一日に一人の凡才も、百年に一人の天才も、千年に一人の異才さえも、死ぬ時は一瞬で死に絶える。
道理を否定したくば己を捨て去ることだ。未来永劫に届きもしない、新たなる命の誕生を孤独に眺めながら。
どんよりとした灰色の雲が空に立ち込め、重々しい雨曇りが地上を見下ろした。天を殺してぽつりぽつりと涙が滴り落ちるまでは早く、雨天がじわりと顔を出すまでは一瞬だった。
気分も高らかに通りを往く者も、軒先で世間話に興じる者も、打ちつける雨を嫌って居なくなり、無人の通りに雨音と風の音だけが物寂しく泣き続ける。この涙を遮る者を健気に待ち続ける。
「お世話様です」
一軒の建物から表に出てきた。綺麗な花柄の和装、長く艶やかな黒髪、笠の下に隠れた美しい顔立ち。薄く紅を差した唇が妖しく笑む。
今しがた品定めを終えて、お眼鏡に適った物を左手に提げて帰路へ。陰気な空模様もお構いなし、とても上機嫌で足取りも軽やかだ。
不思議なことに姿を現わして間もなく、耳元を騒がせる雨音は弱まり、鉛色の雲間から薄明るい日差しが下り始めた。すぐに人々の声が取って代わる前に、暫しの雨宿りに興じていた二人目が腕組みを解くと、通りすぎようとした女性の横顔を静かに映す。
「こんな日にお出かけかね。よほどのお気に入りみたいだ」
雨の日で少し肌寒いにもかかわらず、薄紫のノースリーブで雨具も未所持、衣服や髪は濡れていない。
薄茶色の髪が獣耳を思わせる尖りを二つ作り、耳には漢字で和と書かれたヘッドホン、のように見える耳当て。自分の声や外部の音が正常に聞こえているのか、口を開く前も後も、女性が足を止めて「ええ」と声を発しても外そうとしない。
「味と香り、見た目にしても……非の打ちどころがない。今のところ、あの店が一番なのよねえ」
少女の目は誤魔化されない。上品ながらも軽快な、隠す気のない喋り方が理由ではない。猫ならぬ式を被り、紙や精密機器にもよろしくない水気と湿気の渦中、雨の日に表を出歩く光景。硬質な金属さえ時間が経てば錆びて朽ちてボロボロと崩れ落ちるのだ。
降りしきっていた雨が上がる。人の身に扮した女性は笠を脱ごうとしない。
「愉快なことを言う。今も一番も何も、そこでしか取り扱ってなかろうに」
正体を隠して人里に入り込んだからと、善からぬ企みを腹に抱えているとは限らない。実際のところ、偶然かはたまた禁断症状に屈したのか、雨天に外出してまで手中に収めんとしたものが怪しい呪物ではなく、何の変哲もないただの『油揚げ』である事実は、袋の中身を確認せずとも丸分かりだった。
狐がどこぞの麗人を装おうとも、表情が晴れやかで機嫌が好いのは同じだ。早くも青々しい空が見え隠れし始めている。
「諦めるには早いよ。近いうちに人々も気づくだろう。これほどまでに素晴らしき至高の食材が、ごく身近にあったのだと。明日にでも流行りが到来して里のあちこちに――」
「夢を見るのも、語るのも自由だがね。それには少々早いようだ」
放置すれば夢中で熱弁し続けるであろう、藍の言葉を遮って軌道を修正しにかかる。幼き頃より頭角を現した異才として、神様のように崇め奉られた現人神、人の身を捨てた尸解仙、人々の悩みや愚痴にも親身になる聖人など、様々な面も併せ持つ少女も、用事ありきで接触した式神の無関係な話に長々と付き合うつもりはない。
ここで笠を脱いだ藍は、今度は折り畳み式の和傘を差すと、少女が用件を話す前に口を開いた。
「こんな日に、とはこちらの言葉でもあってね。わざわざご足労頂いた理由を伺っても? 太子様」
