星と少年   作:Mk.Z

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第二十二話 白痴

 □西暦2043年 上海

 

 その男は、ノックの音にも振り向かなかった。

 スライドドアが滑らかに開き、そして軽く静かな足音が踏み込んでくる。いくつかの紙ファイルや情報デバイスが置かれた分厚い机を回り込んで、その足音は彼の背後に近づいた。

「ここにいたんですね、(ウー)教授」

「ユーリイか」

 呉はそう言うと、テーブルの上で走らせていたペンを止めた。

「私がここ以外にいると思ったのか?」

「いえ。僕の知る限り、あなたはこの部屋に閉じ籠ってばかりですよ」

 ユーリイはそう言うと、買ってきた珈琲を机の上に置いた。

「根を詰めすぎです」

「ありがとう」

 呉教授は珈琲を手に取り、しばしその香りを楽しんだ。

「……研究テーマの選定に行き詰まっていてね」

 呉は言った。

「学生のような台詞だが。やはり新機軸の視点がないことには埒が明かない。どうも構想段階からやり直す必要があるな」

「一度息抜きでもしてみてはどうです?煮詰まったときはなにもかも駄目に見えるものですよ」

「至言だが、余暇はないんだ」

 呉は静かに、しかし確かに焦っていた。

「……成果を出さなければ。ここのところはいつもそんなことを考えている。本当なら、真理を探求することにはそんなもの、不純物でしかないはずなのに。……私は弱いな」

「そんなこと」

「いや、弱いよ。能力がありさえすれば出ない悩みだ。結局、私は凡人だったのさ」

 ため息をつく呉に、ユーリイは一瞬悲しそうな顔をしたが、やがて気を取り直し、その背後から大きな箱を取り出した。

「では、時間の要らない息抜きをしましょう。数時間くらいは余裕もあるでしょう?」

「なんだ?」

 ユーリイが笑顔で取り出して見せたのは、つるりとしたヘッドギアだった。呉は顔をしかめた。

「ゲーム?」

「お嫌いですか」

「バカを作る機械だ」

 心底侮蔑したように呉は言った。

「ヒトの創造性を搾り取って、思考を鈍らせる。受動的な無気力人間にはお誂え向きだろうが、あいにく私はごめんだ」

「まぁ、そう言わずに。これが只のゲームでないことは保証しますから」

「噂は聞いているさ。荒唐無稽なものを」

 呉はそのヘッドギアを持ち上げ、トントンと叩いてみた。

「君がこんなものに興味を持つとはね」

「逆に考えてみてくださいよ。僕が勧めるんです。それとも、信用なりませんか」

「いや」

 呉はその機械を持ち上げ、不承不承眺め回していた。そして、それを被った。

「名前は、どうだったか。確か……」

「<Infinite Dendrogram>」

 ユーリイは笑顔で、自分も座椅子に腰かけた。

「無限の系統樹、ですよ」

 

 ◇◆◇

 

 ■現在 冶金都市地下

 

 ウーは目の前の肉を見た。

 獣のようなそれは、爪を軋ませ、ぎろぎろと辺りを睥睨した。心臓の鼓動が微かに聞こえてくる。

「悪くはない。試料は多いほど良い」

 ウーは呟き、そして敵を見た。

「さて、諸君。名残惜しいが、私はそろそろ……立ち去らせてもらう。こうなった以上、しばしカルディナから逃亡せねばならんのでね、諸君らの無様を楽しんでいる余裕はないわけだ」

