OBITO -廻光-   作:大兄貴

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落日

 扉とは一つの境界線。開閉する機能を持ち、内外や前後を遮断、隔絶して分けることで独立した空間を作り出す。ひとつの物に線を引いて二つ目、三つ目を作るように。ナイフで林檎を切り分けるように。

 門戸を開いたり、心の扉を開いたりと、表現を含めて用途は多岐に亘る。

 

 前でも横でも後ろでも、水先案内人が立っていて、そこに扉があれば誰しも思うだろう。合格者を次なる試験場へと通すための物であると。

 年季の入った観音扉を潜り抜けた先には、二童子の舞と里乃を裏から操る張本人、隠岐奈と呼ばれる人物が待ち受けている。椅子に腰かけて脚を組み、頬杖を着きながら尊大な目つきで合格者を映すだろうと。

 オビトも二人の案内で扉を潜るつもりだった。ほんの数秒前までは。

 

「我が試験を通過するとは見事なり。期待以上だぞ人の子よ」

 

 待ち切れんとばかりに扉を突き破り、というより吹き飛ばして奥から現れたのは、破天荒で型破り、自信家で騒々しい人物。舞が真っ先に反応して目を丸くしたのは、長い金髪の凛とした面持ちや、案内しようとした矢先に姿を見せて場を掻き回した、派手すぎる言動が理由ではない。

 表情と雰囲気は普段通り。問題は見た目だった。いつもより明らかに背が高く、すらりと伸びた長い手足、狩衣に表れた豊満な体の線。話は聞けども初対面であるオビトは反応を示さず、里乃は若干冷めた表情で「誰?」の一言。もちろん誰なのか分かった上で。

 

「うん? どうしたお前ら。天狗が鉛弾ぶち込まれたみたいな面して」

 

 後戸の秘神・摩多羅隠岐奈は里乃と舞を交互に映した。何とも不思議そうな表情で。

 当人が何も言わないからか、見かねた里乃が面倒そうに口を開きかけるも、驚いた様子の舞が「その格好は?」と逸早く尋ねる。疑問符を浮かべる二童子を前に、やたらと自信に満ちた様子で胸を張り、舞からオビトへと視線を移した。

 

「こういうのが好きなんだろ男は。めくるめく舞台へ上がる前の奮起だ。並んだ時に映えるしな」

「……なんですかそれ」

 

 どうやら里乃と舞にとって、大人の女性となった主人は想定外だった様子。初めて本人と顔を合わせたオビトの心境も、どちらかと言えば二人の方に傾いていた。

 

――弾幕の美しさを競う命名決闘。参加に年齢や性別、出身や経歴、種族などで制限はないが、基本的には女の子向けの遊びとされている。

 形なき物から生まれた、人ならざる者達は様々な姿を見せる。実年齢はともかく外見年齢に限定しても実に多様だ。理の作用や自前の能力、悪用厳禁となる術や技、認可されるはずもない薬など、手段や経緯を列挙し始めたらキリがない。

 人間で言うお姉さん、おばさんやお婆さん、さらに齢を重ねた妖や神の中には、弾幕を至上とする幻想郷で生きるために規律を守り、自分の外見を上から下に、下から上にと歩調を合わせる者も少なくない。表舞台に立つ時は決まって少女の姿で踊り出る、これも一つの秘匿であろう。似たような例には魔界でも遭遇している。

 

「お前もこっちの方が嬉しいだろう? 遠慮なく見惚れるがいいぞ」

 

 忍界で一般的と言えるのは『変化の術』。忍者学校で教わる基礎的な忍術であり、珍しくも何ともなくありふれている。外見を大人や幼子、他人に変えて扮するだけなら下忍の力量でも簡単だ。チャクラまでそっくり真似て成り代わる白団子に頼るまでもない。

 

「奇怪ではないな」

 

 血に塗れた陰鬱な世界に長らく溺れていれば、枯れるか消え失せる物の七つや八つはある。魅力的な容姿を褒めたり、目のやり場に困ったり、胸が高鳴りもしないままに、オビトは二童子にして素っ気ない、隠岐奈にして退屈極まりない感想を淡々と吐いた。白髪の忍兼小説家の男なら見惚れたかもしれない。

 何が駆り立てるのか、隠岐奈は納得できない様子で考え込んだ後、決心したように一人頷いた。

 

「ちょ、お師匠様っ!?」

 

 硬くて重そうな椅子から腰を上げる、こともなかった隠岐奈は「ふんっ!」というかけ声で椅子ごと飛び上がり、三人の頭上でいったん静止した後、雲のように漂いながらじっくりと狙いを定める。うきうきとした表情を隠そうともしていない。律儀に付き合う舞の声が元気に飛ぶ一方、茶番と見なした里乃はため息と共に顔を背けていた。

 見上げもしないオビト目掛けて脚を組んだまま急降下。木か石か鉄か樹脂かも判らない材質で作られた、人体を煎餅のごとくぺしゃんこに押し潰す大きな椅子の底面が迫る。

 

(変則性のない単調な動き……わざと躱させて隙を作るつもりか。大きく出たな)

 

 おふざけ全開に見える攻撃に身構えるオビト。底が知れる雑多な輩とは違う時点で、椅子に座ろうが座るまいが注意深く視る理由となる。摩多羅隠岐奈なる名と立ち位置が力なのだ。

 体に触れる箇所を別空間へと飛ばすことで、攻撃を「すり抜けた」ように誤認させつつ回避できる実体分離は、物理的な干渉を行う全ての術や技を対象とする。頬や髪をくすぐるそよ風も、完成体須佐能乎を容易く砕き割る八十神空撃も、一世界を丸ごと消滅させる天変地異も、この瞳術を以ってすれば大差はない。

 気になるのは二童子とのやり取りをどこぞから観戦して、神威の効力を知った上で仕掛けた意図。忍ならいざ知らず妖怪や神霊の言動は相変わらず読みづらい。

 

「異彩に染まりし捻じくれた理よ! 秘匿される恐怖の深潭に沈みやがれっ!」

 

 ぽつんと置かれた椅子。底面に覆い隠された秘密は誰の目にも映らない。知られはしない。

 豪快に笑いながら勢いよく落下、地面に直撃して轟音が響き、大量に巻き上がる砂塵が視界を塞ぐ。写輪眼は白眼のような広い視野、物体を透過して見通す能力は持たず、周辺を視認して状況を把握するのは難しい。

 眼を潰して体を傷つける砂利や石のつぶては触れもせず、オビトは一歩もその場を動かない。気分も高らかに勇躍する隠岐奈(と椅子)は、神威による実体分離ですり抜けた直後、二度目の跳躍で早々に目と鼻の先から消えた。チャクラが頭上に感知できるだけで、視界が晴れても動きはない――。

 

「――ふっふっふ。目を後ろにくっつけても見えん物があるのよ」

 

 背後から聞こえた笑いに反応して振り返らんとした瞬間、腹部の辺りをすり抜けた背もたれ、部屋に置くには重すぎる椅子(と隠岐奈)が通り過ぎる。

 そのままどこかに消えると思うならば考えが甘い。ある程度まで離れた辺りで緩やかな曲線を描いて戻り、無駄に綺麗な横回転でドリルのように突っ込んだ。あちこちを飛び回る姿は怪奇現象も顔負けだ。

