愛しき想いはかくばかり   作:胡潮正油

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後編

私は毎回、国語のテストの補習を受ける。

強がりでは無く事実として、その気になれば100点だって取れるだろう。

“特に国語という科目においては間違いなく”。

そんな私に相反する状況を教えてしまった赤点先生が今日も教室にやってくる。

 

水奈瀬コウ。彼の授業を受けるこの時間が、私の学生生活の全てだった。

 

○●

 

「はい、という訳で“今回も”君と僕との一対一の補習な訳だけども。

……本来は赤点を取ってるような生徒が毎回1人もいなくて、成績だけは優秀な君が赤点なのはやっぱり不思議なものだねぇ?」

「いやぁ、不思議な事もあるものですね。」

「君、もしかして僕を過労死させようとしてるのかい?」

 

補習に毎回いるのは私だけ?

えぇわざとです。勿論わざとですとも。

この時間だけは邪魔されたく無いものですから、色々と裏から根回ししているのです。

 

「というか結月さん。

正直、今から何も教えずに再試しても余裕で満点取れるよね。」

「さぁ?でもコウ先生の分かりやすい授業を聞けば間違いなくできる気がするんですよね〜。」

「僕は都合の良い先生ではありたいけど、君だけの先生になるつもりは無いんだけどな。」

 

その言葉に胸が一瞬ちくりと痛みますが、大丈夫。

私はこの時間が幸せなんです。

一定の速度で鳴るチョークの音も、開かれ続けてちょっと痛んだ紙の匂いも、そして、間近で私の為だけにあつらわれた彼の声も。

私の願いは叶うことが無いだろう氷砂糖のような時間の中で、それでもそんな薄い砂糖水に混ざっているのが堪らなく愛おしい。

 

「結月さん。真面目に聞いてるのは良いんですが、せめて教科書は開きませんかね。」

「大丈夫です一字一句覚えてるので。」

「僕もう補習やめていいかなぁ……?」

「もう一回赤点取っちゃおうかなぁ。」

「年頃の女の子怖い。」

 

ため息一つと笑い声一つ。うん、いつも通りです。

 

……自然と黒板に向き直る先生の後ろ姿を見てしまう。

細身ながらも男性的ながっしりとした肩。教室で運動部の男子たちはいつも見ているのに、先生のそれは誰よりも大きく見えて、この人の一歩後ろを歩く女になりたいなという、私にしては珍しく乙女な想像までしてしまう。

3ヶ月に一度の特別な二人きりの教室が、1限とは言わずにずっと続けばいいのになと思ってしまう。

 

「では結月さん。拾遺和歌集からです。これを読んでください」

「拾遺和歌集……ですか?確か教科書には無かったと記憶してますが。」

「えぇ、この学校の教科書には載って無いです。

だから教科書を全て覚えてしまった結月さんは別のものを学んでおいた方が良いと思ったんですよ。」

「なるほど。やっぱり気が利く良い先生ですね!」

「…………。」

 

いつもはどんな言葉にも答えを返してくれる彼が返答しなかったのに若干の疑問を覚えつつも、私は先生がチョークでいくつか綴った黒板を見た。

そして先生がチョークで指している場所の、その内容に固まってしまう。

 

「……っ。」

「どうしましたか?結月さん。“貴女が”読んでください。」

「……はい。分かりました。」

 

そして意を決する。

私にとって、この人の前で詠むそれは、あまりにも特別すぎて残酷すぎる意味を持っていたからだ。

 

「……嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る」

「はい、よく出来ました。

では、意味は答えられるかな?」

「……。」

「答えられるか、答えられないかでお願いします。」

「……か、悲しみを嘆きながら孤独に寝ている夜が、明けるまでにどれだけ長いのかを、あなたは知っているでしょうか。……いえ、知らないでしょう。」

「お見事。正解だね。」

 

これは……夫が別の妻のところへ行ってしまってから送ったとされる嫉妬や皮肉を込めた和歌です。

恐らく、先生はこの情景に意味を持たせたのではなく……“嫉妬や孤独感と言った『相手へのマイナスのイメージ』”の和歌を“私に”言わせたことに意味がある……んだと……思い……ます。

