少女は母を知らない。
自分を産んですぐに亡くなったから。
少女は父を知らない。
生まれたばかりの自分を捨て、どこかへ消えたから。
物心ついた頃、少女は施設にいた。
同じような境遇のウマ娘達に囲まれながら、ぐずる子供達をあやすのが彼女の日常だった。
少女は寂しさを知らない。
気づいた時には独りだったから。
別に構わないと思っていた。
だって、分からないから。
冷たくて、色褪せた日常。
手足が悴んで、水の中に沈んでいるような、そんな感覚。
きっとこれから先も、これがずっと続くと思っていた。
ある日の事だ。
施設の人に、いつもは入らない部屋に呼び出された。
この施設でみんなに先生と呼ばれている人と、見知らぬ女性が一人いて、先生がこの見知らぬ女性の事を紹介してくれた。
ぽわっとした雰囲気で、20代ぐらいだろうか? 少し緊張した様子だ。
先生曰く、どうやら自分の事を引き取りたいらしい。詳しい事はよく分からないが、悪い話ではないだろう。
でも、正直どうでもよかった。
「なんで、ワタシなの?」
素直な疑問だった。
自分は親に捨てられるような、不出来な人間だ。特別秀でているところもなく、ここから出て行きたいと思っている子達が大勢いる。乗り気ではない自分よりもその子達を選んだ方が喜ばれるだろう。
「……なんでって言われたら分からないけど、あなたがいいって思ったの。もしも運命というものがあるのなら、こんな感じなのかしら。……ありきたりな言葉で、ごめんなさいね」
困ったように微笑む女性に、どう返せばいいか分からなくなった。
嘘をついてる様子も、自分に対する悪意もない。彼女の真っ直ぐな心が伝わってきたからだ。
「……ワタシ、何もできないよ」
「若いんだもの。これからよ」
初めての感覚だった。
身体の中を血が巡るような、初めての感覚。
「……ワタシは、親に捨てられるような、悪い子だよ」
「あなたは悪くないわ。捨てた人が悪いの」
初めての感情だった。
色彩の欠けた世界に色が乗せられるような、初めての感情。
「…………ワタシで、いいの?」
「あなたがいいの」
この日、少女は知る。
「私と、家族になりませんか?」
やさしくて、やわらかくて、涙が出るほどあたたかい。凍えた心を包み込んでくれるひだまりを。
「………………うん!」
「そうだ! 改めて、自己紹介しましょ。今日からあなたのお母さんになった……いきなりは難しいわよね。そうね、あなたの呼びやすいように呼んでくれて構わないわ」
「…………お母さん」
「…………あらあら。あらあらまあまあ……!」
その言葉に、彼女は心底嬉しそうに顔を綻ばせた。
自分でも思うが、気を許すのが早すぎる。
「…………あっ……名前。ワタシの名前……『キョウエイボーガン』だって」
「あっ! 降りてくるってやつね。カッコいい感じなのね、あなたの名前。いいわね、素敵よ」
だって、仕方ないじゃないか。
知らなかったんだ、この温もりを。知ってしまったなら、もうだめだ。
「キョウエイボーガン……ボーガン……。それじゃあ、『ボー』って呼んでもいいかしら?」
「……いいよ。いっぱい呼んで、お母さん」
トレセン学園寮内の一室で、とあるウマ娘がモニターと睨めっこしていた。
彼女はキョウエイボーガン。ぶつぶつと独り言を言いながら、独自にまとめた菊花賞に出走するウマ娘達のデータを眺める姿は尋常ではない。
先日、トライアルレースの神戸新聞杯で1着を取ったので、彼女も今回の菊花賞に参戦する予定だ。
食事とトイレと風呂と睡眠以外ここ最近はずっとこれなので、同室のアッシュストーンも多少は慣れてきたが、内心は「ちょっとこいつ怖い」と思っていた。
「――京都大賞典のライスとブルボンの勝敗から見るに、ライスは京都レース場に高い適性がある。恐らく、ライスは下り坂が非常に得意なのだろう。だが、この伸びはどういう事だ……?」
今は本日行われたレース、GⅡ京都大賞典の分析中だ。
このレースはライスシャワーとミホノブルボンが出走し、結果はライスシャワーが1着でミホノブルボンが2着だった。
距離的にミホノブルボンが有利と思われたが、ライスシャワーがアタマ差で勝利を掴んだ。
シロノリリィは二人を元気に応援していた。ライスちゃんがんばれー! ブルボンちゃんがんばれー!
ライスシャワーのやる気が上がった! ミホノブルボンのやる気が上がった!