輝かしい日輪が空に顔を出し始めた頃、にっこりと笑って問いかけた藍。金色の瞳に光が揺れている。
果たして礼儀か皮肉か、様付けで呼ばれた神々しき少女は興味深げに目を細めた後、こほんと咳払いして向き直る。二人の間に険悪な空気や緊張感はなく、敵意や不審もない柔らかな表情で「うむ」と切り出した。
「いやなに、ちょっとした尋ねごとをね――貴方がたが最近まで擁していた、ある外界人について、だよ」
何の話だろうか、などと素知らぬ顔で聞き返すだけ無駄だ。白を切る意味が生じる相手ではない。
他人行儀を採らず気さくに話しているだけで、友人でもなければ知り合いと言うにも遠いが、八雲の主を通してどんな人物かは知っていた。偶然にも遭遇した人物の提起した話題が、例外的ゆえに一般的な人や妖怪が立ち入らず、立ち入れもしない内容のものとは予期できなかったにしても。
「ふうん」藍の視線が向いた。「さすがに耳が早い……いや、良いと言うべきかな。触れ回ったことは一度もないんだけどね」
最たる理由は妖怪や幻想郷との関係性。弾幕を主流とする妖怪の世界において、遊びに関与しない人間、とりわけ外来人は、その存在が異質か否かにかかわらず蚊帳の外、端の端っことして雑に扱われるのが通常だ。
あの異邦人はくだんの騒動に関与しており、解決に導いた中心的人物である関係から、管理する側にある妖怪達の間では度々に語られている。だがその内容と位置づけから易々と外部に出回る話でも、べらべらと口外して回るような話でもない。当事者以外で詳しい事情を知る関係者は、膨大な資料を参考に幻想郷の歴史を編纂する御阿礼の子など一握りのみ。秘匿性の高い機密でもなければ、漏洩により不利益を生むほどの危うさはないにしても、無用な騒ぎを未然に防ぐ意味では蓋をする方が都合がいい。
配下に置いた者達は遍く制御下にあり、意図しない言動には解読不可能な暗号で厳重に鍵をかけてある。万一の事態が発生すれば判ることだ。あり得るとすれば外部の者だろう。仙界の長耳聖人ならばどこの誰に訊かずとも知るところだったようだが。
――豊聡耳神子。神々しい雰囲気をまとう少女の名だ。何年か前に雑多な欲の大群、小神霊共があちこちに溢れ出した時、長く深き眠りより目覚めた道教と仏教の仙人。その後も別の異変が発生した時に何度か関与している。
元々は命蓮寺の地中深くにある霊廟を住処としていたが、現在は仙界と呼ばれる場所へと移り住んだとされる。魔界や天界、(おそらくは)忍界とも同じように、幻想郷とは空間も時間も異なる管轄外の別世界だ。そんな人物がわざわざ表に出てきて、八雲の妖に一人で接触した目的がただの世間話なら拍子抜けどころの話ではない。判っていてもズレに関しては言い訳のしようがない。
「まあいい。どういった用件でここに?」
「その前に一つ」神子は懐から木の板、笏を取り出した。「――あの者は今、どこぞにおる? 南の外れにまで足を運んではみたが、すでに姿も気配も失せていた。行方を知るのか否か、知っていても教える気があるか否か。一抹の可能性にすがって訊いておこう」
藍は案の定、うんざりした表情で「ノーだ」と即答した。外から来たかどうか以前に、弾幕の表舞台に立つ役者の領分ではない。
本人が理想的な回答を期待していない口ぶりで尋ねるのも当然で、あの事件に神子は一切関与していない。当事者でもなければ管理者でもない無関係な人間、というより仙人だ。どこの世界のお偉方でも、部外者に漏らす必要性を管理者として見出せず、噂話のようにやたらと広めるのも個人的に好かない。