 

「疲れた体に安息をもたらす神器っ! 寛げん家なんぞ家じゃない! 一家に一脚以上が常識だっ!」

 

 珍妙な暴走を起こした賢者は、端整な貌を歪めて歓喜に叫んでいる。脚を組んで頬杖を着きながら。

 ほんの少し掠りでもすれば最後、途轍もない力で消し飛ばされると予感しながらも、出口なき回廊に放り込まれると思ったオビトは、迫り来る質量と気迫の暴力を迎え撃たんと月草色の炎を現出させる。瞬時に形成された巨人の像が拳を振るい、硬すぎる岩盤をゴリゴリと削り進む勢いのドリル、もとい隠岐奈の椅子と真正面から激突した。

 押し負かせた拳を砕いて直進、須佐能乎を粉々にして打ち破り、呆然と立ち尽くすオビトの体を叩き潰した――わけもなく普通に椅子ごと殴り飛ばされる。腰かけたまま車輪のように転がり、いびつな跡を地面に深々と残していく。

 

(あいつらは……)

 

 付近には隠岐奈一人がいるのみ。というのも、先ほど視界が開けた時にはすでに、舞と里乃の姿は忽然と消えていた。

 この場を三人目に任せて、手足として加勢せんと二人で裏に回り、生命力と精神力の両方向から弱体化、無力化にかかるとでも思ったところ、どうにもその兆候がない。精神エネルギーを弄られたにしてはチャクラの練り上げに問題はなく、身体エネルギーを弄られたにしても、須佐能乎の使用に不足も滞りもない。二人の能力に対抗して出した外道の術は解いていた。

 式神に貸し与えられた力は、主人とのリンクが切れると持ち主へと回帰する。能動的に取り上げることもできる。二童子も同じであると仮定すれば、隠岐奈が直々に出張ったことでお役御免となり帰還したか、戦場もとい試験場を離脱して見守る側に回ったのか。近くに身を潜ませて好機を眈々と狙うにしては気配が感じられない。

 

「奴らは務めを果たした」

 

 前方にどすん、ならずスッと着地した重量のある椅子。脚が地面に触れていない。

 騒々しく動き回っていた割に、衣服には土汚れ一つ付着しておらず、長い髪も乱れていない。寛ぐばかりでなおも腰を上げることなく、妖しい半眼にオビトを映している。

 

「数々の知らん『ちゃくら』に加え……その右目を引きずり出した。満足には遠い出来だが、力を欠いたポンコツにしては及第点だな」

「だから下がらせた、ってわけか。大事な部下を」

「部下か」口角を上げる隠岐奈。「遠からず、ではある。壊して代わりを用立てるのも面倒でな。不便があるかね?」

 

 肩を並べて共に戦う仲間や部下、忠実なしもべとするにも違和感を拭えない。使い捨ての便利な道具、目的を達するために動かす傀儡。盤上を歩かせる駒。言い得て妙ではあるが、過去も未来もない意思なき魂はある意味、それ以上に底へと沈み込んだ闇黒そのものだ。

 

「……どっちでもいい。テストとやらが終わりに近づくならな」

 

 二童子の名と役を与えられた時より、二人の目に映る世界は大きく変わった。生を受けた人の身を否定して、人間でも妖怪でもない逸れた魂となり、家族や友人の前から姿を消した。主人のために存在し続ける二人の心に真があるか否かなど確かめようもない。外界人風情が軽々しく触れる話でも、踏み込むべき領分でもない。来たる日があるとすれば、裏方より柱を支えし三尊に並び立つ時を置いて他にない。永遠に知る由もないことだ。

 忍界にも例がないわけではない。日の当たらぬ場所には転じて、世に溢れているとさえ言える。

 

「心底から湧き上がる喜を力一杯に表現しろ。なんせここには何もない、誰一人としておらん。そうだとも……」

 

 脚組みを解いた。頬杖が外れて頭を垂れる。抑え切れない笑いが漏れ始めると共に、椅子の背後に現出した扉が開け放たれた。生ぬるい風を吐き出すソレは写輪眼でもはっきりと見える。

 色彩が移りゆく。果てなき空は墨を垂らすように黒々と染まり、遥か頭上に浮かぶ扉の群は開閉して止まず、小さな二つの人影を中心に円を描くように回り、酷くざわつき始めた。後戸を司る多面神の導きによって。

 

「誰だろうが邪魔はさせんよ。私だけの愉しみを――嗚呼、思わず足を着けてしまいそうだ」

 

 息を吐くようにふざけた物言いをする隠岐奈。最後まで言い終えるかどうか以前に、口を開く前に重すぎる腰を上げて、うーんと伸びをしながら紡いだのだ。

 すっと右手を掲げる。薄紅色の炎がぼうっと燃え上がり、青白く発光する大きな薙刀が一振り、左向きに回転しながら現れた。柄を握り締めて素早く薙ぎ払い、切っ先を巻いて発生した突風が駆け巡る。意地悪で傲慢な力強さが口元を歪めた。

 

「決闘の『け』もない裏方に立って、お似合いの姿までお披露目したんだ。記念すべき初舞台……はしゃぐには好い機会だろう? なあ?」

 

 弾幕が支配する表舞台、幻想郷における遊びの場では披露できず、することもない姿でくるりと一回り。背が高く妖艶で美しい狩衣姿を、ここぞとばかりに見せつける。武具の扱いに慣れているのか、流れるように見事な薙刀捌きを添えて。

 肉体的な変化が顕著な人間の目線で語るならば、外見的に齢を重ねたことで、少女だった時よりは相応の容姿に近づいたと言える。それでもなお若々しく、オビトよりも遥かに長きを生きてはいるが。

 

(……!)

 

 隠岐奈は一瞬で間合いを詰める。振り下ろされた薙刀が、揺らめく外装をまとう巨像と打ち合った。玉座を手放すという異様な光景を嬉々として作った摩多羅神の、余裕と自信ばかりのにやり笑いは健在のようだ。須佐能乎は完全体たる第三形態へと移行している。

 合図はなかった。強いて言うなら、自分の手足を隠岐奈が『回収』しに走った時点で交代。その後に椅子から立ち上がり、分かりやすく武具まで手にした。最後にして最大、最難関であろう試験は、すでに始まっていたのだ。

 

「お前が合格を、我々にとっての不合格を勝ち取りたくば、ただ一つの条件さえ満たせばいい――」

 

 刃は火花を散らすも、月草色の壁は堅牢でビクともせず、表面にはひび一つ入らない。ギリギリと力を込めても打ち破ることは叶わず、逆に巨腕の一振りで弾き飛ばされると、手元を離れた薙刀はくるくると回りながら宙を舞い、発光と共に空中分解して霧消した。降り注いだ光の粒が周囲を煌めきに彩る。

 群青色の扇子が隠岐奈の手に収まる。踊るような一振りで閃光が迸り、横倒しの渦と融合した白黒の雷撃が走る。須佐能乎を直撃すると同時に凄まじい轟き、余波が辺りを無差別に消し飛ばしていく。

 

「やってみろ」隠岐奈はご機嫌に喋る。「この体を引き裂き、心を粉々に打ち砕け。魂を屈服させよ。じゃなきゃお前が潰えるだけだ」

「確かに向こうとは違うな……ここは」

 

