星と少年   作:Mk.Z

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第二話 The P:監獄都市

 ■都市国家連合カルディナ

  

 グロークスの事件から少し経って、AFXは再びメアリーと行動を共にしていた。

 砂漠はいつも通り乾いていた。遥か遠くには、哀れな盗賊かなにかをボリボリやる【ドラグワーム】たちの細長い影が見えた。風に乗って、微かな悲鳴が聞こえる。

 AFXは覚悟を決めかねるように、横目でメアリーの顔を見た。

「あ、ねぇ、見えたよ!」

 メアリー・パラダイスは突然の大声を上げ、砂の向こうを指差した。午前中の太陽の真下に、砂に埋もれた建物が見えた。

「……やっぱり止めない?絶対に怪しいって」

 AFXは無駄だと理解しながら言った。案の定、メアリーは首を振った。

「まさか!ことは不当逮捕だよ、不当逮捕!体制の横暴を許してなるもんですか!進めェーッ、バスティーユへ!」

「いつから革命家になったんだ」

 AFXはため息をつき、観念して自分も歩を進めた。手元には、道中で<DIN>にそれなりの(全財産の半分)金を支払って得た情報が握られている。

 半ば砂に埋もれた建物は、威厳たっぷりに黒光りしていた。人の影はない。どう見ても、観光向きではない。

 AFXは静かに言った。

 

「“監獄都市”ペルヌ……」

 

 手元の紙を眺め、アイテムボックスに仕舞う。そこには、ティアンの重犯罪者のための監獄、と記されていた。

 

 ◇◇

 

 □数日前

 

 二人がその行き倒れに会ったのは、まったくの偶然だった。

 

 グロークスの事件は一応、終息したということになっていた。勿論街にはまだ傷跡が残っていて、復興の作業は着々と進められていたのだが、この程度の事件はそこまで珍しくもないのだ。

 <マスター>の中には小国一つを“絶やした”ものもいるらしい。

 

 二人は既にグロークスを離れていた。カルディナは広い。砂漠に打たれた点のオアシス都市の間には、いくらでも空白が広がっている。

 他の都市に向かうためのその空白の途中に、一人の男が倒れていた。ティアンだ。

 

「大丈夫ですか!」

 見つけるやいなや即座に駆け寄ったメアリーに、AFXは立ち止まった。これは間違いなく彼女の美徳だ。自分では、こうはいかない。放っておけばいいのに、と少しは思ってしまう。

「意識はあります?名前は?」

 その男はひどく砂まみれだった。浅黒い肌、青銅のようなピアス、入れ墨、赤みがかった髪……服装こそカルディナ人だが、どこかエキゾチックだ。

 インディオみたいだ、とAFXは思った。眼前では、メアリーとアシュヴィンが拳を振り上げていた。

「《癒しの息吹(ヒリング・オーラ)》!」

「……ッ!」

 金色のオーラが光り、その男は途端に息を吹き返した。

「もう大丈夫!かなり衰弱してたけど、それだけだから。でも、ひとまずなにか食べた方がいいよ」

「あ、あぁ、ありがとう」

 食糧を差し出すメアリーに、その男はふらふらと頭を下げ、立ち上がった。

「独り旅?」

 今度は、AFXが話す番だった。

「ここは人里から遠い。こんなところで、何をしてたんだ?」

「それは、君たちも同じ様に思えるが?」

 男はニヤッと笑って、二人を眺めた。

「こんなところで逢い引きかい?」

 AFXの頬がパッと紅潮した。メアリーは冷静に首を振った。

「違うのかい?なら、遠慮なくこの麗しい命の恩人に、俺の感謝を示せるって訳だね……お嬢さん、今度食事でもどう?ドラグノマドの雰囲気の良い店を知ってるんだ……」

「それが行倒れた人間の台詞?」

 AFXは露骨に不機嫌になって言った。

「質問に答えろよ。ここで、何してた?」

「まぁ、ご想像にお任せするよ」

 男は体格に比して長めの手足を振りながら答えた。その手がメアリーの手を恭しく取る。

「……で、どうだろう?君のように愛らしい女性を放っておくことはむしろ無礼だと心得ているんだが」

 その軟派な振る舞いは、確かに男の外見にも似合っていた。長めの前髪はさりげなく切り揃えられ、人懐っこそうな眼はメアリーをまっすぐに見ている。服装も派手だが下品ではない。

