呆然と立ち尽くしていると、後ろから声を掛けられる。
「須貝くん。奇遇だね」
その声に聞き覚えがなくて振り向くと、誰だかは思い出せないが何故か見覚えのある顔があった。しばらく考え込んで、ようやくその理由に思い至った。
川原が死んだ次の日、インタビューを受けていたうちの生徒だ。…でもなぜ、俺の名前を知っているんだろう。
「…もしかして、私のこと覚えてないとかじゃないよね?委員会の時、何回か話しかけたはずなんだけど」
覚えていないというわけではないが、同じ委員会だったのは初めて知った。そういえば、とすら思わないほど、彼女の印象はない。
「まぁ仕方ないか。私も須貝くんと話してたわけじゃなくて、春歌と話していたんだし」
まぁそれはそうだろう。でなければ覚えていないはずはない。
「…で、須貝くんも手を合わせに来たの?」
俺はただ外に出てここに立っていただけだが、そう言うのも変な気がして肯定する。彼女は花束を供えて、手を合わせる。…彼女は今、何を思っているのだろう。やっぱり冥福なんかを祈っているのかな。
「私、桐野まつりって言うんだ。ちゃんと覚えてね、須貝薊くん」
俺が頷くと、彼女はにっこり笑った。…何か違和感がある。
「須貝くんは春歌の幼馴染なんだっけ」
毎度思うことだが、中学から一緒というのは幼馴染と言えるのかどうか微妙なラインじゃないだろうか。しかも、中学が同じという奴ならうちの高校にもたくさんいるわけだし。
「そう言えるほど長い付き合いじゃないけどね」
そう答えると、彼女は驚いたような顔をした。
「春歌は幼馴染って言ってたけど」
…あぁ、俺が一方的に彼女に名前を知られていた理由はそれか。川原も俺の話をすることがあったんだな。
俺は誰かに川原の話をしたことがあっただろうか。思い至るのは、葛木くらいだ。お互い川原しか共通点がないのだから、むしろ川原の話しかしていないくらいだけど。
「本人がそう思うなら、そうなんじゃない?」
俺の言葉に、彼女は興味なさげにふーん、と呟いた。そして公園の中を眺めながら、一番したかったであろう話を切り出した。
「…私さ、春歌のこと考えるのやめようと思ってて」
なんで?と聞く前にするすると、話の続きは語られていく。
「過去を過去にしたくない、っていくら思っても、時間は進んでいってしまうものだし。だから、別れるべくして別れたんだろうなって、そう思うようになってきて。…悲しくないわけじゃないけど、お別れするのが春歌のためでもあるし、何より私のためなんだろうなって思ったの」
俺は先ほどから感じていた違和感の正体に気付いた。
彼女はもう、吹っ切れているんだ。過去を過去として見ていて、それ以上でも以下でもないと思っている。
俺達とは、根本的な考え方が違う。
「…須貝くんもさ、多分、辛いだけだと思うよ」
心が折れてしまいそうになる言葉だ。意味がない。苦しくて辛いだけ。その言葉に正当性があると感じてしまうからこそ、必死に否定したくなる。
「まぁ、私は別に止めたりしないけど。須貝くんがしたいようにしたらいいし、私は私のしたいことをするだけだから」
じゃあね、と彼女は去っていった。公園の中を眺める。あの辺りに、川原は落ちたはずだ。大きな音がして、ゴム鞠みたいにバウンドして…という話を、誰かから聞いた。
ただの肉の塊になってしまった川原を、俺は見たわけではない。…見てしまっていた方が、楽だったのかもしれない。きっと後を追おうとはしないと思うが、それでも忘れたいものになってくれた方が、ちゃんと忘れられた気がするから。
俺だって本当は吹っ切れてしまいたい。寧ろ、そうするべきだとも思っている。高校生になってからろくに仲良くもしていなかったクラスメイトの死を、気にする権利すらないと思っているから。
救えたのに救わなかった。そう思われて責められる方が、今の状態よりはマシな気がした。
