OBITO -廻光-   作:大兄貴

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禁忌に嗤う摩多羅

 失いたくなければ手を伸ばせばいい。伸ばさなければ失うだけだ。伸ばしたところで手遅れならば、やはり失うしかない。救うべき命を繋ぎ止めるだけの力を持とうとも、大切なものであろうとも、間に合わなければ同じことだ。

 

 オビトは消え往く姿へと手を伸ばした。肩から腕、手首から指先に至るまでが遍く、ギリギリと痛みを感じるほどに。深々と刻み込まれるほどに。

 体が痛みで悲鳴を上げても構わず、必死になって掴もうとした。指先が少しばかり引っかかるだけでも、掠るだけでもよかった。失われ往く温もりに、ほんの一瞬でも触れられさえすれば。

 

「――…」

 

 触れるどころか届きもしなかった。あまりにも離れすぎていた。いくら伸ばしても間に合わず、遅すぎることは判っていた。判り切っていてもなお伸ばし続けた。そして現実は思った通りの結末を呆気なく迎えるだけだった。

 

 灯火が掻き消えてもなお、形を失ったソレを真っ直ぐに映すオビトを嘲笑うかのように、見下ろしていた秘神の口角が愉快げに上がる。

 掌を広げたのち、握りこぶしを作る。あちこちにひびが入り、ボロボロと朽ちて崩れかけていた白い『御面』は――濁った輝きを放つ細やかな破片となり、散りばめた星くずのようにキラキラと宙を舞った。面霊気・秦こころだったものは塵芥と化して消えていく。

 光の粒が指に触れる。しっかりと掴んで繋ぎ止めようとしたものは、すり抜けるように指の間を通って後を追った。

 

「嗚呼、まったく」

 

 渦巻く時空の歪。空間の穴から覗いた石柱に足を着け、頭を垂れたまま身動きしない姿を眺めながら前髪を払い、秘神は素っ気ない声色でぽつりと呟いた。空を漂う雲のように浮かびながら。

 失望を彩った視線の中には、僅かに興奮の色が織り交ぜられている。

 

「本当に手にかける破目になろうとは。思いもしなかったよ」

 

 頭を抱えて深い深い息とともに言葉を吐き、耐えがたい苦痛とでも言いたげに身を震わせる。顔を手で覆ってすすり泣き始めるも、あまり長くは続かず、濡れても腫らしてもいない目を露にするのは早かった。美しい貌には傲慢な表情が戻っている。

 

「原因は何だ? いったい何者が? よく考えてみるといい。守りたかったものを今しがた失い、惨めにも突っ立っている……お前になら分かるはずだ。オビト」

 

 くくっと悪戯っぽい笑い交じりに問いかけるも、面と向かって名指しされた本人は何も言わず、顔も向けようとはしない。問いを投げた秘神自身も、欲しかった玩具で遊ぶ幼子のように、うきうきと楽しげな笑みを見せるだけで、答えなど初めから期待せず求めてもいなかったようだ。辺り一面に散らばる扉の群が忙しなく開閉を繰り返している。

 

「そう……他ならぬお前だ。あの子を死なせたも同然……否、殺したのだ。あろうことか、私の目の前でな」

 

 秘神は陶酔染みた口調でまくし立てる。言葉の一つも返さない人間を高みより見下ろしながら。

 

 やはりだ。秘神はあらためてそう思った。正論も愚論もなければ言い返しもせず声も出さない。息を吸って吐くだけの人間に成り下がった。ちっぽけでくだらないやり取りを一つしただけで、続けざるを得ない状況に追いやられた。冷たくも温かな男にとって、面霊気がすでに「そこまで」の存在だったのは、今さら疑いようも言い訳のしようもない。いかなる事象を以ってして消すことも、捻じ曲げることも叶わない真実であり現実。

 何をどう隠して振る舞って、無関心だったりお節介だったりする周りの者どもから真なる『表情』を秘匿しようとも、物事のあらゆる一面を視通す後ろ戸の神を欺くことなど、この世界が滅ぼうとも未来永劫に叶わぬ夢でしかない。

 

「……呆れ果てるほどに罪深い男よ。お前は」

 

