すきすきだいすきライスシャワー   作:パゲ

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第34話 『⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎』

 まっくらやみがここにある。つめたくて、かなしくて、さびしいだけのくろいうみ。

 

 わたしのあたまはどこにある? ては、あしは、からだは……どこにあるの?

 

 なにもみえない。なにもきこえない。ちからが、はいらない。

 

 うかんで、しずんで、ながされて。ここはどこなの? わたしは……わた、し……?

 

 

 わたし、は…………だれ……?

 

 

 

 

 

 

 なにかが、はいって、くる。

 

 

 

 ちが、う。これ、は……

 

 

 

 

 

 

 

 わた、し……が……わす……────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――自分の名前が嫌いだ。『⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎』という、空虚な文字の羅列が。

 『⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎』。苗字二文字、名前二文字のありふれた名前。俺という存在を区別するための記号。

 愛されれば祝福に、憎まれれば呪いとなるそれに、何も込められていないのならば。……それは、一体何になるというのか。

 

 

 

 物心がついた頃、俺の周りには二人の人がいた。

 父親と、母親。広いマンションに、三人だけの生活。それが俺の始まりで、俺が初めて見た世界だった。

 

 両親が俺に構う事は無かった。俺を見る事なく過ごす彼らに、俺は孤独を感じていた。義務的に、仕方なく、嫌そうに。挙動の節々に現れる彼らの感情を受けて俺は育った。

 俺を見て欲しかった。だけど、二人は俺を見てくれない。まるで、この世界の異物だとでもいうかのように、俺の存在を拒んでいた。

 俺がいるのにいない世界。俺のいない世界で二人は微笑う。ほんの一欠片でもいいから、“笑顔(それ)”を向けて欲しかった。温もりが、欲しかった。

 きっと、俺の何かがだめなんだろう。何がだめなのかは分からないけど、それでも振り返ってほしかった。

 だから何度も自分から話しかけた。けど、それを鬱陶しがった父に「黙っていろ」と押さえつけられた。大人と子どもの力の差、暴力の強さと怖さに怯える俺を見て、母はくすくすと嗤っていた。

 

 なにがだめなんだろう。どうして、なのかな。ごめんなさい。ごめん、なさい。

 

 俺のために用意されたご飯はいつも同じメニューで、俺は物足りなさをと空腹を覚えていた。食べるのはいつも俺一人で、一緒のテーブルにつく事は許されなかった。

 父と母の俺を見る目が怖かった。父が母と、母が父とだけいる時はあんなにも優しそうなのに。二人が俺を見ている時の目には何も映っていない。

 二人の視界に入らないように息を殺して、ひたすらに時間が過ぎるのを待っていた。時間が来れば飯を食う。呼吸を殺して部屋の隅で膝を抱える。そうして最後に、ぬるくなった湯船に浸かる。歯を磨いて、あとは体を丸めて布団の中で震えていた。

 明日が来るのが怖かった。このまま全部、終わっちゃえばいいのに。

 

 なんで、どうして。わからない。こわい、くらい、さむい、さびしい。ひとりは、いやだよ……

 

 

 

 

 

 両親は、側から見れば仲睦まじい夫婦だった。

 柔らかな物腰に端正な顔をした父と、魔性の美貌を持つ優しい母。おとなしくて手のかからない可愛いらしい息子。それが世間からの評判だ。

 父も母も、本性を隠すのが上手かった。俺が理不尽な目に合っていると主張したところで、世間の奴らの目には構ってほしいから(うそぶ)く子どもにしか見えないだろう。

 

迷惑かけないでね(良い子にしててね)

 

 俺と目線を合わせて、彼女は告げた。ゾッとするほど冷たい瞳に、真反対の柔らかな微笑を浮かべながら。

 俺が外へ出るために守らなきゃいけない事。まともに育児をしてない自覚はあったのだろう。俺の様子を見た周りに虐待だと騒がれたら面倒だから、そう俺に命令(お願い)した。

 嫌われたくなかった。だから、言う通りにした。そうすれば、俺を見てくれると思ったから。

 

 

 

 幼稚園に通うようになった頃、俺は自身の環境が普通じゃない事に気がついた。……いや、本当は薄々勘付いていた。

 きらきらした笑顔を向け合う家族を見てしまったから。それから目を逸らして、気付かないふりをしていた。

 遠くから見る親子のふれあい。言葉の節々から漂う、温かな感情。我が子に向ける慈しみの瞳。俺が知らない家族の温もりが、当然のように周りに溢れていた。

 目の前にあるのに、俺の手に届く距離にあるのに、決してそこには届かない。

 