 雷撃を防ぎ切ろうと猛攻は途切れない。美貌に狂喜の笑みを貼りつけたまま、彩り豊かな光弾や熱線の群を力任せに連射しまくり、動き続けなければ死ぬとでも言いたげに暴れている。

 過激で強引な摩多羅神の振る舞い。相手が規律の外に在る異邦人ともなれば、賢者といえど遠慮のなさに拍車がかかるばかり。幻想郷でならこうはいかない。強かな妖怪同士で殴り合うだけでも、バランサーの巫女が慌てて出張るほどの大ごとになり得る。妖怪達を取りまとめる側の者が喧嘩して騒ぎでも起こせば最後、恥ずべき不名誉な歴史として後世に語り継がれるか、隠蔽や抹消に奔走する破目になるだろう。

 

(だからこそ――…)

 

 幻想郷において命名決闘法に拠らない紛争はご法度。この規律は外側となる別世界、いわゆる『異界』に対しては適用されず、同じ位置づけにある場所までは及ばない。秘神が統べる後戸の国、魔界神が創造したとされる魔界、オビトが元いた忍界にしても同じだ。

 

 どれだけ暴れ狂おうが誰にも文句を言われない。何故かと言えば、管理者であり創造主にあたる隠岐奈自身が許可を与えた上、本人自らが率先して答えを体現している。そしてここには彼女と二童子を合わせて、住民がたった三人しかおらず、幻想郷では要とされる里人や妖怪が一人も存在しない。周りに配慮して振る舞う理由を見つける方が難しい、どころか不可能である。

 つまるところ二童子が去り、親元が出張ったことで状況が激変した。手抜きを否定して臨んでいた力試しをさらに否定、試しの範疇を踏み越えて戦場に降り立つ時が来たようだ。

 

「おっと」

 

 ゆるりと距離を取って様子見に入る隠岐奈。須佐能乎の右掌に収束した炎が刀身を形成、勢いよく振り下ろされたのだ。

 轟音は響かず、砂煙も巻き上がらず、地面は綺麗に抉れて消失した。左掌には数珠繋ぎの勾玉が一つだけ浮かび、像の内側に収まるオビトは鋭い目つきで相手を映す。吹き飛ばされるべき物はどこにも見当たらず存在しない。

 

「やる気になったかね」隠岐奈は再び薙刀を作る。「そう来なくちゃあ面白味がない。その目を出した手前、後に退くのは違うだろう?」

「否定する気はない」

 

 右眼の波紋模様が三つ巴に変化するのと、薙刀の切っ先が雷撃をまとい、鋭すぎる一閃が激突するのは同時だった。震えのない手でしっかりと柄を握り、鋼鉄をもへし折る鎧を前に砕け散ることなく、ぎりぎりと押して譲らない。

 得物を振るう隠岐奈の小さな姿、見上げるほど大きな須佐能乎が拮抗する様子は、傍から見れば目を疑うような光景である。ただし、この場では意味が異なり、人を凌駕する妖や神の力が集約して燃ゆる刀身は本来、人の手が届く代物ではなく、鎧とオビトの体は消し飛ぶが道理。ひびの一つも入らないとなれば、打ち合っただけで隠岐奈が満足げに笑むのも当然だった。己が手足となる二童子とのやり取りを観た分も含めて。

 

――迸る雷撃が一気に強まり、オビトの足が僅かに動いた。突き技や武具と相性の好い雷遁と同一視するならば、鎧を刺し貫かんとチャクラで貫通力を底上げする手段に走るのは、無策に切り込むよりは賢明で模範的な選択と言える。

 一方でやりようは他にもある。桁外れの雷遁と鋼以上に強靭な肉体、黄色の閃光にも劣らぬ速さを併せ持つ五影の一角・雷影のような手練れでもなければ、永遠の光が作り出す須佐能乎に真正面から突っ込むのは愚策でしかない。知った上でなら尚更だ。切れ味と硬度を強化した様子の武具を以ってしても傷をつけるには至らない。否定的な言葉をひっくり返すほどの力を、例に漏れず隠岐奈が持つにしても、先ほど砕いた簡素な薙刀と大差はない。油断はしまいが大筒木並の脅威と認識するには足りないだろう。二童子に貸し与えた能力を振るう素振りも見せない。

 

「……読めない奴だ。やはり似ているな」

 

 隠岐奈が力の底を見せていない現在、最も厄介なのは心の方だ。本人の口数が多いか否か、言動が掴めるか否かは無関係に、真意が見通せず不明瞭な部分は境界の賢者に通ずるところがある。

 輪廻眼にすら映らないのは己の未熟さゆえか、それ以上のものを彼女が持つからなのか。端の端でも理解しなければ判断のしようがない。

 

「なんてこった。どうせ観るなら腐った肉塊のように横たわって、じぃ~とずぅ~と目を凝らすべきなのに。価値のある舞台には彩りが欠かせないのさ」

 

 頭を抱えたままくすくすと笑い始める。青白い雷撃に赤みが混じり、薙刀を滑らかに一振り。

 須佐能乎と衝突する度に飛び散り、辺りを漂っていた微細なチャクラの粒子が着火、次々と燃え上がり真っ赤な絨毯が広がる。激しく勢いづく紅蓮の渦となり、オビトを擁する巨大な姿が内部に閉じ込められた。

 外から入り込む熱気。表現としては的を外している。視界を舐める揺らめき、皮膚を直に焦がす熱が答えだ。須佐能乎の内側に炎が侵入、体を焼き始めていたことに気づいたオビトは、地面を蹴って渦を突き破り辛くも脱出する。地上からは数秒前まで火花を散らしていた隠岐奈が見上げている。

 

(何だ?)

 

 オビトの表情にはっきりと動揺が浮かぶ。真っ赤な景色と高温、頬に感じる痛みだけでも、何が起きたのかは一目瞭然だ。熱と光を発する『炎』、忍界で言う火遁が鎧の内部に到達して肌を焼いた。それだけの話だった。

 問題は何がではない。どうやって、だ。第二形態以降となる須佐能乎の内側は外部から完全に遮断されており、炎はおろか寄壊蟲一匹、埃の一欠片とて入り込む隙間はなく、火傷はもちろん「常識的な手段による攻撃が内在する」事態は起きようがない。術を解いていない以上、非常識の権化と言える隠岐奈の仕業であるのは確かだとしても、力で無理にこじ開けるなり、透過するなり空間を弄るなり、考え得る方法を実行する前後の動きは見られず、須佐能乎にも異常はなかった。海と山を繋ぐような能力を用いて転送したか、直接的な発火と視る方が違和感はないだろうか。

 

(イヤ……それより)

 

 ところが、である。不可解かつ深刻な現実がもう一つ――瞳術・神威の実体分離による回避を行った結果であることだ。

 物理的な接触を伴うあらゆる術や技を食らう直前に、該当する体の部位を別空間へと転送することで、相手に「すり抜けた」と錯覚させる形で攻撃をかわす。幻術や心転身、幻想郷で言う境界や波長など、精神的な干渉や質量を持たない事象に対しては無力だが、それ以外ならば量や質も一切関係ない。人や物を燃焼させる『炎』が神威の効力を無視して体を焼くなどあり得ないはずだった。

 言わずもがな、対峙する相手の力量や手札を知るためにと、故意に受ける立ち回りを選んだわけではない。ありのままを言うならば、負傷を避けるためにかわすつもりで動き、不足も滞りもなく術を行使した結果、確実にかわせるはずの攻撃をかわせずに食らった、という流れである。

 

「愛い反応を見せるじゃないか。ならばならばとご丁寧に解説するのも一興だが、もう少しハシゴしてからだ」

 

 オビトが口を開く前に先んじて、というより機を見計らって楽しそうに喋り、「二つ」と続けながら手元の薙刀を再び振るう。熱を帯びた赤色の刃に一筋の滴が伝った。

 地上に渦巻いていた炎が揺れ踊る液体に変化、膨大な質量の水流が飛沫を散らしながら巻き上がり、滞空するオビトに到達して丸呑みにする。須佐能乎の右腕部分を咄嗟に形成、拳の一振りで激流を散らすも、押し寄せる水が達する前に体が大きな水球に閉じ込められた。

 

(また、か……!)

