残世のラディウス 作:士介
まあ相当に実力のある作家さんなので私如きが思いつくような展開にはならないと思います。おそらく杞憂でしょう。
ぽつぽつ、ぱらぱら、ざあざあ。
その雨は、律儀に降り注いだ。降り始めから、雨足を強めていくまで、まるでお手本をなぞるような典型さで、焼け野原を潤した。
慈悲ではなく、あくまでも義務的に。情感のない、冷たく重い水の粒が、立ち昇る灰粉に湿り気を帯びさせ、地へと落としていく。ぶすぶすと音をたてる燃え残りの火種も次々消えて、生じた小さな水の流れに揺れる。
焼け崩れた家屋と、半ば炭化した骸が転がる、かつては活気あふれる村だった廃墟が水を含み、朽ちるための準備をしていく。
けれど、ただ一つ、死の臭いに埋め尽くされたこの場所に、確かな意思を持って、動くものがあった。
終わりを告げた人の営みの中で、抗うように、その少年は目を覚ます。こびりついた汚泥を気にもせず、水音を響かせながら起き上がった彼は、ゆっくりと辺りを見回した。
宝石に光が差したかのように、瞳が命の輝きを帯びるにつれ、覆しようのない絶望が明らかになる。現実に打ちのめされ、ただ独り遺された少年が膝を着いた。
嘆きの声が木霊する。滂沱と流れる涙は尽きる気配を見せない。
それでも、彼は。失意の底にあって尚、折れてはいなかった。
「ぜっ、たい……、たすけるから……」
嗚咽をこぼしながら、ぬかるんだ土を握りしめて。
「―――ルリア」
悲壮な決意とともに、守るべき者の名を呼んだ。
城下町は、喧騒に包まれていた。酷く雑踏した大通りを、人と人の間をすり抜けるようにして進む影が一つ。
外套のようにして羽織った、継ぎ接ぎだらけの襤褸布で顔の辺りを隠している。覗いた形のいい唇だけでは、性別すら見て取れない、小柄な人影。
そこが水底であるかのように遅々と歩む群衆の中、一人陸の上を駆けていたそれは、しかしすれ違い損ねた誰かの肩にぶつかり勢いを緩めた。
いずれそうなるとは分かっていたのか、その影はすぐさま振り返り、接触してしまった男に頭を下げた。
「すみません、お怪我はありませんか?」
「ん? いや、どうってことないよ。今日は人でごった返してるからな、あんたのせいじゃない」
影の発した澄んだ声が、衆合した人々の無数の声を掻い潜り、男の耳に入る。
どうやら少年らしいその影に取っては幸いなことに、ぶつかられた男は寛大に笑う。反面、少年の方は無理に人混みを掻き分けていた事を気にしたらしく、悟られない程度ではあるが、表情を曇らせる。
「……そうですね、記憶にある限りでは、ここまで人は多くなかったと思うんですが。今日は何かあったんですか?」
そんな後ろめたさからか、少年は口を開き、話を続けた。世間話、といったふうにそう口走った彼に、男は目元に僅かな驚きをにじませる。
「あれ、お前さん知らないで来たのかい? 今日は三年ぶりの建国祭の日なんだが……」
「そんなものが…………。自分は辺境の村に住んでいて、ここには幼い頃に何度か訪れたくらいなもので」
少年が辺りを今一度見回す。確かに道に溢れかえる人々は皆興奮と期待の入り混じった落ち着かない表情を浮かべていた。今日検問を行っていた兵士が堅物の仕事人間だったが故に、彼はその事実を知らなかったようだ。
とはいえ、この異常な活気と至るところに構えられた出店を見れば、気付きそうなものだが。少年には急ぎの用事でもあったらしい。
「ここ数年は何処も不作でな。年に一度の建国祭を開く余裕も無かったんだ。まあずっと無しじゃあ不満も溜まるし格好もつかないから、貯まった蓄えを一気に放出してるのさ」
「それは…………、幸運、ですね。うん、僕はついている。あの、出過ぎたお願いかもしれませんが、案内してもらっても?」
何故か、自分に言い聞かせるかのような口振りで呟いた彼に、男が訝しげな表情を浮かべる。しかし、あとに続いた少年の頼みに、彼はその様子を気取られぬよう破顔して答えた。
「ああ、構わない。こういうのは地元の奴に聞くのが一番だからな。ええっと、名前、なんていうんだ?」
「レイシャ、と言います。よくレイ、と呼ばれていました」
「そうか、じゃあ俺もレイで。こっちはタリストだ。よろしくな」
通行の邪魔にならぬよう脇に移動しながら、二人は互いの名前を確認する。初対面とは思えぬほどに滑らかで、友好的なやり取り。人と関わるのに慣れているのが見て取れる。
「あー、それともう一つ聞きたいことがあるんだ」
そんな様子から打って変わって、歯切れ悪くタリストが口を開いた。想定の外にあった一つの疑問を、消化する必要があったのだ。
「お前、男だよ、な?」
同じく、その質問を予想だにしていなかったレイシャが、硬直する。人の声は、自分が発したもののほうが低く聞こえる。彼が思っているよりいくらか高い中性的な美声は、男女の区別を曖昧にさせるには十分なものだった。
「あ、えと、男……、です」
「あ、ああ、そうか、すまんな変なこと聞いて」
羞恥からフードの端を握り、引き下げたレイシャ。その反応に、タリストは少しの罪悪感を抱く。若干の後悔が首をもたげたが、聞かなければ後々面倒が起きる可能性もあったので、仕方がない。
「じゃあ、改めてよろしくな、レイ。案内は任せろ。伊達にここで生まれ育ってねえ。ハズレは掴ませねえよ」
