園田真理は偽名だ。
本名を、水野愛と言う。
十年前、アイは全国的に有名であったアイドルグループ『アイアンフリル』不動のセンターと呼ばれる少女だった。
全国ライブの途中で、落雷に撃たれて死ぬまでは。
世間一般で水野愛は雷に打たれて即死したと捉えられているが、事実は少し違う。
病院に搬送されてから一時間と十三分後。
それが水野愛の本当の死亡時刻である。
硬直した筋肉と思考の中でさえ、それは地獄と相違ない一時間であった。
駆け巡る苦痛、神経に焼けた鉄串を入れられていく感覚。水野愛は絶望と苦痛の中で死んだ。
アイが目覚めたのは、電気が落ちた病室の中だった。
同時に、微かな悲鳴が聞こえていた。
自分の身体が落雷に撃たれる直前、すなわち傷一つ無い状態であることを気に留めず、アイは病室を後にした。
胎の中で、何かが蠢いているのを感じていたためである。
神鳴だ。とアイは思った。
自分の中に潜り込んだ稲妻なのだ。不可視の根を張り、自分の中で極彩色の花弁を広げる瞬間を待っているのだ。
開花するための養分を啜ろうと、アイの身体を動かしているのだ。
周りに人が居なくて良かったと、アイは思う。
きっと、今雷を押さえつけておくことは出来そうにないのだから。
ふらふらとアイがたどり着いたのは、病院のロビー。
蛍光灯が割れた部屋の中で、怯える人々の中心に居たのは灰色の異形。
オルフェノクであった。
異形は愛の姿を認めると、長く節ばった足を使って一気に跳躍する。彼女の元へ。
もう、アイは自身の中にいる稲妻を抑えることは出来なかった。
いつの間にか、アイは灰の山を踏みしめていた。踏みつけている足は、灰色。
人々が更に怯えながらアイを見ている。
その瞳の中に、アイは己の姿を見た。
極彩色だと思っていた花弁は、灰色だった。
それを認識した時、アイは再び身体の内に神鳴を感じた。
周りにいる肉袋達に、根を張りたくなったのである。
自分と同じ、リヒテンベルクの根を。
それを抑え込んだのは、水野愛だった。
アイの中にあるアイドルとしての矜持が、残酷なオルフェノクの本能を抑え込んだのだった。
恐怖に慄く観衆に背を向けて、アイは病院を後にした。
それがアイドルとしての最後のプライドだった。
望まれぬ役者は、早く舞台から降りるに限る。
しばらく歩いた後、アイは元の人間の姿へと戻った。傷一つ無い、陶磁器のような滑らかな肌。間違いなく水野愛の身体であった。生前の自分の体であった。
困惑よりも喜びが勝った。死ぬ直前の一時間受けた苦痛を憶えていたためである。
これからどうしようか、とぼんやりと考えた。
脳裏に浮かんだのは、コンサートホール。
ライブ会場で歌う自分と、それを求める観客たち。
帰りたいと思った瞬間、胎の稲妻が一層蠢いた。
戻った瞬間に、すべてを焼き尽くしてやると言っているようだった。
人気のない公園で途方に暮れていたアイの耳に、エンジンの唸り声が聞こえた。
それはどんどん後編へと近づいて来て、やがて止まった。
アイは音の鳴っていた方へ首を向けた。
今にも消えそうな街灯の明かりに照らされていたのは、大柄なバイクであった。ご丁寧にサイドカーもついている。
対象的に、それを操っていたのは華奢な女だった。スラリとした手足が蛇を想起させる。
女はヘルメットを脱ぐ。そこには、アイドルだったアイの目から見ても十分に美人と言える顔が収まっていた。歳はアイよりも五つ程上だろうか。少なくとも成人しているようだった。
アイに視線を向けると、女はにこやかに歩き寄ってきた。
やっぱり、貴女だと思った。と、女が言った。
朧げな明かりの中で、アイの目の前に立った女が手を差し出す。
白魚のような美しい手だった。
「木村沙耶、よろしく」
プツン、と街灯が切れる。
姿が消える直前の一瞬、女と灰色の影が重なっていた。
アイは、沙耶が住んでいるマンションに転がり込んだ。
そこでオルフェノクという名前を知った。
自分の中で叫び続ける神鳴がオルフェノクの殺人本能であることを知った。
水野愛の死が報道され続けるニュースを眺めながら、アイドルの道が完全に絶たれた事を理解した。
一晩中泣き、目覚めた頃にはまた日が沈んでいた。
そうしてまた涙を流した。
