OBITO -廻光-   作:大兄貴

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丁礼田舞

 日常の中で不意に感じる視線やざわつき。振り返ると誰も居ない。そこにはいったい何がある?

 

 青空に悠然と輝く太陽、麗らかで気持ちのいい晴れの日。からっとした過ごしやすい日が続く。

 子供は風の子、元気に外で遊び回るには打ってつけの日和だが、里人達の居住地が集中する中心部や南寄りの地区とは違い、外れに位置する周辺は人気がない。この辺りで毎日を元気一杯に、というより前向きに過ごす者が居るとすれば、やはり一人しかいないだろう。

 

「よし……」

 

 店内。埃一つないテーブルにでかでかと鎮座するのは果物のかごではない。

 合成樹脂製の大きな容器が二つほど。硬質だが押すとへこむなど柔軟性に富み、滑り止め付きで持ち運びやすい。透過する素材で作られており、動かす度に波を立たせる無色透明な液体が外部から確認できる。正体は毒でも薬品でもない、普通の水だ。

 

 遥か北の方角にそびえる山、妖怪の山の上流地域を源泉とする天然水。立地と複雑な事情から、里の人間ではなく山の妖怪達が管理下に置く関係で、入手には多少の手間暇をかけた。

 里に住む妖怪を介した独自のルートで働きかけ、交渉と取引に応じたのは河城にとりなる人物。これがなかなかに癖の強い妖怪で、大方の話がまとまった直後、人間ゆえにと尻子玉の話題に一方的に入り、その過程で危うく亀裂を作りかけたが、事前に情報を得て用意していた胡瓜を九本ほど手土産に提示した結果、必要分の金銭を支払って取引は無事に終了。天狗達の耳に入ると面倒とのことで、接触は水だけに水面下で秘密裏に行われた。

 河童曰く、最先端の技術と莫大な費用を惜しみなく投じて開発した、河童印の超大型浄水器(持ち運び不可)を通して作った水。浄水器自体の購入の是非を確認したところ、前述した理由に加えて、河童達が保有する高度な技術と情報漏洩の観点で断られた。

 容器は一般的な瓶よりも大きい。追加で金を支払って予備が二つほど。毒見もとい試飲は済ませてある。

 

 使用する水で作品の出来は変わる。いきなり完成品を仕上げるような愚かな真似はせず、至高の境地へと至るまでの試行錯誤、段階的な実験に組み込む材料という程度の認識だ。

 今日この日も新たなピースをまた一つ手中に収めた。いつものように作品作りに勤しもうと、オビトが店の奥へと一人消えかけた時である。

 

「こんにちはっ!」

 

 元気の子、という言葉がぴったりな声だ。肩にかからない海松色の髪、腰の辺りまで長く伸ばした両サイド。笹色の和装ドレスに白の前掛け、小さな烏帽子を着用。巾着袋を右手に握り締めている。

 駆け込むように扉を潜るなり、勢いあまって転びかける姿に気づいても、視線を向けるだけで駆け寄ろうとしない。少し恥ずかしそうに頬を赤らめる様子を、離れた場所から眺めるだけだった。少女は店内の真ん中辺りまで来ると、無邪気に笑って「えっと!」と声をかけた。

 

「わたし、お母さんのお使いで来ました。ここのおせんべい、すごく美味しいと聞いて……あのっ、『いたち』と『しすい』はありますか? 五枚ずつほしいですっ!」

「分かった」オビトは踵を返す。「ちょうど今、焼き上げたところだ。待っていろ」

 

 呼び分けるために付けた名前に過ぎないので、ご指名だからと奥から二人ほどぞろぞろと現れることは万に一つもない。注文を受けたオビトは要望通り、木製のトレイに敷き詰めたばかりの品を計十枚、洗練された手つきで袋に包むと一結び、小走りに近寄ってきた少女に渡した。

