星と少年   作:Mk.Z

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第二十三話 敵意

 ■雨乞(レインメーカー)系統

 

 雨、というのはーー

 

 まず、水だ。

 

 海や湖、川、もっと小さなつまらない水溜まりからでさえ、『蒸発』は起こる。

 気体になった水は、風に運ばれるままに動き、寄せ集まり、やがて空の上へとたどり着く。

 そこはとても寒い。融点を逆向きに越えるほどに冷たいので、気体になった水はその姿を保てずに液体へと戻る。『凝縮』だ。

 液体の水、細かな粒は、そして即座に凍結をする。チリのようになって高空を漂う。これが雲である。

 雲は永遠には続かない。集まってきた水分が重く、沢山になるにつれ、その浮遊は限界へと近づいていく。

 雨の始まりは『20マイクロメートル』、それ以上はない。上昇気流の内部でさえ支えきれぬほど肥え太りすぎた水滴は落下を始め、あたたかな低空で完全に、液体へと戻る。

 この一連の動きを支えるのが、気流と気温だ。水滴、氷の粒、それらはすべて、目に見えてくる結果に過ぎない。

 大事なのは大気だ。水蒸気を集めて渦巻かせる風や、氷の粒が成長するまで留めておく上昇気流。

 

 つまり低気圧。

 

 とにかく雨というのは、そう簡単に出来上がるものじゃない。ひどく込み入った自然現象の連鎖の果てに生まれるものだ。

 雨乞も例外ではない。雨乞系統が取り回しの悪い大技しか使えないのは、気象操作が大がかりな魔法だからに他ならない。

 その術は、前述の通り大気に大きく依存している。大雑把に言って、《レイニー・プレイ》の本質は気圧に干渉することである。

 

「“雨の一撃(ブーリァ・アターカ)”!」

 

 【劣級伝導】が伝え、絡め取ったのは、低気圧そのものだった。凝縮されたそれは周りの大気を押し退ける空気の渦として、鞭の形で振り上げられている。

 だが、下級相当の寄生虫ではそのような反動には耐えきれない。【劣級硬化】と【劣級武装】による二重架橋強化がなければ、虫の(しっぽ)がちぎれて消し飛んでいただろう。

 【劣級歩行】は、空を踏む力場を【劣級伝導】に対して発動していた。極度の低気圧が()()()()()()、目に見えるほどの気流の歪みとして現れる。

 加えて【劣級武装】の持つ高熱ガス炎と、【劣級成長】の植物発生能力が混ざっていた。燃やされ、熱せられた微細な灰の粒子が上昇気流を強め、低気圧を強めている。

(そして、オーナーから預かったこれを……)

 【劣級水流 フローリカ】。水属性の<劣級エンブリオ>。カタツムリのようなそれがユーリイの腕にしがみつき、触覚を伸ばしている。能力特性は、強酸の水だ。

 降雨の質が変貌していた。圧縮された雨は、猛毒の酸性雨に変わっている。触れれば皮膚が焼け、粘膜が焦げる。

 それらの結実は、猛烈な上下方向の嵐となって、迫り来るブラーを直撃した。

 この気象兵器こそが、ユーリイの極致。

 キロメートル単位で発生するはずの気象を、わずかな大きさに閉じ込めた一撃が、無数の悲鳴のような音を立てて空を引き裂く。雷鳴混じりの黒雲が走り、矛盾する気流が渦を巻いた。頭上では、吸いとられた《レイニー・プレイ》の曇天が消え、くすんだ青空が見えていた。ユーリイの背後で、日差しが光る。

(眼は奪った!AGIもない!この攻撃は避けられないでしょう!)

