■冶金都市グロークス
日が暮れようとしている。
リンダは壁の上に立って、高い城壁への早すぎる日没を眺めていた。姿は猫だ。
(……ひどい有り様)
グロークスは半壊していた。その割に死者が少ないのは、様々な人々の功績だろう。
町並みは薙ぎ倒され、腐敗し、砕かれている。汚染はとうに消えていて、残されたヘドロを掃除夫たちがモップでかき集めていた。
市長は行方不明だった。死んだのだろう。少なくともそういうことにした方が都合のいい人々というのはいて、彼等が今後の都市を復興させていくのだ。
後任には弟のチョーリオ・グラマンが就くらしい。もっとも彼自身は権力欲に欠けた穏やかな人物で、実権は市議会の有力者たちのものだろう。この騒動で一番死傷したのは結局、無辜の市民と下っ端の軍人たちだった。
街は静かだった。嵐の去ったこのひとときだけは、みな穏やかに過ごしたいのだ。
その静かな街の城壁の上に、リンダは人影を見た。
猫の視覚は人のそれとは違って、どこか褪せている。遠くのものはひどく霞み、翻って動きを捉える動体視力が発達する。遅いものは鈍く、速いものは鮮烈に見える。
リンダがその人影に注目したのも、その素早さゆえだった。
そしてすぐに、その興味は別の形になった。
人影は、ヒトの形をしていなかったのだ。
セールスマンのようなパリっとしたスーツのそれが、
リンダは猫がやるように目を細めた。あれは、人間を感知する道具だ。確か、Ⅳ世が同じシリーズのものを所持していた。そこそこ貴重品のはずだ。
古の【奏楽王】の造りし【
『……はい、もしもし』
セールスマンは通信機を取り出した。既に通信妨害は消えていた。
『はい、私です。大変お世話になっております。はい、お陰様で。例のジャミングは現在……』
その時、高らかに角笛の音が轟いた。割れんばかりの荘厳な音色がどこかから響き渡り、それに呼応するようにあの、無敵の論理硬度を誇ったエリコがぼろぼろと崩れ出した。
『……はい。お聞きの通り、城塞型<エンブリオ>が現時刻を以て消失を開始しました。活動限界に至ったものと推測されます』
セールスマンはグロークス本来の城壁の上で、悠々と言った。
『はい。大変申し訳ございません。目標の確保には失敗、また演算された計画にも大幅なズレが生じております。責任は全て、この私にあります』
電話越しに頭を下げる。
『はい、直ちに。はい、はい、大変申し訳ございません。いえ、決してそのようなことは。はい、はい、もちろん承知しております。はい、つつがなく』
エリコが割れ、細かな破片になって揮発する。はためく軍旗がほどけて消えて行き、尖塔が次々と折れて砕けた。MPの塊が原料に戻っているのだ。
『はい。失礼致します』
通信を切る。セールスマンはふと辺りを見回し、また笛を吹いた。音色に変わりはなく、人の視線も無かった。
『……《
その輪郭が歪んだ。
背骨が曲がり、手足が胴に吸い込まれていく。仕立てのよいスーツは毛羽立って、毛皮へと変わり、腰から長い尾が飛び出した。一瞬の後、そこにいるのはただの一匹のオオカミだった。
どこからどうみても、ただの動物だった。
その【ティール・ウルフ】は、風の匂いを嗅ぐや否や、城壁から器用に飛び降りて、街の陰に消えた。
猫のリンダは身じろぎもせず、それを見ていた。
(あたしと……同じような能力を?)
だが、あの会話はどういう意味だったのだろう。リンダは考えてみたが、思い当たるものはひとつしかなかった。
誰かが、ウーの<
(さて、どうしようか……誰かに教えるべきかな?)
