緋色の空に鐘は鳴る   作:穢銀杏

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吾々が苦心して漸く超人を作り得たとしても、彼の超人は、吾々が猿を笑ふ如く人間を笑ふかも知れない。人間を迫害するかも知れない。けれども、吾々は迫害されても圧迫されても人間から超人を作る事が望ましい。

(国会主義団体「創生会」設立者・清水芳太郎)




第三幕

 

 …んだんだ、そうよ。

 

 あの滝つぼよ。

 

 あっこんところで、(おい)()っちゃの爺っちゃの爺っちゃの代か、そのまたもいっご前ぐらいべか――キコリが山刀ば落っことしたのよ。

 

 昔っから底なしっつわれてるところでやー。

 

 泳ぐと脚さ引っ張られるとか、しばらぐ蛇の夢ばっか見るとか、いわくの絶えねえとごろでよ。

 

 よりにもよってそんたあ場所でしくじるたあ、ほんじねえキコリだべさ、まったくよ。

 

 普通ならそごさ諦める。

 

 諦めて、濁酒(どぶろく)でも呑んで忘れる。

 

 けれどもそごは貧乏人の悲しさでよう、キコリは未練ば断てなんだ。代えも、新しいのを買い直す銭もながっだんだな。で、後を追っての飛び込みだべさ。

 

 やっぱり水は深くてよ、おまけに()やっけえこと冷やっけえこと、骨まで刺さるみてえでよ。もう駄目か、ここでこのまま死んじまうだか、土左衛門になるだべか――ほんたら風に観念しかけた、そん時だ。

 

 ――見えたのよ、端っこの方の岩陰で、何かがきらっと光るのが。

 

 てっきり山刀だと思ったんだな。

 

 三秒前の恐怖も忘れて、キコリにはもう、そっちに向かうこと以外、なんの考えも浮がばながっだ。

 

 そっからはもう無我夢中よ。

 

 こう、ばたばた、ばたばた、必死に手足を回してよ。死に物狂いで岩に取り付く。けんども山刀は見当たらね。焦って裏側を覗き込んだら、なんじゃい、別の離れた岩陰に、さっきと同じ煌めきがある。

 

 俺が泳いでいるうちに、流されたんべなド畜生――。

 

 そう合点して、疑わねえからほんじねえだな、このキコリはよ。

 

 何度同じことを繰り返しただか。

 

 わっがんね。何回どころの騒ぎじゃあねえ。近づく度に遠ざかる、狐火みてえな光を追ううち、上と下との区別さえ、キコリは失くしちまっとった。

 

 だからまあ、奇蹟みたいなもんだっただな、も一度呼吸(いき)ができたのは。世界が縮んで、気をやっちまう半秒前だ、キコリの顔は水面(みなも)を破って、でんと外気に飛び出しとった。

 

 ぜひゅー、ぜひゅーってよ。

 

 肺ごと吐き出すぐれえ大きく、荒っぽい息遣いが、暫らく止められなんだとか。

 

 んで、周囲を見回す余裕ができて――やっと気付いた。ここ何処さ。少なくとも、初めに飛び込んだ滝つぼじゃねえ。しんと静まり返ってる。深い地の底、誰も知らん洞窟に、キコリは迷い込んどった。

 

 ――此処は黄泉比良坂か。

 

 そったら風にも思ったそうだぁ。

 

 無理もねえ。洞窟は(あが)るかっただよ。空はちっとも見えねえし、松明や燈火があるわけでもねえ。けんど見通しはよく利いた。

 

 光ってたからな。

 

 何がと思う?

 

 当ててみさらせ。

 

 うんうん。

 

 ――ふ。

 

 わっははははは、惜しい惜しい。人魂じゃねえべよ、残念ながらな。

 

 答えは洞窟、そのもの(・・・・)だぁ。

 

 上下左右を囲む岩壁、それ自体がチカチカと、蛍火みてえに朧によ。

 

 そりゃあこの世の光景じゃねえ。どう見ても妖気満々で、恐ろしくてたまらねえのに、キコリの脚は奥へ奥へと進んじまう。糸に吊られる傀儡みてえに勝手が利かね。まんず憑かれでたんだなあ。

 

 行けども行けども、洞窟の終わりは見えてこね。

 

 ぐねぐね、うねうね、ひん曲がってよ、まるで話に聞く胎内巡りだ。

 

