□グロークス・城壁
かつて、戦争はありふれていた。
600年前……あるいはさらに古、束縛を失い乱立する都市国家群は、荒野に打ち込まれた点に過ぎなかった。隊商によって文字通り命脈を繋ぐことも、肥沃な耕作地帯を抱えることも出来ない彼らが取った選択は、往々にして鉄血主義だった。
他国を侵略し、また侵略の脅威に先んじ……ヒトの歴史は、争いの歴史だ。
ここグロークスが巨大な城壁に覆われているのは、なにも建築家たちの酔狂ではない。“冶金都市”の名前は、侵略者の大義名分として十分すぎる。近隣諸国はすべて、グロークスの金属資源と技術を狙う“敵”だった。その可能性だけでも壁を築くのには十分だった。
人々は、その壁の内部に逃げ込んでいた。
壁とはいえ、厚みはちょっとしたものだ。“砦”や“要塞”と呼ぶ方が正しい。500メテルの内部には無数の通路と部屋があり、最上部にはかつて巨砲を戴いていた土台がある。
「大砲運べェーッ!」
そんな胸郭の陰で、兵士たちはカビの生えた砲を構えていた。
「隊長、本当に撃てるのですか?こんな骨董品……それに市の文化財です、上の許可もなくては」
「我々は軍人だ」
顔の半分を醜い傷に覆われた隊長は、ひきつれた唇で言った。その視線は、毒を撒き散らす緋色の巨人に向いていた。
「和平のため、魂を捧げるのが軍人だ。市民を脅かすものを見過ごすわけにはいかん。行政の上層部が、不審な客を抱えていたことは知っている。カラハールの野心もな……責任はこのヌビアが取る。発射準備は?」
「ほぼ完了していますが……なにぶん最後に撃たれた記録は180年前ですよ?動作の保証はとても……」
「結構」
隊長ヌビアがそう言って、号令をかけようと息を吸い込む。
だがその大音声は、不意に遮られた。
「ちょっと、待ちな」
見知らぬ女が現れたからだ。
「あー、死ぬかと思った……死んでるんだけど」
女は誰に言うでもなく呟いた。
「これでもう
「何者かね、君」
ヌビアは腰のホルスターに手を触れながら、その女を睨み付けた。
「ここは戦場だぞ。もし避難民なら……」
女の左手に紋章があるのを見て、ヌビアは言葉を切った。
「……そういうこと。あたしは加勢だよ。まぁ、あんなデカブツ相手じゃ噛み合わないんだけど」
女……リンダ・シリンダは頭をかきながら言った。
「見たところ、あれは学習して成長するタイプだ。下手な鉄砲じゃ相手を強めるだけさ、やるなら大きなのをガツンと撃ち込むべきだね」
骨董品の巨砲を見ながら、リンダは鼻をならした。
「あの爺さんの能力でさえ取り込まれてるし……こんな小手調べじゃなくてさ」
「君の<エンブリオ>ならそれが出来ると?」
「いんや、あたしじゃ無理だよ。言ったろ、噛み合わないって」
リンダは首を振った。
能力特性“猫”。カルニヴォラでは不可能だ。
「幸い、あれはトロいし鈍い。だから、お互いに連携と対策を……」
リンダはそこまで言って、はっと振り向いた。
巨人の指先が燃え上がっていた。無造作に掲げられた掌がエネルギーを蓄え、それが今にも放たれようとしている。
「まさか、遠距離で……?」
「不味い!」
隊長は絶叫した。
「階下に通達!このブロックから避難民を退去させろ!パニックを起こすようなら荒っぽくやって構わない!」
大気が張り詰めていた。それはもうすぐ弾けようとしている。
「急げ!あの汚染能力ならこの城壁も溶かされる!全員死ぬぞ!」
「チッ!」
リンダもまた、顔を歪めて走っていく。道すがら無理やり連絡役に抜擢したブレスレット型の<エンブリオ>越しに、彼女は叫んだ。対【降水王】レジスタンスは何も全滅したわけではない。
「生き残りは!?」
『あんたに言われた通り、標的をあのデカブツに切り替えた。が、芳しくないな。どうも熱や電撃は効かず、跳ね返され始めている』
黄金のブレスレットはぼそぼそ言った。
「クソ、あの女の鞭と同じかい?」
リンダが臍を噛む。
「実弾は?」
『見ての通り、あの毒が全て溶かしてしまう。いまは神話級金属の武具を大至急で探しているんだが、発見は難しそうだ』
