鬱蒼とひしめき、ざわつく竹の群。小道に立つ二人の間を風が吹き抜ける。
足元まで届くほどの長い白髪に赤い瞳。涼しげな半袖の白いシャツ、古びた御札を大量に貼りつけた赤いズボン。気の強そうな一人はポケットに手を突っ込み、体を巻く炎の渦が辺りを煌々と照らす。
威圧感を宿した鋭い目が見上げるもう一人。長く艶やかな黒髪に黒い瞳、和洋折衷のドレスを着飾る上品な佇まいの少女が、ふわふわと宙に浮いて見下ろしている。愉快げに笑んだ口元を袖で隠しながら、小馬鹿にした表情で。敵意をむき出しにする少女とは対照的で、敵意も殺意も露わにせず、穏やかな姿勢と雰囲気を崩さない。
辺りに潜む白い獣達は、竹や岩陰、窪みや穴など地上の至るところから顔を出すだけで、いずれか一方に与する素振りも見せず、二人の動向を平等な立場でじっと見守るのみ。
「身も心も掻き消えるほどの年月を経ても、血の滾った野蛮な気性は相も変わらず。嘆かわしい様相ね。哀れみさえ感じるわ」
「お偉い月の『元』お姫様ともなれば、口に出す皮肉もご立派で羨ましいな。長い長い時間を持て余すのはお互い様だろう? 素知らぬ面したって賢く見えないよ」
白髪の少女――久遠に囚われし蓬莱人、藤原妹紅が黒髪の少女に、永遠亭の蓬莱山輝夜に敵意を抱く理由。
身の上話を口にせず、他者との共有も望まない、そんな彼女の意思を尊重すれば語るに及ばないが、生涯の仇に何百年も殺意を向け続ける程度には恨みの炎を燃やしていた。殺したいほどに憎々しい人物であると。
二人が対峙する竹林は平穏そのものだ。高々とそびえる竹の一本もへし折れていないのは、力づくによる争いごとに身を投じないまま、慣れのある舌戦を繰り広げるに止まる、平和的な手段を選んで律儀に守っていたから。凡そ仇を討ちたがる者の行いとしては生易しく不自然に思える。
「私の前で言っちゃうんだそれ。滑稽なご自分を徹底して貶す、新感覚の遊びに興じたり? たった二千年分も知らない、矮小な子の大口に付き合う趣味はないけど」
「狭苦しい箱に入ってた世間知らずじゃあ、現実が解らないのも当然かな。世界の広さを知る私が、直々に教鞭を執ってあげてもいいのよ。頭を下げて頼み込めばねえ」
「丁重にお断りするわ。馬鹿が移りそうだもの」
理由は三つ。一つ目は輝夜が同じ不老不死の蓬莱人であり、命のやり取りをしても永遠に決着がつかず、終わりがないと妹紅自身も理解していること。精々が苦痛を与えて自己満足に浸る程度だが、人の身にしては長すぎる人生で何千何万、それを遥かに超える数を血に塗れた者にとって、新鮮味も面白味も疾うに失われ跡形もない。
二つ目は一つ目に絡むもので、より核心を突いた理由。不死ゆえに決着がつかないまま年月を過ごすうち、心に巣食う負の感情が時の経過と共に薄れてしまい、昔ほど強い復讐心を抱くことは(無自覚ながら)なくなり、当時の血生臭い殺し合いは愉快なじゃれ合いと見なせる程度にまで落ち着いた。長々と独り歩きする憎悪の権化が神々との知恵比べに興じ始めたように。
そして最後の理由。平和的な舌戦や規律ありきの弾幕遊戯など、命のやり取りをしない闘いならば、蓬莱人同士でも勝敗を決することができる。しかしながら、どちらの命も潰えない点は変わらないためか、深すぎる因縁に終止符を打つまでには至らないようで、現在も同じか似たような勝負を飽きずに繰り返している。今現在の二人のやり取りもその一つだ。
「むー」輝夜は考え込む。「変わり映えないなあ。どうしよう」
蓬莱人を取り巻く時の流れに終息はない。他の者とは根本から異なる独自の時間を生きていたら、目に見える景色も独特に変化せざるを得ない。
あり触れた人間や妖怪はもちろん、生命力の塊である妖精も自然物や現象ありきの命を宿すに過ぎず、地上の生存競争を拒んで穢れを捨てた月人でさえ、永遠に近しい寿命を持つだけで不死ではない。本当の意味で『永遠』の時を持て余す者は、幻想郷や月をひっくるめても蓬莱人くらいのものだ。自然の息吹や瑕穢の有る無しは関係なく、肉体も魂も不滅であり続ける。
「そんじゃ、『あれ』でもやるか? 久々に」
妹紅の不敵な笑み、ぎらりと挑発的に光る赤い瞳。雲のように宙を漂う輝夜がふわりと着地した。
幾度となく繰り返した殺し合いや弾幕勝負、皮肉めいた舌戦に飽きを覚えたとなれば、それに代わる勝負ごとを欲するが道理。だが新鮮味に足る遊びを見つけようにも、永い時を生きる不死者には敷居が高すぎる。新しいものが見つかるまでの繋ぎとして、面白味を優先して好きな遊びに興じる方が現実的だ。似た者同士の二人はよく分かっていた。
「……考えは同じってわけね。そろそろかなあ、とは思ってたから。好い機会だわ」
「自信しかないな。せいぜい面白おかしく踊ってくれよ」
辺りの空気が熱を帯びる。妹紅が険しい表情で目を見開き、灼熱の渦が激しい風を吹き起こすと、静かに佇む輝夜にまで到達した。高々とそびえる竹の群が揺れて音を立てるも、長い黒髪の一本もなびかず、目に見えない壁が威圧的な妖気を寄せつけないようだ。
輝夜は怯まず身動きしない。すぅっと深呼吸した後、力強い笑みと共に互いを指さす二人。
「一個でも下回ってたら」
「人生の敗者ね」
ご立派な口上も前起きも大した脈絡もない、自由奔放で子供っぽい思いつきにより天高くまで昇り始めたのは、香ばしい匂いを発する不死の狼煙。火ぶたはぶちっと引き千切られた。
「――ってな感じなんだ。手ェ貸してくれるでしょ? とーぜん」
数十分後。竹林から遠く離れた人間の里、南の地区の外れに在る一軒の建物にて。
辺りは一面の田畑や小さな廃屋が点々と散らばり人の往来がない。賑やかな中心部からは距離があり、砂利道から外側には鬱蒼とした森が広がるだけで、用事がなければ里人も妖怪も近寄らない区域だ。
ここには目立たないが異彩を放つ、和菓子屋という体をとるだけの煎餅工房がある。輝夜と別れて竹林を後にした妹紅が訪ねた場所である。
「当然のように振舞ってるところ悪いが……何を思っての『トーゼン』か分からんぞ」
古風で質素な店の内装に似合わない、異様な装飾の肘掛椅子で寛ぐ妹紅。手土産に持ち込まれた干し柿の袋がテーブルに一つ。今しがた四文字を復唱した人物、丈の長い黒衣に身を包んだ男が腕組みして、焼き上げた『作品』が並ぶ木棚の傍に立っている。
「だからね」妹紅は干し柿を頬張る。「貴方にも参加してほしいのよ。あいつとの闘いに」
煎餅職人の肩書を持った唯一の忍――オビトは口調も表情も硬いので判りにくいが、急にやって来て頼みごとを口にした蓬莱人を前に困惑中。平然と応対できる方が不自然だ。
「分からんと言っただろう。ここに来た訳が」
妹紅は里外から出入りする人間の一人。里に拠点があるオビトも何度か姿は見かけていたが、面と向かって話すのは二度目。竹林の奥地に佇む永遠亭への道案内を依頼した時が最初で最後、それ以後に接触する機会はなかった。
神威を使えば一瞬で行き来できるために、案内を頼んで竹林を歩く方が手間暇をかける、という理由が一つ。もう一つは人付き合いに対する関心の薄さ。誰かと親睦を深めたり、暇潰しの会話や弾幕勝負、その他諸々に洒落込む人や妖が多い中で、オビト自身は何らかの必要性を認めた時以外、自分から誰かに会いに行くことはない。
ゆえにオビトは、普段は付き合いのない藤原妹紅が何の因果で勧誘に訪れたのか、心当たりがなかったのだ。
「いやね」椅子にもたれる妹紅。「何人か当たりはしたのよ、他にもね。助っ人は居るに越したことないし」
ここを訪ねる前に会った人物が二人ほどいる。妹紅の友人であり、よき理解者である上白沢慧音。寺子屋で里の子供達に歴史を教えている半人半妖だ。もう一人はこの地区をさらに下った場所に在るお寺、命蓮寺に身を置く外来妖怪の二ッ岩マミゾウ。大勢の狸達を束ねる頭領である。妹紅はいずれとも親しい関係にある。
「でもねえ……断られちゃってさ。案の定」
実のところ妹紅も、憎々しいお姫様との闘いに二人が手を貸すとは半信半疑、どころか期待値は限りなくゼロに近かった。諦め度九割九分以上で一抹の望みに賭けたに過ぎない。
慧音は丁寧で物腰柔らかだが、礼儀に口うるさく真面目で堅物、妹紅と輝夜の古き因縁を知る一人であることも重なり、子供染みて見飽きたやり取りに関与する意思を見せなかった。マミゾウは力も器も強く大きい妖怪で、子供っぽい遊びも受け入れる柔軟さと理解があるものの、単純に興味がなく酒を飲んでゆったりと過ごす方が性に合うとのことで、やはり関与する気が皆無だった。両者共に門前払いである。
「だから貴方を、って。妥当な人選だと思わない? 人間だし」
「言葉を借りるぞ」オビトは呆れ気味の視線を向ける。「だから何故、よりにもよってオレだ。頼れる奴なら他にいるだろう」
幻想郷に住む人間や妖怪、特に後者が自分本位で個人主義に傾くのは間違いない。妖怪とは種族も独立体も、元来は孤を好む本質を持った生き物である。だが人間にも色々な者がいるように、どんな集団にも例外となる変わり者、多数派と意見を異にする少数派が存在するものだ。候補に挙がるのは二人だけではない。古くから馴染みのある者達を差し置いて、最近に外から入り込んだ『外来人』を選抜する理由がオビトには分からなかった。
一見すると快活で人懐っこく、交友関係が広く思える妹紅でも実情は違うのか。あるとすれば特異な身の上が絡むのだろう。
「ふふっ」妹紅のしたり顔。「何の考えもなく会いに来るとでも? そう……お前は断れないっ!」
相応しい手札や合理的な主張なくして対等な立場はあり得ない、という交渉の基本は押さえていると言いたげに、やたらと自信満々にオビトをびしっと指さした。二つ返事で了承しない可能性は想定内だったようで、戦力として引き入れるには相応の理由が必要だと分かっていた様子。
どこかの蛇っぽい眼鏡が脳裏をよぎるも、痛いほどに張り詰めた場で真意の探り合いを繰り広げていた、あの時よりはずっと穏やかで平和なやり取りだ。
「前に約束したでしょ? 手伝ってくれるって」
「約束……」
「忘れたの? あれかな、あの時は勢いで言ったとか。酷いなあ」
ぐいぐいと遠慮なしに押す妹紅の積極的で強気な姿勢。一時的な場の流れや嘘偽りで塗り固めた態度と見なすには、妙に自信に満ちて揺るがない。しかも阿求とのやり取りを思い起こさせる。『約束』とまで口にした彼女の物言いを真実と採るならば、相当に確定的な理由づけが存在すると思い、オビトは過去の記憶を探ることにした。
一対一、もしくは複数で直接的に顔を合わせたこと、誰かを通じて間接的に接触した機会も二回のみ。つまり一回目、永遠亭までの道案内を頼んだ際に交わした約束事。対価として支払うと取り決めたのは――。
「……タケノコ」
オビトによる不意の呟き。直後に「違うな」と自分で否定する。互いの存亡をかけた『戦い』、力の優劣や勝ち負けを決する『闘い』とは無縁の約束だ。いずれかを称した妹紅の言葉に該当するとは思うまい。騒乱ばかりの壮絶な人生を歩んできた者には頑張っても辿り着けない答えである。
「そうだよ?」
妹紅は首を傾げて呆気なく肯定した。珍しく面食らうオビトを不思議そうに眺めながら。
――ここを訪ねた彼女から聞かされたのは、竹林に住まう大筒木ではないカグヤとの戦いに備えて、できる限りの戦力を集めて準備を整える必要がある、という大雑把で断片的な情報のみだった。
戦慣れした忍であるオビトに幻想郷の常識に依らない考え方が健在ならば、頭に思い描くのは血生臭い殺し合いの凄惨な光景となるわけで、よもやそれが竹林に分布する自然の幸――『たけのこ』を奪い合う平和的な勝負とは夢にも思うまい。月に映せし目が開いたところで『た』の字すら登場しない。
「…………」
予想外の言葉を耳にしたのは確かだった。予期できるはずもない。
妹紅が無駄に爽やかな笑顔で「筍!」と念を押して親指を上げても、オビトの表情に曇りは生まれず、心なしか安堵の色も見え隠れしていた。初めに戦いと聞いて、敵対する理由も意味もない者とやり合う破目になる可能性を危惧していたからだ。妹紅の口から『筍』と聞くまでは。
