「なんで?」
俺が放課後の予定について話をすると、葛木は予想通りの反応をした。どう説明したら納得してもらえるのかは、あの後どれだけ考えても分からなかった。
俺の口から出る言葉に意味や影響力を持たせないように生きてきた弊害だろうか、人にお願いをするということが昔からずっと苦手だ。
だけど、これがもしかしたら大きな選択になってくれるかもしれない。今は気付かなくても、思い返してみればこの日から、なんてことがあるかもしれない。きっと考えすぎなのに、俺はその可能性を捨て切ることができない。…これもきっと、川原が遺してくれたものだと思うから。
…まぁ、俺が縛られ続けているだけだ。勝手に。
「いつまで友達でいられるかなんて、分からないものだから」
俺が絞り出した言葉で影響力があったのは、多分これだけだったと思う。俺はそれ以外にも色々な言葉を使ったが、やっぱりこれ以外はどうしても薄っぺらい音と響きになってしまう。
「…友達、ね」
含みのある言い方をした後、葛木は少し考える仕草をした。
「今回だけだから。これで分かり合えなかったら終わりだからね」
俺は一頻り感謝の言葉を述べて、放課後を待った。
…人間関係というのは、どうにも不思議なものだ。好きや嫌いといった一言だけでは片付かない何かがある。好きな人間にも嫌いな一面はあるし、更に言えばそれを上回る好きという気持ちの理由を説明できなかったりする。後に考えてみれば取るに足らなかった諍いひとつで、今まで積み上げてきたものが崩れてしまったりもする。
俺は正直に言って、恐れていた。自分自身の判断の責任を負うことを。ずれた歯車を直そうとして、よりどうにもならない状態にしてしまうことを。
だけどそれよりも、期待していた。この判断がいい方向へと向かってくれることを。
「…で、何の話するの」
ぶっきらぼうに、葛木はそう聞いてきた。木下さんもこちらを見つめ、俺の言葉を待っている。
「俺はこの間、川原が死んだ公園に花を供える女の子と会った」
二人は面食らったような顔をする。反論が来る前に、俺は続きを話してしまう。
「その子は『これで終わりにする』って言ってたんだ。辛いだけだから、って」
二人の表情は対照的になる。葛木は苛立った表情をしているし、木下さんは平然としている。
「俺は正直、なんとも思わなかった」
葛木は驚いたような顔をして、何かを言おうとする。俺はそれを制して、また話し始める。
「そういう人がいるのも仕方ないんだと思う。人によって、川原の死に対する見方は様々だろうと思うから」
…きっと、色々考えている。納得してしまう自分を否定したいから、納得してしまった誰かを否定しようとする。俺には、葛木の悶々とした表情はそう取れた。
「…でも俺達はそうじゃなかった」
木下さんの表情が少し曇る。葛木も、納得はしていなさそうだ。
「俺達は川原を、死んでしまった誰かにしたくない。木下さんは、早くそうなって欲しいと願っている。この考え方が変わらない以上、俺達が川原の話をするのは無理なんだと思う」
二人はお互いに目を配る。
「そしてその判断に、お互いが納得していない。それはきっと、どっちの考え方にも一定の理解ができるからなんだと思う」
すっかり静かになってしまったこの場に緊張しながらも、俺は話を続けていく。
「…だから、意地を張ることはないんだ。俺は俺、葛木は葛木、木下さんは木下さんで、川原のことを処理していけばいいと思う」
合わない考え方を否定する、その感覚こそが焦りなんだと思う。自分の判断が間違っていないことを証明したい、誰かにも認めてもらいたい、そう思うから、わざわざ口に出す。…二人とも、きっと自信がないだけなんだ。
「わざわざ嗅ぎ回ったりするのが無粋なのも分かる。忘れてしまうことが不誠実なのも分かる。そのうちどっちの比重が重いかなんて、人それぞれでいいと思うんだ」
…こんなことで言い争っても、川原が帰ってくるわけじゃないんだから。そう言いかけてやめた。今は、そんな話がしたいわけじゃないから。
「…でも、私は」
葛木が今にも泣き出してしまいそうな表情で話し始める。
「私は、春歌のことを忘れるなんてできない。きっと何かあったんだって思わないと、春歌が死んだなんて納得できない」
木下さんは聞いたこともないような、叫びにも近いような声で返す。
「納得なんて出来るわけない!」