「ここは冶金都市だろ?なんでなんだい!」
『さぁな。とにかく、そのうち当たっても効かなくなりそうだ。あぁ、あと、市民に襲いかかろうとしてるらしい<マスター>が結構いるんだが』
「あぁ、もう!そいつらも止めておくれよ!皆そんなに<エンブリオ>擬きが……」
そしてその瞬間、巨人がとうとう焔を放った。
焔が尾を引いて飛ぶ。それを止めようと立ち塞がった数人の勇気ある<マスター>も、
その軌道上のものは全て破壊される。
状況は絶望的だった。シバルバの無差別殺人能力を、コンダクティカの制御が抑え込んでいるのだから。そのリソースはあらゆるものを病ませて殺す。
掠れただけの町並みが溶解し、崩壊していく。石も、鋼鉄も、全てが無力だった。
その力の源であるあの怪物も、簡単には殺せない。既に死にかけているというのに成長を続けている。半端な攻撃は学習の材料を与えるだけだ。
圧倒的な殲滅力が必要だった。
この場にいる面々では誰も勝てないと、皆がうっすら思っていた。手がないのだ。鈍い絶望を湛えた彼等が、ゆっくりと燃え盛る毒焔の塊を見つめている。
だが、大地から飛び出したもうひとつの“弾丸”が、その焔を粉砕した。
焔が飛び散って消える。猛毒でさえその炎熱と運命を共にするように、粉々に消え去った。一瞬遅れて、地震のような、遠雷のような音が轟いた。
『なるほどォ……制御されている現象を粉々に乱してやれば伝導もしきれない訳か……毒の方も、断熱圧縮で触れる前に焼き尽くせば問題ないね?』
緋色の弾丸が宣う。それは速度を緩め、辺りを見回した。
「にしても、癪だな。まさか手を貸したつもりか?言っとくけどさぁ、僕ならあのままでも切り抜けられたんだ」
【
その傷には黄金のオーラが纏わりつき、癒しの力を注いでいた。
「そこをさぁ、分かってる?」
仮面越しにも、その視線は他ならぬメアリー・パラダイスへと向いていた。
「別に良いよ。あたしは、あれを倒す手伝いをしてほしいだけ!」
メアリーは声を張って言い返した。
ブラーは【降水王】と殺し合っていた人物。そして、あの巨人は十中八九、【教授】ウーの言っていた“擬似<
だから、彼女はブラーを癒したのだ。
それがどういう意味を持つか、ブラーなら理解できるとメアリーは踏んでいた。腐っても準<超級>、そのあたりの勘は働いてくれると思っていた。
「どう?」
「君さぁ、ギャンブルには向いてないよ」
ブラーは空中で土埃を払った。
彼が生きているのも、賭けの結果だ。アイテールの高重力に抗ったままあの腐肉を躱すことはできなかった。かといって、シバルバの汚染がENDを無視することなどブラーにも予測できる。
だから、取れる選択はただひとつ。
アイテールの重みにアシュトレトの加速を加算して、汚染が落ちてくるより素早く大地に潜る。土中の窒息が早いか、アイテールの時間切れが早いか、その我慢比べだ。
(……そのつもりだったけど、あの女の回復があったからなぁ)
「水入りか……面白くない」
《
ブラーは確かめるように体を動かし、首を鳴らし、そして嘲るように唇を歪めた。
「ユーリイは死んだか。まぁ両腕吹っ飛ばしたし、評価点ではこっちの勝ちってことで……」
「ねぇ、回復してあげたんだから、手伝ってくれるよね!」
メアリーが叫ぶ。
「分かってるでしょ、あの巨人は群を抜いて強いの。あなたくらいの強さじゃなきゃ勝てないかも……だから、お願い!こっちも手を貸すし、いがみ合ってる場合じゃないと思わない?」
メアリーは誠意を精一杯込めて言った。
「だから、手伝って!」
ブラーは凄まじいほどの笑顔を浮かべ、うんうんと頷き、朗らかにはっきりと言った。
「いやだね!」
メアリーが絶句する。
ブラーは意気揚々と続けた。
「確かに面白そうな相手だけど、そうやって指図されるのは気に食わないな。僕さぁ、そうやって他人を操ろうとする正義ヅラが大ッ嫌いなんだよね、頑張って死ねば?ハハハ!」
「なッ……な!」
