「アイドルのライブ? 君が?」
勇治がアイをまじまじと見つめる。
隣で直也と結花が茶菓子を食べていた。太るぞ、とアイは思う。
既に帰宅し、仲間たちとリビングで寛いでいた。
あのオルフェノクは大した敵ではなかった。
アイは勇治の言葉に頷いた。
テーブルの上には、幸太郎から受け取ったチケットが置いてある。
「うん、チケット貰ったから」
「大丈夫なんか? 人混み嫌いだろ」
直也が、菓子を口に含みながら言った。
アイは首を横に振る。
「人混みの中にいる分には問題ないわよ」
前にいるのが問題なのだ。
向き合うことが、視線をぶつけられることが。
アイの言葉に、直也は「そんなもんか」とだけ言って意識を菓子に戻した。
結花は小動物のように小首を傾げている。
勇治だけが、心配げな口ぶりだった。
「おれも一緒に行こうか」
アイは笑った。
「止めてよ、子供じゃあるまいし」
ゆるゆると首を振り、勇治の提案を断る。
姉と弟くらい歳が離れている勇治に保護者をされるというのは、なんとも居心地が悪い。
それを聞いた直也が、手を頭上に突き出した。
「俺様が一緒に行ってもいいぞ。かわい子ちゃんを見に行くのは大歓迎だ」
アイは親指で首を掻き切る動作をした。
「知り合いと思われたくない」
「ひっでえ」
結花がクスクスと笑っている。
アイは手に持っていたウエットティッシュで、丁寧に顔を拭く。
今日も私は水野愛を持っていられた。
端末に水野愛の顔を納めると、アイは電源を切る。
「とにかく、一人で十分」
「なら良いんだけれど」
尚も不安そうな勇治を後目に、アイはテーブルのチケットを見つめる。
思い浮かぶのは、遮光眼鏡をかけた男の顔だ。
――――化けの皮を剥いでやる。
アイは、ぺろりと上唇を舐めた。
まさか佐賀にちゃんとしたライブ会場があるとは思いませんでした。
失礼な事を思いながら、アイは会場を見回した。既に多くの人で犇めいている。
その人数の多さもまた、想定外であった。
洪水ん時のチャリティーライブで、人気が爆発したんだっけ。とアイは記憶を掘り起こす。
一年ほど前に佐賀を襲った大洪水。
その最中行われたチャリティーライブでフランシュシュは、その認知度と人気を大きく広げた。
勿論爆発と言っても佐賀の中でのことであり、その面積相応の規模である。
因みに佐賀は全国四十二番目の面積を誇る都道府県であった。
アイは周りを見回す。
この人混みの中、ライブ開始まで観客席に居るのは少々苦痛だ。
入口近くの街灯により掛かると、アイはイヤホンのスイッチを入れた。
端末を操作し、動画サイトのおすすめ欄にある適当なサムネイルを押す。
電子音のメロディーがイヤホンから流れ、そこに女性の歌声が混ざる。
TikTokからバズったやつだっけ、とアイはぼんやり考える。
この十数年で色々なものが変わった。
どんな人間でも、動画サイトに投稿をしてそれが流行ればテレビに出られる時代だ。
いや、インターネットの台頭により人々のチャネルは無限に増え、もはやテレビですら流行のステータスではなくなって居る。
多くのコンテンツが溢れかえり、バズり、消費され、打ち捨てられていく。
底の空いたバケツが如くコンテンツを無限に貪るのだ。
感動が飽和し、意味が消えていく。
一口だけ食べた料理をどんどん捨てていく。
愉快な時代だとアイは思う。
こんなにも宝石が満ち溢れているのに、まだ腹が飽いているのか。
――――そうやって忘れていくのね、アンタ達は。
軽快でキャッチーな音楽に、ノイズが走る。
――――殺せ、殺せ、殺せ……――――
アイは次のプレイリストへ移った。
しかし、ノイズは途切れることなく囁く。
人を殺せ、この種を食い殺せと。
それがオルフェノクの本能による誘惑であることを、なんとなく理解していた。
文字通り悪魔の囁き。その発露の仕方は人それぞれであった。
直也と結花についてはよく分かっていないが、勇治などは携帯電話の着信としてその発露を受け取っている。
アイは、音楽や神鳴として。
音楽を聞いていると稀に、いつの間にかニンゲンの歌声が死神の合唱へとすり替わってしまっているのだ。
イヤホンのスイッチを切って、目を閉じる。
どうして、こうなってしまったのだろう。
