非常に気まずかった。
まず、仲良くなるために話しかけることなどこの十年間はしてこなかった。そのせいでそう言った能力が退化していることに気付かされるのがキツイ。
二つ目に、年が近い男への免疫がない。アイドル時代は勿論のこと、園田真理になってからも男女の関係を持ったことは一度もなかった。
最後に、昨日の直也や結花の言葉だ。色仕掛け? 馬鹿馬鹿しい。しかし頭から追い出そうとするほどこびりつくものである。
カウンターを規則的に叩きながら、アイは話しかける機会を伺う。
幸太郎は黙々と日本酒をあおり、こちらを気にしているように見えない。
アイは、上唇をぺろりと舐めた。
「あの」
幸太郎が、アイへ視線を寄越す。
一杯だけ透明な液体を煽り、アイは続けた。
「私、アイドル好きなんですよね」
「ええ、存じています」
「あ、そうですよね。菊池さんが言ってたや」
アイは空になったグラスへ視線を下ろした。
こんなにも自分は、口下手だっただろうか。美容師のはずなのに、おかしいな。
視界が滲む。自分はこれほどまでに弱かっただろうか。
グラスに酒をつぎ、それをもう一度一息で飲む。
その後、大きく深呼吸をした。
酒は良い。
子供の頃に感じていた万能感を、少しでも思い出させてくれるのだから。
「不謹慎だと思わないんですか?」
幸太郎が、初めて動きを止めた。
「不謹慎?」
オウム返しに、アイは頷いた。その表情からは、一切の感情が抜け落ちている。
「よく似てますよね」
――――フランシュシュ、三号。
「十年前に落雷で死んだアイドルくらい知ってるでしょう?」
「……水野愛ですか」
「他に誰が神鳴で死んだっていうのよ」
吐息が熱い。視界も歪んでいた。
コレが間違った万能感だとは分かっていた。
しかし、もう酒にでも頼らなければ直接問いかける勇気を持てない。
大人になるに連れ、いろんな物を落としていってしまったのだ。
「そっくりさんでも整形でもなんでも良いけれど、よく用意したものね」
幸太郎は何も言わなかった。
てっきり「知らなかった」や「偶然だ」などと言い訳を並べたてられると思っていたので、拍子抜けだった。
「こんな当てつけみたいなマネをして、死人に申し訳無いと思わないの?」
しかし、吹き出す追求が止まることはない。
アイ本人も、止める術を持っていなかった。
「死んだあの子がどれだけ苦労してトップアイドルの地位に上り詰めたと思ってるの?」
――――どれだけアイドルを続けたかったと思ってるの?
幸太郎は、黙って愚痴を聞いていた。
あまりにも微動だにしないものだから、聞き流されているのではないかと、アイが思ってしまう程度には。
「聞いてる? 他人が積み上げたものを掠め取るようなマネをして、恥ずかしいと思わないの?」
何だこれは。
私は何を言っているんだ。
愚痴を吐き出しつづけ、加熱し続けていく胎とは裏腹に、どこか達観した一部分が自嘲する。論理的な糾弾とはとても言えない。感情的な文句に過ぎない。と……。
しかし、一度破けた我慢の皮膜は容易には塞がれず十年間ため続けた膿がどんどんと溢れ出していく。
あまりの惨めさに、泣き出したくなった。
「どうして」
顔をぐっ、と顰める。
幸太郎は、影のように静かだ。
「どうして、よりにもよって水野愛なの? そんなに電撃引退はセンセーショナルだった?」
センセーショナルだったのだろう。世捨て人のような生活をしていたときですら、テレビを付ければ水野愛の死が毎日報道されていた。
少女の死が、コンテンツとして消費されていた。
自己顕示欲を満たすためだけに追悼会を開く人間。
水野愛の死に様をスナッフフィルムと称して、鑑賞するスレッド。
忘れないと嘯いて特別商品を売り捌く企業。
涙を流す知らない友人、知らない恩師、知らない親戚。
そうして骨の髄まで啜り切った後は、もう誰も水野愛に見向きもしなかった。
十年という歳月は、世間から彼女への記憶を風化させるのに十分な時間であった。
私はここに居るのに。
いきているのに。
アイはそれを眺めていることしか出来なかった。自分の屍体が啄まれ打ち捨てられる光景を、唯黙ってじっと見つめているしかなかったのである。
稲妻が、叫びを上げている。
ぐちゃぐちゃに泣いて、笑っている。
「でもご愁傷さま」
アイは吐き捨てた。
「水野愛は、もう売り物にならないわ」
嘗ての偶像には、もう一片の内蔵も一滴の骨髄も残っては居ない。
ただ、抜け殻だけが寂しく風に吹かれて居る。
俯いたアイを、幸太郎は静かに見つめていた。
「……確かに」
ぽつりと、幸太郎が言った。
「確かに、水野愛とウチの三号は瓜二つです」
アイは男の顔を見た。
その視線がどこに向けられて居るのかはわからなかった。
「ですが」
静かな湖面のような声が、アイの耳を打つ。
「それを売りにしたことは、一度もありません」
幸太郎は頑なな口調で言った。
まるで誓いか、約束を語る口ぶりだった。
「あ、貴方が」
アイの中で、稲妻が鎌首をもたげる。
腸が煮えくり返っている。
「貴方が勝手に思ってても、見てる人はそう思わない」
息も切れ切れにアイは言った。
最低限の体裁も整えられて居なかった。
「アンタがどう思おうとも、見てる人が不謹慎に思ったら不謹慎なの」
――――それが、アイドルだもの。
アイは幸太郎を睨みつける。
憎悪のこもった視線は、親の仇を見るかのようであった。
彼女の場合、自らの仇というべきであるが。
歪んだアイの視界には、幸太郎こそが己が不幸の化身のように映っていた。
理不尽に命を奪い、屍体を辱める怨敵の化身に。
「だとしても」
幸太郎の声に、アイの身体が震える。
その声色はどこまでも真っ直ぐであった。言葉の錫杖が胸の内にある暗雲を打ち据える。
「その誹りは私が引き受けるものだ」
幸太郎がアイを見据える。
「彼女には何の罪もない。当たり前のことです
「だから!! 言葉じゃどうとでも言えるって言ってんの!!」
アイの絶叫が響き渡る。
居酒屋の客がぎょっとしたように二人に視線を向け、店主が困ったように顔を顰めた。
「格好つけたところでアンタに出来ることなんて無いのよ!! 矢面に立つのはあの子!!」
もはや誰に憎悪を抱いているのか、誰を排除したいのか、何をしたくて、どこを目指しているのか分からない。
アイは手元のおしぼりを掴んだ。この仮面を剥いで、男に見せつけてやりたかった。
それを押し留めたのも、元アイドルとしての最後のプライドである。
手からおしぼりが落ちた。
「傷つくのは、舞台に立つ子よ……」
水野愛は、そうやって死んだのだ。
その死骸が貪られ尽くすのに、絶望したのだ。
アイは俯いた。膝を抱える子供のように。
「そうだ、俺には何も出来ない」
男が言った。
アイは、顔を上げて男を見た。
幸太郎は身じろぎもしない。
「それでも、生きることを彼女が選んだ」
だから何?