「敵の敵は味方、とか思った?知らないよ。ッて言うか、何を勘違いしてるのさ?あのくらいで僕が君のオトモダチになると思う?あ!その面!お前の間抜けヅラの方が面白いぜ!」
「僕が強いって?違う違う、お前たちが病的に弱いんだろ?僕なんか、ほら、“凡人”だよ、その凡人レベルにすら辿り着けないゴミ以下の惰弱な低能が世間に多いのは嘆かわしいことだね。僕なら苦悩の余りにこのゲームもやめてすぐに自殺してるよ、その神経の太さだけには敬意を表するね」
「強大な脅威の襲来にひとまず団結!っていう発想の転換かい?そういうのってバカがやっても意味ないんだよね、頭の悪い人たちってすぐ安易な奇策に飛び付くよなぁ……想像力が貧困なんだよ、やっぱりそれって遺伝な訳?お可哀想に」
「そうだ、どうせなら僕もこの街を滅ぼす側に回ろうかな、ストレス溜まった時って物を壊すのがスッとするって言うよね。寛大な僕でもさぁ、無能な勘違い女に偉そうに指図されると流石に心が弱るんだよ、お前らと違って感受性が豊かだからかな?」
ブラーは弾頭盾を持ち上げた。その先端に、暮れの陽光が瞬いた。
「ねぇ、どう?どんな気持ち?」
「あんたって、最低!」
メアリーの言葉に、ブラーはますます愉快そうだった。
「なにそれ。どういうキャラ?品行方正?お前が弱いから、僕を頼ったんじゃないの?自分の行動も客観視できないわけ?下らないことしか言えないならせめて黙ってれば?」
「あの、さぁ!もうちょっと冷静に会話できないわけ!大体、街がこんなになってるのになんとも思わないの?」
「思わないよ」
ブラーは切り捨てた。
「こんな街、更地にでもなった方が少しはマシな景観になるだろ。人道とか義憤とか倫理観とかを持ち出して他人に命令するのは辞めろよ。お前本人の発明でもないくせに」
ブラーが吐き捨てる。その仮面がぼんやりと光った。
(さて、あいつを回収してとっとと寄生虫野郎の息の根でも止めにいくか……)
そのとき、無視されていた緋色の巨人が吠えた。
戦闘データを欲する学習の権化は、その腐った拳を固めてブラーに殴り掛かった。拳が弾け、手首から切り離された腐肉の塊が隕石のようにブラーに迫る。
「うるさいよ、お前」
そして、その拳が粉砕された。
一瞬で超音速に加速した回転体が、断熱圧縮で大気を吹き飛ばす。高熱の爆発は腐肉と毒を焼き尽くし、閃光で見るものの眼を眩ませる。
《
空の爆心地が穏やかになり、その中心で緋色の弾丸がゆっくり静止する。ブラーはランスのような弾頭盾に体を預け、ため息をついた。
「あーあ、うっかり反撃しちゃった。全く……なんだ、その顔」
メアリーの期待するような顔に気づいて、ブラーは言った。
「今のは気紛れだ!手伝いなんかしないぞ!あぁ、もう決めた。イラつくから絶対にお前の言うことは利かない。負けて死ね」
「そう?」
「あぁそうだよ。ついでに不快になったからお前を殺す。<エンブリオ>ごと粉々にして風葬してあげよう、泣いて喜べ。ほら、負け惜しみの文言は?」
「……
とたん、ブラーは口をつぐみ、メアリーは饒舌になった。
「ほら……あの子はレベル0。危ないよ。この街を吹き飛ばしたり、あれに蹂躙させてていいの?<劣級>が欲しいんでしょう?仲間なんだったら……」
「見当違いも甚だしいな」
ブラーは言う。
「……だが、面白い。お前、なんで僕にその名前を出そうと?」
ブラーは犬歯を剥き出して笑った。とても朗らかではなかった。
「思い出したよ。お前、あのときに会った女……けど、あの一瞬では出てこない台詞だ」
ブラーの気配が鋭さを増す。
「あいつを知っている。あいつと関係がある。本格的に僕に絡もうっていうのか?」
「……そんなに大事なんだ」
「違う」
ブラーが吐き捨てる。
「だが、不愉快だ。僕を知った風に語られるのはね。だからお前は殺さない……簡単には殺さないぞ。お前の一番嫌なことをやってやる」
その仮面が発光した。
「《
そして、ブラーが消えた。
◆
■高度1700メートル
空だ!