コレでは、歌の練習もできやしない。
開始時間ギリギリに会場に滑り込み、人混みの端に立つ。
キャップを目深に被り、スイッチを切ったイヤホンを耳に突っ込んでいる。
それでも強化されたオルフェノクの聴覚には、隣の人間の心臓の鼓動が時計の駆動音のように聞こえていた。
やがて、ライブが始まった。
最初に舞台に出たのは、フランシュシュ一号を名乗る少女だった。
柔らかな方言と、コロコロ変わる表情、桜色の美しい髪。
今まで全く彼女に対して注意を注いでいなかったが、こうして実際に生で見ると成程、可愛らしい。
アイは少女に好感を抱いた。
方言女子はニッチだから、アイドルとしてはマイナスだけれど。と心のなかで採点することも忘れない。芸能人採点はアイの密かな趣味であった。
一号の登場を皮切りに、少女達が舞台袖から飛び出してきた。
その中には、あの三号も居る。
アイはイヤホンを外した。
彼女たちの舞台が始まる。
はっきり言ってしまえば、素晴らしかった。
オーソドックスなポップ、ラップ、ロック……。
こうも多種多様なジャンルを一度のライブで行うグループなど、中々聞かない。
彼女たちに確かな実力があることを、アイは理解してしまった。
同時に、自分の愚かさも。
こうやって実際に歌声を聴くまで、敵視していながら彼女たちの実力を見ようともしなかった自分が、あまりにも愚かしかった。
情報を食い散らかすニンゲンと、何も変わらないではないか。
彼女たちの歌声が、殺戮を望むコールに変わることを望んでみても一向にそれらが現れることが無かった。
代わりに、身体の内に住む神鳴が吠える。
――――殺してやる。殺してやる。殺して……――――
アイは少女達の歌声を背に、会場を去った。
ホールに出て、自動販売機の横にあるベンチへと座った。
顔を上げる。うつむけば、涙がこぼれてしまいそうだった。
惨めだった。
悔しかった。
あの遮光眼鏡の男、目的がアイを黙らせることならば、随分と的確な攻撃をしてくれた。
惨めで、悔しくて、悲しくて息が苦しい。
このまま息が止まってしまえばいいのにとすら思う。
どうして、どうして私は――――……。
そこでアイは、近くに気配を感じた。
誰だかは、直ぐにわかった。
「どうでしたか」
巽幸太郎が、影法師のように立っている。
アイは天井を見たまま答えた。
「素晴らしかったです」
幸太郎は言葉を返さなかった。
ただじっと、アイを見つめているような気がした。
「ごめんなさい。ライブを途中で抜け出して」
アイは言った。
「ただちょっと、人混みが苦手なんです。ずっといると、目眩がするって言うか」
嘘ではなかった。この憔悴の理由の半分ではあるのだから。
怪物の殺戮本能は、抑えるのに苦労する。
それを聞いた幸太郎は、しばらく押し黙った後、徐に頭を下げた。
「すみませんでした。無理やりチケットを押し付けてしまい」
アイはそこで初めて幸太郎に視線を向けた。
男のつむじが、くるりと螺旋を描いている。
「別に、大丈夫です」
早く幸太郎に去って欲しい。
それで、無謀な喧嘩を売ってきた女のことなど忘れて欲しかった。
忘れられたくないと願っていたくせに、本当に身勝手な話だ。
しかし、どれだけ願っても幸太郎は去る気配を見せない。
それどころか、するりとアイの隣に座ってしまった。
何がしたいんだろうか、この人は。とアイは思った。
喧嘩を売ったことを、謝って欲しいのだろうか。
「私も、昔アイドルだったんです」
気付けば、そんな事を口にしていた。
「ほんのすこしの間だけ。色々あって、辞めちゃったけれど」
辞めさせられてしまったけれど、アイは確かに水野愛だったのだ。
アイの言葉を、幸太郎はただじっと聞いている。
「その色々のせいで、人前に出ることも、歌の練習も出来なくなったけれど」
――――私はそれでも、アイドルだったんです。
何をしているのだろう。とアイは思った。
どうして私は、ほとんど初対面の人に、こんな事を話しているのだろう。
こんな、惨めったらしいメンヘラの腐った様な、泣き言を。
「……なんとなく、そうだと思っていました」
幸太郎が、小さく呟いた。
アイは俯く。
「うやらましかった」
本当は、ただそれだけの話なのだ。
