異形の徒花   作:天乱々

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はしゃいでごめんなさい
喜んでごめんなさい
生きていてごめんなさい


第八話:夢と忘却

 その日は遅かったので、連絡先を交換したのち愛と園田真理は日を改めて集まることとなった。

 愛はメールで送られてきた住所に向かう。そこは佐賀では珍しい高層マンションの上階だった。顔を上げて建物を眺める。ほんの一瞬、気後れするがその思いを無視し、愛は番号を押した。

 

「いらっしゃい」

 

 シャツにジーンズというラフな格好をした園田真理が、愛を出迎えた。対する愛は屋敷のドレスルームから適当に見繕った服を着ていた。普段着にしている生前の制服を園田真理に見せるのは、気分的に避けられた為である。

 高層マンションらしく落ち着いたリビングに通された愛は、テーブルに着いた。しばらくして、園田真理が緑色の液体を注いだコップを持ってくる。

 

「これ、オススメ」

 

 得体のしれない液体をじっと見つめる愛に、園田真理はにっこりと微笑んだ。愛は彼女を表情を観察する。嘘をついているようには見えない。

 

「甘いエナドリなんかより苦い青汁のほうがずっとシャキッとするもんよ」

 

 なるほど、一理あるかもしれない。愛は恐る恐るグラスに口をつけ、液体を口に含む。

 地獄のような味が口の中に広がった。

 一口で飲むのを止め、愛は園田真理を睨みつける。彼女は平然とそれを飲み干していた。

 愛は睨むのを止めた。

 

「さて、何から話そうかな」

 

 園田真理はちらりとテーブルの端を見た。

 そこには、重々しいスーツケースが鎮座している。

 

「そうね、まずはあれについて話すわ」

 

 昨日、彼女が変身した超戦士。その名前を、カイザと呼ぶらしい。名前の由来はギリシャ文字のχから取ったらしいが、その名づけの意図が分からない。水野愛はそう言った少年のロマンを全く介さない女であった。

 カイザシステムはオルフェノクを滅ぼすために作られたのだと、園田真理は言った。それ以上は彼女も分からないようであった。どうやら、これらはもともとの所有者から譲り受けたものらしい。

 苦み走った液体に口をつけ、愛は尋ねた。

 

「警察に届け出ることはしなかったんですか」

 

 愛の疑問に、女が目を瞬かせた。全く考えたことがなかった、とでも言いたげであった。

 

「考えたことなかったわね」

 

 実際、彼女は愛の思っていた通りの言葉を言ったのである。

 

「あの子の遺産だったし、それに――――」

 

 ――――だれが、信じてくれるって?

 

 愛はそれ以上聞かなかった。一応、道理は通っていたからだ。嘘を言っているようにも見えない。

 

「では、なんでカイザになって戦おうと?」

 

 女はにっこりと笑った。

 

「人の夢を守りたかったから」

 

 ああ、嘘だ。

 愛ははっきりとそう感じた。

 

「夢を叶えるのって、命あってこそじゃない? だからかな。私が夢を叶えられなかったから、なおさらそう思うのかも」

 

 なんてこんな白々しい嘘を、この女は吐くことができるのだろうか。どうしてこの女は笑顔で心にもないことを言えるのだろうか。

 まるでアイドルみたいだ。そう思いかけて、止めた。

 それは余りにもアイドルという存在への侮辱のように感じた為だ。

 愛の警戒に、園田真理も気付いたらしい。まるで以心伝心だ、と愛は思った。

 

「まあ、私のほうはどうでもいいとして」

 

 女は手袋をつけた指先で、テーブルを叩いていた。

 

「あんたの方は? 随分と落ち着いてるけど」

 

 探りを入れるような物言いだった。実際入れているのだろう。確かに、愛は初めてオルフェノクを見るにしては異様に落ち着いているように見えるだろう。実際初めて見たわけではないのだから、その通りなのだが。

 ここからが正念場だ、と愛は思った。少しでも情報を引き出さなければならない。確実に、カイザと赤い閃光の騎士には関係があるのだから。

 愛は、上唇をぺろりと舐めた。

 

「実は、オルフェノクを見たのは昨日が二度目で」

 

「二度目?」

 

 園田真理が、愛をじっと見つめる。その目が僅かに鋭くなっていた。

 愛は初めてオルフェノクに出会った時のことを、包み隠さず話した。ここで嘘を吐く理由は一つもない。その代わり、話しながら愛は注意深く女の様子を伺った。特に、赤い騎士の下りは入念に。