ブラーは背後の太陽を見上げることはしなかった。代わりに、はるか眼下に見える“冶金都市”を睥睨する。その仮面が赤く光る。
ブラーの仮面は<エンブリオ>……アシュトレトの一部、統轄機構。バーニア群の状態をモニターし、周囲の状況を知らせる。闇雲な突進をアイデンティティにする彼の、最低限の制御系だった。
それが、目標をロックオンした。
宙に浮く女、身の程知らずの女、黄金の女!
「吹き飛ばしてやる、全部、全部!」
ブラーは弾頭盾を下へ向けた。さながら、空中から投下される焼夷弾の一粒のようだった。
その切っ先が、僅かに動く。
狙いをつけているのだ。
「途中での軌道変更は不可能……当然、狙いは慎重にってね」
ブラーの弾頭のようなシルエットが、揺れ、そしてゆっくり自由落下を開始し、加速し……一瞬で見えなくなった。
一秒足らずで1700mを駆け抜けることなど、アシュトレトには容易いこと。
その狙いは……
(あたし……いや、
メアリーは一瞬で看破した。
ブラーの狙いはただひとつ、メアリーごとグロークスを吹き飛ばす気だ。
エリコによって包囲された街で、あの超々音速突進のエネルギーを解放すれば、水筒の中に爆竹を放り込むようなもの。閉じ込められた破壊力が荒れ狂い、徹底的な破壊を広げる。
ブラーの姿は見えない。
肉眼では……並大抵のAGIでは捉えられない。《
だから、メアリーには何も出来なかった。
気づいたときには、全てが終わっていた。
風の吹くような音がして、次いで耳が聞こえなくなった。
瞬きの直後、メアリーの身体がエリコの無敵城壁に叩きつけられ、全身の骨が粉々になる。へし折れた脊髄に感覚を失い、必死に黄金の治癒を光らせながら、メアリーはその“結果”を目にした。
すなわち……
頭を消し飛ばされた緋色の巨人と、明後日の方向に吹き飛んでいく、“自殺”のブラーを。
◇
□数分前
「これが、その秘密兵器かい?」
リンダはそれを見下ろした。
それは弾頭だった。小さな砲弾だった。円錐形の頭から半ばを、鈍い光沢のある金属が覆っている。そこだけは明らかに材質が違う。
「……嘘か真か。我らが冶金都市を以てしても、歴史上僅かに400g程しか錬成に成功しなかったという幻の物質」
ヌビアはしばし口ごもり、続けた。
「【
リンダは鼻を鳴らした。
「……本物?」
「さぁな。少なくとも尋常でない硬度なのは確かだが。神話級金属でさえそうそうお目にかかるものでもないのだ」
ヌビア自身も、疑わしげにそれを見つめていた。
「貴重な“それ”で弾頭の先端部を覆い、基部にはミカル鉱石を使ってある。博物館より無断で持ち出した、一発限りの【
ヌビアは振り向いた。
「発射には専用の砲撃設備を必要とする。これならば、どのような装甲も貫けるだろう」
「……小さすぎるね」
リンダは首を振った。
「この口径じゃ、あの巨人にはかすり傷にもならないよ」
リンダはそう言って、ふと顔を綻ばせた。
「……あたしに、考えがあるんだけど」
◇
「発射タイミングをリンダ・シリンダに譲渡」
「あぁ」
リンダは導火線を握り、口の端だけで尋ねた。
「ラグは?」
「およそ三秒のはずだ。だが、品質の【劣化】は未知数で、内部機構が完璧さえ分からない」
「試験運転はしなかったのかい?」
「それがどれほど信用できる?」
ヌビア隊長の言葉に、リンダは首をすくめた。
ブレスレットを持ち上げる。
「もしもし?」
『手筈は整った』
通信先の<マスター>はぶっきらぼうに言った。
緋色の巨人を取り囲むように、あらゆる攻撃が飛ぶ。炎が盛り、氷が切り裂き、風が衝突する。
