OBITO -廻光-   作:大兄貴

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爾子田里乃

 舞は突然に姿を消した。しかして目の前に居るのは舞だ。オビト一人が取り残される事態は起こらなかった。

 偽物か否かを見分ける手段は多々あろう。喋りや仕草を事細かに精査するなり、本人しか知り得ない情報を照合するなり、嘘偽りやチャクラを見抜く瞳力を頼るなりして解明に奔走しようが、貴重な時間の浪費でしかない。

 単純明快な話は元より存在しない。天地が轟き何度ひっくり返ろうと本物は本物だ。

 

「こいつは……」

 

 さっぱり爽やかな明るい笑顔はどこにもない。代わりに表れたのは得意げで自信家な口元、傲慢な笑み。オビトを見上げる少女の目は、見下ろすような鋭い目つきに変わり、瞳に燃ゆる光は黄金色の輝きを発している。

 舞は初めから舞だった。それはこの目に映る外側だけで、何者かが意識を支配下に置くまでの話だ。不可思議な気配を漂わせる背後、もう一つのチャクラの渦が頑なに主張して譲らない。丁礼田舞としての彼女は失われていると。表に出てきてより顕著となった。

 

「おや? 期待通りの反応か……面白味がないな。意外な一面でも拝みたかったのだがね。逸れ者の人の子よ」

 

 そう言うなり少女は再び、もといようやく残りの物を食し始める。舞よりずっとペースが早く、みるみるうちに量を減らしていき、僅かな時間で平らげてしまった。

 先ほどまでの会話と自身の経験とを踏まえて考えれば、思い当たる節があって然るべき。念押しを決めたオビトは、人の子相応に慌てふためく様子を期待する少女を無視して口を開く。

 

「摩多羅隠岐奈、か? お前が」

「答えたくない」少女はくくっと笑う。「が、どうせ遅かれ早かれだ。素直に肯定しとくかなここは」

 

 己を憑依させる形で意識と体を乗っ取り、口を借りて別所から意思疎通を行う。幻術の類を除けば、似たような現象と仕組みに穢土転生があるが、あれは命なき死体を傀儡も同然に操る異界の禁術。舞は命の鼓動を持つ生者であり、そもそも一目見て否定できる程度には熟知している。幻想郷では割と見られる式神の術か、同じ効力を持つ未知の力と考えるのが妥当だろう。素性は知れど正体を見通せない少女のように。

 仕えるべき主との間に交わす血の契約。この術をかけられた人や妖怪は術者と主従関係となり、夕飯の買い出しから殺し合いまで大小様々な任務をこなす忠実な部下となる。力づくで調伏させる以外にも、その強さを認めた者が自分の意思で従う例もあるようだ。

 強制的な縛りの中にある様子はなく、ぱっと見では自ら望んで下ったとも思えるが、常識の枠外に在れば何事も起こり得る。丁礼田舞や幻想世界の九尾・八雲藍がどちらかは当事者のみぞ知ること。

 

「ならお前が今回の……舞をオレの元に送り込んだ奴か」

 

 オビトは意識を集中させた。自身を起点に感知を開始、糸を飛ばすように網を張り巡らせる。店内と家屋の周辺、里外に広がる近場の森林までを円形に覆い、十六方位の最適な地点を探して杭を打ち込む。試さないよりはマシという程度で、感知に特化した忍ほど融通は利かない。

 案の定、引っかかるのは関係のないチャクラばかり。近しいのは各地にばら撒かれた監視用の式神くらいで、舞を操る力の源を特定するには至らず。里外や感知の届かない別空間に居ては意味がない。両眼の神威を用いる感知ならば、より広範囲の索敵が可能で精確性も上を行くが、鍵となる術者のチャクラが手元になければ使えない。

 

「どこから見てるかは知らんが、姿を現さんのはどういう訳だ?」

「現す馬鹿はおらん」隠岐奈は舞の声で語る。「黙さず隠さず、秘匿せん言霊は醜悪で聴くに堪えないし、素っ裸で人前に出る趣味もない。酒に酔って過ちを呑んでも魂を穢すだけさ」

「正体が知りたければ、言葉でも力でもなく……ただ大人しく下る以外はないって訳か。お前に」

「物分かりのいい子だな。その通りだよ」

 

