星と少年   作:Mk.Z

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第八話 The N:圧縮された夜の中に

 

 ■【哨戒王(キング・オブ・ヴュー)】ヤレアハ

 

「我が姉君は仕事のできるお方だ」

 ヤレアハは椅子に腰掛けながら言った。

 その手には、ここ数十日でペルヌに出入りした人物のリストが握られていた。名前と素性が簡単に記されている。そのうちのいくつかには色付きの印がつけてあった。

 襲撃の情報を掴んだ以上、ペルヌの守りは固めざるを得なかった。超級職の<マスター>を追加で雇ったのもそうだ。物資は増やしたし、(ティアン)も増えた。

「だが……これは罠だ」

 ヤレアハは言った。

 

「そうだろう?“ゼパル”」

 

『あぁ、そう思う』

 いつの間にか、そこには血のように赤い甲冑の人物が、西洋の絵画のように堂々と座っていた。

 緋色の鎧の表面には、銀色の金属が煙のような紋様を描くように鋳込まれている。兜はまるで笑う口のように尖り、上へ2つの角が突き出していた。面の形もまた噛み合わされた歯に似ていた。

『【盾巨人】の男があの“少年”を取り返すなら、この機に乗じるのが一番手っ取り早い。陽動だ、間違いなく』

 甲冑のゼパルは若い男の声で話していた。言葉が鎧で篭っている。 

『此度の騒動……囚人を解放すれば多額の賞金を出す、などと、その金はどこから出てきたんだ?裏にいるのはやつだ、“ブラー”だ。戦闘力の高い準<超級>なら、大金の用立てくらい難しくはない』

「なら、金のおおもとは?」

『先日の小さなニュースだな』

 ゼパルは新聞を投げ渡した。鎧と新聞の取り合わせは、見かけ上、かなり奇妙だった。

「どの記事だい?」

 

『【運搬王(キング・オブ・ブリング)】殺害事件』

 

 ゼパルは身動ぎをした。甲冑が小さく鳴った。

『墓碑都市ハルツェル遺跡で、人足系統の王が死んでいた。発見は遅れたが、少し前のことだ。財産が持ち去られていた。よくある話だが』

「超級職は?」

『就職条件がロストしている。が、遅かれ早かれ<マスター>連中に取られるだろう』

「ふふ……まるで他人のことみたいな言い草じゃないか」

 クスクス笑うヤレアハに、ゼパルは唸った。

『俺は、この消えた財産が今回の資金源だと見ているんだ!【運搬王】の住む墓守の家には、相当の破壊跡があった。下手人は、“自殺”じゃないのか?』

「まぁ、特定はできないね。それだけでは」

『ああ。だが、否定材料にはならん。他に一億の金が動いた形跡はない』

 ゼパルは淡々と言った。

『“ブラー”はおそらく、その金を使ってこの襲撃を仕組んだ。ただ仕組んだのではない。おそらく、“既にあった計画”を利用したはずだ。ペルヌを襲いたいが、資金がないやつを使ってな』

「変身種族だね?」

 ヤレアハは言った。

「襲撃のターゲットは変身種族の王……クオンだ。勿論、あの<マスター>たちは捨て駒。本命はやはり影に隠れて侵入してくるはず。乱雑な指令が良い証拠だよ。今、来ている犯罪者たちはただ大騒ぎをしてくれるだけのことしか期待されていない」

『陽動に隠れた真打ちすら、お互いに陽動の役割を果たしているというわけだ。面倒なことにな。対処を怠れない』

「君に言ってもらえると自信がつくね」

 ゼパルに向かって、ヤレアハは微笑んだ。

「だから最高レベルの《真偽判定》を使って確かめさせた。ところが、名前を偽っているものはいない。ペルヌ内部に“ブラー”は潜入していない」

『外はあり得んぞ』

 ゼパルは言った。

『外部の戦場で、襲撃者たちに紛れて侵入したんでは意味がない。意識を外に向けさせるのは内側に隠れているからだ。変身種族の【憑戦士(シャーマン)】とは違う。やつは人間範疇生物を辞めることができない』