 相手が老若男女、妖怪でも神でもオビトの接し方は不変。人によっては無愛想で冷たい印象を受けるが、少女は天真爛漫な笑顔を絶やさず、嬉しそうに礼を言ってお金を払う。それからくるりと回れ右、手を振りながら店を出ていき、足音が段々と遠退いていく。入店から買い物、会計から退店まで妙に滞りなく進んだ。

 

「…………」

 

 その様子が綻びの一つかは定かではない。慌ただしく届いていた足音がピタリと止まり、間もなく戻ってきたのは確かだ。

 オビトは送り出した後も作業に戻らず、再び姿を見せる可能性が潰えるまで――正体を明かしたり化けの皮を剥がすことなく、大人しくどこか遠くへと消えるのを待っていた。それが一分も経たないうちに再訪する始末。

 警戒を解かず意識を研ぎ澄ませる。これまでに足を踏み入った者、近づいた者の言動と比較すると、類を見ないほどにズレて感じられたからだ。里に住む幼子など今日は一人も見かけていない。お使いで買った品を早くも頬張っている。捨て置く方が無理だろう。

 

「あ、えっと、すみません。お日柄がよろしすぎて太陽熱が……」

「引っ張りすぎだ」オビトの目が細まる。「その浮いた風体で身の上を騙るのは、裏の裏までを読んだ企みの範疇か? 事と次第では口を割らせる破目になるが」

 

 傍から見れば過剰な振る舞い。異様な光景とも言える。黒衣の男が小さな女の子に冷たく言い放ち、鋭い目つきに変化した上、三つ巴模様の赤き瞳を光らせた。外形と中身の不一致という、慣れのある当たり前の常識を覚えていれば、幼子ゆえにと隙を与える必要はない。

 意図する余裕がないほどの、拠所ない事情がある場合は例外としても、和装とて変化もせずノコノコと目の前に現れては、山中の猫又を集めて被り尽くす意味が失われる。他の人間や妖怪と顔を合わせる時とは異なる反応を見せろ、などと情けなく頼み込むようなもの。愚策を講じて秘匿できようか。予期していたとでも言いたげに、素顔を晒すまでが呆気ないのは些か気になるが。

 

「あーもう」少女は頭をかいた。「なんで普通に帰ろうとしたんだろ。まあでも、取り返せるよねきっと。じゃないと困るよもう」

 

 消失した巾着袋の代わりに鋭利な竹槍、ではなく笹を握っている。受け取った金銭も笹の葉か何かだろうか。ほんの一瞬の出来事で、懐から取り出したというより、袋が化けたように見えた。寺子屋の帰りに道端で拾って、勇ましく振り回すような物とは思うまい。

 ここを訪ねるにあたり、里の子供に扮する手順を飛ばした上、うっかり要件を済ませる、どころか口に出す前に買い物を終えて帰りかける。おっちょこちょいの度合いが絵に描いたようで、これも裏の裏、だめ押しで裏を返すための周到な作戦になるのか。焦りようと呆れようから意図した言動ではなさそうだ。

 異様な少女は正体を隠す気が早くも失せたようで、内装に不似合いな肘掛椅子に腰を下ろすなり、今しがた購入した物を食しながら「でもさ」と続けた。

 

「人間の社会に入れるのは、人間以外も同じさ。変装でも変化でも……本当に里人と見分けがつかなかったら君、今と違う反応したのかな?」

「かもな」

 

 科学の発展と共に非常識な、空想の産物として表舞台から姿を消した妖怪だが、彼らは案外どこにでも潜んでいる。常識の内を生きる人間達が気づかず、気づこうともしないだけだ。遠目に見える赤の他人、昔から見知っている身近な人物かもしれない。

 常識として受け入れられた幻想郷では、外を少し出歩くだけで誰の目にも映るのだ。異形の耳や尾を包み隠さない者もいる。里人が着用しない洋装という、姿形以外の部分で判る場合もある。外側を見るだけで判断がつくのに、内面を視通す力、写輪眼や波長操作に頼るのは大げさだろう。ここまでならば。

 