 夢はしょせん夢なのだ。泡沫であれ何であれ。現(うつつ)を拒んで否定し逃避に走ろうとも、はっきりと示された結末への一本道が覆ることはない。他に道がないのは探す前から明らかだ。面霊気に降りかかった弥終は殊のほか、堕とすべき者を堕とすための駒として至上の価値を生み出したらしい。

 目の前で大事なものを失い、さらけ出されたモノとは何か? 幼稚でありふれた喜怒哀楽か、ぶつけようのない憤りか、言葉にもならぬ悲しみか、抑え切れぬ憎悪か。深淵に溢れ返る絶望か。残酷で無慈悲な世界も、己さえも見失った果てに待ち受ける、誰も何も存在しない虚無か。逸れ者に生まれる感情、それを元に形成される表情とは何なのか。

 

「もはや――…」

 

 いずれでもなかった。何のことはなかった。男はとっくに顔を上げていた。感情表現に乏しい表情で、何も宿さない赤き瞳に秘神を映すだけ。激情も負の感情もなく、吐き出された声も平静そのもの。目に見える動揺も息切れもなければ、体内を駆け巡る数々の動静にも一切の乱れはない。動けないのではない、動かないのだ。

 それを目で見て理解に至り、秘神は『歓喜』した。これまでの些細なやり取りなど及びもつかぬ、この上ない喜びの情が溢れ出した。尋常ではない執着心をあえて形容するならば、想い人への密かで淡く幼い恋心、燃え上がるような恋情、独占的で行きすぎた狂情。片っ端からごちゃ混ぜにして酷く腐敗させたような、非常識的な観点にして常軌を逸したと言わしめる感情。身も心も外した者の中でも特に、異様な姿形と本質を持つ輩の内に秘められた思いなど、常人には知る由もないだろう。

 

「そいつがお前の……なんと素晴らしいことか……」

 

 頬は上気し、声が上ずる。興奮冷めやらない。心臓が早鐘を打ち、呼吸を乱したのは秘神の方だった。心身ともに大人びた様相で熱っぽい視線を浴びせている状況のせいか、肉も骨もグチャグチャに溶けて消えるほどに恋焦がれる異性を前に一線を越えかねない勢いだ。気持ちを押し殺して踏み止まる気など微塵もなく、再び薙刀を形成させると切っ先を向けた。

 それでもなお、じっと佇むばかりで一歩も踏み出さない理由は、他ならぬオビトにあった。無心で突っ立っているわけではない、その内に芽生えたのは本物でこそあったが、突き動かされて牙を剥く不安定なものでも、心にふつふつと煮えたぎる安定したものでもなかった。

 

「我慢強い方じゃないのでね」秘神は妖艶に笑む。「待ちかねた最期の舞台。冗長な前置きも心置きもどこ吹く風だ――愉しい愉しい本物の『殺し合い』を始めようっ!」

 

 やりたくて仕方のないことをやらないから、我慢などという言葉が生まれる。欲のコントロールとは思いのほか難しく、食欲や睡眠欲など我慢のし過ぎが生命の危機に直結するものもある。いずれは限界を迎えて然るべきで、迎えることを前提とした言葉でもある。

 どうなるかなど一目瞭然、歓喜を軽く通り越した狂喜の雄叫びとともに宙を蹴り、四角い石柱の上でなおも微動だにしない姿へと向かっていく。逸れ者の人間に最大級の敬意を表して、これまで以上に眩い輝きを放つ薙刀を強かに握り締め、無防備な体を真っ二つに引き裂かんと迫る。迸る鮮血で真っ赤な花を咲かせんとする。

 

「ほう? 何だその顔は」

 

 秘神の目が鋭く細まる。振り下ろした薙刀の動きが止まり、目の当たりにした表情には怒りも悲しみもない。憎悪や絶望も、虚無感さえ浮かんでいない。毛の先ほども感じない。存在していないからだ。

 表情も心も乱さず感情の起伏もない。己の命を狙われ奪われるより遥かに酷な結末を突きつけられても、至って冷静で落ち着いた様子で見返すだけだ。常人にも妖怪にも持ち得ぬ心と精神の強かさは、すでに認識に至っていた秘神だったが、ふとした悪戯心とからかいを以って無駄な疑問をぶつけた。自分でも無意味だと判っている問いを。

 