主役の巫女に据えられた人間はもちろん、他の人間や妖怪がかかわることも、本当なら見過ごせる問題ではないのだ。遊びの範疇を超えたものなら尚更に。
「しかし、だ」
ノーとはどちらにも該当する。幻想郷における現体制の転覆を企むような悪党でもあるまいし、監視と言える目になど晒すはずもない。質より量の汎用的な式神では掴めない神出鬼没な異邦人の行方など、然るべき命が下らない限りは探すことさえしないのだ。心当たりが皆無ではないからと、それを彼女に話すかは別である。
「……何ゆえにそんなことを、貴方が?」
気になるのは神子がオビトに接触する理由。これに尽きるだろう。知らないところで何らかの関係を築いていたのか、繋がりのある別の者が絡むのか。こちらからは訊きながら向こうの期待には応えない不平等な流れが形成されてもなお、聖人と呼ばれた少女が親切心で話してくれるなら、式神ではなく妖怪として思考を巡らせる手間を省けるのだが。
神子は藍を警戒する素振りも見せず、納得したように頷いてから「実はな」と切り出した。僅かに声を低めたが表情に陰りはない。
「あの者が使う仙術に興味がある」
「え?」
「じゃない」神子は再び咳払い。「えー、あの自信家……奴が些か怪しい動きを見せている。できれば直接当人にと思ったが、居らんのでは仕方なかろう。もしあの者と会うことがあれば、伝えてほしい」
「会えたら、ねえ……手遅れだったら? だいぶせっかちよ。あれは」
「その時は結構。忠告程度のものだ」
不安も焦りもなくゆったりと構える神子。穏やかな表情で手を伸ばすと、斑点模様の蝶が指先で羽を休めた。暖かな日差しが通りに下りている。
一から順を追って懇切丁寧に説明せず、話の趣旨を十分に理解していることを前提に話されても、鼻で笑うような戯言には聞こえない。特定のやり取りや人物に限った話でもない。事の成り行きをどの程度まで見通しているか、聴き通しているかは判らないにしても、どこの誰がどのような動きを見せるのか、今現在に起こしているのか、大方の予測が立たないはずもない。目立ちたがりの本人が直々に乗り込み、宣戦布告のように堂々と言葉を残したのだ。
「世話焼きめ」
皮肉や遠回しの表現を否定した仙人の本音は一つ目にある。キラキラとした星の輝きに嘘はないのかもしれない。異なる世界の違った法則下で生まれた力、という意味では『スキマ』以上の異質さを内包する。人の身を外して長く、寝起きの頭もすっきりした分、暇を持て余す大妖のように浮かれることもあるだろう。知った口ぶりの通り、旧き者のやんちゃを自分なりにたしなめることも、愛しき娘を掬い取った者に褒美を賜ることも。
確かなことは一つ。この流れを無理に変えようとはせず、どちらに傾くのかを黙して見守り、見届けようと決した者は他にもいたのだ。
「あの方の思いは分かるまいが。貴方は忠を尽くす側でも、見下ろす側でもない。此度の結末をどう予見する?」
式神は信頼を置く相棒でもなければ、忠実な部下とするにもズレがある。心と体を同じくする手足、意思として在る者といえど、仕えるべき者の思惑など知る由もない。必要な許可が下りて該当する情報が入力されない限りは。
自由に語ることを許された、第三者の視点を好機として問いを投げるのも一興である。不確定な物言いを好まない聖人への言葉で、判り切った答えを投げ返すとしても。
「軽々しくは言えんな。だがまあ、歯車にも色々ある――」
小さな蝶はゆらゆらと舞い上がり、日の光を浴びて彩り豊かに煌めく。屋根の上にいた一羽の鴉は、向かい合う藍と神子とは反対の方向へと飛び立った。羽ばたきの音さえ聞こえない。