「――だが、お前は『人間』だ。どうやらな」

 

 確かなことが一つ。少女は人間ではないが、紛れもない人間だ。妖でも神でもない。異様な気配をまといながらも、少女からは何も感じられない。人間を前にした時、妖怪や神霊を前にした時、いずれとも同じ感覚。有体に言えば人と妖怪、二つの側面を持つのだろうが、この眼は真実を見逃さなかった。少女の内に答えは存在しないと。

 その背後。頭の後ろ辺りに、得体の知れない何かが渦巻いている。チャクラを見通す眼に映り、身体に覚えた違和感の正体だ。姿形や服装は初めから問題ではない。『人間』の少女が何かの、あるいは何者かの影響下に置かれている――それが分かったところで、まともな表現が使えなければ、具体的な言葉は形成されない。

 

「なんだかんだ言って、よかったのかもね。これでさ」

 

 密に、密に。とでも言いたげに、快活な少女の人差し指が唇に触れると、ご機嫌な様子でウインクする。

 

「初めから里人としての私を認識してもらうより、この姿を披露する方がもっと、奥深~いものが見えるんだから。君の中にね」

「言葉遊びはいい」オビトが遮る。「オレに用があるのか、ないのか。まずはハッキリさせるべきだ。何を話すにしても……ここにお前が居ると分かっていてもな」

 

 簡単な話、多くの人々で賑わう里の中心部から遠く離れた、人気のない外れに用事もなく足を運ぶはずもない。建物の戸を叩いた時点で森林浴や散歩が目当てでもなければ、商品の取引はしても本意ではない。ここに踏み入ることが唯一の目的で、何らかの用があると判り切っていたら、内容はともかく有る無しを問いかける意味はない。

 その意味を人ならざる者、妖怪はいとも容易く作り出す。何となくや無意識で、ふらっと意味もなく急に姿を見せる、言動の読めない連中こそが妖怪。ただの人間ではないと判った時点で、疑問を投げかけない理由は綺麗さっぱりと消え失せる。

 

「素敵な君と会って、お喋りしたかったから? なんつって」

「こんなのは理由にならない、としか聞こえないぞ。付け足してまで」

「ごめんごめん」少女の咳払い。「……ま、仕方ないかな。その辺りもうわさ通りみたいだし」

 

 露骨に胡散臭い言葉を並べ始めた少女も、さすがに無理のある理由づけだと思ったのか、愛想笑いを浮かべて仕切り直した。それから本名か偽名か自らを「舞」と楽しそうに名乗り、肘掛椅子に腰を下ろしたまま右手の笹でオビトを指すと、ハキハキとした口調で「単刀直入っ!」と本題に入る。

 

「僕らのお仲間にならない? 君さ」

「仲間?」

「そうだっ!」巨大な斧で竹を一刀両断する勢いだ。「あの方の言霊を伝えに来たのさ」

 

 これまでも勧誘や提案の類は何度か受けたが、中身が何であれ『仲間』という、特定の個人や勢力に引き入れる意味を持つような、直接的な言葉をぶつけた者はいない。

 勢力や集団と聞いて思い浮かぶのは、幻想郷では最大規模とされる妖怪の山、小規模ながら強い人間や妖怪を擁する永遠亭や紅魔館、命蓮寺も該当するだろう。特に前者は、その存在自体が幻想郷にとって重要な位置づけであると共に、一人一種の妖怪としては珍しい、種族単位で集団や社会を形成している。『僕ら』なる言い方からして、舞も何者かを頂点とする集まりの一人だろうか。

 

 気になることが二つ。舞という名前は以前に見聞きした覚えがある。幻想郷とは別の次元にある異界へ所用で踏み入った時、そこで出会った人物だ。符合しない部分が多すぎるために、まず同名の別人と判っていても、人間の常識が通じない人外となれば、色々な可能性を疑わざるを得ない。