 口伝や稗田家の資料でも名すら見聞きしなかった人物。誰の目にも映らず、禁忌とされる秘神の奥底を見通すなどは夢物語。賢者の一角と接触する機会が舞い込むこと自体、幻想郷で生まれ育った人間や妖怪ならいざ知らず、外から来た者にとって普通ではない。

 そんなオビトの力でも届かない境地がある。例外となるのは唯一無二、後ろで踊る二童子の手を喜んで取り、深淵の内に在る秘神の魂と一つに成るほかない。

 

「そうでもない」オビトは視線を捉えて離さない。「結局はオレが、お前のことを知りたがらなければ……そこまでだ。誘いに乗るかどうか以前の話になる」

 

 里内に居ても命を狙われる、外来人が生き残るために必要なものは情報だ。正しい情報を事前に知っておけば、いざ危険な輩と出くわした時に正確な判断と行動で対処できる。知の足らない獣でも高尚な賢者でも、一つでも多くを知って悪いことはない。

 強い妖怪を相手に加減を入れても命取り、やりすぎても今度は巫女や管理者達の逆鱗に触れて争いの火種を作る。問題にぶち当たるとすぐに暴力と殺戮の限りを尽くす愚か者は真っ先に死するだろう。でたらめで理不尽な妖怪達が跋扈する世界で上手く立ち回るのは、忍などの人間を相手取るよりも遥かに難しいのだ。

 

「ふむ、またまた正解だ。なればこそお前に、テストを受けてもらうのさ」

「テスト? 何を試す気だ?」

「お前が真に私の手札と成り得るか否か。今後を左右する分岐を指し示すのに用意した、お前のためだけの『闇黒』テスト。表舞台に上がる奴らとは違った課題だよ」

 

 薄闇は嘘か真かを不明瞭にする。暗闇は嘘と真を覆い隠す。深遠の闇は嘘も真も遍く押し潰す。

 秘神が作りし暗黒は、舞台を彩る輝きを受け入れる。真っ黒に塗り潰された闇黒は、一筋の光さえ入り込む余地がない。美しくも華やかでもない、血生臭さと死臭が蔓延する汚れた世界だ。妖怪賢者が在る裏側よりもさらに奥、最深部に座する者が言い渡したものは、巫女達に出すべき課題とは無縁で相容れない。

 

「オレの意思なんぞ関係ない、無理にでも受けさせる……そう言ってるように聞こえるがな。選択など認めないと」

「まさか」隠岐奈は舞の体で伸びをする。「必然も因果もない。指図はしない。分岐は提示するが、選択はお前次第だ。私を私足らしめる、この私の揺るがぬ方針でね」

「妙な流れだな」オビトの眉が動いた。「お前は早い遅いを口にした。是が非でも押さえつける腹積もりでなければ、何と何をどう比べての物言いだ」

「知れたことを。とぉ~ぜん、私に下るか降るか。意思決定を蔑ろにするなど、考えただけでも怖気が走る。とんでもない話だ」

 

 矛と盾が衝突し合うか、顔を背けて動かないのか。言い間違いや嘘吐きでなければ解釈の問題だろう。何となく不吉な予感を覚えながらも、オビトは隠岐奈の霞みがかった言葉を待つことにした。

 

「認めたらどうだ。無理強いする気満々とでもな」

「いやいや、誰もせんよそんなん。頷くまで付きまとうけどな。案ずることじゃあない」

「心配ごとしかないが」

「何を言うか。一度でも『うん』と肯定するだけで――たったそれだけの行いで、お前の厄介極まりない悩みの種が無に帰するのだ。時間も労力も要らんと思えば安すぎるぞ? 感謝が欲しいくらいだな」

 

 分岐は示せど選択は自由意思。従属する道を無理に歩かせる気がないだけで、首を縦に振るまで延々と働きかけるか否かとは別問題だ。そのしつこさに折れて頷くまで粘り尽くす気がないわけではない。強いるとの言葉を、実力行使による直接的な支配という意味で受け取り否定したのなら、隠岐奈の言い方も完全には的を外していない。屁理屈も当然のように押し通すほど強引な面も持つようだ。

 相手が忍や雑な妖怪ならやりようはある。問題はそれ以外の場合だ。真実、隠岐奈が幻想郷の賢者の一人という、特別な立ち位置にある妖や神で、さらに彼女が本人なら下手な対応はできない。そしてできるかも判らない。この世界で何もかもを力づくで解決する方法が採れるのは『弾幕』に限った話で、隠岐奈が口にする『裏方』や、同類と見なされる異邦人の役割ではない。

