OBITO -廻光-   作:大兄貴

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ぐるぐるころころ

 ある晴れた日の午後。明るく温かな日の光が差し込む一室にて。

 

 月の頭脳と謳われる元月人、永琳は優れた才を持つ薬師であると同時に、豊富な医学の知識と高い技術を有する医師でもある。彼女が実質的にとり仕切る永遠亭は病院ではないが、一般的な医院を称する以上に十分な機能を備えており、診察はもちろん患者の入院も種族を問わず受け入れる。

 病室のベッドに寝かされた人物も、道中に広がる妖怪だらけの森や竹林を踏破して永遠亭を頼った一人。食われる側の人間ではなく、食らう側の妖怪である。薄い石竹色の瞳と長い髪、入院患者用と思われる寝間着。いつも履いている特徴的なバルーンスカートではないので、恰好だけでは見分けがつきにくい。人間と遜色ない姿形にしても。

 

「いつになったら釈放されて自由の身? お天道の昇る日が待ち遠しい」

 

 格子の一本もないベッドを抜け出して自由を獲得するのは難しい。永琳の存在が強靭な帯や頑丈な枷、頑強な鎖や堅牢な扉の複雑な錠の役割を果たすのだ。屋敷に患者として身を置くからには、意図しない外出や逃亡は許されず、悪意を持つ何者かに連れ去られることもない。風のように自由な妖怪が大人しく身体を委ねている理由だ。

 初めは末期の重病人扱いで、永琳の研究室に併設された個室で直々の管理下に置かれていた。容体が峠を越えて以後は一般の病室へと移して検査と療養を続けている。

 

「ご希望でしたら、今すぐにでも」

「本当か薬師? ウソだったら毒針六千億本呑ませて香辛料の樽にぶっ込むぞ」

「まあ、今日までの努力が水の泡に帰るけどね。それでよければ」

 

 永琳は診療録に目を走らせながら茶化すように言う。屋敷を出るだけならどんな容体の患者にもできる。治療を止めて回復を諦めることと引き換えに。彼女の振る舞いは里医者に比べると個性的で掴みどころがないだけで、患者を救う医者としての思いに嘘はない。

 

「うー……」

「イヤなら数日は動かんことだ」

 

 ベッドの傍らには永琳ともう一人。こころは不満げ(と思われる)無表情で押し黙り、食い下がるのを止めて弾けるように体を起こすと、足をばたばたとさせて「窮屈だ」と呻いた。

 ここに移された時点で経過は順調だ。高くそびえる山を乗り越えて後は下り、何度か検査を受けて問題がなければ晴れて退院。感情の変化が表情に出ない者の容体を把握するためには、体の動きとチャクラを注視する必要があり、その結果を踏まえての措置である。今にしても問題は見受けられない。治療が終われば無理を押し通す必要もなく、嬉々として参加した作業の最中に意識を失い、屋敷へと逆戻りする事態が起きることもない。もっともアレは疲労が原因で命の危険はなかった。

 

「予定より早かったわね。貴方のおかげで」

 

 退院までの日数にしても、半年から数年、それ以上とも視ていた当初と比較すると、良い意味で大幅に下方修正する結果となった。妖怪は長寿で気の長い者が多いように、例外となるごく一部の傷や病の治療、回復は相当に長い期間を要する場合がある。

 

「様子を見に来ているだけだ。オレはな」

「お見舞いも立派な治療の一つよ。この子にはそれが一番」

 

 病は気から。正しくは病気でも怪我でもないが、妖怪には特に当てはまる言い方だ。

 肉体的な損傷や異常が命を失う原因となり得るのは人間であり、心や精神に重きを置く妖怪ではない。別の見方をするなら、人間よりも精神的な変化の影響を受けやすく、内面に対する働きかけ次第では好ましい結果が、目に見える形として表れる場合もある。薬学や医学に精通しない素人が、医者よりも遥かに効果的な治療を行い、成功した一例の仲間入りを果たしたのだ。

 

「気合いもばっちり、だったみたいだしねえ。見かけによらず」

 

 永琳の視線がちらっと移る。棚の上にでかでかと置かれているのは、色とりどりの果物が盛られた大きなバスケット。

 高級感と華やかな見た目から贈り物に良し。新鮮で栄養豊富な果物は健康な体作りに寄与するので見舞いの品にもぴったりだ――と、事前に情報を入手したオビトが、里の親切なお年寄りから助言を貰って用意した物だ。にもかかわらず、肝心な場面で無知や不慣れを発揮して値段の張る物を選んだ結果、無駄に豪華で絵に描いたような物になった。

