陽の光が世界を照らし、まだ暑さの残る風が枝を揺らす。青々しかった木々も、これから紅く色付いていくのだろう。世界は少しずつ、秋へと歩み始めていた。
俺はあと何度、時間の経過を肌で感じるのだろう。そんな気もないのに進み続けるのは、やはり辛いものだ。
校門まであと数分の道を歩きながら、俺は昨日のことを考えていた。
やはり最後に聞いた、嘘という言葉がどうにも引っ掛かる。あんな嘘をつかれたくなかった、という悲痛な叫びの意味が、俺には分からないから。
もしかしたら、俺達の知らない川原のことを、あの子は知っているのかもしれない。…だからといって、わざわざこちらから話を聞きに行こうとは思わないけれど。
俺達は残された者として、前を向かなければならない。それは、生きていくなら嫌でもそうしなければならないということだ。
つまり、死のうとしていた彼女にすぐに話を聞きに行くというのは、得策ではないということだ。
彼女には、希望が足りなすぎる。話を聞く限り裏切られたと思っているのだろうし、それなりに生きる理由も失くしてしまったように思う。だから、本当は休む時間が必要なんだろう。
人が死にたいと思う時、それは別に、望みが絶たれてしまったとか、そういった事態に直面した時だけではない。そもそもが望みを持っていなかったり、先天的に近い優劣によるものも大きいのだと思う。
そんな時は、自分と向き合うことだけが答えではないと思う。休んだり、先のことを考えないようにしながら、とりあえず今日を生きてみる。そんな時間が、必要なんだと思う。それが根本的な解決に繋がらないとしても、死んでしまえば解決どころではないのだから。
逃げるな、投げ出すな、という言葉を真に受けた先の、とにかくただしがみつくだけの生活の先に待ち受けるのは、きっと劣等感だけなんだと思う。
彼女は、川原と自分を比べすぎている。だからこそ、わざわざ同じ場所で、同じ死に方をしようとしたんだ。
きっと彼女にとって、川原はよくできた人間だったんだと思う。そんな人間でも生きていけないこの世界に絶望するのは仕方のないことだ。
俺だって、本当は生きているのが怖い。川原がどんな壁にぶつかってしまったのかは分からないが、川原でも乗り越えられなかったその壁を目の前にした時、俺は生きていられるだろうか。そんなことを考えるのが、怖くて仕方ない。
…葛木も、もしかしたら木下さんも、そんな不安に襲われているかもしれない。その予感が的中した時、俺は何かの足しになれるだろうか。いや、ならなければいけない。
もうこれ以上、誰かを死なせたりはしない。…何だか現実的ではないセリフのような気がするが、それでも死というものは、いつでも生と隣り合わせだから。
学校に着いて、自分の席に座る。今日は比較的、人が多いように思えた。…というよりも、それだけ活気を取り戻し始めたのだろうと思う。
「おはよ。今時間ある?」
葛木に話しかけられ、俺は頷く。基本的に、時間がない時なんてない。そう生きてきたから。
「…あのさ、桐野まつりって知ってる?」
桐野、まつり。一瞬その文字列に疑問符がついたが、すぐに思い出した。昨日死のうとしていた子だ。危うくそう口走りそうになって、俺は声を出さずに頷いて答える。
「昨日連絡が来たんだけど、須貝と話がしたいみたい。時間があったら3組に来てってさ」
…そんだけ。じゃあね、と去っていく葛木を見ながら、俺の昨日と今日の悩み事を返して欲しいとすら思った。いや、葛木が悪いわけではないのだが、しばらく時間を置いて話しかけようと思っていた俺としては、これが降って湧いた好機だという認識よりも、呆気ないという感想が先に来てしまう。
まぁ、向こうから話してくれるのならばそれでいいか。別に追求しようというわけでもないんだし、こちらから何か言わずとも話したいことがあるのなら、それはそれでいいことなんだろう。…葛木の連絡先を知っているのに、なんで俺に話を聞いてもらおうとするのかはいまいち分からないが。
とにかく始業時間まで余裕があるので、一度3組に行ってみることにした。よく知らない教室というのは謎の緊張感があるもので、俺はそれが嫌で嫌で仕方がない。知っている顔を探してみるも、部活にも所属していない俺に自分のクラスの人間以外の関わりはない。…これじゃただの不審者だ。
「…あ、おはよ」
後ろから話しかけられて、飛び上がりそうになるほど驚く。その声の主は、桐野まつりだった。
「おはよう。話って?」
こういう風に言葉数を少なくして話しかける時、冷たい印象を与えなかったかどうかを心配してしまう。自分でも嫌な癖だと思うのだが、持って生まれた性質というやつなので仕方がない。
「ここじゃあれだから、中庭行こっか。ちょっと待ってて」
それだけ言って、彼女は教室に入っていった。どう待っているのが正解なのかな…と若干手持ち無沙汰になる。
「お待たせ」
彼女の後について、中庭へと向かっていく。
…中庭といっても、この学校のそれは広いとは言えない。ベンチが置いてあって、自販機が設置してあるだけの、旧校舎と新校舎の狭間とでも言うべき場所だ。
ただ、わざわざそこに行こうと誘ってくるということは、この話は内密にして欲しいということだろうと思う。
「…春歌のこと、どう思ってた?」
突然聞かれて、俺は動揺する。
「いや、変な意味じゃなくてさ。好意的だったかどうかとか、そのくらいでいいんだけど」
それなら、俺は川原春歌という人間を好意的に捉えていた。輝かしい、欠点らしい欠点のない人間だと思っているし、それは今も変わらない。
そう答えると、彼女は満足そうな表情をする。
「私もそう思ってた。なんていい人間なんだろうって」
でも…そう呟いて、彼女は俺から視線を外す。どこを見ているかは、俺には分からない。
「…でも、そうじゃなかった。空っぽだったんだよ、あの子」
言葉の意味を理解できないでいる俺に、彼女は事実を突きつけるような話し方をする。
「あの子には、目標も夢も…そういうものが、何にもなかった」
俺の知らない川原の一面。それは俺の持つ川原像とはかけ離れすぎていて、誰か別の人の話を聞いているかのような錯覚に陥る。
「あの子ね、私には夢があるって言ってたの。だから頑張れるし、だから生きていられるって」
かと言って、川原の目標や夢を知っていたわけではない。
「だから私も、夢や目標を作ろうって頑張ってた。あの子になりたかった」
俺は頷いて答える。川原のようになりたいと思うこと、それ自体は間違っていないと思う。目標や夢を、川原に据えたということなのだろう。
「でも、それが上手く回り始めて、あの子は私に言った」
その先の言葉を、俺は一生忘れることがないと思う。
分かったつもりになっていた。川原春歌という人間の、何割かは理解できたと思っていた。
でも、そうじゃなかった。…俺達は、川原という人間を見誤っていた。というより、川原は上手に自分のことを隠していた。
「…私は何の夢も目標も持てないんだって」
俺は何も知らなかった。…おそらく、葛木も木下さんも。それは川原がそう振舞っていたというのが大きいのだろう。それでも、俺達にとって、それは裏切られたと思ってしまうに足る理由だった。
川原春歌という人間について、知っていることが増えた。それがプラスかマイスかは分からないが、とにかく。
川原の死因について、大きな部分が解明されつつあることだけは確かだった。