 ただ、音は。――墓穴みてえな静寂は、いつの間にか去っとった。代わりにどんどろ、不気味な音が。何十年も手入れされてねえ太鼓を蔵ん中から持ち出して、ホコリも払わずぶっ叩いているような、いやにくぐもった律動が。歩一歩ごとに足裏から這い上って来たんだな。

 

 足首、脛に、膝頭、股ぐら越えて腹の底さ揺すられだした頃合いだ。門が出ただな、唐様の。おおさ、門よ、扉は閉じて、閂まで下りててよ。目ン玉焦げちまうぐれえ思い切って鮮やかなベンガラ塗りの真ん前に、女がひとり、立っとったとよ。

 

 そのめんこいことめんこいこと――キコリは腰を抜かしかけたわ。

 

 おまけに声にな、張りがある。

 

「なんの用向きで参ったか」

 

 脳を串刺しにされたとよ。

 

 ――間違いねえ、天津乙女だ。高天原から降臨(おり)られたのだ。

 

 キコリは根っから信じたんだな。

 

 もちろん全部白状したべ。

 

 なしてこったらとごまで来たんか、ありのまんまを、素直にな。天女様に嘘を吐いたら、どんな罰が下されるかわがんねえ。地べたに額、擦りつけて、おそるおそる言ったんだ。

 

 したら乙女は、

 

「面を上げよ」

 

 従うと、その手にあるのはこりゃあたまげた、めあての山刀じゃあねえか。

 

 膝を浮かせたキコリの胸に、そいづをぐっと押しつけて、

 

「よいか、これを持ってすぐさま帰れ」

 

 耳元でそっと囁いたんだ。

 

「ここは竜宮、人の来るべき場所でない。そなたが太鼓と思った音はな、扉の向こう、奥座敷にて眠りし龍の鼾ぞよ。まどろみから覚めたが最後、そなたは五体を引き裂かれ、たちまち彼の贄となる。妾とて、もとは上方、やんごとなき家に生まれた娘であったが、なんの因果かあの龍神に見初められ、攫われたが運の尽き。来る日も来る日も生血を吸われ、その苦しみは、表わす言葉もないほどだ。さりとて契りを結んだ以上、もはや逃れる術はなし。そなただけ早く逃げ帰れ。来た道を、決してちら(・・)とも振り返らずに、ただただ無心で駈けるのだ」

 

 ありがてえ忠告じゃねえか、まったぐよ。

 

 聴いてるうちにキコリをここまで連れてきた、あの不思議な引力は、すっかり影を失せとった。

 

 乙女に厚く礼をして、キコリは逃げたよ、一目散に。

 

 障子紙みてえな顔色で、やっとこ滝つぼ這い出して――それで(しめ)えだ。あっこんところに近づくこたあ、生涯二度となかったわ。遠くに眺めて、ときどきそっと合掌するのが精々だったみてえだな。

 

 ――まあ、ざっとこんなもんだべさ。

 

「めでたしめでたし」で締まる話じゃねえけんど、満足したかい、お客人。

 

 おお、そんならええだ、よかったわ。

 

 それにしても「民俗学」ね。

 

 近頃はこげなこんまで学問になるだか。見当のつかん世の中じゃんなあ。俺達(おらぁど)の若え頃は、学問と言やあ、そりゃあよう…

 

 

 

※   ※   ※

 

 

 

「――と、おおよそこんな感じでしたね、近くの村に遺っていた伝承は」

「ふむ。――あったな、確かに、そういうことも。久方ぶりに思い出したぞ」

「すると、大略に間違いはない?」

「左様。あの杣人め、無骨に見えて存外舌が回ったか」

「わかりませんねえ」

「ああ、人は見かけで計れない」

「貴女のことです、乙姫様」

「妾の?」

 

 意外そうに小首を傾げた。

 きょとんとしたその仕草。シンから意外であるらしい。あどけないこと、まるで童女のようだった。

 

「妾のなにが不審とな?」

「いや、だって。ちょっと顧みてくださいよ、口碑の中のご自身を。美人薄命、囚われの姫君、悲劇の主役そのものじゃあないですか」

「……」

 

 沈黙が怖い。

 肩を並べて闘ったのをいいことに、馴れ馴れしくし過ぎたかと不安に思う。

 さりとていまさら追従笑いを薄っぺらく張り付けて、冗談冗談、ほんの座興のうわごと(・・・・)ですよ、どうかお気になさらずに――と、有耶無耶にするわけにもいくまい。道化の真似に逃げたが最後、彼女はたちまち私のすべてを軽蔑しよう。