 総じて、見目麗しいと言えるだろう。よく整った顔立ちはまるで大輪の花のようで、きめの細かな赤銅の肌には陽光が光っている。立ち居振舞いもそれとなくハンサムで、笑顔がよく似合いそうだ。声もいい。聞いていて心地いい。例えるなら年季の入った滑らかな黒檀の机、あるいは流麗なステンド・グラス……食事どころか、今後も長く付き合っていたいと思うほどだろうか?自分でも自覚しているんだ、並んで歩く女性をエスコートするのに、男が容姿を磨かないことは罪だからね。もちろん君が望むなら、俺はどんな手助けでもしよう、だから俺の隣でいつまでも笑顔という花を咲かせていてはくれないだろうか……!」

「……質問に、答えろ」

 AFXは再三言った。その鷹のような目付きに、今度こそ男は両手を挙げて(ホールドアップ)答えた。

「オーケー、“俺は君たちに危害を加えないし、間接的に害を与えるつもりもない”。これで、ひとまず信用してくれる?」

 AFXは渋々頷いた。《真偽判定》があるこの世界で、言葉はそれなりに重い。

「実はねぇ、俺はとある用事の帰りなんだ」

 男は話し始めた。

「まぁ用事の内容は置いておくとして……俺の目的はひとつ。とある場所に閉じ込められた人物の救出だよ」

 その言葉にメアリーが俄然目を見開いたのを、AFXは見なくても感じた。

「救出?」

「そう、救出。彼女は哀れにも冷たい檻に囚われ、日の光を見ることすら叶わない!」

「なんですって!」

 また始まった!AFXは思った。

 メアリーは叫んだ。

「そんなの、許せないよ!」

「そうだろう?俺は彼女を救い出すため、方々を駆けずり回って助けを求めた……なにせ敵は強大で、俺なんか正面から立ち向かっても殺されるだけだからね。そうだ、君たちも手伝ってくれないか?」

「訊きたいんだけど」

 メアリーを制するように、AFXは言った。

「その囚われ人とあんたの関係は?」

「……大事な人さ」

 男の言葉が、一瞬だけ鋭さを増した。その切っ先が突き刺さったような気がして、AFXは思わず胸を撫でた。

 男は気配を緩めて続けた。

「親友の妹だよ。助けたいんだ」

「勿論、手伝うよ!」

 メアリーは満面の笑みで胸を叩いて見せた。虐げられる人間を救うことこそ彼女の本懐だ。

「それで、どこに捕まってるの?」

 その問いに、男はあっさり答えた。

「場所は、ペルヌ大監獄」 

 二人は首をかしげた。

「知らないな」

「カルディナだよ。監獄都市ペルヌ。まぁ、観光名所じゃあないね」

 男はへらへら手をたたく。懐から、一枚の写真が出てきた。

 若い、幼い少女だ。エキゾチックな見かけは、男のものと同属だった。

「これが救出対象の写真ね。ペルヌの奥、おそらくは独房に入ってるはずだよ」

「ねぇ、それって……脱獄じゃない?」

 AFXは眉をひそめた。

「監獄なんだったら、いるのは犯罪者だろう?強大な敵って、つまりカルディナの体制側じゃあ……」

「不当逮捕なんだッ!」

 突然、男は叫んだ。

「ろくな裁判も、捜査もない!政治的な思惑と取引だけで監獄に入れられた!横暴だよ、体制の横暴だよ!控訴すら許されないんだ、権力の前では一市民は無力なチリに過ぎない……ッ!」

