□■アルター王国 王都アルテア シャンブルズ通り
地上四メートルほどの高度。昇り始めた月を背に、ブラーは浮遊していた。バーニアからは今はそよ風ほどの推力が放出されているが、その気になればそれがどれ程恐ろしい<エンブリオ>であるかということはその場の全員が理解していた。
「何故だ!」
ドライゼンが吠えた。
「俺はお前を完全に包囲するよう<エンブリオ>に指示した!たとえ空中に逃れても即座に弾き返すようにと!」
「あぁ、そうだろうね。で?だから?」
ブラーはひどく冷めた声音で嘲弄した。
ドライゼンは静かに冷や汗を流した。彼のヘリオセントリズムは触れるもの全てを
もし、先だっての攻撃に紛れて逃れられるような速度を出せば、同じだけの速度で地表へと墜ちる筈なのだ。例外はない。ある筈がない。
そこまで考えて、ドライゼンはブラーの弾頭盾の端に張り付いているモノに目を留めた。黒ずんだ鉄灰色の汚れのようだ。
ドライゼンは何故か、青い顔で一歩だけ後ずさった。
「気がついた?」
そういうと、ブラーは手を伸ばし、
◇◆◇
ヘリオセントリズムはあらゆるものを弾くことができる。実体をもち触れることさえできれば、魔法の類いでさえ反射する。しかし、そこから何ら影響を受けない、というわけではない。
物理的な衝撃ならば良い。それらは能力で完全に弾き飛ばせる。しかし、熱や電撃、冷気といったものは弾き飛ばせたとしても伝わってしまうのだ。
「あり得ない……貴様の能力はあくまでも加速、熱攻撃は副次的なものに過ぎなかった」
それは事実だ。彼らのなかにアシュトレトの噴炎で致命傷を負ったものはいない。それほどの熱量は持ち合わせていなかったからだ。ヘリオセントリズムの金属球とて同じこと。
「試してみる?」
瞬間、ブラーはその言葉を追い越した。空気がはち切れ、空が揺れる。忠実で愚昧な金属製の星々は、しっかと主人の命令を遂行した。火を噴く流星の軌道を歪めんと超々音速に追いすがり、
「なっ?!」
グズグズに熔けた金属の塊として地に墜ちる。
そして、ドライゼンの後方で闇魔法使いの女が蒸気と炭クズの破片になった。
「さっきはやってくれたなぁ、え、おい?」
全身から煙を上げるブラーが炭クズを踏みつけ、バカにして笑う。そしてドライゼンへ向き直る。
「エネルギーは容易にその様式を変える。物体の運動はより微細なスケールでの運動ーー熱へと変じ、周囲の空間へ伝わって行く。ここまで言えばわかるかい?」
「断熱圧縮……!」
それは高速で運動する物体の宿命だ。運動エネルギーの一部は空気との摩擦で高熱へと変じて放出される。
地球では、約マッハ3で航空機の材質がその熱に耐えられなくなることを、音の壁になぞらえて『熱の壁』と呼びさえもする。重厚な金属さえもたやすく破壊する高熱の奔流。それはつまり、ブラーの速度が先程のそれから更に増大したことを意味する。
「貴様……速度に限界は無いのか!?」
ドライゼンの狼狽を甘美に味わうようにブラーは唇を歪め、ただひとこと、その答えを述べた。
「《
◇◆
□【盾巨人】ブラー・ブルーブラスター
【自由航空 アシュトレト】。TYPE:ウェポン、身体へと装着される
ノアの息子の一人、セムの血を引く民が祀る天空の女神アスタルト。その名の貶められた形をモチーフとするそれの能力特性は、純粋な加速だ。重力加速度を完全に相殺して飛行することも出来るし、推進力として超々音速で移動することも出来る。
代償は安全性である。自らの保護に割かれるリソースを撤廃したがために、ブラーはその速度の反動をその身に受けなくてはならない。