「憤らんのか? 絶望せんのか? あの子が映していた世界も、これから映すはずだった世界も……お前が全て奪い尽くしたというのに。この期に及んで何も感じないのか? どれだけ外れたら気が済む? なあ、人間よ」

 

 込み上げる歓喜を抑え切れない様子で矢継ぎ早に投げ続ける。やはり答えなど初めから期待しないままに。判っていれば期待する意味はない。言葉さえ不要なのだろう。なにせ見返した目は。

 

「――できるものか。お前に視通せる程度の感情など――持ち合わせていない」

 

 ただ一つ、ひたすらに『赤』く染まった、染まり尽くした光が教えてくれる。

 目も眩むほどの輝きを直視した時、端の端に残っていた僅かばかりの疑いと迷いは残らず、一瞬にして消え失せた。疑り深い輩よりもずっと人を疑う秘神が、初めてオビトを信用に値する人間と認めた瞬間でもあった。

 

 確信したのだ。どれほど強く欲しても、頑なに姿を現わさなかったモノ。儚く尊い犠牲をもたらさなければ、奇跡が起きようとも露わにならなかったモノが今、この男から溢れ出して止まらないことを。そこには『本当』があることを。

 

「その手で『殺せ』。摩多羅隠岐奈」

 

 秘神がオビトに求めたように、オビトもまた秘神に求めたのだ。数分も違わぬものを。嘘偽りのない本物を。

 隠岐奈にして退屈な茶番たる舞台の幕は下りた。新たな幕開けは今度こそ、相対する二人を華々しくも残酷に彩る最後の舞台となろう。黒よりも黒い光が照らし出す中、要求通りの表情で応える以外にありはしない。

 

『木遁』――。

 

 粉々に飛散した刀身。薙刀だった物の柄を投げ捨てると同時に、冷たく低い声が早口に紡いだ。見開かれた目は隠岐奈の姿を一直線に映している。

 湧き上がり揺るがす地響き。轟音と共に至るところで次々と隆起、勢いよく突き破って現れた樹木の群が不気味に蠢き、桁外れの物量と質量が広大なる地を覆い尽くしていく。

 世界を喰らう大樹より分散した根源は、その名に相応しき陽の力、器をもたらされし者の意志に従い、樹海は全てを呑み込んでいく。深緑が鬱蒼と茂った森と表現するよりは、そびえるほどの規模を誇る無数の幹が捻じれて絡み合い、物騒で悍ましくも絨毯のように敷かれていくかのようだ。

 

「今さらだが。これじゃあまるで、妖怪共や我々と同じ……化け物じゃあないか。人もどきめ」

 

 人の身を外れた者は、人間が抱く畏怖や無理解、それを作る心を根源とする。これまで目の当たりにした数々を含め、森をも一瞬で造り出すさまを、常識の世界を生きる者が映してどう思うかは知れている。楽園へと追いやられた物の怪達の存在と何ら変わらない。

 右半身を形成する白ゼツの原型体がもたらす力。神樹の莫大な生命力が先祖返りした唯一の忍、初代火影・千手柱間ほどの再現性はないにしても、外道魔像のチャクラによる培養で改良され強化された分、『柱間の体細胞』を移植され適合した者達との差異は多い。人間と人外を分ける捨食のように食事も睡眠も否定し、神樹そのものとすら成り果てていれば、人でも何でもない身などと形容されても間違いには聞こえない。だが本人にとっては意識を向けて考える段階さえ十数年前の過去、何より今のオビトが向けるのは一つだけだ。

 

――『大槍樹』。

 

 地上を埋め尽くす樹々の群が再び蠢き、鎌首をもたげた直後。ばきばきと乾いた音を響かせながら無数の樹木が縄のように四方八方から飛び出し、空中で多重に巻きついて螺旋を作ると、次々と数を増やして枝分かれを繰り返しながら、逃げ場を潰された隠岐奈一人を全方位から狙う。鋭利な先端を形成し刺し貫かんと迫った。

 明確なる殺意の権化を前に隠岐奈は嗤う。瞬身により視界から姿を消したオビトを目で追わず、探そうともせずにじっと眺めるだけ。その体を貫かんとした樹々の槍は、本人を眼前に展開された黄色い障壁で防がれるも、途轍もない質量と勢いが内包する威力に耐え切れず亀裂が入り、爆散と同時に至近距離に到達、右掌に収束させた力の渦で咄嗟に押し止める。

