■契約
契約とは、二者間の合意によって、互いの義務と権利を定めるものである。
すなわち、それを交わす二者の存在が自明の前提となる。では、仮に危険な怪物を縛る契約を交わしたものが死んだならば、解き放たれた怪物はどのような行動に出るのだろうか?
◆
「これはこれは……」
リッターは目の前の解き放たれた怪物……【群襲陽炎 フェザーローカスト】を見つめた。舞い散る羽根はその数を増し、燃え上がる焔は天高く吹き上がっている。古代伝説級の怪物は今や契約によって課せられた縛りを捨て、本来の力を取り戻さんとしていた。あまりの熱に、その影すら揺らぐ。
『警告。本機周辺の気温が急速に上昇』
「だろうな」
辺りの光景は一変していた。只の立ち木や茂みが次々と発火する。急速な発熱は上昇気流を産み、空気が大きく動き出す。風がうねり、よじれ、炎が広がってゆく。
「木材の発火点は400度……低温着火を計算に入れても300度程度はあるか」
大気を伝う余熱でこれだ。あれが直接触ったならどれ程の高熱が襲いかかるか、間抜けでも分かるというものだ。
『メーターさん、なんスかあれ……』
「近所迷惑だな、あんなものを連れてくるなんて」
もとは貴様のせいだろうが!リッターはその言葉をぐっと堪えた。代わりに一言、鋭く叫ぶ。
「耐えろ!」
次の瞬間、焔が炸裂した。紅白の羽根が込められた熱を解放し、周囲の大気をはぜさせ、風さえも吹き飛ばす。
膨れ上がった焔は次瞬、収束し、そして三方向に別れて放たれた。ブラーが即座に高空へ飛び上がる。
『へ!その程度の速さの羽根なんて振り切って……』
そして超音速で上昇する弾頭に、羽根が次々と突き刺さった。焔が爆裂し、夜の空の闇を切り取る。爆炎と爆煙がアシュトレトの軌道を飾る。
『さっきより速くなってるのかよ!』
そう喚きながら、ブラーは手持ちのガラクタをばらまいた。机や椅子、安物の武具、その他調度品が超音速で射出され、羽根を遮る即席の壁となる。
一方の地上では、ロービーグスが焔に呑まれていた。余りの高熱に、機体がギシギシと悲鳴を上げる。だが、更に危機的状況なのは……
『ちょ、メーターさん、すみま…』
ブルーDはそう言い残して、どこかに隠れ潜んだままデスペナルティとなった。近くの森が燃え上がる。
「クソ、俺達もしっかり標的か!」
リッターはロービーグスを動かしながら吐き捨てた。焔から機体を脱出させようにも、爆発の圧力によって押し戻されてしまう。しかも耐久に優れるロービーグスとはいえ、先端部など機体構造上どうしても弱くなるところから融解が始まっていた。永久には持たない。
「だが、やつに錆は効かん……!直接戦闘とてどうしようも…」
ロービーグスの能力特性は生物相手には効果が薄い。ましてや金属製の武装を用いない怪物ならなおさらだ。肉弾戦を仕掛けようにも、相手の姿すらこの焔で視認できない。そもそも移動がままならない。
それでも、とリッターは近接装備を起動する。
「
『展開実行……エラー。高熱による変形』
「打つ手無しか」
変形武装の弱点が出た、と苦々しげにリッターは呟き、そして顔を上げた。打つ手が無いなら、また別の手を作り出す他無い。すなわちーー
「ロービーグス、ハッチを開けろ!」
瞬時、その命令が執行され、コクピットに超高熱が流れ込む。内外から焔に炙られてロービーグスの機体が熔け落ちてゆく。
だがその僅かな猶予に、
「くおおお!」
リッターは自らをロービーグスに投擲させた。
左腕ユニットがその反動で崩れ落ち、斜め上方へとリッターの身体が大きく飛ぶ。【ブローチ】の発動により即死こそしなかったものの、焔に炙られて身体のあちこちが焼け焦げ、両の脚は炭化している。数十秒も掛からずに息耐えるだろう。