「やっぱり犯罪者じゃないか」

 AFXは首を振った。口ではいくらでも言える。《真偽判定》は虚偽しか見抜けない。隠匿や秘匿、片寄った主観は真実のうちになる。言葉は曖昧だ。

「悪いけど、僕らは……」

「……協力する!」

 渋るAFXを突き飛ばして、メアリーは男の手を取った。

「そんなの酷すぎる……絶対に見過ごしちゃいけない。都市国家の自治権の暴走は、あたしたち二人が止めてみせる!」

「メアリー!?」

「権力は弱者のためにある。政治の道具になって良いはずがない!不当逮捕反対!反対!」

「そうだ、反対!」

 二人が声を上げ、意気投合する。AFXは黙って空を見上げた。空が青い。

 最悪だ。メアリーの性格に火が着いた。AFXは心の中でため息をつき……舌打ちした。

 それを見抜いて焚き付けたのか?

 あの一瞬で?

「……まさか」

 男のことを睨み付けて、AFXは呟いた。

 とにかく、手伝うにしてもこの男の素性を知っておきたい。

「ところで、あなたの名前は?」

 男はあっけらかんとした顔で言った。

「俺の名前は、ヘシリンシだ」

 

 ◇◇

 

 ■再び現在

 

 近づいてみると、その建物は思うより巨大だった。

 ゆっくりと渦巻く流砂、そしてその砂を寄せ付けぬように人工の断崖があり、さらにそれに囲まれて黒い建物がそびえている。その重々しい雰囲気はいかにも、“監獄”だ。

 この大監獄がまるまる、ひとつの都市国家として扱われているのだ。

「で、どうする?」

 AFXは眉を上げた。

「はっきりさせておきたいんだけど、僕はさ、あの人を怪しいと思ってる。その……救出対象も捕まるべくして捕まってるんじゃないかって」

「体制側の言うことを鵜呑みにするのは……」

「あぁ、あぁ、はいはい。だから、少なくとも僕らで裏を取りたいんだ」

 AFXは辛抱強く言った。

「その女の子が不当に逮捕されたのかどうか。助けたいと思えるかどうか」

「違法かどうか、じゃないんだ?」

 メアリーはにやっと笑って、AFXの肩を叩いた。

「あたしに、良い考えがあるんだよね」

 その自信ありげな顔に、AFXは唾を飲み込んだ。

 

 嫌な予感は的中した。

 柔らかな流砂に、AFXが指を沈ませる。そのままで、少年は呟いた。

「本気で忍び込むつもり?」

「他に無いでしょ」

 メアリーはそう言って、ゆっくり両腕を持ち上げた。黄金のオーラが揺らめき、巨大な前腕を象って具現する。

 それこそが、彼女の<エンブリオ>……アシュヴィン。空を舞う双拳だ。

 アシュヴィンはいつもどおりサムズアップすると、不安定な砂の上ぎりぎりを浮遊し始めた。メアリーが右腕に飛び乗り、身体を低くする。AFXも渋々後に続いた。

 砂を踏めば、沈む。しかし、高空を進めばペルヌとて正式な監獄、侵入者を見逃すはずがない。

 だからこうするのだ。流砂によって守られていると、ペルヌが判断している死角だから進めるのだ。

「……【ドラグワーム】だ」

 AFXは声をひそめた。流砂の中を、鰻のような長虫が泳いでいた。エサを探しているのだろう。砂を騒がせていたら、流砂の内部から噛み裂かれていたかもしれない。

「気づいてないよ。あの手の生き物って眼は悪いはずだから」

 AFXは本気にしなかったが、少なくとも襲われることは確かに無かった。ペルヌ大監獄もまだ、沈黙を保っていた。

 じわじわと、いっそ飽いてしまいそうなほどの鈍行のすえ、二人は流砂の縁へとたどり着いた。縁は砂丘のように盛り上がっていて、そこから砂が瀑布のように流れ込んでいる。

 その陰に身体を隠して、二人はペルヌを見た。黒々とした建物は、無数の階段や配管の寄せ集めで、どこか蜂の巣みたいだった。つついたら、わっと働き蜂が飛び出してきて刺されそうだ。