神子は懐から包みを取り出して開けた。大きな白まんじゅうをがぶりと豪快に頬張り、硬い口調のわりに緩んだ笑みでじっくりと味わう。それから飲み込んで一息つき、再び瞼を開くまでの短い時間、藍は急かすことなく律儀に言葉を待っていた。
「ひとつで回る物、ひとつでしか回らない物。回りも壊しもする代物……使いようを考える方がずっと好い」
人と妖。数知れぬ常識と非常識が噛み合い、世界が在るべき形で在り続けるために回り続ける、欠いてはならない歯車。全ての人や事象は理にもなり得るのだ。
たった一つを失い、その使い方や道を外れるだけでも、思いのほか簡単に歪は生まれる。幻想世界に及ぼす影響が大きくなるほどに。
不変なる理をも揺るがす力が、捻じ曲げんとする力が満ち溢れるほどに。
「我々はこれからも主役を演じ続ける。舞台を降りぬ表の者共には、眺めるより他にありはせんのだ」
そう言い残すと神子は踵を返した。人通りが戻るに伴って、徐々に姿が薄れつつある。
和傘の下から青空をちらっと仰ぐも、赤い目が映すことはなかった。
――◇◇◇
人には様々な一面が隠されている。いつも見ているのは嘘か真か、どちらか一方だけとは限らないのだ。
水面に滴が落ちて波紋を作る。混沌たる光の中に巻く。背筋に走った寒気と怖気は真実しか語らない。余裕一色だった少女が身の危険を感じて魔力を解放、人の身を消し飛ばすには過ぎた収束が、人間一人を忽ち呑み込んだ。
「……はあ。可愛くないわねえ」
異変は直ちに起きた。結論から言えば、消し飛ぶどころか無傷。五体満足で煙と光の中から現れた。
詳細は不明。魔力の奔流が何か別の、目に見えない流れに絡め取られ、本人を中心に巻く不自然な渦に変化して勢いが小さくなり、僅かな残り火も消え去った。まるで吸い込まれたかのように。
「まさかこいつまで……本当にデタラメな奴らだ。賢者ってのは」
開かれた右目から失われた赤色、宿りしは薄紫色の光。眼球全体に広がる独特の波紋模様。射貫くような眼力と悍ましい気配、氷よりも冷たい感覚が里乃の肌を刺す。
――今再び目覚めし至高の瞳力。写輪眼が最後に行き着く弥終であり、長き時の変遷と共に力を失う前の姿。万華鏡の瞳力に物怖じしなかった二童子も、輪廻の力を前にした途端に表情を変えた。
「意地悪な人ねー。思わせぶりな振る舞いしといて、本気なんて全然出してませんでした! って感じかしら?」
「もしそうなら」オビトの右眼が向いた。「テストとやらはとっくに終わっている。お前らが望むとおりの結果を残してな」
「本当に~?」里乃のジトッとした目。「嘘なら嘘、撤回なら撤回でも構わないわよ。私はね」
「言ったはずだ。譲る気はないと」
軽い気持ちで奪取できる勝ち星は存在しない。隠岐奈の素性を知れば容易に到達可能な結論であり、根源的で恐ろしい能力をこの身で体感した現実がある。ろくに振るう前に没収されたとはいえ、万華鏡や須佐能乎まで披露した時点で言い訳はできず、つまらない予防線を張って逃げ道を用意する気もない。
そして今回、血塗られた双つの力より生まれし六道の『輪廻眼』は、試しや遊びの範疇で易々と解放できる手札ではない。他の瞳術や忍術とは程度が違う。手抜きも何もない本物の命のやり取り、互いの存亡を賭けた戦いでもなければ、持ち出すべき代物では決してない。本来ならば。
(…………)
此度のテストに里乃達がどの程度まで入れ込んでいるかは分からないにしても、守るべき世界へと抱く本人なりの思いは本物であり、起因する行動原理それ自体に嘘も冗談も軽々しさもない。あえて堂々と持ち出す理由として十分だ。