「だが、いないものはいないんだよ。やはりあの指名手配犯たちに混ざっているんだろう。変装の道具を使ってね。どのみち、彼らに監獄を破らせるわけにはいかないんだ」

『おまえがそう思うならそうすればいい』

 ゼパルは異論を唱えなかった。

『俺は“お前”の邪魔をする気はない。お前の“姉”の邪魔もな。提案しただけだ。だが、もし必要になったら呼べ……俺の能力にはまだひとり空きがある』

「あぁ、そうするよ……おや、来客だね」

 部屋の扉を誰かが叩いた。ヤレアハは座ったまま手を打った。

「入り給え!」

 おずおずと入ってきたのは、新入りの掃除係の男と、手紙の配達係の女だった。

「メ、メリダです」

「チャールズです」

(やはり、真偽判定には反応なし)

「そろそろ行こう。君、掃除はいいから部屋を締めておいてくれ」

 ヤレアハは頭を振ると、立ち上がった。頭の中では考え事が渦巻いていた。

(さて“自殺”……どこにいる?どこから来る?)

 

 部屋の中には3人しかいなかった。甲冑のゼパルは、二人が入ってくる前の一瞬のうちに、霞のように消え失せていた。

 ヤレアハは口の中で呟いた。

「早業だね。さて、三人衆改め四人衆のほうは、どのくらい仕事が早いだろうか……」

 

 ◆

 

 ■ペルヌ周辺域 

 

 重く湿った爆発が空気を揺らした。

 ワルキューレたちの持つ銃が、残らず暴発した音だった。黄色い火花はあっという間に繋がり、連鎖して、砂漠を塗りつぶした。

 大統領は首を傾げた。

「毒ガスが引火性だったか」

『部隊の二割が消し飛びました』

「陣形を再編成したまえ」

 兵士たちは惚れ惚れするような行進で陣を組み直した。銃口が光り、ついでひとまとまりになった破裂音が宙を咲く。

 “中毒死(トキソデス)”C.Cは焔の中で笑っていた。

 炎がその頬を、パラソルを、白い首筋を、黄色いフレアスカートを舐める。そこには傷一つもなく、焼け焦げひとつもない。

「【高位消防士(ハイ・ファイアファイター)】……火属性ダメージカットの能力か」

「正確には炎への耐性」

 C.Cは白魚のような指を折った。

「熱、煙、酸欠、その他諸々。だから……」

 焼夷弾が炸裂する。その炎を愛でるように撫でて、C.Cは可愛らしいパラソルを捨てた。スカートの裾で檸檬が揺れている。

「……この手の攻撃は効果なし。まぁ、それ以外が大した事ないから人気がないのでしょうねえ。ENDやAGIは平々凡々の器用貧乏で、前衛系とのシナジーもないし……」

 それにしても、と顔を扇ぐ彼女の手には、重厚な鉄パイプが握られている。その先は乱雑に切られ、研がれ、槍の穂先に似た切り口を晒していた。

 

「暑くなってきちゃったわぁ」

 

 透明な汗を垂らしながらC.Cは笑い、微笑み、くるりとターンしてから一歩踏み出した。

 そして、歩兵のひとりを瞬く間に突き刺した。

「やだ……火照っちゃう」

 その微笑みが消えるより早く、ワルキューレの歩兵が苦悶の声を上げ、首を掻きむしり、胸を刺す鉄パイプを握りながら痙攣し始めた。

 ヘルメットが落ちる。その顔は、人間の模型のようだったが、不自然なほど真っ白に変色していた。身体に板でも入れられたように硬直した兵士の死体が、光の塵に変わって消える。

「あんたの<エンブリオ>、もうちょっと近接格闘能力(ステータス)にリソースを振ったほうがいいわよ」 

 女は凄絶に笑うと、粗末な槍を振り回した。

 ワルキューレの兵士たちが戸惑ったように震え始めた。その手足がいつしか真っ白に染まり、ガスマスクを付けているというのに力を失って倒れ伏す。その白い死体が織りなす同心円の中心で、C.Cがピクニックのように笑っている。

「なにか流し込んだな」

 女の得物は鉄パイプだ。

 中は空洞になっていて、先は斜めに切ってある。いわば大きな注射針というわけだった。体内に毒を流し込まれたのならああなってもおかしくはない。

 前線を貼っていた戦車隊が足を止めた。ハッチを跳ね上げて、苦しみに顔を歪める兵士たちが次々と外に逃げ出そうとして、静かに痙攣しながら息絶えた。

 暑い。

 砂漠の昼間はひどく暑い。照りつける太陽光は、なにかしなければ火のように身体を焼く。

 C.Cも汗ばんでいる。パラソルなしで、その白い肌を焦がす陽光に、透明な汗が滝のように流れ……

「いやはや、こりゃ驚いた」

 大統領は呆然として言った。

 