 そして話が赤い騎士の下りに入ったとき、園田真理は少しだけ眉根に皺を寄せた。

 やはり何か知っているようである。

 

「だから、驚かなかったんです」そう言って愛は話を締めくくった。

 

 園田真理は、少し考え込むようなそぶりを見せたのち、言った。

 

「――――ファイズ」

 

「……ファイズ?」

 

 問い返す愛の言葉に、園田真理は頷いた。

 ファイズ。

 なるほど、奇妙な名前だが、妙にしっくり来た。確かに、あの騎士の名前はきっとファイズというのだろう。

 

「私も人伝手――――これをくれた子経由でしか知らないけど」

 

 女は、上唇を舐める。

 

「カイザの後継機……いわゆる安定版? て奴らしいわ」

 

 後継機、園田真理はそう形容した。なるほど確かにカイザよりも、ファイズのほうがずっと洗練されているように見えた。自動車が十年の間に、随分と可愛らしくなってしまったように、きっとそう言った流行り廃りというものがあるのだ。

 

「知ったときはまだ開発段階っぽかったけど、時間が経てばそりゃ完成するか」

 

 女がぼそりと呟いた言葉に、愛は思う。

 この人は一体どれくらいの間、戦い続けてきたのだろう。

 この人は、一体どれくらいの命を灰にし続けてきたのだろう。

 この女はどれほど暗い闇の中で、ただ一人のプリマ・ドンナとして偽りのスポットライトを浴び続けてきたのだろうか。

 

「とにかく得体のしれないやつだし、気を付けなよ」

 

 顔を上げた園田真理が言った。得体のしれないのはお前も同じだ、ということは無かった。そこまで愛は品性を投げ捨てるつもりは無い。

 だが、ファイズを警戒するような彼女の言葉を、そのまま信じる気にもなれなかった。

 その言葉から滲む感情には、警戒とはまた別のものが込められているような気がしたからだ。どちらかといえば、感じるのは不満。お気に入りのおもちゃを取られた子供が見せるような……。

 

「ま、それは置いといて」

 

 女は、すぐにファイズから意識を逸らした。彼女にとっては、次の話題のほうが重要なようであった。

 

「せっかく命の恩人なんだし、恋路に協力してくれても罰は当たらないんじゃない?」

 

 命の恩人ね、もう死んでるけれど。

 そう言いそうになった口を閉じ、愛は園田真理を見た。

 恋路、と女は言った。相手は誰だか予想はつく。

 

「どうしてあの人なんですか」愛は呟くように言った。

 

 園田真理は、愛を見つめ返す。

 

「どうして? って」

 

「ほかにもいっぱい、いると思いますけど」

 

 巽幸太郎は、確かに一種の傑物ではある。それは愛とて認めるところだ。

 だが、それが女性の目に魅力的に映るかというと疑問符が付く。

 年がら年中遮光眼鏡をかけ、明るい色のスーツを羽織り、じゃいじゃいじゃいじゃい唱えている。この様な男の何処に惹かれたのだろう。

 

「私は、あの人より真面目な人を見たことないけど」園田真理が言った。

 

 愛は、信じられないものを見る目つきで女を見た。園田真理は、にこやかに微笑んでいる。先ほどまでの愛想笑いよりは、随分と見れる笑みであった。

 

「真面目? あれが?」

 

「何?」

 

 愛の問いかけに、女は小首を傾げた。これで自分と同じ顔でさえなければ、まだ微笑ましく見れたのに。と愛は思う。

 

「真面目っていうなら、木場さんとかもそれっぽいですけど」

 

「勇治が?」園田真理がにやりと笑う。

 

 そして、そのままくっくっと笑い声を上げた。それがやっぱりどうにも気に食わない。クールを売りにしている自分がしないであろう表情をコロコロと見せる。自分のようでまるで自分ではない存在に怖気が走る。

 

「アイツは確かに堅物だけどさ」

 

 園田真理は机に立てかけていたペン立てから付箋を取り出して、ペンを走らせる。

 そこには「真面目」と漢字で書かれていた。

 

「真面目って要は『真正面から見てる』ってことでしょ」

 

「……それが」

 

「つまり、違う場所からいくら真っすぐものを見てても、私にとっての真面目にはならないってわけ」

 

 女の言葉を、愛は頭の中で半数する。そして、自分なりにかみ砕いた解釈を口に出す。

 

「自分が好きなものを好きな人が好き?」

 

「そういうこと」

 