 塞がれた右手に構わず、薙ぎ払うように左腕を動作。橙色のレーザーが背後の樹木を一気に焼き払い、黒焦げの破片と化してバラバラと降り注いだ。

 

「いいねえ……ねじ込まれるような、この『感情』。身の上次第じゃ惚れかねんな」

 

 掌に感じる衝撃と圧、ピリッとした痛み。圧巻の光景を生み出した力の正体、いかなる能力や技を披露して、様々な事象を顕現させようとも取るに足らない。

 重要なことは一つ。自分の今後が左右する分岐を強いられている状況下で、あれだけ痛めつけられても、罵倒されても一向に心を乱さず、殺意の片鱗とて露わにしなかった人間が――欠片どころかドでかい塊を贅沢にも献上した。「殺すべき敵ではない」と認識する『幻想郷の賢者』に対して。それ自体は不自然でも珍奇でも稀有でもないが、当てはめる者次第で話は大きく変わる。

 満足げにほくそ笑む隠岐奈。素晴らしく愉快で異様で狂った状況をもたらしたのは、ひとえに面霊気一人の死と消滅――。

 

「――…がッ……!」

 

 二つ目の衝撃。後続して迫った一本を仕留め損ね、槍のように尖った樹木が腹部を貫いた。

 開かれた目、歯を食い縛る。のた打ち回り、意識を失いかねない激痛。痛みを超えて感覚が失われ往く。何体もの樹木が大蛇のようにうねり、見慣れた姿を背中に乗せている様子が、不安定に揺らぐ視界に薄っすらと映る。

 

――『挿し木』。

 

 体内で枝分かれして全身を貫き、血染めの樹がそびえ立つ。胸部を突き破ると同時にむせ返り、熱を帯びた液体が口内に溢れる。胸元が赤黒く染まる。

 ぐうの音も断末魔も響く余地のない窮極の殺意。死の床に寝転がりかけた状況も忘却の彼方へと追いやり、心の底から込み上げる喜びを噛み締める。魂にしっかりと刻み込まれるように。穴の穿たれた体が悲鳴を上げるのも構わず、仰け反るような体勢で頭上を見上げたまま、高笑いと共に真っ赤な液体が吐き出される。

 これがこの男の本物。殺すべき敵にしか向かないモノが、今まさに。幻想世界で平穏を過ごす者共には決して味わえない悦楽だ。

 

「手ぬるいようだな。さすがは人ならざる輩、と言ったところか」

 

 威光を宿した視線が無残な姿を射抜く。望むべくして引きずり出した本物に容赦なく喰われ、身も心も掻き消えるほどの苦痛に苛まれても、隠岐奈に自身を顧みる様子はない。愉しくて仕方がないと主張するように笑いかけるだけだ。同じく変わり果てた様子のオビトを観察しながら。

 

「……思わせぶりな奴、め」隠岐奈の微かな声。「我々の、『殺し方』を知り……手札も持ち合わせる、くせして。試す側に転じたわけでも、あるまいよ」

 

 今の彼女を見れば誰しも思うだろう。口を利くどころか呼吸もろくにできず、いつ死んでも不思議ではない危険な容体でしかないと。体中を樹木で刺し貫かれるなど致命傷、手遅れ以外の何物にもならない。人間の基準や常識で語るならば。

 人間と人外が口にする『致命傷』は程度も種類も異なる。肉体的に脆く傷の治癒力も弱い人間にとって、腹に穴が開いたり手足がもがれても死に繋がる。心臓や頭が潰せば確実だ。その命を奪う手段や奪われる要因は腐るほどある。

 これが妖怪など人外となれば反対。後天的に人外の仲間入りを果たした蓬莱人など元人間も含めて、肉体がどう壊れようが致命傷とはならず、完治に何ヵ月もかかる怪我も数分から数時間で元通り。両者の決定的な差異は『魂』の重きを置くものが何かにある。

 

