つ。ゆっくりと響くそれが、止まった。

 グラマンの骸から、ウーは卵のような結晶を拾い上げた。間違いなく<エンブリオ>に似ているそれは、一瞬だけ先の深紅に煌めいて、また白っぽい無色に戻った。

 それこそが、最大の<劣級>。そして、ウーが口を開いた。

 

「失敗だな」

 

 ◆

 

 ■十数分前

 

 ユーフィーミアは、ふらつくメアリー・パラダイスを支えて、その壁を上った。

 エリコの城塞は大きすぎるジオラマのようで、城壁もまた高かったが、滑る石組みを巧く掴めば、その上に這い上がることは難しくなかった。胸壁の隙間で、ふたりが空を見上げる。

 無重力の雨は相変わらず降り続いていた。ティアンたちが浮かび上がっていくのを見て、ユーフィーミアは焦った。時間がない。

「どうですか?」

「……身体が、軽くなってきてる」

 ほんの少し雨を浴びただけで、二人の身体は既に体重を半分ほども失っていた。だが、ユーフィーミアは首を振った。

「あの、違います。そうじゃなくて……」

「分かってる。さっきの話だよね?」

 メアリーは、決して傷つかない幻影の城に掌を押し当て、目をつぶった。

「えっと、本当なの?その、射程の延長って」

「スライムの人はそう言ってました」

 メアリーは頷き、また目を開けた。

 空に昇るティアンたちに混じって、【降水王】の影が見えた。視線を送ると気取られそうだ、と、メアリーは眼の端だけでこわごわ彼を見つめた。

 あの準<超級>が何をするつもりなのか、なんとなく予想はついていた。

  

『大量の人命を消費することで、<超級エンブリオ>を創造する……』

 

 ウーの言葉が、脳裏にこびりついている。【生贄】の話はメアリーも聞いたことがある。ティアンの殺害は得られるリソースが大きいことも。

 雨で空へと落とされたティアンたち、そして<マスター>たちを、今度は逆に街へと転落させ、その犠牲を元手に儀式を行うつもりなのだと、メアリーは考えていた。

 それを裏付けるように、【降水王】が動くのが見えた。メアリーは顔を歪めた。まだ、準備ができていない。

「アシュヴィン?」

 空を飛ぶ『両腕』は、調子よく指を広げた。その拳が城壁に触れる。金色のオーラが光り始めた。

「……だめ、分からない。延長って何?」

「意識して、ください」

 ユーフィーミアも顔をしかめながら、感覚を思い出そうとした。

「たぶんあの人形のとき、あの《ピースフル・ペイン》のときもそうだったんです。信じて、考えてください」

 その手が、メアリーの肩に触れた。

「能力の影響範囲が広いってことを。この城の特性が、射程の媒介だってことを。この街全域に力を広げられるって、信じて!」

「わかった……!」

 メアリーは真剣な顔で言った。

 そのとき、雨音に混じって微かな声が聞こえた。

 

「……解除」

 

 重みを奪う力が消えたのがわかる。見上げれば、ティアンたちが墜落を始めていた。高空からの転落が意味するのは、全身を砕かれての即死だ。

 

「信じる……」

 

 メアリーは呟いた。

 感覚を広げ、無意識を排除する。アシュヴィンの力を使うとき、メアリーには先入観があった。

 回復の及ぶ範囲にも、条件にも、すでに慣れきっている。けれど、今だけは。

「できる、できる、できる!」

 風を切る落下音が聞こえる。その全てに能力が及ぶと、確信する。

 メアリーは目を開けた。天から落ちてくる子供と、眼が合った。

 

「《癒しの息吹・極大(ヒリング・オーラ・マキシマム)》!」

 

 黄金の光が迸る。アシュヴィンから起こるそれを、メアリーは広げた。押し込み、拡大させていった。

 轟音が響いた。水っぽい音、崩れる音、ぶつかる音。ヒトの潰れる音だ。

「させ、ない!全員!助ける!」

 メアリーが叫び、城塞に光を注ぐ。

 天から降り注ぐ人々の首の骨が折れ、肺腑が潰れ、脳髄が割れる。その傷が出来るそばから、メアリーは回復の光を与えていった。

 傷口が開くより、傷痍系状態異常が発生するより前に、その回復が人々を癒していく。エリコを伝う黄金の光は、都市全域を瞬時に飲み込み、アシュヴィンの能力で満たしていた。