 ……いいなぁ。

 

 

 

 目の前で見てしまったから、俺は望んでしまった。きらきらと輝く理想郷を、夢見てしまった。

 

「⬛︎⬛︎くん、とっても上手に描けたねぇ。お父さんと、お母さんに見せてみたら? きっと、喜んでくれるわよ!」

 

 幼稚園のみんなで絵を描いた。テーマは『自分の家族』。

 両親と手を繋いで満面の笑顔の俺と、それを優しく両側から見守る父と母。俺が憧れた家族の情景。心から渇望する寸景。

 先生が褒めてくれたのが嬉しかった。これを見せたら、何かが変わると期待していた。

 帰路の途中、いつも通り母は俺を見ていなかった。この冷たい瞳が変わってくれると、何の確信もないのに期待していた。

 

 

「あの……これ、みて、ください……」

 

 二人が揃った頃を見て、俺はあの絵を差し出した。

 怪訝な顔でそれを受け取った二人。中身を確認して僅かに目を見開き、数秒の沈黙の後に俺を見た。

 久しく見た感情のこもった瞳。その瞳がじいっと俺を睥睨している。

 緊張で心臓が高鳴る。喉がカラカラだ。怖い。けど、もしかしたら……

 

 父が手に持っていた絵をくるりとこちらに向けた。そして紙の真ん中の頂点を丁寧に摘み……ゆっくりと、俺の目の前で破り捨てた。

 

「不快だ。二度と見せるな」

 

 俺の目の前に散らばる“絵”だった物。「ゴミ(それ)、片付けておけよ」とだけ言って、二人がこちらを振り返る事は無かった。

 

 

 

「⬛︎⬛︎くん。あの絵、お父さんとお母さんに見せた?」

「……はい。とてもじょうずにかけていると、よろこんでくれました!」

 

 「まぁ! よかったわねぇ……!」と、我が身の様に喜んでくれる先生に嘘を付いた。申し訳なさで、胸がいっぱいだった。

 

 ご飯の味がしなくなった。

 

 

 

 

 

 小学校に入学した。

 

「必要なものがあれば、メモに書いておきなさい。あと、これは晩ご飯代」

 

 俺の目の前に置かれたのは、シンプルなメモ帳と500円硬貨だった。

 朝食は冷めたトーストと目玉焼きと水。自分達の朝食のついでに作られたものだ。お昼は給食を食べて、晩ご飯はコンビニで購入する。これが俺の小学生時代の生活だ。

 

 必要な事以外に会話はない。しつこいと殴られるから。痛いのは嫌だ。

 幼稚園時代にされていた、必要最低限の世話も無くなった。自分で出来るようになったからだ。

 娯楽は与えられない。俺には必要ないから。わがままは言えない。捨てられたくないから。

 

 

 

「自分の、名前の由来……?」

 

 小学校の授業で、自身の名前に付けられた由来を調べる事になった。

 子どもにつける名前というのはほとんどの場合、何か願いや希望などを込めるらしい。俺の名前は⬛︎⬛︎だが、これにも何か込められているのだろうか?

 

「先生の名前は『健志(たけし)』なんだが、意味は“健”康に、目標を“志”す。健康にすごして、目標をやり遂げてほしいという願いが込められてるんだ。どうだ? 良い名前だろう!」

「先生って名前あったの!?」

 

 誰かが茶化して皆が笑う中、俺は一人で僅かな希望を抱いた。既に裏切られたというのに、またしても期待したのだ。

 ほとんど呼ばれないこの名前だが、もしかしたら……などと、自分に都合の良い妄執に囚われて。

 

「⬛︎⬛︎くん。良い意味だといいねっ!」

 

 隣の席で無邪気に言うクラスメイトに、俺は微笑と共に頷いた。

 

 

 

「すみません、聞きたい事があるのですが」

 

 両親のことを、『父』と『母』と呼ぶ事はない。そう呼ぶと、酷く機嫌が悪くなるからだ。

 なので、外で家族ごっこをしている時にだけそう呼んでいる。

 母の返事はないが、拒否はない。彼女も放っておいた方が面倒だと理解してるからだ。

 

「学校の宿題で、『自身の名前の由来を尋ねてくるように』。と言われたので教えて欲しいのですが……」

 

 一瞬、目線だけをこちらに向けて沈黙した。

 いつもならばすぐに一言二言告げて終わるのに、珍しく考え込んでいる。それ故に、俺は期待してしまった。

 もしかしたら……もしかしたら、何かが――

 