証明も期限もない口約束でも、当時に協力の対価として交わした正式な契約。約束を反故にする気も理由もオビトにはない。妹紅の助力を得て無事に目的を達したのは事実だ。しかしながら、もしも妹紅の言う『闘い』が『戦い』で、本気の殺し合いに付き合うのであれば、即座に断って無理にでも追い返しただろう。世話になった身だとしても。
「……何だ? その顔は」
妹紅はくすくす笑っている。悪戯っ子のような表情を浮かべて、燃えるような瞳が瞼の奥に消えた。
「いい反応ね。回りくどさ出した甲斐があったってもんね」
筍争奪戦のための協力者探しと初めに伝えたらいいものを、遠いようで近しい日の追憶をよぎらせるためにと思考を誘導して、自力で真相に辿り着いたオビトがどういう反応を見せるか試したのだ。飄々と振る舞うだけで隠し通したり誤魔化すことなく、種明かしに入ることを選んだようだ。
妹紅は手製の干し柿を勧めるも、一部の食物以外を口にしないオビトは受け取らず「それで」と続けた。
「タケノコってだけなら問題ないが……本当にそれ『だけ』だろうな。お前らの喧嘩に巻き込まれるのはゴメンだぞ」
「竹だけにねえ」
尾獣狩りよりは楽だと思われる筍狩り。助力は約束事に基づく範囲に止まり、本筋から逸脱した個人の事情に干渉する選択肢はない。永年の宿敵に対する殺意が妹紅の内に満ち溢れていたとしても、蓬莱人同士の終わりなき命のやり取りに興味関心を抱くことはないだろう。永遠に。
「ま、安心しなよ。何もあいつと喧嘩するってわけじゃない。『筍採りを手伝ってもらう』だけさ」
「ならいいが」オビトは腕組みを解いた。「『迷いの竹林』だな。今から向かうのか?」
「いんや。約束の時間まで三十分ある。せっかく邪魔したんだし、もうちょいゆっくりしようかな」
干し柿を口にくわえたままうーんと伸びをする。餓死せずとも空腹から食事をして、過労死せずとも疲労は蓄積されて、戦死せずとも傷を負えば苦痛を感じる。己の命を体から魂に移して肉体的な死を拒絶しても、他の部分は人のそれと変わらない。蓬莱の薬を服用した者の体の作りは便利で不便だ。
特別な体も力も持たなかった人間が不老不死の身となり、長生きした猫や狐のように妖術を身につけて、妖や神に類する魂へと姿を変えた。本意にしろ不本意にしろ、人の理解が及ばない力を手にした時、人として何を思ったのかは想像に難くない。干し柿で口が塞がらずとも、心の内を吐き出すような真似はせず、しようとも思わなかったオビトだが、後ろから追い立てていた黒い影が消えた現在、混じり気のない静かな心で物事を注視できたのは確かだった。
「にしても」妹紅がオビトに視線を投げる。「初めは驚いたよ。長い間ず~っと行方不明だった奴が、いつの間にか煎餅職人に……なんてねえ。誰も思わないし、こんな端っこじゃ気づかないって普通」
結構な頻度で人里に出入りする妹紅も知ったのは最近だった。寺子屋を訪ねた時に慧音から聞かされたのだ。騒ぎの渦中にいた異邦人が密かに生き延びていて、幻想郷に再び姿を見せてからは里の外れで平穏に、ひっそりと暮らしていると。
気づかずとも無理はない。因縁めいた騒動が終息して以降は、体の機能とチャクラが戻るまで、誰も立ち入れない場所で療養生活を送っていたのだ。自由に外を出歩くようになってからも、各地に隠れて散らばる式神達に関与する時など、ごく一部の例外を除けば、普段は幻想郷の外側に身を置いていた。運び込まれた屋敷での生活が気に入ったり、八雲の妖怪達に軟禁されて身動きを封じ込められていたからではなく、万全に帰する前に屋敷を出る理由がなかった、という自己の意思に基づいた判断である。何よりオビト自身、自分から誰かに話したことは一度もない。
妹紅が慧音を通じて知ったのであれば、慧音は資料の編纂、同じ里人という共通点を持つ人物、稗田家の阿求から聞いたと考える方が違和感はないだろう。
「気になったんだけどさ。なんでこんな不便な場所にしたの? 店を構えるなら人の多いとこが基本だと思うけど」
「物の売り買いは形式上の体だ。賑わいが合わんのもあるがな……こっちの方が色々と都合がいい」
扱われる品々が煎餅でも忍具でも鉄くずでも、店が利益を得るために必要なものは客足。金銭の支払いなしに利益が生まれるはずもない。商売を第一とするならば、人や妖の往来が盛んな場所か否か、どうせ構えるなら前者が有利である。
他の店では取り扱わない唯一無二で独占的な商売とか、従業員が里中に名を轟かせる有名人だとか、広告など宣伝に莫大な金と労力を費やしているだとか、他者には真似できない点が一つや二つあれば店をどこに開こうが――何なら人気のない森の中でも客は寄りつくだろう。だがありふれた体の新参者が辺鄙な土地に構えたところで、活気づくか否かを問われても答えは判り切っている。利益度外視と逆を言えば答えを出すまでもない。
「都合ねえ。好みってよりは、拠所ない事情ってやつかな? 思いのほか息苦しかったり」
ちらっと店の入り口へと視線を投げる妹紅。赤い目が探るように動いて細まる。固く結んでいた口元が緩むと、テーブルに頬杖を着いてオビトを眺めながら、「涼を巻く晩夏の布切れ」と呪文のように発した。見た目相応の子供っぽい笑みを戻して。
気まぐれで熱しやすい妖怪が使いがちな皮肉のように、一見すると会話の流れを無視して唐突に飛び出した上、訳の分からない戯言にしか聞こえない。意味ありげに瞳を光らせても困惑するしかない。
ところがもう一人、オビトは妹紅の意味不明な言葉を認識した瞬間、やたらと真剣な表情で目を見開き、強い衝撃を受けた様子で後ずさりしたのだ。
「お前……そいつは。その言葉は……」
「『合言葉』、ね」妹紅は掌に炎を燃やす。「……その顔。ど真ん中ぽいね、やっぱ。そーなんだよねえ実は。私もなんだ」
「そんな偶然が……神がかりな」
「うようよしてるしね。神サマなら」
普段は冷静で心を乱さないオビトが動揺した理由。今しがた妹紅が得意げな表情で口にしたのは、オビトにとって特別な意味を持つ言葉だったからだ。
――里の北側。古びた墓石が数多く立ち並ぶ、物寂しい地区の端っこに建つ一軒の家屋。出入り口の扉を潜り、左手前から数えて五歩目の床下、隠し階段を下りた先にある地下に、人や妖知れず構えられた工場。伝説的な職人が住まう工房だ。
人前に決して姿を見せない、偏屈な変わり者に会うための唯一の方法は、里内でもごく一部の人物にのみ口伝で教えられる秘密の合言葉を、決まった日時に特定の場所に立って、五秒以内に正確に言い切ること。一度でも言葉に詰まったり、噛んで滞りが生じた場合は、理由のいかんを問わず無効となり、後日に再訪して言い直さなければならない。妹紅が知るのは阿求と同じ関係者ゆえだったのだ。
「ま、暇だから基本。なんでかは知ってるだろう?」
「色々と手を着けているようだな。その分」
「里の中だけじゃあないよ。外でもどこでも、興味の対象はあちこちに散らばってる」
不老不死の蓬莱人が過ごす時間に限りはない。途方もない時を生きていたら、抱えていた「やりたいこと」を遍くやり尽くして暇を持て余すのは必然。現に同じ不死者である輝夜は熱が入る物事を、新たな趣味や刺激を日々欲し続けて止まない。永遠の退屈は蓬莱人を待ち受ける不可避的な定めだ。
具体的に何なのかは妹紅達、あるいは始原たる天地の魂のみぞ知る。蓬莱人ではない者に想像できる常識の範疇ではなく、それを理解するオビトは考えを巡らせもしなかった。
「てなわけで、そろそろ――」
「行くか……」
頬張っていた干し柿を呑み込むなり、妹紅が「よいさっ!」というかけ声と共に腰を上げたので、出陣の時は来たと予感したオビトの右眼を中心に渦が巻き始めるも、すかさず本人は待ったをかけて右目を瞑る。
「少しくらい待たせよう。あいつを待つのはシャクだ」
「図太い判断を。どうする気だ?」
「だからさー。あれよ、あれ」
明らかにどこかへと向かう気満々の妹紅。傍から見ても行き先は竹林と思うところ、晴れやかな表情で出入り口とは反対側、長台の方を親指で肩越しに示した。穴の開いた硬貨をオビトに突きつけながら。
「何かの縁だろう? 店ごと丸焦げにする力、存分に拝ませてやるよ!」
「……頼もしさも爆発、か。迷惑半々だがな」
過剰な表現を用いた主張が作り出す地盤は不安定にも映るが、自信に満ち溢れた姿勢は優れた作品を生み出す上で好ましく、満足のいく出来をもたらす心構えには違いない。
思わぬ伏兵として正体、というより意外な一面を晒した蓬莱人が遠慮なく奥に消えると、店主のオビトも仕方なしに後を追ったのだった。
――◇◇◇
深い霧に覆われた広大な竹林でも、この辺りは見通しが良好な上、人や妖怪が立ち入らない奥地ゆえに静かで、良質な筍が年中豊富に採れる絶好の穴場。古きよき屋敷に隠れ住む姫君のお気に入りだ。
高々とそびえる竹の群に囲まれて、開けた場所に仁王立ちする人物が一人。傍に置かれた空っぽの籠、豪華な装飾が施された金色のクワと、準備も気合も万端のようだ。特定の二文字が書かれた鉢巻きをしていても違和感はない。
「来たわね……!」
待ち合わせの時間を決めて解散、妹紅が去ってからも場を一歩も動かず、来たるべき決戦の時を黙して待ち続けていた人物が、前方に降り立った宿敵を認識した途端、見事な滑舌と大げさな抑揚で声を発した。
敵意の炎を燃やす鋭い眼、緊張の糸で縫われた口元、ぎゅっと力を込めた握り拳。これらが向くべき相手が妹紅だとしても、向ける本人が直接的な因縁で結ばれた張本人とは限らない。竹林の奥地に佇んでいた姿を目の当たりにして、颯爽と現れた妹紅は目を瞬く一方、予想外とは思わず「またか」と慣れた様子で息を吐いた。
「小間使いが板にべったりね。抜け毛、大丈夫かい? お前さ」
宿敵の前で言う台詞と取るべき態度ではない。本人の姿など初めから映していないからだ。
薄紫色の長い髪が揺れる。しわくちゃの兎耳、白い内衣に赤の襟締、桃色の短いスカート。見飽きた顔は同じでも、別人となれば反応は変わる。屋敷の雑用に日々駆り出されて、便利にこき使われている忠実な苦労人、もとい兎を前にしたとなれば。妹紅の言葉はど真ん中で数分のズレもない。
「べったりは貴方でしょ。あの方に付きまとって……性懲りもなく絡んできて。止めてもらいたいんだけど? いい加減」
「無理だね」妹紅は鼻を鳴らす。「脈も止まらないのにさ。死なないし私ら。限りのある奴が口出す領分じゃあない」
身分を望んで捨てた元王族である宿敵、その元教育係である薬師の元部下兼助手兼弟子にあたる人物だ。月の姫と下っ端兵士の主従関係が地上でも健在ならば、主の命を受けた部下が戦場に赴くのは自然の流れと言える。この状況を想定の範囲内として違和感なく受け入れたのは確かだ。然るに元玉兎の主張を妹紅は即座に否定した。個人的な腐れ縁で繋がる蓬莱人同士の争いごとにおいては、そんな彼女も赤の他人に成り下がるからだ。
主人からの言いつけを守って代わりに待っていた人物――永遠亭の妖怪兎・鈴仙も初めは睨みを利かせていたが、飄々とした妹紅の緩い表情を見るうちに、敵意を僅かに薄めて「まあでも」と落ち着いた口調で続ける。
「話は大方聞いたけど……『筍』を採るだけ、なんでしょう? いつもの遊びや殺し合いじゃなくて」
「同じ展開の繰り返しじゃ飽きも来る。趣向を変えるのも一興かなあと。楽しそうだろう?」
「全然。マシってだけよ。あの方の命を狙うよりはね」
永遠の時を生きる蓬莱人ゆえの宿命か、長すぎる時の流れと死なない体ゆえに負の感情は薄れつつある。その日の気分や一時の勢いで復讐を口実にしたり、宿敵との闘いで飽きを口にするほどに、妹紅の態度が軟化したのは事実だ。これに関しては人と妖の殺し合いに取って代わる、命名決闘も少なからず影響を与えている。
