ふしぎないきもの
ある日の朝方のことである。スクールバッグ片手のダイワスカーレットは、栗東寮の某所にある池の前に立ち尽くして、人生でも類を見ない程の戦慄を覚えていた。
そんな彼女を、まるで心配しているかのように、池からつぶらな瞳が覗き込んでいるからである。
(……何よ、これ。サンショウウオ……にしては色が鮮やかすぎるような……)
ダイワスカーレットは好奇心に弱いウマ娘であった。彼女は徐に手を伸ばし、水色の体表面に、その掌を押しつけた。丁度、サンショウウオのような、それにしては太過ぎ、直立している生き物の頭頂部である。
ひんやり、そしてすべすべでしっとりとした感触が伝わった。生き物は微動だにしない。彼女の耳が揺れた。
その時、彼女の脳に一つの企みが浮かんだ。
「……」
つい、と、人差し指と親指で、生き物の柔肌を摘んでみたのである。すると、緩慢な動きで体を揺らした生き物が、かぱりと口を開け、
「ぬおー」
「……」
それが、ダイワスカーレットには儚い抗議に聞こえた。つまむのをやめると、生き物は再び、彼女をじっと見つめ、動く気配は無い。
「……なんなのよ、アンタ」
「ぬおー」
「なんで逃げようともしないのよ」
「ぬおー」
「……」
「ぬおー」
「わかった。今日からアンタの名前は“ヌオー”ね」
と、ぶっきらぼうに言い、踵を返したダイワスカーレットは、足早にその場を後にすることにした。今は登校中なのである。
(後でタキオンさんに相談してみよう……)
あっという間に見えなくなったダイワスカーレットの残影を、生き物、もといヌオーは、そのつぶらな瞳で見つめ続けていたのだった。
「ぬおー」
「……スカーレット君の頼みだから華麗に解決したかったが……ふぅむ、見当が付かないというか……実に興味深いねぇ」
「タキオンさんでもわからないなんて……アンタほんとに何者よ」
「ぬおー」
疑問を投げかけても、かえってくるのは気の抜けた鳴き声である。燦々と降り注ぐ陽に当てられる、栗東寮の池に集った2人と一匹の間に、緩い風が吹き抜けていった。
「うーん……現段階ではサンショウウオの突然変異……それか、完全な新種の生き物としか言いようが無いねぇ、多分後者の方が確率は高いだろうが……」
と、ヌオーのでっぷりとした両手をにぎにぎしながら、白衣姿のウマ娘、アグネスタキオンはニヤニヤ笑う。すると、
「ぬおー」
「んん……?」
緩慢な動作でタキオンの魔の手から逃れようと、ヌオーが動き出したのである。心なしか、無表情であったヌオーの眉間に皺が寄っている。
とりあえず手を離してみると、どことなく不機嫌そうにザブザブと波を立てながら、のっそりのっそり移動を始め、
「わっ……!」
「ぬおー」
石垣に囲まれた池から上陸し、スカーレットの後ろに隠れ、つぶらな瞳でタキオンをじっと見つめた。しばらく固まっていたタキオンは、胸の痛みを誤魔化すように笑った。その笑いは乾いていた。
その……ヌオー君だったかな?そいつはどうやら君に懐いているようだ。そこで一つ、相談を受けた身で言うのもなんだが、お願いをしたい。簡単なことさ。ヌオー君の生態調査をしてほしい。トレーニングの合間にでいい。どのような食性なのか、特質的な行動だとか、どんな些細なことでもいい。何か引っかかることがあったら教えて欲しい。私は私で、別のアプローチで調べてみるよ……ところで、私はそんなに怖いかい?
以上はタキオンの言である。
夕景色の空を一瞥し、体操着にブルマ姿のスカーレットは、手に持っていたスポーツドリンクを口につけ、一気に喉を潤した。ふと、隣を見てみると、ヌオーがスポーツドリンクのボトルをじっと見ていた。
「あげないわよ」
「ぬおー」
俯いたのも合わさって、ひどく悲しそうな声であった。
「……ふふ」
そんな、心の底からのんびりしているようなヌオーを見ていると、日々の気苦労だったりが軽くなっていくような気がして、彼女は思わず、あどけない笑みを浮かべたのだった。
続くか、続かないかは、私次第