 もう一つは稗田家の資料。真偽はどうあれ、幻想郷における全ての人や事象の悉くを網羅し尽くした、最大の情報源と言える膨大な記録の中に、舞を含む二人の名は存在しない、もしくは見た覚えがなかった。この世界に暮らす人間や妖怪、神霊に至るまで広く細かく知り尽くしている、などと自負できる程度には、染みついた性分から抜かりはなかったにもかかわらず。

 記録がなかったり、極めて少なかったり、信憑性を著しく欠いた情報は知る限り、八雲の妖怪達が関与していない場合が多い。魔界や仙界、忍界など別世界に関連する情報だ。詰めが甘く見逃しただけなら疑問の余地はないにしても、そうではない場合もあり得るということが、非常識でぶっ飛んだ者達の恐いところだ。

 

「そこに理由や価値を見出して、考える余地ができたしても……正体を明かさんのではな」

 

 オビトは舞を子供とも、人間とも見なしていない。底知れない分、力ある妖怪以上に厄介な相手と認識していた。そのせいか若干冷たい声に変化している。

 

「正体ねえ」舞はにやりとした。「目的ってやつだよね。とーぜん」

「言っておくが」オビトは冷静に見返す。「目的が何か、信用に値するかどうか、有益か無益か……なんてのは二の次だ。共に何かを為そうとするなら、素性を知らなければ話にもならんぞ」

 

 第四次忍界大戦が勃発する直前、ある日に前触れもなく、ふらっと目の前に姿を現した一人の男。外側のみを提起すれば似たような状況だが、あの頃と事情が違うのは、周辺を取り巻く要因だけが理由ではない。巨大な戦力となる死人の軍勢――穢土転生の忍達を引き連れるのみならず、それ以上の手駒を大量にそろえていたとしても、戦争に際して男が持ちかけた協力を拒否していた可能性。今ここにいる舞のように、腹の内が見通せないか否かは関係なく、相手が具体的にどこの誰なのか、その素性を詳細にとは言わずとも把握する必要があるからだ。

 あの男は当時、大なり小なり利益があり目的も一致するだけで、信用に値しない人物と判断していた。結果として、協力関係の一方的な破棄を想定――むしろ当然のものと見なして、いつでも処理できるよう徹底して監視を敷いていたほどだ。

 

 舞の場合はある意味、さらに注意深く見るべき相手だ。何を考えているにしても、初めに名を口にしただけで、自分の素性を明かす前に要件を話した。単刀直入にも時と場合や程度はある。

 もっとも、妖怪の言動然り、火ぶたを切りやすい弾幕勝負然り、物事が急激な変化を起こしやすいのは、今さら振り返るまでもない幻想郷の常識だ。加えてこのやり取りだけでは、少しばかり大げさに聞こえなくもない。舞の言う『あの方』含めて油断のならない輩でも、答えを出すのは早いだろう。

 

「八雲紫」

「……何?」

「知ってるよね? あの人のこと」

 

 妖怪は元より、博麗の巫女など息のかかる人間にしても、デタラメで多くを語らないのは珍しくもない。種族を持たない独立体なる妖怪は特に該当する。同じ妖怪同士でも共有しないのに人間、ましてや異邦人に教えるのもおかしな話だ。返答を期待せず言葉を投げたというのに、どうやら舞は本当に話すつもりのようだ。

 しかも口に出したのは見知った妖怪の名前。その辺の妖怪とは明確に異なる重要な役割を担う人物だ。個体違いの妖狐・八雲藍のように彼女の下にいるのか、それとも『あの方』から急に呼び方が変わったのは、別人という意味ゆえか。いずれにしても、幻想郷を創造した賢者達に連なる者の名を口にした以上、話の規模や程度は格段に跳ね上がることに。八雲の妖怪達と一時にでも関与した身として、戯言と安易に切り捨てる気にはならない。

 