 オビトには初めから理解できていた。妖怪達にとっての要は、あくまで里の人間であると。外来人がどう扱われても理不尽ではなく、取るに足らない問題にしかならないと。

 

「『テスト』と言ったな。合否のある試し……二つの結果があり、どっちか一つが出るからには、お前が期待しない結末もある。そうなったらどうする気だ?」

「どうするも何も」隠岐奈は滑らかに喋る。「答えは一つなんだろう? ちゃんと諦めるよ。もちろん」

「思ったより潔いな。考えすぎていたか」

「後日また、手間を作るだろうな。手に入る力の大きさに比べたら、砂粒以下のちっぽけな代償だがね」

「……前言撤回だ」

 

 人生で一度きりのテスト、などとは口にしておらず保証もされていない。納得のいく結果が出るまで何度も繰り返して止まないのだ。

 合格と不合格、どちらが望まざる結果となるにしても、終わりがなければどうとでもなる。命潰えるまで試し続けられるか、死して霊魂と化した後も同じ目に遭うのかもしれない。一見すると非現実的な馬鹿馬鹿しい話でも、幻想郷においては現実にあり得る話になる。

 

(ここは……)

 

 引き入れにかかるのは、曰く「力を買ったから」。表舞台に立たない異邦人としての、使いようでは妖怪の在り方を覆す概念――『写輪眼』が内包する瞳力の存在ゆえ。その見方が買い被りで認識を違えていたに過ぎず、期待に沿うものではないと見なせば、失望した彼女は肩を落として大人しく帰るだろう。自分で眼を潰して捨てるなど馬鹿な真似はしまいが、手を抜いたり誤った認識を与える方法はいくらでもある。

――などと言ったところで、境界の妖怪と立場を同じくする者を相手に、どこまで騙し通せるかが最大の問題。過去にあのマダラや大筒木カグヤが体現したように、異次元の強さやチャクラを有する輩には、尾獣を従える瞳力でさえ決定打とならない。隠岐奈の言うテストとやらの詳細が明らかとなり、始まるまでは予測がつかないのだ。

 

「あ、言い忘れた」隠岐奈は腕組みする。「我々は舞台の表と裏、両方を行き来する。巫女らは表のみを担当する。そしてお前の担当は、裏方だけだ。つまり今回のテストは後者、いわゆる『旧方式』に則ったやり方で実施するぞ。まずはそこを理解してもらう」

 

 弾幕による決闘ではなく、力による戦いを紛争や問題の解決に用いていたのは、今はもう過去の話。妖怪達が闘いも、戦いもない世の中に胡坐を掻いていた頃、前触れもなく発生した吸血鬼異変を契機に、旧方式から命名決闘なる新たな時代に移行した。その役目を主に担って『異変』の解決を行う者が、博麗の名を八雲より与えられた特別な人間だ。

 新しい方式が広く浸透した現代において、表ではすっかり廃れた方式を賢者達が持ち出すのは、力のある妖怪どころか本来なら表に立つはずの巫女達まで巻き込むほどの、例外的で大きな騒ぎが発生した時。加えて同様に例外扱いを受ける外来人が関与した時を置いて他にない。月が朧に見え隠れした忌まわしき一夜のように。

 

「月夜と蝙蝠。華やかさもない舞台だがね、そのぶん深入りできる。ゆえに」探るような目つきに変わる。「ヘンに隠しても判るからな。聞き分けのない赤子の手をへし折るより容易い」

 

 血に塗れる戦いに絡めた独特な表現でくぎを刺すとオビトに向き直り、隠岐奈は「質問はあるか?」とあらためて問いかけた。オビトが試験を受けることを前提に話を一方的に進めており、変更するつもりも、戻すつもりも一切ない様子だ。

 是が非とまで来ると合否も関係ないのだろう。異議を唱えても無駄に終わると、この時点で否応なく解っていたオビトは抗議の声を上げず、というより上げることもできず、その気も失せて口数が減っていた。

 

「……お前のその色眼鏡に適わなかったら?」

「試験の内容と期間、頻度を百単位で追加する。駄目なら千だ。それで不足なら――」

「もういい。言い分は分かった」

 