「させると思うか!」

 モハヴェドが走り出し、ウーが即座に腕を振るう。鞭のようなムカデに吹っ飛ばされたそれを見もせずに、ウーは踵を返した。

「そこで我が実験体と遊んでいたまえ。データも欲しい」

 ウーの手の中には、あの卵のような核、<劣級>のコアが握られていた。

「ご協力感謝するよ、正義の戦士たち?」

「貴様ァ!」

 そして、緋色の獣が吠えた。

「おお、空腹か?安心しろ、エサなら幾らでもある。核は私が持っている。腕試しが終わったら戻ってこい」

 ウーは言い聞かせるように言い、そして後ろの扉へと消えた。重苦しい扉が完全に閉じる。

 次の瞬間、獣の体当たりが扉を押し潰した。

「逃がすか!」

 キュビットたちがいきり立つ。だが、緋色の<劣級>の威圧感は、その足を止めるに十二分だった。

「……素通りは無理か」

 獣はまた吠え、その肉はみちみちと変形し続けていた。首が伸び、頭蓋が膨れる。肩口が開き、腰が細くなる。キュビットが顔をしかめた。

「まるでヒトじゃないか」

 緋色の巨人は、四肢をついて立ち上がろうとした。

 バランスを崩し、巨体が壁を打つ。舞い上がる土ぼこりを払って、キュビットが吐き捨てた。

「これで失敗作かい?」

「まったくであるな」

 老騎士がシバルバを構える。

「どうやら、赤子だ。よちよち歩きの赤ん坊。だが、自分の体の使い方を学んでいる」

 目の前では、巨人がうずくまり、自分の掌を興味深そうに眺めていた。途端に指が増え、五指になる。

「まだ成長途中らしい」

「知恵がつくと厄介だ。早めに仕留めるぞ」 

 グリゴリオが冷や汗をかき、

「Ⅳ世。頼む」

「承った」 

老騎士が吶喊した。 

「シャァァア!」

 病毒の煙を吐く篭手が、深紅の殻へと突き刺さる。あらゆる接触が病をもたらす<エンブリオ>だ。攻撃力だけを見るなら、文句のつけようもない。

 だが、老騎士は顔を歪めた。

「効きが悪いな……」 

 シバルバは触れるもの全てを侵す病、例外はない。その筈だ。

「病毒耐性か?」

「違うぞ、じいさん」 

 モハヴェドが呟く。

「空気だ」

 緋色の殻の前に、空気の層が生まれていた。眼を凝らせば、毛穴のような気孔から圧縮空気が吹き出しているのが分かる。

「シバルバの瘴気が弾かれるとは……わしの能力を『覚え』られたか!」

 篭手は触れている。青黒い病変部は、確かに広がっていた。

 だが、遅い。スピードが足りない。

 巨人が唸り、両腕を振り回す。一度は辛うじて避けたⅣ世も、二度目の攻撃は躱せなかった。

「ぐ……」

 頭上から振り下ろされた拳を、老人が受け止める。青黒い病が止まり、瘡蓋のようになって剥離していた。

「このままでは、わしが先に落ちるぞ……!」

「任せろや!」

 グリゴリオが走り、その腹を殴り付けた。

「《地塩土(ジエンド)》……」

 殻が白く変じる。

「……《塩害(メラハ)》!」

 そして、塩に変化した殻がぱっくり割れた。ソドムの操作で変形しているのだ。

「抉じ開ける……内部に叩き込め!」

「あいわかった!」

 Ⅳ世が鼻息荒く、巨大な拳を跳ねあげる。鈍い巨人の腕の下をくぐって、傷口へと走った。

「……っと、あぶねェ」

 グリゴリオがシバルバの瓦斯を避ける。青黒い瘴気は、重苦しく地を這うように広がっていた。

「こっちも問題だな……手早く済ませないと、この地下空間がまるごとヤバい」

 壁が病んでいた。厚い石は多少崩れた所で問題ないが、このまま続ければ生き埋めになる。

「それでもいいか?どうせあいつもオダブツ……」

 モハヴェドをちらっと見て、グリゴリオは首を振った。ティアンは殺したくない。

 巨人は腕を乱打したが、Ⅳ世は捉えられなかった。

「貴様の動き、既に見た。学習能力がそちらの専売特許と思うてもらっては困るな!」

 Ⅳ世が走る。具足が剥がれ落ち、老人は加速した。

「ヤれェ!」

 グリゴリオが両手を広げ、ソドムに命じる。塩結晶操作能力が、傷口を閉じようとする巨人の意思と拮抗する。

「Ⅳ世!」

「シバルバァァ!」

 Ⅳ世が貫手を作る。無差別殺人ガスの塊が、緋色の肉へと突き刺さった。

 

 ……かに、思えた。

 