 

 戻り道は刺される。踏み込んだからには、勇躍して更に更に踏み込むより他にない。

 

 結構じゃないか、逆上、衝突、破綻の危機と背中合わせでない限り、人間関係の深化なぞ、素より望めぬものだろう。唾をのみたい衝動を紙一重で抑え込み、私はゆったり語を継いだ。

 

「ところがいざ乗り込んでみたらどうです、貴女という存在の、どこを掘っても不満の『ふ』の字も出てこない、不満どころかベタ惚れだ。触ったこっちが火傷しそうな熱愛ぶりじゃあないですか。なんなんです、前評判との、この齟齬は」

「そなた、さては生娘か」

「なんとおっしゃいました今?」

 

 我ながら工夫のない反応だった。

 

 ついつい頭脳を介さずに、脊髄だけ、反射だけで答えてしまった格好である。

 

 だって、仕方ないだろう? この状況下で、こんなことを訊かれるなんて、いったい誰に想像がつく? 絶句して置物と化さなんだだけ、自分の対応能力を褒めてやりたい。

 

「男女の機微に少しでも通じた者ならば、左様な愚問は発さぬものよ。そなたの性根も、また歪よな。深く奇妙にねじくれて居る。そなたが人を失ったのは、あるいはよほど幼くしてか」

「ゆっくり聞かせて差し上げますよ、暁鐘連盟(わたしたち)の拠点でね」

「そうか、少しばかり楽しみだ」

 

 狼藉者は斬り捨てた。

 彼女の夫、龍の遺骸を隠れ蓑に棲息していた寒天状の化け物は、肉の最後の一欠片に至るまで塵も残さず消し去った。

 さりながら、彼女の狂気はなおも健在、劣化・減衰ともになし。乙姫様は修羅のまま、この瞬間もほんの薄皮一枚下で、灼熱の憎悪を滾らせている。

 

 その熱に、ならば私は便乗しよう。

 

「先刻そなたがほざいた通りだ、妾は確かめねばならぬ、数多を知りにゆかねばならぬ。夫はいつ、何故、果てたのか、あの汚物は何処から湧いたか、なんだったのか。背後を、素性を暴きだし、もしも同種がいるのなら」

「一匹残らず殺し尽くす、と」

「わが夫を辱めた罪、下手人一個の命ごときで済ませるものか。九族連座ぞ。絶滅させねばおさまらぬ。どれほどの過ちを犯したか、思い知らさでおくべきか。――その為ならば、ああ、そなたらとも手を組もう」

「歓迎しますよ、心から。暁鐘連盟の大目的は、幻想・怪奇・神秘の類を蒐集して解析して再現するところにあります。その達成を期するべく、諜報網は日夜密にを心がけていますゆえ。おひとりにて、あてずっぽうに探し回るより遥かに効率的なこと、絶対に保証いたします」

「…神秘の、妖異の量産、か」

「胸が躍ると思いませんか? 私は凄く湧き立ちますよ。御一新前は藩侯でもなきゃ味わえなかった舌のとろける至福の甘味が、今日(こんにち)ではもうそこら下町の店先にさえ二束三文で山積みされているように。手織り木綿に編笠姿がせいぜいだった農村にまで、メリンス、人絹、()(くに)帽と、きらびやかなる装束が這入(はい)り込んでいるように。ごく一握りが独占していた品々を、彼らの手からもぎ取って、安価に、広く行き渡らせる。これこそ文明の慶沢であり、国家前進の証明でしょう。独り異能が、その埒外に留まっていていいわけがない。歯車として、規格化される(とき)が来た」

「ふん」

 

 鼻を鳴らして、

 

「古来より、その種の所業をたくらんで、幸福な結末を迎えられた例がない。左道はついに、左道のままだ」

「なら我々が第一号になりますね。いいじゃないですか未踏峰、穢れ知らずの処女雪を、思う存分蹂躙する悦楽は、きっと何にも代え難い。ああ、これはますます励まねば」

「減らず口を」

「沈黙はもう、金ではないので。雄弁に取って代わられました」

「それも時代の流れとやらか」

「ええ、貴女もすぐ実感しますよ。――どうです、そろそろ立てそうですか?」

「大事ない」

 

 いって、彼女は身を起こす。

 振り返り、今の今まで背中合わせになっていた龍の骸を、名残り惜しげに愛撫した。

 