リンダはしばし思案し、そして黙っておくことにした。少なくとも、もう少し情報がはっきりするまで、しかるべき時が来るまでは。
◇◆◇
■冶金都市中央区
エリコの破片が降り注いでいた。それらは人に触れるや否や、細かな光の塵になって消えていった。
<マスター>が死ぬときと同じ光だった。リソースの光だ。
「……!」
メアリーは額の汗を拭った。
既にガス欠だった。アシュヴィンの治癒、【教会騎士】の治療、そのどちらも。
「お疲れ様です」
ユーフィーミアが水を差し出す。
「怪我人は概ね治療し終えたんじゃないですか?」
「……そうだね」
メアリーはため息をつき、座った。
「どうしたんです?」
「……いや、大したこと出来なかったな、って」
メアリーは呟いた。悔しさより少しだけ乾いた感情が胸の内を満たしていた。
「こんなに大きな事件をどうにかするだけの力は無かった、あたしには」
「真面目ですね」
そのユーフィーミアの言葉は、褒め言葉には聞こえなかった。
「やりたいようにやればいいんですよ。理想を追わなくたって」
「付け加えれば、お前の働きは十分理想的だった」
セ・ガンが横から口を出した。
「お前がいなきゃ俺は死んでたんだ。まず間違いなくな。礼を言うぞ。死んだら補償金が貰えない」
ニヤッと笑ったセ・ガンは、明らかに苛々していた。
「業務外の仕事を山ほどさせられた。危険手当はたっぷり頂かにゃあな」
「結局、あなたは何をしに来たの?」
メアリーの問いに、セ・ガンは露骨に顔をしかめた。
「言ったはずだ。俺は運び屋だと。紛争地帯で駆けずり回るのはともかく、通信兵まがいの荷物持ちをするのは明らかに想定外だぞ。政府の担当者には苦情を入れてやる……<マスター>にやらせるべき仕事だ」
セ・ガンはあの巨人の骸があった場所を見上げた。
「……あれだって、結局は<エンブリオ>の被造物だったんだろう?」
「うん。独自開発のモンスター」
「<エンブリオ>ひとつでも、都市、国、下手をすれば世界を変えられるわけだが。それが何百、何千と……分かってはいたが、気が遠くなる。恐ろしい時代だよ」
一人のティアンはしみじみと言った。その目がぼんやりと街を見渡した。
「……死骸が消えたな」
「死んだんですかね?」
緋色の巨人は、少し前に光に変わっていた。
「
「【
メアリーは言った。
「勝っててほしいな……結構高いお金を払ったから。少なくとも逮捕して、<
「<劣級>を?」
ユーフィーミアが首をかしげる。
「何かさせるつもりなんですか?」
「……力は必要だよ。やっぱり」
メアリーは言った。今回のことで、彼女は痛感していた。
力は手段だ。可能性だ。どんな破壊的なエネルギーも、うまくすれば人の役に立てる。おそるべき脅威は、立ち向かうべき脅威は、いくらでもあるのだから。
「テロに使うんじゃなくて、人の役に立てて欲しいの。……理想論すぎた?」
「甘いですね。まぁ、貴女らしいですけど」
「……ユーフィーミアって実は結構、毒舌?」
口のなかだけで、メアリーは呟いた。懐を探って、戦利品を掴み出す。
「……これだって、結構便利だったし」
それは、【劣級飛行】の核だった。
「まだ棄ててなかったんですか?早く踏み潰しちゃえばいいのに」
「だって、使えるよ!それに、証拠品として警察とかに提出しなきゃだし、カルディナが有効活用するかも……」
メアリーは声高に言った。
「ほら、あたしはあんまり必要ないけど、ユーフィーミアは?要らない?」
「……私は!戦闘とか苦手なんですよ!なのにあんな怖いことばっかり……<UBM>とか殺戮人形とか……」
ユーフィーミアは不貞腐れた。その目が、ふとメアリーの手に向く。
「あれ?」
「え?」
メアリーが目を瞬き、
<劣級エンブリオ>が失くなっていた。目を離した一瞬の隙に。
「あ!」
「彼処だ!」
セ・ガンが素早く振り向き、
黒い影は鈍い【運搬王】を容易く躱すと、蚯蚓のようにのたくる尻尾を揺らして瓦礫の中に逃げ込んだ。それをセ・ガンが叩き潰す。粉塵の内部から飛び出したのは、核を咥えた狼だった。