「んで、一人じゃないんだ。もう一人が……お師匠様」

「紫じゃないのか。そいつは」

「おっと」舞は慌てる。「間違えた、『摩多羅隠岐奈』。この幻想郷を創った一人で、僕らの主さ」

「賢者に仕える、か。式神のようなものか?」

「当たらずといえども遠からず。自己紹介に絡めて言っとくけど、『ら』が示すもう一人は爾子田里乃ってんだけどね。これがまあこの僕、丁礼田舞と違って行動力に乏しい奴で――」

 

 舞は変わった言い方で得意げにこき下ろし始める。本人のさっぱりとした性格からして、悪口というより軽い冗談や世間話と言う方が正しい。誰かに聞いてほしいのか熱を入れかけるも、話が脱線する前に口を開いたオビト。

 

「まだら……またか」

「いや、またはないから。またら」

「……オキナか。ややこしいな」

「気安いな君は」

 

 思いっきり脱線させかけたオビトは、脳裏に浮かんだ誰かの面を振り払うなり、真面目に突っ込んだ舞をあらためて映す。心を射抜くような眼を直視しても、素性を語る前と同様に平然と構えるばかり。叩き割るべき竹の数が減る気配は一向に訪れない。

 舞は自分達が何者か、必要最低限の情報を明かした。重要なのは実質ではなく形式が整うこと。妖怪賢者に関連する話題が飛び出した、予想外の流れも加味して、耳を傾ける意味は生まれたと言える。

 

「それじゃあ、本題に戻ろうかな。あの方が君を欲しがってる、って話なんだけどさ。君ならよ~く知ってるよね? 『朧月の変』について」

「確かそんな名前だったな――」

 

 無血の弾幕遊戯を以って解決に至った事件は、幻想郷では大も小も総じて『異変』として扱われる。それに該当しない騒ぎや紛争は通常、異変と見なされることはない。その例外こそが、ある外来妖怪の手により引き起こされた吸血鬼異変と、数か月前に発生したもう一つの事件。境界の屋敷で療養生活を送っていた頃に知り合った八雲の妖怪曰く、いずれも幻想世界の在り方に大きな影響を与えた騒動だった。舞が挙げたのは後者だ。

 

 彼女曰く、あの方と呼ばれる人物――摩多羅隠岐奈が此度の話を提起するに至った経緯は、かつての黒ゼツによる無限月読の完成によりもたされた、地上の人や妖達の存在を遍く否定する『目に見えぬ』脅威を受けてのこと。人々の心から正も負も根こそぎ取り払う輪廻の力、妖怪達にとっての悪夢そのものだ。

 幻想郷の生きとし生ける者達が、吸血鬼の強大な魔力に下りかけた事件が吸血鬼異変ならば――舞が口にした朧月の変は、無限の月光の下に人も妖も神も全てが単一の意識に呑み込まれ、区別も均衡も何も存在しない『無』と成りかけた事件。言うならこれらは、外面にもたらされる幻想世界の終わりと、内面にもたらされる終わりの形という対極の象徴。どんな因果か、二つの異変は弾幕遊戯の外にあり、本来の異変とは無関係な『外側の勢力』が深く関与している。

 

「僕らには必要なのさ。裏から表を見るイレギュラー……大きな樹を地中深くで頑強に支える『根』が。日の当たらない陰に忍ぶ者――君のような人が、ね」

 

 舞台を成功へと導くのは表立つ主役。さりとて陰から支える裏方なくして輝きはない。美しく華やかな弾幕が飛び交う表舞台を踊る、その主役を巫女達が担うならば、素晴らしき舞台を、この世界を裏から見守るのは賢者達の役目。どちらか一方を欠いても成り立たない。

 血みどろの争いとは無縁の、毎日を平穏に過ごす者達。彼らでは成し得ない唯一無二の役割。幻想世界を陰から見つめる目、主役に代わって血に染まる体、いざという時に守り抜く力だ。身を投げ打つには相応しい。

 

「なるほど、な」

 

 里を陰から支える者達。なりふり構わぬ姿勢に理解を得られず、多くの人々から忌み嫌われたままに、日の目を見ることなく死んでいった忍達。それも人々の平穏な明日を守り、平和を維持するための一つの手段には違いない。