――生き物の死、命の終わり。端的に言えば、その魂と重きを置くものが切り離されること。違いを作るのは各々の生まれ方である。

 人間は同じ人間から生まれる。母体という形ある『肉体』から生れ落ちる。ゆえにその命は『肉体』と結びつき、傷であれ病であれ『肉体』の破壊が死に繋がる。その一方、妖怪や神霊も人間から生まれるが、母体ではなく形なき『心』や『精神』から生れ落ちる。ゆえに命はそれらと結びつき、壊れることで消滅を迎える。逆に人間は精神が壊れても命を落とさず、妖怪は肉体が壊れても滅びない。

 

「くくっ。痛い、ものだな……体を傷つけられる、というのも……」

 

 隠岐奈は神霊として頑丈な体を持つ。形なきものに命が紐づけられた人外は、形ある体をグチャグチャにされても死なない。それ以上に凄惨な壊れ方をしたり、肉片も残さず塵と化したとしても、本体たる魂と結びついた精神や心が健在であれば、失われた肉体は時間の経過と共に形を取り戻す。本当の意味で終わることはない。

 人の身を外した連中の殺し方。精神だの何だのと口で言うのは楽だが、肉体を壊すためのやり方とは反対に、有効的と見なせる手段は数えるほどしかない。心ない言葉で罵倒したり、拷問により精神を崩壊させて廃人にせんと企んだり、常識的でありふれた手段が通用するほど簡単でもない。

 非常識には非常識、欲を言えばこれまでに類を見ない、未知と見なせる手段であれば打ってつけだ。此度に隠岐奈が目をつけた人間は、幻想世界にして危険と言わしめる手札を何枚も所持している。

 

「『試す』、か。戯れ言ではないな」

 

 写輪眼による幻術もその一つ。内面に働きかける瞳力は立派な弱みとなる。人間で言えば毒、その中でも命にかかわる上、解毒方法もないタチの悪い物と遜色ない。

 存在しない人や事象を幻視させたり、意識を失わさせたり、正気を奪って操ったりと基本的な効力の範疇ではない。精神に致命的なダメージを与えて昏睡状態にさせる、完全に破壊して再起不能に陥らせるなど、実害を引き起こす類の強力な幻術だ。瞳術・月読ほどの融通は利かないにしても、体細胞だの人柱力だの眼の移植だの、紆余曲折を経た比類なき瞳力ならば――強大な力を振るう人外達を屠るのも、高い神格を持つ神の類と渡り合うのも不可能ではない。

 

「…………」

 

 隠岐奈に幻術は通用しない。二童子たる舞と里乃に分け与えた、生命力と精神力を自在に操作する能力で壁を作れば瞳力の侵入を防げる。僅かな量で何千何万もの生物の命を奪い去る猛毒とて、触れなければ意味をなさない。能力の本体かつ源流となる隠岐奈ならば当然、あの二人よりも遥かに高尚な使い方ができるだろう。賢者に名を連ねる手練れでは仕方のない話でもある。

 然るに肉体と精神は大なり小なり影響を及ぼし合うものだ。良しがあれば悪しも。体を壊して心が病むこともあり、心が病んで体を壊すこともある。ならば体中を串刺しにして気力を削ぎ落とせばどうなるか。

 

 右目に波紋模様が浮かぶ。察知した隠岐奈が自前の能力を振るうも、生命力とチャクラを制御して操る輪廻眼・外道とは相性が悪く、散々と苦しめられた術の封殺を無力化。間髪容れず掌から生成、射出された黒い棒状の物体が、身動きの取れない隠岐奈の体を貫いた。

 外道の術で作り出した『受信機』。忍界で言うチャクラ、幻想郷で言う妖力や魔力など、生き物が内包する力の源を外部からチャクラで制御する。能力や術の発動に用いるエネルギーの動静を抑え込めば、今度は向こうが手札を封殺される側に回るしかなくなる。内外ともに窮地に追い込まれた主人を護るために誰かが割って入らない限り、孤立無援の中で一人静かに死に往くだけだ。

 

「どうした……」隠岐奈の笑みは消えない。「……動きが鈍いぞ。案ずるな……『弾幕』なんぞここにはない……ひと思いに殺ってみろ」

 

 手足と体の動きが完全に奪われ、かえって意識を集中させる余裕ができたのか、露骨にも瞳術使いを前に「瞼の裏を見つめながら」滑らかに喋る。挑発的にも聞こえる物言いに何も思わず、感じることもなく、無言のままに樹木を蹴って飛び出した。