だが、もうそんな時間は必要ない。その焼けた懐から、砕けたジョブクリスタルの欠片が落ちるが、それももう用済みだ。何故ならば、
「あぁ、十分はっきりと見える」
視認さえ出来れば十分だからだ。空中で焔になめられながら、しかして視線は通る。
本来であれば下準備を重ねて撃つものだが、背に腹は代えられない。完全なゼロよりは、例えゼロに等しい博打であっても可能性が残る方を選ぶ。
「
【高位呪術師】の奥義。相手を即死させるか、或いはその反動を自ら食らうかのハイリスクハイリターンな呪術だ。
基本的には彼我のMP差と対象に付与した呪怨系状態異常の数を考え、少しでも確率を上げて使うもの。しかし現在、リッターはローカストを一切呪っていない。成功する可能性は、針の先程の極小。不可能と言い切ってもなんら差し支えの無い確率だ。それでもその僅かな可能性に賭けたからこそ……
『グゥ……ァ』
効果が通った。
ローカストの爬虫類にも似た身体が凍りつき、どうと倒れ伏す。リッターは空中できりきりまいしながら思わず笑みを浮かべた。
ギリギリの賭けに勝った喜びと安堵、古代伝説級を倒した達成感、そして特典武具を得ることへの高揚。暖かいものが胸の内を満たし……
次の瞬間、超音速の羽根がその胸を貫いた。驚き顔の炭クズになりながら、リッターは《監獄》に落ちないことだけを祈っていた。
◆◆◆
■【盾巨人】ブラー・ブルーブラスター
「これでも追ってこられるかぁ……」
ブラーは振り向きながらぼやいた。現在の速度は最大、すなわち《自由飛孔》の限界使用で飛んでいる。それを支える装備の数々は錆にやられ、その輪郭を失い始めていた。空気抵抗と断熱圧縮がその破壊に拍車をかける。錆によって生じた傷やへこみから食い込んだ熱と衝撃が、少しずつブラーを削り取っていく。特に錆侵食で限界だった弾頭盾は、既に二つ目に持ち変えた。
そこまでしてもなお、羽根を振り切ることは出来ない。
「古代伝説級ってこんなに強いのか……!」
相対速度の澱みの中で、確実に少しずつ距離を詰めてくる羽根を見、ブラーは必死に頭を回す。無為に飛んでいるだけでは自滅と同じだ。
と、細切れの視界の中に気になるものが映る。ブラーは一時停止を挟んで細かく軌道を折り曲げ、その間隙に地上を見下ろした。
火の海の中で、ローカストが死んでいた。その鱗と羽毛に生命の息吹はなく、鉤爪は完全に沈黙していた。
火の海の中で、リッターが死んでいた。その身体は空中で炭から光の塵へと変わり、ロービーグスの姿が揺らいで、消える。錆の侵食効果が即座に不活化する。
そして、ローカストの羽根だけが今もなお動いている。ブラーはごくりと唾を飲み込んだ。仕掛けは理解した。だがこれが意味することはつまり……
「あの身体は止まり木、羽根のほうが本体ってわけかよ!」
ヒントはあった。
(メートルグラムは【呪術師】系統だった、恐らくはなにかの呪術であの身体だけ仕留めたんだろうが…)
呪術というものは物理的なダメージを与える術ではない。にも関わらずあの止まり木しか倒せていないなら、それは
「次の寄生先を探すよなぁ……」
地上では羽根の群れがその動きを変えていた。惑うように蠢き、ざわめき、回転し……思い付いたようにブラーの方を向く。そして、全ての羽根が
「冗談じゃない!」
瞬間、アシュトレトが噴煙を上げる。既にフルブーストである今、付与できる運動ベクトルの大きさは最大値だ。
真夜中の空に立体的な軌跡が刻まれ、その後ろをローカストが猛追する。既に錆の侵食は止まっているが、それでも弾頭盾は軋み、装甲服はボロボロと剥げ落ちていく。
「錆が止まったのはいいけど……厄介な置き土産を残してくれたな!」