「くぉお!」

 次の瞬間には、老騎士が吹き飛ばされていた。ガスもだ。猛毒のそれらは壁に叩きつけられ、反動でグリゴリオたちを襲った。無差別だ。

「クソ!最高だな!」

 右腕をガスに侵されたグリゴリオが、躊躇いなく厚手のナイフで肉を切り裂く。

「全員離れろ!」

 落ちた腕の肉がよじれて萎びていくのを見ながら、グリゴリオは叫んだ。

「Ⅳ世!何があった!」

「爆発、だ」

 Ⅳ世はうめいた。

「だが、知っている……知っているぞ、これは!」

 緋色の巨人は、上体を起こしていた。その口、牙の生えた顎の中には、炎の明かりが点っていた。

 再び、巨人が炎を吐く。着弾した火は、炎熱に不釣り合いな爆圧でまたも四人を吹き飛ばした。

「ノックバックか!」

 モハヴェドが最後尾で叫んだ。これで、近距離はやりづらくなったというわけだ。だが、遠間の戦闘なら……

「俺がやるよ!」

 キュビットが喚く。口に手を当て、息を吸い込む。

「《喧騒曲・最終楽章(ヤマビコ)》!」

 その宣言は、そのまま衝撃波となって巨人を襲った。威力はさほどでもないにせよ、怯ませるには十分だろう。

 だから、巨人もそう思ったのだ。

 緋色の双掌を持ち上げる。広がった五指は、ヤマビコの音波増幅能力を掴み取り、握りしめ、あまつさえ投げ返して見せすらした。

「ッ!」

 キュビットが眼を見開く。一般【司令官(コマンダー)】の彼に、大した耐久性はない。

「ァ……!」

 鼓膜が裂けた。顔面からも血を垂らしながら、キュビットが膝をつく。跳ね返った自分の声に、耐えられなかったのだ。

「チクショー、世話の焼ける!」

 グリゴリオが毒づき、地面を踏み鳴らす。屹立した塩の壁に気を取られ、巨人はそれを殴り壊し始めた。

「知恵が足りないのが救いだぜ……アホ頭め。それともそのうちそれも、進化するのか?つくづく気が利いてるな」

「これ、は……」

「喋るな!」

 モハヴェドが薬瓶を握り潰し、キュビットの頭へ振りかける。遠くで、壁にめり込んだⅣ世が言った。

「知っているぞ……あの爆発(ブラスト)、そして今の、反撃(コンダクト)……!」

 老人が立ち上がる。髭が煤けていた。

「甘く見ていた、な。只の怪物ではない」

「あぁ、そうらしいな」

 グリゴリオは深く息を吸い込んだ。

「こいつ、今までの<劣級(レッサー)>どもの能力を……その因子を、引き継いでやがる!」

 

 ◆◆◆

 

 ■冶金都市・地上

 

 瓦礫が崩れた。

 通りを半ば吹き飛ばした隕石は、マントを翻して棒立ちしていた。一つ目の仮面が、辺りを索敵する。

 そこにいたのは、“自殺(スーサイダー)”のブラーだった。

「……雑魚、雑魚、雑魚ばかりか」

 ブラーは愉しそうにそう言うと、ふと、【運搬王】に眼を留めた。

「けど例外が……ひとり」

 その上ずった声に、セ・ガンが思わず後ずさる。メアリーが顔をひきつらせた。 

 ブラーは叫んだ。

「超級職の……ティアン!あァ、僕はなんてついてるんだろう!ラッキーこの上ないじゃないか!」

 眼紋が深紅に輝いた。

「しかもEND型。おあつらえむきだな。ここに来て運営のアホどもめ、公平性にテコ入れでもしたのか?」

 けれど、と、ブラーはうつむいた。

「迷うなァ……実に迷う。お前から取りかかるのも悪くないけど……優先順位を決めるのは難しいなぁ」

 瓦礫がまた、崩れた。そして吹き飛んだ。

「……やっぱり、お前からか」

「ブラー!」

 血みどろのユーリイが、瓦礫を蹴散らして立ち上がる。割れた薬瓶を投げ捨て、ユーリイはブラーを睨んだ。

 ひどい有り様だった。大して本気でもない横入りだったとはいえ、まるで自動車事故にあったようにその衣服はぼろぼろ、身体は傷だらけだ。裂けた胸元には、本来なら致死量の出血の色が見えた。