だけど、忘れることはできないし、考えないこともできない。おそらく川原だって考えて欲しくはないと思うが、それでも。
「…何してるんだろうな、本当に」
そう空に向けて呟いて、部屋に戻った。
閑散とした部屋に、いつもよりも冷たい空気感が立ち込める。傷付いた心に塩を塗るように、自分自身を責め立てる。理性的に考えれば、川原の死についてきっと俺に責任はないし、特に関係もない。…そんなに俺のことを意に介さなかった人間の死に、こんなに囚われているとは思いたくないから、必要以上に自分のことを責める。
実際問題、今川原が生きていたとしても、俺は多分関わってはいないだろう。失うまでずっと川原は川原だという印象を持ち続けていただろうと思う。失ってみてようやく、川原もただの人間だったと気付いただけの話だ。
だからこそ、俺には過去にすらifはない。もしもあの時声を掛けていたら、のあの時、すら存在しないのだ。
川原が死んだ当日、どうして俺は外に出なかったんだろう。そんな理不尽な理由で自分を責めている。…心の底から、馬鹿馬鹿しいと思う。
そうしていると、チャイムが鳴った。俺にとっては祝福の鐘のような音だった。誰かと話している間だけは、自分由来の後悔や自己嫌悪に陥らなくて済むから。
ドアを開けると葛木がいた。部屋に上がってもらい、お茶を持っていく。
「さっきそこで桐野って子に会ったんだけど、知ってる?」
俺が言うと、葛木は頷いてから答えた。
「私も春歌も同じ部活だから。…あ、だったから」
部活って、何部なんだろう。中学生の時はお互いに帰宅部だったから、部活動をしている川原が想像できない。
「まつりはなんて言ってたの?」
聞かれて、先ほど言われたことを答える。
「…もう川原のことを考えないようにするって」
葛木は面食らったような顔をした。…気持ちも分からなくはない。俺達にとってはかけがえのないもので、追うべくして追っていた背中なのだから。その姿に背を向けられる人間がいることなど、全く想定していなかったのだろう。
「ねぇ、本当はさ、須貝も私達のしてること、おかしいと思ってたりする?」
葛木は俯いたまま、震える声で俺にそう聞いた。俺が答える前に、葛木は続きの話をし始める。
「言われたんだ、この間、クラスで。もう忘れようって。気にしないようにしようって」
今にも泣き出してしまいそうだ。…皆が川原のことを忘れていってしまう恐怖や、人の死を乗り越えていける人間に対する劣等感や、色んなものがごちゃ混ぜになってしまっているのだろう。
「…私はただ、春歌がなんで死んじゃったのか、私達のいるこの世界を捨てたのかが知りたいだけ。別に後ろを向いてるわけじゃないのに、なんでそれが自分でも言い訳にしか聞こえないんだろう」
葛木の気持ちは痛いほど分かる。…やっぱり葛木も、同じ事で悩んでいたんだ。俺はただ静かに話の続きを待った。
「私はきっと、やめようと思ってもやめられない。納得できるまで、春歌が死んだ理由を探し続けると思う。…でも、一人にはなりたくない」
葛木の天秤の上には、今までの暮らしとこれからの暮らしが載っているのだろう。積み重ねてしまったこれまでと、積み上げていくこれからが。
どちらを取るかなんて、どうせ選べるわけでもない。だけど、納得した方を選びたいと思うのは自然なことだ。
「だから、須貝だけはついてきて欲しい。勝手かもしれないけど、私一人では背負えないから」
俺は頷いて返事をする。誰が何を言おうと、俺達にはそれしかない。…そう言えるほど、お互い強い意志でもない。風が吹けば揺れ動いてしまうし、時間の流れでアップデートされていくから。
それでも、選び取れなかった過去が、どうしてそれを選んでしまったのか知りたいから。それを知らない限り、同じ過ちを繰り返してしまうだろうから。
いつまで続くか分からないそんな約束を、数年ぶりの指切りで取り交わした。