『ヤンデレ惨』外伝 ユーミア編アフターストーリー「復讐の人形遣い」 作:オオシマP
「マスター、お食事の準備が出来ましたよ。お屋敷にお戻りになって……、あら? また絵を描いてらしたんですか」
ユーミアは、キャンバスに向かって熱心に筆を走らせる主の背後から声をかけた。
「ああユーミア、ここの自然は本当に素晴らしいよ。あふれる光と風のそよぎ、生命力にあふれた緑…、まるでクロード・モネの愛したジヴェルニーの庭のようだ…」
広大な庭園の真ん中に椅子とイーゼルをセットし、ユーミアの主は水連の咲く池をスケッチしていた。
見渡す限りの庭園は初夏の光を目一杯に受け、気持ちの良い風が木々の葉をそよがせる。ユーミアが歩いてきた後方には、いささか古風ではあるものの、古き良き時代の匂いを漂わせるアメリカンスタイルの屋敷が建っていた。
ユーミアが主の肩越しに、キャンバスを覗き込んだ。
「まあ、とてもお上手ですマスター。きっとマスターには今まで眠っていた隠れた才能があるんですよ」
春の日溜まりのようなユーミアの笑顔と、その笑顔と同じくらい暖かい賛辞を受けて、彼女の主は照れ笑いを浮かべながら答えた。
「だといいんだけどね……、昔からたまに描いてはいたんだけど、ここに来てから調子がいいかな、ありがとうユーミア。すべて君のおかげだよ」
「お礼を言うほどのことではありませんマスター、ユーミアの役目はマスターの望みを叶えることなんですから……。ところでマスター、ユーミアはお食事に呼びに来たんですけど」
「ああ、そうだったね……。でもその前に……っと、ユーミアのたわわに実った果実をつまみ食いしちゃおっかなー」
絵筆を置いた彼はユーミアの両肩に手を伸ばし、そのまま二人は草原に倒れ込んだ。
「きゃっ、もうマスターったら! エッチなのはダメですって朝言ったばかりじゃ……、あん、マスター、もっとやさしく……、揉んでください……」
「あはは、ごめんごめん。ユーミアの胸を間近で見ちゃうとつい……ね」
「マスター、そんなにユーミアの胸がお好きなんですか……?」
ごぼり。
「いいですよマスター、ユーミアは永遠にマスターのものです。マスターはユーミアに何をしてもいいんですよ……、ユーミアもなんだってして差し上げます……、うふふ」
ごぼり。
ごぼり。
ユーミアが主の首を収めたカプセルに話しかける度に、唇の付近から少量の気泡がたつ。おそらく無意識に唇が言葉を形作ろうとして、わずかに動いているのだろう。
彼の口が実際の世界で実際の空気を振動させて言葉を紡ぐことは、最早ありえない。彼はユーミアという機体が稼働限界を迎えるその時まで、夢の世界で、ユーミアが創り出した閉ざされた楽園の世界で過ごすのだ。
そしてユーミアの両脚部に搭載された、彼女の心臓部とでも言うべき二基の“クェーサーエンジン”は、無限とも言える時間をユーミアに提供するだろう。
……これを不死と呼ばず、一体何と表現するべきか。
首を収めたカプセルは琥珀色をした培養液で満たされ、主の首の断面には大小様々なケーブルやチューブが接続されていた。さらにそのケーブル類は、ハッチを開放したユーミアの腹部に繋がっている。
“インフィニティ・ライフ・ドライブ”……、狂気の科学が産み出した悪夢のシステムによって、ユーミアと彼女の主は、文字通り一体と化していた。
外出時はカプセルを腹部に収納しているが、ユーミア自身には外に出る用事など無い。ユーミアは一日の大半の時間、主の首を収めたカプセルを赤ん坊のように愛おしく抱き、夢の中の主に語りかけていた。
このシステムで繋がっている限り、主の夢の世界はユーミアが自由に設定できる。そこではユーミアが本来の姿であるアンドロイドである必要など無く、もちろん一人の人間の女性として、主の様々な欲求に応えていた。
「もう、マスターったら、まだされるんですか? もう4回目ですよ……、ユーミアは気絶してしまいそうです……、ふふっ」