 

『《自由飛孔(バーニアン)》』

 

 弾丸のようなブラーは、噴煙を纏ってその破壊的な大気を受け止めた。その軌道が直角にへし折れ、地表へと落ちていく。一瞬遅れで、爆発的な衝突音が辺りの風をも吹き飛ばした。

 瓦礫が吹き上がる。家一軒を粉々にして、【盾巨人】は立ち上がった。弾頭型の盾がぎらりと光った。

「……ッ!この……」

 そして、その耳鼻から水のように血が溢れた。

「……あ?」

「たとえEND型であっても、体内にはその強化も及びにくい。眼や耳、鼻は、体内へと繋がる出入り口です。そこへ強烈な気圧の変化を叩きつけてやれば、ダメージもあろうというもの」

 ユーリイは太陽を背に、ふらつくブラーを見下ろした。

 一つ目を描いた仮面の下から、血が滴っていた。耐えかねて咳をする。吐き捨てた唾には、深紅が混じっていた。薬品のような匂いが微かに漂っていた。

「どうです、無敵のENDを破られた気分は?僕にあなたを倒せないと、本気で思って……」

「必要、ないね……!」

 ブラーが呻く。獣のように身をたわめる。次の瞬間、その体はミサイルのように吹き飛んだ。

「……ッ!」

「《自由飛慌(サイクロン)》……三秒!」

 ユーリイの直前に現れたブラーが一瞬停止し、消え、赤色のしみにしか見えないような速度で回転する。超音速の竜巻は、けたたましい金属音を立ててユーリイを弾き飛ばそうとした。ユーリイの周囲に黒いものが瞬いて、鎧が現れる。

「《ハーデン……アームド》!」

『眼やら耳やらを潰したくらいで調子に乗るなよ……どうせ加速中は見えないし聞こえないんだ、大して大事でもないさ!必要なのは、速度の土台になるこの身体だけだ!』

 回転を緩め、ブラーが叫んだ。ユーリイは空中にしがみつくように長靴を滑らせて減速し、言った。

「なんて醜い……」

「そうかよ!」

 ブラーが叫び、突進する。

『寄生虫を重ねたところで無駄さ!所詮、単純な能力!僕の圧倒的な攻撃力はどうにもならない!』

 <劣級(レッサー)>の欠点、それはシンプルな能力しか持てないことだ。本当の<エンブリオ>なら、その能力特性に限りはない。特異の極みのような独自性すら、容易い。けれど、最終出力の面で匹敵しているだけの寄生体には、そこまでのユニークさは許されていない。

 真の<下級エンブリオ>七体……十分な神秘を起こせるだけの力には、到底及ばなかった。

『力押しなら、僕に敗けはない!』

「……ッ!?」

 ユーリイが狼狽える。

 音の壁を突き破った衝撃の後、辺りには同時に一瞬で破壊の痕が現れていた。ユーリイの眼では、突撃の順序を捕捉することが出来ないからだ。

 そのブラーの軌道が歪んでいた。

 グニャリと湾曲し、螺旋を描き、幾重にも折れ曲がり、ネズミ花火のように暴れまわっている。渦巻きと回転が幾重にも折り重なっている。

「直線軌道ではなく……どうやって!」

 【盾巨人】ブラー・ブルーブラスターの能力は、制御性と安全性を廃したスピード突撃だ。当然、機動は単純になる。読みやすい直線的な軌道は、そのスピードの脅威を幾らか和らげている、そのはずだった。

「自分で見えてもいないはず……!」

『《自由飛巧(バルバリアン)》』

 竜巻のようなブラーの飛行が辺りを食い散らかしていく。

 その中心で、思わずユーリイは足を止めていた。動きが読めなくては、下手に躱せない。自殺にもなりかねない。複合解放による防御力も、アシュトレトの運動エネルギーを完全に相殺しきれるわけではないのだから。

「しかし……《ラッシュウォーク》!」

 一秒後。翻ってユーリイは空を疾駆した。

 倍増したAGIがあれば、多少なりともその突撃を捉えられる。今やブラーの飛行は高熱を帯び、辺りの瓦礫が発火を始めていた。複合<劣級>の防御でも、触れればお陀仏だ。

(……そんな手を)

 ユーリイは駆けながら、眼のはしにブラーの動きを捉えていた。今までとは違う、ぶれるような輪郭を。

(バーニアの配置をあえてバラバラに。バランスを崩すことで、不規則な推力を起こしているのか……!)