本能で理解してしまっていたのだ。舞台に立てばきっと、自分は化け物になってしまうのだと。
一度や二度は耐えられたとしても、いずれ限界がやってくると分かってしまった。
続けることが出来なければ、それは零と変わりがないのだ。
「新しい名前が必要ね」朝食を用意した沙耶が言った。
水野愛という名前は、今のアイにはあまりにも重すぎたのである。
いい名前があるの、と沙耶は手帳にペンを走らせた。
そこには、「園田真理」と書かれていた。
「小さい頃の親友の名前」
とってもいい子で、正義感が強い子の名前よ。
そう語る沙耶の瞳は、どこか遠くを見つめているに感じられた。
戸籍はどうにでもなる、と沙耶は言った。
どうやら、オルフェノクにもコミュニティがあるようだった。
最後にアイは、ずっと気になっていたことを聞いた。
「どうして私を助けたの?」
沙耶はにっこりと笑った。
「彼氏に振られて、寂しかったからよ」
アイはそれ以上何も聞かなかった。
そうして、アイは園田真理となった。
園田真理になってから五年間、アイは沙耶と共に暮らした。
最初の一年でアイは猛勉強をし、美容師として市井に潜り込んだ。
美容師になることを選んだのは、人としての最後の抵抗であった。
一対一でなら、殺人衝動を幾ばくか無視できたし、人の髪を切ることである程度発散させることも出来ることに気づいた為でもある。
アイはオルフェノクのコミュニティに関わることなく、園田真理という人間として生きることを選択した。沙耶はその選択に、口を挟みはしなかった。
親友の名前をもらっていただけのアイは、いつしか沙耶の本当の親友となっていた。
少なくともアイはそう思っている。
そうして過ごした五年後、穏やかな生活に終わりはやってきた。
沙耶の手から、ザラリと灰が落ちるのをアイは見てしまったのである。
バレちゃったね。と沙耶はいたずらが見つかった子供のように舌を出した。
オルフェノクの寿命が決して長くはないことを、アイはその夜に知った。
その三日後、沙耶はコンビニへ買い物にでかけ、それきり戻ることは無かった。
親友がもう戻らない事を理解した後、アイは五年ぶりに涙を流した。
アイの涙は、まだ灰にはなっていなかった。
親友から受け継いだ家は、アイ一人にはあまりにも広すぎた。
さりとて売り払う事もできず、また人間とルームシェアすることもできず、木の洞のような家で数年過ごした。
沙耶にとっては贈り物のつもりだったのかもしれないが、アイにとっては園田真理という贈り物のほうがずっと価値があるもののように思えた。
判を押すような日常を過ごし続けたある日、アイは自分の中の神鳴が強く吠えるのを感じた。誰かを呼ぶ、狼のような遠吠え……。
それに従って進むと、アイは沙耶と初めて出会った公園へとたどり着いた。
真っ黄色な月が照らす中、それに照らされて佇む青年と出会った。
灰まみれの姿をしていた。
かれはひとをころしてしまったんだ。とアイは理解した。
しかし、彼は人の姿をしていた。
名前を、木場勇治と言った。
彼は沙耶と同じように、人の心を持ったオルフェノクだった。
だから、アイは彼を助けた。
それが呼び水となったのか、アイの周りにどんどんと人であろうとする同胞が集まってきた。
海堂直也。
長田結花。
アイ、そして木場勇治と共に共同生活をすることになった二人は、そうした特異なオルフェノクであった。
居場所のない彼らに、アイは居場所を与えた。
どうしてこんな事をするのか。そう聞かれたときには、こう答えるようにしていた。
「友達に逃げられたから、寂しくて」と。
寿命については、言わなかった。
ウエットティッシュで念入りに顔を拭き、化粧を落とす。その後、端末で自分の顔を撮り、保存した。そうして安堵し、一日を終える。
――――ああ、今日も中身は水野愛でいられた。
それがアイの日課だった。
「しっかし、どーすんだ?」
アイはようやく、直也の方へ視線を向ける。
「確かにクリーニング屋でニアミスしたのは偉大な一歩でございます。それで?」
ふざけた声色であるが、直也の言葉は正論であった。
アイは上唇を舐めた。
さて、どうしようか。
アイが答えあぐねていると、台所から結花が戻ってきた。
