■カルディナ・監獄都市ペルヌ
その【
「愛、愛、愛……」
彼はぶつくさ言った。
「愛。例えば、男が女を欲することは愛だろうか。女が男を欲することは愛だろうか」
「違うのか?」
「違いますよ。それは肉欲です」
【華将軍】は言った。それにAFXはちょっとびっくりした。なにせ、返事がもらえると思えないような、独りよがりな口ぶりだったからだ。視線は宙を彷徨い、口調は聞こえにくい。
「なぜ、男なのですか。なぜ女なのですか?異性を求めるのは、繁殖したいだけの本能だ。獣じみた肉欲が愛などと呼べるのでしょうか、本当に?人は、人の肉体を愛するのでしょうか?」
「愚問だな」
締め上げられたカストルが息も絶え絶えに応えた。
「貴様の宣う通り、肉体を愛するのはただの色欲だ。愛とは、その人間の人格を求めることだ。そんなことも分からないのか?」
「人格?」
【華将軍】は首を傾げながら腰を下ろした。というのは、ひとりでに砂の中から湧き出した樹木が彼の尻を支えたからである。尤も、どこが腰なのか見当をつけるのは難しかったが。
「人格。ふむ。なるほど」
彼は唸りながら首を回し、指を鳴らした。
「違いますね」
その瞬間、カストルの身体が破裂した。
真っ赤な血が皮膚を突き破って吹き出し、張り裂けた皮と肉があたりに飛び散った。だが、彼らはもうそれ以上は汚いものを見ずにすんだ。
光の塵に変わったからだ。
「カストル!」
「“
【華将軍】は叫ぶポルックスに向かって言った。
「君たちの情報はですね、以前調べたことがあるんですよ。魔法系スキルを並列起動して重ねる、典型的な砲撃型魔法職ですね。ですが、そこまで【賢者】を突き詰めるのは案外難しい」
彼は冷ややかに言った。
「カリキュレーターによる魔法プログラムの制御。プロンプトを与えることで自動制御する、恐らくはガードナーかテリトリーも複合しているのかな?そして、そのためには学習元がいるはずです」
「僕の……あぁ、僕の【盗史満々 メデイア】のことかい?」
ポルックスは吐き捨てるように言った。【華将軍】は頷かなかった。
「殺したティアンの魔法技術を盗み取る能力、ですね?」
ポルックスの周りで魔法の光がチラチラ跳ねていた。それは、殺害したティアンの脳から取り出した手続き記憶の塊だった。
「条件は殺害。能力特性は“記憶転写”。殺したティアンから盗んだ魔法を使っている」
「ティアンから?」
メアリー・パラダイスは木の枝に絡め取られながら驚きを口にした。【華将軍】は淡々と言った。
「精神操作系に属する<エンブリオ>ですよ。ティアンの記憶を覗いたり操作することは決して不可能じゃないでしょう。珍しいが、なくはない」
魔法に必要なものは大きく分けてふたつ。それは、“技術”と“エネルギー”だ。
「君たちは、自分たちの<エンブリオ>の能力をお互いに適応しあっていた。殺害を条件として、ティアンの魔法制御技術と、総MPの内の何割かを自らに加算する能力……対象が二人であり、演算特化であることから恐らくはカリキュレーターとテリトリーの複合。違いますか?」
「無名のはずだったのに……よく調べている。<DIN>……“メルカバ・レポート”か?厄介なことを」
ポルックスは縛られながら、鼻血を垂らしながら、宣言した。
「《
そして、彼の周りで魔法陣が宙を回った。
無数の円環がくるくると重なり合い、その上を数字と記号とラテン文字が泳いでいく。
魔法が起動し、あかがね色の光を発しながらあたりを焼き始めた。ポルックスは炎に包まれながら叫んだ。
「手の内は知ってるんだろう?これが僕の最終手段、その場に応じた最新の複合魔法をデータから組み上げさせて放つ!僕にだって何が出るか分からないから、覚悟するんだな!」
しゅうしゅうと唸る音、パチパチと生木が爆ぜる音がして、ポルックスの樹木の拘束が解けた。トレントの一体が砂漠から顔を出し、苦しそうに叫びながら灰へと変わっていく。
『
ただの火ではなかった。なにか他の属性が複合されているのだろう、それは紐のように細く枝分かれしながら樹皮へと潜っていき、ネジのようにそれを貫いて内側から焼いている。
それは樹木だけではなく、あたりの全てに襲いかかった。
「これは酷い」
【華将軍】ブラスは、迫りくる焔から後退りをすると、砂地を踏みつけた。足元から壁のように湧き出した防火林は炎を堰き止めたが、ヘビのような火炎はすぐにそれを貫通した。