「なんとしても動かすんじゃないよ、特にやつの頭を!」
『理解している』
轟音を背に、彼は言った。
リンダは眼を見開き、緋色の巨人を見つめた。その前には、あの【盾巨人】ブラーが天空へ飛ぶのが見えた。
「さて、これから見ることはなるべく他言無用で頼むよ」
「何?」
「なんせ……結構はしたない見た目だからさァ」
そして、リンダの顔が変形した。
髪と溶け合うように顔の毛が伸び、顎が突き出し、眼窩が肥大する。耳の位置がずれ、骨格が歪む。
「《
それは、猫の特質のひとつだ。
圧倒的な動体視力。猫化能力を視覚系に絞って発現させることで、偏ったリソースを“眼”力に変える。
今、知覚する動体視力に限り、彼女のAGIは並の【影】をも越えている。その視力の反動で血走る眼球で、彼女は視界に映る全てを掌握した。
「……不味い」
“眼前”では、あの巨人が咆哮していた。その手があらゆるエネルギー攻撃を掴み取り……投げ返すのではなく、掌で循環させ、加速し始めていた。
その周囲では、建物が塩に変わっていた。白く結晶し、薔薇の花弁のように巨人を取り囲み、鎧になって張り付いてゆく。
「まだ進化するのかい……!」
巨人の頭上にあかがね色の光が瞬き、光の円環の下で巨躯がゆっくり浮かびだす。背にはまるで“バーニア”のような噴射孔が次々に現れ、“伝導”した攻撃のエネルギーたちを宿して輝いていた。
だが、タイミングはまだだ。
「まだか……」
狙うのは、有効なのは、“あれ”の一点、そのタイミングだけだ。
「まだか……!」
「おい、君!なぜ撃たないんだ!」
「煩いよ!黙ってな!」
リンダはヒトのそれからかなり変じた声で叫び、そして身構えた。
天空で、ブラーが止まり、揺らいだ。
その圧倒的な速度は、上級のリソースを見境なく捧げた結果だ。この形態のリンダでも瞬きひとつで見失う。そんな速度だった。
「……ここォ!」
そして、リンダは点火した。
冷却材が雲のように弾け、轟音がその場にいた全員の鼓膜を叩く。リンダの猫化した耳朶から鮮血が垂れた。
数秒遅れで、砲弾が射出される。
だが、すぐにリンダは悟った。
(遅すぎた……!)
砲身の劣化が予想以上だった。伝達ラグはおよそ5秒。その誤差は、この状況では致命的だ。
軌道を外れた弾頭が飛んでいく。それを口惜しげに見守るリンダにはため息をつく暇もなかった。
だが、砲弾は加速した。
緋色の巨人が噴き上げた炎熱が偶然、砲弾を熱風の波に煽ったのだ。僅かに上を向いて軌道を曲げられた砲弾がきらりと光り……
次の瞬間、はるか上空から狙撃をしてきたブラーを“弾いた”。
弾かれたブラーは、本人が把握するより速くその軌道を折り曲げ、運動エネルギーを解放し、巨人の頭蓋骨を粉砕して脳髄を蒸発させた。
二つの衝突点を中心に、破壊力の波が溢れた。
メアリー・パラダイスを吹き飛ばし、街中を揺らした波は、しかしブラーの意図したような徹底的な破壊にはならずに、暴風となって荒れ狂い、すぐに過ぎ去った。
「バカな……なんだ!」
グロークスの中央に陣取る、エリコの尖塔の上に不時着したブラーは、辺りを見回して叫んだ。
「移動中の僕に干渉できる奴なんかいるわけが……」
弾頭盾はひび割れ、神話級金属のメッキの下から鋼鉄の色が覗いていた。断熱圧縮の余熱で、身体からは煙が上がっていた。
水のような音がして、何かが落ちた。
そして、彼は、自分の腕を見下ろした。
肩口を中心に割れた【弾頭】が突き刺さり、マントと鎧を巻き込みながら、肉を引き裂いていた。骨は砕け、鮮血が溢れ、ブラーの右腕は肩から外れかかっていた。重傷だ、他ならぬ【盾巨人】が!