「無いよ」

 

「……ない、のです、か……?」

 

「うん。ない。めんどくさいから、パッと思い浮かんだやつにした」

 

 唖然とする俺を尻目に、彼女は俺から顔を背けた。

 

「あぁ、理由がいるのか。……それじゃあ、好きなように書けば?」

 

 俺を見ずに彼女は告げた。興味もなさそうに、気怠げに。

 俺は礼を言ってそこから離れた。……さあ、どうしようか。

 

 

 

 後日、クラスで名前の由来を発表した。

 みんなは照れくさそうに、嬉しそうに、時には誇らしげに語った。

 

「俺の名前の由来は──」

 

「私の名前の由来は──」

 

「僕の名前の由来は──」

 

 彼らの話を聞くたびに、眩さに目を逸らしたくなった。自身の虚ろな名を、粉々に砕いて捨てたくなった。

 

「――うん、良い名前だな! それじゃあ、次は⬛︎⬛︎!」

 

 名前を呼んでほしかった。嘘でもいいから、意味が欲しかった。

 

「……はい。俺の名前の由来は──」

 

 

 空っぽの器に、嘘という汚泥と醜い願望を込めたそれは、果たして皆の心にどう響いたのだろうか?

 

 

 

 

 

 中学生になった。

 日常に暴力が増えた。

 いっそ⬛︎してくれればいいのに。

 会社の無能な上司や、ゴマスリだけが得意な同僚やらの相手をするのはストレスが溜まるらしい。

 皮肉な事に、彼と接した時間はこの頃が一番長かった。

 

 部活動はやらなかった。やりたい事がないから。

 勉強は多少難しくなったが、苦にはならない。現実を忘れられるから。

 趣味はない。特技はない。夢もない。

 早く⬛︎にたい。

 小学生時代と比べて、大きく変わった事はない。ただ少し、痛みが増えただけだ。

 

「……顔、似てきたな」

 

 鏡を見ながらぼやく。目の前に映る自分の顔が、最近父に似てきたと気づく。

 幼さが抜けて青年に近づいたこの顔が、嫌でも血の繋がりを示している。

 最近、特に父の機嫌が悪い。その理由の一つがこの顔なのだそうだ。自分に似てきたこの(ツラ)を見るのがムカつくだとかなんとか。

 お前達が、俺を産んだんじゃないか。なのに、それすら否定するのか。

 

 

 

 今日も俺は殴られる。毎日毎日殴られる。巧妙に、痣など残さぬ力加減で。

 だが、今日はいつもと違った。いつになく父は不機嫌で、俺を呼び出す声も些か低く感じた。

 この理不尽な暴力を振るう時が、唯一俺の名前を呼ばれる時だ。それ以外に呼ばれる事はない。

 

「……⬛︎⬛︎。ちょっと来い」

 

 すぐに行かなければ余計に反感を買う。そもそも、何もしてないからいつでも行ける状態なのだが。

 彼の前で正座させられ、俺は見下ろされる。視線だけで俺という存在を鬱陶しがってるのが分かる程に冷え切っていた。そうして彼は、己の中にある鬱屈とした感情を俺に叩きつけるのだ。

 声を荒げる事はない。俺の心を抉るように、丁寧に悪意を込めて、淡々と。

 目を逸らす事は許されない。心と、体。どちらも傷つけぼろぼろにするために。

 初めは耐えられなくて嗚咽した。そうすると、今度は暴力が来る。俺が限界を迎えるか彼が満足するまでそれは続き、今では一切の音を漏らさずに涙だけを流せるようになった。

 

「そうやって取り繕うのが上手いよな? あぁ、ムカつくぜ。俺と同じだよ、そういうとこ」

 

 正直なところ、もう限界だった。どうして今まで耐えられたのか不思議なぐらいに、俺の心は擦り切れていた。

 だから、襤褸(ぼろ)切れ同然の心は、隠されていた本音を吐露してしまった。

 

「…………どう、して……」

 

「……あぁん?」

 

 口答えされたと思ったのだろう。こめかみにミミズが這ったような筋が浮かぶ。しかし、次に吐かれた俺の本音が彼から表情を奪った。

 

「どう、して……俺を……産んだの……?」

 

 父はしばし呆然としていたが、次第に彼の貌が嗜虐に歪んでいった。吹き出しそうになるのを堪えてはいるが、弧を描く口元には隠せない悪意が滲み出している。

 