「――そうか……! 夏合宿のあのトンチキ……個性的なトレーニングか! 海上を走り続けるには脚の回転、すなわちピッチ走法を意識する必要がある。それと不安定な海上という足場を走るために体幹などが鍛えられた結果、彼女の坂適性が向上したのか……!」
手元にあったエナジードリンクを呷る。
彼女の机の周りには、ピラミッドのように積み上げられた空き缶が大量にあった。
「──アッシュよッ!! ワタシがリリィちゃんやライスやブルボンやタンホイザと比べて、何が足りてないと思う!?!?」
「才能」
「ライン超えたぞ貴様。……じゃあ優っているところは?」
「性格の悪さ」
「魔物か、ワタシは……?」
椅子から立ち上がって伸びをする。
ベキバキゴキ……と異音が鳴り、長時間座っていた疲労が伺えた。
「ワタシは最高にクールで知的でカッコいいが、彼女達と比べれば見劣りする。リリィちゃんには圧倒的なパワーが、ライスにはスタミナが、ブルボンにはスピードが、タンホイザには根性がある。根本的なことを言えば、君の言う通り才能が無いのだよ。……足りないものが多すぎる」
「例えば何よ?」
「情熱、思想、理念、頭脳、気品、優雅さ、勤勉さ。そして何よりも……──速さが足りない」
「頭脳と勤勉さは足りてるだろ」
皮肉気に告げる彼女の瞳は、昏い光を孕んでいた。
「こんな言葉を聞いたことはないか? 『トレセン学園に入れるだけで、既にエリート』。なんて、戯言を。入学おめでとう! とってもすごいね! 勝てなかった? 残念だったね! でもトレセン学園にいる時点ですごいよ! ……吐き気がするね」
ここにいるのは、愉快で頼れる(?)ウマ娘では無い。勝利を渇望する、凡愚だ。
「天賦の才を持つ者が、命を、誇りを、魂を削り掴み取るのが勝利だ。凡人であるワタシが彼女らを上回る努力を重ねても、それを嘲笑うように簡単に捩じ伏せていく。……ムカつくなあ。だから――」
「――それを覆せたら、爽快だろう」
でも、捩れすぎて真っ直ぐだ。
曲げても叩いても、反動をつけて戻ってくる。
「ワタシにあるのは、性格の悪さと執念と小賢しさだ。だからそれで上回る。彼女達に勝ってやる。……ところでアッシュよ。君は何のために走っている?」
「……唐突だな。まあ、あれだ。勝ちてえから走ってる。勝って、歴史に名前を刻み込めりゃ特上よ」
お前はどうだ? と聞き返せば、誇らしげに返された。
「大好きなお母さんに最高にカッコいいワタシを見てもらうためだ」
雲ひとつない晴天のような、見事なキメ顔だった。
「マザコン……」
「よせ、照れる……」
「褒めてねーよ!」
「は?? じゃあ君はお母さんを愛していないのか??」
「うるせー、そこそこだよ。そういや、お前から親父の話聞いた事ないよな? そっちはどう――」
「そんな奴はいない」
「……そっか」
不穏なものを感じたので会話を打ち切った。
判断が早い。
「ところでよ、菊花賞の対策案はなんかあるのか?」
「勿論さ。そのために
「普通に情報って言え」
「しかし問題があってね。成功率が1%なのさ」
「低すぎんだろ……」
「0じゃないなら上出来さ。なあに、ソシャゲのピックアップ確率よりは高いから大丈夫さ」
「お前いつも天井叩いてなかったか?」
アッシュストーンはソシャゲをやらないが、彼女の横で悶え苦しんでいるキョウエイボーガンを見て
やはりガチャは悪い文明!!
「――だから、その確率を上げる。くくく……菊花賞前のインタビューが楽しみだなぁ……!」
「……ろくでもねえ事考えてるんだろうなぁ」
本日、菊花賞直前のインタビューのために本レースに出走するウマ娘達が集まっていた。
皆一様に気合が入っており、身体の仕上がりも素晴らしい。
GⅠや一部の重賞レース前の恒例ともいえるこのイベントを楽しみにしているファンも多い。
いつもほんわかしているウマ娘達が、表面上は穏やかにしつつもバッチバチに殺気を飛ばしあっている姿を見られるからである。
今年のクラシック戦線で主役扱いのシロノリリィ達は中身がほわほわちゃんなので、そういった場面はあまり見られない。そこを残念に思っているファンも少なからずいた。難儀な性癖だ。
(……クラシック三冠、最後の一冠というだけはあるな。正直言って、ゴリラの群れに放り込まれた気分だ)
周りにいるウマ娘達は、皆一様に尋常ではない仕上がりだった。
キョウエイボーガン自身も限界以上に自分を追い込んで仕上げてきた自信はある。だが、これが彼女の初GⅠなのだ。多少の萎縮は仕方がない。
「おぉ〜! キョウちゃんの勝負服かっこいいですね! あっ、こんにちは。今日も元気なリリィちゃんです!」
「やあ、リリィ。ワタシもお披露目できて嬉しいよ。
周りのウマ娘達を観察していると、シロノリリィ達がこちらに気づいて声をかけてきた。
共にいるのはライスシャワーとミホノブルボン。二人もキョウエイボーガンの勝負服を見て、お祝いと感想をくれた。
彼女の勝負服は、黒を基調としたロングコート。雑に説明すると、○loodborneの狩人と同じような格好だ。
まだ開始時間まで時間があるので、談笑しながら情報収集を続けた。
特にこの3人――シロノリリィ達が菊花賞の中心となると考えているので、少しでも情報が欲しかった。
(やはりリリィちゃんは美しいな。……それに、いい匂いもする)
夏合宿以降、シロノリリィはレースに出ていない。恐らくスタミナを徹底的に鍛えるためだろうと予測した。
見た目に変化はないが、仕上がりはいつも通り絶好調だ。元気がない時はお耳がへにょへにょになっているから一目でわかる。トレセン学園に来てからはずっと絶好調なので、不調時の姿は誰も見たことがないのだが。
(尻、ごっついなぁ)
ミホノブルボンの肉体は、一眼見ただけで分かるほどの筋肉だ。勝負服越しでも分かる戦車のような筋肉にちょっとびびっていた。
こんな見た目でもシロノリリィの方がパワーが力が上なのは、正直理解し難い。ミホノブルボンがシロノリリィに腕相撲を挑み、こちらが両手というハンデがあってなお勝負にならなかったほどだ。
手押し相撲もやったが、誰一人としてシロノリリィを揺らすことすらできなかった。数多のウマ娘達を正面から受け止め、微動だにしない姿はまさに不動。ちなみに彼女は片手でダンプカーを止められる。
(肩出しは卑猥なのでは?)