 皿と小ぶりなナイフをちゃっかり用意していた永琳。林檎を一つ手に取り、鼻歌交じりにゆったりと皮をむき始めた。皿に落ちるはずの皮が消失していくのは、ぎらりと目を光らせた面霊気が横から摘まみ続けているからだ。むき終わると食べやすいよう切り分けるが、瑞々しい白い果実の表面はでこぼこ気味、赤色の線が所々に残されている。

 

「よし。我ながらいい出来ね」

 

 そう言いながら自らの口に運ぶ永琳。ほころんだ緩み貌、美味しそうに咀嚼して味わう。こころは永琳が林檎を「むいている最中」にもう一つを籠から取り出して、栄養価の高い皮ごと豪快に丸かじりしていた。やはり元月人と妖怪、人ならざる二人は少しばかり変わり者、という話だろうか。

 オビトの視線に気づいたのか、かじるのを止めて一瞥、食べかけの林檎をじっと映す。果肉を力づくで真っ二つに割るなり、透き通るように綺麗な瞳を向けて差し出した。無表情のまま親指を上げている。

 真顔で受け取ったオビトは、こころの口にねじ込んだ。人差し指が食われかけるもすり抜ける。

 

「同志よ、在るべき居場所に舞い戻る日は目前だ。布団と風呂も用意しておけ」

「移転を考えるなら……もっと早くにすべきだったか」

「わーん」

 

 理由ありきの『観察』は意義を失っている。お面は着用する物だからと、取り憑いて離れないのは不本意だが、目障りにでも感じない限りは気に止める必要もない。曰くこころは人里や命蓮寺、博麗神社以外にもあちこちを放浪する、一つ処に落ち着かない妖怪でもある。紛失したとある面を探し回り、各地の人間や妖怪に片っ端から絡んでいた頃とは比較できないにしても、四六時中とまでは言うまい。

 翁から姥へと判りやすく変化するお面。容体と意識が回復して調子と元気が戻ってからは、何かしらの感情表現を行う時には、以前のようにお面を浮かべたり被るようになった。妖精のような騒がしさも。

 

「貴方もどう?」永琳はオビトを映す。「というか、貴方が持ってきた物よ。私たちだけ頂くのもヘンな話じゃない」

「オレは食わん。アンタたちで好きにしていい」

「もう。仕方ないわね、むいてあげるから待ってなさい」

 

 何故かオビトの主張をスルーした永琳は、いつの間にか用意していた大きな皿を膝に乗せてナイフを動かし始めた。林檎と梨を一つずつ手にしている。皿に落ちる皮が消えゆくのは同様。こころの膝には舐瓜があり、林檎を完食してブドウに移っていた。

 騒々しさが言動に表れまくる面霊気はともかく、大人びて冷静沈着に見える永琳が意外と天然で、悪戯っぽく強引な面がある事実は、顔を合わせるだけでは気づきにくい。彼女に近しい鈴仙や輝夜なら慣れがあるのだろう。

 

「薬師、オビトは煎餅の付喪神だ。他の食い物は摂取しないぞ」

 

 口に入れる物を何年も置き続けてどう変化するかはともかく、付喪神が色々な物から生まれ出づるのは確かだ。どんなに小さな物、小石や米粒にも魂は宿る。飲まず食わずで生命を維持する人間が目の前に居ることも、永琳の「知ってるわ」との返答通りである。それを知った上で再び口を開いた。

 

「『食べられない』わけじゃないでしょう? なら食べなさい」

 

 永琳はにっこりとする。『食べたくない』場合の選択肢を初めから提示しない通り、是が非でもと言わんばかりの威圧を発している。そんな気がオビトには感じられた。

 

「どういうことだ? 何か重要な意味や理由でも見――」

「――じゃあほら、口を開けなさい。あーんって」

 

 太古の昔、因幡の少女より遥か以前から存在する蓬莱人から見ると、たかだか数十年しか生きていない人間も、数千年を生きる妖怪も幼子と大差はない。出生したばかりの赤子にも満たないだろう。だからといって、永琳が嘘か真か慈愛に満ちた表情で、切り分けた林檎を食卓用フォークに刺して近づけても、煎餅でもない物をオビトが喜んで受け入れるはずもない。

 恐ろしい笑顔の蓬莱人が迫り、逃げ場を失った人間の口にねじ込む直前、割って入った勇敢なる妖怪が身代わりを引き受けた。見舞いの品として持ち込まれた以上、客人ではなく入院患者の口に入るが道理。ぐうの音も出ない正論とでも見なしたのか、美味か不味いか判らない無表情でもぐもぐする妖怪に何も言わず、先手を打った人間が迅速にフォークを奪い取るなり自力で摂取した。二人の早業に感心する蓬莱人。

 

(……っ!)