それでも輝夜との関係性は現在に至るまで不変であり、妹紅の恨みが綺麗さっぱり消え失せたわけではない。勝敗を決める闘いでも血塗れの戦いでも、終わりなき小競り合いを繰り広げている。主に仕える鈴仙が彼女を快く思わない理由だ。愛想笑いを浮かべて馴れ馴れしく接してきても、にこりともせずに淡々と返答するのみ。
「なるほど、なるほど。だからいつもより静かなのか。割と騒がしいとこあるしね、鈴仙ちゃんって」
「……不快なだけね。貴方に知った口叩かれても」
人も妖も神も短気で血の気が多く、好戦的で喧嘩っ早い者が多いのは幻想郷の常識の一つ。ほんの些細なきっかけで弾幕が飛び交うのだ。大人しそうに見える鈴仙も例外ではない。
道案内の最中に顔を合わせた時も顕著だった。早とちりと誤解に突き動かされて、凄まじい激情に心を支配された鈴仙は、無関係な人間を傷つける一歩手前に踏み込んだ。身内を大切に思うがゆえの突発的な行動は、頭に血が上ると正常な判断と行動に支障をきたす、分かりやすい一例だった。赤黒い波が打ち寄せる断崖絶壁から身を投げても最悪の結末に流れ着くだけだと。
「思い出すねえ。あの時はもうね、あいつを見るお前の目、迫力二点だった。左手の人差し指が震えたよ二秒くらい」
「一舐めで二度不味い飴みたいに言わないで」
頭に浮かんだ言葉を突然に、話の流れを無視して口に出しても正しく伝わらず混乱を招くだけだが、我が道を行く妹紅は関係ないとばかりに一方的にまくし立てる。その辺の人や妖怪にありがちな自分本位な振る舞いに慣れのある鈴仙は、小に小を重ねて究極的に縮小させたような独特な表現に少しばかり触れるに止まり、興味なさげな表情で「それで」と話題を切り替えた。
「やるならさっさと始めましょう。貴方なんかと長々話したい気分じゃないのよ。そんなつもりで来たわけじゃないでしょ、そっちも」
「ふうん」妹紅は欠伸する。「真面目は結構だけど、さっきからご主人サマの姿が見えないね。使いっ走りが代わりに闘るってことでいいのかい?」
勝負の方法を一緒に取り決めた宿敵が不在の中、便利な手駒も同然に差し向けられた鈴仙を見ても、妹紅は憤慨せず文句の一つも垂れない。自分なりのこだわりに飽きや惰性もなく、やること全てが新鮮一色だった当時とは違い、輝夜本人を直接的に叩きのめすか否かを選択する段階は疾うに過ぎた。どんな形や相手であれ、勝負を託された者を打ち負かして、決定的な敗北を認識させることに意味がある。
変わり映えのない日常に変化を起こす『きっかけ』を探し求める輝夜は、いかにもお姫様という容姿、のんびりとした雰囲気の割に好奇心旺盛で行動力がある一方、面倒臭がりで気まぐれな面もある。自ら手を下したり足を動かすばかりではない。誰かに丸投げして任せるのは八度や九度ではない。
「貴方を屠れないのは自明の理。でも遊びなら自信があるし、筍ならもっと負けない。伊達にあの方と一緒に居ないわよ」
煮ても焼いても分解しても、粉微塵にすり潰しても死なない蓬莱人に殺し合いを仕掛けても無意味。妹紅の肉体が人間並に貧弱で、力が小妖精並に弱小と仮定しても結末は変わらない。永遠と須臾に干渉して作用する超越的な力を持つ者、相当に捻くれた怪物でもなければ、単純に不死身ではない方が力尽きるまで延々と持久戦を強いられるのみ。力量の差は努力や才能次第で埋まる場合もあるが、概念の差はどう頑張ろうと覆らない。
人にしろ妖怪にしろ、圧倒的を通り越した絶対的な差を縮めて、両者が対等な立場で争い合うために生まれた代表例――今日では当たり前となる『ごっこ遊び』の取り決めにより、力の強弱のみならず、限りある者が限りなき者に立ち向かい、打ち勝つことのできる場が整えられたのだ。怪我人や死者が出るのは玉にきずだが。
より平和的な決闘が何かと訊かれたら、竹林においては筍掘りを置いて他にない。屋敷のお二方から日々押しつけられる雑用をこなし続けるうち、鍛えに鍛え上げられた手腕は筍掘りも含めて、永遠亭でも抜きん出て高いと自負がある。筍料理の腕に至っては綺麗な白無垢に値するだろう。
周辺は良い筍が豊富に採れる区域の一つで、過去に何度も足を運んだ独擅場で地の利がある上、この手の勝負ごとには自前の能力が有利に機能する。熱が入って本物の殺し合いに転じない限りは、主人と渡り合う藤原妹紅が相手でも勝算は消えない。
「どうかな? 夢物語で終わるかもよ。お前一羽で私らに勝つなんて、さ」
「『ら』って……」
妹紅が自信に満ち溢れた口調で喋る理由。不思議に思った鈴仙は、分かりやすい言葉を聞いた直後に目を走らせる。
光輝く竹なり岩陰なり地中なり、どこぞに誰かが隠れて息を潜めていても、能力で編んだ索敵の網を蜘蛛の巣のように張り巡らせて、空気中を絶えず行き来する波の揺れを糸電話の要領で辿れば忽ち判るはずが、辺りは竹が鬱蒼と囲むだけで他の気配は感じない。『波長操作』の範囲外か対象外の何物かが身を潜ませて出番を待ち続けているのか。
「……助っ人でも連れてきたの? ご苦労なことね。どんな奴を抱き込んだか知らないけど、数ばかりで向かってくるだけじゃあ、私との差を縮めるのは未来永劫――」
しわくちゃの兎耳がぴんと突然に立ったのは、妹紅がどっしりと構える原因をもたらした、彼女の協力者と思われる人物が呆気なく現れたからに他ならないが、言葉が途切れたのは姿を確認したからではない。その正体を目で視たり、気配を能力で察知する前に、空気を吸い込むような重々しい「ズズズ」という独特な音が耳に入り、それを聞くだけで直ちに判別がついたのだ。にやりと動く妹紅の口元。
幻想郷を生きる数多くの人や妖、神様の姿が頭をよぎる中で、鈴仙にして思いもよらない人物が降り立った。唐突にも程がある出現を予期していた妹紅は、緩んだ表情のまま視線を投げて「どうだった?」と尋ねる。
「上々だ」
明らかに聞き覚えのある声は、どう頑張ろうと否定できない。姿を視認すれば疑いようもない。薬を売りに出入りする里で見知った間柄であると共に、永遠亭と月を巻き込んだ以前の騒動に始まり、幻想郷以上に非常識な世界を走り回った奇妙な体験と合わせて、刻み込まれる記憶と印象が色濃くなるしかない。
鈴仙は口をあんぐりと開けて動かない。忘れもしない人間が何の因果で、しかも藤原妹紅に与する
「一通り頭に叩き込んだ。熟練者のお前が付き添わずして、それなりに動ける程度にだが」
「熟練だなんてそんな。自覚はないけどまあ、悪い気はしないかな? 奥深いんだよねえ。筍って」
愕然とした様子で傍から二人のやり取りを眺めている。妹紅はちらっと鈴仙に視線を投げるとオビトの傍に寄り、これ見よがしに馴れ馴れしく腕を絡めようとした(不意の接触に反応した体をすり抜けた)。
唐突で理解に苦しむ光景に首を傾げながらも、強気な表情と小刻みに揺れる精神の波の動きを視認して、何らかの挑発や威嚇の類と受け取り、鈴仙の眉がぴくりと動いた。僅かに苛立った表情を押し殺して軽く咳払い、動揺を隠すように髪をかき上げるだけで、冷静さを失わずに「へえ」と察したような一言。
「少し驚いたわね。その蓬莱人に味方するんだ、貴方」
「事情がある。善からぬ企みはない」
「別にいいけど? 理由ありきならね」
再会を果たしても変わり映えのないオビト。鈴仙は落ち着いた姿勢を崩さず、妹紅はあごに手を当てて観察する。不器用なりに発破をかけて勢いづける思惑のはずが、表情に憤りは見られず、言動に激情はこもらない。
新鮮さと面白味を期待して取り入れた勝負ごとだ。何かと共通点、接点もそれなりに多く見受けられるオビトと鈴仙、不思議な人間と妖怪の関係性に興味半分、冗談半分に不似合いな仮定を押しつけた。人見知り気味の元玉兎が普段とは異なる、意外な一面を見せるかを試したのだ。単純に不慣れなのか、妖怪ゆえか宇宙人ゆえの無理解か、退屈で期待外れの反応を返すだけだった。
「うーん。早かったかねえ」
どちらかと言えばオビトが、他者と親交を深めることに興味関心を持ち、ほんの僅かでも積極的な姿勢を見せていたら、生き生きとしたやり取りを拝むこともできただろう。永久不変の時を過ごす蓬莱人とは違い、皆と同じ時間を生きる人間であり、幻想世界の『例外』にあたる外来人の身でありながら、なおも逸れ者に甘んじるのは勿体ないと思ったのだ。
口に出して認識を与えては意味がない。自覚の有無次第では幼稚な演劇に成り下がる。幻想郷における人と妖のありふれた、判り切った組み合わせはともかく、此方では『非常識』な外来人なら常識を堂々と打ち破り、記念すべき事例を作り出すと期待したが、時期尚早か見込み違いだったようだ。
「おっと」
本意は筍掘りである。近日中に寺子屋で開催する予定の、何度目かも判らない筍パーティー用の材料調達に手抜きや妥協は許されない。妹紅は二人に考えを読まれる前に切り替えることにした。
「お二人さん。見つめ合ってるとこ水を差すけど、もうそろそろ始めるよ。準備はいい?」
「構わないわよ。私はね……」
手に馴染む丈夫で軽い鍬、重石を投入しても損壊しないほど頑丈で大容量の籠。相手に取って不足なし、負ける気もしないと言いたげな、自信に満ち溢れた表情。履き物と衣服はいつも通り。妹紅もどこから取り出したのか、必要な装備は用意して傍に置いてある。
オビトの方は手ぶら。同伴する妹紅の道具は一人分、鈴仙もオビトの参戦は予期できず、事前に人数分は用意していない。
案の定か、右目を中心に発生した空間の歪が答えを示したようで、右巻きの渦に巻かれて何かがいくつも吐き出された。妹紅と鈴仙は口々に言って近寄る。
「いいねえ。気合いばっちりで」
「……やりすぎ感も否めないけど」
地面に積み重なる鍬や円匙の山。先端が長い物、平らな物、程よく尖った物、鋭利すぎて凶器と間違えそうな物、明らかに失敗作であろう歪な形状、大きさも様々で何でもござれ。
それもそのはず、縁や表面の出来が全体的に粗いのは理由があり、ほとんどがオビトの手製。例に漏れず木遁を有効活用した実験的な産物、並ほどに頑丈で環境にも優しい。一般に取り扱われる鉄製の物は数えるほどしかない。
「なんか貴方ってさ、どこでも生きていけそうよね。灼熱地獄のど真ん中でも平気じゃない? なんなら草の根一本生えない魔界の奥地でも」
妹紅の何気ない言葉に反応する鈴仙。元々は見知らぬ異国に丸裸、有体に言えば半裸で放り込まれた男である。
「自給自足は任務の基本だが、特殊な環境下では限界がある。豊かな自然の賜物だ」
辺り一面に蠢く無数の太い幹や枝。自然界に在る樹々を自在に操る力は一面に過ぎない。万物に命を吹き込み機能を与える、陽遁の力を軸に樹々そのものを創造して操る力こそが木遁の神髄だ。死に絶えた大地も深緑の咲き誇る樹海に様変わりするだろう。自然の豊かな惑星を循環する莫大な自然エネルギーの集合体、神樹を元とする千手柱間の力は忍の限界を超えており、原型たる力に比肩するのは一生を費やしても不可能であると、オビトにして言わしめる。
超越的な力の日常的な使い道を考えた結果の一つが、地中深きに潜伏せし筍を掘り起こすための道具。これらが役立つ機会は煎餅作りに止まらない。
「こいつか――」少し考え込むと、一つを選んで手に取る。「――ではないな。やはり――」もう一つを吟味する。「イヤ――力不足か――」もう片方を持ち上げて睨んだ。「となれば、こっちの――」別の物に目を向ける。「――ダメか。しっくりくるのは――…」
即断即決を珍しく放棄、時間をかけてじっくりと、かけすぎて選ぶオビトの様子を見かねた鈴仙は、これまた珍しく強気な表情で一つを引っ掴むと、光沢のない黒色のクワを「ほらっ!」とオビトに押しつけた。やり取りを見守る妹紅は明らかに楽しんでいる。
「ぱぱっと決める。採って食べるだけなんだから」
筍を掘るのは妹紅達が取り決めた勝負ごと兼、賑やかな食卓で味と香りを愉しみ、ありふれた食事として腹を満たすため。個人的な消費以外に目的はない。商品的な価値を見出して、誰かに高値で売りつけるのは、どこぞの白兎ならやりかねないとしても。