「いっぱい血が出てるぞ」

 ブラーは不気味な笑顔で首を回した。

「ま、仕方がないね、【降水王】?お前から片付けよう。すぐに終わらせてあのティアンを捕まえる。面倒臭いから早めに死んでくれ」

「勝手な口を利いてくれますね……!」

 ユーリイは憤懣やる形無しというふうで呟いた。

「今度は、()()()裏切ったというわけですか。良いんですか?<劣級>は手に入りませんよ」

「いいさ。こっちで勝手に貰うから。知ってるよ、お前らのソレ、所持品扱いじゃないから死んだら連れてけないだろ?それにさぁ……」

 ブラーは地面を指差した。ユーリイに見せつけるように、親指で。

「計画の品、完成したんだろ?ご苦労様。疲れたろ?あとは僕が引き受けよう、安心して失せろ」

「それを許すとでも?」

 ユーリイが一歩、空を踏む。ブラーも静かに浮き上がった。

「分かりませんね、僕らと敵対するメリットが。もう少し頭のいい人間だと思っていましたよ。<劣級>の製造は僕らの独占、その源泉と決裂していいのですか?」

「分かってないのはそっちだよ。僕はあの頭でっかちも、ファナティックなお前のことも、一度だって信用したことなんかない」

 ブラーが機械の装甲腕を構える。

「トビアの望みだからお前らとつるんでやってたんだ。僕はね、<劣級>なんて欲しくはないんだよ。あいつの首輪つきになるなんて、そんなリスクは願い下げだね」

 マントが揺れた。ブラーはひらひらと手を振って見せた。

「他人に頼って手に入れた力になんの意味がある?お前らの胸先三寸でへいこらして得られるものなんて、奴隷の権利でしかない」

「そういう物言いだから、あなたはあの人に及ばないんですよ。その<エンブリオ>とて、他人から与えられたものに過ぎないのに。鎖に気づけすらしない奴隷ほど、滑稽なものはない」

「幻覚の鎖が見えてるやつの方が滑稽だよ。そのハッピーな頭で、頑張って煽りを考えてるのか?」

「自分が人より賢いつもりですか?第六止まりの凡人が」

「それしか言えないんだろう?本気でやったら、負けちゃうものなぁ!」

「ブラァァ!」

「シュトラウス!」

 二人の上昇が、止まった。

 

「「死ねァ!」」

 

 そして、空が爆発した。

 

 瞬時に加速したブラーを、ユーリイは空を蹴ることで躱した。アシュトレトの突撃であっても、動かすのは人間だ。攻撃にはタメがある。狙いを読めば、避けられる。

「自分の能力に耐えられない間抜けの癖に!僕より強いだなどと、よくぞ言ったものですね」

 ユーリイは振り向きながら言った。

「知っていますよ、ブラーさん。僕らも<DIN>は使えるんですから。あなた、あの盾をもう持ってないんでしょう?」

 嘲るように、ユーリイはまた空を蹴った。一秒遅れて、ブラーの突撃が通りすぎ、地表に激突した。

「空力特性、対ショック、なにより耐久性。【弾頭盾(ストライカー)】はあなたの本気を出すのに必須のパーツだ。けれど、アルター王国での一件で、あなたはそれを二つとも喪失した」

 土煙が舞い上がる。その奥で、深紅の光が燃えていた。

「余人には大したニーズもないガラクタですからね。決して高性能ではないのに、いや、むしろそうだからこそ、このカルディナでも購入は難しい。市場を探し回ったのに、見つからなかったでしょう?」