 摩多羅隠岐奈の手から逃れる方法は先延ばし以外、現時点では存在しない。どう足掻いても認めざるを得ない現実だ。

 なりふり構わず、後先を考えない暴虐に手を染めたり、正当防衛を盾に力で叩き潰して黙らせる道もある。この世界に留まる資格と理由を永遠に捨て去る結末と引き換えに。自らの命を絶つという道があれば、愚かで無意味な選択を受け入れる必要は殊更にない。元々は寄り道のつもりで舞い戻った身だ。

 

「…………」

 

 少女が黒い意志の姿だったなら。幻想世界に歪みを作り、この体に異物を根付かせてまで手駒に仕立てんとした、あの姿が口に出した言葉だったのなら、何を語ろうが選択肢を否定しただろう。月の夢に再び身をやつすなら生も死も違いはない。

 問答無用で傲慢な振る舞いを一方的に押しつけているのは確かだ。しかしながら、幻想郷を大切に思う気持ちに嘘がないのは紫と同じ。在るべき世界の在り方を、望まざる方向へと変えんとした輩とは違う。表立たない問題を引き受ける裏方の必要性に関しても、その意味や価値を否定し尽くすことはできない。写輪眼を使わずして見えるものもある。

 

「分かった。やりたければ勝手にやればいい。諸々は事が起きてからだ」

「いい子だ」隠岐奈はにやりとする。「全部を受け入れて、私に身も心も委ねた、って感じでもなさそうだがね」

「さっきの言葉……試験の体を取るのにも意味がある。手段を択ばなければいいだけだ」

 

 受け入れたのは違う道が見つからない現状であり、変えようのない定めではない。何もかもを諦めて投げ出すつもりなら、初めから二つ返事で応えていただろう。一世界を守護する立場ゆえの思いに理解を示したからと、言われるがままに下るつもりはなかった。隠岐奈が舞の意識を乗っ取る形で表に現れずとも。

 必要ならば力で従わせる手段を選べば確実なものを、弾幕ではなく力による問題の解決を許された状況で、どう扱おうと文句を言われない異邦人を無理に押さえつけようとはせず、テストと称してまで試すような姿勢を見せた。遊びや気まぐれと言えばそれまでだが、幸か不幸か隠岐奈は特別な立場に在る人物。何らかの企みも否定できない。

 確定的な物事が存在しなければ、付け入る隙が見つかる可能性はある。打つ手がないからと先走るのは早いだろう。

 

「ふむ。冗談でも肯定の意を表すのがもう少し早ければ、色々な手間が省けたものを。実に惜しいが――この私が額に汗して考案した『闇黒テスト』だ――本人の同意を得られただけでも及第点だな」

「やるならさっさと始めてもらうぞ。飽きのあるやり取りを見る破目になるか……今よりさらに厄介な事態に発展しても面倒だ。それだけは避けたいからな」

「おお、急かすほどに待ち望んでいたとは! 気合いバッチリで嬉しいよ」

 

 かなりズレた返答をして一人頷いた後、笑みを薄めた隠岐奈は真剣な表情を作り、もとい舞に作らせて店内をきょろきょろと見回す。少し間を置いて「とは言っても」と続けた。

 

「やはり駄目だなここは。煎餅を食らうなり、火花を散らすなら十分だがね。あちこちを心置きなく走り回るには狭すぎる」

「心当たりでもあるのか? 幻想郷のどこかに」

「ないな」

 

 即答して椅子から下りる隠岐奈。器となる舞自身ではなく、その後ろに感じていた隠岐奈の気配が一層に強まった。

 黄金色の瞳が不気味に輝いて映る。頬を撫ぜる生ぬるい風は自然の産物ではない。

 

「在ってはならない。この世界には我々が立つ舞台など、断じて在るべきではないのだよ」

 

 ゆっくりと舞の貌が向いた。知ったようで知らぬ表情を見返した直後、店内の景色が波紋を広げるように揺らいだ。

 

 

――◇◇◇

 

 

 幻想世界の主役は弾幕。時代遅れの古臭いやり方を受け入れる場所はない。美しさも醜さもない朧月夜の訪れを受けて、今一度に拾い上げる可能性を賢者達が認識したとしても。相応しい広さや観客を備えていたとて、秘神がそこに舞台をこしらえることはない。

 

 視界にあった景色と空気の急激な変化。今の今まで足を着けていた場所が一瞬で切り替わる。以前に何度も味わった馴染み深い感覚だ。

 