 

 よく噛んで呑み込むなり、胸を押さえて片膝を着いた。途轍もない衝撃が体内を駆け巡る。

 手製の毒物でも仕込まれていたのか。否だ。いつ以来かも分からない果物の摂取を起因として生じた、身も震える未知の感覚が一気に押し寄せた。永遠にして至高なる美を欲して自らの肉体を傀儡に作り変えた、人ならざる芸術家ならば何を思っただろうか。

 任務において自給自足は当たり前。獣や虫、植物や木の実、野生の果物を貴重な栄養補給の手段に利用していた日々は、今は遠き日のおぼろげな記憶だ。

 

「ここまでの果実を……」

「ただの林檎だけどねえ。買ってきたのも貴方」

「そのオビトに食わせてビクッとさせるの私もやりたい」

「後ほどね」暴走しかけたこころを制止すると、永琳はオビトの視線を捉える。「――貴方は慣れがないかもしれないけど。ほんのささやかなやり取りでも、人と人を結びつけるきっかけになるの。たまには悪くないと思うわよ? こういうのもね」

 

 絆や愛は人によって様々な形を成す。この世を地獄と見なして自他の全てを否定、何の価値も意味も持たない紛い物として己の内より捨て去り、月の夢に思いを馳せていた者には、最も無縁で相容れないものだった。他者との間に繋がりを作る人間や、孤を好むがゆえに縁遠いとされる妖怪ですら及びもつかないほどに。

 己の過ちに気づいて――気づかされて偽りの仮面を脱ぎ捨ててもなお、忘れ去って戻らない、理解の届かない物事は依然として多い。八意永琳の前で口に出したことはただの一度もないが、永きを生きる蓬莱人ゆえの智慧や眼力、見通すような視線に言い知れぬ感じを覚えたのは初めてではない。おそらく一生を費やしても追いつくことはないだろう。

 

「むー? 私の『面』に異物でも付いてるのー?」

 

 猿の面を被って、というより浮かべて首を傾げるこころ。今にして記憶を辿ると、失われ往く命を繋ぐために起こした行動の数々にしても、忌むべき過去の償いのためと思えてならない。

 その考え方に間違いはない。しかしながら、あの時に踏み込んだ生と死の分岐点で、境界の賢者が選択を提示して口にした言葉が、ふと頭に浮かんだのだ。決別して捨て去った『オビト』でも『マダラ』でもない、道を戻した現在の『うちはオビト』の本心がどちらに在るのかを。人助けばかりの自分か、贖罪を含めた責任や義務感で体を動かしたに過ぎないのか。答えが出ないのは判っていないからだ。

 忍界を去って幻想世界に流れ着き、数多くの出会いと出来事を経験してもなお見通せない。どうやら答えを知るのは先になりそうだ。いずれも誤りや偽りではなく、道を踏み外すことがないのなら、今はまだ思うがままに歩いて往けばいい。

 

「暑いな今日は。月見団子を開け放て、薬師よ」

「いい風ねえ」

 

 ベッドの傍にある大きな円形の障子窓から、涼やかで心地よい風が吹き込む。永琳とオビトが入室した時に開放されてから、それなりに時計の針が進んでおり、新鮮な空気が十分に満ちている。どんよりと淀んだ空気は心をも濁らせるものだ。

 雨風の強い日に閉め忘れると壁や床が悲惨な光景を作り出す。実例は一度や二度だけに収まらない。幸いなことに、こころが居る間は忘れられず、天気の悪い日もなかった。長いようで短い、長いはずが短かった、晴れやかな気持ちのいい日々が平穏に続いていた。今日にしても言えることだ。

 

「団子と言えば」こころはオビトを映す。「ここ最近……なんだかこう、世話になりっぱなしだな。できれば貴方の好きなもので礼をと思って、私なりに考えてはみたが――…」

 

 いかなる感情や考えを持てども表情は動かない。代わりに『世話』や『礼』という分かりやすい言葉を紡いだので、何が言いたいかを察したオビトが口を開きかけた直後、永琳が不自然に喧しい咳払いで掻き消して無理やり主導権を握ると、大した滑舌で「それじゃあ」と喋り始めた。

 

「お友達から始めましょう。相反する人と妖怪、まずはそこからよ」

「よく分からないが、同志は喜ぶのか? ならばよしっ!」

「そいつは礼になるのか」

 