現状に絡めて言うならば、主人たる隠岐奈から貰い受けたであろう、里乃と舞の能力が反則的ゆえに、有用かつ最適な対抗手段が要りようになったという、分かりやすい動機もある。易々と勝ちを譲るほど半端な覚悟で臨んだわけでもない。自由な選択を認めるようで認めず、一方的に作った試験をごり押すような、無茶でぶっ飛んだ輩には同じやり方で示すまでだ。何度も思い返した『本気』の力によって。
夢に溺れて欲した左眼。心新たに受け入れた右眼。満を持してつぼみは開花した。永遠なる光を手にすると共に、借り物に過ぎなかった偽りの瞳力はもう一つの結末へと帰着した。己の力が試される場所で選ぶに相応しい手札として。
取り巻きし因縁を断ち切り、他ならぬ己自身の意志で前へと踏み出した今、この右眼を己が手足として、瞳力として振るうことに一切の躊躇はない。怖れも後ろめたさも、忌々しさもなく、在りようがないのだ。
「嬉しいわね。これでやっと――」
「――あらためて君を、案内できそうだっ!」
途中から別人の声を真似たのではない。瞬く間に掻き消えた里乃に代わり、入れ替わるように現れていた舞が表に出てきた。舞台の主役が交代したに過ぎず、主君に捧げるべき狂喜的な踊りが止むことはない。一秒たりとも。
まさに、今も。舞台を引き継いだ彼女は、たった一つの観客席に座する、ただ一人のためだけに舞い続けている。輪廻眼の瞳力に臆することなく。
「案内か」
後ろ戸の奥に安置されるのは、形ある物質でも現象でもない、物事の形なき本質であり根源。人や妖で言う生命力と精神力、忍で言うチャクラの具現でもある。
概念そのものゆえ、チャクラを見通す写輪眼でも目視できず看破できず、二人の後ろ辺りに気配を感ずる程度が限界だった。ところが。
「オレの席はないんだろうが……立ち見くらいはできそうだな」
はっきりと目に見えた。不出来に渦巻くもどきではない、黒々と染まった綺麗な真円。この世界のさらに裏側へと繋がるであろう、舞と里乃が行き来するための出入り口となる扉。すぐ後ろにも同じ役割を持つモノがある。
「意味が違うぜっ!」舞は楽しげに喋る。「……とか言う気満々だったのに。本当に観えちゃったのかい? 君にもさ」
「そのようだ。もっと早くてもよかったな、これなら」
遥か古の時代、人々に忍宗を説いた僧侶であり、忍の祖でもある六道仙人。彼と同じ境地に至りし者は、生き物の生と死を司り、その外側から穢土と浄土、異なる二つの世界を映すとされる。生者の魂を浄土へと送り、死者を穢土に呼び戻し、辺獄に潜むもう一人の自分を視認する。外へと向いた視線が外側を捉えて認識した、という話なら不思議はない。
それでも輪廻眼は右のみ。左右がそろって真の力を発揮する性質は写輪眼や白眼と同じだ。移植により開眼した『永遠の万華鏡写輪眼』への到達と共に、自分本来の眼として備わろうとも、両方とも宿していた元々の持ち主に比べると劣る。精度はともかく瞳力の大きさは半分以下、借り物二つ分よりは上という程度だ。穢土転生による塵芥の偽物にも及ばない。
(だが……)
瞳力とチャクラの強さは当然、輪廻眼を左右ともにそろえる方が上を行くが、悪いことばかりではない。その経緯から開眼者と同等に扱える右眼の瞳力も、持ち札となる手数も以前の比ではなく、移植する前から得ていた六道の力によく馴染む。数にして二つ分だ。里乃が放った膨大なチャクラの塊を受け切るに足る力があり、後ろに隠れたモノを視認することもできた。有効な手札として使う分には何の問題もない。