妹紅の緩い雰囲気、鈴仙の涼しげな格好を見て分かる通り、筍掘りも実際は遊び感覚。ちなみにオビトは分厚い黒衣が普段着、常用する手袋も履き物も悉くが頑丈な戦闘用なので、元から土汚れ対策に適した恰好である。少し前までなら頭部も同じだっただろう。
「――いやあ、助かるよでも。物資の補給は大切よね」
神威空間という名の四次元収納空間から吐き出され、バラバラと積み重なった道具の山。脇に腰を下ろして大量の鍬や円匙を指で突きながら、にやにやと笑う怪しい輩は何者か。正体は三人のいずれでも輝夜でもない。
実のところ、鈴仙にして波長、妹紅にして気配、オビトにしてチャクラ、声を聞けば全員一致で判明する。何より堂々と姿を見せているのだ。
「また何かやらかす気なら残念ね。これはあの方から直々に受けた任務……あんたでも邪魔できないわよ」
鈴仙の声は刺々しく鬱陶しげだが、敵意や嫌悪までは感じられない。扱いに慣れがあるようだ。
永遠亭を住処とする鈴仙、古くは宿敵との因縁に縛られた妹紅はもちろん、異邦人で初対面のオビトも書物に目を通して知っていた。癖のある黒髪、ふわふわの兎耳と丸い尻尾、湖の吸血鬼よりも小柄な体、妖怪賢者とは別の方向で胡散臭さ満天の表情と雰囲気だ。
「なんでー?」
「だから、私じゃなくて、あの方の――」
「じゃなくてさ」少女は小ばかにしたように言う。「なんで兎が虫なんか演じなきゃならんのって話。みィ~んなで楽しィ遊びに洒落込むのに、汚い泥水なんか差してぶち壊すのは大馬鹿だけ。つまらない先入観でごり押したって、心の鏡を意味もなくガシャ~ンするしかないのさ」
やれやれと呆れ顔で鈴仙を眺めながら、独特な表現を好き勝手に振りかざして一方的にまくし立てる人物。
永遠亭の住人から見た場合、部下にも同僚にも上司にも変化する唯一無二の兎だ。ある時は数多の兎達を束ねる首魁、ある時は中有の道の入口から数えて四七七一歩目の地点に店を構えて強引な商売を推し進める露天商、またある時は人々に幸運をもたらす願い星として、迷える人間や妖怪を導く心優しき女神様にも変わるという。
「因幡てゐ……だったか。お前は」
不意(と死角)を容赦なく突き殺す勢いで急に現れても、正体を探るために問答を繰り広げる必要はない。幻想郷で遭遇する様々な種族を全体的、個別的にも詳しく知りたい時、この土地に関するあらゆる資料を取り扱う稗田家は重宝される。いつどこで出遭うかも判らない人間や妖怪、神出鬼没な者が多くを占める摩訶不思議な世界では、必要な情報が頭にあるか否かの違いは大きい。何も知らずに歩き回るのは自殺行為だ。
このてゐという妖怪は特に拍車をかける。一言で表すなら『嘘吐き』。息を吐くように嘘をつき、周りの人や妖怪達からはタチの悪い詐欺師と認識されている。妖精を凌ぐほどの悪戯好きでもある。胡散臭すぎて何周も回って判りやすいためか、本人の喋り方や鈴仙のうんざりとした様子を一目見るだけでも、どんな性質を持つ妖怪かが大雑把にだが予測できるほどだ。
幻想郷の住民達が一人ひとり保有する『程度』の能力。ここにいる鈴仙は物事の波長を操り、妹紅は不老不死の身で妖術を自在に扱う。悪い印象を抱きがちなてゐは何かと言えば、人間に幸運をもたらす力。迷いの竹林を無事に抜け出したり、四つ葉や青い鳥を見つけるなどささやかな幸せから、金銀財宝を発見して富を得る大きな幸福まで、後ろ脚がなくとも願いが叶うとされる。
「私を語りたきゃ」にやりとするてゐ。「この竹林が『私』の所有物って事実は最低限、言ってもらわなきゃねえ。さもなきゃ膨大な情報をご立派に並べ立てても一点は一点、配慮に配慮を兆に京と重ねても二点止まり。拍手が欲しけりゃ言葉選びは大事にしなよ」
いつから竹林に身を潜めているのか、所有者を名乗り好き勝手に振る舞うようになったのか。永遠亭を覆い隠していた永久の魔法を、いかなる方法で攻略してお姫様を見つけ出したのか。てゐに関する情報は圧倒的に不足しており、境界の妖怪と同じかそれ以上に謎が多い。飄々とした掴みどころのなさは、幻想郷に住まう人間や妖怪の中でも上位に食い込むだろう。悠久の時を過ごす永琳でさえ把握し切れていないほどだ。
「ここの資源を頂戴して財にするのに、あんたの許可が要るって話かい?」
「うん」てゐは妹紅に向き直る。「って言ったら、どうなるの? 白髪の逸れやちゃん」
互いに試すような目つきで対峙する二人。動じない妹紅の口元には愛想のいい笑み、重圧に囚われないてゐは小ばかにした笑いを崩さない。やり取りを見慣れている様子の鈴仙は、「またか」と言いたげな微妙な表情でオビトに目配せした。
「おお。所有者なら愚論も正論だけど、自称じゃ説得力ないだろうさ。全部持ってけ、くらいの気前の良さは見せてほしいな。年長者なんだし」
蓬莱の薬を飲んで不老不死となり、かれこれ一三〇〇年以上は生きている妹紅にして年上、年寄り呼ばわりできる相手こそがてゐだ。人外達にありがちな、外見と中身の不一致を事前に把握していなければ、一目見ただけでそう判断できる者はいない。千年以上も生き続ける人の類は忍界だと大筒木しかおらず、普通の人間は長命でも百年近くが関の山で四分の一にも届かない。恐ろしきは寿命だけを見ても向こうの比ではない幻想郷である。
ここにいる四人の中では、最も小柄なてゐが最年長、最も大柄なオビトが最年少だ。終わりなき時に縛られた妹紅がてゐに取って代わる可能性もあろうが、その日が来るのは気が遠くなるほど先の未来だ。
「いくらでも? 私が得するの大前提でね~」
「ご親切にどうもっと」
得意げに話すてゐの性格を知るのは、自由すぎる言動によく振り回される鈴仙も同じだ。堂々と姿を見せて話に割り込むのは決まって、何かしら興味関心を抱いた時であると。いつの間にか傍にいるのだ。
正当な所有者が誰にしろ、竹林に生息する兎達を配下に収めて、その支配圏を広々と敷くほどに強い影響力を持つのは嘘ではない。永らく屋敷を隠していた高尚な力を手玉に取り、元月人達に有意義な庇護さえ与えた妖怪だ。てゐにその気があれば三人は全員、筍の一つも見つける前に外へ放り出されるか、穴にでも落とされていただろう。
「それで」今度は鈴仙が口を開いた。「見返りは何? ろくでもない要求はお断りよ」
先手を打つように喋った理由。十にも満たない幼い容姿に騙されるなかれ、幻想郷でも最高齢の兎の一羽、というよりずる賢い損得勘定の権化で、自己の利益を徹底して追求する性格には油断大敵。しかも三度の飯より悪戯好きだ。鬱陶しいからと下手に無視を決め込むと、厄介な妨害をほとんど確定で受ける。約束事は意外と律儀に守るので、先に要求を聞いて対等な関係を構築する方が、後々に理不尽な要求を突きつけられるおそれを払拭できる。切れ者には言葉をぶつけるのが正解だ。
屋敷を取り仕切る永琳との関係、兎角同盟の同志という共通点はあれ、鈴仙はてゐに個人的な親しみの感情は抱いていない。後者では格下扱いを受けて弄られる側だ。そんな相手に物怖じせず毅然と振る舞うのは、弱みや隙を見せてはならない輩だと、苦痛にのた打ち回るほどに理解できているため。
「見返りィ?」わざとらしく聞き返すてゐ。「え、くれるんだ。本気? いやあ、悪いねえなんか――」
何度目かも分からないにやにや顔を全員に見せつける。自分を格下と認識する騒がしい知り合いに振り回される鈴仙、無遠慮で小生意気な態度を取られても平然と構える妹紅。思わぬ出現に一歩も二歩も退いた姿勢を余儀なくされたオビトは、彼女と顔見知りの二人に対応を任せることに決めた。非常識な世界に生きる妖怪の中でも、型に嵌らない輩の言動を予測するのは不可能に近く、てゐがこの状況で何を要求するかは分かりようもない。
後の流れは返答次第で分岐する。血みどろの殺し合いは問答無用で不可、それ以外なら一考の余地あり、という二者択一で事を決するならば。いざとなれば実力行使で拒否する場合もあろう。飽きるほどに思い返した常識として、底知れない妖怪の思考や行動は『本当に』何でもありで読めないのだ。
「あんた」
てゐが急に指さしたのはオビト。それから間を置かず、二人目を指し示して「鈴仙」と二言目。腕を組んで冷静に見やる妹紅を尻目に、子供染みた悪戯っ子な笑みを広げて「遊ぶとこ見たい」と、珍しく捻りのない言葉で要望を投げつける。
ある一つの規律が敷かれた世界に暮らす妖怪達は思うだろう。直接的で実に解りやすい表現であると。対峙する二人を指して『遊び』なる言葉を用いる場合、その場には決まって闘いの渦が巻き起こる。指名した二人による平和的弾幕遊戯、つまり外来人のオビトに命名決闘への参加を求めている。鈴仙が真っ先に反応して待ったをかけた。
「オビトのこと分かってる? 外来人にする要求じゃないでしょ、そんなのは」
遊びでも負傷者や死者が時折出るから危険とか、未経験ゆえに札の一枚も所持していないとか、弾幕も使えず生身で空を飛べないのは論外だとか、個別的な事情に縮小した理由ではない。妖怪という全体の種としての視点で考える方が客観的だ。
現在では旧方式として扱われる、血生臭い解決手段を用いた過去の事件を受けて、地に落ちた妖怪達の現状を重く見た巫女と賢者達。彼らにより新たに考案された方式は、畏怖を生む人間達の絶滅がもたらす、妖怪達の衰滅を防ぐために生まれた。いつでもどこでも手軽に火ぶたを切る遊びではあれ、幻想郷における人と妖怪の力や数的な均衡、この世界の形を維持するために必要なものだ。
これは外から来訪した第三者、異邦人を縛りつける規律にはなり得ない。さして影響力のない外来人は別としても、現時点で幻想郷に類を見ない特異な力が及ぼす影響は軽視できず、規律と形成される秩序に綻びや歪みが生じる可能性も否めない。好むか好まざるかにかかわらず、現状に変化を生じさせるおそれが僅かでもあれば禁止事項に引っかかり、巫女や八雲の妖怪辺りがすっ飛んできて、永遠亭の皆に無用な迷惑を被らせるかもしれない。
「当たり前じゃん」てゐは手で口元を覆う。「どっかの喧しい鳥みたいに何百万回も同じ話されちゃ、聞き流してもすり込まれるよ。自然にさ」
「なら無茶って――」
「いや」妹紅が二人の会話に割り込む。「いけるんじゃないの? そっちだとしても。やりすぎない奴ほど上手くやれる遊びだ。合わせる側になるかもだしね」
念のために付け加えるなら、妖怪達が人間の少女の姿をしている通り、弾幕遊戯は女の子の遊びと見なされる一方、男の子や大人の参加を禁じる決まりが敷かれているわけではない。変化の術で化けるにしろ否にしろ、仮にオビトが血迷って積極的な関与を望んだとしても、よほどルールから逸脱して暴走しない限り、バランサーの巫女から制裁を受けることはない。
「……お前の言う遊びが、血を流す比喩や決闘以外の何を意味するのか。それ次第だな」
オビト自身にその気があるか否かが問題だ。答えは本人の中で疾うに出ている。
てゐが最初に口にした『遊び』が、弾幕遊戯を指す言葉なら鈴仙に同調しただろう。もちろん向き不向きや興味関心の有無など個人的な事情もある。早とちりした様子の鈴仙は、きょとんとした表情でてゐに視線を移した。
「あれ? 弾幕の話じゃ……うーん?」
「唸ってやんの」せせら笑うてゐ。「外来人に決闘なんて馬鹿じゃん。乗る余地があるって話なら、物好きにも永住を決めた『元』だろうさ。小ウサギはこれだから困るね」
自分よりも背が低く、性格も子供っぽい絶壁の兎にだけは言われたくない、と返したい鈴仙でも簡単に口は開かない。この世界では五本の指に入る年長者だ。一回りも二回りも百回りもした者は幼子にも成人にも、老人にも死者にもなり得る。
幻想郷で遊びと言えば弾幕を指す。鈴仙を弄りたい思いで小出しに喋り、困惑する姿を眺める悪戯心がてゐに皆無だとしても、勘違いして然るべきとさえ言える。幻想郷と外側、両方の視点を有する部分はオビトと共通するが、鈴仙の場合は弾幕を用いた遊びにふやけるほど浸かりすぎたようだ。
かつて享受していた安寧は、気の長い妖怪にとって遠い過去の出来事ではない。