 

 吐き出される声は気泡となりブクブクと上がる。息ができず水圧で四肢が動かない。

 何もない所に突如として現れるのは二度目。動きは不足なく捉えていたはずが、気づけば火にあぶられ、いつの間にか水中に身を投じていた。続けざまの奇怪な現象が思考を乱す。水牢のように達するまでの水の流れが視認できるならともかく、急に視界がぼやけるのでは避けようがない。ならばと本人が術を使う際に生じるエネルギー(チャクラ)の動きを事前に読むことで、ある程度の立ち回りはできるはずが、それすら写輪眼でも確認できない始末。隠岐奈が作る力は必然的な過程を捨て去り、結果のみをぶつけるかのようだ。

 似たところでは瞳術・天照。視点から発火させる性質上、神威や輪廻眼など一部の例外を除けば自力で回避する手段がなく、対象を焼き尽くすまで鎮火しない性質もあって対処法はさらに限定される。しかしながら、実体分離を無視して体を燃やしたり濡らす辺り、ある意味では天照よりも面倒で前代未聞と言わざるを得ない。特別な物質か、異なる法則下で働く現象か、空間操作の悪戯か、神威が通用しない事象の仲間入りを果たしたようだ。

 

「逃がさんぞこやつめ」

 

 頭上と左眼を中心に左巻きの渦を二つ作り、時空間へと飛んで水牢から脱出せんとする、そんなオビトの姿を眺めていた隠岐奈が不敵に笑む。直後に「三つ!」と口に出しながら同じ動きを見せた途端、波紋を立てる水の塊が青白い光を放つと、巨大規模の雷撃と化して炸裂、轟音と共に空を駆け巡った。隠岐奈は涼しい表情で見上げている。

 愉快げな視線は間もなく一つの影を視認した。着地と同時に体勢を崩して片膝を着き、息を切らしながらも顔を上げる姿を。たっぷりと水を含んだ生身に直撃を受けて無傷で済むはずがなく、衣服も酷く焼け焦げている。 

 

「ふむ」感心した声色。「黒焦げの肉塊が口を利くものか。原形のない骸が呼吸するものか。五体満足でも死ぬだろう。ゆえにお前はそう、今のを生き延びたのだ。見れば見るほど優秀な人材よ」

 

 足音が静かに響いた。時間をかけてゆっくりと近寄り、慈愛を含んだ目つきで見下ろす。そのまま姿勢を低めて頬に触れようとするも、今度はすり抜けてしまう。

 額を伝う汗が地面を濡らした。やがてオビトは隠岐奈を見返しながら「傲慢だな」と呟く。

 

「よく言われるがね。賛辞にしかならんよ、ここじゃ」

「イヤ」オビトも口元に笑みを作る。「オレのこと……だ」

 

 少し驚いたように目を開いた隠岐奈。青白く発光する薙刀にオビトの手が触れても、視線を外さず振り解こうとはしない。

 

「まだまだ知らないことは……多すぎるってのに。心のどこかじゃあ、全部を知った気でいたのか。お前が立つ『舞台』を……」

 

 人の身で過ごすひと月や一年は長い。長く過ごせば知ることも、解ることも否応なく多くなる。それは同じ目線である場合の話で、人ならざる者が生きる時間に比べれば短く、あまりにも少なく、儚いものでさえある。

 知る必要はない。考える必要もない。判り切っているからだ。測り知れぬ想いが隠岐奈にあれど、この身を捨てた先に見えるものは何もないと。体を貫き巡った痛みが寝ぼけ眼を潰したのか、ありもしない幻に懲りずに囚われていた自身が、初めて現実へと舞い戻った気がした。

 

「幕引きを望むなら、奥深くまで踏み込まなければ……真っ当に向き合うところから、だ」

 

 指先に力がこもり亀裂が入る。拳を作ると同時に砕け散り、細やかな破片が光り輝いた。自分に言い聞かせるように吐き出された言葉と共に消えていく。

 隠岐奈は黙り込んでいた。無防備な体に大きな腕が掴みかかり、呆気なく捕らえられても抵抗せず、魅入られたようにオビトを映すだけで無言のまま。苦痛や鬱陶しさに割く意識も感覚も持たないとばかりに、数歩ほど踏み込んだ人の子の歩みを眺めるのみ。この時間はもう少しだけ続くと思われた。

 

「口惜しい。お前は嘘吐きじゃないが、真実ばかりとも限らない。その時が再び来るかどうか、身をもって知りたいのだよ」

 

 切り替えを決めたようだ。間を置かず「四つ目」と口にした瞬間、手の中で大人しく見下ろしていた姿がフッと消える。

 正体が掴めない能力で十八番の瞳術を攻略し続ける隠岐奈。一度目は燃え滾る炎、二度目は冷たい水、三度目は芯まで焼き尽くす雷撃。四度目を予感すれば無意識に体が動く。神威を突破されて傷を負わされた例が数少ない一方、冷静さを失わずに立っていられるのは、色々な意味で異次元と言える幻想郷での積み重ねが大きい。オビトの顔色が変わる。

 

「こっちだ」

 

 頭の後ろから聞こえた声がご丁寧にも居場所を漏らす。遊んでいるようだ。

 チャクラの出現を即座に感知したオビトは、声が耳に入る前に須佐能乎を操って迎撃、見慣れた薙刀と打ち合っていた。クナイやら手裏剣やら刀やら、普通の武具ならへし折り粉砕できるものを、能力による特別製の得物は欠けず歪みもしない。今度は振らせる前に月草色の一閃が走り、発生した捻じれのような渦に巻き込まれて消失した。

 全ての物理的な干渉を無効化する瞳術・神威。自動で発動するよう調節もできるので意識の外を突かれても問題はない。よほどの理由がない限り、手練れとの戦闘中に労力を割いてまで体を動かすことはない。一見するとただの武器に見える薙刀が、これまでと同じように易々と体に触れて、深々と肉を切り裂く可能性を考えたに過ぎない。僅かでも常識に囚われたら最後、灼熱地獄か冥界の桜を見る破目になるだろう。

 

 前掛けがふわりと揺れる。紙一重でかわしつつも丸腰となり、後退する姿を睨みながら右腕を振るう。生成した八坂ノ勾玉を一直線に投擲、守りの姿勢をとる隠岐奈を狙い違わず捉えた。直撃と同時に円形状の衝撃波が拡散、周辺一帯を無差別に吹き飛ばしていく。破壊された地面や瓦礫は雨となり山となり、小規模ながらも甚大な被害を地上にもたらした。