「僕の、手!」
ブラーは叫んだ。
「僕の手が、手が、手が!クソ、誰だ、誰だァ!」
ブラーの仮面が光り、咄嗟に【弾頭】を鑑定する。そう、超級金属メッキの先頭部を。
【
「……
ブラーは吠え、弾頭の欠片を掴んで放り投げた。それは軽い音を立てて地表へ落ちていった。
「超級超級超級超級超級!たかが金属にまで!糞運営の貧困頭が!いつもいつも僕の自由な権利を侵害しやがって!嫌がらせもいい加減にしろ!」
血反吐を吐きながら叫ぶブラーの身体が、失血に由来する不調で揺らいだ。
そして、その背後に雨傘を振り上げる人影があった。
ボロボロの身体、血塗れの顔、汚染された四肢、何より千切れ飛んだ右腕。蒼白な顔が、憎しみに歪んでいる。
「ブラァァ!」
「……ッ!シュトラウス!」
死んでいなかったのか!そんなお決まりの台詞を吐く前に、満身創痍のユーリイは石突を、その先端に自分の汚染された肉を擦り付けて、ブラーへ振り下ろそうとした。
「死に損ないが!」
ブラーは絶叫し、雑に蹴り上げた爪先で傘を弾いた。
「死んだふりとはこざかしい細工を……それで僕に、勝てるつもりかよ!」
「何様の、つもり、ですか!」
満身創痍の二人が打ち合い、離れ、睨みを交わす。
背後ではあの巨人がくずおれていた。
膝を曲げ、四本の腕をだらりと広げ、瓦礫の中心で屹立する。思考中枢を失ったことで変形が止まり、取り込んだシバルバの侵食が再び肉体を食い破り始めていた。
そのことでさえ、ブラーには癪だった。
「この僕が……この僕が利用された?そんなことが、こんな侮辱があるか!」
「やっと、自省のやり方を覚えたんですか?良かった、じゃあ、ないですか、成長できて!」
「黙れ、腰巾着!」
重心の制御を乱しながら殴りあう二人の図はひどく滑稽だったが、本人たちは真剣だった。二人とも、なかば我を失っていた。
ユーリイがたたらを踏み、傘を落とし、ぎこちなく左の掌だった肉の塊を広げ、人差し指の残骸をブラーに向ける。
「ハッ……」
ブラーが嘲り笑い……血相を変える。
その眼はユーリイの背後に向いていた。巨人の骸が毒に侵され、崩れて溶けていく。核が壊されない限り、リソースへ、光の塵へと帰ることはない。
その腰骨が破壊され、黒っぽい血液を吐き出してへし折れた。上体が揺らぎ、高層ビルに匹敵しかねないような巨体がゆっくりと倒れていく。
その直下に、赤レンガの壁のそばに、他ならぬトビアがいるのが見えた。
「……ッ!」
レベル0の人間があの汚染を食らえば一秒ともたない。瞬きひとつでぐずぐずの青黒い汁へと変えられる。そんなことが、一瞬でブラーの脳裏をよぎった。
次の瞬間、ブラーは千切れかけの右腕を肩から引きちぎった。
弾頭盾を握ったままの腕の切断面から、フジツボのようにバーニアが湧き出す。噴煙が上がり、ミサイルのようにその“腕”が射出された。
「……《
右腕だけが弾頭盾と共に飛んでいく。超音速の弾頭が巨人の骸へ突き刺さり、その崩落を塞き止めた。
「あ?」
一瞬の後、我に返ったようにブラーが呟く。自分のしたことを必死で理解しようとしている、その首筋に指先を突きつけて、ユーリイが囁いた。
「《
そして、ブラーが吹き飛んだ。
尖塔の頂点から足を滑らせて落ちていく。ほんの数秒の超重力で、身体の落下速度が加速する。右腕を失ったブラー・ブルーブラスターは、あの巨人が這い出た後の穴へと吸い込まれるように消えていった。
その光景を、メアリーは見逃した。
アシュヴィンは低空飛行に移行していた。円を描く軌道の下で、街はひどい有り様だった。