「そんで? あんたの願いを聞かなきゃあ、『心置きなくゆったり』採らせてもらえず、ってわけよね。この子らに何させる気?」
妹紅はてゐの要求に耳を貸すことに決めたようだ。他の人間や妖怪より長生きで人生経験も豊富、想定外の流れに巻き込まれても動じず、終始余裕を崩さないとはいえ、老獪で異様な兎との非友好的な関係は望んでいない。敵に回す方が面倒ごとは多いのだ。
「わたしぃ、見てみたいのぉー。オビトくんとうちの鈴仙がぁ、お得意の手札でぇ……力一杯に遊んでるとこっ!」
オビトの衣の裾を掴んで駄々っ子のように揺らす。間延びした緩い口調や人懐っこい笑顔、擬音が付きそうな軽快な言動は、年長の兎が幼さを演出するための偽りの姿。付き合いのある鈴仙や妹紅のように、本性を知る者でもなければ騙されても仕方がない。
ただし、誰が見ても怪しさを覚えるほど露骨すぎる辺り、冗談半分か手を抜いていると言えなくもない。その気になればオビトや、格下ながら慣れのある鈴仙、対等な立場にある月の頭脳をも騙し通せるのかもしれない。顔見知りにも真意を明かさず、ある意味では元月人以上に秘密主義である。隠れ潜む白兎の狙いを探るだけ時間の無駄だと判断したオビトは、特に食い下がらず「つまり」と口開いた。
「血みどろの殺し合いでも、弾幕でもない勝負ごと……能力を用いた『力試し』や『比べ』。乗らなければタケノコには指一本触れさせないって訳だな」
「ま、そゆこと。細胞の一片も駄目だよん」
てゐは素直に肯定した。弾幕の『だ』の字も知らない――というより、弾幕も撃てず札の一枚も持たない素人の外来人にごっこ遊びを強要する意味はない。不慣れな遊びに四苦八苦して命と精神を削る、不格好で滑稽な人間の姿を拝みたい妖怪の暇潰しに利用されるならともかく、てゐは分かりやすく早々と否定して話を続けてみせた。
何周も回った妖怪や神様にとって、そんなものは「つまらない」無駄な遊びなのだ。嘘吐きな兎も嘘を吐くだけでは映る景色は変わらない。
「解ってくれたかな? 馬鹿れーせん」
「ばか言うな。あーもう、ややこしいっ」
外来人が口にする遊びの定義は広いが、幻想郷の妖怪が口に出すものは確定して弾幕勝負。妖怪が人間達に解決させるために起こす『異変』以外の問題や些細な争いごとにも用いられる現実がある。この土地に古くから住まう妖怪のみならず、最近に月から移り住んだ元余所者にも早とちりを強いるほどに、今日にも深々と浸透して消えず、おそらく消えることのない決まりだ。
鈴仙はオビトにすっと近寄り、「乗った方がいいわ」と耳打ちするように囁いた。にやつく白兎が後ろで「作戦た~いむっ!」と茶化す。
「こういう時のあいつはね――…」
「無用な心配だ。警戒すべきだってのは初対面でも分かる」
「ならどうする? 私はどっちでも構わないけど、嫌なら別の方法を模索するのも道よ」
「構わん」オビトは即答する。「互いに利がある……断る理由はない」
命のやり取りやごっこ遊びを断る姿勢は変わらない。理由も必要も興味関心もなければ不干渉を貫くのは当然として、何かしらの因果で必要性が生じたとしても、鈴仙の言うように他のやり方を探すだろう。そのいずれにも当てはまらない『遊び』であれば了承する余地がある。妹紅との間に交わした約束を果たすために、無用な戦いを避けて血を流さずに済むなら安いものだ。
気になるのは鈴仙だった。思わぬ提案を受けた身は同じであるはずが、僅かに声が上ずり口元の笑みを隠し切れていない。この流れが望んだところとでも言いたげに。どう転んでも安定して興味津々な妹紅はともかく、予想外の反応を鈴仙が見せたのは確かだ。すかさずてゐは「なぁんだ」と笑い混じりに割り込む。
「乗り気じゃん鈴仙。あんたから提案しても良かったのに」
「しないわよ。外から来た人間相手なら尚更」
「わぁお、いい子ちゃん。『異変』に関与した時とか、めっちゃ性格変わるのにさ。物語のナントカみたいねなんか」
公私で印象を異にする人物は多い。妖怪達から冷血外道と揶揄される恐ろしげな巫女でさえ、果たすべき役目とは交わらない時の流れの中で、人も妖怪も神も誰も知らない一面を覗かせる。その存在も言動も全てが常識破りの妖怪とて、あり得ない話ではないのかもしれない。
悪戯っ子満載な表情でからかうてゐから視線を外すと、鈴仙は数秒ほど無言でオビトを見つめた。赤い瞳の奥に光が踊っている。
「本音を言っちゃえば……待ち望んでいたのかも。貴方には前から興味があったから。あの時に体を駆け巡った感覚、今でも覚えてるわ。はっきりね」
「あの時?」
「忘れちゃった? 貴方のその目、私の力と似通ってるところが大きいのよ。だから同系統かそれに近い……って、これ言うの三度目ね。そこからは言わせないで」
自他が発する物事の『波長』を操る能力と、生物の脳を乗っ取り幻覚を引き起こす瞳力。二つの能力は根本的な部分が異なるが、各々の使い手である両者には共通点がある。それは互いが得意とする能力の扱い方。特異な瞳術を操る血族に生を受けたオビトは元より、五感全てに訴える鈴仙が最も実力を発揮するのは視覚を置いて他にない。使いようの一つに過ぎないのに『狂気の瞳』なる異名が付くほどだ。能力が同じだからではない、全力を出し切る手段が同じだから意味が生まれる。
火遁の力を競うなら火遁を、同じものをぶつけるべきだ。忍術を扱う忍には忍、剣術を扱う侍には侍、瞳術使いには瞳術使い。視覚には視覚。共通する部分が多いほどに旨く噛み合う。性質の異なる力で火花を散らすだけでは見えない景色、掴めない答えがあるのだ。
「口にした回数まで覚えてんの? 気持ち悪っ!」
「うるさいっ!」野次を飛ばしたてゐに反応した後、咳払いしてオビトに背を向ける。「とりあえずアレよ。色々一緒に経験したし、恩もあるけれど。やっぱり……」
足を止めた鈴仙は暫し時間をかけた後、決したように一人頷いた。やり取りを静かに見守っていた妹紅はのんびりと一歩分だけ後退、したり顔のてゐも二人のために場所を譲る。振り向いた鈴仙がオビトと対峙した。
「貴方は『構わない』と言った……そう言ったからには、目は開いても瞑ってほしい。ちょうどいい機会と思うのを――遠慮なしに振る舞うのを、ね」
真っ赤な視線を捉えたオビトの写輪眼が細まる。発散する妖気が渦となり体を取り巻き、薄紫色の長い髪がふわりと舞い上がった。竹林にざわつきはなく、草花を撫ぜる風もない中、鈴仙は黙してオビトを映していた。
――赤眼が見開かれる。形容できない力の圧が勢いよく到達すると同時に、何かの気配が傍を通りすぎて背後へと消えた。時間の経過と共に辺りの景色が変化していく。赤みがかった竹林がぼやけて映り、近くで傍観していた妹紅とてゐの姿も気配も消失した。心得のある者なら状況の把握は可能だ。
(これが……)
容姿と普段の振る舞いの割に血の気が多く、好戦的な面が強いのは幻想郷に住まう妖怪達の共通事。会話に身を浸していると思っていたら、ふとしたきっかけで弾幕が飛び交う。前触れもなく唐突に火ぶたを切り、先が読めない展開が次々と繰り広げられるのだ。外来人の身なれど今日では慣れがあるために、不意を突くような『幻術』にも落ち着いて対応できたが、思った以上に強いチャクラが体と視覚を通じて伝わった。
鈴仙は波長操作、それを応用した特殊な幻術を得意とする手練れで、敵として立ち塞がるなら決して油断ならない妖怪の一人であると、正しい認識を持ち続けていたとはいえ、事前に情報が入っていても、実際に全身で食らうと想像の範疇を簡単に超えてくる。写輪眼だけで耐え切るのは困難であると判断し、万華鏡の瞳力を早々に解放して迎え撃つ。
『初めてよ』
耳の奥に聞こえた少女の声。ぼやけていた視界が安定すると、揺ら揺らと炎のように揺らめく姿が映る。歓喜か狂気か幻覚か、普段の大人しい本人とは程遠い、不自然に歪んだ表情で見返している。まだ日が高い時間帯のはずが、辺りは薄紅色の月明かりで満ちており、頭上からは赤い満月が煌々と地上を照らしていた。
『外来人を……人間をこうして、本物の「狂気」に閉じ込めて、私色に染め上げるのは。そうするだけの価値を貴方に見出した……ってことになるのかしらね』
やむなく万華鏡を使わされた時点で、鈴仙の波長操作が作り出す幻覚作用の度合いは必然的に、写輪眼の瞳力を上回る精度を誇ることになる。相応の瞳術や対抗策を持たない忍はもちろん、写輪眼を十二分に扱えるうちはの者でも立ち回るのは一握り。イタチやサスケと同じかそれ以上の高い瞳力と強いチャクラが必要だ。この眼の存在は当然として、柱間や六道の力がなければ、先の一瞥だけで昏倒して幕引きだった可能性も否めない。人間の心に巣食う畏怖や無理解の具現であり、遥かな高みにある妖怪の力は恐ろしいものだ。
妖怪という全体の視点から鈴仙を視た場合、最たる特徴と言えるのはやはり、彼女が持つ強かな精神力だろう。元月人という出自ゆえか、波長を操る力の存在ゆえか、精神面の未熟な妖怪なら誰しも内包する弱点が全く、あるいはほとんど機能していない。写輪眼の幻術を真正面から受け切る者など、よほど強い精神力やチャクラ、特別な力や魂の持ち主に限られる。上位種の万華鏡写輪眼ともなればさらに少ない。
凄まじい威圧感。少しでも瞳力を緩めたら最後、幻術世界の奥深くへと引きずり込まれて終わりだろう。初手にありがちな加減は一切抜き、「価値を見出した」との言葉通り、全力でチャクラをぶつけてきたのだ。
(…………)
此度の手合わせを引き受けた理由は、実のところ妹紅の件だけではない。もう一つは鈴仙と似たような理由で、波長を操る力に対する純粋な興味だった。どこぞの好戦狂のように、やり合うこと自体に愉悦を見出したのではない。忍界にとって未知なる異界、つまり幻想郷における瞳術や幻術使いがどれほどの手練れか、写輪眼を扱う一人の使い手として知りたかったのだ。
幻想郷に流れ着いたばかりの、あの頃には微塵も芽生えなかった、当時にして「不要」と捨て去っていた選択肢。冷静に思い返してみれば、この世界で少しばかり寄り道を選んだ――否、選んでみた結果、もたらされた一つの景色なのかもしれない。
初めは筍掘りが目的で訪れた竹林、遭遇した鈴仙達。幻術に落ちても当初の目的を忘れることはない。
それでも、だ。この身を取り巻いていた黒色が消え去り、生と死の狭間で猶予を与えられて、差し伸べられた手を握り、目を開けて再び舞い戻ったのだ。ずっと無縁だった平穏な日常と向き合う中、思い切って『はしゃぐ』のも面白いかもしれない。自慢の景色を見せつけた少女の、「ちょうどいい機会」という言葉を拝借して。
今度はオビトの目が見開かれる番だった。体を大蛇のように巻いて縛り、地中深くへと引きずり込まんと蠢いていた、血染めの縄が次々と消し飛んでいく。下半身をずぶずぶと呑み込んでいた真っ赤な池が消え去り、ぴくりとも動かなかった身体が自由になる。じっと佇む鈴仙の姿が明瞭化し始めた。
幻術の精度は練度やチャクラ、環境や相性など様々な要因に左右される。術者の精確な力量を知るためには、知識や経験などある程度の蓄積が必要だ。それらを元に体と精神で深々と味わった結果、瞳力で言えば尾獣をも御する勢いと見なすのに、あれこれと頭を悩ませるまでもなかった。満ち溢れた月の魔力は人を狂わせると言うが、万華鏡を出した咄嗟の判断に狂いはなく、正常な思考の元に行われていたようだ。
力を試すためにと加減を入れるか否か。絶え間なく数を増やし続ける鈴仙を睨み、不要な判断を不要と否定したのはオビトも同じだった。
「この試し合い……思ったより早く終わりそうだな」
『ええ』鈴仙の声が輪唱する。『けれど不足も未練もない。望んだ始まりと終わりよ』
歓喜が狂喜となり、収まらない具現が一人、また一人と形を成す度に、辺りを包み込む冷たい空気が肌を刺した。常人なら直視するだけで心を壊すであろう、狂気に塗れた毒々しい双眸がオビトを囲んで瞬き、吐き出された甲高い笑い声がびりびりと響き渡る。もはや火ぶたを切るきっかけが何かなど、筍の件など忘却の彼方へと消し去り、全ての視線は残さず一点に集中して離れない。