 気づけば見知らぬ地に立っていた。小さな草の根がまばらに散らばる一面の荒野が地平線まで続き、鉛色をした曇天の合間に轟音が鳴り響いて止まない。分厚い雷雲が騒々しくひしめき合う光景は、向こうの晴れやかな青空とは正反対だ。

 極めつきは嫌でも目を惹くアレだろう。見たまんまを言えば『扉』。神社や寺でよく見かける重々しい、木製か鉄製かも判らない色彩の観音開きの扉が頭上の至る所に浮かんでいる。それも二つや三つではない、扉の墓場と言うべき途轍もない数が見渡す限りに。魔界のようにどこぞの世界を模しているのか、異物感の強すぎる奇怪な光景は大筒木の別空間以来だ。

 

(奴の仕業か)

 

 異なる空間同士を行き来する力は幻想郷や月界で散々と見飽きている。神威にしても同じだ。あからさまに怪しい扉を潜ったにしろ何にしろ、空間転移により隠岐奈の術中に引きずり込まれたのは間違いない。

――身体に異常はない。肉体を蝕む瘴気の類はなさそうだ。辺りを探るも舞の姿や気配は失せており、轟く雷鳴が耳元を騒がせるのみ。

 詳しい説明もなく招待されたわけで、自ら望んで踏み込んだのではない。進展があるとすれば時の過ぎ往くままに。

 

「初めての試みかもね。異界人を招くのなんて」

 

 周辺には何者のチャクラも感知できなかった。それなのに聞き覚えのない、ゆったりとした誰かの声が急に下りてきた。最初からその場に居たかのように。

 

 無数に漂う扉のうち一つが開いていた。中から姿を現したのは見慣れた舞でも、まだ見ぬ隠岐奈でもなかった。

 降下して静かに着地した一人の少女。薄茶色の髪、腰の辺りにまで届く両サイド、後ろも肩にかかる程度には長い。赤色の和装ドレスに白い前掛け、頭の小さな烏帽子と、左手に大きなみょうがの葉。舞を思わせる格好である上、本人にまとわり付いていたものと気配も一致する。話の流れからしても二人の関係者、隠岐奈の影響下にある『人間』だろう。それらしき名は舞が口にしていた。

 

「もう一人の……爾子田里乃か」

「うーん」少女は残念そうに喋る。「せっかくの舞台、私なりに名乗る方がよかった気もするのよね。役割を取り上げないでって……どうせ舞が言ったんだろうし」

 

 丁礼田舞との差異は見た目や口調だけにあらず。軽快でさっぱりしていた彼女に比べると、里乃はどこか控えめで大人しい印象を受ける。直に相対して言葉を交わすだけでも、掴みどころのなさが相方以上だと判りやすくもある。

 隠岐奈に仕える二童子が一人、里乃が想定して立つのは弾幕の飛び交う幻想郷ではない。命名決闘法が通用せず存在しない別の世界だ。加えて此方から干渉したり、認識した例がただの一度もなく、意識さえ向けた試しのない完全なる未知の外側。そこからやってきた異界人と共に立つのが初めての機会だったとすれば、最初の言葉に特別な意味を見出しても不思議ではない。

 

「その舞は、隠岐奈は居ないようだな。どこに消えた?」

「物事には順序があるのよ。お師匠様も言ってたわ。先にやらなきゃ駄目って」

「つまり」オビトは里乃に向き直る。「お前を倒さん限り、奴には会えないって訳か」

 

 直前まで近くにいた隠岐奈が姿どころか、チャクラ感知も届かない何処へと消えた。その代わりに現れたのが里乃だ。部下に後を任せて高みの見物を決め込むことを考えそうな人物ではある。

 里乃の様子から察するに、大体の事情を聞かされているようだ。これから始まるものが闘いならぬ戦い、今日では弾幕に取って代わられた旧方式に則った、本来なら非常識的とされる血生臭い方法であることを。数か月前の事件が絡んだ不可避的な場合を除いても、異邦人を相手に弾幕をばら撒かない妖怪には出遭ったが、幻想郷を創った賢者による正式な許可が下りた戦いに臨むのは初めてのことだ。表舞台に立たせない判断は正しいと言える。

 