 彼女が自ら招いた後戸の国。始祖となる三柱以外には誰も何も存在せず、どう頑張ろうとも外には影響を及ぼさない。縁のない弾幕に縛られず、人的被害を考慮せずに済み、好き勝手に振る舞える闘いの場は、思い返しても外来人にとって都合が好いものだ。

 

(…………)

 

 広々とした異空間で文字通り、暴れ回ることを決めていたオビトだが、吹き荒れる砂塵を映した後に浮かない表情で様子見に転じた。

 今になって手を抜くことはあり得ない。摩多羅隠岐奈を完全に打ち倒すつもりで動いているのは間違いない。心に芽生えた戦意が物語っている。潰すべき敵でもない者に本物の敵意を抱かざるを得ない状況を、一時的とはいえ受け入れている。本当なら現状でさえ酷く異様で例外的だ。

 八坂ノ勾玉は第三形態へと到達した須佐能乎に備わる最強の遠距離物理攻撃。生身の人間は元より、肉体的な終わりがない妖や神でも直撃すれば無事では済まない。肉体も精神も魂ごと無へと帰すには足りないにしても、完全なる敗北を味わわせて『降参』の一言を聞き出しさえすれば、当面の目的は達成できるのだ。

 

「このまま……」

「いやいや」

 

 どこからか声が聞こえた。一変して氷のように冷たい、無感情を思わせる淡々とした声色。咄嗟に動かそうとした足が動かないのは、触れるはずのない四つ目、荒くれた岩の塊がヘドロのように鬱陶しくまとわりつき、がっちりと体を地面に縫い付けたからだ。神威による透過を当たり前のように無視して。

 じわじわと湧いては侵食し続ける岩肌が肩から下を覆い尽くした。圧しかかる重量、締め上げられるような痛み、体中がきしむようだ。岩という物体に捕まっているというより、この大地と半分一体化していると錯覚を起こしかねないほどだ。足首に枷と鉄球を括りつけられる方が幾分かマシだろう。

 手を打たず潰される時を待つ理由はない。ところがオビトには、須佐能乎で無理やりに振り解く動きも、時空間へと避難する様子もない。できなかったからだ。力づくで拘束を破壊して自由を得ることも、時空間移動を利用して体を岩から引きはがすことも。特に後者は奇妙にも、頭上に生じかけた左巻きの歪が、逆方向に捻じれる形で掻き消えた。

 

「駄目だろこれじゃ。小奇麗で退屈な砂場には童子しか集まらんよ」

 

 先ほど四つ目を口にしたのも神威を打ち消したのも同一人物。さすがに八坂ノ勾玉をまともに食らい、狩衣はボロボロで息も絶え絶えでありながら、五体満足で倒れ伏すことなく、薄気味悪い笑みを貼りつけて宙を漂っている。賢者の異名を持つ秘神が常軌を逸しないはずもない。

 能力の正体は相も変わらず不明のまま。様々な側面を併せ持つ摩多羅神ゆえにと、事ある毎に『表情』を切り替える「何でもあり」の全能神と一括りにできるのであれば、考えるだけ時間の無駄にしかならない。極端な話、「何でもあり」なら神威を無力化されても驚くには値しない。非常識の一言で片付くなら想定の範囲内。否、想定など無用だろう。一応は『妖怪』に分類される同志の力がほとんど「何でもあり」で、格上である守矢や仙霊となればさらに遠くなる。そして理解に至らない現状がオビトを惑わせるのも確かだった。

 

「優しいねえ、オビト……お前は」

 

 身動きの取れない姿にするりと近寄り、白く細長い指が頬をなぞった。すり抜けることなく触れたのだ。

 金色の瞳が奥から現れる。少女から成長した姿は妖艶で美しく、一目見るだけで心を奪われかねない。異様な輝きを放つ容貌を映してもオビトは何も思わず、感じることもなかったが、その言葉は心の底に易々と入り込み、容赦なく突き刺した。

 ざくり、ざくりと静かに確実に。皮膚を一枚ずつ剥ぎ取り、溢れ出る血を舌で掬い取り、啜られるような悍ましい感覚。抗いの意思はあれど指の一本も動かず、至近距離から見つめ返すしかないと思われた。

 

「情けないザマだ」自嘲的な言葉に反して、口元に強気な笑みが浮かぶ。「……こうしている間も気が納まらん。ぼやけた景色が延々と渦巻いて、休まる時もありゃしない。お前ほどの奴が好んで使いたがる手札……いったい何が追い詰めている」

 

 これまでに顕現された物質や現象は人体に物理的な影響を及ぼす産物だった。逆を言えば物理ではない、精神的な作用と結論づけて終わるなら、疑問が生まれる余地などありはしない。幻と現実の境界を破壊し創造する『イザナギ』に類する力を扱えるとしても、瞳術や幻術の類ならば視抜けず理解が届かない道理はない。

 断言できることは一つ。何のことはない、見飽きた火や水に違いない一方、見慣れないどころか未知の力でもあった。具体性など欠片もない、境界のように曖昧なモノでしかない。名前など初めから存在せず、名づけることも忌まわしいのだ。突っ込まれた片足の指に食らいつく化物の面は暗く深く、温度さえ見失うだろう。摩多羅が抱え込む黒潰しの古箱の中身など、誰が知りたがるのだろうか。

 

「面白いことを言う」

 

 けたけたと不気味に笑う。オビトの額を指で小突くと距離を取り、薙刀を握っていた方の手を緩やかにかざした。

 熱気が漂い始める。否、漂う前に熱気が、熱気を生む灼熱の劫火が、何もない所から現れた。オビトの姿は一瞬でおぼろげとなり、炎上してそびえ立った朱色の柱に呑まれて見えなくなる。一方的に燃やされていく。ひたすらに燃えていく。

 炎が収束して水に変化、大きな塊が逃げ場のない獲物を何度も打ち続ける。勢いで散った水がバチバチと音を慣らすと、激しい雷撃が無防備な体を焼いた。そして一時の静けさが訪れる。

 

「よく考えてみろ。浅はかな童子の頭でも解る法則を複雑化する意味があるか? 既存の解法を塗り替える意味があるのか? いいや、あるはずもない。そんな労力があるなら式神の一匹でも作り上げる方が有意義だ」

 

――熱や光を発しながら揺らめくソレは他でもない『火』。水や砂利をかけたり、酸素を抜いて消火されても、必要な条件さえそろえば再び、何度でも姿を現す。『火』が『火』足り得るための本質は不変的で消失しないからだ。要因が失われても本質が失われない限り、あらゆるものが無条件に燃え上がり、ずぶ濡れとなり、焼き焦がされる。神のごとき高尚な能力に頼り、摂理を弄り回すような手間をかけずとも、少し見方を変えるだけで常識は常識の枠外へと押し出される。

 神威という名の、空間操作に分類される異界の術も例外ではない。本来の『空間』とは真円のように美しいもので、乱れも歪みも穴もなく、別の場所へと繋がる捻じれの渦も存在しない。今在る後戸こそが後戸の姿を決定づける本質であり、それが神威という『異物』を否定して本来の形状を保持したに過ぎないのだ。