 ごくごく当たり前のことであった。

 確かに、人は自分を肯定してくれるものが好きだ。それが自尊心を満たしてくれる。

 巽幸太郎は、その目的は何にしろアイドル活動に対して真摯だ。能力もある。それを好きになる、というのは不思議では無いことなのかもしれない。

 

「どうしたの?」

 

「……いや、別に」

 

 自分の中に浮かんだ、嫌な思考を打ち切るために顰めた顔を見られてしまった。愛は誤魔化す為にそっぽを向いた。

 

「で、アシストって何すればいいんですか」

 

「そうね」女は紙切れを取り出した。

 

 それは、菊池クリーニング店の名刺だった。

 

 

 

「今日はよろしくお願いします!」

 

 菊池クリーニングにて、さくらが啓太郎に頭を下げた。

 フランシュシュのフルメンバーと幸太郎、園田真理達と啓太郎が一堂に会している。

 

「いやあ、こちらこそありがとうね。みんなのサイン貰っちゃって」

 

 啓太郎の視線の先には、七人分のサインが額縁に入れられて飾られている。

 フランシュシュの端でジュースを啜っていた愛に、園田真理が話しかけてくる。

 

「や、三号ちゃん」

 

「……どうも」

 

「……いつの間に仲良くなったんでしょうか」

 

 呟く純子の声を、意図的に無視した。

 園田真理が語ったシナリオはこうだ。

 

『結花に恋する啓太郎を出汁にしよう』

 

 園田真理は啓太郎の恋を応援しようと、バーベキューパーティを画策した。しかし身内四人組に啓太郎一人だけ突っ込むのは余りに不自然。というわけで偶々再会して偶々仲良くなった愛がそれをサポートする。

 

『園田真理と愛達の懇親会する場所を啓太郎に貸してもらう』というのが表の理由。

『それを理由にして啓太郎と結花の仲を深めさせる』というのが裏の表の理由。

『そうして幸太郎と縁を持ちたい』というのが園田真理の理由であった。

 

 なんともややこしい話である。

 難航すると思われた幸太郎の勧誘は、意外と簡単であった。

 いつも格安でクリーニングをしている啓太郎への義理を果たそうとしたのかもしれないし、園田真理への警戒が解けていないのかもしれない、はたまた何も考えていないのかもしれないが、愛は気にしないことにした。彼女の仕事は幸太郎をフランシュシュごとここに連れてきた時点で終わっているのだ。

 

「うおっすげえ!! 肉だぜ肉!!」

 

「サキちゃん……」

 

 やけくそのように積まれた肉や野菜に、目を輝かせるサキ。それを冷ややかな目で見つめていたのはリリィだ。「コイツ……」と微かに愚痴が聞こえたような気もするが、愛は気にしないことにした。

 

「あの、園田さん……本当に良かったんですか? 全部買っていただいて……」

 

 純子が肉の山をちらりと見た後、園田真理へ上目遣いの視線を向ける。女は、にっこりと笑う。いつも通り、愛にしか胡散臭いと感じられない笑みだ。

 

「良いの良いの、お金使う趣味もないから溜まってくだけだし」

 

 園田真理が、愛に目配せをする。愛は務めて棒読みにならないよう言葉を紡いだ。

 

「真理は結構いいとこの美容師なんだってさ」

 

「へえ……すごか~……」

 

 さくらが感嘆のため息を吐いた。たとえ園田真理がどんな職業であっても同じことをするだろう。人懐っこいのが彼女の長所だった。たまにおかしくなるが。

 

「デートを決めたい時はウチに来てよ。一号ちゃんなら従業員割引効かせてあげるから」

 

「そこは市民的なんですね……」

 

「職権乱用っていうんだよ」

 

「あはは、六号ちゃんは厳しいね」

 

 園田真理はニコニコと笑っていた。まるで愛自身がフランシュシュの輪に入って談笑しているように見える。居心地が悪くなった愛は、同じく輪の外にいる幸太郎を探した。

 幸太郎は勇治と歓談していた。

 

「木場さんは学生でしたか」

 

「栄能大学の建築学部です」

 

「ああ、大企業が出資してるあの……」

 

 普段の幸太郎からは考えられないほど、勇治と静かに語り合っている。少しばかり愛が驚いていると、直也が二人に絡んでいった。

 

「やべーんだよコイツ。いつもいつもいつも試験勉強試験ベンキョでよ」

 