 それは、アシュトレトの更なる応用技だった。

 一方向への移動、そして対方向による回転。もっと運動ベクトルを増やせば、それはランダムな暴走飛行へと変わる。

 ブラーは、手足やマント、弾頭盾といった末端部にバーニアを取り付けていた。それぞれが上下左右で数も違う。はためき、振り回すそれらが推力を不均等にすることで、まるで幼児がクレヨンで描いたような、不規則で無茶苦茶な動線を作り出しているのだ。

 意図がなければ読めない。ユーリイは相手の戦術を予測して、動きを読んでいるだけだ。完全なランダムには、対処のしようがない。

(まさに、災害……狂人の域ですね。扱いきれない出力を、逆に暴走させるなんて)

 ユーリイがまだ死んでいないのは、ひとえに運だ。あのランダム軌道に巻き込まれたが最期、【劣級武装】や【劣級硬化】もろとも炭屑に変えられる。

(無秩序に暴れ回って、最後に立っていた方の勝ち。野蛮だが、僕にとってはひどく有効です、認めましょう)

 ユーリイが得意とするのは、理屈で動く戦闘だ。あの理不尽の塊のような攻撃は、彼の整然とした戦術をズタズタに切り裂いていた。

(付け入る隙があるとすれば、この無制御……ッ!)

 直前をブラーが通りすぎ、ユーリイが息を飲む。驚くことすら遅れを取っている。当然だ、速度では完全に負けているのだから。それを埋めていた行動予測が、ブラーの意思がなければ、ユーリイは単なる半端な非戦闘職に過ぎない。

 そして、ユーリイは自らの左腕を見た。

(あのランダム軌道……放っておけば明後日の方向へ飛んでいきかねない。この空域を離脱することまでは望まないはず。周囲を確認するのに、どこかで立ち止まる。ならば!)

 ユーリイは、停止した。ここからは賭けだ。周りを駆け巡るブラーはもう、光のしみにしか見えない。

 風が唸る。一秒が長かった。ユーリイは自分の左手を握りしめ、待った。

 

 そして、ブラーが急停止した。

 

「ここ……!」

 ユーリイが小さく叫び、左手を握り潰す。満身創痍の筋肉組織が悲鳴を上げて断裂し、まろびでた<劣級>の核を、ユーリイは左手を振り回して投げ飛ばした。

 足元の長靴が消失し、アイテールの残影響下にあるユーリイがゆっくり落ちていく。ブラーは目敏くそれを見やり、【劣級歩行】めがけて飛び出した。ご丁寧に速度を緩めている。空中でそれをキャッチすると、ブラーはニヤリと笑ってユーリイを見下ろした。

 

「《天上崩降砲(アイテール)》」

 

 そして、ユーリイがブラーを指差した。

 アイテールの蓄積した“重み”が、ブラーへとのし掛かる。重力加速度の何倍にもなる力に、ブラーが軋んだ。

「……ッ!?お前!」

 バーニアが途端に炎を上げる。全推力を下方へと向けて、ブラーは高重力に抗っていた。

「動きが、読めましたね……やっと」

 ユーリイはほくそ笑んだ。

「<劣級>!欲しがると思いましたよ……《天上崩降砲(アイテール)》は十割使用です。ご自慢の推進力で、抗ってみればいい!」

「貴ッ様ァ!」

「墜ちなさい!」

 ユーリイが歯を食い縛り、ブラーも吠える。せめぎ合う特化<エンブリオ>同士が、見えない火花を散らしていた。

「いくら装甲を積もうが、地盤に沈めば息は詰まるでしょう!被弾に甘えるのが、あなたの悪癖ですよ!文字通り、グロークスの“礎”となるがいいでしょう!」

「この為に、この<劣級>を!」

 ウォーキッカは重力に抗う役には立たない。空中に足場を作る能力は、自分で墜落を作り出すようなものだ。反作用で潰れていくだけだろう。

「小癪な……時間切れまで打ち消してやるよ!《自由飛孔(バーニアン)》、出力臨界(クリティカルブースト)!」

 アシュトレトが絶叫する。噴煙と噴炎が大気を汚し、ブラーを押し潰すアイテールと拮抗した。

「普段必殺のフル出力を使わないのは、【盾巨人】でも断熱圧縮に耐えられないだけだ……単なる力の足し引きなら、僕に勝てるかよ!」

「フル出力はこちらも同じです……グロークス全土から削り取った“重さ”、その全てを支えられるものか!」

「言ってろ!シュトラウス!」

 せめぎ合う。ぶつかり合う。殺し合う。相反するエネルギーが互いを食い潰していた。息切れを起こした方が、負ける。

「待ってろよ、すぐにそこまで飛んでいって消し炭にしてやる!」

「準備をするといいですよ、土中で窒息するときに息を止める準備をね!」

 大気が震動していた。今までの鋭い衝突ではなく、静かな、けれど莫大な力の震動だ。それは二人の意思の衝突だった。

「捩じ伏せてやる……お前を!お前の能力を!」

 