叫びながらブラーはアイテムボックスを取り出し、その錆だらけの容器をローカストに投げつけた。双方の速度の大きさゆえに、お互いはむしろゆっくりにさえ見える。錆びたアイテムボックスは即座に壊れ、その中身を撒き散らした。
「最後の【ジェム】だ!ありがたく食らえ!」
アシュトレトの軌道の後方、暗黒の天空のただ中に、色とりどりの爆発が起こる。だが、軌道を曲げジグザグに飛翔するブラーに、爆発を潜り抜けたローカストの軍団が迫った。ブラーは吐き捨てるように言った。
「《
その宣言により、《自由飛孔》の加速能力が倍加する。超音速を更に越え、追いすがる羽根が引き離され始めた。
しかし、その代償は重い。これまでより更に増した速度の反動で、傷んだ装備が空中分解の様相を呈し始める。
「クソッ!なら撃ち落としてやる!」
ブラーは右腕を伸ばし、取り出した魔力式銃器を構えた。超音速のチェイスの中、火の弾丸が勢いよく直線を描く。だが、
「ダメか……」
空中戦では勝てない。無数の羽根を一つの銃口で落としきるなど無謀にも程がある。一つ二つは倒せてもキリがない。
「……だとしても!」
キッと面を上げ、再び銃口を構える。
夜空を縫う超音速の
視界が回り、天地が目まぐるしく入れ替わる。目に映る確かな座標はブラーとローカストだけだ。夜の中空で、まるで超音速のダンスのように光の軌跡が絡み合い、ねじれ、折れ曲がる。
「墜ちろォォォォォアアアア!!」
ブラーが吠え、銃撃が乱れ飛ぶ。ローカストの羽根が次々と塵になる。焔がうねり、夜空が赤く染まる。
だが、そこまでだった。
異音と共に、限界を迎えた弾頭盾がひしゃげて砕け散る。武装や装甲服の欠片が爆発する。空中分解したブラーに、
◇◆
羽根の群れが渦巻き、球を作る。ウンカの群れのごときそれらは、蠢き、さざめき、やがてほどけた。キチキチと羽根の群れが鳴き、中央にあったものが露になる。
ゆっくりと空から降りてくるそれは、ブラーの身体だった。但し、その肢体にはびっしりと羽根が生えている。それらが蟲のようにざわめき、風を捉えて浮遊していた。ボロボロの身体にはブラーの意思は感じられない。四肢は弛緩し、顔はうつむいたままだ。
完全にローカストの支配下に置かれた身体が地上に降り立ち、そして立ち尽くした。辺りを舞う羽根が両翼を象るように集束する。そして、目の前の地面からオレンジ色の何かが染み出した。
それはまるで種火のように燃えていた。オレンジ大の焔の塊が、心臓のように脈打っているのだ。それはブラーの前に浮かび上がると、彼の心臓の前の位置で停止する。そして、その焔がブラーの中に入ろうとしーー
「おっと、ストップだ」
ブラーの右腕に捕らえられた。
「へえ、実体があるのか。エレメンタルかとも思ったが。それともそれが縛りなのかな?」
『ナ、ナゼダ!』
ソレーーローカストの核は、ブラーの手の中でもがきながら言った。ローカストの寄生能力は完璧だ。現にブラーの身体の運動機能は完全に制御下にある、そのはずだった。筋肉、神経、その隅々に至るまで無力化されている。
『動ケルハズナド……』
「そうだね、指一本も力が入らない」
ブラーはそう認め、
「だから、動かしてなんかないのさ」
そう明らかにした。
『ナニヲ……』
焔は狼狽えながらブラーの右腕を見た。びっしりと羽根が覆ったその腕と拳には、同時に無数のバーニアがフジツボのように張り付いていた。
「アシュトレトの能力は加速だ。一部のみに対して極低速の加速を掛けたなら、操り人形みたいなことだって出来ると思わないかい」
『馬鹿ナ!』
ローカストが呻き、そしてブラーの右腕から血が噴き出した。
操作権を乗っ取られた身体を外部から無理やり動かしたなら、静止を命じられて抵抗する身体と外力の鬩ぎ合いが起きる。関節はひしゃげ、筋肉は裂け、骨が捻れる。