そんな中でもオビトは正気を失わず、血の滴る籠の内から冷静に外を見やり、増え続ける姿を瞳力による圧で押さえ込み、降りかかる狂い雨を蹴散らし続けた。静かなる衝突、しかして激しい騒音が絶えず襲い、揺らぎ剥がされる意識を心身に繋ぎ止めながら。
何者に予想できたのか。全くもって思うまい。筍という話から一変、心身を狂わせて崩し壊す、本物の『狂気の瞳』を相手取る事態に発展するなどと。妖怪達が支配する楽園に生きている限り、非常識や理不尽など遍く隣り合わせと成り果てる。
『さあ、こっちへ。暗き深き、底の底まで沈み往こうっ!』
ふらついて左眼を押さえる鈴仙。目元を覆うように前髪が広がり、指の間に揺れる眼光が火花を散らした。赤黒い涙が青白い頬をすうっと伝い、笑んだ口元から吐息が漏れる。幻が作り出す紛い物ではない月の光に身を委ねていたら、今頃は何か別の、さらに怖ろしい一面を曝け出していただろう。
一世界に浸透する絶対的な在り方の下に、無害そうな少女の姿を見せていても、人間の畏怖を元に生まれた本物の妖怪だ。弱者も強者も立ち向かうために必要なものは一つ、いかなる相手とて怖れず臆さない心と精神。この目に宿る瞳力だけではない、善も悪も忍として生きた経験の全てが、強大な『妖怪』と渡り合うための支えだ。吹き荒ぶ狂気の渦中でも恐怖が生まれる余地はなく、己の存在を失わぬままに見返している。
「イヤ……底なら知れている」
両眼に収束するチャクラが脈打ち、瞳力と成りて爆発的な解放を起こした。月が見下ろす幻術世界の至るところに揺らめく鈴仙達、その体に杭が打ち込まれる。瞬く間に数を増して全身を埋め尽くしていく。後端から現れた暗褐色の鎖が分裂、蜘蛛の巣のように宙を走ると、杭を逃れた鈴仙達を次々と刺し貫いた。掻き消えなかった一人が体勢を崩す。
火ぶたを切って間もなく追い込まれ、加減を捨てた鈴仙による容赦ない干渉を許した結果、凄まじい力の波が精神の奥深くにまで流れ込んだ。幻想郷で言う妖怪に分類される、尾獣を完全な支配下に置く瞳力を以って拮抗できる精度だ。必要なチャクラを相応の瞳力に変えてぶつけ返す度に、鈴仙の作る力が内を駆け巡り、押し潰さんと圧しかかる感覚が物語る。幻体一つを消すだけで苦労に苦労を百も千も重ねる思いだ。
両眼がそろって本来の力を発揮できる瞳術。左眼がなかったり、借り物の輪廻眼を代わりに入れていた時期もあったが、純粋な幻術のかけ合いでは勝てたかも判らない。敗北に帰しても一切の言い訳が叶わない現在でも、そう思わせるほどの使い手と視る以外にあるまい。幻術世界を丸ごと創造、自在に改変する力、瞳術・月読を操ったイタチほど器用で大胆な立ち回りができたなら、それこそ最初の応酬で優位に立てたかもしれないが――。
「お前の存在ごと塗り替えるまでだ」
対応に適した手札を持たない、というだけでは、対抗策を持たない理由にはならない。柔よく剛を制する手段がなければ、自身に見合う他の札を選択してぶつければいい。不思議で癪な気分でもあるが、それが何かを考えた時に思い浮かぶ男が口を動かすのだ。柔も剛も関係なしに、圧倒的な力で真正面からねじ伏せろ、と。
否定すれば嘘になる。こと戦いの場では同じやり方を肯定した過去がある以上は。忌々しく否定したかったのは昔の話、今となっては己の力として振るうことに躊躇も迷いもない。信じた道をまっすぐ突き進むために。
『これよ。待ってたのは』
肩を押さえて立ち上がる鈴仙。額を汗が伝い、度重なる消耗に息を切らしながらも、興奮冷めやらない様子で笑いかける。妖怪が持つ強いチャクラ、妖力に精神を掻き回されたオビトは鈴仙以上に消耗していたが、言動や表情にも表れず落ち着きを失わない。身も心も高ぶり続ける彼女とは対照的だ。
『期待通り――…なんて、取り繕っても仕方ないわね。魂の奥底まで揺さぶられる感覚……こんなの一度だって』
忍界なる未踏の世界の未知なる術を扱う異邦人との競い合いは、生まれて初めて映した色彩の数々を深々と刻み込んだのか、単純に力をぶつけ合うだけでも解ることは多いようだ。鈴仙にとって写輪眼が、決して身近になり得ない能力ゆえに。手の届く月や幻想郷で学ぶべき物事を学び尽くしたとしても、届かない場所で学ぶ機会などまず訪れまい。それが自らの得意分野に該当するなら、抑え切れない気持ちが芽生えても無理もない。
オビトも似たようなもので、鈴仙のように歓喜や興奮は露わにせずとも、物事の波長を操るという忍界にも類を見ない特異な能力は、興味の対象として映るには十分だった。季節の移ろいを心安らかに眺めるようになり、表面的な接触に止めていたやり取りも、少しずつ広がりが覗えるようになっていた。でなければ疾うに姿を消していただろう。
「勝ち星を譲る気はないぞ。試しの範疇でも、相手が誰だろうがな。オレにも『瞳術使い』としての自負はある」
「知ってる」鈴仙は笑顔を見せる。「言わなくても分かる……自分を自分とも思わない、自信も誇りも持たないような、愚か者なんかじゃないって。私も同じよもちろん」
「……お前の口からそんな言葉が聞けるとはな。おかしな話だ」
弾幕を至上とする幻想郷では、個々の能力自体には人も妖怪もあまり興味関心を示さない。人間が持つある種の諦観を元とする妖怪が、超人的な力を持つのは当然だ。道を歩いたり、呼吸をする生き物を見て、それを驚きに値する行いと結びつけて褒める者はいない。
ゆえに弱い「はず」の人間が持つ強い力や変わった力など、通常の定義に該当しない部分で差異を認識する。鈴仙とて例外扱いはされないが、自分の能力と比較した上で興味と共感を見出した、という少しばかりのズレがある。彼女は何故かその傾向が他の妖怪より目に見えて顕著なのだ。
弾幕や札とは無関係な鈴仙の力にオビトが関心を向けるのは、自身の力と通ずる部分を視たからであり、異邦人として幻想郷の住民とは違った独自の視点を有するからでもある。弾幕を用いた妖怪達の遊びに興じる立ち位置でもない。いずれも理由としては単純だ。やはり鈴仙には出自や性格も含めて、他の人や妖怪とは大きく異なる何かがあるのだろう。
「そして、こいつも……」
くすくすと笑い声が聞こえ始めた時、体が熱を帯びた。両肩、腹部、胸部を覆い隠す衣の一部分が隆起、ぐにょんと伸びて反物状に変化し、ぐるぐると体に巻きついた。眼前に移動した一本が首をもたげて先端を起伏させると、病的に青白くやせ細った腕が生え出、七本の指を蠢かせながら迫った。赤黒い鋭利な爪が肌に食い込み、痛みと共に赤い液体が首元を伝う。
ぎりぎりと締め上げられる中、オビトの表情が苦しげに歪む。もやに混じり浮かび上がった鈴仙の顔が至近距離で目を光らせた。
「私の本気、分かるでしょう? このご時世、それも人間相手なのは変な気分だけど。貴方なら好いわよね」
人の恐怖が具象したような、身の毛もよだつ光景。元より妖怪は心に巣食う怖れや畏れの姿、人間を人間と見なければ、出るものが出るのは当然だろう。
目に映るものだけが真実とは限らない。さらけ出された妖怪の本質そのものだ。彼女が軽蔑や憐れみの感情を露わにしていれば、綺麗な風景の写真や映像でも見せて可愛らしく微笑んだだろう。不気味に開かれた赤眼は何も映さなかった。
「なら……妖怪のお前にも分かってもらうだけだ。オレの『本気』をな」
固く閉じられていた目が苦痛を跳ね除ける。瞼の奥から赤い瞳が現れた瞬間、周辺を取り巻いていた狂気の渦が消し飛んだ。体を絡め取っていた赤い布は炎上して焼け落ち、首を絞めていた腕も焼け焦げ、力なくボロボロと崩れ落ちていく。
見入っていた鈴仙は咄嗟に出遅れた。足場を蹴る前に地面を突き破り、這い出した何本もの幹や枝が縫い止めた。振り解こうとするも締めつけは強くなるばかり。陰遁は物理的な効力を持たない代わりに、精神に作用して心を乱したり壊すには足りる。今度は彼女自身が苦しむ番だった。
「…………」
しばらくの間はもがき、苦痛に苛まれていた鈴仙だったが、ふと身動きを止めて顔を上げた。しっかりとした力強い視線がオビトを捉える。全身を覆った樹の表面が生物のように脈動している。
「理解したわ。残さず全て……ここまでならこの状態でも……まだ余力があるなら、こっちもだいぶ削るかしら……」
「驚いたな」オビトは鈴仙を観察する。「耐え切るか。もう少し練らなければ……」
写輪眼の瞳力を受けて正気を保つ者は多くない。万華鏡の瞳力が作り出す幻術ともなれば、歴戦の忍や手練れでも昏倒して数日から数週間は目覚めない。精神への干渉に脆い妖怪ではそれ以上だろう。精神的にも肉体的にも頑丈と思われる鈴仙は、息を乱すだけで意識を保ち、身動きして、平然と口を利いた。挙句は現状を冷静に分析して、次の一手を考える余裕まで残している。
受け止めたり、跳ね返すだけではなく、此方から積極的に攻め込む必要がある。膠着状態が長引いて時間と体力、チャクラを徒に減らして追い込まれては意味がない。持久戦は自他の波長を自在に操る鈴仙が何枚も上手だ。精神を完全に破壊して再起不能に陥らせる、趣旨を無視した文字通りの本気で殺り合えば、どちらも無事では済まない。筍どころではないだろう。特に鈴仙の場合、瞳力に対する耐性が高いとはいえ、正真正銘の妖怪である以上は限界がある。別の方向から働きかけるほかあるまい。
「次だ。さっきより派手になるぞ」
「望むところ。人間だからって手は抜かないから、貴方も今度は殺すつもりで――」
互いを映した目が同時に見開かれる。その瞬間、二人の足場が綺麗さっぱり消え失せた。
――◇◇◇
体がふわりと宙に浮いた。そう思ったのはほんの一瞬だけで、地面がなくなり落下したのだと察した。
刹那の時で生じた問題。直前まで幻術のかけ合いに意識を割いて全神経を集中させていたために、咄嗟の切り替えと迅速な行動が起こせず、何も手を打てないままに巻き込まれた。汗や血が迸る接戦の最中に傷を受けたわけでもないのに、不意を突かれた、という言葉がこれほど当てはまる場面もそうあるまい。二人共に意識が乱れたせいで幻術空間も消滅したようだ。
瞳術は他の忍術と違って、練度やチャクラ以上に集中力が重要となる。精度の高い術を使う場合、周囲の状況把握や感知が十全に機能せず、遅延や滞りが生じるのは自明の理である。
「……ぐッ!?」
「あひっ!!」
仰向けに落ちて背中を強打したと思えば、底に敷き詰められた緑色の何かが緩衝材の役割を果たしたようで、声を上げるほどの痛みや衝撃は皆無だった。何が原因で上がった声かと訊かれたら、横たわった人間の真上に落下した妖怪が教えてくれる。生地が分厚い戦闘用の忍装束も地味に一役買ったようだ。
目を回す鈴仙を押し退けて体を起こすと、辺りに土埃が舞い上がる。溶岩でも酸でも陰陽でもない、薄明るい穴のような場所に落ちたらしい。広いが深くはないようで、頭上から日の光が注いでいる。
地上までは少し離れている。普通に出るなら壁を這い上がるか、縄か何かの道具が必要だ。ざっと見回しても使えそうな道具はないので、普通ではない手段を用いる方が早い。瞳術に頼ったり、兎の足に掴まるまでもない。絵に描いたような落とし穴を掘った輩が何者かが一番の問題である。
「あーもう……あの馬鹿。あんな状況で対応できるかっての……ほんっともう、いつの間に」
少し遅れて我に返った鈴仙。何度か目を瞬いた後、ぶつぶつとぼやきつつ立ち上がり、衣服の土汚れを払い落とす。それからくしゃみを一発、深い深い息を吐いた。
「『馬鹿』ってのは?」
「てゐの奴よ」鈴仙は頭を掻いた。「……毎度毎度、無駄に完成度高くて困るのよね、あいつの。悪戯こそが我が人生みたいな奴はこれだから」
「敵のいない所でこのレベルの穴を……やはり只者ではない、か。侮れん奴と出遭ったものだ」
「……なんだろ。買い被りに聞こえる」