 血塗られた真っ赤な糸の束が無数に絡み合う。斯くも忍の生き様、そして死に様とは、いくつもの道を往くのだろうか。

 

「お前とは今日会ったばかりだが、解らないとは言わん。裏方としての思いはな……どうやら少々誤解していたようだ」

「そう言ってくれると嬉しいね。君に会いに来た意味もあったよ」

 

 ほんの一瞬だけ呆気に取られた後、舞は底抜けに明るく、可愛らしい笑顔を見せた。冷徹だったオビトの口元も緩んでいる。重々しかった空気も晴れたようだ。

 

「色々と利点がありそうだな。幻想郷を管理する『賢者』の下に入るとなれば」

「とーぜん!」ばりっとかじる舞。「外来人じゃなくてもメリットだらけだよ。だから君にとっては、この上なく美味しい話でしかないのさ。なおさらね」

 

 一番の利点は身の安全。創造主や管理者の目、手足としての身の上は、最大限に強固で揺るぎない庇護に等しい。その辺の妖怪など及びもつかないだろう。

 本来なら身を護る笠を持たない異邦人が、里人と同等かそれ以上の安全を生涯に亘って確約されるなど、運に恵まれたどころの話ではない。極論すれば人食い妖怪が跋扈する森を夜中に丸裸で彷徨おうと命を失う心配はない。さらに賢者の一人、八雲紫との繋がりを持つことにもなり、式神達による監視の目も己を危険から遠ざけたり、救済するための手段と変わるだろう。外部からの介入が難しい上、異邦人ではあり得ない、妖怪の山との結びつきを得られる可能性もある。

 

「君のこのお店にしてもそう。お望みならもっと良い環境を提供するよ。必要なもの、欲しいものがあれば全部そろう……この幻想郷では何でも手に入るのさ」

「ほう……使いようだな。興味をそそられる」

「でしょ? なんなら看板娘になってもいいよ。可憐なこの僕がねっ!」

「それはいい」

「…………」

 

 看板娘の有無は時に、人気や売り上げの度合いに影響を及ぼす。商売が二や三の次の工房で起用する意味はなくとも、快適で相応しい環境と高品質な素材は、より良き作品作りに寄与する。以前に滞在した八雲の屋敷のような、外部からの脅威を気にかける必要のない場所で心安らかに取り組めるなら、これほど待ち望んだ舞台は他にない。妖怪達の庇護下にない異邦人なら恩恵は大きいだろう。

 事実、身を護る術を持ち合わせようとも、よほどぶっ飛んだ力でもなければ、外敵を寄せつけない要因とはなり得ない。妖怪は人間と違って肉体的な死を怖れないので、単に強い力を持つだけでは抑止にならない。そこに異邦人ゆえの身の上が重なろうものなら、命を狙われない方が不自然な話だ。ひとたび里外を出歩けばもちろん、争い事をご法度とする里内に居てもあの手この手で近づき、危険が蔓延る森へと誘い出そうとする。人の往来が多い里の中心部でもお構いなしに。人間の里は幻想郷で最も安全な場所に変わりないが、全域に広く浸透する約定の外では例外に括られる。

 

「好感触かな。じゃあ僕らと一緒に――」

「――せっかくだが遠慮させてもらう。来てもらって悪いがな」

 

 静かに飛び出した結論。乗り気で椅子から立ち上がりかけた舞の動きが止まる。露わにしたのは憤りや失望ではなく、「え~っ!?」という判りやすい反応と驚き。どこまでも明るいようだ。

 

「え、なんで? 君にとっちゃ好条件じゃん! 好待遇だし!」

「確かに」オビトは頷く。「ありがたい話だ。異邦人にとってはな」

「ならどうしてさ。今の立ち位置を捨てない理由でも? 思い入れとか?」

「そんなものはない。だが『オレ』は、そこを在るべき居場所とは思わん。何より現状に満足している……お前らと行く必要はない」

 