 ユーリイはブラーを見下ろした。上下を示すために。

「弱体化したあなたなんて……」

 だが、ユーリイは言葉を切った。

「……弱体化した僕が、どうしたって?」

 ブラーが叫ぶ。土煙が晴れる。

 瓦礫を踏みしめて、彼は立っていた。

 尖った先端が煌めく。滑らかな装甲が曇天を映して光る。

「チッ……」

「おろしたてだ!」

 そこには、【弾頭盾(ストライカー)】を装備したブラーが、空に狙いをつけていた。

「《自由飛孔(バーニアン)》!」

 一段と速さを増した突撃が天を目指して飛ぶ。一秒遅れで、ユーリイが空を振り向いた。

「カルディナに流通はなかったはず……どうやって」

「さぁ、なんでだろうね?後でゆっくり考えれば?」

 ブラーが笑い、今度こそユーリイを照準した。そのマントが膨らみ、バーニアたちが炎を孕む。

「さよならだ、【雨乞(レインメーカー)】!」

 そして運動エネルギーの塊が風を吹き飛ばし、ユーリイの身体をも巻き込んで地上の町並みごと爆発した。

 凄まじい爆風に、周囲の人々が逃げていく。セ・ガンも、メアリーも、ユーフィーミアも、煤けた顔でそれを睨んでいた。

「ハハハ!最高だ!実にイイ気分だ!」

 爆心地で、ブラーは天を仰いで吠えた。

「証明!僕の力の、強さの、価値の!虫けらどもが、思い上がらぬための!ハハハ!最高の爽快感じゃないか!」

 その笑顔が、ゆっくりと振り向いた。

「さて。次は【(キング)】だ。結構早く済みそうだな」

 ブラーが歩き出す。だが、その足はすぐに止まった。

「……思い上がりは、あなたのほうだ」

「……ッ!」

 ユーリイが、ブラーの盾をつかむ。弾頭型のそれに手を這わせ、ユーリイは身を起こした。

 ブラーは唇を歪め、不快そうに息を吐いた。

「外した……?バカな、盾が刺さらなくたって、衝撃波だけでもアタマが吹っ飛ぶはずだ!」

「ええ、そうですね」

 ブラーが飛び退く。舞い上がった埃を厭うように、ユーリイは顔をしかめた。砕けた鱗を投げ捨て、蹴り飛ばす。

「最後の【竜鱗】だったのに」

「雨乞が?小突いただけで殺せるはずなのにな!」

 ブラーが気味悪げに叫ぶ。その右腕が機械の鎧を纒い、そしてそれが口を開けた。

「《フェザー・ミサイル》!」

 炎の弾頭が飛翔する。【降水王】には過剰なまでの攻撃が、ユーリイめがけて突き刺さった。

「《ラッシュ》」

 そして、ユーリイが消えた。

 爆煙に、視界が塗り潰される。次の瞬間、ブラーの背後でユーリイが雨傘を振り上げていた。

「なッ!」

「《グレネード・ランチャー》」

 エシの爆風が、ブラーを吹き飛ばす。ブラーは盾を構えたまま転がり、土埃を吐き出しながらユーリイに向き直った。

 深紅の炎の中で、冷たい表情のユーリイがブラーを見ていた。

「何をした?」

「できないと言った覚えはありませんよ?」

 炎に炙られて、ユーリイのはだけた胸元が揺れる。乾いて黒ずんだ血が剥がれていく。

「お前……」

 ブラーは顔をしかめた。

「……正気じゃないよ」

「これこそが、<劣級(レッサー)>の真髄!」

 

 その胸元には、七つの紋章が刻まれていた。

 

 紋章は絡み合い、一つの大きな紋様を成していた。完全に治癒していないひきつれた傷口から、血が滲んでいる。

「重傷の傷口に、押し込んだのか」

 複数基搭載形態(フル・レッサー)。単なる寄生生物に過ぎないのだから、当然一人にひとつとは限らない。予想の範疇だ。

 ブラーは一瞬ためらい、そして突進した。

「けどさぁ、だから、どうなんだよ!」

 マントが膨らむ。瞬間、音の壁を突き破った緋色の弾丸が、ユーリイに飛びかかった。

「……ッ!」

 刺々しい鎧に身を包んだユーリイが足を曲げ、傘を広げた。破れ煤けた雨傘が、“衝撃と衝突した。

「《ハーデンアームド》!」

 【劣級硬化】・【劣級武装】の能力と、アシュトレトがせめぎ合う。下級相当に過ぎないハーデニカたちが一瞬で押し負け、ユーリイが吹き飛んだ。クレーターの最奥で、振り向いたブラーが呟いた。