 隠岐奈の傍に一瞬で移動、穴の開いた腹部に掌が触れる。何かを掴むように指を曲げると、腕を後ろに引いた。紫がかった半透明の塊が体から引きずり出されていく。

 

「これは……」

 

 己自身から出てきたソレを映して数秒後、体の力が急に入らなくなり、尋常ではない倦怠感と眠気が同時に隠岐奈を襲った。オビトの手に吸着した塊が外へと出るほどに強まり、意識が遠のいていく。時間が経つほどに容態は悪化するばかり。

 人間道・吸魂の術。輪廻眼の基本七通りの術が一つで、生き物に宿る『魂』を強制的に具現化させて引き抜く。失った者はその時点で死亡する。肉体や精神を物理なり幻術なりで粉々に破壊して切り離さずとも、直接的に引き千切ってしまえば人外の強みも意味をなさない。奪い尽くした後に別所へストックすれば浄土にも往かない。

 一対一で対抗するには同じ輪廻眼か、綱引きの要領で力一杯に引っ張り返すしかないが、引き抜かれるほどに力も抜けていくため、その機会を一度でも逃せば立て直しは絶望的となる。仲間とする二童子の影も形もない状況では隠岐奈に助かる道はないと思われた。

 

「もう、間違い、な……」

 

 恍惚とした表情。甘い吐息と共に鉄臭い血が溢れ出る。痛みも苦しみも忘れさせる狂わしが脳裏を満たす。

 薄れ往く意識の中、凍てつく視線を突き刺す本物の姿を想像しながら、魅入られたように耳を澄ませる。大切な言葉を聞き逃さないように。二度とない音色を聴きそびれないように。勿体なくも途切れさせて無に帰さぬように。旧く醜くもひと際に輝かしい舞台の上で、摩多羅は面白おかしく嗤い続ける。

 美しく汚れた多面が露わとなる。人の形をした肉塊が、仮初の器がびくんと震える。瞼がかっと見開かれた。

 

「嗚呼。応えてみせるとも――我々が統べるは真なる秘匿――陽の光も浴びぬ者共が這い寄るには好い機会だ!」

 

 消え入るような弱々しさの欠片もない声色。オビトが突如として隠岐奈から離れた。三分の二以上は抜けつつあった動きがピタリと静止、その隙に器たる体へと魂を引っ張り戻した隠岐奈。満身創痍の肉体でろくに動けず、外道の縛りで能力も封殺されていた本人だが、瞳術が解除されて自由の身となったようだ。

 慈悲だの何だの理由ありきで解いたり、チャクラが尽きて解かれたり、二童子が間一髪で助けに入ったわけでもない。何もない場所から湧いて出て、隠岐奈の体に刺さった外道の棒を引き抜き、眼下の森へと放り捨てたのは何者か。急襲を察知したオビトが反射的に距離を取り、能力を戻した隠岐奈が力づくで樹木を振り解く原因を作ったのが何者かは、数々の人間や妖怪と出遭い、稗田家の資料を何度も読み込んだオビト自身にも思い当たる節がない。何故ならば。

 

「オビトよ」縋るような声。「まさかとは思うが……」

 

 見た目だけでは判らないからだ。誰にも判りようがないからだ。露わにした姿は小さな人型を模るだけで、顔も体も塗り潰され隠されている。口もなければ眼もない。隠岐奈にまとわりつき、赤い液体の代わりに体中から漏れ出す、どろりとした何かと同じモノだ。

 陽の下にも黒はあるが、闇の中には黒しかなく、人や物も全てが黒に染まるしかない。常識的な人々が蓋をして隠す恐怖の根源が花開き、得体の知れない視線を一斉に向ける。華やかな舞台の裏側に棲みつく者達が一堂に会したのだ。様変わりした姿を晒しても隠岐奈の表情は一切変わらず、溢れ出していた血もいつの間にか消えている。衣服の破れから覗く肌も綺麗で傷跡一つない。

 

「……夢でも見てるのではなかろうな? 見殺しにしたあやつが、本当はどこかで生きていると。元気一杯に舞っているか、ぐーすかと呑気に寝ていると。信じたくはないがね、せっかく拝んだモノがいま失せるのは口惜しいのだ。どうか安心させてくれ……」

 