「まだ……まだ!」

 次々と転落する人々の致命傷は、表面化する間もなく閉じた。

 血が溢れ、肉が飛び散り、そして即座に黄金に包まれていく。

 メアリーの光が揺れ、力を吸いとっていく。アシュヴィンの装甲が悲鳴を上げ、骨が軋んでいた。それでもメアリーはやめなかった。黄金の爆発は各所で弾け、稲妻のようになって城塞の上を駆け巡った。

 やがて人々が、軽微な骨折すらもなく走馬灯から覚めて起き上がるのを見届けて、メアリーは膝をついた。

 MPは枯渇していた。一定領域内部の傷を全て癒す《極大》を、エリコの特質で拡大したとはいえ、なかばバグ技にも等しいその代償として、必要なエネルギーは全て持っていかれてしまった。

「や、やりましたね!」

「……」

 メアリーは首を振った。

「全員は、助けられなかった」

 九割九分九厘のそれから幾人か溢れ落ちたって、十分な戦果だ。ユーフィーミアはそう言おうとして、やめた。

 メアリーは緊張を解いて、震える手で城壁を掴み、眼下を見下ろした。さっきの子供が大泣きしながら走っていくのを見て、メアリーはほっと息をつき、

 

「やってくれたな……小娘!」

 

次の瞬間、空中に撥ね飛ばされていた。

 雨傘が揺れ、その身体を叩きのめす。アシュヴィンたちが慌てたようにそれを追い、そして長靴に踏みつけにされて吹っ飛んでいった。

「エリコの特性を逆用して……広域治癒の発動……いや、それより、なぜ逃げ出せているのか……違う、違う!そうじゃないぞ、貴様ァ!よくも!」

「……へぇ、あの丁寧口調はどこいったの?」

 人家の屋根から、瓦礫を蹴り飛ばしてメアリーが立ち上がる。それを見下ろしながら、【降水王】は憤怒を通り越した絶望の表情で言った。

「あぁ、オーナー……あまりに無能で凡愚な僕を赦してください!僕は貴方の期待に背いてしまった!この取るに足らないちっぽけな【教会騎士】のあばずれのせいで!」

「あたし、そんなに不真面目に見える?」

 メアリーは挑発した。ユーリイはといえば、天を仰いでいた。

「今からでも虐殺を……いや、エキドナの儀式はすでに終わっている時間だ……錬成は完了し、リソースはもう継ぎ足せない、あぁ、あぁ、あぁ、あぁ!」

 その蒼白な顔が、メアリーを睨み付けていた。

「あぁ、《天上崩降砲(アイテール)》!」

 重力波が炸裂する。凝縮された高重力は、メアリーを即座に押し潰して肉団子に変えようとした。

「飛べ!《フライ》!」

 そして、あかがね色に染まったメアリーの拳がユーリイの顔面を殴り付けた。

 上級職とはいえ紛れもない戦闘タイプの拳は……空中を駆けるその拳は、非戦闘型ベースでしかないユーリイの鼻をへし折り、身体を吹き飛ばした。城壁に叩きつけられたユーリイが、鼻血を撒き散らす。

「……その、光は、まさか!」

 ユーリイが叫び、慌てて空を蹴る。

 ピカピカ光るメアリーは同じ高さから、それを見ていた。彼女も空を飛んでいた。

 【降水王】の一方的制空権は、もう崩れていた。

 

 <劣級(レッサー)>の力で。

 

 メアリーの身体を覆うあかがね色は、あの白黒の女の骸から拾い上げ、ずっと懐に隠していた【フライリカ】だ。緩やかに空を駆けるメアリー・パラダイスの拳と蹴りが、【降水王】へと襲いかかった。

 虚空を踏み、風を蹴り飛ばして、二人が格闘する。いまいましげに、ユーリイが呟いた。

「【劣級飛行】とは!白色矮星!」

「はぁぁぁぁぁ!」

 メアリーが絶叫し、拳を振るう。そのカラテ・チョップを躱しながら、【降水王】はますます毒づいた。

「厄介きわまりないですね!」

「お褒めの言葉、どうも!」

「その気はァ……ないですよ!」

 徒手空拳が絡み合う。だが、それも長くは続かなかった。

「クソ野郎……くたばりやがれ」

「……ッ!?」

 ユーリイの背後で、爆煙が膨れ上がる。その無重力の身体は容易く爆風に煽られ、雨粒とともに路面に叩きつけられた。

「新鮮な体験をさせてもらったよ」

 鋭い目で、拾ったバズーカ砲を投げ捨てた【運搬王】が言った。

「首の骨を折ったのは初めてだ。死ぬところだった、あァ、全く冗談キツいぜ」

「貴様、よくも……!」

「それはこっちの台詞だ。雨は降り続く。お前は生きている。リスクは消えてない。この機にきっちりトドメを刺しておかなきゃあ、怖くっておちおち気絶もしてられねェんだよ、なぁ?」