いかに頑強な身体といえど、むしろその頑強さゆえに部分同士が反発し壊れかかっていた。人体を構成するパーツがそれぞれバラバラになりかかっているのだ。肩と繋がっていることが不思議にすら思える。
「乗っ取る瞬間なら核を掴めると思ったよ。群体タイプの中枢を叩くのはセオリーだしね」
そんなことは気にも留めず、ブラーは得意気に続けた。
「高火力の焔、超音速の速度、相手を生かしたままの寄生……どれもハイレベルな能力だ。強すぎる能力の代償に何か、デカい弱点を持つのはよくあること。お前の場合、核を晒すときの弱さか」
ブラーは仮面の下、動かない顔の眼だけを動かして辺りを見回した。
「羽根、動かせないだろ?僕がお前を握りつぶすより速く僕を殺せるような火力、お前の
ローカストの核はとても脆い。ホンの少しのエネルギーを加えられただけで簡単に死んでしまう、弱い生き物だ。
「寄生の完了には核が心臓の位置に収まる必要がある。寄生してない状態で動き回ることも難しいみたいだな。それもお前の縛りだろ?」
『ソコマデ読ンデイタノカ……?』
「いや?確証は何一つなかったよ。これは今、後知恵で話してるだけ。全部は成り行きさ。墜とされた後は半分諦めてたし……そうでなきゃ必死に飛び回ってないよ」
そう、何一つ確証など無かった。
寄生するまでもなく、ブラーが殺される可能性。ローカストに核が存在しない可能性。寄生能力で意識を封じられる可能性。アシュトレトでの腕の操作が成功しない可能性。核を掴めない可能性。ローカストが掌からでも寄生を完了できる可能性。核を掴んでも羽根に爆破で妨害される可能性。
全ては偶然に支えられた結果だ。そもそも、本来ならこうなる可能性など存在しない。それを覆したローカストの瑕疵は一点のみ。
「お前、身体と意識は乗っ取れるけど、相手の能力そのもの……<エンブリオ>までは奪えないんだろ?純粋に肉体操作に特化した寄生能力。だから僕もこうしてアシュトレトを使えてる。まぁ、普通なら意識を落とした段階で能力も使えなくなるんだろうけど、残念だったね」
そうブラーは嗤った。
「精神保護。<マスター>は例え身体を操作されても精神までは操作されない。だから自分の<エンブリオ>は操れる。試してみるもんだね。早まって自害とかしなくて本当によかったよ」
『
それさえなければこの状況はあり得なかった。<マスター>を乗っ取ろうとしたこと。それがただ一つの
「さて……」
バーニアの出力を上げ、核を握り潰そうとするブラーに、ローカストは慌てたように喚いた。
『マ、待テ!契約ダ、契約ヲ交ワソウ!』
「へぇ?どんな契約?」
聞く耳を持った様子のブラーに、ローカストは心なしか安堵して言った。
『我ノチカラヲ貸シテヤル。殺シタイ奴ハ居ナイカ?知識ハドウダ、我ガ持ツ知識ヲ授ケテヤロウ!古代伝説級ガオ前ニ侍ルノダゾ、何ダッテ手ニ入ルトモ!!』
「へいこらするのが随分と板についてるじゃないか」
ローカストはここが正念場とばかりに熱く語った。
『我ノ強サハ戦ッタオ前ガヨク分カッテイル筈ダ!望ムナラ、オ前ダケデハナクオ前ノ子々孫々ニ仕エヨウ!我ニハ何ダッテ出来ル!万ノ軍勢トテ蹴散ラシテ見セヨウ!他ノ<UBM>ノ居場所ヲ知リタクハナイカ?チカラアル武具ヤ鎧ガ眠ル、古代ノ遺跡ノ有リカハ?』
「僕を<超級>に出来る?」
突然問うたブラーに、ローカストは口ごもった。
『ソレハ……出来ナイガ……』
「じゃあ、用はないよ」
そして、その拳ごとバーニアが焔を押し潰した。ヒトの言葉すら失くした断末魔が響き渡り、全ての羽根が塵に還ってゆく。再び自由が利くようになった身体で、ブラーは空を見上げた。天空には、青白い月が堂々と輝いていた。
To be continued