今のライスシャワーはふわふわしているが、レースになると鬼に変貌する。そのギャップが癖に刺さると世間では言われている。私の性癖に合っています!
肉体は研ぎ澄まされていた。細い身体は練磨の証。無駄な脂肪を削ぎ落とした姿は見事としか言いようがない。
マチカネタンホイザはむんむんしていた。
(……ふふっ、やはりな。ワタシの能力では勝てそうにない)
そうしてインタビューが始まった。インタビューの順番は概ね決まっており、今世代の主役であるシロノリリィとライスシャワーとミホノブルボンが最後の方で、トリはマチカネタンホイザだ。その他のウマ娘は最初の方で出番が終わる。
大人の都合といえばそれまでだが、自分達が軽んじられているようで、彼女は好きになれなかった。
今日の放送はいつも通りの流れで進行していた。台本――ざっくりとした流れは聞かされているので、皆それに従っている。
インタビューの順番は知らされていないが、まあなんとなくいつも通りなのだろうと皆が思っていた。
キョウエイボーガンも無難に答えていた。まだ、事を起こすには早いから。
「菊花賞は私にとって、一番辛いレースになると思います。きっと不安な人もいるかもしれません。だから、見ててください。みんなの不安も、ライバルも、私が全部ぶっ飛ばします!」
「クラシック三冠最後の一冠。ここで皐月賞ウマ娘であるリリィさんと、ステイヤーであるライスさんを倒し、私が最も強いと証明してみせましょう」
「応援してくれている皆さんやトレーナーさんに、笑顔を届けたいから。私が勝つところを、見ててください」
キョウエイボーガンは知っている。今の時代の中心が彼女達なのだと。世間が望んでいるのは、この3人が三冠を分かち合う事なのだと。
その方がドラマチックだから。その方が映えるから。話題になるから。数字になるから。
「では、最後にマチカネタンホイザさん。お願いしま――」
「──傲りが過ぎるぞ、君達」
だから、これを利用する。
生放送で、筋書きが決まっていて、世界中が注目している今を。
「最初から誰も、天に立ってなどいない」
止めたければ、止めるがいい。
でも分かるよ。いい子ちゃんばかりだと飽きるだろう? だから……
「リリィも、ブルボンも、ライスすらも。だが、その耐え難い天の座の空白も終わる。これからは──」
「ワタシが天に立つ」
自分が
ここに立つ資格がないなどと宣うな。
「そうそう、ワタシは大逃げでいくぞ。じゃあ、タンホイザ。あとはよろしくゥ!」
「………………ほっ? ……ふぁっ? …………むんっ!?!?」
ワタシはここに居る。
刻み込んでやろう、己が生きた蹄跡を。
かくして、菊花賞の幕はあがる。
今年もこれで終わりですね。皆さんお疲れ様でした。なんだか時間が過ぎるのが早くなった気がします。
私のこの一年のチャンミ結果は、アクエリアスとMILEとDIRTとCLASSICとLONGでプラチナを取れました。アクエリアスは今年でしたよね? 少々記憶が怪しいです。間違ってたら木の下に埋めてください。
LOHは勿論ライスシャワー英雄譚☆☆☆です。プラチナはかろうじて☆がついてます。川崎記念はやりたくないです助けてください。
ライスちゃんで優勝したのはDARTとCLASSICです。来年はもっとライスちゃんで勝ちたいですね。小説を書け? …おっしゃる通りです。
それでは皆さん、来年また会いましょう。良いお年を。