気まずげな空気から、咳払いしつつ脱したタリストが、口元しか見えないレイシャの顔を見下ろしそう言う。まだ立ち直りきれていない彼は口を結んだまま、頷きだけを返した。
「これも、美味しいです」
「お、おう、よく食うな…………」
レイシャの申し出に快く応じたタリストではあるが、全ての店を案内するつもりなどなかった。基本的には飲食店が中心になるわけで、二十年以上に渡る散策の成果ともなれば、必然候補は多くなる。
時間以上に胃袋の限界が来ると思っていた彼は、しかし現状に驚愕を隠せなかった。既に十を超える店で買い食いを繰り返したにも関わらず、腹の膨れた様子がない。
目についた店の良し悪しをタリストに尋ねているあたり、まだ食べる気なのだろう。ついでに日持ちのする食べ物と、ちゃっかり装飾品まで購入している。
「それ、誰に渡すんだ?」
彼が手首に括り付けた髪紐―――襤褸布のポケットでは心もとないし、食べ物と一緒では臭いがつくからだ―――を指して、タリストはそう聞いた。こくん、と可愛らしい音を立てて口の中のものを嚥下してから、レイシャが答える。
「妹に、です。三つ下なんですけど、そろそろお洒落に興味が出てくる年頃みたいで………。でも、気に入ってくれるかは分からないですね」
「んー、俺もそういうのは分かんねえからな。助言はできなさそうだ。まあ、兄貴がわざわざ買ってきてくれたものなら、何でも嬉しいんじゃないのか?」
楽観的な言葉、けれどレイシャにとっては、下手な助言よりも力になる励ましだったらしい。そうだったらいいな、と、うつむき気味だった顔を上げ、手首の土産に触れる。
「話は変わるけど、このあとはどうする? なにせ久しぶりの開催だからな、新しく出た店も色々あるだろうし、てきとうに巡ってみるのもいいと思うが」
「じゃあ、そうしましょう。それはそれでわくわくしますしね」
そう言って、屈託のない笑みを浮かべたレイシャに、つられたタリストも笑う。ときには祭日らしく、羽目を外して冒険するのもまた一興、そういう考えが共有されていた。
「ところでその格好、熱くないのか?」
自分よりいくらか背丈の小さい少年の横を、並んで歩くタリストが、浮いた汗を拭いながら聞いた。既に太陽は頂点を通り過ぎ、少しばかり気温が上がっている。
レイシャは全身を覆うように襤褸を羽織っていた。いくら継ぎ接ぎだらけとはいえ、風通しがいいようには思えない。
「大丈夫です、どちらかというと寒がりなので、着たままの方がいいかな」
「そうか、それならいいんだ」
そんな問答もそこそこに。日が傾き、蒼穹に鮮やかな橙が混じり始めるまで、二人は気ままに街を歩き回った。
甘味に目を引かれ、運試しに興じ、くるくると、フード越しでもはっきりと分かるほどに表情を変える少年に、タリストは過去の自分を垣間見る。
(こんなに楽しい祭りは、子供の頃以来だな)
三年ぶりの祭日が、ここまで懐かしさと感慨を呼び起こすものになるとは、思っていなかった。笑顔が自然と浮かぶのも、今日何度目のことだろうか。タリストは思いがけない巡り合わせに、大袈裟かもしれないが、感謝の念を覚えた。
「あ、あそこ………」
「ん、トーリのおっさんか? 見ての通りの靴屋だが………、ああ、なるほど」
突き当りに構えられたこじんまりとした店から、レイシャの足元へ視線を移したタリストが、納得の声を漏らす。もともと仕立てのいいものではない彼の靴は、長旅に耐えかねたのか、既にボロボロだった。
「えっと、お金足りるかな。…………ん、大丈夫そうです。買ってきますね」
(眼、随分いいんだな……)
レイシャがそう断りを入れるのを、タリストは彼の視力に面食らいながら聞いていた。記憶を頼りに知り合いの店だと断じたが、実際は顔すら判然としないほどの距離だ。
それがなんの店かどころか、商品にぶら下げられた値札まで見通す彼の視力は、並外れている。外見はいっそ華奢に思えるほどだが、案外村にいた頃は狩人でもやっていたのかもしれない。
勘繰る、というほどのことでもないが、ここに来る前のレイシャの生活に当たりをつけているうち、買い物を終えた彼が戻ってきた。
「うーん、すぐに履き替えてみたいんですけど、ここだと邪魔になっちゃいますね。移動しましょうか」
「ああ、そうだな」
彼が手に持つ新品の靴は、装飾のない、実用性だけを追求したフォルムの無骨なものだった。祭の日くらい、人目を引くよう華美なものを出せばいいのに、それをしない。
「すごく丈夫な、いい靴です。こういうのって、積み上げたものがなきゃ作れない」
「だろ? あの人、もう三十年もあそこで靴を売ってるんだぜ」
そういう頑固さが、街の人から信頼され、長く靴屋を続けられているのだ。その信念が、他所から来た少年にも伝わっている。
タリストは視線を靴を履き替える少年から、仏頂面の店主が消えていった店先に移し、淡く笑んだ。今まで見せていた、懐古を思わせるものではなく、本当に童心に帰ったかのような表情だった。
そう、つまり、気を抜いた。少年を意識から外してしまった。
「動かないでください」
鼻にかかる、嫋やかな声音が耳朶を打つのを、タリストは首筋に添えられた冷たさと共に感じた。ひゅっ、と、驚愕から息が漏れる。目だけを動かし下を見れば、ぞっとするほどに美しく煌めく刃が、刹那のうちに命を奪える位置にあった。