 その時、全く別の震動が轟いた。

 

 ◆◆◆

 

 ■地下

 

 緋色の巨人は、その翡翠のような眼をぎらつかせて辺りを睨んでいた。

 主人の意思に絶対服従する。それは<劣級>の根幹に刻まれた書き換え不可能なプログラムだ。

 現在、核を所持しているのは【教授(プロフェッサー)】ウー。

 その意思は、試作品である巨人の進化。

 戦闘データ収集による、能力特性の確立。

 だから、巨人は暴れていた。

 Ⅳ世たちを吹き飛ばし、殺そうとしている。既にシバルバの猛毒のことは分かっていた。触れれば病む。触れてはならない。

 自分の内部に注がれた無数のデータを漁り、それを取捨選択してこねあげていく。欲しいのは、より効率的な体だ。

 そのためには実験が必要だった。試行錯誤が必要だった。力を試す、敵が要り用だった。

 だが、巨人は理解していた。

 眼前の人間たちは一例だ。彼らの能力も戦術も、膨大な人々の中の一握りを掴み出したに過ぎない。これらを基準に進化を完成させてしまうことは、限定的なガラパゴス化に他ならない。

 他の敵が必要だ。たくさんの敵、たくさんの情報が。

 進化を止めてはならない。まだ能力を完成させてはいけない。

「《塩害(メラハ)》……塩人形!」

 グリゴリオが叫び、さっと手を振ると、地面からいくつも塩柱が顔を出した。人間のシルエットをいびつながら形作っている。

 だが、その白い人形たちを無視して、巨人は飛びかかった。

「……囮にもならないか。知恵がついてきたな」

 グリゴリオは呟き、嫌がらせのようにそれら塩人形を爆発させた。弾け飛んだ鋭い結晶は、赤い殻に弾かれて落ちた。

 Ⅳ世は籠手を引っ込めていた。無差別攻撃はもう味方を脅かすだけだったからだ。

「いかにすればこやつを倒せる?」

「……言いにくいけど、難しいね」

 キュビットの呟きに、グリゴリオは頷いた。

「それなりの<UBM>にも匹敵しかねない。勝てなくても不思議じゃあない」

「随分と弱気なことを」

「経験だ。<UBM>を倒すってのはそれだけ難しいんだ」

 過去遭遇したそれらを思いながら、面々は頷いた。

 その頭上へ、緋色の拳が振り下ろされた。一瞬遅れて、空気が動く。

「作戦会議くらいゆっくりやらせろよ!」

 グリゴリオが飛び上がり、その拳を殴り付けた。緋色の装甲はひととき白く染まり、ざらざらした塩の塊になり、そしてそれを吸い込んだ。

 グリゴリオは息を呑んだ。

「体液に……塩分を吸収した?」

 同じ手がそう何度も通用する相手ではない。巨人は既に、ソドムへの対策を発現させていた。体内での電解質操作などお手のものだ。

 そして拳も止まらない。彼らを蹴散らした上でなお、その殴打は振り抜かれ、奥の壁にぶち当たった。瓦礫の屑が飛び散り、地下空間が揺れる。

「まさか……このバケモノ……」

 モハヴェドは舌打ちした。攻撃対象は自分達ではない。

「地上へ出るつもりか!」

「させるな!死んでも止めろ!」

 塩の柱が突き立ち、鎧が唸り、大音声が轟く。それでも、<劣級>は止まらなかった。

 それは飢えていたから。肉ではなく、知識に飢えていたからだ。石壁の向こうにはより多くの敵がいると、それは知っていた。試行錯誤への欲はそれの本能に刻まれていた。

「止めきれぬか……ならば……」

 Ⅳ世が走る。老人の眼には、覚悟があった。

「諸君!」

 それだけで、この場の面々には通じた。即座に全員が退避をし、元来た道へと飛び込んでいく。それを目の端で捉えて、ゴルテンバルトⅣ世は拳を掲げた。

「さぁ、地上へご執心のところ悪いが……地獄へ付き合って貰おう。《亡びの地平線(シバルバ)ーー」

 髑髏の籠手が現れた。

 そして、崩れて消えた。

 

