カンカン照りのターフ。誰も居ないターフ。
私は、相も変わらず最終直線手前の、600メートルに立っている。
東京レース場の平日は、非常に静かなものである。ただ、人は居る。整備員達がウマ娘達のターフの抉れた場所を修復し、彼女らが通り過ぎたラチを確認し、我々ハロン棒の固定の確認や、清掃を行ってくれている。
そして時折見学者も来るようで、誰も居ない観客席にちらほらと子供連れなどの人々が現れていたりもする。
さて、私という存在について少々語ろうと思う。
ご存じの通り、私は気持ちを言葉として伝えることは出来ない。体の動きで、彼女らを応援できるわけでは無い。勝手に倒れる事も出来ないし、勝手に折れることも出来ない。唯一出来る事と言えば、彼女らの走りを見て、大歓声と、大音量のアナウンスを聞く程度の事だ。所詮、私はその程度の存在だ。
ただ、私個人の記憶、としては相当昔からの記憶がある。不思議なもので、私がFRPと呼ばれる強化プラスチックの姿になる前、現在の姿ではない時代の記憶も思い出として私のどこかに、確かに、残っている。
不思議なものである。特に、私の存在については、私自身、謎が多い。例えば、ある日引っこ抜かれて、私のハロン棒としての生はああ終わりかと思ったら、翌日になれば私は違う姿でそこに居るのだ。何度、私の姿が、私の存在そのものが変わろうが、思い出は残っている。
そんな幾多の思い出を思い返せば、私が立つこのターフで、初めてダービーウマ娘になったフレーモアの姿を思い出した。あれは、今思い出しても凄いウマ娘であった。何せ逃げてダービーを勝ったのだ。そう。ダービーを逃げて勝つのは難しい。そう言われるようになったのは意外と最近なのだ。最初の、私の眼前のターフを駆け抜けた初のダービーウマ娘は、逃げのダービーウマ娘だったのだ。
そして、最近ではウオッカが女王としてダービーを制覇しているが、そもそも、女王がダービーを制覇するという事自体も、先のフレーモアが勝利した翌年、ヒサトモという女王が、これもまたほぼ逃げに近い形で勝負を決めたのである。私としては、ダービーは、逃げでも勝てると思っている。
違う思い出を掘り起こしてみれば、帝室御賞典もまた記憶に新しい。ああ、いや、今となっては天皇賞、と言うべきか。あれもまた記憶に残っている。
初めての勝利ウマ娘、ミラクルユートピア。当時としてもかなり少ない出走数であった5頭立てのレースを走りながら、余裕の、涼しい顔で、私の前を通り過ぎていったあの堂々たる姿はなかなか忘れられるものでは、無い。そしてそのままセンターに輝いた彼女の力は素晴らしかった。そうだ。最近で言えばマルゼンスキーと同じ存在であった。圧倒的な強者であった彼女。ただ、私が彼女を見ることが出来たのはそれ一回きりであった。
その後に行われた戦争をも私は体験している。あの、レースが行われず、しかし、ターフが、コースが、一面サツマイモ畑になった風景を、決して忘れはしない。忘れてはならない。
…だが、それを経て行われた1946年のレース。あれは感慨深いものであった。
特に、その年から私の目の前で行われるようになった女王の祭典。樫の女王を決める戦い、オークス。それがまだ、クラシックの一つの戦いで在った優駿女王の戦いも、心に深く刻まれている。ミツマサ。彼女の走りは、レースを走れる喜びに満ち満ちていた。彼女だけではない。私の目の前を過ぎていった彼女らの顔が、どの顔を見ても、花が咲き誇るような笑顔であったことを、私は忘れない。
そうした過去の彼女らの活躍。それはとても、忘れられるものではない。
だが、活躍をした彼女らの陰に隠れた、彼女らの存在も忘れてはならない。
名前は敢えて言うまい。希望に満ち満ちた彼女らが、崩れ落ちる姿を。この最終コーナーの、この場所で心折れる瞬間を、私は何度も。嗚呼、何度も見ている。
ああ、そうだ。私は何もやる事が無い。否、何をすることも出来ない。
ただただ立っているだけなのだ。いくら想いを持っていようが。
目の前で倒れた彼女らに、手を差し出せるわけでもなく。
目の前で競い合う彼女らに、声援を送れるわけでもない。
私は、ただここにある存在なのだ。
今日は幸い、レースは無い。
故に、今日は心静かに、彼女らの安全と、熱いレースと、ターフを去らねばならなかった彼女らの無念に、祈りをささげようと思う。
結局、土日になれば彼女らの全力を見送る事になるわけなのだ。あの美しい、彼女らの横顔と、力強い蹄の音と、降り注ぐ大歓声を。
ならば、今週末の大層煩い祭りも、皆が怪我ないように駆け抜けてほしいと、誰も諦めずに私の前を何度でも走り抜けてほしいと、駆け抜けてほしいと、心の底から思うのだ。
『全てのウマ娘が、昨日よりも、今日よりも、未来永劫。笑顔で過ごせる日々を』
私の眼前に広がるターフに、こう、祈らずにはいられないのだ。