ユーミアが座る椅子と、その前に置かれたテーブル(卓上には何も置かれていない)。家具と言えばそれだけという、どう好意的に見ても人間が暮らすことには不適当としか言えない、ほの暗い殺風景な室内に、ユーミアの呟きと、彼女の駆動音だけが静かに響いていた。
あの日……、朝倉 巴を300数個の肉片に変え、己の主に“インフィニティ・ライフ・ドライブ”による術式を施して、愛するマスターとようやくひとつになれたあの日。
目的を達したユーミアは、すぐにそれまでの住処を後にした。ユーミアがその場に留まる時間が長ければ長いほど、彼女にとって状況は不利に働くと判断したためだ。
主の部屋から朝倉 巴の痕跡は、指紋、髪の毛、血痕に至るまで完全に消去した。それどころか、主に繋がるものまでも一切合切消し去ったのだ。
準備を万全に整え、ユーミアはまず、綾小路重工・「人工知能研究所」に赴いた。
人工知能研究所はその名の通り、汎用アンドロイドの人工知能を研究・開発する施設である。……が、それは表向きの姿で、実際は戦闘用アンドロイド“TYPE-SAKUYA”シリーズを開発するための最前線機関だった。
ユーミアの目的はふたつ。
ひとつは今後の主と自分の安全を確固たるものにするため、自分の同型機、もしくは後継機の開発に致命的なダメージを与えるためだ。
綾小路家が、長年の研究開発による偉大な結晶とも言えるユーミアを放置せざるを得ないのは、ユーミアに対して打つ手が戦力的に絶無だからである。
旧式の“A7”と“A8”では、何機繰り出そうとも“A9”のユーミアにかすり傷一つ付けることは出来ない。それどころか、逆にコントロールを奪われてユーミアの手駒を増やす結果になるだけだろう。
そして“A9”は、ユーミアただ一機のロールアウトにしか成功していない。
もっとも、このまま綾小路を捨ておいたとしても、今後彼らが“A9”の増産に成功する望みが薄いことはユーミアにもわかっていた。
なぜならば、“TYPE-SAKUYA A9型”は綾小路以外の機関による協力があればこそ完成したのであり、そもそも綾小路単体で「大規模戦略決戦兵器」とも言えるユーミアを完成させることなど到底出来なかったのだ。
“A9”完成の絶対条件とも言える“クェーサーエンジン”の中枢部分は、スイスの「セルン研究所」が極秘裏に開発したものだ。綾小路重工には過去に試作型が二基、その後ユーミア開発のために完成品が二基譲渡された。
当時、平和利用のためという名目で無理やりセルンを説得し、ほとんど強奪に近いカタチで奪い取ったシステムだったが、今では兵器開発が本来の目的であったことをセルンに探知されてしまっている。
セルンは偏屈な科学者の巣窟なだけに、研究所自体の性格も相当ひねくれている。自分たちを騙した綾小路重工にエンジンの基部を再度引き渡すことなど、金輪際無いだろう。そしてその事実は、綾小路が“クェーサーエンジン”を増産することが不可能であることを意味する。
エンジンに関してはこれでアウト。
エンジンの問題もさることながら、綾小路重工は機体の制御システムも用意できないのだ。
ユーミアの人工知能の制御に使用されている“システム・ワルプルギス”を開発し綾小路に提供したのは、アメリカは「ミスカトニック大学」で幼少の天才と謳われたルキア=エル=ゴールドシュタイン教授が率いる神秘物理学部第三研究室だった。
当時、ユーミアの人工知能、そして機体とエンジンの統合制御に四苦八苦していた綾小路の科学者たちは、“システム・ワルプルギス”を搭載することで“A9”の完全な機体制御に成功し、驚喜したものだ。
だがこのシステムは完全なブラックボックスとなっており、綾小路の研究者たちでは内部の解析が不可能な構造になっていた。解析どころか、“システム・ワルプルギス”には科学以外の超常の技術が使用されていると、怪しげな噂まで囁かれる始末だ。