持っているお盆には、人数分の緑茶と和菓子が置かれていた。
勇治が盆を受け取ると、結花はペコリと頭を下げた。
そして、腕を複雑に動かした。
――――ありがとう。
結花は、生前の経験によって言葉というものをなくしてしまったのである。
アイも礼を言って温かい茶を啜った。
何の味もしなかった。
味がないわけではない。あったとしても、アイがそれを感じないだけである。
胎の中で蠢く稲妻が、アイから味覚というものを奪ってしまっていたのだ。
直也が和菓子をうまいうまいとどんどん食べている。それが堪らなく羨ましく感じた。
「三号ちゃんが水野愛に似てるからなんだって話だよなあ」
ものまね芸人じゃねえの。頬を膨らませて直也が呟く。
テレビの中ではまだご当地アイドルが歌を披露していた。
少し、しつこい。
――――そっくりじゃなくて、全く同じだから。
結花が眉をしかめ、直也に反論した。
「そうかそうか、お前もそっくりだと思うか」と少しズレた直也の翻訳を、勇治が笑って修正する。
指摘を受けた直也は目を細め、アイへと視線を向けた。
「あっちは少女で、こっちはお局様じゃんかよ」
アイの投げたクッションが直也の顔面に直撃した。
「痛え!!」
悶絶する直也を無視して、アイはテレビと端末を見比べる。
端末にある顔の方が僅かに老けているが、どうしても同じ顔にしか見えない。
本当にムカつく。とアイは内心で悪態を吐いた。
アイの殺人衝動を抑えているのは、自らのうちにいる水野愛である。
嘗ての自分の歌声が、かろうじてオルフェノクの本能を押さえつけている。
それは、アイがまだアイドルという存在へ未練を持ち続けている証拠でもあった。
それを、奪い取るようにして舞台に立つ女が現れた。
フランシュシュ三号。
到底、許せるものではなかった。
そっくりさんでも、ものまね芸人でも整形でもどうでもいい。その秘密を暴き出して、地に叩きつけなければ気が済まない。
そんな暗い衝動をアイは抱えていた。
「だからどうすんだっちゅーの」
怨念を込めてテレビを睨めつけるアイに直也が言った。
「その、マネージャの男に色仕掛けでもしてみるか? アイと歳が近そうなんだろ」
――――恋の予感!!
「どうやって再会するんだ」
直也の戯言に、結花と勇治が対象的な反応を返した。
アイは眼光の鋭さそのままに、テレビから直也へ視線を移す。
「だって、本名も不詳なんだろ? フランシュシュて」
マネージャから崩してく方が楽じゃねーの? 軽くアイから距離を空けつつ、直也が言った。
確かに、的は射ているように思えた。
しかし、勇治の指摘も尤もである。
「どうやって近づくっての」
「ライブ行くとかじゃん?」
「アイドルが出会い厨対策してないわけ無いでしょ。それに人混みは嫌いなの」
直也は両手を上げた。お手上げと言いたいようであった。
実際、アイに手はなかった。
せいぜい出来ることと言えば、もう一度ニアミスをすることを神に祈る程度である。
自分をこんな目に遭わせた神に祈っても、どうにかなるとは思えなかったが。
どうにかなった。
アイは居酒屋のカウンターに座っていた。
そして横にはフランシュシュのマネージャ、巽幸太郎が座っている。
菊池クリーニング店でフランシュシュと遭遇した翌日。不貞腐れたアイが気晴らしに豪遊しようと居酒屋に入ったら、隣のカウンター席に幸太郎が座っていたのである。
「あ……」
「あっどうも……」
とりあえずアイと幸太郎は会釈をしあって、乾杯した。
アイは味を感じないため、酒は酔を楽しむためのものである。
だけど酔ってる場合じゃねえな、とアイは内心頭を掻きむしった。
幸太郎に会えた代わりに高い酒を無駄にするのは、幸か不幸か。
アイにはまだ、分からない。
次回の異形の徒花は
私は華麗に巽幸太郎へ接触することに成功する。
いくらサングラスで顔を隠そうとも私にはまるっとズバッとお見通しよ!!
一体フランシュシュを何のために結成したの?
死んだ人間のそっくりさんを出すとか不謹慎だとは思わないのかしら。
次回 ゾンビランドサガ邪伝-異形の徒花- 第四話
「幸と不幸」
それで、君はいつフランシュシュを出ていくのかなあ?
お楽しみに!!