借り物の域を脱して『眼』の切り替えが可能となり、輪廻眼と写輪眼を使い分けた立ち回りができる点は非常に大きい。借り物は移植した時点で輪廻眼、写輪眼ともに瞳術が固定されて使い分けができなくなる。里乃の攻撃をかわしたり、打ち消したりと身を守る手段がどちらか一つに限られていたら、疾うに敗北して今頃は隠岐奈に下っていただろう。
「……あ。じゃあやっぱり、さっきのをやり過ごしたのも」
「でなければ死んでいた。人間のオレに言わせれば、妖怪の感覚など判断の指標にはならん。お前らの主人は知らないが……むしろこれでちょうどいいのかもな」
「いい心意気だね。感心感心っ」
今日では共存して生きている両者でも、種族や生まれを違えば思考や基準、感覚など様々な部分で理解に苦しみすれ違う。自然の摂理とも言える決定事項だ。単純な力の強弱のほか、寿命に対する考え方や時間的な感覚の差異にしても。
力試しで輪廻眼まで持ち出す流れは異様に感じるが、舞達の能力はそれ以前の問題だ。妖怪賢者と同じ立場にある者を相手にやり過ぎはない。
「ならさ、続けようか。隠し玉を出しちゃった君が、僕らとのやり取りをどう評価し直すのか――気になることは全部、丸裸にひん剥いて確かめてやる!」
高らかに笑いながら掌に光を集束させる。笹の葉は揺らさない。
静寂。刹那、眩い閃光と共に深緑色の光線が直進、辺りを無差別に熱で焦がしながらオビトに迫る。弾幕遊戯用の調節を施さず、施す気もサラサラない本人から見れば、直撃と共に跡形もなく消し滅ぶのは想定の範囲内。火遁を含む様々な遁術や神威、須佐能乎を踏まえた上での攻撃には容赦の欠片もない。不確定な要素があるとすれば今しがた解放された輪廻の力だ。
「やはり逆……チャクラの方か。同じ手を……」
練り上げに入りかけるも案の定、身体に異変を感じた途端に中止を余儀なくされる。裏に身を潜ませた里乃によりチャクラの材料、精神エネルギーの源を押さえ込まれたのだ。先ほどと数分違わない流れに巻き込まれたようだ。
「同じでも何でも刺さる限り、何度だってぶっ刺し続ける! 芸がなけりゃ役を交代するだけさ!」
期待混じりの試すような声色を隠そうとしない。必要に応じて里乃と入れ替わり、舞台を引き継ぐまで一秒もかからない。鬱陶しげに呟いたオビトの姿は、勢いよく到達した極太の光線に呑み込まれると、くすくすと笑う舞の眼前から掻き消えた。
立ち昇る煙の奥に映るのは、炭化した原型のない肉塊か。骨も残さず消し飛んだのか。答えはすぐに現れた。
煙が晴れた先にオビトがいる。火傷や衣服の焼け焦げもなく無傷で。
「うん――…?」
疑問を呈した理由は他にあった。平然と立っている本人ではなく、晴れる前に煙を突っ切り飛んできた黒い物体。人間の胴体よりも太くて長い杭だ。舞は楽々とかわして見せるも、飛び立った直後に後端から伸びた重々しい鎖が足に巻きつき、地面に引きずり下ろした。
紫色に鈍く発光する鎖が音を立てて蠢き、振り解こうと抵抗する舞の体をぎりぎりと締め上げる。ミノムシのような姿に変貌するまでは早かった。
「芸がないのは同じだ」オビトの右眼が開かれる。「今度は逃げられんがな……賭けに勝ったのはオレのようだ」
生き物の根源たる生命と精神を掌握する二童子、ひいては隠岐奈。物事の境界を操る八雲紫と同様、まさに神にも等しい超越的な能力であることは疑いようもない。六道の眼が幻想郷で言う神霊クラスの力に分類されるとしても、真正面から打ち破れるかどうかは半ば賭けだった。
――輪廻眼・外道。基本七通りの瞳術が一つで、自他の生命力と精神力、つまり肉体とチャクラを制御して意のままに操る。