「ーー終の双神(モリ)》」

 

 Ⅳ世の年老いた身体が黒ずんで崩壊し、光の塵になる。とうとう自己へのセーフティすら取り外された病毒の権化は、主の生命すら亡ぼして、黒い爆発として地下を駆け巡った。

 石壁が一瞬で腐れ落ち、緑がかった蒸気とともに身をよじる。巨人の血痕が黴と苔のようなものに覆われ、燃え上がるように灰になって消失した。

 緋色の怪物とて例外ではなかった。爆風、圧縮空気、切り離し、あらゆる手だてを講じてもそれらを貫通してシバルバの病が侵入してくる。肉が溶け、骨が侵される。

 それを封じ込めて、地下空間は崩落した。岩盤の圧力がシバルバごと巨人を圧殺する。

「やったか……」

 塩の壁の向こうで、三人は耳を澄ました。

 通路はひび割れ、崩れかけていた。ソドムの結晶化は大地の圧力と、それに伴う気圧に負けてほぼ潰れていた。グリゴリオは後ろの逃げ道を確かめるようにチラリと見た。

「すぐに下がるぞ。ここも長くは持たない」

「まだだ」

 モハヴェドは石壁を睨んだ。

「やつは本当に死んだのか?」

「ここは地下……数十メートル(メテル)か?岩盤の崩落ってのはかなりの圧力だ。爺さんの自爆もある。指一本動けない状態で全身を毒されれば、十中八九死んでるさ」

 グリゴリオは自信ありげだった。

 地質にもよるが、岩盤の密度は平均的に体積当たり数千キログラムは下らない。その重みをこの地下で受ければ、土の圧力……盤圧は鋼鉄の戦車とて平たく押し潰せる。

 あの赤い<劣級>も例外ではない。どれ程頑強でも、全身の骨までを粉々にされて動けるはずはない。石造りの壁は静かなものだった。グリゴリオたちは満足そうに一歩下がった。

 そして、石壁が揺れた。

 

「……一割を引いたか?」

 

 さて、そのグリゴリオたちが見つめる崩落の向こう。

 巨人は震えていた。全身を痛みと圧力の信号が駆け巡り、その体躯は病に侵され始めていた。それを成した敵は既に死んでいた。

 巨人は身の内でなにかが弾けるのを感じた。巨人がまだ知らないそれは、だが確かに、“憎悪”の感情だった。

 彼はその奔流を無感動に眺めていたが、やがてそれに身を任せてみることにした。身体が熱を持ち、針のような“痛み”が走った。

 

 そして、緋色の炎が吹き上がった。

 

 ◇◆

 

 □冶金都市・地上

 

 市庁舎が揺れている。

 “雨”が終わっても、その地震に人々は狂乱していた。市街地の中心から、兵士や一般市民が走っていく。 

 やがて人並みがはけるその後ろで、崩れかけた市庁舎が吹き飛んだ。

 吹き飛ばされた巨大な質量が天を衝き、落下を開始する。【運搬王】が舌打ちした。

「落ちてくるぞ!」

 そんなことは全員が分かっていた。即座に体勢を立て直した幾人かが瓦礫を粉砕し、石の粉に変えて吹き飛ばす。何体もの遠距離攻撃型<エンブリオ>を放つ宣言が響いた後、湿った空気が塵を捉え、濛々とした濃灰色に町の景色は閉ざされた。