 直也は指先で首を切る動作をした。もとより愛は直也が優等生だとは思っていなかったが、彼は予想ド直球のテンプレート勉強嫌いらしかった。直也のお道化た姿に、幸太郎が苦笑する。

 

「大学生は勉強が本分でしょう」

 

「お、木場と同じタイプか? 真面目だねえ」

 

「いや、私は……」

 

 直也の問いに、幸太郎は僅かに顔を逸らす。それを見た直也が、にやりと笑った。不思議といやらしさの感じない、遊び仲間を見つけた少年の様な笑みだった。

 

「お前もドロップアウト組かあ」

 

 直也がひらひらと左手を振る。愛はその動きがほんの少しだけぎこちないことに気付いた。怪我か何かだろうか。

 

「未来のジミヘンって言われてたんですがねえ」

 

 遠くを見るような視線だった。ジミヘンがなにかは愛にはわからなかったが、幸太郎は何かに勘づいたようだった。

 

「……残念です」

 

 そう小さく呟き、直也の左手から目を逸らした。それが幸太郎なりの誠実さなのかもしれない。繊細で残酷な優しさであった。

 直也は右手をひらひらと振り、苦笑いをした。しんみりとした空気は嫌なのだろう、そのまま右手で啓太郎を指さした。

 

「アイツも大学出てるようには見えねーし、高卒トリオだな」

 

「……」

 

 幸太郎は沈黙を保ったまま、啓太郎へ視線を向けた。

 どうやら、結花と出会ってから一週間かそこらで必死に手話を覚えたらしい。それを恐る恐る結花に披露していた。時々間違えるのを、結花の傍らに座るゆうぎりが優しく訂正する。

 流石は伝説の花魁、手話を覚えるのも彼女にとってはたやすい事らしい。

 結花とゆうぎり、人外の美貌を持つ二人に挟まれて、啓太郎の顔は真っ赤を通り越して赤黒く変色していた。羨ましい状況は境を過ぎると哀れさへと転化することを、愛は初めて知った。

 そのまま視線をスライドさせると、園田真理とさくら達が肉を焼いている光景が見えた。適当に肉を並べるサキを、リリィが必死にフォローしている。

 さくらと純子は肉を狙うたえをなだめつつ、園田真理と歓談していた。

 

「私一目見て一号ちゃんのファンになってさあ」

 

「ほ、本当ですか?」

 

 顔を赤くするさくらに、園田真理が笑って手を振った。随分と、リラックスしているようだった。

 

「ホントホント、最初は聞きなれなかった方言も聞いてるうちにどんどん可愛く感じて」

 

 その感想に、純子が云々と相槌を入れる。

 

「一号さんは柔らかい口調ですからね」

 

「二号ちゃんとは違ってねー」

 

「オイチンチクぶっ殺すぞ」

 

 リリィの言葉に、サキが腕まくりをして威嚇する。その隙にリリィは肉を一つ食べてしまった。

 

「あってめぇ」

 

 いよいよキレたサキが、リリィを睨みつけた。そこに、園田真理が笑って焼いた肉を乗せた皿を差し出した。

 

「こっちにあるって」

 

「あ、ウッス……」

 

 すっかり毒気を抜かれたサキは、小さく頭を下げて皿を受け取った。どうやら、園田真理は随分とフランシュシュに馴染んだらしい。

 まるで自分の代わりに入り込まれたようだ。と愛は思う。

 僅かな疎外感を感じながら、愛は適当に焼いた肉を口に入れる。そこに、勇治がやってきた。

 

「余り面白いことでは無いだろうけれど。許してくれないか」

 

 愛は男の顔を見た。勇治は大真面目に言った。

 

「彼女、ずっと寂しそうだったから」

 

 勇治の視線は園田真理に向けられている。静かな、とても静かな視線だった。

 

「寂しそう?」

 

 愛の言葉に、勇治が頷いた。

 

「ずっと昔に、夢破れたんだってさ」

 

「夢」

 

 その単語を、舌にのせて転がした。

 馴染みの無い味だった。いつだって愛にとっては、叶えるものは「目標」だったから。

 

「病気で叶えられなくなった夢を、彼女はずっと捨てきれずにいたんだ」

 

 だけど、と勇治は続ける。

 

「おれ達は彼女に助けられるばかりで、彼女の為に何もしてやれなかった」

 

 愛は勇治を見た。彼の顔は心底悔しそうな表情をしていた。

 真っすぐだ。と愛は思った。

 だけれど、それはきっと、園田真理が見ている方向からは少しだけ傾いているのだろう。

 だから彼は、真面目ではないのだ。

 少なくとも、彼女にとっては。

 愛は再び少女たちに視線を向けた。一通り幸太郎と話した直也が、純子たちにちょっかいをかけている。

 