 言ってしまった。遂に、言ってしまった。

 言わなければよかったのに。言いたくなかったのに。

 聞きたくないのに。聞かなければよかったのに。

 俺は、言ってしまったのだ。

 

「……なんだ、そんな事か。大した事じゃねぇが、そんなに聞きたけりゃ教えてやるよ。それはな……避妊し忘れたからだ」

 

 

 ……………………違う。

 

 

「たまたま二人とも酔っててな、それが一発で大当たりしちまったんだ。世間体のために仕方なく産ませたが、参ったね。お前が産まれれば俺も父親の自覚が湧くかと思ったんだが、ところがそんなもん微塵も湧いてこねぇ。それは、アイツも同じだぜ?」

 

 

 ……………………やめ、て

 

 

「……ん? なに?」

 

「なんだ、聞こえてなかったのか? なあ、ちょっとこっち来いよ。……傑作だぜ」

 

 

 ………………いやだ

 

 

「だって、それで遊んでる時のあなた、怖いもん。……で、傑作って何やったの?」

「いいから、早く来いよ」

 

 

 …………もう、

 

 

 

「……あぁ、ホントだ。──酷い顔」

 

 

 

 やめて……

 

 

 

 

 

 

 高校生になった。

 不能になった。

 昼食と晩飯代が合計されて1000円になった。

 なんで俺は生きてるんだ。

 仮面を被るのは得意だ。

 バイトを始めた。

 早くここから出ていきたい。

 ここに俺の居場所はない。

 どうしてまだ⬛︎ねないんだ。 

 俺の醜く歪んだ本性に誰か気づいてくれればいいのに。

 ⬛︎にたいくせに⬛︎ぬ勇気がない。 

 怖いんだ。

 生きててごめんなさい。

 みんな嫌いだ。

 許してくださいもういやだ。

 

 でも、一番嫌いなのは俺だ。

 世界を呪うことしかできない卑怯者で惨めな俺が……大っ嫌いだ。

 

 

 

 先生に進学を勧められた。

 部活こそやってなかったが、成績も悪くないし普段の生活態度も悪くないから。そうした方が、将来有利になるから。

 未来なんて、いらないのに。

 

「大学よりも、やりたい事があるんです」

「……そうか、分かった。先生は応援してるからな。頑張れよ」

 

 嘘をついた。夢なんてないのに、また嘘をついた。

 

 ごめんなさい。

 

 ごめんなさい。

 

 うまれてきて、ごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――私はこれを知っている。この記憶を、知っている。

 傷ついてボロボロで。むりやり黒く染め上げた。

 そう、この黒い海は──私が忘れていた……過去(トラウマ)だ。

 

 

 

 

 

「……動く」

 

 黒い海の底に私は辿りきました。身体は……動きます。周りもちゃんと見える。

 

「……知ってる」

 

 私の目の前にあるのは、とあるマンションの扉でした。

 ワンルームの、狭くて何もない、囚人部屋みたいな場所。

 扉に鍵はかかってない。まるで、歓迎するかのように。

 

「ここに、()()()()()

 

 ドアノブに手を掛け確信と共にドアを開ければ、見知った男性が部屋の奥にいました。

 

 中に入ってドアを閉めて鍵をかけ、そのまま部屋の奥へと進みます。

 一歩一歩近づく度に、私の中に懐かしさが込み上げてくる。

 逃げ込んだ先、ここだけが()の居場所だった。

 

 身長170とちょっとの痩躯。髪は黒。瞳は光すら無い、濁った黒。

 そう、今ここにいるあなたは……

 

 

「──前世の、私……」

「──お兄さまだ」

 

 この世界に生まれる前の…………ん?

 

「俺は……──お兄さまだ」

 

 えっと……あの……?

 

「前世の私、ですよね?」

「違う。──お兄さまだ」

「……私のぜ「お兄さまだ。誰がなんと言おうと、俺はお兄さまなんだ」

 

 あっ……はい。そういう事にしておきます。

 ……えっ? どうしよう……どうすればいいのでしょうか?

 

「あの……私、どうすればいいんですか?」

「とりあえず座ろうぜ」




重くてキツい話はこれまでです。
『    』の中は『お兄さま』でした。
分かった人はたぶんシンパシーのスキルを持っています。

※後半部分を切り取って次話にぶち込みました。
修正した理由は「キツい話の後にギャグを入れたら感情がバグるんじゃないか?」と思い至ったからです。
急な修正をしてしまい申し訳ございませんでした。
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