「僕を殺したって無駄だぞ」
ポルックスは砂の上でわめいた。
「カストルの遺したMPはもう支払ってある!術式の構築も完了してる!僕が死んでもこの魔法はお前らを追い続ける!くたばっちゃえよ、なあ!」
「それは困る」
ブラスがそう言った瞬間、樹木がざわついた。
「《リ・フォレスタティオーン》」
焼けて光の塵になったはずの木々が、消えたはずの木々が、再出現していた。
少しの傷もなく、健やかなままで、再び燃え盛る魔法に立ち塞がる。ポルックスを抑えつけていたあの大樹も、砂の中から現れて枝を振るった。
「奥義です。詳細は秘密ということで」
「【
ポルックスは《看破》した。
(HPが不自然にキリのいい数値で減っている。自傷による配下の再生、復活か?でも、その手の能力にはどこかで限界が来る)
「どれほど手駒を置きなおしても、ぜんぶ焼いてやるぞ」
そう、たとえ樹木が再生するとしても、有利不利は変わらない。《魔人の最適解》によるこの火属性魔法は木に対して最大の破壊効果を得られるように演算・顕現させられたものだからだ。
だが、膨れ上がる焔に向かって【華将軍】は怖じるでもなく、ただため息をついた。
「……データからの演算。その手の能力には、大きな欠点があります」
そして、《
「初見に対応できない」
次の瞬間、水をなみなみと湛えた風船のような果実が、炎の塊を即座に押しつぶした。
膨れた果実を鈴なりにした木の怪物が、煙の奥に聳えていた。樹皮には水の導管がかたく盛り上がってうねり、枝先の葉は雨を受ける漏斗のように天へ口を開けたかたちになっている。
「レジェンダリアでも一部にしか棲息しない【ヒドロ・マンドレイク】の百年ものです。果肉に高圧の水を蓄え、威嚇と繁殖に使う。あの国には知られていない植物種がごまんといますからね」
水は蒸発しながら弾け、蒸気になってAFXとメアリーの顔を煽った。瞼は焼けるように熱く、唇が剥がれてひび割れる。
魔法の炎は生き物のように身を捩ったが、次々に投下される果実の水圧がそれを切り裂き、砕いて砂と混ぜて撹拌した。勿論、その中心にはポルックスがいる。
魔法職は直接攻撃されれば脆い。たとえ連続殺人でティアンから奪い取った技術があっても、その弱点は変わらない。
「どんなプログラムが編み込まれていようと、君に与えていない情報で倒せばいい」
【華将軍】ブラスは立ち上がった。
「どんな複雑な魔法も属性を持っている以上、十分な出力の相反属性を然るべき様態でぶつけてやれば……おや、聞いていませんか」
ポルックスは光の塵へと変わっていた。それをしばし見送って、彼は突然涙を流し始めた。
「ひどい話だ」
ふらふらと、彼は焼けた砂地を踏んで叫んだ。
「ティアンを殺すなんて。しかも、その記憶を盗み取って使うだなどと、彼らの研鑽を、自分の手柄みたいに、魔法技術も、MPも、すべてすべて!」
なにより!
「そんな<エンブリオ>を発現させておきながら、人の心をコピーする能力者でありながら、“愛は人格に宿る”などとは!」
「……愛がなにかが、そんなに大事なのか?」
AFXは尋ねた。
そして、地面に放り出された。
戦場の砂は硬く踏み固められていた。肺の中から空気が押し出されて、彼は苦鳴を上げた。砂粒を巻き上げて落ちた彼を、トレント種の木の枝ががっちりと拘束し直す。それを覗き込み、ブラスは言った。
「こんなもの……こんなもの!」
そう叫んで、彼はいきなり木の枝を踏みつけ始めた。生ける樹木はただされるがままに悶えていた。
「こんな、こんな色、こんな艶、こんな形!あの人の万分の一にも及ばない!作り物の偽物だ、あぁ、僕は本当に駄目なやつだ、早く死ねればいいのに!死ねもしないでうろうろと同じところにいる!」
美しい彩りをきらきらと万華鏡のように映し変えるその枝を、葉を、踏みつけにしながら、ブラスは息を切らして突然、AFXを指さした。
「さて、もし、あなたの最愛の人が記憶をなくしたなら、あなたはその人を見捨てますか?」
「……いいや」
AFXは可能な限り穏当だと思われる答えを返した。この男が、問答の結果で相手の生死を決めているのは明らかだったからだ。刺激しないように、望む答えを返してやれば、少しはこの樹木の拘束も緩むかもしれない。
「記憶をなくしたとしても、その人はその人だろ?」