そして現在、ミスカトニック大学と、日本を裏から支配する座にある“三神”筆頭“天聖院”の本拠地「天聖院学園」は、永きに渡る因縁からついに開戦寸前、一触即発の緊張状態にある。
どのような理由があろうとミスカトニックとの現時点での接触は“天聖院”への造反と捉えられるに違いなく、綾小路にそんな神をも恐れぬ行為が出来るわけがない。
制御システムに関してもこれでアウト。
あとは綾小路重工が独自に新型エンジン、新型システムを開発するしかないが、それを待っていては第二のユーミアが産まれるまでに、ゆうに100年はかかるだろう。
だがユーミアは念には念を入れて、戦闘用アンドロイド“TYPE-SAKUYA”シリーズに関する全てを破壊してしまうことにした。
研究開発の基盤を失ってしまえば、綾小路は戦闘用アンドロイドに関して一から出直すしか無くなるし、それだけの体力は綾小路には残っていないはずだ。
それが目的のひとつ。
ふたつ目の目的は、“TYPE-SAKUYA A1型”を発見し、破壊することだった。
“TYPE-SAKUYA”シリーズ最初の試作1号機であり、ユーミアたち全ての姉妹の母体ともなった、原初の機体……。
起動実験における人工知能の暴走事故により、幾層にも巡って厳重に封印され、研究所の最下層フロアに封印してある機体だ。
ユーミアが“A1”について所持している情報は、ほぼそれだけであった。
信じがたいことに、その機体性能、戦闘能力、暴走事故の原因など、“A1”に関する一切の情報が廃棄され、どこにも残っていないのだ。
そして“A1”の開発に関わった全ての科学者は暴走事故の後、短期間の間に原因不明の死を遂げていた。
“A1”自体は戦闘用アンドロイドとして開発されたわけではない。孫娘を殺された当時の綾小路本家の総帥が、孫の写し身を創造しようとして産まれたのが“A1”なのだ。
その研究成果が兵器開発に転用されたのは事実だが、実際に戦闘用アンドロイドとして開発されたのは“A7”からのはずだ。しかし“TYPE-SAKUYA A1型”という未知の存在に対する警戒心は、ユーミアの人工知能を明らかに圧迫していた。
(“A1”には未知の要素が多すぎる、戦闘能力がないと言われているにも関わらず、試作機に対して過剰過ぎる封印処置……。なぜ、どうしてそこまでする必要があった? そもそも、ユーミアの脚部に搭載されたツインエンジンのほかに、綾小路には試作型エンジンが二基“あったはず”なのだ、それはどこにいった? “A1”に関するデータは明らかに改ざんされている。まさか“A1”もツインエンジンタイプなら、ユーミアの性能に匹敵する可能性がある。封印されているなら幸い、早々に破壊してしまうのが最もあと腐れがないですね……)
それが人工知能研究所を訪れたふたつ目の理由だった。
ひとつ目の目的は比較的簡単に達成された。
短時間で目的を達するため、ユーミアは拘束制御封印を五号まで解放、戦闘モード“レベルA”による大量破壊を実行した。
研究所の警備員と警備ロボット、そして所内にいた全ての科学者を抹殺し、戦闘用アンドロイド開発に関するありとあらゆるデータおよび機材を完全に破壊、“A7”と“A8”の姉たちは“SAKUYAネットワーク”に介入してコントロールを掌握し、眠りについてもらった。
ここまでの作業わずかに18分45秒、“A9”の恐るべき性能である。
しかし、ふたつ目の目的に関しては達成されることがなかった。
“A1”に関する情報収集のため適当に目に付いた老科学者の脳髄から吸い出したデータによって知ったことだが、“TYPE-SAKUYA A1型”はユーミアが襲来する22時間前に、何の前触れもなく突如として再起動、何重に施された封印を一瞬で解除して、そのまま姿を消してしまったというのだ。
(22時間前……、ユーミアが機能を取り戻したのとほぼ同じタイミングですって……!? これは偶然なの……?)