この術で生成する黒い棒や杭は、術者や他人のチャクラを電波のようにあちこちへと飛ばすなど、送受信機としての機能を備えている。棒一つ分だけでも汎用性が非常に高く、様々な用途に活用できる代物だ。
構成員一人ひとりに持たせていた、というより填めてもらっていた指輪が一例だ。離れた場所から持ち主のチャクラに干渉して繋がり、その場に本人が居なくとも意思疎通ができたり、手繰り寄せる形で一か所に集めて会話の場を整えたりと利便性にも長ける。畜生道との併用による死体や死骸の遠隔操作や、死者を生前と同じ状態で蘇らせる『輪廻天生の術』も、この外道によるものだ。
今回はそれを己自身に適用させた。二童子のように量や精度を弄って上下させる効力は持たずとも、奪い取らんとする動きを綱引きの要領で阻止する使い方はできる。舞の攻撃を神威でやり過ごしたのは、外道の術で二童子の能力に干渉できるか否か、そして通用するか否かを確かめるためだった。
確証もない試みが的を外していたならば。借り物を振り回していたに過ぎないならば。舞達の思い通りの結果に落ち着いたことだろう。
「やるじゃないか」舞はパチパチと拍手する。「あの子の……僕らの舞踊に魅了されない人間なんて、まずいないからね。世界は広いなあ、ほんと」
こうしている間にも里乃の踊りは続いており、後ろに立たれたオビトに影響を及ぼし続けている。されど外道の力が強固な縛りとなり、チャクラを完全に制御して受けつけない。送受信機を介して他人のチャクラを間接的に御する場合であれば、所々に生じる微細な穴に糸を通す余地もあろうが、術者による自身への直接的な制御には入り込む隙が微塵もない。
何よりも舞にとって、二人にとって輪廻眼の瞳力は強すぎたのだ。
「お師匠様くらいになるとね、分かってしまうんだ。派手に火花を散らし合わなくたって、大体のことは全部ね」
不意にぽつりと呟いた舞。掌に集まりつつあった光が掻き消えると、笹を持つ右手をぎゅっと握り締める。雁字搦めで身動きが取れず、能力を攻略されて劣勢に転じてもなお笑みは消えず、楽しげに声が上ずっている。
「君は本当に色々な側面……いや、面白い一面を持っている。さっきのアレにしても……思ったより秘密が多そうだ」
舞がそっと言及したのは、相方の里乃が放った光を無力化した現象について。
オビトが自分から喋るような真似をせず、舞自身も詳細な説明を逐一求めずとなれば、ありのままの結果を見るしかない。術者を吹き飛ばす直前で消え失せたのであると。まさにその通りで、里乃がオビトに攻撃を食らわせた瞬間から始まっていた。
輪廻眼も忍の術。行使に際してチャクラは必要だが、使うだけなら遁術や神威ほど消耗はしない。下限ぎりぎりまでを削るだけで空っぽにはしない、という能力の穴を突いて、少しずつ掻き集めた微量のチャクラだけでも十分だ。里乃が舞と交代して現れた時も一つの好機だった。
餓鬼道・封術吸引――木遁以外のチャクラとそれを基にする、あらゆる忍術を吸収して己の物とする力。仙術の元となる自然エネルギーのような特殊なものや、幻想郷における妖力や魔力の類も同じ括りにある。十尾が放つ巨大規模の尾獣玉や天変地異、完成体須佐能乎など常人の手に負えない、途轍もない量のエネルギーを一度にぶつけられでもしない限りは、この術だけでほとんどを無力化できる。
里乃の攻撃を利用して外部からチャクラを補充、さらに吸引力を上げて根こそぎ吸い尽くした。他人の物を用いた術なら制御を受けず、外道に繋げるためにも役立つ。隠岐奈が擁する二童子といえど、易々と先手を打てるほど輪廻眼を知り尽くすわけではない。オビトにとって難しい立ち回りではなかった。