「ちゅーか四号ちゃん、タンって牛の舌なの知ってる? ベロだよベロ、なんで塩タンとか塩ベロって言わないんだろうね。タンってなんか汚いじゃん、ベロのほうが上品だよ上品、ほら、ベロベロ~」

 

「……一理ありますね」

 

「いやねえよ」

 

 直也の適当な戯言を真に受ける純子に、リリィが突っ込みを入れた。それを横で聞いていたさくらが、タン塩を盛った皿を直也たちに差し出した。

 

「はい、塩ベロですよ~」

 

「お、一号ちゃんはノリ良いねえ」

 

 褒めたんだかそうでないんだかわからない直也の言葉に、さくらは「えへへ……」と照れて頭をかいた。

 その隣で、啓太郎は相変わらず生きているんだか死んでいるんだか分からない顔色で手話を繰り返している。

 ゾンビィとなってから味わったことのない感覚を、愛は覚えた。

 何処かふわふわとして、つかみどころのないそれは。

 それでも、きっと嫌いではない。

 

 

 

 そろそろ肉の山も人の腹へと消えていったころ、クリーニング屋に併設されている啓太郎の家へ侵入した直也が、ギターを持ってきていた。

 

「誰か腕に覚えのあるものはおらんか」

 

 戦国武将のような口調で、直也が言った。

 愛達は一斉に純子に視線を向ける。

 フランシュシュで、ギターが弾けるのは彼女だけだった。

 純子は恥ずかしそうに、しかし迷いなくギターを受け取った。此処で引くようなものが、アイドルをやっている筈もないのである。

 純子は少しだけギターの調整をすると、そのまま弾き語り始めた。

 ギターの柔らかな音色に、彼女のキリリとした歌声が合わさる。

 それは死にかけていた啓太郎ですら現世に呼び戻してしまう力を秘めていた。まあ当の純子は死んでいるのだが。

 一曲丸まる弾き終わった後、ようやく純子は弦から指を離した。

 瞬間、拍手が鳴る。

 特に強く手を叩いていたのは園田真理だった。その興奮ぶりは、水野愛を目の前にした源さくらに勝るとも劣らない。

 勇治も結花も満足げに頷いている。直也もニコニコと笑って。

 

「いや、腕に覚えって言ったのになんで歌っちゃうのよ」

 

 手を大きく交差させた。一般的に落第のサインである。

 純子がガチンと固まった。自信があった分、その評価は堪えたのだろう。プライドが高くなければアイドルなど出来はしない。

 直也の意外な評価にフランシュシュはもちろんの事、仲間であるはずの三人でさえ彼を睨んでいた。

 

「ふふ……」

 

 一人だけ、静かに笑う幸太郎を除いては。

 

「幸太郎さん?」

 

 さくらが信じられないものを見る目で幸太郎を眺めていた。それに気づいた幸太郎が、笑みを抑えて静かに呟く。

 

「これは一本取られたな、四号」

 

 それでもなお、いつもの巽幸太郎とは随分と違う雰囲気だった。まるで別人のようで、しかし確かに巽幸太郎だと断言できる雰囲気。

 彼は、誰なのだろう。

 巽幸太郎か、それとも。

 純子は何度か瞬きをすると、徐にギターを幸太郎に差し出した。

 

「でしたら、巽さんが取り返してくださいね。一本」

 

「……はあ?」

 

 差し出されたギターを、幸太郎は眉を下げて見つめた。そのまま視線を巡らせると、期待しているような面々の顔が見えるのだろう。一歩、幸太郎が後ずさった。

 

「たつみ前作曲したとき弾いてたよね?」

 

 リリィの言葉に、園田真理が納得の声を上げる。

 

「フランシュシュの歌、何処を見ても作詞作曲者が書かれてなかったけどそういうことだったのね」

 

 二人の言葉に、一同が期待を込めた視線を幸太郎に送る。

 特に、直也はすっかりその気の様だった。

 

「なんだよ、水くせえなあ。俺様とお前の仲なのに」

 

 いつの間にそんな仲へ進展したのだろうか。

 とにかく、純子と直也がぐいぐいとギターを押し付けるものだから、とうとう幸太郎が折れてしまった。これも珍しいことだった。

 彼はフランシュシュの前ではいつもお道化て逃げ出してしまうから。

 