 お礼の意味合いで結ばれる友好的な関係。話の流れと喋り出しのせいで、面霊気を友人として迎えたいとオビトが自ら望んだか、立場の劣る者が利を求めて上の者へ取り入る構図に見えなくもない。こころは再び親指を上げるだけで多くを語らない。

 幻想郷における人間の扱いや境遇、妖怪との力関係を思えば、力なき者が強い力の笠を被ったり、威を借りる形で身を守るのは道理と言えるが、例外に該当する異邦人も存在する。問題は解釈の余地がありすぎること、オビトではなく永琳が代わりに返答したことだ。

 

「細かいこと言わないの。これを機に仲良くしてみたら? と思ってね。未知なる外の人間、ありふれた妖怪……二人が育む繋がりは同じくして未知なのか。気になるのよねえ」

「……変わった好奇心だな。熱の入ったことだ」

 

 知的好奇心が旺盛で、自らの欲に忠実と言える部分は永琳も、あの男と似通っている。

 世にある全ての忍術を極めるのに人の一生は短すぎる。生き長らえたとしても時間に限りがあれば死に、そして全てが失われる――人間ゆえの理に背いて不死の転生術を開発したのは、知識欲と研究欲に飢えた蛇のような忍。悠久の時を過ごす厳格な男にして「存在しない」と言わしめた、本当の不老不死が忍界とは異なる場所に、幻想世界に存在すると知ったら、果たしてどう思ったのだろうか。

 

「まあまあ」永琳はのんびりと喋る。「嫌じゃないでしょう? 貴方としても」

「私は一向に構わないぞ。この感情を舞台で表現するのー」

「ですって。貴方はどうなの? オビト」

 

 幻想郷と忍界の両方で経験したのは、共通の敵を倒すために締結する一時の協力関係。永琳の言う『友人』とは意味が違う。

 意図せずもたらされた結果として、繋がりを生んだと見なせるような、そんな例も今さら完全には否定できない。しかしながら、事を成すにあたり必要性の有無は関係なく、純粋に仲を深めた者となれば別だ。腹の内を見せて本心を語り、理解し合える者が幻想郷に居るわけでも、親密な関係を築きたい誰かが居るわけでもない。

 

「好きにすればいい」

 

 現実を受け入れず、真実も見えずに地獄を彷徨っていたのは過去だ。他者と仲を深めることに忌避や嫌悪はない。永琳の言うように、秦こころを友人と思うことが「嫌」かどうかの二択で答えるなら、後者となるのは間違いない。望むか望まないか以前に、拒否すべき理由が存在しないからだ。

 ただし、十数年分のツケが一気に圧しかかった者の考える――否、考えざるを得ない『友』の定義と基準は当然に、はたけカカシを置いて他にいない。そのせいで何気ない付き合いとは遠い、高すぎる敷居が二人の間を分断する破目になった。

 あの男とあえて比較すれば遠く届かない、出会って間もない面霊気との関係性。オビトの言動は前も後も変わらないままだった。

 

「ん? 何にすればって?」

「好きに、だ」

「『に』を抜いたら?」

「好き、だ。抜く意味があるのか」

「よかったわね」永琳は微笑する。「仲良くする気満々よ、この子。三回も言っちゃって」

 

 オビトは無言。こころも無言。福の神を模したお面で顔を隠している。

 感情なき表情が現れる。鼻歌交じりに二人を眺めた後、座った姿勢から足元を蹴り、ふわりと浮いてベッドの上に足を着けた。くるりと踊るように一回り、青白い扇がぼうっと両手に、薙刀らしき武具が背後に浮かび上がる。

 舞台に上がった主役を見て、永琳の眉が動いた。

 

「彩り豊かな時間を貴方へと贈ろう。鳴り止まない拍手と注目、我々の演じる愉快で心躍るような、明と暗の境目に垣間見る刹那の――!」

「――はいそこまで。それ以上は駄目よ」

 

 永遠亭の医者は観客席に腰を下ろさない。気持ちは汲んでも好き勝手な振る舞いを許す理由とはならず、厳しい表情で叱るなり、やんちゃな患者はベッドに寝かされる。浮かんでいた扇子や薙刀が霧消するまで数秒足らず、お面が大飛出に変化するのも早かった。能の舞台を即席で用意、乗り気で披露しかけた面霊気の思惑は無事に阻止されたようだ。張り切るのはともかく、大切な面を被るのは時期尚早である。

 林の国の、ではなく般若の形相、もといお面を被ると踏んでいたオビトだが、ことのほか穏やかな表情、というより感情を露わにした。騒がしい様相を呈する面霊気らしさが薄まり、文句も言わずに大人しく掛け布団を被る。目の下辺りまで隠れてしまった。