「口惜しいけど認めるよ。僕らじゃ全部を引き出すのに、骨を折るだけじゃ済まない。あの方は『これ以上』のやり取りを想定してないし、授けもしなかった――…『降参』だっ!」
底抜けに明るい舞が元気よく、潔く敗北を宣言して爽やかな笑顔を向けた。オビトは右目の輪廻眼、左目の写輪眼でそれぞれ舞を捉えて離さない。白旗を揚げたからと武装を解除するのは早計だ。後ろにはもう一人が控えている。
その時だった。辺りの空気が微かに揺らぎ、頭上に一人分の気配が出現したかと思えば、舞の近くに颯爽と降り立った。感知が届かない閉所からの奇襲かと身構えるも、当人はチャクラを荒立てておらず、相方に「ちょっと」と呆れた様子で話しかけるだけだった。
「……はっきり言いすぎよ。いざって時の言い訳も、撤回もしづらい空気になるわ。私たちの印象、もっと悪くなるじゃない」
「え?」舞が慌てる。「うわ、あやややや……やっちまった。どうしよう」
どこかの鴉天狗を思わせる口調で取り乱した後、そろい踏みした二童子は小声でひそひそと内緒話を始める。時折オビトの方に視線を投げながら。
摩訶不思議で理解不能な表現が絶えなかった舞台に静けさが戻り、両者ともに戦意を鞘に納めたこともあって、何もせずに黙って観察するオビトだが、隠岐奈の影響下にある者達を前に警戒を緩めないでいた。やがて里乃は少し不満げな様子で向き直る。
「えっと……意見が一致したわ。二言は格好悪いもの」
「負けを認めた、って話でいいのか? こっちとしては助かるが」
「そうなるわね」里乃はオビトを見返す。「それに、そう……現実は見なきゃね。どう頑張っても勝てないって。今の私たちじゃ風祝やサギが味方しても無理だわ」
「『裏側』だしねっ」
いくつかの名を口にしてまで念を押した里乃。ウインク込みで悪戯っぽく付け足した舞。何らかの情を挟むこともなく、自分を客観的に見つめて淡々と答えを出したようだ。
憤りや悲しみ、陰鬱さも二人にはない。あらためて二つ分の旗を揚げて勝ち星を譲り渡したのだ。
(ひとまず、だな……)
厳しいや辛いの一言では済まない試験を乗り越えたのだ。安堵しても罰は当たるまい。数秒程度の僅かな間ならば。
晴れやかな気持ちで悠然と青空を仰ぐのは、この二人よりもさらに難関で難解、奇々怪々で魑魅魍魎な最終試験を無事に突破した時となろう。そして一時の平穏が訪れることに。
「君の不合格……じゃない、合格を祝って――!」舞が元気一杯に喋り、里乃も落ち着いて口を開いた。「――お待ちかね、とでも贈りましょうか言霊を。扉なき扉を叩いて回る、捻くれた水先案内と併せてね」
二童子はパチンと同時に指を鳴らした。渦かモヤのような見た目の、形状が定まらない何かが宙に出現すると、風に吹かれる蝋燭の火のように揺らめき、水に垂らした墨のごとく一気に広がる。
ひとつの扉が顕現した。人の顔を連想する不気味な木目の古い観音扉。正面から向かって左側に里乃、右側に舞が立っている。
これから何が起きるのかを困惑して、もしくは愉快さ交じりに訊かれても、判り切った返答にしかならない。分かりやすい流れに止まるならありがたいが、果たして何事もなく案内されるのか否か。
「待っていたぞォーッ! 我が世のオビトォォォ――ッ!!」
扉を見つめる一人は気づかなかった。扉を用意した二人も意表を突かれたのかもしれない。
理想的に言えば開いた。斯くも現実は残酷か、緊張感も何もなしにぶち破ったのだ。