 

「……あくまでも、“大人のせい”にして良い……ってことですか?」

「……あー、いや……うん。

“よく分からない”かな。」

「……っ!」

 

思わず机を叩きそうになった手を寸前で止める。

これは、私が勝手に叶いもしない、叶ってはいけない感情を持ってしまったことが原因。

だから、悪いのは私です。

それを察して、事前に、もしものことがあって事が大きくなるのを未然に防いでくれた先生の事を悪く言える道理はありません。

でも……いえ、だから。

私は“中途半端に頭が良かった自分を”恨みます。

この気持ちに、この歌に気づいてしまった自分を、ずっとずっと恨みます。

 

「……ッ、し……礼します……ッ。」

 

そして、私は教室から逃げ出してしまった。

涙を見せないように、ちょっとのしょっぱい青春の煌めきを廊下に隠しに行くために。

 

 

 

「……女子生徒をまた泣かせたんじゃ、教師失格だな。」

 

 

○●

 

テスト明け……それも期末テスト明けなもので、教師というのは夜も学校に拘束されていた。

生徒達がぶつけた知識を採点するというのは烏滸がましい事ではないかと思いつつも、そうすることで自分は食っていけるのだとエナジードリンクと一緒に喉から出かかった悪態を流し込む。

 

「コウ先生ぇ〜。」

「うわっ、酒臭ッ!

公務員が職場で飲酒しないでくださいよ……。」

 

採点中のコウに絡んできたのは同僚の職員だった。

彼女は生徒たちの前では真面目な装いこそしてるが、逆に見てない場所ではそれはもう別人のように弛み切ることで職員たちから有名だった。

 

「恋バナしましょうよ恋バナァ〜。」

「はいはい。後でしましょうね。」

「え〜〜!ケチぃ〜!

じゃあ一つだけ!一つだけでとりあえずオナシャス!」

「……本当に一つだけですよ。」

「ッシャア!愛してるぜコウ先生ェ!」

 

酔っ払いの一つだけが一つで終わった事例など宇宙を隈なく探しても見つかるかどうか怪しいが、やや諦めつつも、しかし採点しながらコウは話を聞いていく。

 

「初恋の味ってェ〜、どんな味だと思いますかぁ〜?」

「……………れも「あっ、レモンとかチョコレートとかつまらないのは無しで。」……。」

 

エナジードリンクをキメて活性化させた頭を酔っ払いの対応に使わされるのはなんとも不憫な光景だった。

 

「魚ですかね。」

「魚ァ?」

 

ので、あまり考えるのも面倒なので本心を言う。

 

「最初は美味しい美味しいって身の部分を食べ進めていくんです。

でも、そうしていくうちに苦い頭と内臓が残るんです。

そして、そんな苦い部分を頑張って飲み込んでも、骨は噛み砕けない。

……後味が悪いんです。

初恋がいつまでも記憶に残ってるのはいつまでも尾を引いてるからなんですよ。

結婚出来るのは、お互いの悪いところも噛み砕けるパートナーですからね。」

「ポエマーだねぇ。国語の教師かな?」

「国語の教師ですが?

……まぁ、そうやって苦い部分を飲み込んで、大人になっていくんじゃないですかね。

これで満足ですか?」

「うん!天才ポエマーコウくんアリガト!」

「はっ倒しますよ?」

 

そうやって千鳥足……千鳥足か?なんか足が全く浮かないスキップみたいな変態挙動をして酔っ払いは去っていった。

こうして宇宙に新しい1ページが刻まれた……。

 

 

「……僕は、君だけの教師じゃ無いけれど。」

 

人が周りからいなくなった後、ポツリと呟く。

 

「都合の良い教師だからなぁ。僕自身にとっても。」

 

そうやって、補習の時間に黒板に書いた和歌の数々を思い出す。

具体的には、彼女に読ませるために指したチョークの真反対に書かれた、拾遺和歌集のものですらない、本当に都合良くそこに混ぜた歌を。

 

 

 

かくばかり恋ひつつあらずは高山の

磐根し枕きて死なましものを

 


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