半信半疑のユーミアは、探査針を脳髄に撃ち込まれ、白目を剥いて引きつった笑みを浮かべる科学者を片手で引きずりながら、研究所最下層フロアに降り立った。
彼女は、いまや空となった拘束ケージを確認する。
「再起動の原因は不明……か……。この状況を演算予測によって導き出した……? まさか、そんなことあり得ない。いえ、それ以前に一体どうやって拘束ケージの封印を解いたの? 見たところ力任せにケージを破壊したわけではない。そもそも戦闘用アンドロイドではない大姉様に、ケージを破壊するほどの莫大な出力はないはずだわ……、ユーミアの“クェーサーエンジン”をフルドライブしてようやく破壊できるケージのはずだもの」
ユーミアはモニタールームに移り、“A1”逃走時のケージの状況を呼び出した。
「正規の解放プログラムによってケージが解き放たれている……。そして、第三者がこの最下層フロアに侵入して封印を解除した形跡はない。間違いなく大姉様が自分の意思で封印を解いたんだわ。でも、その方法は? 拘束ケージはその性質上、対象との機械的な接触は一切ないし、あらゆる電波介入だって完全に遮断してしまうのに……」
脳髄から探査針を無造作に抜き取り、打ち上げられた魚の如き痙攣を繰り返す哀れな科学者の頭部をレッグアーマーで踏み潰してから、ユーミアは次の行動について思案した。
「手がかりが何もない以上、姿を消した大姉様を見つけ出すのはさすがに困難か……。この付近でぐずぐずしてこれ以上の痕跡を残すのは得策ではないわ。綾小路の兵器開発を潰しただけで満足、としておきましょう」
“A1”を放置することに対しては未練が残ったが、ユーミアの同型機、そして後継機開発の可能性が潰れた以上、綾小路からのユーミアに対する危険は排除されたと考えて良かった。
この状況で最後に綾小路が取り得る手段は、“七罪”に泣きついてユーミアの破壊を依頼することだけだが、彼女はその可能性は限りなく低いと踏んでいた。
もし綾小路がそのような手段に出れば、その情報は“三神”に流れる危険性が高い。大量破壊兵器を野放しにする失態を犯した挙げ句、その尻ぬぐいも満足に出来ない役立たずと認識されてしまえば、“三神”からどのような処罰を受けないとも限らない。最悪、綾小路という家名は、あっさりと地上から消滅することになるだろう。
“三神”にとってそれは、ゆで卵の殻を剥くのと同程度に簡単なことだ。
「本当に馬鹿な連中だわ……、そもそもユーミアたちを開発した真の目的が戦闘用アンドロイドによる“七罪”空席の襲名なんて言うのだから、お話にならない……。いくらユーミアでも、あんな狂人の集団と同等に序列されるなんて、御免蒙ります」
そしてユーミアは、廃墟と化した人工知能研究所を後にした。彼女は、誰の邪魔も入らない、マスターと二人だけの閉ざされた楽園を創り出す。
余程のことが無い限り誰も訪れないであろう山間の奥深く、そこに新たな居を構えたユーミアは、水も漏らさない独自の哨戒システムによる結界を森全体に巡らせた。
(マスター……、マスターとユーミアを邪魔する者が現れることは、最早ありません……。二人だけの世界で、永遠に近い時間をマスターの為に捧げます……)
ユーミアは今後の状況について予測を立てた。
――少なく見積もっても150年ほどは、誰にも邪魔されることなくここでマスターと過ごせるでしょう。人間とは年月が経てば、過去のことなど忘れてしまう動物。それだけの時間が過ぎ去れば、とりあえずは安心だわ。その後は、状況に応じて対処していけばいい……。
しかしその予測は、あっけないほどあっさりと打ち破られる。
たった一人の人間の少女を前に、ユーミアが己の危機管理の甘さを紅蓮の怒りと共に噛み締めることになるのは、150年どころか、研究所の破壊からわずかに数週間後のことであった。