 ペルヌを取り巻く亀裂を越えて、何本かの空中回廊が砂漠から伸びていたが、そのすぐ傍らに番小屋があるのを見て、二人はそのルートを断念した。橋の裏を渡ったり、上を飛んでいくのは無理だ。

『やぁ、困ってるね?』

 そのとき突然聞こえた声に、AFXはもう少しで飛び上がるところだった。

 知っている声だった。この作戦のそもそもの原因の、砂漠の行き倒れ、ヘシリンシだ。

『もう理解したかな?この監獄は周囲を流砂と堀に囲まれ、連絡はあの橋を通してのみ行われる。そして、敵はその橋をガチガチに固めている』

「あんた、どこにいるんだ?」

『君が知る必要はない』

 ヘシリンシの声はすれど、その姿は見えない。声の大きさからして、すぐ近くにいるはずなのだが。見渡しても、岩や砂のかたまりこそあれ、二人の視線から人一人を隠せるような物陰は無かった。

「どうやって入るか、当てがあるの?」

『調べたのさ。この建物は年々、地盤が沈下している。その度に連絡橋を建て増しして凌いでる。だから、奈落に飛び込むんだ。すぐ10メテル下、古い通用口が残ってるはずだ。そこなら警備もない』

 飛び込む?AFXは頭半分だけ、砂丘から出して向こうを見た。ペルヌは遠く、奈落は深い。

『素早くやるんだ。縁でもたついていたらすぐ見つかってしまう。頼むよ、彼女を救いたいんだ』

「僕はまだ、あんたの頼みを聞くって決めたわけじゃ……」

 AFXは口のなかでぶつぶつやったが、メアリーは少しも躊躇わなかった。少年の腕を掴んで、少女は言った。

「絶対、助けてあげるから!」

 

 次の瞬間、二人は砂丘を飛び越えた。

 

 叫びそうになって、AFXは思わず口を押さえた。ドーナツ形に切り取られた空が小さくなっていく。砂の縁から、鳥のようなものが飛び立つのが見えた。

 砂塵の滝が落ちるのと同じはやさで、二人は落下した。砂の粒が周りで浮いているようだった。メアリーは周囲を睥睨し、素早く目的のものを見つけた。

 橋だ。ただし、錆びて落ちている。そのぼろぼろのフレームがペルヌへと繋がっているのを確認すると、メアリーはアシュヴィンの片腕に命じた。

「飛べ!」

 ふわりと重力加速度に抗った<エンブリオ>を踏み台にして、二人は斜めに跳躍した。AFXとメアリーの手が、崩れかけの橋桁を掴む。それがへし折れると同時に、二人は走り出した。

「……ッ!」

 踏みつけるそばから壊れていく。10メテルほどの金属の枠組みは、一歩ずつ分解して奈落へ墜ちていった。音は聞こえない。その事がAFXにはかなり不気味だった。

 最後のフレームが錆の欠片に変わるのと同時、二人は古い扉の縁にかじりついた。人間二人分には到底足りないスペースで息をつく。その後ろで、黒と金色のアシュヴィンが浮いていた。

「素直に、乗せてもらえばよかったんじゃない?」

 AFXは奈落に足をぶらぶらさせながら、皮肉っぽく言った。

 メアリーは扉を用心深く触り、鍵がかけられているのを確かめて、力一杯引っ張ってみた。【教会騎士(テンプルナイト)】の膂力は、ドアの一部を静かに引きちぎっただけだった。