精密動作性は低く、直線的な突撃にしか使えない。いわば超音速機動ではなく、超音速
そして、そのスピード狂としてのあり方ゆえに、そこから外れる能力を身につけることもない。
必殺スキルは<エンブリオ>の本質。アシュトレトの本質たる《貞淑なる撹拌》が有する機能は、通常の《自由飛孔》の加速能力を強化する効果だけだ。だが、あまりにも速すぎるゆえに【盾巨人】でも耐えられず、弾頭盾を使ってギリギリというところ。
《瞬間装備》のクールダウンが明け、二個目の盾を取り出すまでは使うことが出来なかった。
それほどの力。ゆえに、勝負は一瞬だ。
◇◆◇
「《
その宣言と同時に、今までで最大の爆発が起きた。純然たる運動エネルギーが叩きつけられ、世界が悲鳴を上げる。夜の真ん中、暗い地上に太陽のごとき熱が現出し、風が引き裂かれる。そして、炎の星がその軌跡を周りのすべてに刻み込んでゆく。
「こんなことが……!」
ドライゼンは呆然と立ち尽くしていた。仲間たちが次々と撥ね飛ばされ、瓦礫が飛び散り、風が渦巻く。これはまさに撹拌だった。まるでミキサーの中のフルーツのように、なす術もなく破壊されていく。熱と衝撃波がドライゼンの四肢を砕き、切り裂いていく。
速度によって世界から切り離されたその孤独な視界で、何故かブラーは泣いていた。頬を伝い、顎へと流れる涙は熱に侵されて液体たる資格を失い、大気へと溶けて混ざっていく。
『あぁ、本当に、本当に悲しいよ』
爆発音と暴風の中、置き去りにされた言葉が落ちる。
『本当に……』
それを聞いたものがいたかは定かではない。
『お前らごときに、本気を出さなきゃいけないなんて』
そして、傲慢な流星は空へと舞い上がり…
これまでで最大のスピードで、地上へとその
風が唸り、熱と光が飛び散り、盛大な爆発音が響く。地表の瓦礫は更に砕け、周囲をすりつぶしていく。
かくして敵のすべてはその命を失くし、かつてのシャンブルズ通りは更地となった。
◇◆
□トビア・ランパート
瓦礫の下、塵と埃を押し退けてトビアは地下から顔を出した。大きな音がやみ、暫く経った。もう出ていっても問題は無いだろう、という目算だった。
街灯の類いが軒並み壊れていたので、あたりはすっかり暗くなっていた。トビアは目を凝らし、注意深く周りを調べた。敵が生き残っている可能性もある。
敵、果たしてそれはどちらのことだ?そんな問が脳裏をよぎる。トビアは取り敢えずブラーを味方にしておくことにした。そうするに足る
予想通りというべきか、そこにはブラーが爆心地に瓦礫を引きずってきて座っていた。装甲服やマントは焼け焦げ、全身から煙が立ち昇っている。足元にはなにかの装飾品の破片が転がっていた。トビアは用心深く歩を進め、時折瓦礫に足を取られながらブラーに近づいた。
「あぁ、生きてたのか」
ブラーは少しだけ驚いたように言った。
「危なそうだったからあの店の地下に飛び込んだ。後ろに
トビアは静かに答えた。
「送ってくれるって約束だったよね」
「そーだったなぁ……でも、その前にーー」
「ーーおいそこ!動くな!」
突如、暗闇に光が差し込み、厳格な声が響いた。
「こちらは騎士団だ!ここで何があったのか、聞かせてもら……おい、動くな!」
「騎士団かー…」
不真面目に両手を上げ下げするブラーに騎士は顔をひきつらせながら歩み寄ってきた。
トビアは息を吸い込んだ。ある意味では、ここからが彼にとっての正念場とも言えるのだ。
◆◆◆
□【騎士】アズライト・キース
キースの目の前にいる男は、ひどく煤けていた。まるでついさっきまで煙突掃除でもしていたかのようだ。とても無関係とは思えない。