「落ち着いてるわね。急に知らないとこに連れて来られたんだもの、慌てふためいたって失望しないわよ?」

「取り乱して奴の関心が失せるなら、いくらでもやるがな。その程度でごまかせる奴じゃないのは知っている」

「とは言うけど、自分の意思で決断したんでしょ? テストを受けるって。少しは興味あるのよね」

「あれが選択を与えたうちに入るならな。だが……」

「嫌なら力づくで否定すれば済む話よ。外界人は庇護されない分、何ものにも縛られない自由があるんだから。私たちを思っての判断でしょう? 優しいわよね貴方って」

「考えもなしに動くと思うのか。今さらどんな言葉で懐柔しようがタダで下る気はないぞ。そんなにオレの力を活用したいなら、実力でねじ伏せることだ」

 

 隠岐奈に抱いたのは興味関心ではない。守護者ゆえの身の上と考えに対する一定の理解である。一から百まで全てを自分本位な理由で固め尽くしていれば、逃げたり身を隠すために手段は選ばないだろう。自由な異邦人とて保身のために力を振りかざせば管理者や巫女による制裁が下されるが、言葉を用いて平和的に訴えても、逃げ回ろうとも隠岐奈がいる限りは先延ばしに過ぎず結末に変化はない。

 極端な話、強引な手段をとるか否かにかかわらず、蛇蝎のごとく嫌悪して本気で遠ざけたければ、地底界なり魔界なり管理者達の影響が及ばない別の世界に拠点を移せば事は終わる。実力行使に訴えるまでもない。その道を踏まないのは結局、やり方がどうであれ、幻想郷に仇をなす歪を作らないための行いに変わりはなく、考え方を同じくするオビトにとって、本当の意味で拒絶するべき相手ではないからだ。

 

「うん? それって……」

 

 あごに手を当てる里乃。彼女の指摘は的を射ている。己の意思で選んだことは言い訳のしようもない。

 

「試すのはオレの方だ。うちはの瞳力を所望する賢者とやらの実力――この眼で見せてもらう。闇の奥底までな」

 

 この世界をもう少しだけ見てみたいとの思いで留まった『幻想郷』。ここにいる間はどう足掻いても逃げ場がない。ならばいっそ開き直り、闇黒テストとやらを逆に利用して隠岐奈自身を試してしまえばいい。妖怪達にとっては善にも悪にも傾く『写輪眼』の力を預けるに値する力を有するか否かを。

 変えようのない現実に直面して自暴自棄となり、そびえるほどに大きな満月が頭を破壊して粉微塵にすり潰したのか、などと大げさに言われても否定はできない。あまりにも唐突でぶっ飛んだ方向性だ。然るに人間、外来人なりの基準や感覚で言えば、急展開を迎えるのは人外達も似たようなもので、隠岐奈の言動はさらに上をいく。多少の無茶を押し通したとて道理を外すことはない。

 向こうが問答無用で好き勝手に振る舞うなら、あえて逃げも隠れも殺しもせず、同じやり方で応えればいいだけだ。頭を悩ませるのが馬鹿馬鹿しいほどに単純明快な話だった。

 

「悪いけど試すのはこっち。でも話が早いわね、喜んでお相手していただけるなら」

「お前の主人が望んだ通りにな」

「えっと……」里乃は思案する。「つまり、私たちに勝って合格なら仲間に……じゃない、負けて不合格なら私たちの仲間入り。貴方が勝てばいったん諦める。こんな感じになるわ」

「そうなるな。贅沢は言わない」

 

 隠岐奈達を見事に打ち破り、勝利をもぎ取れば引き入れを諦める。否だ。テストの実施を諦める。否である。実施を先延ばしにする。これが答えだ。此度のテストで素晴らしい結果を残しても一時の安寧に過ぎず、傲慢なる秘神はいずれ再び姿を見せる。そこで勝っても同じことの繰り返し、その度に何度も何度も幾度となく廻り続ける。

 残された道は一つ。終わりのない機会を利用して思う存分に策を練りながら、向こうが根負けするまで延々と抗い続け、降参の二文字を隠岐奈の口から引きずり出す。善しも悪しも記念すべき一周目の幕明きだ。

 

「殺し合いではないが、加減の要らんやり取りに変わりはない……かかって来い」

「台詞を盗ってまで急かすのね。ではでは多面に仕えし二童子として、見極めさせてもらいましょう」

 

 見開かれる赤い瞳、凄まじい威圧が二人の間を駆け巡る。

 里乃は物腰柔らかに言い切ると、口角を上げて後ろ戸に手をかけた。

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