森の奥の、寂れた神社。気が付けば俺はそこに訪れていた。俺が思い出せる限りで、川原との思い出が詰まった場所といえばここしかなかったから。
日差しの下にいるより数度低く感じる気温は、涼しいと言えるほど快適だ。
階段に座り込んで、木漏れ日を浴びる。いつ来ても変わらず、少しだけ薄暗い。枝が風に吹かれて、ざわざわと音を立てている。…昔はもっと蝉が鳴いていて、鳥が鳴いていて、賑やかな場所だったはずなのに。
…ここで何をしていたのか。どんな会話をしたのか。どんなことを言って、どんな顔をされたのか。その記憶は正直に言って、靄がかかったように曖昧で、雑踏の中のように紡がれた言葉を聞き取れない。ため息をついて、辺りを見回す。
俺達が来なくなってから、ここは随分と荒れ果てたように見える。案の定ここに来るまでに道のようなものは存在しなかったし、石製の鳥居は苔むして、もはや暗い緑色と呼べるくらいの風合いになっていた。
ここで過ごした日々の全てに意味はなくても、ここにいた間の安息感や非日常感が与えてくれたものは、存外なくはなかったような気がしている。
活かせるものがあったはず、くらいの意味で、活きているわけではないから、俺はまだこんな人間なのかもしれないけれど。
兎も角もここが川原と一番長い時間過ごした場所だし、ここに来ている頃は親密と言って差し支えないくらいの関係性だった。だから、ここに来たらなにか掴めるものがあるかもしれないなんて期待をしてしまっていた。…やはり記憶というのは変わっていってしまうし、終わっていってしまうものだ、と、それっぽいことを頭の中で呟いてみる。気分は一向に晴れなくて、何でこんな所に来てしまったんだろうと後悔し始めてしまう。
都市開発の影響でこの森自体も狭くなってしまったし、この森から一歩踏み出してしまえば自然というには程遠い街並みがある。俺達にとって逃避先だったここも、俺が生きている間にはなくなってしまうものなんだろうと思う。…長く生きれば生きるだけ、こういったものとも別れていくものなんだろう。
誰もが真剣に生きている。さも当然のように、それが普通であるかのように。今日しなければならないこと、いつまでに終わらせなければならない課題、いつか達成したい目標を抱えて。理想と現実のギャップに心を病んだり、思ったよりいい人生を送れていることに安堵したりしながら。
一過性ではない、どこかまでは続いていく複雑な感情と折り合いをつけながら、遥かな未来を見据えて生きている。…じゃあ、俺はどうだっただろう。生きられるから生きて、死ねる時に死ぬのか?
いつか死ぬことだけが一番の恐怖で、その日が来ないことを望みながら今日を凌ぐのか?
頭を埋めるのは死だとか生だとか、そんな根本的でない根幹の話ばかり。それが嫌だから、俺は何も考えずに生きていようと思っていた。…精算するなら、今のうちしかないのかもしれない。
何も学ばないままだった。上手な生き方も、過去の精算の仕方も、そういう生きる術みたいなものを、ひとつも身につけないままだった。
聞こえるはずもないのに、川原に話し掛けたりしてみるほど、自分に酔ってはいなかった。ただ黙って、自分の無力さと向き合う。
後悔とか苦悩とか、人に隠さなきゃいけない感情をあと幾つ積み重ねたら、崩れて元に戻らなくなってしまうんだろう。
川原が座っていたはずの、参道の階段に座ってみる。何かが違って見えるわけではない。同じ視点で同じものを見ても、たどり着く結論は変わってしまう。俺と川原では、根本的に何かが違ったんだろうと思う。
なんで死んでしまったんだろう。ここ数日で幾度となく浮かんでくる疑問が、今日も頭から離れない。もし答えが出たとして、どうなる訳でもないというのに。
どうしたらいいんだ。そんな懊悩だけを抱えたまま、思い出の場所を後にした。
川原が飛び込んだ公園は未だに黄色と黒のテープで仕切られていて、日常に戻り始めた風景の中では、そこだけが明らかに異質だった。…まるで、この世界ではないみたいだ。どうにも受け入れ難い景色だ。公園の入口に手向けられた花は、誰からのものなんだろう。もしかしたら、葛木からだったりするのかもしれない。
マンションの屋上を見上げてみる。話によると、あそこに靴が揃えられていたらしい。…どんな覚悟があったら、あんな場所から飛べるんだろう。そこまでして死にたい理由とは、何だったんだろう。全く想像もつかない。
部屋に戻る。いつも以上に無機質で、無愛想だと感じた。何も詰まっていない部屋が俺の人生そのもののようで、嫌気がさしてくる。
ベランダに出て、下を眺める。これよりもう少し高い場所で、川原も同じことをしたはずだ。夏めいた風に吹かれて、薄暗くなり始めた街に見送られながら、文字通りの最後の勇気を振り絞って。
…結局、考えないことなんてできなかった。俺はずっと川原のことを考えてしまうんだろう。いつか忘れてしまうまでの間、漫然と物思いに耽るように。
それを肯定できるようにはならないが、せめて否定はしないくらいに真剣に考えなきゃいけないと思った。それが俺の人生を変える鍵になるはずだ。炎天下を感じさせるぬるい空気の中、一人そんな決意を固めてみることにした。