だが、ブラスは首を狂気的な速度でぶんぶんと振った。
「では、あなたの最愛の人に、完璧なクローン人間が出来上がったとして、それはその人の代わりたりうるでしょうか?」
「……いいや」
「それはおかしい」
ブラスはずいと顔を寄せた。接吻でもしそうな距離だった。AFXは顔をしかめた。この男からは腐葉土の匂いがする。
「記憶を愛するなら、あなたは記憶喪失の彼女を捨てなくてはならない。肉体を愛するなら、あなたはクローン人間をも愛さなくてはならない」
「それは」
「荒唐無稽な屁理屈だと?」
ブラスは静かに微笑んだ。
「それは逃げだ」
そして、絞り出すように言った。
「僕は、私は、俺はッ!考えなくてはならないッ!君も、あなたも、私達も、全員がだ!有耶無耶にしているんだ!真実の愛が何を対象にしているのか、どこに宿るのか、なにもかもッ!それを考える勇気のない連中は言う、わかるはずだ、心でわかるはずだと!そんなものはおためごかしにすらなっていない!」
ブラスは泣きながら吼えた。
「愛した人に忘れられたら?思い出を愛するのか?思い出があればその人はいらないと?」
樹木が猛り狂うようにうねった。頭上でメアリーが苦しそうな声を上げた。
「【死霊術師】によれば、“魂”なるものが
【華将軍】ブラスは絶叫した。
「記憶をなくしても、肉体を複製しても、絶対的な“個人”の定義である“魂”……そんなもの、願い下げだ!あの人が僕をもう愛してくれないなら、そんなものになんの意味がある!魂が記憶や、精神や、肉体とも違うなら、そんな“魂”だけがあったってなんの救いにもならない!なんの保証になる?なら、記憶でも精神でも身体でもないッ!この僕は、僕は、僕は、“僕”とは何だ?あの“彼女”とは、何だ!答えろ、<マスター>!」
「……あんたは、誰かを亡くしたのか」
AFXは静かに言った。
「それも、こっちで?」
「僕の事情は関係ない」
ブラスは言った。
「求められる真理は個人に依存することなく普遍だ」
「答えなんかないよ」
AFXは、自分でも驚きながら喋っていた。
「人が人の何を愛するのか、何を愛していればその人なのか、そんなものに普遍的な答えなんかない」
「逃げ口上を……」
「だからッ!」
AFXは怒鳴った。
「あんたの、俺の、誰かへの気持ちは!ただそれだけなんだ!それを愛とかなんとかだなんて保証してくれる絶対的な誰かも、何かもないんだよ。なんの保証もない、バカみたいな勘違いかもしれないそれがあるだけなんだ!」
AFXは言った。
「人の気持ちなんてわかりようがないんだから。間違ってるかもしれない、醜いかもしれない、裏切られるかもしれないって、その恐さは消えなくても、自分のそれを信じるしかないんだろうが!」
「……それは虚無だ」
ブラスはぽつりと言った。
「それじゃあ、僕はひとりぼっちじゃないか」
「違うだなんて誰か言ってくれるのか」
AFXは吐きそうな気持ちで呟いた。
当てられすぎた。余計なことを口走るほど無様なこともない。
ブラスはじっと黙って考えていた。あの“不可死”の
「……違いますね」
やがて、【華将軍】はぽつりと言った。
AFXは観念したように身構えた。メドラウトの能力で防御はできているが、量と質の問題だ。
相手は、あの、上級すら超えた超級職……AFXも戦うのはこれが初めての、紛れもない強敵なのだから。
「だが、近いかもしれない」
ブラスはしかし、矛を収めた。
樹木がするすると降りてきて、メアリーを優しく放り出す。AFXには、緩んだ樹木が自分の腕をつかんで立たせるのが分かった。
「自分勝手か……所詮、そうだったんですよね。確かに、正解でなくとも殉じるしかないのかもしれない……」
ぶつぶつと、ブラスは口の端で言いながら、木々を手で振り払ってその茂みに背を預けた。
「少し考えます。君の言ったことを。その価値がある……僕に、救いを、齎してくれるかもしれないから……」
『
そして、
『
彼の手、内臓から引き抜かれたその手には、明らかに腹の中には収まるはずのない大鎌が握られていた。ズルズルとそれを引っ張り出し、彼は大声で宣言した。
『
大鎌を振り上げて、彼はその柄に指を滑らせた。リソースが励起され、稲妻が弾け、電熱がその刃の縁で躍る。
『【聖雷鎌 シュヴァルツシュヴァルベシュヴァイネライ】!伝説級特典武具!
