「ハァ――――ハァ――――」
自分のものではない息使いが聞こえてくる。
「ハァ――――ハァ――――」
辛そうだ。
そんな些細な感想が思い上がる事実に自身が生きていること、そして今自分が誰かにおぶられている事を実感した。
「かしわぎ――――か――――。」
恐らくそうだろうという人物の名を呼んだ。
「気が付いたか――――、
悪いな、流石に下まで戻す時間はなかったから、このまま上まで付き合えよ」
彼はこんな窮地な状況にも関わらず、俺を下まで下ろせなかったことを悪いと思っている。
気遣いは不要だというのに。
「悪い――――、本当にごめん。」
知らず自分の口から洩れる謝罪の言葉に後から自身の意思でも伝える。
自分勝手にビルの中に入って、結局は何も出来ずにこの場で万全に動けるヒーローの行動を縛ってしまった。
これでこの中の誰かが死んだとしたらそれは俺の責任になるんだ。
「悪いと思ってるなら、自分で歩いてくれると助かる。
この階はまだ下の階より火の勢いがないから大丈夫だろう、俺は見てくるからここで休んでろ」
彼はそう言って、自分をその場におろすと目の前にあるドアノブに手の平を添え、易々と鍵が閉まっているはずのドアを開ける。
そのドアノブには緑色に光るオーラのようなものが見えた。
――――ダメだ、死にかけて幻想すら見え始めたか。
気が抜けて近くにあった壁によりかかる。
すると寄りかかった先にある案内盤のようなものを目にする。
「嘘だろ――――、二十一階だと――――。」
目にしたのは今いる階が二十一階と示す表示だった。
それが事実だとしたら、いいや事実アイツは男一人担いで二階から二十一階まで昇ってきたということだ。
そして間違いなくその合間合間に各部屋の見回りも行って――――。
・・・・・・どうやらアイツは思考だけでなく、身体構造も異常だったらしい。
その事実に驚いていると、柏木は先ほど入った部屋の中から赤ん坊一人抱えてでてくる。
「来てよかった、本当に良かった。」
彼はまるでその赤ん坊が自分の子だったかのように歓喜する。
そんな彼の表情は先ほどの疲労に満ちたものとは一変し、今にでも歓喜のあまり涙がこぼれてきそうな様子だった。
柏木のその姿は決して異常者ではなく、一人のヒーローのように見えた。
――――それなのに、脳裏に思い浮かぶ。
彼が銀行で起こした一件の残骸が。
あんなにも男を無残に撲殺し、平気で去っていく彼の姿が。
異常者としての彼と今のヒーローとしての彼の姿が重なるようで重ならない。
俺はあんな異常者(ヒーロー)を否定しなければならない。
この救った命に微笑むヒーローを、だ。
――――俺にそんなことができるのか?
目の前の彼は間違いなく、俺が憧れていたヒーローにもっとも近い、ヒーローその者だ。
それは――――、できない。
彼がヒーローだからだ。
俺は異常者(ヒーロー)を否定しなければならない。
あの銀行で猛威を振るった暴君である柏木優をだ。
それはできる。
何故なら、あの場での彼は間違いなく異常者だったからだ。
ふざけるな――――。
ヒーローならヒーローを貫けよ、異常者なら異常者であり続けろよ。
互いが別々だったなら、こんな苦悩はなかった。
ただ、どちらも柏木優である以上、そんなことは不可能だ――――。
二十一階の部屋をすべて見終わると柏木は再び俺の元に戻ってくる。
「歩けるか――――? てゆうか俺はこの子抱えてるからそうしてもらわないと困るんだけど。」
この階の気温は下の階よりか落ち着いており、自身の体力も万全とは程遠いものの先ほどよりかは問題はない。
「あぁ、大丈夫。
それにこれでも体力はある方なんだよ。」
「あれでか?」
柏木は自身の異常っぷりには一切振れず、そう皮肉を言ってくる。
「悪い、人間界での話だよ。
ミュータント界ではどうかはしらないけど。」
「俺をミュータント呼ばわりするな、れっきとした人間だよ。」
生憎と俺の読みは外れたらしい。
むしろ彼が人間ではないと言ってくれなければ俺の自信が無くなってしまう。
「残り一階だ、行くぞ。
鍵は俺が開けるから障害物が合ったらどかしてくれ。」