 拒否したオビトの口調に刺々しさはなく、深刻さや重苦しさも含まれない。舞は納得できない様子で「むー」と頬を膨らませる。

 

「いや勿体ないよそれ……ここでくすぶるより僕らと来る方がさ、その器と力に見合った真価を発揮できるんだよ? それにお師匠様はすごく美人で優しいからきっと――」

「異邦人のオレが担う役割に絡めた物言いか? 勿体ないってのは」

「そこまでは言わないさ。まだね」

 

 単純に強い力なら妖怪達で事足りる。幻想郷に仇なす侵略者が現れても力づくで抑え込めばいい。弾幕を至上とする表舞台は巫女達で十分だ。その一方で、二方の手では埋まらない大穴が穿たれた時、代わりに起用する有効的な第三の手札が要りようになる。写輪眼なる特異な瞳力を持ち、かつて地上を照らした無限の光に終止符を打った人間――それが古参の妖怪や賢者達の間で浮上した認識だった。

 曖昧な可能性を認めたに過ぎず、確定的な結論を出したわけではない。そんな中で物は試しに、自分の勢力下に収めんと逸早く行動を起こした人物こそが、丁礼田舞と爾子田里乃の二童子を擁する賢者が一人。

 

 オビトは肝心な本人について言及するも、舞は「あの方はあの方」と返すばかりで、具体的に詳細を明かそうとはしなかった。

 頑なにと言えないのは、嘘偽りや隠しごとの言動もなければ、決まって表れるチャクラ(幻想郷における内的なエネルギー)の動きにも一切、不可解な点が見受けられないからだ。焦りも逸りも怖れもない、淀みなき澄んだ視線を素直に向けるばかりで、『あの方』なる摩多羅隠岐奈の正体に関する情報を与えようとしない。舞は「悪いね」と落ち着いた口調で続ける。

 

「お師匠様のことを『知っていい』のは僕らだけ。そういう決まりさ。だから君も、一緒に来さえすれば解るよ。ちゃんとね」

 

 共に行くとは言葉通り、童子の案内で主人の元へと赴くだけではない。幻想郷を裏側から守護する一勢力に下ることが唯一の条件だ。主人の存在に意識と関心を向けている状況を好機と見たのか、舞はすかさず色々な言葉を並べながら、土下座する勢いで粘りに粘り尽くした勧誘を試みる。

 不意にオビトが待ったをかけると、ため息と共に向き直ったので、期待に胸を膨らませて言葉を待った。望んだ答えが耳を通り、感激のあまり手を取ってぶんぶんと揺らしまくる、少し先の未来を想像しながら。

 

「止めておこう」

「結局そーなるんかいっ! 期待させといて……」

 

 希望に満ちた未来が無残にも砕け散り、椅子から転げ落ちそうになる舞。意味ありげな間を取ったせいか、過度な期待を寄せてしまったようだ。そんなオビトは舞をじっと映したまま「だが」と一言。

 

「やり方がどうあれ、お前らが――この幻想郷を大切に思ってるってのは、今日お前と話してよく分かった。本心だってな」

「疑ってたのかい?」舞は心外と言いたげだ。「ま、無理もないけどさ……君から見た僕って、思いっきり怪しい奴だしね。いきなり来たわけだし」

 

 他の人や妖の例に漏れず、飄々として掴みにくいのは間違いない。非友好的とは遠い言動を取るからと、昨日今日に知り合った者に心を許す理由にはならない。個人の感情で語るならば、信頼を置ける相手と言えるはずもない。

 舞を見ていると一人の妖怪を思い出すのだ。胡散臭くて何を考えているかが解らず、誰からも信用されないと口々に言われても、自分なりに幻想世界への深い愛情を抱いている。安寧を願う気持ちに嘘偽りはなく、そこに暮らす人や妖怪達を日の当たらない所から見守っている。この世界が歪みを作ることなく、在るべき形で在り続けることを心の底から望んでいる。