 まるで濃霧か、あるいは砂嵐のようだった。入道雲にも似たそれが、渦巻き揺蕩いながら市街を飲み込んだ。

 その内部で、赤いシルエットが咆哮した。

「なにか、いる……」

 メアリーが叫ぶ。

「大きなものが!」

 それは、あの<劣級(レッサー)>だった。

 埋もれた地下構造を掻き分けて、それは地上に手を伸ばしたのだ。だが、シバルバに汚染された膨大な土砂は、そう簡単には押し退けられない。

「へぇ……とんでもないのが……出てきたなぁ……!」

 ブラーは空中で軋みながら呟いた。

 巨人は膨らんでいた。全身の組織はぐちゃぐちゃになり、土砂が食い込み、病に侵されていた。

 それでも地上に出てこられたのは、その特性ゆえだ。ウーの仕込んだ絶対のプログラム、未分化の胎児のように成長するその特質ゆえだった。

 不完全!だから、どんな形にも成れる。

「この大きさ……まさに、巨人!」

「これがオーナーの……ふふ、素晴らしい!」

 巨人は変形を続けていた。腐肉と血みどろの塊が膨張し、それを取り込んで立ち上がっていた。

 土砂も汚染も、その肉に巻き込んで無理やり体躯を成長させたのだ。その成長がシバルバの壊死と辛うじて拮抗していた。

『……』

 その濁った瞳が、市街を捉えた。天を仰いだ。地表を見回した。

 その<劣級(レッサー)エンブリオ>は、今、地の胎から這い出し、世界を知った。

 それは歓喜していた。全身を破壊されながらも、喜びにうち震えていた。

 敵がいる!倒すべき、憎むべき、未知なる“敵”が!己が力を試し、打ち上げるに足る、数多の殺し合いの相手が!

 それはふいごのような音を立てて煤塵ごと大気を吸い込み、吐き出した。

 戦の角笛として、咆哮が大気を揺らした。

 ブラーは巨人を仮面の一つ目で睨み、笑った。

「さて……どうせ核はあいつが持ってったんだろ?あれは能力の発露した器に過ぎないわけだ……壮観だね。ぜひ手合わせ願いたいよ」

「お忘れですか?」 

 ユーリイが指を大地に向ける。

 アイテールは健在だ。今もブラーを押し潰すために力を注いでいる。アシュトレトを緩めれば、待っているのは墜落だ。

「圧死までの秒読みを!」

「あぁ、確かに……邪魔だよ。邪魔、邪魔!邪魔だから……」

 ブラーは獰猛に笑った。

「……“こう”してみるかい?《瞬間装備》」

 そして、その手には縁の尖ったバックラーが握られていた。ブラーが重量に抗って左手を持ち上げる。

「《シールド・フライヤー》」

 ユーリイの首めがけてそれが飛ぶ。身体をひねって躱し、ユーリイは距離を取った。

「その程度、想定していないと……」

 だが直後、ユーリイは背後に風切り音を聞いた。あり得ない、後ろから迫り来る音を。

 振り向こうとしたときには遅かった。AGIに欠けるその身体の残った右腕の骨を、半ばから砕き断ち切って、飛んできた盾が明後日の方向へ吹き飛んでいく。衝撃に撥ね飛ばされながら、両腕を失ったユーリイは絶叫した。

(シールドの裏……死角に【ジェム】を投げていたのか!いかにも彼らしい……!)

「極東のニンジャ・テクニックさぁ」

 ブラーは機械鎧のミサイルを構えながら、へらへらと笑った。

「【ジェム】は実にいいよね……金を積めば魔法が買える。実質外付けの魔法職だ。僕は大好きだよ、それで嫌味な誰かを吹っ飛ばした時には特にね!」

 いまだに重石をのせられたブラーだが、その笑みは軽やかだった。その右腕が動く。

「ローカスト!撃ち殺せ!」

 ミサイルが放たれる。

 幾筋もの炎の線は即座に、まだ空中で錐揉み回転しているユーリイへ迫った。

 【降水王】はここまでだ。一発でも十二分にその身体を引き裂いて肉塊に変えられる。個人戦闘型を気取っても、その本質は非戦闘タイプ、その肉体は戦場では弱みにしかならない。

 煙が弾けて、熱が膨らんだ。ミサイルの先端がとうとう、ユーリイに着弾する。

   

 その寸前、それら全てをぐちゃぐちゃに横風が薙ぎ倒した。

 