「肉体置換型の<エンブリオ>……“汗”、なのか?」

 

 C.Cは答えなかった。代わりに唇をめくりあげて汗を舐めた。

「血なら知っている」

 大統領はブツブツ言った。

「骨なら知っている。内臓や義手も例があろう。しかし、いや、汗とはな。肉体置換型、うむ、確かに体液の一つだが、いやはや、あまりにも……」

『閣下、前線が消滅しました』

「能力は、引火性と揮発性……ガソリンのような特性を持っているな?兵士に鉄パイプで流し込んだのは毒の濃縮原液というわけか。毒性のモチーフは?」

『閣下……ッ!』

 双眼鏡を構える副官は、そのとき痙攣して倒れ伏した。勢いよく飛んできた鉄パイプが、汗塗れの穂先をガスマスクに突き立てたからだった。

 

「塩素か」

 大統領は唸った。

 マスク越しにも微かに匂う。消毒液のようなその香り。

「漂白作用だな」

 塩素ガスは粘膜を襲う。普通ならガスマスクで防げるだろうが、これは<エンブリオ>だ。あらゆるものが不可思議な力で白くなって、脆く崩れていく。

「強毒性の塩素ガス……に似たものを発生させる能力か。大したものだな」

「白って美しいと思わない?」

 C.Cは歌いながら回った。

「あたしは黄色い花。野に咲く花よ。でも周りが色取り取りじゃあ駄目。せっかくのあたしが埋もれてしまうわ。だから、みんなキャンバスになってほしいの。白いキャンバスになってほしいの。純白の下地に、あたしは黄色い絵の具を落とすのよ。だから……《色のない死(ネルガル)》」

 その全身から、嫌な気配が立ち込めだした。

 バタバタとワルキューレたちが倒れていく。銃や軍靴や砂に至るまでが白く染められ、暴発した銃から引火した炎がぽっと丸くあたりに立ち上る。それは塩素イオンの炎色反応なのだろう、青緑色の業火だった。

 緑の炎が葉を広げる中心に、キンポウゲのごとく黄色いフレアスカートが膨らみ、そしてC.Cは満足げに笑う。

 白が蠢いて広がりだした。

 C.Cが愉しげに飛び跳ね、そして兵士たちを中空の槍で突き殺していく。鉄パイプがかすめただけでその傷から白く壊死していくのだ。

「ネルガル……疫神か」

 大統領は考えながら立ちすくんだ。彼は指揮官系統だ。単体での戦闘力は彼女に及ばない。たとえ、【消防士(ファイアファイター)】系統があまり戦闘向きとは言えないにしても。なにより近づくだけで死ぬ。

 風のない砂漠。照りつける陽光。毒ガスと汗の能力には好相性というわけだ。

「こりゃあ、負け戦かな」

 大統領は頭を掻いた。

 

 ◆

 

 ■(エント)

 

 戦闘音を背後に聞きながら、監獄都市ペルヌの外周に沿うように歩いていた(エント)は、その場所で、ふと妙な音を聞いた。

「おっと。誰だ?お仲間か?【看守】どもか?それとも……」

 石にヒビの入るような、尖った音がした。

 空気が揺らいで分解するように景色が組み換えられていく。なにもないはずだった砂漠の砂の上に、大柄な人影が現れた。

「……三人衆の待ち伏せか」

 (エント)は立ち止まり、肩をすくめた。首元で一匹の蠍が襟へと入り込む感触がした。

「うん、どうかな?お互いに、ここは見なかったことにしてすれ違うのは?俺はあんたとやり合う気はないし、あんたも俺とやり合いたいわけじゃないだろ?ね?」

「駄目だ」

 眼の前に立っていた男は重々しく言った。

 分厚いマントを纏い、髑髏をあしらった金属製の首飾りをジャラジャラと垂らしている。頬には稲妻のような傷があり、それを囲むように犬歯を象った面頬が口元を隠していた。黒くごついブーツには金属の棘があしらわれ、銀色の鋲が打ってある。

