シロノリリィの対策を読み切ったライスシャワーが最後方でマークするという展開となった。この展開に驚いたのはシロノリリィだけではなく応援にきた五人……お姉さま、本田、中村、アッシュストーン、キョウエイボーガンの全員が驚愕していた。
「…………いやいや、えげつない事するねぇライスちゃんは。でもあの子って追い込みはできたっけ?」
「いや、彼女は先行策を得意としている。追い込みは併走の時もやらなかったと記憶しているぞ。二人の作戦は青路さんが考えたのか?」
「いいえ、私は一切手を貸してないわ。そうじゃないとフェアじゃないもの。ライスとリリィ以外の出走者のデータとかは叩き込んだけどね」
「無粋ですからね。……でもライスさんはなぜこの作戦を……いや、こうしないと勝てないと考えたのか」
「…………なんでかって思ったが、シロの対策なら確かにこれが最善か。スタミナを削って末脚を発揮させないように、ってか? ……でもこれ、もし失敗したら──そのまま負けるぞ?」
ライスシャワーのプレッシャーの正体は、シロノリリィに対する狂気的といえる程の愛だ。それを解放する事で自分の周囲に圧を与えてスタミナを削る仕組みとなっている。これは自分と相手の距離が離れるほど効果が薄くなり、シロノリリィが考えた「離れるほど効果が薄くなる」という推測は当たっていたのだ。なのでライスシャワーは自分のプレッシャーの効果が見破られていると仮定し、それを前提に作戦を立てた。
……だが、様々な作戦を考えたがシロノリリィに勝てそうな作戦は思い浮かばなかった。いつものように前を走っているだけだと彼女のスタミナを削りきれずに差されてしまう。何度も頭の中でシミュレーションしたが結果は変わらなかった。
……ならば、どうすればいいか? ライスシャワーが出した結論は「
シロノリリィの末脚には今のところ太刀打ちできない。どれだけ道が悪くても、どれだけ後ろにいても、スタミナさえ残っていればあの尋常ならざる加速力を持って差しに来るのだ。恐ろしいとしか言いようがない。──だから潰すのだ。徹底的に、確実に……その脚を。
──リリィちゃんなら、大丈夫だよね?……ライスの想い、全部受け止めてね。
(…………おかしいな? あのプレッシャーが来ない?)
マチカネタンホイザは困惑した。京都ジュニアステークスでライスシャワーが放ったプレッシャーが何故か今は無いことに。ちょっと安心したが、油断してたらいきなりぶち込まれるかもしれないと思い気を引き締めた。
ライスシャワーの姿も見当たらないのでチラリと後ろを見たのだが、正直見なければよかったと後悔した。
(…………
一目見てわかったのだが、ライスシャワーはあのプレッシャーの範囲を絞ってシロノリリィだけに狙いを定めていたのだ。ただでさえ強かったあの負荷がたった一人に対してのみ発揮されることに恐怖した。……なのに、だ。──シロノリリィは……笑っていた。
その綺麗な顔には苦悶の表情が浮かび、夥しい程の脂汗が流れている。なのにその瞳はギラギラと輝き、頬は紅潮し、犬歯を剥き出しにして笑っている。苦痛と歓喜、相反する感情を同時に出している彼女を見てマゾなのか? と思うが、更に後ろで恍惚とした表情で追走しているライスシャワーを見てあながち間違いでは無いと確信した。
(そういうプレイはレース外でやってくれないかなっ!?)
少々げんなりしながら視線を前に移すと、自分以外にもその光景を見て戸惑っているウマ娘達が何人かいた。周りを動揺させるという意味では効果的だと思うが、二人だけの世界に入ってもらっては困るのだ。ここにいる全員が主役なのだ、お前達の公開デートじゃないぞ?