「……少しだけ」

 

 少しだけため息を吐いて、幸太郎は指を動かし始めた。

 その後に見た光景と、聞いた音を、愛は永遠に思い出すことは無いだろう。

 そうしなければ、その時に抱いた感情の置き場に困ってしまうだろうから。

 

 

 

「やるじゃないか」

 

 愛が憶えているのは、ぼそりと呟かれた直也の言葉からだった。

 

「なんだよ、お前も音大かよ」

 

 右手でバンバンと、幸太郎の背中を叩く。

 幸太郎は困ったように笑った。

 それも、初めて見る顔だった。

 

「親がそういう仕事についていただけだ」

 

 初めて聞く話だった。

 いや、そもそも。

 幸太郎が自分のことを話すのも、初めてと言って良かった。

 何年も一緒に活動してきたのに。愛が幸太郎の話を聞いたのは、その日が最初だった。

 フランシュシュの全員が見たことのない顔で、巽幸太郎の顔をした誰かを見つめている。

 それに気づかない幸太郎は、ちらりと直也の顔をみて、言い訳のように付け足した。

 

「確かに、一時期死ぬほど練習はしたが……」

 

「なんでだよ。言ってみろ」

 

 直也の言葉に、幸太郎は躊躇う様子を見せた。

 しかし、直也の持つ不思議な雰囲気に惹かれたように、ポロリとこぼす。

 

「ギターはモテるって、聞いたからな」

 

 瞬間、愛の腹の底がカッと熱くなった。その熱はすぐさま顔まで届き、愛の死んだはずの体温さえも蘇らせようとする。

 酷く恥ずかしかった。

 他人の裸を見てしまったかのような罪悪感と羞恥。

 そして背徳的な熱が、愛を駆け巡る。

 きっと、ほかの少女たちも同じなのだろう。

 それを知らない直也はガハハと笑う。

 

「ああ、モテるぜ。ギターは」

 

 ニコニコと、本当に嬉しそうに笑っていた。

 余りにも嬉しそうなものだから、幸太郎も苦笑を微笑みに変え。

 

「――――」

 

 フランシュシュを見て、全ての表情を零にした。

 

「……おい? どした?」

 

 余りの急激な変化に、流石の直也も気付いたようだ。幸太郎に心配の声をかける。

 幸太郎は、直也にギターを押し付けるように渡した後、小さく首を振った。

 

「これで終わりだ」

 

 その声色は、冷え切ってしまっていた。

 まるで、全ての熱を愛達に分け与えた代償だとでも言うのだろうか。

 

「いやいや、もう一曲弾いてくれよ」

 

 直也は食い下がる。

 左手を幸太郎に向かって突き出した。

 

「コイツに免じて、な?」

 

「……俺が弾いたところで、貴方の手が戻るわけじゃない」

 

 幸太郎はよろよろと、幽鬼のように直也から離れようとする。

 その手を、直也の左腕ががっちりとつかまなければ、きっと彼はどこかへ逃げ出してしまっていただろう。

 

「だけど、呪いは解ける」

 

 いつもの飄々とした声が、嘘のように静かな声色だった。

 お前、知ってるか。幸太郎の手を握ったまま、直也は続ける。

 

「夢ってのは呪いと同じなんだ」

 

 呪いを解くためには、夢を叶えるしかない。

 

「それが出来ない奴は、永遠に呪われたままだ」

 

 その言葉が、それこそ呪いのように愛の心に染渡った。

 夢は、呪い。

 

 だとすれば、夢を追い続ける私たちは――――。

 

「だから、おれに解いてもらおうと?」

 

 同じく静かに、幸太郎が答えた。

 しかし、同じ静かと言っても、その声は鬱々としたものである。

 

「だったら、もう一つの呪いの解き方を教えてやる」

 

 ゾッとするような声色で、巽幸太郎は言った。

 

「忘れればいいのさ」

 

 絞り出すような声だった。

 握りしめた掌から流れ落ちる、一滴の血液のような言葉だった。

 これもまた、初めて見る巽幸太郎だった。

 対する直也は、悲しげに笑う。

 

「忘れられる物を、夢だって?」

 

「人に託せる程度の物なら同じでしょう」

 

 二人が、静かに睨み合う。

 

「なら」

 

 そこで初めて、二人以外の声がした。

 園田真理だった。

 

「別の呪いをかければいいんじゃない?」

 

 その時、愛は初めて心の底から彼女を恐ろしいと思った。

 




次回

第九話:硝子と幻想
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