 【運搬王】が激怒の形相で呟く。その握り拳が振り抜かれ、そして一秒足らずで【降水王】の頭上へと、雨粒を押し退けて、ひしゃげた家一軒が現出した。

「洒落た墓標だぜ。安らかに逝けよ」

「これは、まさか【人足】系統の……ッ!」

 ユーリイが慌てて後ずさる。だが、死角になった瓦礫の向こうから、空中のメアリーがその家を踏み潰した。

「はぁぁぁ!」

二度と会うものか(アーメン)

 石と砂、瀝青と漆喰の塊が、雨乞系統超級職のやわな身体を押し潰す。メアリーのスタンプに呼応して、セ・ガンが吐き捨てた。

 そのとき、雨音が消えた。

 

「《自由飛孔(バーニアン)》」

 

 横合いから、轟音が炸裂する。次の瞬間、メアリーと【運搬王】の身体を吹き飛ばした赤色の影が、潰れかけのユーリイを巻き込んではるか通りの向こうへ墜落した。

 

 ◇◆◇

 

 ■冶金都市地下

 

 ウーは静かに立ち尽くし、考えを巡らせていた。

「ふん。予想外だ。リソースが足りていない。地上でアクシデントでも起こったのか?これでは<超級>には到底及ばないな」

 だが、その顔は絶望のそれではなかった。むしろ野心にぎらつく醜い顔で、ウーはひとりごちた。

「だが、エキドナの動作には支障がない。第二次実験では必ずや、スペリオルクラスのリソースを得られるだろう。失敗作は決して無為ではないのだから」

「いいや、無為だよ」

 キュビットが煤けた顔で、そう叫んだ。その手には、小さな弩が握られていた。

「【教授】。認めたらどうだい?あんたの計画は失墜した。これから俺たちがあんたを捕縛する。次はない。実験はこれにて終了、だ」

「代わりに始まるのは……」

 モハヴェドは、怒り顔で言った。

「……貴様の贖罪だッ!」

 威嚇射撃が鳴り、モハヴェドが踏み出した。

「さっさと投降しろ!絶望して許しを乞え!惨めな犯罪者らしくな!」

「犯罪者?それは違うな、わたしは科学者だ」

 ウーは愉快そうに言った。

「詩的な言葉で恥ずかしいのだがね、科学者というのは革命家なのだよ。世界の常識と法則を革命するナポレオンなのさ。来るべき皇帝として、わたしはブリュメールから逃げ出すつもりはない」

「違うな、学者どの。ここは貴殿のトラファルガーだ!」

 老騎士は叫ぶ。その槍は、威嚇などではなかった。鎧は軋み、瞳には殺意があった。

 風を貫いて、ゴルテンバルトⅣ世の切っ先がウーに迫る。その一撃は、頭蓋を砕き、脳をかき回すはずだった。

 ウーの顔面に、正面から止められるまでは。

「ほう!ならば、お前たちの『勝利(ヴィクトリー)』は!いったいどこに居るのだろうな!」

「ぬぅ!?」

 ウーが哄笑する。頭の一振で、か弱いはずの【教授】は、その槍を弾き飛ばした。火花さえ散っている。

「……理屈に合わんな」

 Ⅳ世が唸った。

「《看破》に支障はない。貴殿の肉体の力は、貧弱そのものだ。なぜそんな芸当が出来る?」

「どけ!」

 モハヴェドが絶叫し、発砲する。マズルフラッシュ。そして、鉄の礫。

 だが、それらはすべてウーに受け止められていた。その柔らかいはずの掌に。

「……凡愚が!」

 ウーが叫び、片腕を突き出す。

 

 その掌、そして前腕が変形した。刺々しく硬質なかたちに分裂し、牙をむくムカデのように走り出す。風を切って伸びたその触腕は、騎士の横をすり抜け、モハヴェドの銃を吹っ飛ばした。