俯いて涙を見せないようにしていても、その声には色んな感情が滲んでいた。
「どうやったって、春歌はもういない。その事に納得もできないし、この悲しみが消えてしまうこともない。できてしまった傷をずっと触り続けるような真似は、私にはできない」
葛木は対照的に、涙を隠そうとはしない。いつもとは違い弱気な表情になり、反論とも呼べないような言葉を紡いでいく。
「私だって、きっと同じくらい辛い。だけど、春歌が私達を捨ててまで死んだ理由を知らない限り、私は前を向くことなんてできない」
…きっと俺も、そうなんだと思う。川原は死んだ。俺達に何も告げなかった。その事実を受け止めきるには、死んでしまった理由が、何も言わなかった理由が、その何もかもが分からなすぎて。
「そんなの、知れるなら私だって知りたい!」
木下さんは顔を上げて言い放つ。
「でも…!私には、そんな勇気は出ない!」
俺も怯えている。川原が死んだ理由に俺達が含まれていたらとか、俺達に話していない重要な事柄があったらとか、それともそのどれでもなく、本当は誰にも興味がなかったのだとしたらとか。
「私だって怖いよ!」
葛木のこんな声や態度を見るのも初めてだ。…友達同士って、こういうものなのかもしれない。有島の顔が思い浮かぶ。
「それでも、それでも私にとっては皆大切なものだから…!それを捨てられるほどの何かなら、私達に言えないほどの何かなら、手遅れでも分かってあげたいの!私は…私は、ちゃんと後悔したい!」
二人はその後泣き通しで、話し合いになんてならなかった。だけど、蟠りがひとつ解けたようで、この二人に話をさせてよかったと心の底から思う。
葛木と木下さんは、言いたいことが言える関係性ではなかったのかもしれない。…いや、そうなってしまったのだろう。
それでも、お互い根の部分は同じだ。…川原の死を、受け止めきれないでいる。
もしかしたら、この間会った子もそうなのかもしれない。桐谷、なんとかさん。あの子だって本当は受け止められないから、わざわざ最後を誓いに来たり、俺に話しかけたりしたんだろう。
死んでから知る、川原の交友関係。俺はずっと驚かされっぱなしだ。あいつの人脈の広さとか、人望の厚さとか。…そんな人間でも、死のうと思って実行してしまうこととか。
それでも残された世界で、俺達は生きることを選んでいる。誰一人欠けることなく、進んでいくことを誓っている。そこに必要だと思う要素が、一人一人違うだけだ。
…帰り道、俺は久しぶりに一人になっていた。放課後の集まりを企画したから、有島は先に帰ってしまったし。久しぶりに一緒に帰るからと、葛木も木下さんと帰ってしまった。
最寄り駅について、改札を抜ける。東口から歩いて帰るこの道も、今日は何となく明るく見える。
こうして一つずつ、階段でも登るみたいに、川原の死を乗り越えられたらいい。あと何段あるかは分からなくても、生きている限り終わりはあるはずだ。
そう。生きている限りは。
思えば帰り際、俺の住むマンションの屋上を見るのも癖になってしまった。あそこから川原が飛んだ。その事実はいつでも俺の気持ちを重くさせるが、決意を新たにすることもできるから。
…え、あれって。
川原の死以降、閉鎖されてしまったはずの屋上には、誰かの人影があった。遠目からでよく分からないが、俺にはうちの学校の女子の制服に見えた。
俺は急いで駆け出す。頭の中は真っ白だった。ただ、ひたすらに屋上を目指して。
久しぶりに、自分の住んでいる階より上に繋がる階段を登った。…閉鎖といっても、ドアに鍵がかかっていたわけじゃなかった。それを知ったのも、今が初めてだ。
ドアを開ける。その音に驚いて、屋上にいた女の子は振り返った。
「須貝、くん?」
それは、あの時下の公園で話しかけてきた子だった。…しようとしていたことは、俺にだってすぐ分かった。
何で死のうとするんだ、生きて越えなきゃ意味がないじゃないか。
「…あぁ、やっぱり、止めに来るんだね」
彼女は上を見上げる。…その先の誰かに話しかけるように。
「私のことも、死なせてくれないんだ」
俺は今日、何人の泣き顔を見るんだろう。皆、一人の人間のことを想って泣いている。
「私はあなたのようにはできないし、なろうとすることも許さないんだ」
彼女は蹲って、一言放った。
「ずっと、大嫌い。死んだって許してやるもんか」
…俺はただ立ち尽くして、理解の及ばない彼女の言動を聞くことしかできなかった。