 

「なら……」

 

 異物は異物でも、使い方次第では害をもたらす劇毒でも、排するには勿体ない薬であり益だ。価値のある生きた道具を多少なりとも叩いて躾けたとして、度が過ぎた暴力を好き好んで加えるはずもない。四肢をへし折り引き千切り、息を吸って吐くだけの肉塊、脳みそだけになろうとも、『うちはオビト』なる特大の異物を手放す気はない。

 頭を垂れていたオビトが顔を上げる。神威と須佐能乎を封殺された上、岩の中で身動きも取れない状態ながらも、傷は浅かったようで表情も落ち着いている。八坂ノ勾玉による直撃を受けた分、見方次第では隠岐奈の方が劣勢に立たされているように思えた。

 

「……回りくどいやり方は捨てろ。ひと思いに潰して連れて行けばいいだろう」

 

 核心を突いた言葉だった。いまだにオビトは命の脈動を保ち続けている。隠岐奈がオビトを直属の配下として欲しがり、その終わりを望んでいないからだ。無慈悲で残酷な殺意を抱くべき相手ではないからだ。

 彼女の口数が減らず、何度も生じた隙から目を背けても頷ける話ではあるが、舞台を優雅に舞い続ける隠岐奈の姿勢は変わらず、いつまで経っても決定的な手を打つ気配はない。半殺しにして抵抗力を奪い尽くし、余裕綽々で連れて帰ろうとする素振りも見せない。

 秘神の手足として動く二童子、彼女らに強大な力を貸し与えたのは誰か。陰陽を司るのは踊り子だけではない。すでに披露した力の数々を総動員して叩けば、今のオビトならいとも容易く制圧できるだろう。思い通りの結末を描くのは難しい話ではない。だというのに無駄とも思える言動を隠岐奈は止めようとしない。理由がなければ止めるはずもない。

 

「いやね……駄目なんだよそれじゃ。さっきも言ったけど」

 

 隠岐奈は僅かに首を傾げる。表情は明るいが柔らかさはない。紙か何かにどことも知れない輩の顔を、満面の笑みを印刷して貼り付けたかのようだ。たった数秒前の面持ちが完全に消えている。

 

「どーしても一つ。お前を私色に染め上げる前に、どーしたって直に見て、触れとかにゃならんモノがあるんだよ。俗物の好き嫌いから何もかもまで残さず、知り尽くしてやる前にな」

 

 この短い間に随分と状況が様変わりしたものだ。明らかに隠岐奈は目の前に居るはずが、どうにも違和感が拭い切れない。はっきり言ってしまえば、居ないような気がしてならない。彼女の不自然な表情を見るほどに、まるで今の今まで「生きている」と信じ込んでいた人物が、実は疾うの昔に死んでいたか、あるいは命さえ持たぬ無機物か何かに過ぎなかった、などと馬鹿馬鹿しい思い込みを強いられる。

 二童子のようにどこかへ隠れ潜んでいなければ、そもそも初めから『摩多羅隠岐奈』なる人物など存在しなかったのではないか。居たとしてもそれは、顔を合わせたことも見たことも、聞いたこともない別人ではないか。不思議にもオビトには、隠岐奈の正体に関して考えを、意識を向けるほどに真実が遠ざかる気がした。

 

「なあ、『外来人』」

 

 一転して低い声がオビトへと向かう。怒りはない。悲しみもない。喜びなど皆無。あるのはただ、どこまでも傲慢で嘲りに満ちた表情。

 他人を見下す偉そうで嫌な奴、という程度では収まらない。無理に言葉を並べるならば、膝を着いて必死に命乞いする者の頭を足裏で踏みにじり、人格も尊厳も平気で壊して心底愉快そうに至高の甘い蜜を啜る。過度に過度を重ねた表現しか似合わない。

 隠岐奈は感情的に罵声を飛ばすでもなく、嘲笑を交えて淡々と独り言のようにまくし立てた。

 

「――私が欲しいのはお前の特異性だ。それを運搬する傷箱なんぞに興味はないし、何の価値も見出しておらん。分かるか?」

 

 全ての源流は人々の心にある。怖れや畏れなどの形なき物から生まれ、畏れ怖ろしくも超人的な力を有する妖や神が、自分達と同じ物を映しているに過ぎない。同じ物にだけ価値を認めているに過ぎない。力の強弱や利益の有無、当人の姿形や人格とに因果関係がなければ、その能力が要という見方に変化が生じることはない。

 重要視すべきは能力であり本人ではない。写輪眼でありオビトではない。人間的な容姿や性格の差異など無関係に、能力を収めるだけの器に対して与えられる価値に特別なものはない。平等な世界とは残酷で理不尽にも映る。

 

 隠岐奈の言動は露骨に差別的で、侮蔑の意味がはっきりと含まれていた。体を隅々まで侵し尽くす毒のようにたっぷりと。

 

「必要な部分だけを肉塊から引き剥がす方法はあるがね、端から端まで全部を完璧にとなれば別だし、他の奴には満足に扱えない。だからこうして今、貴重な労力を低劣な輩なんぞに割いている。礼の一つでも欲しいくらいだよ」

 

 妖怪は人間を食らう。人間は妖怪を生かすための家畜でしかない。糧にもならぬ欠陥品は屠殺されるが道理。怖れるべき妖怪を怖れず、弾幕を撃つこともできない。不出来な生き物に存在する価値はない。

 

「星の数でも積み重ならん、塵芥にも劣る愚物には本来、選択肢も人権も何もない。あるわけないし、あるべきじゃない。いいとこ獣や草花の肥やしになるしか能のない血肉の塊だ。お前に自覚はあるのか?」

 

 小ばかにした表情でせせら笑う。数々の侮辱を目の前で浴びせられても、口を開かず表情も変わらないまま。喜怒哀楽を捨てたかのように黙って見返すだけ。そう思われたが。

 

「似ているようで違う、か。悪いが歪み切った人間だ……オレはな」

 

 穏やかな返事がそっと送られた。滑らかな縁を持つ円にざらつきはなかった。

 散々と罵った後の、少し間を置いてからの咳払い。捻じくれた麗人は口角を下げると、今度は呆れた様子で「……ほぉら」とぽつり。直後にびしっと指をさす。

 

「やっぱりだ。乱れもしない。悉くが予想通り。いっちばん大事なのが欠けたまま……」

 

 空気が激変して表情も切り替わる。騒がしい様相を戻すまでは不自然なほど呆気なく、分かりやすく取り乱して頭まで抱えている。

 

 一時の感情は理性に勝り、正常な意思決定を阻害させる。人並みに心と感情を宿した相手なら、そこを刺激して思い通りに動かすのは難しくない。上手くやれば一から百までを自由に操ることも。

 人間はもちろん、幻想郷の妖怪達も代表的な例として挙がる。好戦的で血の気が多く、感情の起伏が激しい連中に同じ言葉を投げつけ、暴力を振るえば敵意や戦意が芽生えるのは必然、舌戦に入り弾幕が飛び交うのは想像に難くない。度が過ぎた時の反動は過激で凄惨な結果を生むだろう。オビトはと言えば。

 

「言ってしまったぞ小童。やってみろ、とな。あーもう、何から何までやりにくいっ!」

 