 

「な……!」

「なぁ、少しはその貧相な脳みそに活躍の機会を与えてやってはどうかね?考えもしなかったのか?」

 ウーが嘲る。

「<劣級>の創製は我が<上級エンブリオ>をして、多大なコストを支払わねば可能ではない。下級時代にはまったく不可能だった。そこで……」

 

「この私が、第四形態への進化を待つ間、ただ暇をしていたとでも思っているのか?」

 

「お前は、まさか……」

 ウーの身体が、変形していく。腕はムカデのように、蒼白な顔は甲羅のように浮き上がり、眼球は激しく動く。

「生物!全身を寄生虫に置換しているのか!」

『何も不思議はあるまい。大したギミックでもない。気づかぬ諸君らが愚かしいだけのこと』

 蟲のかたまりは、ウーの声で言った。

『つまりだな、<劣級>の試作品だよ。ま、能力は探知への軽い抵抗程度のものだが。とはいえ、命令への従順さとヒトとの寄生同調システムはこの時点で既にほぼ完成している。素体選びにも苦労があったが……』

「この、化生が!」

 格闘を挑みかかる老騎士は、しかし容易く撥ね飛ばされてしまった。うねるムカデ腕に包まれて、ウーは笑っていた。

『鈍い鈍い!やる気があるのか?ほら、お決まりの台詞を吐かないのか?なぜ非戦闘型相手に!と言うんじゃないのか?』

「貴殿の、身体、それほどに!」

『あぁ。この眼球型はAGI……動体視力だけに特化させた寄生虫でね。亜音速程度までなら見える。それだけだ。攻撃は他の蟲が担当してくれるとも』

 こんなふうに!ウーは両腕を広げた。節のある腕は、周囲十メートルを制圧するように薙ぎ払った。

『ほら、お前たちは私の敵じゃなかったのか?そう認めたからこうも教えているのだ、少しは骨を見せろ、【大騎士】!』

「ならば、見るがよい!」

 老騎士は素早く周囲に目を配り、無造作に踏み込んだ。その青白い両腕を、青銅の籠手が覆う。

「《亡びの地平線(シバルバ)》ァ!」

 その髑髏は病の瓦斯を吐き、その装甲は触れるものを侵す。ウーの“腕”も例外ではなく……果敢に迎え撃った右のムカデは、顎から第三節までを黒く溶かされ、悲鳴を上げて光の塵になった。

『ふん』

 ウーは凍りつくような顔で(それも甲虫の類いなのだろう)口を動かさずに叫んだ。

『一手、返したつもりか?では、叩き潰させてもらおう』

 その袖が膨らむ。一瞬の後、新たな“右腕”のムカデが生臭い汁とともに飛び出し、Ⅳ世を襲った。ただし今度は、遠距離だ。

 顎が開き、毒液を吐き出す。シバルバの完全無差別病毒と反応したそれらは、大の男を二、三十回は殺せるだろう毒の白煙になって揮発した。

 毒ムカデがキチキチと鳴いた。

『……“サモン”が死んだか。ふん、悲しいかね?“ハーミヤ”』

 キュビットは顔を歪めた。

「あんたのそれ……」

『なんだ?お前は果物を食べるときに肥料に同情するタイプの人間か?』

 ウーがせせら笑い、そしてその足も伸長する。遠距離を確保した【教授】は、毒液を撒き散らしながらぐるりと、そのムカデ腕を振り回した。石が切り裂かれ、粉になって吹き飛ぶ。足を止めたゴルテンバルトⅣ世を、ウーの掌だったものから吹き出した液体が襲った。