そういって柏木は最上階へと続く非常階段へと足を掛けた。
最上階である二十二階に辿り着いた。
火の手は一切見当たらず、火災現場であることを忘れてしまう程だ。
「見てくる、この子預かっててくれ。」
柏木は俺の手助けは不要と判断したのか、赤ん坊を俺に預けて部屋を見回りに行ってしまった。
赤ん坊を抱いたのは妹が生まれた時以来で、何か新鮮な気持ちがした。
「暑いねー。」
なんて完全に気の抜けた言葉で赤ん坊に話しかけてみた時だった。
恐らく屋上のドアが強引に開かれるようなもの凄い物音が聞こえてきて、駆け足が段々と近寄ってくる。
抱いていた赤ん坊も驚いて、泣き出してしまう。
俺はその子を不慣れな手つきであやしながら、駆け足を警戒する。
「無事か!?」
現れたのは顔が丸々隠されたオレンジ色の服を身にまとった消防隊員だった。
俺はようやくかと思い、彼の問いに答える。
「無事です、この子も。
それともう一人この階に――――。」
柏木の存在も消防隊員に知らせようとする。
「大樹さんですか!?」
すると柏木の声が聞こえてくる。
彼の声に消防隊員が反応する。
「優かッ!! ったくまた無茶しやがってよッ!!」
口ぶり的にどうやら彼らは知り合いの様だった。
恐らく志衛団関係のつながりだろう。
「大樹さん、こいつは――――え――――駆?」
柏木はまだ俺の名前があやふやだったらしい。
黙って頷いて肯定する。
「こいつは駆、同じ大学の知り合い。
んで駆、こっちが消防隊員の国越大樹(くにごし たいじゅ)さんだ。」
柏木はそう消防隊員である国越さんを紹介すると、颯爽と今の状況を国越さんへと説明する。
「大樹さん、この階含めて全ての階見て回って逃げ遅れた人達はこの子以外居ませんでした。」
「――――ンナッ!? お前らしいなッ!!」
柏木は俺の抱いていた赤ん坊を指さして、そう説明する。
「了解だッ!! ヘリが上に待機してるから急ぐぞッ!!
火もじきにこの階に上ってくる。」
国越さんはそう言って、屋上へと続く非常階段へと向かっていく。
柏木と赤ん坊を抱えた俺もその後に続いた。
屋上に着くとヘリが上空を旋廻しており、そこにはユラユラと揺れる縄梯子がぶら下がっていた。
「その子は俺が預かる!! 二人は先に昇るんだッ!!」
「わかりました! 駆、先昇れ。」
柏木は最初を俺に譲って、背中を押してくる。
赤ん坊は国越さんに預けて、縄梯子へと足を掛ける。
ドラマなどで何度か見たことはあったが、思ったよりも不安定で昇りずらい。
「クッ――――。」
身体が振り落とされそうになりながらも、一生懸命へばりつきながらも上に登っていく。
地上からは七十メートル程でもし地上へ落ちたりしたら間違いなく即死だ。
そんな心配事を考えていると、急に縄梯子を引っ張っていた様な感覚が抜ける。
要するに宙に投げ捨てられたような感じだ。
「え――――。」
自分の手が離れたわけではなかった。
「駆ッ!!」
下から柏木の声が聞こえてくる。
俺は上空のヘリを見上げた。
「まじかッ――――!」
すると、ヘリは煙を出しながらも火を上げていた。
その先にどんな事が待っているかなんて想像は容易だ。
「墜落するぞッ!!」
ヘリは見る見ると高度を落としてゆく。
俺は未だに縄梯子につかまったままだ。
屋上までの高さはざっと数十メートルほどだ。
因みにこれまでの人生の中でそんな高さから落ちたことはない。
受け身出来るだろうか。
失敗したら死ぬかもしれない、最悪生きていても全身骨が折れてまた足手まといになってしまう。
だが、このまま縄につかまっていても上からやってくるヘリにぶつかって死んでしまいそうだ。
――――死ぬくらいならと縄梯子を離し、少しでも可能性のある方へと賭ける。
だが生憎と一つ俺の考えは抜けていた。
ヘリが墜落する。
そう、ヘリも墜落しているのだ、俺と同時に。
「うわぁぁぁ――――――――――――――――。」
空中で文字通り無防備になる身体。
一瞬パニックになり、手足をバタつかせるがそんなことで人が浮くはずもなく。
屋上の床まで残り五メートル。
――――死ぬ。