 

「何事もなく終わるならいいがな。このまま」

「そのための貴方よ。どんな医術や薬剤よりも効き目のある、ね。でしょう?」

「ちゃんと温かい」こころの目が瞬いた。「そんな気がしないわけでもないわけでもない、というわけでもない」

 

 何かのふりにも聞こえる物言いにも動じず、永琳はオビトをいつも通りに表現するだけだった。

 この姿勢とやり取りは終始変わらない。見方次第では病の特効薬も同然の扱いを受けても、概ね正しい表現と自分でも認めざるを得ず、突っ込んだり異を唱えたことは一度もない。懸念から口にした言葉というより、何気ない会話の一部分である。面霊気のこころほどではないにしろ、オビトも表情が動かない方ゆえに判りにくい。

 

(大丈夫そうだな、もう)

 

 あらためて見ても経過は順調で異常は確認できない。元気一杯に走り回るほどだ。

 見舞いも兼ねて様子を視に足を運ぶのも潮時。残り少ない日課には影分身を充てても問題はなさそうだ。永琳達の目があれば見張りを立たせるのも大げさだろう。敵と見なす者の存在を現時点で認識していたり、口封じか何かで刺客を送り込む物騒な連中が潜伏するならともかく、二十四時間の監視を屋敷の周辺に置くのは過剰な措置だ。ここは幻想郷であり忍界ではない。

 庇護を受けるのは妖怪ではなく人間、正確には里の人間。事情を知らない者が現状を見れば、実は秦こころがその妖怪の一人で、守られる側ではなく守る側にいるとは思わない。里人でも妖怪でもないオビトの場合は、どちらにも該当しない外側の立ち位置から、いずれにも成り得る第三者と解釈できるので、ベッドを見下ろす側、客人を見上げる側でも道理は外れない。似たような経験は何回かしていた。

 

「あら、お暇しようとしてる? もしかして」

 

 その場を去る時は何も言わず、前触れもなく姿を消そうとする場合が多い。知ってか知らずか永琳は、いつものようにオビトが急に踵を返して、右眼か頭上の空間に渦状の歪みが生じる前に先んじて、ゆったりとした口調で呼びかけた。その判断は正しかったようだ。

 

「さっきも言ったが、今日も様子を見に来ただけだ。長居するつもりはない」

「そう急がないの」永琳は腰を上げた。「せっかく来たんだし、ゆっくりしていきなさい。お茶と煎餅くらい出すわ。お持ち帰りは駄目よ」

 

 最後に念を押して柔和な表情を見せる。永琳の呼びかけにオビトが足を止めた理由は簡単だ。

 用を済ませてさっさと里へ戻ろうとしたのは、見舞いの他に用事がなかったから。余裕がなく時間に追われていたり、永琳達と一つ屋根の下に居ることに嫌悪や後ろめたさを感じたり、かかわるに値しない無意味なやり取りと切り捨てたわけでもない。かつてとは違った状況に身を置くオビトにとって、守矢の神々が作る温かみでさえ遠いものではない。

 

「……アンタがそう言うなら。無下にはしないが」

「泊まれ」こころが横から入る。「暇するなら暇を潰そう。我らが愛すべき前人未到の舞台を、夜通し熱々と語り合うのだ!」

「お前が一方的に語るだけの時間になる……おそらくな」

「じゃあ今夜、お前ん家に行く。あれ作りたい」

「却下」

 

 傍で聞いていた主治医が不許可を下すまでは早く、同じ意見を持つオビトが返答するまでもなかった。複雑な事情を汲んで黙認した前回とは違い、今度は頼まれても外に出す気は一切ないようだ。窓が開いているからと隙を見て脱走しても、敷地内を出る前に捕まって逆戻りが関の山。運が味方して切り抜けたところで、永遠亭と通じた白兎達による監視の目が竹林中に。どう転んでも連れ戻されて終わりだろう。

 好き勝手は許さないとの認識で永琳とオビトが一致、少ないようで多い二対一の差に観念したのか、食い下がらず素直に口を閉ざした。

 

 二人は話を終えてベッドに背を向けた。ふと頭を上げるこころ。

 そっと手を伸ばしたが、すり抜けることも、触れることもなかった。途中で止めたからだ。表情やお面からも感情は覗えない。

 

「今は届かなくてもいい。いつかは……」

 

 騒々しさは人知れず息を潜める。遠ざかる足音が消えた頃、その顔は再び布団の中へと隠れた。

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