その原因のひとつ、緋色の巨人の骸は、膝を突き、腕を下げて静止していた。
シバルバの汚染は消え始めていた。《
「だが、死骸が消えん」
【運搬王】は顔を拭いながら言った。
「核が生きているからだ。あれは脱け殻、蜥蜴の尻尾だ。本体は別なところで生きてるぞ」
「そうだね」
メアリーが空から飛び降り、頷いた。
「でも、大丈夫だよ」
「ふん?」
セ・ガンは眉間を緩めた。
「確信がある口ぶりだ。何か手を打ったのか?」
「そんなに大したことじゃないけど。こっちで死にかけたりして、ウーを追う余裕はないと思ったから、予め頼んでおいたの」
メアリーはため息をつき、地面を見下ろした。
「……彼でも、勝てるかどうかは分からないけど」
◆
■冶金都市・地下
湿っぽい地下を、【教授】ウーは悠々と歩いていた。
背後で何が起きようと、誰が死に、誰が生きようと、彼の生存は揺るがない。グロークスの地下は入り組んでいて、知識のない侵入者では追い付けない。
ましてや、あの緋色の巨人がいる。
「……いずれは倒されるだろうな」
ウーは汚れた掌を見下ろして呟いた。
それも計算の内だ。<マスター>と同じく、あの<劣級>は何度でも死ねる。死線を繰り返せる。その戦闘経験は、進化のための最高の糧となる。
核はウーが持っている。それが壊されない限り、地上の巨人が真に滅びることはない。
あれも、一種のアバターに過ぎないのだから。
「彼等が死力を尽くせば尽くすほど、それは我が利益となる」
ウーは特段嘲りもせずに言った。事実を述べているだけだ。そういう計画を立て、そういう存在を作った。
「だが、カルディナにことが露見したのは些か不利だ。再び雌伏の時を過ごせるかどうか……いっそ他国に亡命でもしてくれようか。ドライフや黄河なら喜んで買うやもしれぬ。私の<エンブリオ>を……」
実験に失敗はない。あるのは結果と修正だけだ。それでも、今回の“結果”は思わしくないものだった。
色々と失った。リソースを集め直すためにも、ここで“監獄”入りなどという無様な羽目になるわけにはいかない。
ユーリイを失うことも避けたい。ウーにとって、彼の存在は信用できる副官以上のものだった。
ユーリイ・シュトラウスは冷静な男だ。彼ならば、そう易々と討たれはしないとウーは期待していた。
「……ふん」
そして、ウーは足を止めた。
その身体の輪郭が蠢き、瞳孔が拡大する。
「おやおや。これは懐かしい気配だ」
ウーの周囲を、暗い地下通路を、四つの気配が囲んでいる。
「どうやってこの場所を?」
「<DIN>はあらゆることを把握している。古代グロークスの地下迷宮の地図もな。それなりに高く付いたが」
返答するその声を、ウーもよく把握していた。
「……カルテット」
ウーは感慨深く言った。
「さて、どうやら……加勢に来てくれた訳ではなさそうだ」
首肯の代わりに、正面から一つの影がウーに飛びかかろうとする。それを牽制して、ウーの左腕がしなり、伸び、円を描くように風を切り裂いた。四人のカルテットたちが思わず足を止める。
『誰の依頼だ?情報屋が!』
本性を露にし、軋む声でウーが問うた。
『いよいよ私とのビジネスはご破算というわけだな!』
「勘違いしないで貰おう」
暗闇で、カルテットが言った。
「ビジネスは続いている」
「これもビジネスだ」
「依頼は完遂する。君の違約行為を加味した上で」
四つの声が木霊する。その四重奏を嘲笑うように、ウーは足を持ち上げ、
『下らない!』