「おいおい、嘘だろ?」

 ブラーは顔をしかめた。その仮面に影が落ちた。

「……なるほど、さすが、強さが分かってるな」

 緋色の巨人の掌は、ブラーの頭上に伸びていた。

 それは右腕だった。ついさっき突かれた左腕は、ユーリイとミサイルを吹き飛ばしてなお、街を瓦礫に変えていた。巨人は赤子のように背を倒して、じっとブラーを見つめていた。

 腐り、崩れ、膿み、なおもそれに抗って成長を続ける肉が、おぼろげな五指を広げてブラーを掴もうとしていた。だが、その動きはブラーの予想に反して、その頭上の日差しを遮ったところで止まった。

「……?なんのつもりだ」

 握手を求めるはずもない。ブラーはフル出力を噴かしながらそれを見上げ、そのおぞましさに顔をしかめた。

 腐臭がする。桃色の神経や筋肉が爛れて死に、黄色い汁を吐き出していた。その内側で、新たに作られる肉のプチプチ言う音が聞こえた。汁の一滴が落ちて機械鎧に垂れたのを見て、ブラーは心底吐きそうな顔をした。

 

 その汁が、【ローカスト】の装甲を腐食するまでは。

 

「……ッ!?」

 巨人はシバルバに汚染されている。老人の残した怒りの能力は、巨人を今も殺そうと暴れているのだ。だが、それは無差別。すなわち、見境無し。

「感染能力……!そんなものまで!」

 先刻までの巨人が苦しんだのと同じ様に、触れるものは全て病む。制御性を全廃した<上級エンブリオ>の病に、巨人は感染しているのだから。いわば、シバルバの能力を取り込んだようなものだった。

 ブラーは即座に【ローカスト】をパージした。腕から外れたそれを、脚で蹴り飛ばす。ホンの少しの膿に濡れただけの深紅の装甲は、その軌道上で完全に青黒く染まり、着地した瓦礫の山を黒ずんだチリに変えて粉砕した。

 直接触れれば自分もそうなると、ブラーは理解をした。

 ENDの防御ではこの汚染を防げない。経験則から言って、毒や呪いは状態異常に類する能力だ。

 見上げれば、巨人の症状は酷くなっていた。遠からず、その身体は老騎士の目論み通り死に絶えるかもしれない。皮から骨まで、朽ちて死ぬのだ。

 それまでの間に、グロークス中を汚染区域に変えて。

 水っぽい音がした。爛れた皮膚のひとひらが剥がれ、肉組織がゆっくりと降ってくる。その直下には、ブラーがいる。

 

「お、おい、ちょっと待てよ、今は動けなーー」

 

 そして、死に至る病に汚染された腐肉が、さっきまでの雨(ユーリイ)のように降り注いだ。

 

 ◇◆

 

 メアリーはその光景に顔を歪めていた。

 汚染を撒き散らす巨人は、静かに右腕を持ち上げたまま静止している。先の騒動で人々は逃げていたので、今のところ大した被害はない。

 けれど、あの巨人が暴れだしたらただではすまない。

「あの能力……あの人の<エンブリオ>を取り込んで……?」

「なんだ、あの毒を知ってるのか?かなり凶悪な能力だな」

 【運搬王】はため息を吐いた。

「さて、今日死ななきゃいいが。まだ未練があるんでね。このままじゃ、この街は地図から消える」

「なら、倒せる?」

 メアリーは、セ・ガンとユーフィーミアの二人を振り向いた。色好い答えは期待できなかったが。

 案の定、【運搬王】は否定した。

「無理だな。俺は戦士じゃない」

「わたしですか?無理無理、無理ですよ!」

 ユーフィーミアもまた、とんでもないと言わんばかりに首を振った。

「誰か居ないんですか?他に強い<エンブリオ>を持った人とか……」

「でもさ、無視するわけには行かないよね」

 メアリーは強気だった。

「あれ、かなり強いよ……<超級>と比べられるくらいかどうかはともかくとして……普通の<マスター>で簡単に勝てるのかな」

 メアリーは目をこらした。町中には、あの巨人に対抗せんとする人々が見えた。

 けれど、攻めあぐねている。

 触れれば病むあの呪われた肉体には、白兵戦は仕掛けられない。遠距離狙撃でさえ、下手を打てば拡大する汚染に呑まれかねない。

 そしてふと、メアリーは嫌な予感を覚えた。

「ねぇ、なんであれは動かないの?」

 手を伸ばしたままの巨人は、周りの全てを無視するように止まっていた。腐った右腕が軋み、嫌な匂いを発している。

 その指先に、ボッと(ブラスト)が灯った。

 毒ガスと反応した熱が毒々しい紫に変わり、少しづつ大きくなる。それを中心にして、シバルバの遺した猛毒の瘴気が集まりだした。

 