「……頃合いです、おまえさま。名残り惜しゅうてたまりませぬが、妾は此処を離れます」

 

 頭部のおよそ左半分。

 闘いを経て、残ったのはそれだけだ。

 あの寄生体を除く過程で、それ以外はみな台無しにした。悔いはない。そうせぬ限り、殺しきれない相手であった。

 

「おまえさま、どうか妾を赦してたもれ。まだ御許へは逝けませぬ。不実と責めてくださいますな、為すべきがまだあるのです。彼の世にて、心安らかに再会するためにこそ、塗られた泥を雪がなければなりませぬ」

 

 掌だけでは飽き足らず、全身をひたと擦りつけて、睦言のように彼女は告げる。

 なんともはや、お熱いことだ。いったいどれほど惚れ込めば、枯れた頭蓋の中身さえ、抱きしめられるに至るのか。

 

 濡れた口づけひとつ落として、彼女はしずしず後ずさる。

 否、間合いを取ったと言うべきか。

 

 ――ひゅおっ、と。

 

 一迅、鋭い音がした。薙刀を構え直した音だった。裂いた大気に、ああいう断末魔を上げさせられるのであれば、なるほど確かに失くした血肉の再生は、ほぼほぼ完了したのであろう。

 …もっとも、彼女をへたり込ませた損耗、そのおおよそ七割方は、私の「腐れ」に由るのだが。ひとたび打ち込んだが最後、使い手でもどうにもならず、時間経過を待つ以外、その侵蝕を止める術がないあたり、ほとほと呪いの武具である。

 

 まあ、それはいい。

 

 乙姫様の翳す白刃、その切っ先は疑いもなく、龍の遺骸に向いていた。

 

「さあ、共に。――いずれ妾も、同じ刃に伏しましょう。ですから、どうか、その刹那まで、矮小(ちい)さな妾を、この愚かさを、導いて――!」

 

 流石に声が震えっぱなしだ。

 しかし狙いは過たず、ずぶりと遺骸を貫いて。

 続く反応は劇的だった。龍の頭部が爆ぜたのである。

 無数の泡となって飛び散り、色とりどりに煌めいて、地下空間を回遊しだす。

 規則正しい動きであった。一個一個に意志があると言われても、受け容れるしかないほどに。

 

 この眺めは、そう、魚群に似ていた。

 海の底に寝そべって、鰯かなんぞかの群れを見上げているようだった。

 

 泡はどんどん速度を増して、中心に立つ乙姫様の姿さえ、まったく覆い隠すに至り――。

 

高知也天之御蔭(たかしるやあめのみかげ) 天知也日御影乃(あめしるやひのみかげの) 水許曾波常爾有米(みずこそはつねにあらめ) 御井之清水(みいのましみず)

 

 ――そして、唐突に消え失せた。

 

 それこそ泡が弾けるように。なにもかも、束の間の白昼夢といわんが如く。

 

「おみごと」

 

 けれど私は知っている。

 断じて夢では有り得ない。これはある種の継承だ。その証拠に、見よ、あの刀身を。彼女の握る薙刀に、新たに浮いた紋様を。龍の鱗を思わせる、幾何学的な配列を。

 

 つくづく偉大な生物だ。とうに死し、内側から貪られてなおもまだ、ツガイに渡す何がしかを持っているとは――。

 

「まこと、()きふるまいでありました」

「世辞はよい。それより早く、参ろうか」

「本心ですが。まあ、水掛け論は慎みましょう。先導しますよ、乙姫様」

「…………」

 

 はて、追随する気配がない。

 肩越しにちら(・・)と窺うと、

 

(まゆずみ)だ」

「え?」

「乙姫、乙姫と、その呼び方は正味いささかこそばゆい。あまり若やぎ過ぎている。もはやそんな齢ではないわ。(まゆずみ)蓮華(れんげ)と、妾のことは以降そう呼べ」

「れんげさん。――本名ですか」

「どうでもよかろう」

「いえ、龍が娶るに、あんまりにも相応しすぎる名前ですから。本名ならば、凄い運命力だなと」

 

 黛色蓮華池(たいしょくれんげち)――。

 八大龍王が一角、優鉢羅王の身を潜める碧潭が、確かそんな名前であった。

 

「――」

 

 返答(こた)える心算(つも)はないらしい。乙姫あらため黛蓮華は、ただ柔らかに微笑んでいた。

 

 

 

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