 子供染みた直球的な罵倒、心も可愛げもない罵詈雑言、遠回しで皮肉めいた悪口。何百何千とぶつけても心を乱すには至らず、全くの無意味であることは、口を開く前から隠岐奈にも判っていた。品のない暴力に訴えても平静を保ち続けている上、体を巡るエネルギーと感情の波にさえ変化が見られない時点で明らかだ。ゆえに一抹の希望に頼りはしても、思惑通りに事が運ぶとは期待していなかった。

 やはり「ところが」、などと都合よくはいかず、本物と見なせる『戦意』と『敵意』をどうにか引っ張り出すまでが限界で、最後の一つを拝んでいない。さらなる奥底に鎮座して出てこないものだ。

 

「『殺意』」隠岐奈は声を張り上げる。「……口に出すのも馬鹿馬鹿しいがね。この私をぶっ殺してでも切り抜ける気が、まるでないようだ。弱いとか以前の問題になる。不満を持つなって方が無茶な話だな」

 

 鬱陶しい厄介者を一思いに殺害する気が僅かでもあれば、オビトがどんな人間かを疾うに「知っていた」隠岐奈の言動は違っていた。互いの立ち位置がどう変わろうとも、固く閉ざされた後戸は静寂を取り戻していただろう。

 大人びて落ち着いて見えるだけ。そのように思える人間も、目を凝らせば変わり者に映るだろう。口汚く罵倒されようが暴力を受けようが、言い返すことも、やりかえすこともしない。ならばと心に何かを思うこともない。喜怒哀楽が表情や言動、内面にさえ表れることはなく、感情も人間味もない機械のように淡々と振る舞うのみ。

 幸せにしろ不幸せにしろ、人並みと言える人生を歩んでいたのなら、隠岐奈には別の姿が見えていただろう。戻るべくして戻ったものもあれば、失うべくして失い、二度と手にできないものもある。その一つがもたらした結果でしかない。

 

「優しい奴だ」オビトは同じ言葉を返す。「知った口を叩かないとはな……初めて好く思えそうだ。お前を」

 

 言い訳の余地もない。ぐうの音も出ない正論に食い下がる意味はない。言い返すことはできても反論ができなければ、口を閉じて素直に負けを認める方が賢明というものだ。脈々とした流れから這い出せないのは紛れもなく、隠岐奈の指摘がど真ん中を貫いているからだ。後ろ戸を潜るより以前から、オビト自身の目にも現実は視えていた。

 

 誰も傷つけない平和主義とか、臆病風に吹かれて動けないとか、面倒でやる気が起こらないとか、実は好意を持っているとか、妖しい容姿にたぶらかされたとか、摩多羅隠岐奈の殺害に踏み切らない具体的な理由など、探せば他にも沢山あるのだろう。符合するか近いものを選ぶとすればやはり――殺めるべきではない者を殺めることに意味はないと、己の中で結論が出ているからだろう。彼女の死も他の者と同じように、立ち位置で見る場合は遥かに、幻想世界にとって害悪となる歪みを生じさせる要因に他ならない。

 生と死の狭間を行き来して、死への恐怖も、生への執着も持たぬままに、隠岐奈とのやり取りを軽んじているのか。人としての自分を見失いかけているか、すでに失って人の形を模るだけの『何か』と成ったならば、いよいよ仲間入りを果たしたと指摘されても文句は言えないだろう。

 

「だがお前に優しさがあるとして、オレにあるのは似て非なるもの……とでも思って笑いたきゃそれでもいい。お前から逃げたいだの本心では思いながら、殺してでも生き延びる気さえ湧かない奴だ。実力差を知らずとも愚か者にしか映らんだろう」

 

 形だけの殺意を作り出しても心と体は動かない。戦意や敵意が向くだけの相手を殺すべき敵とは言わない。紛うことなき意味を語るとすれば唯一、この身を投げ打って討ち滅ぼし、絶たねばならなかった因縁。幻想世界の秩序を脅かさんとした特大の歪みだけだ。多くの命を崩し滅ぼさんとした輩だけだった。

 

「……映らんさ。映るわけがない。お前の言う愚か者なんぞおらんよ。だから安心して笑うといい……私も同じ気持ちだ」

 

 オビトに微笑む隠岐奈。踵を返した足が地面を離れると、ゆっくりと少しずつ上昇していく。地上をちらっと振り向いた貌に傲慢さはなく、慈愛に溢れた優しい表情を見せている。

 

「今にして言ってしまえば……判ってたんだよ私も。お前が私たちを殺すなんて真似、できやしないって。それこそお前自身が知れん奴に生まれ変わるか、天地がひっくり返りでもしなきゃな。こう言っちゃアレだが、果てしなく馬鹿な遊びに興じたのかもしれん」

 

 執念深い蛇に追われて走り、自分の命を掌握されるか、落とすかのどうかの分岐にまで追い詰められながら、なおも他人のために自分を押さえつける。断崖絶壁を背にじりじりと後退しながらも、臆さず怖れずまっすぐに睨み返す。命を乗せた天秤の傾きを止めるためならば、誰かのために喜んで飛び降りるだろう。

 

 甘さと優しさをはき違えた愚か者。否、本当に優しいだけなのだ。甘さなどあろうか。

 これほどまでに心優しい外来人がいたのだ。かくも堕ちた者の生き様とは美しい。

 愛しき人間のどす黒い『正体』をあらためて噛み締める。空を映す右目から一筋の涙が伝った。

 

「こんな舞台、もう幕引きにしよう。お前はやはり、誰かのために死に――…殺」

 

 最後まで聞き取れなかった。途中で右耳を押さえたせいか、耳鳴りが掻き消したのだろうか。

 思わず視線を外した後、オビトは再び頭上を見やる。隠岐奈の姿が黒みがかり、何か大きな物を腕に抱えていることに気づいた。背後には神威ではない異彩の渦が右向きに巻いている。

 

「……?」

 

 奇しくも正体は一目見ただけで判った。多くが解らないにしても、判らないのはおかしな話だ。

 明るい石竹色の長い髪、風船のように膨らんだスカート。ありのままを言えば、お面の付喪神・秦こころに視える。

 頼りない言い方を強いたのは、理解が追いついていないからだ。理由は挙げ始めるとキリがないが、あえて一つを選出するなら「何故ここにいるのか」。この状況を予期できる者が果たして居るのか。

 

「……何の真似だ?」

「おやまあ、ヘンな問いを投げる人だ。なんだその無知を装った、壊れやすい反応は?」

 

 質問に答えず質問で返してやれやれと鼻で笑う。こころは夢の中にいるらしく、腕の中で心安らかに寝息を立てており、隠岐奈は愛おしげに目を細めて撫でている。大人の姿になっているからか、子を寝かしつける親のようだと言えなくもない。度々に見え隠れしていた表情だ。

 

――広がった前髪が目元に暗い影を落とす。多面的な貌が向けられているだけで、瞳に何が映っているかは知るところではない。

 不気味な微笑みに座り込むのは、虚ろで白濁した二つの眼なのか。鼻歌を交えながらあやすように体を揺らす隠岐奈の姿を視るうちに、オビトの内を引っ掻く違和感、胸の辺りに感じる異物感、形容しがたい寒気が、胸騒ぎと共にじわじわと産声を上げ始める。赤黒い塊が無数に浮き沈みする血溜まりの中を狂ったように歩く。