「この近辺で爆発、轟音……武装勢力による戦闘が起きていると通報があった。お前たちは何か知っているか」
その奇妙な仮面や風体にも動じることなく、キースは生真面目に尋ねた。
「【騎士】か、下っ端じゃん。もすこし強いやつ連れてこいよ」
「……もうすぐ先輩方が到着する。質問に答えろ!お前達はここで何をしていた!」
「何をもなにも、被害者だよ」
男ーーブラーは首を振りながら答えた。
「柄の悪い奴らに絡まれてさぁ、ついでに拉致監禁されたこの子を解放して、相手も制圧したとこ。戦闘音に関しては、そりゃあ近所迷惑で申し訳ないと思ってるよ」
「……君の意見も聞きたいな。この男の言ったことは真実か?」
キースは子供ーートビアに向かって尋ねた。《真偽判定》は万能ではないが、複数人から証言を取れれば精度は上がる。何より、ブラーの格好や振る舞いは信用するには怪しすぎた。
「ブラーは僕を助けてくれたよ!家まで送ってくれるとも言った」
トビアは純真な少年の表情で言った。こんな子供にどんな企みがありえるだろうか?キースは今度こそ納得して深く頷いた。
「いいだろう。だが、調書はとらねばならないぞ」
◆
煩雑な手続きが済んでから、ブラーとトビアはその場を後にした。暗い通りを抜け、ある程度明るい所に出る。騎士団の目が届かないところまで来てから、ブラーは突然笑いだした。
「『僕を助けてくれたよ!』か、よくそんなこと言ったもんだね!」
「お互い様だろ」
トビアは平坦な口調で答えた。
騎士団に後ろめたいことがあるのは二人ともだ。ブラーは恐喝、トビアは窃盗未遂と言ったところか。
そもそも、あれらのゴロツキと取引したり関係を持つことそのものが不味いのだ。<エンブリオ>の偽物を盗もうとした、そのことだけで間違いなく立派な犯罪者扱いだろう。一方のブラーも後ろ暗い行いが山ほどある。
ゆえに、無辜の被害者を演じるという点において二人の利害は一致していた。《真偽判定》があるこの世界では証言は物的証拠と同等に重い。
空は白んできていた。薄紫が東の地平線から滲み始める。
「トビアだっけ?お前、最高だね!約束した通り送っていってやるよ」
ブラーは嬉しげにそう言った。
(よく言う…僕が騎士団に全部ばらしたら口封じに殺す気だったろ)
或いはトビアにそう思わせることも込みで動いていたのか。
ブラーが騎士団など歯牙にもかけない力を持っていることはよくわかっていた。だが同時に官憲に敵対して得がないのも事実なのだ。
殺す。その言葉が脳裏で反響する。死。温かい液体。転がる頭。血の匂い。事切れたあの男の表情。
「ウッ……」
身体の中心に力を込め、吐き気を堪える。そんなトビアには気づかない様子で、ブラーは言った。
「でも、いいのかい?あそこに<エンブリオ>を拾いに行きたいんじゃあなかったっけ?」
「……偽物なんでしょ?だったらいいよ」
それに、とトビアは続けた。
「もういらないんだ。僕が欲しかったのは<エンブリオ>じゃなかった。血塗れになって、人と殺しあうような力は要らないんだ」
欲しかったのは、或いは憧れそのものだったのかもしれない。平和な日常が、平凡な自分が、そして退屈な将来が如何に貴重で素晴らしいものなのか、トビアにはもう痛いほど分かっていた。
「ふん?そう?」
ブラーは馬鹿にしたように笑った。
「僕は欲しいけどね、力。<超級>になれば、力の頂点が手に入る」
「それで?」
トビアは尋ねた。
「力を手に入れて、その先に何があるんだよ」
ブラーは突然笑顔を消して答えた。
「何でも。全てが手に入るさ」
To be continued