マチカネタンホイザは改めて気合を入れた。このカップルにペースを握られたら自分のレースができなくなってしまう。そうならないようにしっかりと前を見て走るのだ。……決して、見るのが恥ずかしいとかそういう理由では無い。
(……なるほどなるほど、これがライスちゃんのプレッシャーですか。……想像よりは大分マシですが……ちょっと苦しいですね)
シロノリリィは今まで走ってきたマイルと比べ、中距離になるといつもよりスタミナの消費が増えると感じていた。それに加えこのプレッシャーである。とてつもないペースで減る体力に焦りそうになるが、焦ったところで回復などしないので冷静にレースを進める。
恐ろしいほどの速さで減る体力だが、実はこのプレッシャーはシロノリリィに対してのみ効果が低くなっている。断じて手加減しているわけでは無い。そもそもこのデバフの正体は「シロノリリィに対する愛」なのだ。それ故に同じようにライスシャワーにクソデカ感情を抱いているシロノリリィがそれを受け入れられるのは道理だとしか言いようがない。
(……でも、なんでしょうか……この圧を受けていると、苦しいけど……満たされる? ……言葉にするのは難しいですけど……ふふっ、悪くないどころか……寧ろ嬉しいです!)
苦しいはずなのに、辛いはずなのに……シロノリリィは笑う。その小さな身体に大きすぎる重い想いを受け止めて。白い少女の心に、黒い少女の心が染み渡っていく。
(……うれしいなぁ。私だけを見てくれる。私の大好きなライスちゃんが、今……私だけを見てくれている。顔が、身体が……心が熱い。……嗚呼、溶けちゃいそう)
掛かりそうになる心を抑えてシロノリリィは走る。もっと、もっと……あなたの心に浸っていたい。……だが、シロノリリィのかしこすぎる頭脳が警鐘を鳴らし始めた。
(…………あっ、このままだと……スタミナがもちませんね)
1コーナーから2コーナーに入り向こう正面に差し掛かる。現在の残りスタミナと消費速度を計算した結果、このままライスシャワーに削られ続けると3コーナー途中でスタミナが無くなってしまうことに気づいた。
(…………行くしかないですね)
きっとこれもライスシャワーの狙いなのだろう。だが、関係ない。向こう正面を通過し、直線の途中で息を入れて覚悟を決めたシロノリリィが速度を上げ始めた。
シロノリリィがライスシャワーを振り切ってゴール板を駆け抜けるのが先か、ライスシャワーがシロノリリィを削り切るのが先か……レースが動く。
『ここでシロノリリィが仕掛け始めた! グングンと位置を上げていく! その後ろにピッタリライスシャワー! それを見てマチカネタンホイザも仕掛け始めたぞ! 後続を突き放して現在先頭はシロノリリィ。二番手はピッタリマークしていますライスシャワー。そこから3バ身離れてマチカネタンホイザ。そこから2バ身離れて──』
(……すごいよリリィちゃん。ライスがこれだけ全力なのに、まだ走れるなんて……)
目の前のシロノリリィの走りから徐々に余裕がなくなっていく。息は荒く、踏み込む力も弱々しい。あの力強い走りが、強大な足音が、見る影も無くなっていく。直線を抜けて3コーナーに入ると明らかに先程よりも速度が落ちていくのがわかる。
もっと近づけ、もっと迫れ。圧を与えろ、息を入れる暇など与えるな。4コーナーを抜け最終直線に入ったその時、シロノリリィが最後の力を振り絞るように脚をターフへと叩きつけ──
(……でも、限界だよね?)
────加速……できなかった。
『あっと! ここでライスシャワーがシロノリリィを交わした! グングンと突き放す! シロノリリィは伸びないのか!? このままライスシャワーが独走するのか!?』
カクン、と力無く揺れるシロノリリィを交わしてライスシャワーが前へ出た。シロノリリィの息は乱れ、フォームはぐちゃぐちゃで、力強さの欠片もない。最早歩くことすら辛いであろう彼女を置き去りにしてライスシャワーは走り去った。……だが、一瞬だけ……ほんの一瞬だけ見たシロノリリィの瞳が……全く死んでない事に気づいた。──ゾクリと、ライスシャワーの身体に寒気が走った。虫の息と言えるシロノリリィの……爛々と光るその瞳に恐怖と……期待が湧きあがり、自然と口角が吊り上がった。
──ライスシャワーは知っている。シロノリリィが絶対に諦めないことを。限界や理不尽を、全て捻じ伏せる強い意志を持っている事を。
残り200……150。漆黒の軌跡となって駆け抜けるライスシャワーの背後で、最早動けるはずも無いシロノリリィが、その弱々しい小さな気配が……ターフを抉る轟音と共に復活した。
────やっぱり……来てくれた!