そう悟った瞬間だった、俺が墜落してくるヘリを屋上の床に足を着けながら眺めていたのは――――。
「なッ、はぁ!?」
一体何が起きたんだ、さっきまで俺は確かに落ちていたはずなのに。
まるで先ほど旋廻していたヘリを眺めていた時のような今の状況。
一体、何が起こったんだ。
先ほど、空中で死を覚悟していたのに今命が助かっている。
異常だ――――。
「駆ッ!! こっちだッ!!」
柏木は地に足着いた俺を腕を使った手招きでそう呼ぶ。
たった今異常な体験をし、とにかく頭の整理ができていない。
しかし柏木の焦った表情でこちらを眺めていることで今も自身が危ない状況であることを理解した。
上から力なく降ってくるヘリに潰されまいと、全速力で柏木の元へと駆ける。
ほどなくしてヘリはビルの屋上へと不時着する。
辺りは瓦礫が積み重なっており、ここが屋上ではないことを理解する。
所々火が見えていることもある、どうやらヘリが不時着した影響で屋上の床は下に抜けたらしい。
生憎と鉄棒が身体に突き刺さっていて抜け出せないなんていうことにはならなかった。
「み、みんなぁ――――、無事か!?」
起き上がり、先ほどまで一緒に居た彼らを呼ぶ。
「こっちは赤ん坊も大丈夫だッ!!」
国越さんの大きな声が聞こえてくる。
とりあえずあの人は無事の様だ。
「柏木――――!!」
「大丈夫だ。」
呼びかけるとすぐに返事があり、少しだけ安堵した。
柏木は上に敷かれた瓦礫の山からゾンビの様に這い出てきて気になる一言を告げた。
「クソッ、一体誰の仕業なんだ。」
その意味がよくわからず、聞き返す。
「仕業って、墜落の事か?」
「あぁ、ヘリのこともだけど、この火事もな。
ここまでに来る途中、火種のような痕跡はなかったように見える。」
火種がない、となるとそもそも火事が起きていること自体が異常だと思うんだが。
「そうなると、いったい誰が――――。」
特に気配などを感じたわけではない。
ただ何となく辺りを見渡した時だった。
黒い幻影が凄まじい速度でこちらへと向かってきたのだ。
「かッ――――。」
柏木――――と彼の名を呼ぼうとしたのは彼なら何とかしてくれるかもしれないと思ったからだ。
その黒い幻影は俺たちを通り越して赤ん坊を抱えた国越の元へと飛んで行く。
そしてその命を奪わんと鋭い斬撃が襲い掛かろうとした時だった。
「駆、銀行の時もだったけど、よく視てるな。」
その斬撃は緑色のオーラによって弾かれた。
先ほど、意識が朦朧としている中空間に漂っていたものだ。
それが今鮮明に国越さんを斬撃から守った。
これは幻想でもない、現実だ。
今日は先ほどの空中から屋上へと瞬間移動した時や柏木がドアノブに手を翳して鍵を開けたりなど、とにかく変な事が沢山起きていた。
これは全て現実だ。
そして今、その緑色のオーラは真横に居るヒーロー、柏木優から出ているものだった。
国越さんを襲った斬撃は止み、黒い幻影をハッキリと目で捉えた。
「"カウンセル"の柏木か。」
少し高い女性の声に動揺する。
その声の持ち主はスラっとしたシルエットと短い金髪を露わにし、再び口を開く。
「私は"アドバンス"のアリス、志衛団の信条に従い、その赤ん坊を排除します。」
「"アドバンス"、K区で反社組織を狩りまくってる奴らか。
なんだってお前らがこの子を狙う?」
柏木はアリスと名乗る彼女を少し知っているらしく、その目的を問う。
「――――このビルは今勢いを増して成長している虚星会の重要拠点です。
外に逃げていた輩は先ほど排除しました、――――残すはその赤ん坊だけですッ!!」
必要最低限の説明をし終わると、彼女は携えた刀を再び赤ん坊へと振るわす。
「させっかよッ。」
再び柏木の放つ緑色のオーラが赤ん坊を包み込んだ。
すると刀は再びそのオーラに弾かれ、彼女は態勢を崩す。
「大樹さん、その子連れて逃げてッ!!」
「お、おう!!」
国越さんはこの状況に動揺しているのか、少し歯切れの悪い返事をして後方にある下へと続く非常階段へ赤ん坊を抱えたままと駆けだす。
「逃がさない――――。」
アリスは逃がさんと国越さんを追いかける。
「チッ、俺は無視かよ!!