悪戯とて落とし穴も出来次第では敵をはめる立派な戦術だ。戦場を駆け回る忍を無力化するためには、導火線となる仕掛けを穴の外にも施すなり、ある程度の工夫が必要なので難しいが、穴だけを掘って葉や草を被せたり、土遁で薄く蓋をしたりと、単純な作りでも雑な輩なら割と引っかかる。内部に設置した刃物や起爆札は殺意の塊だ。
今回は獲物を落とすだけの代物で、子供の悪戯という程度である一方、瞳術に意識を割いて対処に遅れが生じる強さの相手と場の流れを作った上で起動して確実に落とし込む、都合の好い状況を利用する方法を選んだと考えれば、忍が相手でも通用する罠だったと言わざるを得ない。特に瞳術や幻術使いの忍には。
「……?」
地上まで跳んで脱出を図ろうと、足裏にチャクラを収束させ始めた時。視界の端に何かがあることに気づいた。地面に転がった『ソレ』を神妙な面持ちで拾い上げると、傍から見ていた鈴仙が驚いた様子で注目する。
「へえ、よかったじゃない。早くも一歩リード……流れが出来すぎてて怪しい気もするけど」
オビトは無言で目の前に持ち上げる。先端に吹いた黄緑色の芽、太く肉厚な竹取の恵み。根っこは付いておらず、外皮と断面には手を入れた痕跡が残る。収穫時のど真ん中である。
偶然にも一緒に落ちてきたのか、あらかじめ意図して放り込まれていたのか。分かるのは当初の目的を一つ分、予期せぬ形で先んじて手中に収めた現実があること。紛い物でも幻術でもない本物だ。鈴仙は疑わしげな目つきで頭上を捕捉した直後、視線を向けたままオビトの方に手を伸ばす。
「掴まって。愉しみをぶち壊した責任、今すぐ取らせてやる――星の数ほど文句をぶつけて叩きのめしたい気分だわ」
「やりすぎても困るぞ。また機会はある」
「そうだけど、いいとこで邪魔されたから……これから盛り上がるって時に」
普段は大人しめな鈴仙がいつになく憤りを露わにしている。あくまで筍が本意であるオビトは、悪戯心に憑かれた輩の思惑に仲良く嵌り、乗り気だった試し合いに水を差されても、取り立てて反応を示さなかった。似通った力に関心を抱いている、という意見は同じでも、闘いから学んで自らに取り入れるという目的までは一致しない。二人の感じ方に明確な違いが表れた理由だ。
オビトは差し伸べられた手、ではなく二の腕をがっちりと掴んだ。呆気に取られた鈴仙を尻目に地面を蹴り、問答無用とばかりに高々と跳び上がる。馴染みの札を選ぶには狭苦しく大げさなら、基本に立ち返ることも手である。
「お二人さ~んっ! びっくりきゃっきゃと楽しんでくれた~っ!?」
数秒後、二人が穴の真上に出た瞬間、見計らったかのように上がった歓喜交じりの甲高い声。てゐの小さな姿が地上から見上げている。妹紅は離れた場所にある大岩に腰かけて成り行きを眺めていた様子。
「ねえ――」鈴仙は眼下を睨んだ。「あいつのとこに投げてくれる? 私のこと」
「投げる? どうする気だ?」
「いいから! 思いっきりお願いっ!」
さらに数秒後には誰がどうなるのか、何となく予想が立ったオビトだったが、断る理由も特にないとのことで了承。身を縮めた鈴仙の体を支えて照準を絞ると、眼下のてゐ目掛けて要望通り、勢いよく投げ飛ばした。風を切りながら一直線に地上を目指す。
二人の姿は映れども向きと距離の問題で表情は見えない。反動を受けたオビトは素早く体勢を立て直した。
「来たるべくした今日こそォ――…!」
鈴仙の視線は迫りつつある少女を捉えて離さない。いつ以来かも分からない心躍る、夢のような時間を台無しにされたのだ。嘘吐き兎のおかげで溜まり続ける日々の鬱憤、兎角同盟内の地位と扱いの差に対する不満と合わせて、一度はお灸を据えて反省を教え込まなければならない。舐め切った輩に確かな実力を見せつける機会さえ自身に与えたことを後悔させると共に――。
「いや、八億年早いってばよ」
眩い光弾を手に突進した姿はピタリと止まる。正確には止められた。にやつくてゐからほんの数センチ前で。かわしたり返り討ちにするでもなく、人差し指一本で易々と受け止めた。微塵も動じていない。
額を軽く小突き、けたけたと笑い始める。鈴仙は拳を振り上げた態勢のまま吹き飛ぶと、大の字に倒れて星を数える破目になってしまった。城の外でも下剋上は失敗に終わったようだ。
「――やあやあ人の子ちゃん。観るもん観て魅せてもらったよー」
幼い容姿相応の元気な小走りでオビトの傍に来たてゐ。妹紅も爽やかな表情で二人に近づいた。哀れにも放置された鈴仙に目もくれないまま。
「観て面白いものでもないだろう。幻術使いの戦いなど」
体術や剣技による接戦、忍術による物質や現象の発現、起爆札の爆発、その他諸々。これらは見世物にも変わるが、幻術は当時者同士の脳や精神を介して行われる、目に見えないやり取りに過ぎず、第三者の視界に『動き』をもたらすほどの派手さはない。傍から見ると地味どころか、突っ立って動かない両者がいるだけだ。息を呑むほど美しい風景を作ろうとも目の保養にはなり得ない。
「ま、安心しなって。んなこたぁないからさ」
てゐはにやり笑いを僅かに薄めると、両手の親指と中指で輪を作り、その穴からオビトの顔を覗き込んだ。妹紅が横から「見えたの?」とからかい気味に尋ねると、「いろいろ」とだけ返して笑みを戻す。
「……そう思うならいいがな。オレはどっちでもいい」
「いんや?」てゐはオビトと妹紅を交互に見る。「あんたらはすべきよ、安心くらい。合格だもん合格。『私』の竹林にある『私』の筍、たっくさんあげちゃうよー。おめでとさん!」
今度はにっこり晴れやかな笑顔でぱちぱちと拍手する。引っかかる言動の数々を目の当たりにしても、あえてオビトは触れず心にしまい込み、妹紅に向き直って「どうやら」と続けた。てゐが目を瞬いたことにも気づかずに。
「持ち主の許可が下りたようだ。心置きなく鍬を使えそうだな」
「ええ」妹紅が小声になる。「こいつが障害になるの、面倒なのよねえ正直。いい感じに回避できたんで安心安心……お姫サマはいないのに」
竹林を歩き回るための条件を持ちかけられて中断していた筍掘り。妹紅曰く蓬莱山輝夜との真剣勝負。本人の姿がいまだに現れないのは気になるが、ひとまず安堵すべきだろう。会話の主導権を握った底知れない妖怪の影響下で血を流さず、旨く場を収めることができたのだ。
「その辺りはどうする。不在のまま始めるのか?」
「うーん」考え込む妹紅。「……別にいいかなあ。居なけりゃ居ないで。『筍が掘れるなら』なんでも」
即答せずとも素っ気ない態度。気が変わったのか、輝夜と共同で勝負の方法を立案、合意を経て他者に協力まで持ちかけた本人が、材料の調達さえ完遂できれば奴に用はない、とでも言いたげな様子で寛いでいる。残るは筍掘りへの熱意だけで戦意は消えたようだ。
妹紅の発言はあながち予想を外していない。幻想郷に住む人や妖怪は自由奔放で気まぐれな者が多く、呆気ない幕引きを下す場合も少なくない。唐突に始まる弾幕勝負のように、終わりもまた同様に訪れる。個人に焦点を当てるにしても、因縁あれど本気で執着して命を狙い続けていたのは昔の話。燃え滾った負の心は長い年月で薄れ往き、奥底に染み込んだ惰性や義務感にも似た言動へと変化しつつある。他者や自分さえ顧みないほどに己を追い込んでいた頃とは違うのだ。
「なら勝ち負けもいいのか。忙しなく探さずに済むなら楽だが」
「考えなくてもさ、いつでもできるんだよね。あいつとのお遊びなんて。もっと他のものを見るべきよ」
「限りない機会、か。身近なものだな、お前には」
「寂しいー」妹紅は明るい。「まあでも。心のどっかで思ってなきゃ、こうはならないよね」
ゆえにと自ら決めた勝負を考えもなしに撤回して満足するはずもない。その判断に至った心境を覗き込むこともなく、オビトは里で会話した時と変わり映えない口調で代案を出した。何の意図か姿を現さない気まぐれな姫君に絡めて、交代と勝負の引継ぎ、数を制した者を勝者と認定する条件に変更なし。妹紅はひゅうっと口笛を吹いて「乗った!」と親指を上げる。
「いい遊び心をお持ちのよーだ。んじゃあれだね、負けたほうは今夜おごり」
「やるからには譲らんぞ」
「とか言いつつ、ちゃっかりしてるなあ」
「偶然だ」
にやけた妹紅がオビトの手元にある一つ分を指摘すると、本人は真顔でそう返した。何気なくポケットから両手を出す。
「いや。じゃなくて」
「…………」
二つ分を目の当たりにしたオビトは閉口した。
埋まった筍の見つけ方、食べ頃か否かの見分け方、綺麗で無駄のない掘り方、鍬を入れる方向や深さに角度、込める力の強弱、掘り出した後の運搬と最適な保存の方法。掘り尽くすと決したなら手を抜くべきではない。妹紅が動いて迅速に取りかかることができるように、写輪眼は常に発動させておくべきだろう。いざとなれば分身という禁じ手を発動する可能性も否めない辺りが幻想郷の恐ろしいところだ。常識で対処できない有事の発生に備えた用意を常にしておかなければ、非常識な世界で生き延びることはできない。
そんなことをオビトが一人思っていると、背後から近づいた何者かが力強く袖を掴んだ。傍に現れた兎耳に二人分の視線が注がれた直後、余裕一色だった妹紅があんぐりと口を開ける。
「話は聞いたわ……私の時代が来たのよ」
目覚めた鈴仙が勝ち誇った表情で立っていた。手に提げた籠には四つ分。穴の底で拾ったオビト、大岩の近くに転がっていた物を収得した妹紅、二人分を足しても届かない数を達成した彼女こそが人生の勝利者か。あるいは――。
「甘いよあんたら」
高みからの轟き。三人分の鋭い視線が同時に走る。周辺のあらゆる陰に身を潜ませていた白兎達が一斉に出現、無数の筍を弾幕のように投げ始めた。無駄に美しい放物線を描いて三人の前に次々と集まり、あっという間に積み上がっていく。大きな山が完成するまで一分もかからなかった。
飄々と掴みどころのない妹紅が後ずさりする。絶対なる年長者の力が最年少の小僧や小娘共を完膚なきままに叩き潰して、至上なる玉座に腰かけるに値する唯一無二が誰かを骨の髄まで教え込んだのだ。途轍もない数の暴力によって。
「なんてこったい!」妹紅は頭を抱える。「こんなん徒党を組んだって……!」鈴仙は悔しさを滲ませる。「……格の差、か」オビトは満足げな表情で笑んだ。
始める前から敗北に帰した三人の姿を心ゆくまで楽しんだ後、てゐは咳払いして「おっと」と仕切り直すように喋る。ちなみに彼女の慈悲なのか、妹紅と鈴仙の二人に比べて大量の円匙や鍬を用意して臨まんとした一人、ある意味では最も哀れな目に遭ったオビトの言動には触れなかった。
「勘違いしなさんな。こいつぁ全部、あんたら二人の物さね。可愛い兎ちゃんに感謝しなよん」
「え、私のは?」
「あんたにやるなら灼熱地獄に投下する」
頭を垂れた鈴仙を余所に、てゐは裏表の判らない表情で二人を眺めている。妹紅は挑発的な口調で「へえ」と一言。
「いいのかい? こんな簡単に」
「いいじゃん」てゐは妹紅の方を向いた。「対価としちゃ安すぎってレベル。筍なんていつでも、いくらでも採れるのに。この場所は特別……じゃなきゃ掘らせるかっての。わざわざ」
「あちゃー。先に裏を言っちゃうか。だったらまあ、詮索しないさ」
善人でも悪人でもないどっちつかず。順位や格づけも本意ではない。何を考えているか分かりやすいと見せて、全く分からない外側の人物ほど真意が覗えない者はいない。永遠の時を過ごす者なら数億年後の景色も映るだろうが、気の遠くなるほど先の未来になど思考は及ばない。月の頭脳と眼力を以って見通せるなら苦労はない。
妹紅が口を閉ざした後、代わりにオビトが対価について尋ねると、てゐは「あれ」と言って離れた場所にある、山積みになった道具の数々を指さした。瞳術を用いて時空間から取り出した物だ。二羽の兎が傍にいるようで、黒色の円匙と鍬を一本ずつ確保している。
「うちも色々と要りようでね。一つや二つもらったって、痛くないでしょ? 交換したいんだってばよ」
「確かに」オビトは腕を組んだ。「……譲っても支障はない。安いと思うのは同じだ」
「成立成立ぅっ!」
