ダイワスカーレットとヌオーが紡ぐ物語を語る前に、まずは“彼”の動向について、語らせていただきたい。
時間は、あの選抜レースまで巻き戻る。
ダイワスカーレットがコースを逃げ去って、その場は一時静まり返った。しかし、その静寂は、一位をもぎ取ったウマ娘__ウオッカのスカウトという情熱に、すぐに打ち破られた。
まるで、砂糖に群がる蟻の群れである。
そのなか、群れに加わることのない、ひとりの男がいた。
「ダイワスカーレット……」
(あの子が、か)
グレーの帽子に黒いサングラスをつけた彼は、言い知れぬ感覚に襲われていた。まるで、脳の奥底に仕舞われていた古い記憶が掘り起こされていくようであった。
そして、彼の脳裏に、鮮明な記憶がよぎった。
“トレーナー!”
鈴の音の鳴るような声で、記憶の中の彼女はいつも、彼を呼んでいた。その面影と、スカーレットの姿が、男にとってはしっくりと重なってしまうのだ。
「……」
次に、男は走り去ったスカーレットを幻視した。
一位を取れなかったのは確かな事実だが、二着という成績は悪くないもの。それに、ゴール板を通り抜けたのはほとんど同時。だというのに、彼女は息苦しそうに逃げ去った。
その姿に、男は凄まじいまでの勝ち、いや、一着への執着を感じ取ったのだった。
同時に、なぜそこまでして一着を欲しがるのだろう、という疑念も覚えた。
無論、一着を、勝ちを求める気持ちというのは、ウマ娘には、勝負者には必須である。しかし、スカーレットのそれは、何者をも上回る、いっそ強迫観念にも感じてしまうものに思えたのだ。
「……」
スカーレットが逃げ出した先を、男はただ見つめていた。
時刻は戻り、よく晴れた放課後のことである。スカーレットはアグネスタキオンのもと、旧第一理科室を訪れていた。喧しいスカウトの嵐を振り切って、いつもならば自主トレの時間だが、今日は休日と定めていたし、何より、2人の間で用事があるからである。
もちろん、ヌオーの生態調査に関する情報交換である。
「ふーむ……食性は肉食で、水中で口を開けて、獲物が通りかかったところに食いつく……やっぱりサンショウウオのような生態だねぇ。うん。ありがとうスカーレット君」
「はい!役に立てて嬉しいです!」
スカーレットがまとめた、理路整然としたレポートを受け取ったタキオンの感謝の言葉に、スカーレットは眩しい笑顔で返す。カーテンで遮光され、怪しい液体の沸き立つ音が鳴るここ旧第一理科室には、あまりにも似つかないものである。
「さて……この前言った通り、私も色々と調べてみたのだが、やはり、論文などにはヌオー君に関する情報はかけらも無かった」
「そうなんですか……」
とこぼしたスカーレットに、タキオンはニヒルな表情を浮かべる。
「ただ、フジキセキ君に許可を取って、栗東寮での出来事が記された書類を見せてもらったのだが、そこに興味深い記述があってね」
「えっ?」
こてんと首を傾げるスカーレットをみて、タキオンの笑みはさらに深まった。
「あの池、どうやらとあるウマ娘と、そのトレーナーが造ったものらしいのさ」
「へぇー……」
「ウマ娘の名前はわからなかったが……トレーナーの方は、この学園にまだ居るらしい。数年前からトレーナーのついていないウマ娘の指導を行なっていて、最近は学校に姿を現すこともなかったらしいが……またトレーナーに復帰したという話だ」
旧第一理科室を後にし、朱色にそまった空からの陽を一身に受け、伸びる窓枠の影に染まる廊下を、スカーレットは1人歩いていた。乾いた足音がどこまでも広がった。
(ヌオーに関しては何もわからなかったけども……例のトレーナーに話を聞けば、何かわかるかもしれないわね)
スカーレットは行動力の塊であった。今彼女が向かっているのは職員室。池を造ったというトレーナーのもとである。
そして、職員室にたどり着き、手頃なトレーナーに、一部の事情を説明、そのトレーナーの居場所を聞き出すと、帰ってきたのは意外な返答であった。
「その池に行ってる……?」
「あぁ。奴の習慣みたいなものだよ。それにしても懐かしい話だなぁ……あの強面で、急に“ウマ娘たちの憩いの場を作りたい”なんて言い出すんだから」
と、けらけら笑う、随分と歳を重ねているようにみえるトレーナーに一礼し、スカーレットは足早に職員室を後にした。
その足が向いているのは、栗東寮である。
夕景色が深まってきて、気持ちの良い風が吹いている。
栗東寮にたどり着いたスカーレットは、信じられない光景を目の当たりにしていた。
グレーの帽子、そしてジャージを着た男の後ろの方に位置する池から、見覚えしかない、でっぷりとした水色の生き物が顔を覗かせているからである。
スカーレットの記憶の中で、ヌオーが自分以外に姿を見せていることは皆無に等しい。ライバルであり、同室のウマ娘であるウオッカすら例外ではない。
間違いなく、男はヌオーについて何かしらの情報を掴んでいるに違いないだろう。
「……!」
その時、スカーレットはようやく我に帰った。いつのまにか、サングラス越しでもわかる刺々しい視線が、自分に降り注がれていたからである。
「……ダイワスカーレット、か」
「は、はい……」
戦々恐々としながら、スカーレットは男に距離を詰めていった。男は、いつも通りぼうっと見上げてくるヌオーの顔面に顔を戻した。
「コイツは、俺の元担当が保護した生き物だ。そして、この池は、コイツのために造ったものだ」
「あ……ず、随分とあっけらかんに言ってしまうんですね……」
「コイツが隠れないということは、お前も会ったことがあるだろうからな。そうなれば、誰でもコイツを調べたくなる」
2人で隣り合って、沈黙が流れた。ヌオーの間抜け面はピクリとも変化しない。
「……ダイワスカーレット、お前に聞きたいことがある」
「……えっ」
沈黙を破ったのは男の方であった。困惑を隠さずに男の顔を見上げたスカーレットに、彼は見向きもせずに、はっきりと言った。
「お前を突き動かすものは、なんだ」
ヌオーの生態→大体オオサンショウウオと同じ
謎の男→CV:若本規夫(暴走しない時代の)