「少なくとも、一撃じゃ殺せないってわけかよ!」

「《ラッシュウォーク》」

 ユーリイは立ち止まらなかった。END型のブラーが振り向くより早く、その足が宙を蹴っていた。加速された空中歩行が天へと昇る。後には足跡さえ、残らない。

加速時間終了(ラッシュタイムアウト)加速時間終了(ラッシュタイムアウト)!』

「《グロウコンダクション》」

 鞭のようなものが走り、そして膨らんだ。ブラーを覆うように五本の有刺鉄線が突き立ち、巨大な植物へと変わった。それらが一瞬でブラーを押し潰し、棘皮と質量で攻撃する。

「バカが!」 

 ブラーは吐き捨てた。その身が赤熱し、直上へと打ち上がる。ロケットのような推力で、ひ弱な植物たちは即座にばらばらに引き裂かれ、ブラーが叫んだ。

『こんなもの、効くか!』

「でも、視界は途絶えたでしょう!」

 その軌道の背後で、ユーリイが傘を構えていた。

「エシ!撃て!」

 徹甲弾がブラーを刺す。装甲を貫くための弾丸はその名に恥じず、ブラーのEND(アーマー)を突き破った。右肩が弾かれ、鮮血が溢れる。

「貴様……ッ!」

「《グロウラッシュ》!」

 次の銃声は聴こえなかった。それより速く、着弾した“種”が発芽したからだ。

「【劣級成長】の弾は種子。生命なら、その弾速も【劣級加速】の範疇です」

「また目眩ましかよ!」

 空中で出現した大樹に締め付けられながら、ブラーはうめいた。ユーリイは狙撃銃を構えたまま、左手を広げた。その傷だらけの腕で、紋章が輝いた。

「《ハーデンコンダクション》!」

 鞭が走る。それは黒々と硬化し、軋み、イバラのような枝をすり抜けて、ブラーを取り囲んだ。頑丈な“線”に伝導されるのは、ユーリイ自身の力だ。

さらに(プラス)天上崩降砲(アイテール)》!」

 純粋に重量だけを叩きつける運動エネルギー砲が、鞭の形になってブラーを包囲している。【盾巨人】の目がそれを捉えるより早く、全周囲から“重さ”が炸裂した。

「つァ……ッ!」

 グローリカの草木も粉々にして、ブラーが爆発に飲み込まれる。一点めがけて集中したエネルギーは、溢れて熱や光に変わり、荒れ狂った。

 ここにきて【降水王】が効いていた。<劣級>複数個の消費は決して小さくないが、雨乞系統は曲がりなりにも魔法職だ。そして、その上で行われる能力の乗算は、

「予想以上です。<劣級(レッサー)エンブリオ>の複合……下級相当の試作品でもこうも違う。まさしく可能性だ、これを突き詰めた先にどれ程の“パワー”が現れるか……!」

「……随分と、愉しそうだな!」

 墜落しかけたブラーが吠えた。

「<劣級>をたんまり積み込んでご満悦かよ!それで僕より強いつもりか?結局、あいつにおんぶにだっこじゃないか!」

「そうですね。なにか?」

 ユーリイは首をかしげた。油断なくブラーの動きの兆しに目を配り、加速歩行の気構えをしながら。

「そう、()()()()アシュトレトは強力ですね。反動すら無視してスピードに特化した飛行能力、間違いなく強い。けれど、それはあなたの本質だ」

 ユーリイの言葉は、決して称賛ではなかった。

「己が破滅すらかえりみず、他人を追い越す。空から見下ろす。超越するための能力。トップを走っていなければ気が済まないその焦燥は、恐怖の裏返しだ。そんなに他人が恐ろしいんですか!」

「分かったような口を利くな!謙虚すぎて何もできないお前とは違う!僕の力は、超越するための力じゃない。超越の証明だ。誰も僕に追い付けない、そうだろうが!そう、超級(スペリオル)だってすぐに手に入る!あのガキを利用して、運営どもの目を引いてやる!」