その爪先を蟲に変えた。
ムカデとケラを掛け合わせたような蟲は、周囲のカルテットなど無視して大顎で足元の石を砕き、床へと潜り込んだ。割れた石畳から、その中にいた人影を引きずり出す。
『貴様の手の内は知っているぞカルテット!本体は、常に“地面”にいる!“安全圏”など存在しないということを思い知るがいいぞ!』
その大顎が、カルテット本体の脆弱な身体を噛み裂こうとする。いくらレギオンたちが強力でも、本体は常人、それどころか前衛ですらない。さらに、常に近くにいなければカルテットは能力を使えない。
これは制約だ。ウーはよく知っていた。彼が自らを知る人間を無防備に放置するはずがない。その弱点の情報は、まさに今、彼の戦いに味方しようとしていた。
そして、止められた。
「その余裕が貴様の欠点だ」
大顎に挟まれているのは、<エンブリオ>のカルテットを操作する<マスター>ではなかった。
カルテットの一人だ。
『何!』
「「《エメラルド・バースト》」」
直後、その
目と鼻の先で緑の風が弾け、地下空間を荒れ狂う。その中で、ウーは見た。
『貴様……』
「死ね」
包囲する四つの影のひとつ、背後の一人だけが違う姿をしているのを。
『本体を敢えて晒して……地下の一人はブラフか!』
至近で“累ね”を食らったウーの四肢が吹き飛ぶ。
『味な真似を!』
即座に後続を呼び出したウーの身体は、寄生蟲に置換され、補われる。
【
しかし、
「そこか」
無感情な声と共に、カルテットが突撃した。
三人が一気に刃を突き出し、稲妻が光る。
「貰ったぞ」
ウーの胸から【ジュエル】を掴み出した。
腕のムカデが即座にそれを追う。その追撃をカルテット二体で押し止め、
「……君の能力は既存のシステムに大きく依存する」
「【ジュエル】」
「寄生蟲のストックも、方法はありふれていたな」
「これで補充はもう出来ない」
「一応、雇い主の言う通りにしてやろうか?」
沈黙していたカルテットの本体がここに来て口を開いた。
「投降しろ。お前には弁明と釈明の権利がある。カルディナ司法の裁きを受けろ……とのことだ」
『……』
ウーは静止していた。胸の傷が塞がり、肋骨が持ち上がるように無数の脚になる。
『……まさか、まさかだな』
その身体が、更に変形を始めた。めきめきと、乾いた音が鳴る。
とたんに、脚の先で捕まっていた
身体が板のように硬く反り返り、泡を吹き、白目を剥く。カルテット本体が舌打ちした。
「毒か!」
『貴様のような小物が……私を殺し得ると本気で思っていたのか?』
ウーは呟いた。その顔面状の甲羅が割れ、内部から黒い複眼が現れる。空気をなめる触覚が立ち上がり、気門がしゅうしゅうと二酸化炭素を吐いた。
『良かろう。認めよう。貴様がここにいることも、【ジュエル】を引き剥がされたことも、我が想定外の事態。……その上で、まだ、なんら問題はない』
ウーの腕が更に伸び、二本ずつに別れた。背には鱗翅類のような羽が耳障りな音を立てていた。
脚が伸びた。毛虫のような太股に、神経に作用する毒針がびっしりと生えていた。
『そう、なんら問題はない。貴様を排除するのにストックなどもう必要ない。本体を先に狙う必要もない。五人殺せばそれで済む』
人型の蟲のようになったウーが、脅すようにキチキチと鳴いた。
『だが、これだけハすこしざんねんダ』
言語能力すら喪失し始めた“蟲”が、最後に述べたのは、
『残念ダ。コノ不恰好ナ姿ヲ晒スノハ』
徹頭徹尾、余裕の言葉だった。
To be continued