「……おっと」

「賭けてもいいけど、見つかるとしたら絶対に君のせいだからね」

 AFXは懐をまさぐり、小さなガラスの小瓶を取り出した。

「そっちこそ、文句言うくせに準備が良いんだから」

「そりゃどーも。深い感謝のお言葉いたみいるね」

 瓶の中身を扉の蝶番へと染み込ませる。【錬金術師】系統の謹製、魔法のかかった強酸は、錆びた鋼鉄さえ煙と共に易々と溶かして焼き切った。

 AFXはゆっくり、軋まないようにそれを引きずり、扉をこじ開けた。小瓶は投げ棄てた。どうせ、誰も咎めないだろう。

 建物内部は異様に薄暗かった。真昼の砂漠とは正反対で、まるで冬の午後みたいだった。冷たい照明が点滅しながらむしろ物陰を濃くしていた。好都合だ。

 メアリーは光で気取られぬよう、アシュヴィンを格納して歩きだした。

 ホンの少しの衣擦れでも、反響してこだまする。天井は高く、絡み合った通路を吹き抜けのように遥か上まで透かしていた。

「ほんとに蜂の巣みたい……」

 二人は顔を見合わせ、頷いた。目指すなら、監獄中央の最奥だ。

 監獄は入り組んでいたが、構造はめっきり単純だった。中央のシャフトから放射状に連結された監房の列が伸び、その隙間を通路が立体的に繋いでいる。外郭のブロックを抜けて、監房ブロックを耳を澄ましながら進むAFXは、ふと、その監房の鉄格子の内側を覗いた。

 なんのことはない、人相の悪い【詐欺師(スウィンドラー)】だ。

 奇妙なのは、それが意識を失っていることだった。規則正しく、ゆっくり、深すぎる寝息が聞こえた。 

 いや、単なる昏睡ではない。

 【昏睡】【精神休眠】【倦怠】【拘束】【気絶】【強制睡眠】【麻痺】【脱力】【弛緩】【衰弱】エトセトラエトセトラ……数えるのもバカらしくなるほどの状態異常、その五大系統の数々がその囚人を侵していた。他の囚人たちも、だ。微かな呼吸音が周囲から、まるで無数の虫の羽音みたいに、静寂を塗りつぶしている。

 

「……意識を残しておく、メリットが無いからな」

 

 判断は素早かった。

 AFXは振り向きざま、まだ事態を把握していないメアリーの襟首を引っ掴んで走り出した。【偵察隊】のAGIを全開だ。監房の縦列が、薄暗がりに溶けていく。

 そのスピードを誰かが制止した。

「逃げられるとは思わないことだ。侵入者くん?」

 容易く首根っこを押さえられて、AFXが強制的に立ち止まる。

「古いほうの扉を使うとはな。“監視網”に穴はなかったとはいえ、治安上よろしくはない……塞いでおくべきか。御指摘(きみたち)に、感謝しよう」

 引き締まった筋肉を誇るように薄衣のみを身に付けたその女、ほぼ裸身の女は、獣のごとく獰猛に笑った。

「何者かがこの周囲で不審な動きをしていることは把握していた。既に、そして完全に。我が弟は優秀なのでね」

「あんたは……」

「我が名は、シェメシ」

 女は呟いた。AFXを放り出す。二人は蛇に睨まれた蛙のように、身体を固くして彼女を見た。

「ここ、監獄都市ペルヌの長を勤めている」

 AFXは視線を外さぬよう、全身で気配を探った。なぜ気づかなかったのか、辺りの暗がり全てに人の気配がある。静かに、そして確実に二人を見張る気配がある。

「にしても、感心だよ君たちは」

 シェメシは複雑に編み込まれた頭髪を撫でた。その全身には痛いほど純白の入れ墨が走り、褐色の裸身を切り取っていた。

「人々は“監獄”などというものには無関心なのが常だ。ペルヌだって無名の都市だろう。社会には不可欠だというのに。綺麗事だけでは回らないのが秩序だ、そうだろう?汚れ仕事……そう、決して華やかではないが、ここは社会という双璧の片側なのだ」