シロノリリィの顔に、最早綺麗さなど無い。勝利を掴む為に必死の形相で歯を食いしばり、悲鳴をあげる身体を執念で無理やり黙らせて、只々前へと進んでいく。骨は軋み、心臓の鼓動は狂い、目の前の景色はぼやけ始め……それでも脚は止まらない。
『シロノリリィだ!? 力尽きたと思ったシロノリリィが再び息を吹き返した! 驚異的な加速と共にライスシャワーに追い縋る! なんという執念だシロノリリィ! そして……交わした!! 再びシロノリリィが先頭に立った! 残り50m!! 勝つのはどっちだ!?』
──リリィちゃん……リリィちゃん……リリィちゃん!!
気づけば二人とも真っ白な世界に立っていた。目の前にお互いがいて、少し手を伸ばせば簡単に触れてしまえる。
何故ここにいるのか、此処がどこなのか……そんなことはどうでもよかった。今はただ、目の前のシロノリリィに聞かねばならぬことがある。期待と興奮で胸が高鳴る。
「ねぇ、リリィちゃん。ライスはね……全部削ったの。体力を……気力を……リリィちゃんの全部を削り切ったの。……なのにどうして……どうして走れるの? 走れるはずなんて無いのに……どうして?」
それを聞いたシロノリリィは、何を言われたのか分からないとでも言うかのように小首を傾げた。そのまま目を伏せ、しばらくの沈黙の後真っ直ぐにこちらを見つめたシロノリリィは、太陽のような眩しくも温かい笑顔でこう答えた。
「ライスちゃんがいるもん。走れるよ」
──嗚呼……
──嗚呼……!
──嗚呼!!
もう、抑えられない。この熱い感情が、この秘めた情熱が……抑えられない。どうして彼女はこんなにも自分の心を揺らすのか……どうしてこんなにも愛おしいのか。太陽すら燃やす衝動が、ライスシャワーから溢れ出した。
「ふっ、ふふっ……ふふふっ……あははははははは!!!」
真っ白だった世界が……ライスシャワーによって染められていく。二人の世界をライスシャワーの想いが……心が包み込む。暴れ狂う心と感情がこの世界に……シロノリリィの中へと入り込んでいく。
「…………あっ……? ……ひっ!? …………っ!?!?」
気が狂いそうになる程の甘美な衝撃が脳を、身体を、心を……魂を侵食する。今まで味わったことのない甘い痺れがシロノリリィを襲い、震えて立つことすらままならない。魂まで愛撫され動くことすらままならないシロノリリィは、ペタンと地面にへたり込み、潤んだ瞳で茫然と世界を眺めるしかなかった。……そして、真っ白な世界は……ライスシャワーによって塗り替えられた。
かつて真っ白だった世界に最早面影はない。辺りにあるのは荘厳なステンドグラスが煌めくチャペルだった。一輪の白百合をモチーフとしたステンドグラスを背に、青いバラの花束を持ったライスシャワーがゆっくりとこちらに近づいてきた。
「──愛してる」
──ライスシャワーの左の瞳から、
領域『ブルーローズチェイサー』
『──何ということだ!? 再び、再びライスシャワーが追い抜いた!! 執念の追い上げを見せるシロノリリィを交わしてライスシャワーが再び先頭に立った!! 恐ろしいほど加速していく! 強い! 強すぎる!! リードは1バ身! ライスシャワーがゴォール!!