それならッ、ちょっとばかり痛いの食らわすぞ――――。」
一向に諦めないアリスを見た柏木は舌を鳴らしながら、彼女へと弾丸を撃ち込むように人差し指を指す。
その指先には柏木が放つ緑色のオーラが凝縮されていく。
「更生弾(リバイブガン)ッ――――!!」
柏木のその掛け声とともに、指先に凝縮されたオーラはアリスへと一直線に放たれた。
アリスは放たれたオーラには気が付くことなく、自身へ身体への着弾を許してしまう。
次の瞬間、国越さんへとあと一歩で届く距離であったアリスは先ほどまで立っていた位置まで逆戻りしていた。
「これは――――!!」
俺は驚きに声を上げてしまう。
だってその動きがまるで瞬間移動しているようだったからだ。
これは――――先ほど俺自身に起きた出来事とまったく同じ現象だ。
「柏木――――、おまえ。」
俺はまた柏木に救われてしまったらしい。
「あぁー今のでバレたか、でもその話は後にしてくれ。
アイツが来るぞ。」
全く、――――コイツには本当腹が立つ。
異常者であり続けてほしかった彼がどんどんヒーローへと近づいていく。
俺からしてみればそのどちらであっても異常者に変わりはないわけだけど、今は甘んじてその事実を受け入れよう。
「あぁ、やろうか。 ヒーロー。」
「邪魔をするならお前"達"から刻みます、下衆を庇う"異常者"どもめ。」
最初に黒い幻影が不安定な床を蹴る。
彼女の初速は普通を軽く凌駕していた、目で追えはできるものの身体が着いていかない。
振りかぶられた刀は俺の首を狙う。
腕で受ければそのままストンと腕ごと落とされるだろう。
防ぐのはあきらめて次の行動を決める。
何故なら――――、この場にはヒーローが居るからだ。
俺の首を狙った斬撃はオーラによって弾かれる。
再び態勢を崩しかけた彼女だったが先ほどの経験も相まって態勢の回復は早い。
だが、事前に決めていた俺自身の行動よりかは後手に回ってしまうが。
ヒーローが必ず防ぐと知っていた。
この場での全体的信頼があった故に、この行動がある!!
不安定な態勢からではない、俺の右足の横蹴りがアリスの胴体へと入る――――。
元々ヒーローになりたかった俺は今も訓練だけは怠らない。
恐らく何らかの特殊な力を持った彼女や柏木と比べればちっぽけなものだが、一人の異常者を蹴り落とすには十分な程の力は今も身についている。
そして、普段ケンカなんてそう滅多にしない自称平和主義の俺は異常者(ヒーロー)を否定し続けていたこの人生の中である思考が自然と身についていた。
異常者(ヒーロー)に対しては怖くないし、手も抜かない、そして"絶対"に負けない。
そんな理論武装が俺を生粋の異常者キラーへと変貌させていた――――。
「グッ――――。」
「反社組織が憎いからって、赤ん坊まで殺す気かよ。
まじで狂ってるぞ、お前――――。」
思ったより攻撃が綺麗に決まった為、少し感情が高ぶって柄にもないようなことを彼女に発してしまう。
「――――前例があるんです、だから例え子犬でも誰一人として見逃したりなんてしない。
それに――――別に狂っててもいい、狂っていないと誰も救えないなら本能ですから。」
すると特に逆上するわけでもなく、彼女は冷静にそう返答する。
前例がある――――か、また訳アリ志衛団ということか。
だけど、それでも赤ん坊までも殺すなんて言う正義が合っていいのか。
言葉に惑わされるなッ、そんな正義を、ヒーローを俺は否定してきたんじゃないのか。
それなら、今真横で一緒に彼女と向かい合うヒーローは一体どうなる。
彼は否定しなくてもいいのか?
――――止めろ、そんな事は"今"は考えなくていいんだ。
俺は自身の頬を叩いて、この場に集中しようとする。
彼女とにらみ合う中、忘れていた火が段々と周囲を囲っていく。
そして下の階からもの凄い轟音が鳴り響いた。
「なんだッ――――!?」
俺と柏木は予想外の轟音に同時に驚く。
「――――任務は終わりです。
一度退きます、縁があればまたどこかで。」
そういって彼女は火の中へと消えていった。
彼女が去ったのを見送った後、俺と柏木は音があった下の階へと足を進める。
非常階段を上って下へ下へ。
降りていく毎に火の火力がより一層増していく。
まるで火の元へと近づいていくようだ。
「ケホッ、ケホッ、俺は数分しか持たないぞ。」
俺はそう柏木に保険を掛けつつも、崩壊寸前のビルを降りていく。
すると他の階よりもより一層崩壊している階に辿り着く。
そこでは体中血だらけの国越さんが抱える何かから血を滴らせていた。
「すまん、助けられなかったッ――――。」
そう言って国越さんは既に息がない赤ん坊を抱えていた――――。
「うそ――――、だ。」
そしてその光景を見た俺は何かを縛っていた紐が解けたように目の前が今度こそ真っ暗になっていった。