狼はちらりとも振り向かず、ぐちゃぐちゃの街並みを飛び越えて東の方へ走り去った。そのシルエットが濃くなり始めた夕刻の陰に消え、足音も聞こえなくなった。
「取られた!取られましたけど!いいんですか?」
「……誰?」
メアリーは厳めしい顔で、その狼が消え去った方角を見つめた。
「<劣級>を回収したの?まさか、ウーの一味がまだ……」
「放っておけ」
不意に、セ・ガンが言った。
「あれは……気にしてもしょうがない。どうせ、同じことだしな」
「?」
メアリーは首をかしげた。ユーフィーミアは不自然に冷たい表情で、静かにそれを見ていた。
◆◆◆
◆◆◆
■冶金都市グロークス・五〇〇メテル西 八時間後
砂漠の砂が、少しだけ揺れた。
既に月が出ていた。青白いカルディナの月光は、起伏の激しい砂海に鮮やかなコントラストを作っていた。
また、砂が揺れた。
重い金属音がして、砂が舞い上がる。砂塵の下から、鋼鉄の扉がぎしぎしと持ち上がり、そして蝶番が力尽きて倒れた。
現れたのは、【教授】ウーだった。
ただし血みどろだ。服装は擦りきれ、手足は所々欠損している。虫の塊であった身体は、パーツを失って虫食いになっていた。歩くのにも難儀するような体たらくだ。
『忌々しい……!』
砂を蹴り飛ばして、満身創痍のウーは呟いた。
『忌々しい、あの情報屋ごときが……』
みしみしと軋む音がして、背中の殻の一部が落ちた。
『だが、何も問題はない』
舌打ち混じりで、ウーは自分に言い聞かせるように言った。
『寄生虫などまだ、いくらでも造れる……材料の人間はどこででも調達すればいい……』
砂を蹴り立てて、ウーは東に向かって歩き出した。
『試作品の<劣級>など惜しくはない。データは保存されている……我が能力を欲しがる協力者も、掃いて捨てる程、釣れる……!』
そして、ウーは自分の辛うじて繋がっている右腕を見下ろした。その掌の中にあるものを。
『何より、肝心の実験体はまだ……』
そこで、ウーは足を止めた。
『……貴様は』
そこに、一人の少年が立っていたからだ。
どす黒い目付き、小柄な、痩せっぽちの体躯。砂と土と、明らかに血液で汚れた服装。
ウーは自慢の記憶力を探り、呟いた。
『確か、ブラーの……連れてきた男児か』
「大変そうだね」
その余裕綽々の眼差しに、ウーは能面のような顔で眼差しを返した。
『……生きて、いたのか』
「そうだね。運が良かったんだ」
『……ふん』
立っているのも億劫そうなウーに、少年……トビアが向けた表情は、憐れみのようで、侮りのようで、ウーを軽んじているようでもあった。
『まぁ、いい……』
ウーは言った。
レベル0の男児。無鉄砲な子供。だが、肝が据わっている。悪くない。
『手を貸せ……子供、我が試作品を欲していたな……くれてやる。だから……』
「……あぁ、いいよ」
トビアは朗らかに頷いた。その差しのべた手をウーが取り、体重をぶらす。得体の知れない体液に濡れた身体を、トビアは厭うこともなく支えた。
「死にかけじゃあ、流石にしおらしくなるんだ?」
『黙れ……減らず口はいい。もう少しで、回復する……免疫系のシステムが復旧すれば……』
「ふぅん……」
トビアは首をかしげ、
「じゃ、急いだ方がいいんだね?」
次の瞬間、ウーの右腕が斬り飛ばされた。
『……ッ!』
ヒトのそれだった皮膚がめくれあがり、紫色の血が噴き出す。キチン質の殻が割れ、ぼとぼと落ちていく。“右腕”だった長蟲が身を断ち切られて悲鳴を上げ、即座に光の塵へ変わった。
『き、貴様……ッ!』
「はっ……意外と、簡単に斬れるんだ」
トビアが嘲る。その手には、
『それは……!』
巴十三の遺した、妖刀【
濡れたような刃が妖しく月光を映す。一秒足らずで、その呪いは平凡なトビアの感覚を蝕み、左半身の感覚を食らい尽くした。トビアが力無く膝をつく。
妖刀が手から落ちた。真っ直ぐに振るえばあらゆるものを斬り割く妖刀の力は、ほんの一振でもレベル0の子供には堪えられるものではなかった。
だが、一振でいい。
『この、愚か者が!この程度で……ッ!』
ウーは左膝をつくトビアに、ヒトの顔面を模造した蟲の眼で、獰猛な眼差しを向けた。