舞台に立たない私は死んだってこと?
怒りのあまり表情すら消える。
その眼前に、男は紙切れを差し出した。
「今度、ライブを行う予定です」
それは、チケットだった。
アイに差し出している。
「不謹慎という意見を、覆すだけの力があると確信しています」
それだけ言って、幸太郎は立ち上がった。
投げるように支払いを済ませ、彼は扉を引いた。
最後に一度だけ、アイへ振りむく。
「ご来場を心よりお待ちしております」
アイの耳に、扉が閉まる音が聞こえた。
月光も差さぬ暗闇の街を、アイは歩いていた。
三十年近く生きてきて、初めての感触だった。
気が触れそうなまでの怒りや憎しみが渦巻いているのに、その怒りをどこか冷静な自分が見つめている。
少しばかり、稲妻が収まっていた。
それは、あの男の決然とした態度に感心したからであろうか。
己のアイドルに対して、全幅の信頼を寄せる態度に。
アイドルの一番のファンは、そのプロデューサーである。とはよく言われるが、実際はそうでないことも多々ある。
水野愛の担当はそうではなかったが、アイドルを貯金箱程度にしか考えていないクズも確かに存在する。
巽幸太郎は、それらとは真反対のように見えた。
彼が彼女らを語る口ぶりには、利益や金銭の影が一切見えなかった。
勿論類稀なる演技、という事も大いにあるが、それでも目に見える点では、アイには男の態度が好ましかった。
「馬鹿馬鹿しい」
アイは笑う。
アイドルに真摯だから何だというのか。
私は、もうアイドルとはずっと距離を置いているのに。
口元を笑いの形に歪めながら、顔を上げて空を見る。
月がない夜で良かった。とアイは思う。
惨めな姿を、誰にも見られないで済む。
その瞬間、アイの中で神鳴が吠えた。
目線を戻し、アイはすぐさま内なる稲妻に耳を傾けた。
神鳴がなにかの気配を感じ、蠢いている。
アイは笑みを浮かべた。
先程までとは違い、歓喜の笑みであった。
稲妻が指し示す方向へ進むと、真っ暗闇の路地に、青く光る炎が見えた。
その側に、朧げな灰色の影。
影は愛の姿を認めると、長く鋭い爪を見せびらかす。
明らかに人の心を失っていた。
それを確かめたアイは、カバンを地面に下ろす。
そこにはいっていたものは、既に身につけている。
オルフェノクと同じように、アイは己の獲物を見せびらかした。
黄色いラインが特徴的な、携帯電話を。
「変身」
コードを入力し、携帯をベルトに押し込む。
稲妻が吠える。
アイは消え、そこには超戦士カイザが産まれていた。
木村沙耶は、三つのものをアイに与えた。
一つは、名前。
もう一つが、居場所。
そして、三つ目が超金属の戦士カイザになるためのツールであった。
恩師から受け取ったというそれを、遺書じみた手紙と共にアイに残していたのである。
気付けばそれを使い、夜な夜な人の心を失った同胞を狩り殺していた。
水野愛を隠す、厚化粧の仮面。
それを突き破りカイザの仮面を被る。
その瞬間だけ、アイは水野愛に戻っていた。
暗闇を切り裂く、プリマ・ドンナとして。
表舞台から引きずり落とされ、闇に葬られたアイにとってその瞬間こそ、自らが主役の大舞台であった。
星一つ無いこの夜で、自分だけが光でいられるこの瞬間こそ。
――――これがわたしだ。
闇夜を切り裂くこの姿こそが。
光をもたらすこの姿こそが。
園田真理が水野愛に戻れるこの瞬間こそ。
このわたしこそが、本当のわたしなのだ。
次回の異形の徒花は
幸太郎に誘われてアイドルのライブへ行くアイ
だが、奴は薄汚いオルフェノクだ
カイザの力を楽しんでいる奴が輝くアイドルに耐えられるはずもない
身の程を知ったほうが良いんじゃないかなあ?
次回 ゾンビランドサガ邪伝-異形の徒花- 第五話
「呪いと殺意」
どこだ、本当の真理は……!!
お楽しみに