同じ顔をしているはずなのに、一方は光を浴びて一方は闇に沈んでいる。
闇の中で見る光は、とても眩しかったのだ。
どうして私じゃないんだろう。私だって頑張ってきたのに。
失敗や後悔を乗り越えて、その先に誰にも負けない自分が居ると信じた少女は死んでしまった。
失敗や後悔は乗り越えられても、不運と呪いには勝てなかった。
敗北した少女は、いつしか何者でもない女へと変わってしまった。
どうして負けてしまったのだろう。
私の何が悪かったのだろう。
毎晩考えて、一度も答えを出すことは出来なかった。
「私だって、頑張ってきたんです。ファンも出来てこれからだっ、て時に」
どうして死んでしまったのだろう。
どうして蘇ってしまったのだろう。
死んでしまうのはまだ良かった。だけれど、蘇るのはダメだ。
こんなに惨めになってしまったじゃないか。
バッドエンドのエピローグなんて、只々辛いだけだ。
「何がダメだったの?」
なんで私はこの人にこんな話をしているのだろう。
冷静な部分が考える。
それがますます惨めにさせた。
ぼたりと、膝にしずくが落ちた。
隣りに座っていた幸太郎が立ち上がる気配がする。
ああ、愛想を尽かされてしまった。
悔しさと、小さな安堵が心の内に湧き上がった。
ガチャン、と自動販売機が動く音がした。
「どうぞ」
幸太郎が、アイに缶を差し出していた。
呆然と、アイはそれを見た。
温かい缶コーヒーを押し付けると、再び幸太郎は隣に座る。
そして、ポツリと言った。
「運でしょう」
アイは、目を瞬かせた。
幸太郎は、隣に視線を向けずに言葉を続けた。
「どんなに才能があっても、努力しても、準備しても、不運の一つでひっくり返される」
それは残酷な真実だった。
どれだけ努力したって、願ったって、夢を見たって。
神様がふったサイコロ一つで、台無しになるのなら。
私たちはどうして、産まれ落ちてしまったのだろう。
「ですが」
だが、幸太郎は言葉をつなげた。
「まだ命があるなら、立ち上がれる。立ち上がれば、マイナスはゼロになる」
アイは幸太郎の言葉に、微かな熱情を感じた。
希薄というよりは、無理やり押さえつけているような声色だった。
「その為に俺は、フランシュシュを作ったんだ」
そういえば。とアイは思い出す。
そういえば、フランシュシュが歌うのは、どれも復活とリベンジの曲だったと。
アイは幸太郎を見た。
幸太郎はどこか遠くを見つめていて、やがてハッとした顔をする。
彼は小さく頭を下げた。
「……妙なことを言ってしまい申し訳ありません」
アイは首を振った。
そんなものは、お互い様なのだから。
「随分と気が楽になりました」
アイは立ち上がる。
嘘ではなかった。
同情も説教もしない幸太郎の態度が、アイにとっては好ましかった。
「運が悪かったなら、仕方ないですよね」
小さく笑う。
笑っていないと、また涙が溢れそうだった。
幸太郎も立ち上がり、アイの被っているキャップに手をかけて、優しく下ろした。
「メイクが崩れた顔を、アイドルが見せるものじゃない」
「元、です」
「これから先は分からない」
アイは幸太郎の顔を見た。
その顔に微塵の疑いもない。
万人に未来が開けているのだと、信じ切っている顔だった。
そうしてやろうと、思ってすらいそうな顔だった。
対する彼の遮光眼鏡に映る自分は、メイクがぐちゃぐちゃになっていて、泣きはらしていて。
それでも、中々悪くない表情をしていた。
「今日は、ありがとうございました」
アイは手を差し出した。
立ち上がった幸太郎が、その手を握る。
節くれだった、硬い掌だった。
「とても、良かったです」
大きく息を吸って、吐く。
「それでですね、あの」
アイは上唇を舐めた。
「お礼に、お食事でもどうでしょうか」
「……ん?」
ようやく幸太郎が、困惑した顔を見せた。
次回の異形の徒花は
純子です。
なんだか巽さんの様子がおかしいです。
彼の調子が悪いと、私達まで迷惑を受けてしまいます。
ですので、フランシュシュ一同で付けてみようと思います。
次回 ゾンビランドサガ邪伝-異形の徒花- 第六話
「ウキウキとランラン」
息をひそめるのは得意です。もう息してませんから。
お楽しみに