 頬を生温いものが伝う。鉄臭い雨粒が打ち始めた。

 

「隠岐奈。そいつを渡せ」

 

 自分で考えた言葉を押し退けて、どこからか吐き出された瞬間、岩のように重かった体が急に軽くなる。とにかく何の気なしだったが、脈打つ感覚が発した警告を疑いもせず受け入れたのだ。得体の知れぬ輩と秦こころを一刻も早く引き離せと。

 金色の長い髪が揺れ続ける。陽気で陰気な音楽も、騒がしく物静かな観客もいない舞台の真ん中に独り佇む様子は、地上にいるオビトの声など聞こえないかのようだ。

 

(埒が明かん……)

 

 頭部がズキズキと痛む。視界の端っこがぼやける。見えない誰かが背後から急かす。

 迷いはなかった。この状況で行使すべき術の選択にも意識を向けず、ひびだらけの乾いた大地を蹴り上がり、表情を隠した何者かの元へと一直線に向かう。地上で足を止めている間に覆い被さっていた異物感は、目線の先に見据えた無情の面が迫り来るほどに薄れ往き、手を伸ばした瞬間に嘘のように消え去る。

 

「……!」

 

 オビトは反射的に動きを止める。突然に視界が真っ暗になり、隠岐奈達の姿が闇の中へと消えたからだ。

 無音の世界を漂う。足場も壁もない。黒暗行に類する何らかの術を疑うも、肌を刺す寒気は現実だ。神威の時空間に降り立った時と酷似した空気の変わりようや、誰の姿も視認できず、感知できていたチャクラも途絶えている現状から、別空間の中に引きずり込まれたと直感した。

 何者かの視線を感じる中、辺りを見回すうちに背後、今にも閉まらんとする片開きの扉に気づいた。写真に映したような質感の殺風景が奥に確認できる。咄嗟に動作しかけるオビトだが、数メートルも進まないうちに扉は音もなく閉ざされ、一寸先も見通せない皮肉めいた深遠の黒に喰われた。

 

「くだらん真似を――」

 

 律儀にも足止めに付き合う義理はない。このまま事が起きるのを悠長に待つ意味もない。

 即座にピントを合わせた箇所に歪が生じると、左巻きの渦が発生して一気に拡大、人ひとりを放り込むには十分な大きさの穴が形成された。隠岐奈による妨害を受けることもなく、正常に作用した神威の力が空間に抜け穴を穿ったのだ。現実空間同士を直接的に行き来する分、移動に費やす時間は時空間を経由するよりも早い。チャクラの消費も微々たるものだ。

 別空間だと思われた場所が、別空間と同じ性質を持つだけの閉鎖空間に過ぎなかった、という結論も同時に叩き出した。それは神威を使うだけでも判別できる。幻想郷と月界、博麗大結界の内と外のように、神威空間以外の別空間に出入りする場合は、道を開くだけで膨大な量のチャクラを要するからだ。神威は専有空間との行き来を想定した術であり、妖怪賢者のスキマほど融通は利かない。ちなみに視覚も感知も物理的な干渉も遍く遮断する特殊な結界術は忍界にもある。

 

「いい面構えだ」

 

 何もない所に開いていた穴からオビトが現れた。足元に二つ目の渦が巻き、穴の奥から顔を出した石柱を足場に着地する。一つ目は本人の意識が別のもの――今しがた口を利いた秘神を捕捉すると縮小を始め、徐々に小さくなり最後には失われた。

 再び対峙する二人。こころを抱えているのは相変わらず、今度はオビトをしっかりと観ている。いつも通りの綺麗な瞳で。

 

「気づかなくていい。私だけでいいが……まだ」

 

 瞬きもせずにオビトをじっと見つめながら、ぶつぶつと独り言を呟いている。オビトはチャクラを練って集中すると、隠岐奈ではなく秦こころを写輪眼で視認した。

 隠岐奈とこころの関係性は不明、情報として思い当たる節はないにしても、果たして『本物』かどうかを確かめる程度は容易い。変化や幻覚の類による、瓜二つの偽者や偽物かの判別ならば。生物か否か、妖怪か否か、本人か否か――幸いにも顔見知りの間柄なので、いずれも体内のチャクラを見通すだけでよく、特別に時間をかける作業ではない。木分身や影分身を見分けるならともかく。

 案の定か一瞬だった。忽ち判ったのだ。紛れもない本人であると。幻想郷に居るはずの表情豊かな面霊気・秦こころは、摩多羅神が支配する後戸の国に存在する。これもまた現実であると。

 

(どうする、下手なやり方はかえって……)

 

 思わぬタイミングで現れた、思わぬ人物の姿に不意を突かれはしたが、体勢を立て直せば呼吸は整う。詳しい経緯や動機は後回し、隠岐奈から引き剥がす方が先決だ。

 幻術は動きを止めるのに便利かつ最適な手札。ところが一部の人間や妖怪、神霊など格上の輩には通用しない場合がほとんど。面倒なことに隠岐奈の名前も挙がる。優位性の勝る神威や外道の黒い杭、輪廻眼も彼女が相手では使い所を覗う必要があり、術を封殺する詳細不明の能力も牙を剥いてくる。その辺の妖怪とは比較にならない――。

 

「嗚呼、生憎だがね。私なら間違いはあり得ない」

 

 秘神は満面の笑みで両手を広げた。腕を離れた少女は重力に従わず、水面に浮かぶ木の葉のように揺ら揺らと漂う。

 観客の居ない舞台は奏でる。虚ろで生気のない痩せこけた樹々に囲まれて、朽ち果てた古い墓石の前に横たわり、深い深い眠りに囚われたまま、酷く溶けかけた揺り籠の中で嵐が過ぎゆくのを待つ。飛ぶ鳥は真っ白で目を持たず、風に巻く羽根は色褪せて堕ちる。高望みな羽ばたきは不遜な息吹に遮られた。

 二人は踊る。手を繋いで舞い踊る。皮が剥けて血が噴き出し、肉が割れて骨を磨り潰しても。一度でも狂い咲いた舞台は廻り続ける。人気者の光明は嫌われ者に集まり往く。胸をかき乱しても瞼は開かない。

 

「人も妖も……似たようなものだ。映りすぎる陽、映らぬ陰。火を燈す魂の在り処が示す場所は? こんなにも軽く、儚いものか……」

 

 少女は抱擁を受ける。黒さのない眩しい暗幕が上がり、薄明るい光に包まれていた物が露わとなるまで、誰一人として口を開かなかった。そこにはすでに誰も居らず、古びた白っぽいお面が一枚だけ、ぽつんと置かれていた。

 オビトの目には誰も映らなくなり、無情なる代弁者を凍りついたように見つめるしかない。秘神はお面を着けていなかった。

 

「誰よりも優しい貴方ならきっと、終りの時まで演じ切ってくれる。拍手が響くには針が回りすぎたようだ」

 

 粘度の高い何かがどろりと、空を仰ぎ見る秘神の体から垂れ始めている。黒よりも深く暗い闇黒だ。オビトはとっくに飛び出していた。

 夜明けは訪れる。子守歌の鎮まりと共に、その魂は潰えた。

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