「利用して、ねぇ。利用ですか」

「なんだよ?」

「いえ。そんなことが出来るのか、疑問なだけです」

 ユーリイは濡れた髪をかきあげ、薄く笑った。

「ティアンは人間じゃない、と、あなたは常々言っていましたね。けれど、人と同じ形で、人と同じ言葉で、人と同じ様に泣き笑う、それを人間扱いせずにいられるほど、あなたは非情じゃないですよ」

「何を言ってる?」

「分かっているでしょう?自分でも。心の底ではティアンに感情移入しているくせに。あなたがティアンを見下すのは、見下せるのは、自分と同じスケールの中に組み込んでいるからだ。あなたにはあの子供は使い捨てられない。そろそろ情が移ってるんじゃないですか?」

「考えすぎの妄想を無秩序に垂れ流す、その悪癖を直すことをおすすめするよ、シュトラウス。僕は<超級(スペリオル)>を手に入れるためならなんだって犠牲にする。そう言ったはずだ」

「自分で言っているじゃないですか。犠牲。わざわざそんな言葉を使うことが、なによりあの子供への情の現れです」

 ユーリイは切り捨てた。

「善人にもなれず、かといって非情にも徹しきれない。まだ気づかないんですか、あなたが、僕と同じ……」

 

 どっちつかずの凡人だということに。

 

「黙れ……!」

 ブラーが空へと舞い上がる。そのバーニアたちが、熱と炎を吐き出した。

『他人を理解できるつもりか!お前みたいなやつが!ウーを盲信するだけの人間が!』

「理解できないほど複雑な自我を持ち合わせているつもりですか?単純な凡人だからこそ、そんな能力(エンブリオ)になる!」

 ユーリイが傘を構え、石化ガスを放出する。

「あの人は特別だ!目的のために、合理的に行動できる人物だ!盲信して何が悪い!稚拙な自我に拘ることこそ愚か者のやることでしょう!」

『持論を押し付けてくるな!お前の考えがどうだろうが知ったことか!下らないか?僕の願いは、望みは、不満は!怒りは、僕だけのものだ!安いカテゴライズなんてさせるか!僕の怒りには、誰も踏み込ませはしない!』

 ブラーはさらに加速した。AGIを伴わない乱雑な攻撃が、竜巻のように渦を描いてユーリイを巻き込もうとする。ガスが飛び散り、空を汚した。

『《貞淑なる撹拌(アシュトレト)》!』

 雨粒を吹き飛ばしながら、盲目の流星が荒れ狂った。音の壁を突き破った爆音が遅れて響き渡り、嵐のように衝撃波を撒き散らす。

 その外縁で、ユーリイは空を見上げた。

 稚拙な行動だ。自分でも何を狙っているのか把握できていない。だが、めったやたらに突進するだけの、しかも超音速の弾丸は、悔しいがユーリイの戦術眼でも読みきれない。意思も合理も意図もないからだ。

 ユーリイが片手を上げた。傘を構えたその腕には、石突の先まで黒い鞭が巻き付いていた。

「《コンダクト》」

 頭上では、曇天が渦巻き始めた。重苦しい雲が流れだし、排水口に落ちる水のように、ユーリイめがけて集まってくる。

 ユーリイの全身はよろわれていた。硬化し、武装されていた。雨雲がネジのように縒り固まり、ユーリイがそれを掴んだ。

「《ラッシュ》」

 眼が開く。加速された眼差しをもってしても、ブラーの突進は微かにしか見えなかった。

 けれどそれでいい。少しだけ、見当がつけばいい。

 空が晴れた。ユーリイはいまや、雨天を掴んでいた。手の先には凝縮された“雨”があり、そして<劣級>たちがコンダクティカを通じて力を注ぎ込んでいた。

 ブラーがユーリイを軌道上に捉える。ユーリイは鞭を振り下ろした。

 

「“雨の一撃(ブーリァ・アターカ)”!」

 

 一秒たらずの後。降雨を伝導する鞭が、緋色の弾丸と衝突した。

 

 To be continued

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