 鋼鉄の廊下は寒々しかったが、外の気温が微かに入り込んでいた。砂漠の熱が。 

「罪とは……」

 シェメシは誰に言うでもなく呟いた。

「罪は二つから成る。ひとつは法。人を裁くための規律だ。だが、それだけではまだ空虚な哲学に過ぎない。机上の空論を具体的な力にするのは、罰だよ。ここにあるのはそれだ。監獄都市(ペルヌ)は罰を担っているのだ。罪の天秤の左方をね」

「いい哲学だな」

 AFXは左手の紋章に触れた。どうにかして、隙を作れるだろうか?

 シェメシの眼差しが、二人の手に向いた。左手の甲に刻まれ、染め付けられた紋章をちらりと視線が捉える。

 しかし<マスター>の不埒もの二人を前にしてなお、シェメシは徹底して朗らかだった。さっきまでのネコ科肉食獣のような気配は収まり、穏やかな春風にも似た微笑みが顔に上った。

「だから、囚人を逃がすわけにはいかん。意識を失わせれば、いかな曲者どもといえど打つ手はなし。いくらでも状態異常を重ね掛けできもする。囚人は檻のなかで大人しくするのが仕事だ」

 AFXは考えあぐねていた。正直、体制側の重要施設に忍び込んだ時点で逮捕されると踏んでいたのだが、彼女はどうやらその気がないらしい。

(でも、逃がしてくれるって感じでもない。……なにか、様子を見ているのか?)

 そんな考えをよそに、AFXに捕まっていたメアリーは、シェメシを毅然と睨み付けると、懐からあの写真を取り出した。

「ここに送られてきた囚人の中に、こういう女の子は?」

 瞬間、AFXは息を呑んだ。

(このバカ女……!)

 犯罪者を助けに来ました、と自白するようなものだ。脱獄は、歴史上のどのような国家権力の下でも漏れなく重罪。この場で連座式に指名手配でも食らいかねない。

(いや、だが、なら、いい!こうなったら賭けだ!)

 ここには《真偽判定》がある。

 シェメシの視点で考えよう。二人が所持していない、と確定は出来ない。リスクがある以上、軽々しく回答することは悪手でしかない。

 だから口に出せる言葉は、【詐欺師】でもない限り、まず真実にならざるを得ないのだ。ズバリの質問はリスクも大きいが、得られるものも多い。

 可能性はふたつ。明確に否定すれば、少なくともこの少女はここにはいない。肯定すれば、囚人としてその情報を訊ける。もし隠すなら、疚しいことがある証拠だ。

 だが、シェメシの答えはそのどちらでもなかった。

 

「そうか。なるほど……君たちは、あれを脱獄させるために来たのか」

 

 そのやけに自信ありげな言葉に、AFXは眉をひそめた。

(知っていたのか?予め?)

「ふん……君たちの名前は?」

 突然の問いに、思わず二人は正直に答えていた。

「【偵察隊】AFX」

「【教会騎士】メアリー……パラダイス」

 その答えに、シェメシはあからさまなため息をついた。

「反応無し。なんだ……予想外だな。()じゃあないのか……だが、こちらはこちらで……<マスター>(ひとでなし)の力を借りるほど追い詰められて、とうとう形振り構わなくなったのか……?」

「なんの話?」

「君たちの、脱獄幇助計画の話だ」

 シェメシはあっさり言った。

「どうせ詳細は知らんのだろうな。命拾いか?二人だけで乗り込んでくるあたり、計画も稚拙だ。探りを入れよう、というところか。そのような行動に出るからには、君たちにもまだ確信が持てないのだろう?その少女……クオンを脱獄させるかどうか」