ライスシャワー、一等星の輝きを見せクラシックへと繋がる道へ第一歩を踏み出した! 2着シロノリリィ3着はマチカネタンホイザ──』
「──っ!! …………はぁ…っ………はぁっ……」
文字通り全てを使い果たしたライスシャワーは、ゆっくりと歩みを止めた。自分が勝利した事が信じられず、震える手でぺちぺちと頬を叩いてみたが、現実感が湧かずに茫然と辺りを見渡した。
「…………はぁっ……ひゅう……はぁ…………あっ……」
そして同じ様に全力を出し切ったシロノリリィが、よろよろと生まれたての子鹿のような頼りない足取りでこちらに向かってきた。
「……ひゅひ〜…………ひっ……ふひ〜……」
呼吸音すら頼りないシロノリリィが目の前に来たが、足がもつれて転びそうになった。それを慌てて支えようとしたが、こちらも同じように力を入れる事が出来ずにそのまま二人ともターフへと倒れてしまった。
「あびゃっ!?」
「わわわ!?」
二人ともどうにか起きあがろうとするが、どうやっても起き上がる事が出来なくて次第に笑いが込み上げてきた。
「「…………ぷっ……ふふっ…………ふふふっ…………あはははは!!」」
なんなのだこの状況は? さっきまでの全力疾走と修羅の如き形相は何処へ行った? おかしくて笑いが止まらない。笑いすぎて涙が止まらない。暫く笑い続けた二人は顔を合わせ、にっこりと笑って同時に叫んだ。
「────楽しかったぁ!!」
「ねえねえ! 最後のやつなにあれ!? なんなのあのおっきいチャペル? みたいなやつ! わけわかんない!! すっごい! すっごい!! わっはー!!」
「ライスもよくわかんない! だけどね! リリィちゃんの事を想ったらなんか出たっ!!」
「なあにそれ!? 嬉しいけどわっかんない!! あっ!! ライスちゃんおめでとう!!」
「ありがとうリリィちゃん!! もう疲れすぎてわけわかんないよっ!!」
感情のままに叫ぶ少女達に祝福の歓声が降り注ぐ。慌てて応えようとするが、やはり力が入らずに立ち上がれない。──そう、一人なら。
「……リリィちゃん」
「──二人一緒なら……立てるよね?」
互いに寄り添い、それを支えにしてゆっくりと立ち上がる。そしてライスシャワーは観客席へ……自分を応援してくれたみんなに誇らしげに手を振った。
─レース場が揺れる程の大歓声が、ターフへと響き渡った。
「……リリィちゃん」
「……なぁに?」
隣にいる愛しい少女に、きっと今なら伝わるだろう。ライスシャワーは己の手をシロノリリィの頬に添えて、そのまま優しく撫でる。さらさらだった髪と肌は汗でしっとりとしてるが不快感などない。これは自分達が本気で走った証なのだ。寧ろ愛おしくて仕方がない。嬉しそうに微笑むシロノリリィに胸が躍る。伝えなければ……この熱を……貴方に。もう片方の手をシロノリリィの華奢な腰へと回し、お互いの息が当たる距離まで引き寄せた。
きゃっ! っとかわいらしい悲鳴を出した少女と見つめ合う。お互いの心臓の鼓動が重なる。強烈な甘い匂いに陶酔しそうになる。……少し緊張した眼差しでこちらを見つめるシロノリリィに微笑み……額にキスをした。
「──大好きだよ」
…………あれ? やわらかい……? ……あったかい? ……なあにこれ? …………くちびる? ………………らいすちゃんの、くちびる???
その時、シロノリリィのかしこすぎる頭脳が覚醒した。
──夏祭りのキス未遂事件。
──止まらない胸の高鳴り。
──キスできなかった事を残念だと思う自分。
──「だいすき」と「だいすき」
──己の心に入ってきたライスシャワーの心と想い。
──ライスシャワーにだけ感じる特別な感情。
──今、この瞬間の「大好きだよ」
──もしかして……私のだいすきは……ライスちゃんに対する気持ちは……
────……「恋」……なのでは?
──理解してしまった。この気持ちを……この熱を……この感情を。恥ずかしさと嬉しさと……最早言葉にできない感情の爆発に顔が真っ赤に染まる。そして、その瞬間……レース場に先ほどと比較にならない程の歓声が響き渡った。
「……わっ……凄いことになってる」
他人事の様に呟いたが、これはあなたのせいですよ?
「──ねぇ、伝わった?」
真っ赤な顔でコクンと小さく頷く。先程の衝撃でまともに頭が働かない。それを見たライスシャワーは満足そうに微笑んだ。
「ライスの『だいすき』の意味……今ならわかるよね?」
「えっと……その……はい……」
「嬉しいなぁ……長かったなぁ……ふふっ……ねぇリリィちゃん」
「……にゃ……にゃに?」
「これからライスの事……もっともっと……だいすきにしてあげるね?」
ライスシャワーはシロノリリィを優しく抱きしめた。嗚呼……なんて温かいのだろう。──知ってしまった……わかってしまった……この感情を。白い少女は咲う。真っ白で可憐な……「恋」の花を咲かせて。
前世含めて初恋です。リリィちゃんはかわいいですね。
次回は掲示板回です。