『死ね』

 そして、ウーが指を鳴らした。火花が散り、毒液に引火する。次の瞬間、Ⅳ世は火だるまになっていた。

「この、ウー!貴様、何故だ!何故そこまでして!」

『理由か?そんなものが聞きたいのか?』

 ウーは切って捨てた。文字通り、Ⅳ世の槍も。

『力だよ。大きな力。より正確に言うなら可能性か。大きなエネルギーの果てにあるものが見たい。それだけだ』

 モハヴェドがナイフを投げる。それを“指先”で摘まみとったウーは、鋭い金属をバリバリ咀嚼して見せた。

『なぁ、この場所をどう思う?』

「なんの、話だ!」

『聞いたのはお前たちだろう。この場所だよ。いや、世界か。<Infinite Dendrogram>という、ここの事だ』

「それは、世界派か遊戯派かって話か?」

 指揮官系統の力を使いながら、キュビットが呆れたように呟く。ウーも吐き捨てた。

『遊戯……?下らんな。簡単に分かる。この“ゲーム”を成立させることは人類の現行技術では不可能だと。そのような、下らないものか、これが?』

「……じゃあなんだい?本当に魔法だって言うつもり?」

『さぁ、な。未知だ。完全に。オーパーツか?宇宙人か?オカルト魔術か?幻覚か?妄想か?……だからこそ、素晴らしい』

 そのときウーの声は、確かに恍惚としていた。

『アインシュタイン、ニュートン、ラザフォード、ガリレオ、プトレマイオス、エトセトラエトセトラ!彼らにとって、世界とはなんと未知で、余白に満ち溢れていたことか!それと同じだ!このわたしは今、大きな余白の前に立っている!それを埋める栄光はこの手の中にある!しゃぶりつくされた出し殻のごとき地球世界などもはやどうでもいい、私は可能性を手に入れたのだ!』

 ウーはギリギリと、ムカデ腕を引き絞りながら言った。

『そして<エンブリオ>こそがその根幹だ。分かるだろう?』

「……<エンブリオ>が?」

『あぁ。自明だろうに』

 ウーは石壁を破壊した。瓦礫と粉塵に、地下空間は汚れた。

『あの運営者どもが手ずから授けるのは<エンブリオ>だけだ。ジョブも、特典武具も、他のものは我々の自由、拒否することもできる。だが<エンブリオ>を持たない“プレイヤー”はいない。この世界は<エンブリオ>のためにあるのだよ』

 ウーの声は次第に小さくなっていた。

『私が欲しいのはそれだ。その秘密だ。<超級エンブリオ>を創造し、神のごときものとして……運営者どもからその地位を簒奪してくれる!この世の神秘を味わってやる!<エンブリオ>を再現するのも、力を集めるのも、すべてはそのためだ。真理のための必要経費なら私は惜しまない』

「狂っておる、貴殿は」

『狂っている?何故?この私の理路に間違いでもあるか?』

 ウーは言った。その胸が()()、中から蟷螂のような鎌が現れる。

 Ⅳ世が唸り、瓦礫を持ち上げた。シバルバに汚染された石を、ウーは手足を伸ばして素早く移動することで躱した。

『さぁ、明かしたぞ?どうだ?』

「何が!」

『最後通牒だ。我に与せよ。理想も計画も、申し分あるまい!運命が“敵”と定めたお前たちだから言うのだ、さぁ!』

「お断り、だ!」 

「あぁ、それに、大概のやつもそうだろう」

「狂人に付き合う義理はないのでな」

 三人の言葉に、ウーはいささか落胆したように蟲の蠢きを減じさせた。

『……理想に感銘を受けることもまた、貴き資質か。では、仕方がない。去るとしよう』

「させるかァ!」

 キュビットが叫び、その声が爆弾となってウーを襲う。ウーが耳の蓋を閉じるのが見えた。

「その<劣級>とてしくじったのだ!貴殿の逃走も、阻止してみせるとも!」

『あぁ、確かに。なぜ失敗したのだろうな?』

 ウーは呟いた。心底不思議そうに。

『想定量は申し分なかった。地上での収集過程にミスがあったか。ユーリイの実力ならばそうそうあり得ぬことだが。厄介な能力特性の<エンブリオ>でもいたのか……なんにせよ、結果はこれだ』

 その片腕が縮み、ヒトの形へと戻る。掌の中の卵を見ながら、ウーは言った。

 

『精々が……()()()()()()()()()()()()()()()()とは、な』

 

 そして、その卵から緋色の肉が盛り上がり、溢れだした。

 

 ◇◆◇

 

 グリゴリオが地下の扉を蹴破ったとき、その足はまだ再生の途中だった。アシュヴィンの治癒を得たとはいえ、骨と皮膚はまだ柔く、蹴りの衝撃がじんと響いた。

 だが、そんなことを気にしている場合ではもうなかった。

「なんだ、あれは!」

「……あぁ、グリゴリオか」

 蒼白な顔で、キュビットは言った。

「奴の……<劣級(レッサー)エンブリオ>だよ」

 