 

 オビトは口を開きかけるも、ためらうように閉口した。沈黙は暫し続いたが、舞が真剣な眼差しで見返していると、思い直したように開かれた。

 

「それはオレも同じだ」

「え――?」無意識に呟いた舞。「だったら、僕ら……」

「イヤ……語弊がある、か」

 

 再び黙り込んだオビト。舞は急くこともなく言葉を待った。

 

「世界に生じる歪み、蔓延る異物……忌むべきモノだ。幻想郷にそいつが現れた時、死に物狂いで叩き潰そうとした。欠片も残さず徹底的に」

 

 瞼の裏に浮かび上がる。天高くにそびえる樹、嘲りと狂気に塗れた真っ黒な姿、月に近づき波紋を作る輪廻の力。忌々しい光景が心身を絶えず取り巻き、離さんとしていたのはもう過去だが、あの経験が忘却を許されない記憶として深々と根を張り、後々に影響を及ぼしているのは、否定しようのない現実だ。

 自身もかつて月の夢を渇望して、その忌々しい数々を心の底から肯定し続けたことも。道を外して突き進んだ結果、世界中の人々が、忍の世界がどうなったのかを。嫌というほど思い知らされたのだ。歪みは在るべき世界の姿を否定するだけであると。

 

「だがお前らとは違う……大義なんて立派なもんじゃない。ただ無心に『そうしたかった』だけだ。己の意志でな」

 

 あいつの隣に居た頃はおそらく、ちゃんとした理由が存在していたのだ。だが一度は死んで、二度目の生を受けた時を境に、己の中で何かが消えたか、新たに生まれ落ちた。

 十数年間も肯定し続けていた『マダラ』と、否定し続けていた『オビト』との境界が曖昧と化したのか。『うちはオビト』として道を戻しても、幻想郷の側に立ってあの異変を解決した具体的な動機が何だったのかは、結局のところ分からずじまいだった。失っていた己自身を取り戻してもなお、己の内にある心が見通せないままなのだ。

 舞達も紫も明確な立ち位置がある。自分なりの大義を堂々と語り、実感しても不明瞭な感覚に、違和感や異物感に苛まれて惑うことはない。

 

「なんで『そうしたかった』のか。何がオレを動かしていたのか。はっきりした答えはまだ見つからないが、確かなのは――この世界が無用な歪みを作るのを、オレは望んじゃいない」

「君も同じなら――」舞が急いで口を開く。「僕らは一緒に歩けるはずだ。そうだろう?」

「言ったろ。お前らとは違うのさ」オビトの視線が外れた。「向かう先を同じくしても、同じ道なんて歩きやしない。その時が来ればオレは、オレなりのやり方で――命をかけてこの世界を守る」

 

 この場には緊張感も重苦しさもない。発散した気迫を受けて舞が押し黙る。

 我に返ったオビトが拳を緩めた。馬鹿馬鹿しいという表情で視線を戻す。

 

「……つまらんことを、また何をベラベラと」

 

 人前で吐露する話ではない。意図したわけではなく、気づけば自然に口を衝いて出ていた。

 二童子が仕える隠岐奈なる人物。紫と同じ賢者の一人に名を連ねることに、何か思うところがあるのか。曰く長ったらしい、退屈な話に付き合わせたことを詫びるオビトだが、舞は悪戯な笑みを浮かべるだけで、好奇に満ちた表情を隠そうともしない。

 

「ふむふむ、よーく分かったよ。君の強さはどうやら……」

 

 すらすらと聞こえていた言葉が途切れる。急に力が抜けたかのように俯き、再び顔を上げた少女から、たった数秒前の面影が失われたのだ。

 オビトの力を自分なりにどう評価したのか、真相は深い闇の中へと消えた。あるいはこれから差し込むのか。

 

「暗黒の底、暗闇広がる奥の奥……深遠なる闇黒テストの始まりだ」

 

 背後から声がした。その少女が後ろではなく、正面を向いていたからだ。

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