何事もない日々が辛くて仕方ない。言いようのない漠然とした不安に押し潰されそうだ。死にたくはないが、生きていたくない。…思春期特有の、どうでもいい物思い。大人になるにつれて忘れてしまう、振り返りたくはないハイライト。
…その中にいることに、俺は気付いていた。毎日が面白くなかった。何か起こりそうもない世界にも、何も起こせない自分にも、それを幸せだと思い込もうとする心理にも、もう飽き飽きだった。
濁った目で空を見上げる。眩しくて仕方がない。曇ったり、雨が降ったりすることをいつも望んでいた。今日は抜けるような青空で、それがただ憂鬱だった。
若さゆえ持て余したエネルギーは、真っ黒くてどろどろとしている。誰にも晒したくはない内心は、自分自身でも吐き気を催すほどに汚くて、ギラついていた。
河川敷に架かる橋の下で、俺はただ感傷に浸っていた。そんな自分に酔っては、不幸せを嘆いては、全部自分のせいだとわかっている心が俺を問い質す。
一体、ここで何をしているんだ?
そんな頭の中の虫を黙らせるためだけに、寝転んで目を瞑ろうとした。…川原が声を掛けてきたのは、そんな時だった。
どうやって見つけたのかは分からないが、河川敷の斜面を降りながら、元気一杯の声を浴びせてきた。
「何してるの?」
俺は無視して眠りにつこうとした。大概の人間は、それ以上干渉してこないから。取るに足らない存在だと伝えることは、最も有用な拒絶の方法だ。
「おーい。何してるのってば」
しかし川原は、俺の眼前まで来て声を掛け続けた。さすがに無視している訳にもいかずに、別に何もしてない、とぶっきらぼうに返す。
「わざわざこんな場所に来てる時点で、何もしてないことないでしょ」
…この河川敷までは、自転車でも15分は掛かる。ましてや徒歩で来ている俺は、わざわざこの場所を選んで佇んでいるということが丸分かりだった。
「…じゃあ、現実逃避」
そう返すと、川原は満足そうに笑う。
「うん。私と一緒」
そう言って、隣に寝転んだ。…反応したら思うつぼだと考えて、俺は目を瞑る。
頭の中の虫は暗闇が好きだ。真っ暗な部屋にいるときや目を瞑っているときに、盛んに俺を責め立てる。
将来のこと、過去のこと、現在のことを、全部分かった面をして笑ってくる。そんな自分自身に腹を立てる。馬鹿らしいと分かっていながらも、それをやめられないでいた。…それをやめてしまえるほど、人生に価値を感じていなかった。
「ねぇ、薊ってさ」
こいつはずっと、距離感が近い。物理的にも心理的にも。俺の事を下の名前で呼ぶのは、家族を除いてはこいつくらいだ。
「結構繊細だし、一人でいられないタイプなのに孤独になろうとするよね」
図星を指される。こいつにはデリカシーというものがないのだろうか。
「…別にさ、一人で解決しなきゃいけないことばっかりじゃないよ、多分」
そんなことは、とっくの昔に気付いている。世の中は助け合うようにできている。社会という制度も、何らかの集団も、利害が絡んだり絡まなかったりするだけで、根本は助け合いの輪だ。
だけど、そこにだって資質が必要だ。助ける人間に資質が必要なように、助けられる人間にはそれだけの理由や性質が必要なのだ。
俺にはそれがない。愛嬌や、コミュニケーション能力や、人に甘えられるだけの何かが。返せるものもないまま救いを享受できるほど、世の中は甘くできていない。
「…川原には関係ないだろ」
できる限りぶっきらぼうにそう返す。…そうしなければ、俺はきっとこいつに甘えてしまう。こいつは何だかんだ、俺のことをわかっているから。今俺が何に悩んでいて、何を必要としているのか。きっと、全部バレている。
「関係あるよ。友達なんだから」