 ペラペラと、腹積もりを看破されて二人が沈黙する。シェメシは身体を翻し、声が静かに反響した。

「あぁ、一応、確かめておこうか。君たち、ブラー・ブルーブラスターという名を知っているかね?」

「……ッ!」

 AFXは眼を細めた。

 “自殺”のブラー。冶金都市グロークスで鉢合わせたときの記憶は、少年にとって不愉快な思い出として残っている。

「……あいつが?」

「仲間か?」

「「誰が!」」

 二人は吐き捨てた。シェメシは微笑みながらため息をついた。

「全く……物事というのは、しごく嫌な時機で重なるものだな」

「この女の子を不当に逮捕したの?」

 メアリーは不敵に問うた。シェメシは一貫して柔和な顔だったが、AFXはどこかその笑みが信用できなかった。嘘臭い顔だ。まるで命も感情もない、マネキンのそれだ。

「移送元……レジェンダリアのほうで高度に政治的な判断があった、ということは言っておこう。少なくとも、罪なきものを私は幽閉しない」

 シェメシはメアリーをまっすぐ見つめた。

「そして、罪とは政治が決めるのさ。その“法”に、私は口出ししない。我が職分はあくまで“罰”。【看守(ジェイラー)】だからな」

「あたしは、政治と罪は別だと思うけど」

 メアリーはまっすぐに言った。シェメシは形だけの笑みを浮かべた。

「そうか。で、まだ続けるかね?」

 AFXは後ずさった。シェメシの刺青が、蛇みたいに動いたような気がした。

「きちんと名乗っていなかったか?私はペルヌ市の王、シェメシ・アル=アスファル……看守系統超級職【幽閉王(キング・オブ・ジェイル)】だ。こと大監獄の中においてのみだが、()()の君たちごときに遅れは取らん」

 その剣呑な気配にも、メアリーは一歩も引かなかった。AFXは感心と軽蔑のどちらでもない感情を取り扱いかねながら、一歩下がった。

「やめておけ、【偵察隊(リコノイター)】の少年よ」

 シェメシはメアリーから視線を外さずに言った。その耳には、何も嵌まっていない。

「右手。背後に隠したナイフを捨てろ。これ以上は人間もどき(マスター)といえど治安維持の名目で処刑する。監獄所長の肩書を以て」

(なんで解る……【看守(ジェイラー)】の能力なのか?)

 AFXが停止する。シェメシは、メアリーの直情かつ強情そうな顔を眺め、言った。

「……君らも、一億が目当てのクチか?」

「一億?」

 怪訝そうなメアリーに、シェメシは春風のような笑みを崩さず、答えた。

「一週間ほど前。カルディナの裏社会にとある布令が回った。差出人は不明。だが、《真偽判定》はその文言を保証した」

 周囲を固める【看守】たちは、指一本動かさずに三人を注視していた。シェメシは続けた。

「“監獄都市”ペルヌの破壊、殲滅、及び……最奥の囚人の解放。成したものには、一億リルを支払うと」

(ヘシリンシ……か?)

 AFXはあのエキゾチックな男を思い浮かべた。それほどの財産家だったのか?一億リルを動かせるほどに?

 メアリーは誇り高く叫んだ。

「あたしたちはお金目当てで動いてるんじゃない、正義のためだ!」

 その愚直な言葉に、シェメシは一瞬あからさまな侮蔑を滲ませた。

「正義か。私は“法”と“罰”は知っているが、正義とやらを見たことはない。君は、確信を以て御存知なのかな?」

「悪は知ってる。幼気な子供を不当に逮捕することがそれ!」

 シェメシはまたなにか言おうとして、ふと顔を背けた。風を嗅ぐように上を見上げる。小さな天窓から注ぐかそけき日光が、少しだけ動いた。

 

「……ほぅ?」

 

 監獄が揺れ、地響きが腹の底に届く。二人が身体を強ばらせるのと裏腹に、シェメシは唇を吊り上げた。

「ほう!悪くない……確かに、陽動の次は迅速に行動しなくてはな」

 怪訝そうな顔の二人に、シェメシが心底朗らかで不自然な笑顔を向ける。

「敵襲だ」

 

 To be continued

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