「ヘビメタとか好き?」

 男はそれを無視した。(エント)は顔をしかめた。

「口数が少ないんだな。仕事にマメなタイプだ。ご立派だと思うよ。その傷は自分で描いたのか?」

「お前たちは、カルディナ内で指名手配されたものたちだ」

 男は言った。マントが揺らいだ。

「犯罪者よ、戦うのになんの後腐れもあるまい?」

「あぁ、そういう手合……」

 (エント)が天を仰ぐより早く、男はマントを脱ぎ捨てた。金属を編み込んだ外套が砂に落ち、屈強な褐色の腕が顕になる。上腕二頭筋がヘビのようにうねった。

 男がオーボエのような声で歌う。

「《Meiner Treue und deinem Todt bringe ich diesen Kampf dar……」

「勘弁してくれよ」

 戦闘狂は御免だ。

 (エント)は呟くと、天を仰いで祈っている男の横をすり抜けるように砂の大地を蹴り飛ばした。風と砂漠を追い越して、身体がペルヌ大監獄めがけて飛んでいく。

 相手などしていられない。彼には仕事と依頼と趣味が待っているのだ。それは、面倒な三人衆との交戦とはなんの関係もない。

(標的を確保し、リルを手に入れる。それだけだ。戦えとも勝てとも言われてないんでね) 

「俺は行くぜ。殺し合いなら誰か他のやつと演ってくれ……」

 

「《渇きの淵(グライフェン)》」

 

 だが、次の瞬間、体中をぐいと掴まれたような衝撃が走った。

「なんッ、だ!」

 (エント)は砂に手足を突っ込んで耐えた。背中へザイルでも付けられたみたいに、重たげな引力が男の方へと身体を引っ張っている。

(重力か……?いや……)

 違う。(エント)は首をひねった。

 重力はいつもどおりそこにあった。服の裾も、前髪も、普段通り地面を目指している。

 血が沸く。泡立つようなむず痒い感覚が全身を襲っている。それは項、背、腰のほうへと集まってきて、今にも弾けそうだった。体内になにかされている。

「おい、おい、おい、ただの引力じゃないな、おまえ……何をしてる」

「教える必要があるのか、ならず者よ(ハルンケ)

 男は冷たい金属のような声で言った。

「俺は“餓死(ドライデス)”のダダ。教えるのは是だけだ(ヌア・ディーゼス)。我が名を刻みながら、弱者として死ね」

「……《ブラッディ・チェーン》」

 舌打ちしながら能力を使ったその瞬間、(エント)は違和感を覚えた。

 掻っ切った手首から吹き出した血が、鎖の形を成しながら、引力に掴まれてダダの方へと横向きに落ちていく。その感覚がどこかおかしい気がして、(エント)は目を細めた。

 血が震えている。形成がうまく行っていない。

「おやおやおや、お前、【血戦騎(ブラッド・キャバリア)】か」

 一方のダダは感嘆したように頷いた。

「これはいい。まだ戦ったことがないんだ、吸血鬼系統とは。しかし、この日照りの砂漠で吸血鬼とはな。些か拍子抜けでは?」

「あ?」

 (エント)は眉を上げた。

「それは、オレを舐めてるのか?」

 その瞬間、(エント)の足元から闇が吹き出した。

 影が動いている。

 夜が湧き出している。

 漆黒が(エント)の輪郭に沿って燃え上がっていく。

「なるほど、お前の<エンブリオ>は……」

 途端に【血戦騎】の血が威圧感を増した。真っ昼間の砂漠で、(エント)の周りだけ、闇夜が取り残されているかのようだ。もはやその頬に陽光は落ちず、その瞳には日照が映っていない。

 

「……能力特性は、“黒”か!」

 

 ダダは吼えた。

「素晴らしい。白昼であっても己の全能力を発揮できるというわけだ、そして血を操る吸血鬼系統。いいシナジーだ。お前はこの俺、ペルヌ三人衆が“餓死(ドライデス)”の相手に相応しい!」

「一人で盛り上がりやがって」

 (エント)は吐き捨てた。その唾はダダめがけて落ちていったので、彼は不快そうな顔をした。

 そのとき、懐で通信機が震えた。スイッチを押していないのに、それはお構いなく話しだした。

『何をしている』

 あの掠れ声の依頼主だ。(エント)は眉一つ動かさず、口の端で返事をした。

「今立て込んでるんですが」

『これは、“仕事が遅い”という、叱責だ。それも、分からない、のか?愚図か?』

 こいつはどこから状況を見てるんだ?(エント)は鋼の意志で舌打ちをこらえた自分を心のなかで褒めちぎった。

「そりゃ失礼」

『済ませろ。手は惜しむな』

 通信は一方的に切れた。(エント)は深くため息をついた。ダダは不満げに一歩踏み出した。褐色の肌に日が映える。

「誰と話している。さっさと構えろ、吸血鬼」

「あぁ、もう、少し黙ってろッ!」

 (エント)は叫んだ。

 面倒だった。何もかもがだ。状況が早すぎて、しかも急かしてくるときた。

 手の内は晒したくないが、ここまでくればどうしようもない。眼の前の【大強盗】は瞬殺できる相手ではない。そして、この男の能力は時間が経てば経つほど人間を、ギャラリーを引き寄せてしまう。