所望の品は手製の農具。その辺で入手できる物ではない。限られた手段でしか生成できない特殊な素材で作られている。
鋼鉄に比肩する硬度を誇り、軽量で加工もしやすい。経年劣化を起こしたり、錆びて朽ちることもない。農作業でも長く使うには適した代物だ。忍具や指輪など別の用途にも使える汎用性に優れた素材である一方、外部に漏れて困る性質も情報も組み込まれておらず、万が一にも悪用される可能性は未然に払拭済み。譲り渡す相手が因幡てゐでも問題はない。取引に応じて話を終えるまでは早かった。
配下の白兎から円匙を受け取り、目を輝かせて高々と掲げるてゐ。そんな姿を胡散臭そうに見るのは鈴仙。妹紅は緩んだ顔で持参の籠へと筍を放り込むのに夢中。
「いやはや、輝夜の奴とじゃ採れない量だね。こんだけあれば喜びそうだ」
「結局は来なかったが……忘れでもしたのか」
「いつものことよ」鈴仙が代わりに答える。「無理もないけどね。二人が喧嘩した回数なんて、千や二千じゃ足りないもの。長い間ずっと続けていたら、約束でも何でも、些細な忘れ物と大差なくなる。矮小化するのも考えものよね」
「だがオレと交わした約束は、これで果たせた。決闘の助けにはならなかったが、満足のいく結果に落ち着いたようだ」
「約束かあ……」
ふと呟いてオビトを振り返る妹紅。早くも半分以上を入れ終えたようだ。
「ねえ。私に何か頼みとかない? 案内でも護衛でも竹炭でも相談受けつけるよ?」
「……今のところないな」
道案内は迷いの竹林を歩き回るために必須。護衛は凶暴な妖怪から身を護るため、竹炭は火起こしや空気の清浄化、水のろ過など多岐に亘る用途のために。一つ目は幻想郷に来て間もない頃に世話になったが、現在は他の二つも含めて不要なものだ。
「ほんとに? 私の肝でも食って蓬莱人になる?」
ぶっ飛んだ話を軽々しく口にする妹紅にオビトは呆れる。冗談や自虐的な意味で吐いた言葉でなければ、物事に対する慣れがいかに驚異的で脅威的かを示す指標にもなるだろう。妹紅の性格上あり得る話である。服用した蓬莱の薬の成分が肝に蓄積されているか否か、肝を取り込んだ程度で同じ効能を得るのか否か、興味関心がなければ悩むこともない。
本音を聞き出したところ、また機会があれば手を貸してほしいようだ。妹紅は頭を悩ませてまで何度も対価を提示したが、今回は約束を果たすために関与したのみで、何かを為す毎に報酬を要求するほど打算に傾倒していない。輝夜絡みなど場合によるとはいえ、筍を掘るだけなら何の苦もないのだ。影分身を使えば一日中、気の済むまで付き合うこともできる。
筍掘りは本体も影分身も大して違いはない。ただし。
「こんな蓬莱人ほっといて、さっきの続きを夜通し――」
「また今度だ」
これが瞳術による力試しである場合、本体に大きく劣る影分身や木分身は限界が知れている。必然的に本体が出張る以外はあり得ず、全力でぶつかるなら激しい消耗を強いる。手を抜いて拮抗できるほど鈴仙は甘くない。彼女の頼みは妹紅より負担が大きいので、その日その時に二つ返事で引き受けるのは難しい。いっそのこと戦場で殺し合う方が楽でさえある。
穴で拾った筍も妹紅の籠へと放り込む。手を離れたその時、白兎達に指示を出していたてゐが振り向き、食い下がる鈴仙に捕まったオビトを手招きした。視線に気づいたオビトを追いかける前に、頭目の一声で跳びかかった何十羽もの白兎に阻まれてしまい、全身を真っ白な毛玉に覆われた鈴仙は為す術なく無力化される。二人を一瞥した妹紅は筍の方に戻った。
「ちょいとさあ。忘れてたなあって」
オビトを呼び寄せたてゐは、二人から離れた地点まで伴うと、急に足を止めて静かに向き直り、目の前まで近づいてじっと見上げた。明も暗もない無機質な瞳が映している。
――てゐがオビトの裾を不意に掴んだ瞬間、足を着けていた地面が煙のように掻き消えると、出現した大穴が口を開いて二人を呑み込んだ。咄嗟に態勢を整えようとするも、今度はかなり底の浅い穴のようで、ほんの数秒も経つ間もなく着地した。背丈の差があるてゐも楽々と降り立ったようだ。
傍から見るとてゐが罠に嵌めた構図になるが、その表情を映したオビトは黙したままだった。いつもの悪戯っ子な笑みがあるのは同じはずが、何かズレがある気がした。微妙な違和感が発言や行動を抑えつけたのだ。
「あんたさ。『色々』くれたでしょ、私にさ。お礼くらいあげるよ」
「礼?」オビトは不可解な表情で聞き返す。「タケノコなら受け取ったぞ。オレの取り分も用意したって話なら、手間をかけさせて悪いがオレは――」
「いやいや、別件だよ。あんたを巻き込んだ白髪は関係ないんでポイっ!」
「……何の話だ?」
てゐの目が細まる。純粋で穢れた視線を浴びるもオビトは動じない。小さな土の塊が壁面を転がり落ちてきた。
ふうっと息を吐くと共に静寂が破られる。てゐのにやり笑いが広がり、オビトから視線が外れた。
「それじゃ一言だけ――…後ろをもっと気にするんだね。人の子ちゃん」
意味ありげだからと低くも高くもない、聞き慣れた何気ない声が耳に入ったのみ。
だが奇妙に頭の中に残って消えない声だ。目に焼きついた残像のように、言葉ではなく声が。
背後を振り返るも壁面がそびえるのみ。再び視線を戻した時には、てゐの表情も雰囲気も元に戻っていた。出会って間もないはずの相手を前に、ふと頭に浮かんだことを口にする。
「オレは外来人としてズレている。そいつを理由に『見えないところ』から見てる奴らがいるのは知ってるがな……今となっては何も思わん。当然のものと受け入れている」
日々の暮らしの中で後ろから注がれる視線。その正体が幻想郷の創造主であり管理者の『賢者』達が擁する式神であることは、てゐに指摘を受けるより以前から気づいていたことだ。幻想郷の人や妖怪とは異なり、相容れない面を持つ余所者が管理者の目に晒されるのは、おかしな話ではないだろう。賢者と呼ばれる妖怪達は何人も存在するために、境界の妖怪や直下の式が関与するかまでは判別がつかないが、監視の目が管理者達の総意ならば区別して考える必要はない。
深刻な問題とは思っていなかった。監視の目とは言っても、簡単に視線を感づかせたり、気配を察知されたり、存在を気取られるほど式神達は愚かではない。彼らに気づいたのは八雲の妖から事前に仄めかされていたことや、この世界では異質で例外扱いされる力がもたらした結果だ。単純に鬱陶しいなら目が届かない時空間にでも逃げ込めばいい。
取り違うべきではないのは、彼らの視線には善意も悪意も存在しないこと。特定の何者かを贔屓したり害を及ぼす意味は持たず、幻想郷の未来のために果たすべき役割を果たしているに過ぎない。私的な争いや個人の感情が入り込む余地など自他共にない。
(永遠亭の……)
かつて幻想郷を騒乱の渦に巻き込んだ『吸血鬼異変』、その関係者と噂される湖の吸血鬼や、瑕穢が蔓延した地上を敵視する月界から逃れた永遠亭の人間や妖怪。魔界など別の次元から訪れた者。今でこそ受け入れられて平穏な暮らしを送っていても、元を辿れば彼らも余所から来た有力者だ。同じか似た目の向く先が一つとは限らない。
因幡てゐは地上の妖怪とされているが、永遠亭との深いかかわりを持つ一人には違いない。そんな彼女が異邦人に対して警告を発したことも頷ける話ではあるが。
「同じだけど」てゐは踵を返す。「別のモノだよ。もっとね」
沈黙。オビトが怪訝な顔で口を開きかけた時、聞き覚えのある声が下りてきた。一つ目の穴ほど深くないので、頭上から覗き込む鈴仙の困惑した表情がはっきりと見えた。てゐもちらっと視線を投げた後、くるりと回って浮き上がり、少しずつ上昇しながら「本当は」と続ける。
「こんな義理もない、はずなんだけどねえ。ま、あんたには一目置いてるから。私もね」
胡散臭い詐欺師が僅かに見せた表情。悪人のように仇で返して突き放す気も、善人のように親切に徹する気もないようで、いつもの人懐っこい顔で「ばいばいっ!」と別れの挨拶を元気に紡ぐと、考え込むオビトを一人残して飛び去った。
穴から出てこないのを不思議に思った鈴仙。世話焼きよろしく仕方ないとばかりに息を吐き、とりあえず下りようと身動きしたが、直前にオビトの姿が真横に現れて跳び上がった。心臓に悪いのは神威も瞬身も似たようなものだ。
「今日は二回目ね、あいつの罠に嵌るの。泥だの槍だの入ってないしマシな方よ、これでも」
「どうやら」オビトは我に返る。「自信作が何個かあるようだな。隅々まで見せられた」
「だから一緒に?」鈴仙の瞳には正常な光が宿っている。「まあでも、やることやったからね。もうこんな目に遭うこともないわよ」
「そうだな……」
思うところが多いのは間違いない。それでもてゐの件はいったん置くことに決めた。今日は筍掘りの件で竹林を訪れたのだ。考えごとなら里に戻ってから、誰もいない静かな環境でじっくりとすればいい。刻一刻と迫る終わりの時に追い立てられることもない。
二人の元に妹紅が近づいた。大量の筍が詰まった籠を背負って満足げな様子だ。結果的に輝夜が姿を見せなかったので、戦利品の奪い合いに発展する事態が起きず、取り分を損なうことなく独り占めにできたのだ。ちなみにオビトは分け前を受け取らない旨を事前に伝えていた。
「そんじゃ、帰ろうかね? うちじゃ処理も保存もできないんで、寺子屋に直行っ!」
「重そうだな。オレの術を使う方がいい」
「よぉし。じゃあ籠は任せて、手ぶらで軽々ひとっ飛びっ! こういう時にほんと便利よね、オビトの目って」
「大丈夫だ。籠ごと一緒に飛べる」
「あ、だったね――」妹紅が鈴仙を捉える。「ん、どうした鈴仙ちゃん? 分けてあげようか?」
「いいわよ別に。いつでも好きに採れるし」
鈴仙はふて腐れた表情でぶっきらぼうに喋る。ご機嫌で子供っぽさを発揮する妹紅は全然気づかない、というより気づこうとも思わない。オビトも特に挨拶を残すことなく神威を発動、頭上に発生した空間の歪みが左巻きの渦を形成し始めた。
掘り出した、もとい譲り受けた自然の、むしろ不自然の幸を自慢げに見せる妹紅に苛立ったのか、不機嫌そうに見返していた鈴仙。それから少し間を置いてすうっと深呼吸、「オビトォ!」と気合を込めた声で呼んだ。勢いを乗せてびしっと指さすも弾は出ない。出かけた文句も我慢して呑み込んだようだ。
「この次……顔を合わせる時もそう遠くないわ。完璧に打ち負かして、白旗揚げさせてやるから」
「鈴仙」オビトは表情を戻す。「やれるものなら、な。オレとて遅れをとる気も、前を歩かせる気もないぞ」
「上等。覚悟しとくのね」
いくつかの共通点を見出した、似通った力を振るう者との闘いで得た経験、感覚を以って自分を高めること。成長のための糧として取り入れること。他にも思うところがあったのか、雌雄を決する『闘い』そのものにも熱を入れた負けず嫌いな少女は、自信に満ち溢れた明るい顔でオビト達を見送った。僅かばかりの未練を残しながら。
身近だった支えを失い、狂った月夜に臆して自分を見失いかけた時。幻想なれど邂逅した月蝕の白。数々の濃すぎる出来事を経て、映る景色に変化を起こしたのは、此度の出逢いに止まらない。四度目は果たしてどんな色彩を刻むのだろうか。
「そんな顔、久しぶりに見るわよ。イナバ」
初めしか居なかったはずなのに、初めから居たかのように思わせる。だから鈴仙は突然の声かけにも驚かず、何となく的を射た言葉でもあったので、顔を向けないまま「ええ」とだけ頷いた。
「でも、まだ……いけた気もします。もやもやした感じが残ってて……」
「私の見立てじゃあ、難攻不落よたぶん。物書きにでも相談したら?」
「考えてみます。癪ですけど」
「ふふっ」
白兎達も残らず姿を消して、しばらくの間は二人でお喋りを楽しんでいたが、ふと首を傾げて思い出したように「それで」と口にする。
手ぶらの鈴仙をしっかりと映してから。
「成果はどうだった? 『私の』は」
「えっ……」
二言目は嘘か真か。今度こそ答えが見通せず、途方に暮れた様子で立ち尽くすのだった。