俺はそれも受け入れた覚えがない。ただのクラスメイトで、ただ住んでいるマンションが近いだけ。腐れ縁、というのが適切だと、俺は思っている。
「友達じゃねぇよ」
俺がそう返すと、川原は大袈裟に落ち込んでみせる。
「仲良くしてね、って言ったら、頷いてくれたのに」
…あぁ、そんなこともあったかもしれない。でも、今の俺には関係ない。今の俺には人間関係なんかを思い悩んでいるような余裕はないし、ましてやこの何を考えているか分からない生物と築く関係があるようには思えない。
「…でも、そういう風に必死に否定するときってさ」
川原はわざわざ、俺から顔が見える位置に移動しながら言う。
「それだけ必要としてるってことだよ。嬉しいな」
…本当にこいつは、何を考えているか分からない。どれだけ邪険に扱っても、どれだけ興味がないと伝えても、それでも俺に関わろうとする。必死に築いてきた壁を壊そうとする。
純粋に、俺はそれが怖かった。こいつの言う通り、俺は本心ではこいつを必要としているんだと思う。何だかんだ気にかけてくれる奴。俺に手を差し伸べてくれる奴を。
だけど、本当に必要としてしまったとき、もしこいつの言うことが全て冗談だったとき、俺は立ち直ることができるだろうか。掴んだはずの手がすり抜ける感覚を、俺は耐えられるだろうか。
ネガティブなイメージばかりが頭を埋める。それを否定できないくらい、自分自身を嫌ってしまっている。
そう考えたら、関わってこないで欲しいと思うものじゃないだろうか。世の中に俺に興味があって、俺を救いたいと思うような奴がいるとは思えないから。何度払い除けても差し伸べられる手は、それだけ期待をさせるけど。
「ね、少しだけでいいからさ、私に話してみない?」
裏も表もなさそうな、人の良さそうな笑顔。俺はずっと、これに縋ってしまえたらどれだけ楽かと考えている。
母を失って、父もいなくなって、俺はひとりを強いられた。だから、ひとりに耐えなければいけなかった。ひとりに耐えられるようになったら、この辛さから解放されると思っていた。
…人といると、弱くなってしまうから。だから俺は、ひとりを選んでいるのに。
そんなこと、きっとこいつは分かっているはずなのに。
それでも手を差し伸べるのは、こいつが幸せで、俺が不幸だからなのだろうか。弱いものを助けるのが、強いものの運命なのだろうか。
「ほら、くよくよ迷わない!」
立ち上がった川原の姿は、太陽と重なってしまって、表情すら見えない。それでも差し伸べられた手は、確かに川原の手だ。…俺は無意識のうちに、その手を握っていた。
確かな人の温かみ。きっとそんなこともないのだろうが、俺にとってそれは初めての感覚で、心に残り続けるものだった。錆び付いてしまった心を解きほぐしていくような、そんな柔らかくて暖かい、俺が求めていた温もりだった。
その手に引かれて、俺は立ち上がる。いざ立ってみると、当たり前のことだが川原は俺より小さかった。それでも、その存在はきっと、俺のそれより遥かに大きい。
それは、俺みたいな奴も照らす光だ。…うざったくて、自分をちっぽけに感じさせて、価値のない人間だと思わせる。それなのに、心地よい暖かさをくれるもの。それが、俺にとっての川原だ。
ずっと気付いていたのに、ずっと見ないふりをしていた。川原春歌という存在が、俺にとってどれだけ必要不可欠か。
耐え忍ぶことだけが、この状況を打破する方法じゃない。それを示してくれる存在が、俺にとってどれだけ救いか。
川原は俺の手を取って笑っていた。直視できないほど眩しい表情で。
自然に存在する大きな光。計り知れない熱源を、太陽と呼ぶなら。
暖かくて、眩しくて、適わないと思うものを、太陽と呼ぶなら。
俺はとっくに、太陽を見てしまった。