『所詮は餓鬼!無力な塵!調子に乗ってくれるな!分不相応な武器を拾ったくらいで、この私にひとときでも敵うと……』
「そう、だね……!」
トビアは顔を上げ、残された右目だけでウーを見た。その眼には一欠片の怯えもなく、そしてその右手には……
あの、緋色の<劣級エンブリオ>があった。
『な……ッ!』
トビアは狼狽えるウーになどもはや眼もくれず、掌の中のそれを見た。恍惚とした眼で、酔ったような瞳で、羨望と期待の眼差しで。
トビアが口を開き、顔を上げる。卵ほどの“核”をトビアの手が厳かに持ち上げ、
「……ッ!」
滑らかに嚥下した。
喉を滑り落ちていく<劣級エンブリオ>が鮮やかに光る。トビアの小さな喉、鎖骨の少し上、青白い首の皮膚が動く。次の瞬間、そこには黒く放射状に光る“太陽”……星型の紋章が刻まれた。
「……礼を、言うよ、【
トビアが立ち上がる。喉元の紋章を握り締めながら。
「ついに手に入れた……僕の
『貴様ァ……ッ!』
ウーは掠れた声で絶叫し、左腕を刺々しく蟲化させてトビアに襲い掛かった。だが、
「来い……<エンブリオ>!」
喉元の紋章が紅く光る。
そして、ウーが頭陀袋のごとく吹き飛ばされた。
トビアの影が膨らみ、緋と赤と紅の焔が燃え盛る。砂塵が舞い、月光をしばし遮った。
風が唸った。それは、死者の怨嗟のようにも聞こえた。力の材料になった死者の声だ。
そして、それは再顕現した。ウーの最高傑作、最新の実験結果。
緋色の巨人が、月に吼えていた。
『貴様……バカな!これが狙いで……』
「他に何がある?【教授】……あんたごときに、人が期待するものが、他に何がある!」
トビアが右足を踏み出す。その背後で、緋色の巨人が獣のように身を屈めた。
先だっての戦いで消耗し、その質量はかなり減じている。一度リソースから再構成されたので、諸刃の毒も既にない。だが、その蓄えた戦闘経験は、確かにまだその内部にあった。
『ま、待て!』
砂の上で、無様に転がるウーは言った。
『よく考えろ!それを造ったのは誰か、誰の力か!』
トビアは沈黙していた。ウーは必死に叫んだ。
『そうだろう?お前は頭がいい、そのはずだ!分かるはずだ、本当に得な行いが何か!』
「得?」
『そうだ!』
返答があったことにあからさまに安堵して、ウーは言った。
『それを産み出したのは私だ!我がエキドナだ!その力の本質は、我が手にある!』
そう、ウーは主張する。
『“授人以魚不如授人以漁”!金の卵を産むガチョウをくびり殺すのか?お前と私の利害は一致している。我が能力の成果をお前に与えることは、私にとっても喜ばしいことだ!好きに使えばいい!力を与えてやろう!』
トビアはまた黙り込んだ。だが、その動きはもう止まっていた。
『さぁ、我が手を取れ!』
ウーは力強く言った。
『どうした?分かるだろう?理解できるだろう?お前は、
「そうだね、本当にその通りだ」
色好い返事に、ウーは思わず破顔した。
「あんたなら、この先も<エンブリオ>を造れる。いくらでも、力を産み出せる」
『あぁ、共に来い!』
ウーは笑った。トビアも微笑みを浮かべ、
「でも、もういいよ」
そして、緋色の巨人の両拳が【
<マスター>本体である脳髄を破壊され、ウーの身体の全てが光にほどけていく。それを眺めながら、トビアは笑った。
このウーに頭を垂れるなど、想像しただけで不快だった。隷属、服従、依頼……それは、弱者だ。己の運命を誰かに依存する、唾棄すべき姿だ。
唇が歪み、思わず息が漏れた。
「ハハ……」
砂塵が晴れた。静けさが戻ってくる。天空では、月が輝いている。
「ハハハ!」
トビアは哄笑した。両手を広げ、月を仰いだ。
緋色の巨人は静かに屹立していた。その意思も、躯も、力も、リソースの全てがいまやトビアのものだ。トビアのものだ!
「お前は、僕のものだ……!」
トビアは裂けんばかりに唇を吊り上げ、その巨体を撫でた。
なぜか、急にどっと疲れ果てたような気がした。しばらくそうして佇む少年を、ただ、青白い月だけが照らしていた。
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