 伝導だ。

 

「あの能力って……まさか、あの(ひと)の鞭と同じ!」

 ユーフィーミアが喘いだ。

「毒と炎を伝導してるんです!あのままなら、すぐに……」

 伸びた右腕は、街の外縁に向いている。その軌道の先には、他ならぬメアリーたちがいる。無数の一般市民も。

「撃たせるな!」

 セ・ガンは絶叫し、弾切れのバズーカを放り投げ、巨人に向かって走り出した。

 猛毒と熱と衝撃を、巨人は掌に集めていた。コンダクティカから引き継いだ伝導能力は、形なきものを操作する力だ。瘴気も炎も、彼の手にある。

 街中からはぽつぽつと、光の線が飛んだ。しかし、それらのうち実体のある攻撃は毒に侵されて崩れ、実体のないものは“伝導”に弾かれていた。

 巨人は身を震わせると、背中を変形させた。その背中が裂け、毒血と共に()()()()の腕が現れる。それらは煩わしげに五指を広げ、炎や雷を掴んで投げ返し始めた。

「……《コンテナハンズ》」

 【運搬王(キング・オブ・ブリング)】はといえば、足を止めていた。壊れたアパルトマンの瓦礫を眺め、掌を当てる。瓦礫は吸い込まれるように消失し、そしてセ・ガンは握り拳を持ち上げた。

 人足系統の奥義は、《コンテナハンズ》。両の掌を握った空間を、即席の“アイテムボックス”に変える能力だ。本来はあくまでもモノを()()能力だが、瓦礫を握りしめ、振りかぶれば、巨大な岩塊すら投げられる。

「死ね!」

 セ・ガンは往年の野球選手のごとく、美しいフォームで右手を振り抜いた。その掌が開かれると同時、与えられた加速度に従って、《即時放出》された家一軒ほどもある瓦礫が飛んでいく。まるで、中世のカタパルトのように。

 けれど、巨人には通じない。

 岩塊は腐肉の表面で砕け散り、朽ちていくだけだった。その程度の威力では、最大級の<劣級>の肉は揺るがせもしない。何発撃ち込んでも同じことだ。

「こりゃ……死んだか……?」

 セ・ガンはそれでも、手を止めなかった。何もせずに死ぬのは性に合わない。

「逃げたくても逃げられないしなァ……ったく、割に合わない仕事だよ」

 セ・ガンはそう言って、次段を構えた。

(()()()()()()()()()()()()()……どうすれば)

 メアリーは悔しげな顔で飛び上がった。アシュヴィンの掌に乗って、ずたずたにされた町を見下ろした。

 あれを撃たせるわけにはいかない。元は、仕事仲間の能力でもあるのだから。

 巨人の咆哮が耳を揺らした。それはいつしか、力ある言葉としての意味を持ち始めていた。

『《伝導(コンダクト)》、《衝撃(ブラスト)》、《伝導(コンダクト)》、《衝撃(ブラスト)》……』

「……仕方ないなぁ」

 メアリーは乾いた声で言った。

 あれを倒すことは無理だ。打てる手はあるが、敵が大きすぎる。毒炎の放たれるより前に巨人を無力化するのは、街にいる<マスター>たちを含め、ここにいる面々には不可能だと、メアリーは理解した。

 <超級>に匹敵する戦闘タイプが必要だ。これほど巨大な個に対抗するには、もうひとつの個がなくては……

 巨人の咆哮はいつしか止んでいた。掌の光は収束し、静かに発射された。

 軌道上の全ては病み、衝撃が汚染を撒き散らすだろう。人々が死に、街は破壊されるだろう。

 毒を孕む炎が迫るのを見ながら、メアリーは呟いた。

 

「だから、手伝ってくれないかな?」

 

 To be continued

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