「仕方がない」

 (エント)は唸った。

「おい、なんの真似だ」

「映像記録だ」

 (エント)が取り出したのは、安物の魔法カメラだった。それを砂の上にそっと置いて、(エント)は笑った。

「やっぱりな、お前の引力はこれを対象に取らない。薄々わかってきたぜ、その能力が」

「ふざけているのか」

 ダダは絶叫した。

「映像記録だと!戦いというのは、張り詰めていて、殺伐としていなければならん!ホームビデオなんぞとは対極にあるべきものだ!」

「ホームビデオ?」

 黒いオーラを纏う(エント)は、薄く笑った。

「違う。証拠映像だ」

 その体を包む“黒”のテリトリーが、歓喜に沸き立つように震えた。

「俺が発明したってことの証明だ!映像を残しとかなきゃ、後から誰かに手柄を取られんだろうが、考えろよ、バカが!」

「バカだと?俺がか?おまえ何の話をしてる?」

「日付を言え」

 (エント)は言った。

「日付を言うんだよ、早く。今日のグリニッジ標準時を言うんだよ、おまえが。俺が言ったんじゃ信憑性が薄いだろうが」

「断る」

 ダダは手の指を獰猛な形に広げた。骨が鳴り、引力が強くなった。 

「どうせわからないんじゃないのか」

 (エント)は首を振って勝手に続けた。

 その足元では、真っ赤な鮮血の《ブラッディ・チェーン》が砂に突き立っていた。<エンブリオ>の引力と拮抗しながらガタガタと震えている。尖った鎖が砂地に食い込み、地下へと潜ろうとしていた。ダダは呟いた。

「血でアイゼン代わりか」

「俺の【暗転奇跡 レリエル】の能力特性は、遮蔽……“黒”だ。お察しのとおりね、そしてテリトリーなんだ」

 (エント)は両手を広げた。その肌には日光が当たっていない。レリエルが自動的に日光を遮蔽するからだ。それは、闇の中で力を増す吸血鬼系統とこの上なく噛み合った特性だった。

 だが、それは今回の本題ではない。

 

「世界で俺だけが知っているテクニックを披露してやろう」

 

 レリエルが渦巻きはじめた。“黒”が巻きヒゲのように肌を伝い、うねりながら地に落ち、別の輪郭を形成し始める。

「テリトリーが他の系列と違うところは、形状の定義を持たないこと。アームズは器物、ガードナーは生物、チャリオッツは騎乗物、だが、テリトリーは無形の領域だ。そうだろう?え?お前もテリトリーだろうからよく知ってるだろう」

 その手の中には、いつしか、真っ黒な長剣が現れていた。

「テリトリーにはその能力を受ける領域だけがある。カタチを変えられるんだよ。そして、本来なら薄く広がるはずの縮められた領域は、縮められた分だけ、その制約によって能力の出力を増す。俺だけが知っていることだ。他の奴らは誰も知らない、俺の独自技術(オリジナル)だ!テリトリー系列にだけは、まだ先があるんだ!」

 体の“黒”が減っていた。身に纏う夜が薄れ、薄暮が差している。

 

「発明者の俺はこれをシンプルに、“圧縮”……と呼んでいる」

 

 (エント)は剣を構えた。

「《暗転園(レリエル)》登録済み圧縮形態(コマンド)……」

 十字の鍔を持つ長剣の、その艶のない刃の刃渡りは、大人ひとりの脚くらいもあった。

 

「……《与格(ダーティフ)》」

 

「面白い!」

 そう叫びながら飛びかかったダダの右脚は、冬の夜の訪れのように素早く、(エント)の剣に切り裂かれていた。

 

 ◆

 

 ■【幽閉王(キング・オブ・ジェイル)】シェメシ

 