「特典武具!」
メアリーが叫んだ。
「そんなもの、いったいどうやって……!」
「まさか持ってるとは」
AFXはため息をついた。
「超級職でもないのに」
『死ァ!』
稲妻がほとばしり、
(あいつの能力は熱の吸収)
AFXは歯噛みした。
(“それ”で粘り勝ちしたのなら、あいつが得られた特典武具も当然、熱攻撃。あいつの再生の起点にされる)
どうにか見つけた氷属性の【ジェム】を握りながらAFXは身構えた。勝負は一瞬だ。やつの体内から<エンブリオ>、ニライカナイを引きずり出し、氷属性で死ぬまで封印する。
そのためなら、奥の手を切る意味はある。
「《
その瞬間、ニッケル・ブラスが嘔吐した。
【
「やめろ」
彼は、特典武具を指差して言った。、
「なんと惨い……止めなさい、それを、今すぐに」
『
『
「解りもしないくせに」
ブラスは胃の中身をすべて吐き戻しながら吼えた。
「それは、“墓碑銘”だ!」
その鬼気に、AFXたちは立ちすくんだ。ブラスは喘息のようにぜえぜえ言った。
「<UBM>の死体も同然だ!無残に殺した怪物の遺骸を、自分の武器みたいにこれ見よがしに振り回して、なんとおぞましいことを!おまえが握っているのは墓の石だ。墓標の残骸だ。腐った肉の匂いがしますよ……その生き物にだって、知性と人格があったのだろうに!」
『<UBM>
「人でなしめ」
ブラスは取り付くしまもなく断じた。
『
『
【死騎】は大鎌を両手で振り回し、身の回りに幾重にもなる斬撃の輪を纏うと、AGIに飽かせて突進した。
『《
「《
AFXが身を屈めて走り、アシュヴィンに飛び乗ったメアリーが空へ舞い、その傍らでじっと立つブラスのそばに凍りついたような樹木の化け物が現れ、
「“寒冷種”……【エルダー・ホアフロスト】」
そして、鎌を振りかざした姿のまま、
「穿て」
その腹の<エンブリオ>を抉り出すように、凍った木の枝、あるいはノコギリのように尖った霜の刃が彼の身体を粉々に斬り裂いた。
『啊』
【エルダー・ホアフロスト】は止まらなかった。厳冬山脈の海側に分布するその純白の大樹は、秒間百回の勢いで凍りついた枝を振るって【死騎】をすりつぶし、特典武具の鎌をその手からその手ごと弾き飛ばし続け、肉体を完全に破壊した。
そしてその鎌が消滅すると同時、彼の身体は光の塵へと崩れた。砂の上に転がった血塗れの金属製の腎臓も、まばたき一つで見えなくなった。
「あぁ、是で、気分が善くなった」
ブラスは静かに口もとを拭く。
凍りついたようなトレントは白い息を吐くと(樹木の怪物が呼吸なんかするのかAFXには解りようもなかったが)ジュエルの中に慎ましく戻った。
「おや、しまった」
そこで、【華将軍】は心底どうでも良さそうに言った。
「職場の先輩を殺してしまいましたね」
◆
■ペルヌ大監獄 同時刻
一匹のネズミが、禁じられた廊下を走っていった。
小さくずんぐりした身体はスナネズミかアカネズミのようだ。それは時折立ち止まって空気の匂いをかぎ、ちょろちょろと牢の前を抜けていった。
最深部、ひときわ強く濃い状態異常の気配がするエリアで、ネズミはハッと立ち止まると、とあるひとつの独房へ、鉄格子を抜けて忍び込んだ。
ネズミは顔を上げた。
小さな口が開き、人語が流れ出す。
『姉様?』
クオンは目を開けた。真っ赤な瞳がネズミを捉えた。
その目が安堵に震え、歓喜に揺れ、そして悲嘆と諦めに重く沈んでいくのを、向かいの房でトビアが見ていた。
クオンはしばらく黙っていた。やがて、一瞬と呼ぶには長すぎる時間が経ったあとで、彼女はやっとのことで口を開いた。
「ネミリアオ……貴女ね」
その口調には、重苦しい感情が籠もっていた。
『姉様、助けに参りました』
ネズミはキイキイ声で言った。丁寧な口調だったが、ネズミはキイキイした声しか出せない。だが、ネズミのそれとはいえ、その話し方やことばの舌足らずさは、どこか幼い子どものもののように思えた。
『帰りましょう、みんなのところへ。今、他の人達も参ります』
「なぜ来たの」
クオンは俯いた。鎖が冷たい音を立てた。
「なぜ来てしまったの!あたしのことなんか忘れて、捨てて行けば良かったのに!」
ネズミは弾かれたように立ち尽くした。クオンは叫んだ。
「帰りなさい!今すぐここから、逃げて!」
『《
そのとき、どこからともなく宣言が聞こえた。
ネズミの頭上から、かすかな光の柱のようなものが降り注ぐと、その小さな体躯を石の床に叩きつけた。クオンもまた強制的に背をかがめ、床に額を打ち付けて苦しそうに息を吐いた。
身体が動かせない。まるで、重しでも乗せられたかのように。
「【幽閉王】……ッ!」
クオンは跪きながらうめいた。
同時刻、遠く離れた一室で、【
「さァて……森の“ネズミ”を捕らえたぞ」
To be continued