 それは、大きな肉の塊だった。血走った表面は軽く脈打ち、ひどく湿っている。てらてらと油っぽい皮のなかで、何かが蠢くのが見えた。

 なにより、それから感じる“圧”は、相当の怪物だと身体じゅうで感じられるものだ。

「なんにせよォ……」

 グリゴリオが走り出す。石床をリズミカルに蹴り、その手の鉈が炸裂した。

「……速戦即決!」

 その表面が白く染まる。グリゴリオは目を細めた。

「柔いな」

 見た目どおり、それは肉の塊に過ぎなかった。獣が持つ硬い毛皮も、鎧のごとき殻も、爪や牙さえ持ち合わせない肉だ。だが、嫌な予感がする。

「Ⅳ世!」

「応とも!」

 老人が唸り、その両手を緋色に突き立てる。青黒い汚染が、その身体を容易く蝕んでいった。

 そして、それが停止した。

 病変部を切り離したのだ。その肉はどろどろと床を転がると、膨らみ、巨大な舌のようになって四人へとのし掛かった。

 しかし、その攻撃は容易く躱された。肉塊はしばし考えるように静止し、そして再度持ち上がった。

「な……ッ!」

 グリゴリオは確かに見た。それの表面が、堅く硬質な殻へと変わっていくのを。

 支えを得た<劣級>が、地下空間を薙ぎ払った。赤い殻と石が擦れ、耳障りな音を立てる。

「……ッ!やれ、ヤマビコォ!」

 キュビットが口に手を当て叫ぶ。その音波砲弾は、狙いたがわず肉塊へとぶつかったが、硬さを増した殻に跳ね返された。

「これは……」

「進化。いや、個体の変異にはもっと、違う言葉を使うべきか?」

 グリゴリオはそう言って、唾を飲み込んだ。

 

 ◆

 

 ■『それ』について

 

 その肉塊は、原始的な意識で考えていた。

 辺りをうろつく小さいものたちは、ちっぽけだが侮れない力を持っている。既にそれ自身を侵さんと、少なくない損傷を負わせていた。

 必要なのは、防御だ。柔らかい組織を露出していては、容易く()()()()()しまう。

 けれど、それは直ぐに間違いを悟った。

 殻を作るだけではだめだ。これでは存分に動けない。鈍重では敵の“力”を避けられない。

 分割し、層を形成する。これなら動きを阻害せずに守りを得られる。そのヒントは既に与えられていた。

 肉は膂力に繋がる。けれど、もっと効率的な分割と配置をするべきだ。

 重力に従って這いずるのでは不自由だ。接地面を減らし、動きを良くしたいと欲する。外の殻は支えになってくれるが、肉の芯にも硬いものを作るべきだろう。

 探せば、情報は無数にあった。その断片を繋ぎ合わせ、自分を形成していく。必要な力を獲得し、時には捨て去る。

 損傷は避けられないこともある、とそれは早々に学んでいた。それを素早く的確に知っておくことは大事だ。

 傷を知るための“信号”と、それを伝える経路を作り出す。ふと、それが他の信号も伝えられることに思い至った。

 辺りに溢れる無数の刺激は、外界を把握する助けになるかもしれない。それは自分の内部を探った。さいわい、必要な情報はすぐに見つけられた。

 

 肉塊は変形し、成長をしていた。緋色の外骨格だけではなく、内部にも堅牢な骨組織を作る。単なる肉ではなく、筋肉が生まれ、それを動かすための血液経路と神経系が整備され始めていた。

 骨が変形し、軋み、最適化されていく。先端部にはいつしか、外骨格が変異した、攻撃に役立つ“爪”が生まれ、ずるずると這いずっていた身体はいまや床を踏んで動き出そうとしていた。

『そうだ!』

 どこかでウーが騒いでいるのが聞こえたが、グリゴリオたちにはもうそれを気にするような余裕はなかった。モハヴェドがひきつった顔で“それ”を睨む。

『そうだ!エサは存分にある!』 

 緋色の肉がふと、一辺を持ち上げた。それはどこか、“顔”とすら呼べるように思えた。

『取捨選択しろ!情報を!そして目覚めるがいい、我が<エンブリオ>よ!』

 肉塊に切れ込みが入る。次の瞬間、透き通るような色の巨大な碧眼が、モハヴェドの顔を見つめていた。

 

 それが、瞬きをした。

 

 To be continued

 

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