「外が騒がしいな?」

 クオンの牢の前で、ネズミを掴みながら、【幽閉王】シェメシは皮肉っぽく言った。

「おっと、失礼、外がどうなっていようが君にはわかりようもないか」

「……何をするつもり?」

「よくわかっているだろう、変身種族の姫よ」

 シェメシは囁いた。ヘビのように陰険に、鮫のようにおどろおどろしく。

「議会政府筋から私が依頼されたのはただひとつ」  

 その指が、クオンの頭を抑えつけた。

 

「憑戦士系統超級職……【変身王(キング・オブ・イボルブ)】への就職条件を吐け」

 

「聞いてどうするの?」

 少女クオンは可能な限り顎を突き上げて言った。

「クリスタルは私達の里と共に失われた。血統を満たしてるのも一族のものだけ。条件を知ったところで、超級職には辿り着けないのよ」

「そうだ。だからどうしたと?」

 シェメシは笑って、それからクオンの腹を蹴りつけた。

 軽い蹴りだったが、超級職のそれはかすめただけで彼女の体を地響きのように揺らした。

「わかっちゃいないな、“王”。いいか、お前に選択肢は無いんだ。それとも永遠の眠り(コールドスリープ)に状態異常まみれで沈みたいか?或いは、うん、そうだな……」

 そして、【幽閉王】は手の中のネズミを握った。ネズミが人間の、小さな子供の声で悲鳴を上げた。

「これはお前の妹か?姪か?友人か?小さくて大事な誰かさんがボロ雑巾になっていくのを見ながらでも意地が張り通せるかね?」

 クオンはやや不安げな目つきになって、言った。

「大事な人質を殺せるのかしら?」

「またもやわかっちゃいないな」

 シェメシは切って捨てた。

「死なんぞなんの役にも立たん。この場所もそうだ。死なせずに閉じ込めている。命のほかにも大事なものはたくさんあるということだよ。この小さな前足を少しずつ、少しずつ切り刻んでやろうか?え?か弱いネズミじゃあないか、容易いなぁ【憑戦士(シャーマン)】」

 シェメシは泣き喚くネズミの前足を持ち上げ、器用なことにその指の一本を爪で摘むと、へし折った。

 ネズミは人間の、子どもの声で絶叫した。

『姉様……!姉様……!』

「なんだ……喋れるじゃないか。妹か?うん?どうだね?これに“取り返しのつかない”傷が付いても、いいのかね?」

 だが、クオンは黙っていた。

 シェメシは舌打ちした。

「そうか。強情だな」

 泣きながら貝のように押し黙るクオンを見下ろして、シェメシは肩をすくめ、振り向いた。

「やはり、こういうことは専門家にご足労願おうか」

 誰かいるのか。

 クオンは涙に滲む闇を見つめた。薄墨のようなそこには、確かになにかの気配があった。

 

「やって、いいんですか?」

 

 後ろの暗がりから、気弱で優しげな女の声がした。

「あたし、外の人間ですよ」

「君は<マスター>だ」

 シェメシは言った。

「私の法も、罰も、<マスター>には関係ない。この監獄を<マスター>が歩き回ったとしても私は一向に構わん」

「あの子達は追い出したのに……」

 現れたのは、小柄な女だった。

 いかにも柔和そうで、人の悪口なんか言えない、荒事なんてもってのほか、という顔をしている。いい人そうだ。それが逆に不気味だった。おどろおどろしい監獄を歩いているのに、まるで、友達の家に初めて来たときのようなリラックスした顔をしているのが。

 女は動物を連れていた。

「サトリ……」

 女が呼ぶと、動物はのそのそと牢の格子を抜けて、縛められたクオンの顔にそっと触れた。

 途端に、【精神休眠】の状態異常がクオンの意識を奪い取った。

「精神干渉系。政府の仕事を請けるのはこれが始めてじゃないだろう?例のレポートにも記載があるんじゃないか」

「あたしは読心が出来るだけです。貴女が言ってるの、“人形”でしょう?初期化や書き込みは他の人がやってるんじゃないですか?」

 そう、【審問官(インクイジター)】ユーフィーミアは首を振って、<エンブリオ>に命じた。

 

「《イントゥー・ザ・ネイチャー(おまえの中の本質を晒せ)》……さて【変身王(キング・オブ・イボルブ)】。貴女の超級職の、就職条件は、なんでしょうか?」

 

 To be continued

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