 不気味な高笑いを合図に、隠岐奈の縛りを解いた人型、生れ落ちた二体分も同時に動いた。目にも止まらぬ速度で飛び回り、発生した烈風と竜巻が辺り一面に蠢く樹木の群を吹き飛ばしていく。意志を持った生物のように襲い来る樹木を、怪力無双で片っ端から粉砕しながらオビトに迫り、咄嗟に振るわれた外道の武具を叩き折った。すぐに投げ捨てて動きを洞察眼で見切り、振り向きざまに三体目を大槍樹で仕留めんとするも、刺し貫いた瞬間に体が霧状に変化して掻き消えた。

 例えるなら『鬼』のような二体目、『吸血鬼』のような三体目はともかく、化け物染みた速力を発揮する『天狗』のような一体目の動きは、忍の足腰と感覚から繰り出す瞬身と写輪眼でも完全には追い切れず、躱し損ねたオビトの右肩から鮮血が迸った。頼りない鎧をまとう度に鬼の怪力が打ち壊して、その隙に一体目が死角から入り込むの繰り返し。右眼による実体分離ですり抜けることも叶わない。なぶり殺しだ。

 

――主な原因は隠岐奈。黒い何かを目にした直後に襲った、二童子の比ではない精度の干渉と圧は途切れる気配がなく、輪廻眼の瞳力で抑え込みながら立ち回るしかない。洞察眼と感知に加えて、外道の術にも意識とチャクラを常に割きながらでは、三体分の『妖怪』もどきによる絶え間なき猛攻に対処するのは骨を折る思いだった。

 ひとつ前の輪廻眼では万華鏡の瞳術を扱えないため、瞳力を適宜に切り替えて対応していたが、この状況で引っ込めるのは論外だ。大雨が降りしきる中で笠を外せば濡れもする。否、この場合はさらに厄介で、水中に体が沈んでいると言ってもいい。六千億枚分の起爆札による爆発が十分以上も続く中で右目を閉じても結末は変わらない。隠岐奈の能力を食い止める輪廻眼を一瞬でも解けば最後、すり抜けどころかチャクラの練り上げが封じられ打つ手がなくなる。一人一つで合間に交代を挟んでいた二童子の時ほど優しくはない。

 

「『神羅天征』」

 

 オビトを中心に円形状の斥力が発生、三方向から迫った黒い物が攻撃ごと吹き飛ばされる。引と斥を操る天道も不出来なものだが、遠ざけつつふらつかせるには事足りる。三本分の螺旋が轟音と共に舞い上がり、宙を漂う三体を大槍樹が貫くと、続けざまの印で体内から串刺しになる。霧化して物理攻撃を受け流す一体は逃れたものの、他の二体は沈黙してピクリとも動かない。

 赤い眼が走った。左目の洞察眼で動作を見切り、再び生成した外道の棒を打ち込む。能力を封じられて霧化もできない体に二発目の大槍樹を食らい、撃ち落された鳥のように落下していく。

 

「どうだ」隠岐奈は眺めるばかり。「芝居にしかならん人形劇よりは退屈せんだろう。血生臭い時代に我々が危険因子として処理した奴らさ。自我も心もない残りかすだが……我が力を以って忠実かつ有用な駒に仕立てた。妖怪としての力と凶暴性は、今の小奇麗な時代の連中よりも上だよ」

 

 規律ありきの勝負ごとが広く浸透するより以前、楽園に住む人や妖怪達は争いのない平和な世を謳歌していた。だが妖怪は人間を襲う生き物であり、それ自体が存在意義でもある。争いを捨てることは妖怪としての力を失い、自らの存在をも失うことに他ならない。平和が仇となった歴史的な大事件も実際に起きている。

 隠岐奈が消しかけたのは『吸血鬼異変』よりも遥か昔に暴れ回っていた、血に飢えた野蛮な連中の暴力的な部分。人間との距離が近しい現代の妖怪とは異なり、遊びも冗談もなしに本気で殺し合っていた頃の旧き本質。喰らうべき人間を引き裂くための純粋な力だ。能力よりも『妖怪』らしさに特筆すべき点があるのは、辺境の花畑に住まう元妖精にも通じるところがある。

 今日では旧時代の遺物と成り果てた定義や概念でも、殺意と殺意がぶつかり合う野蛮な戦いの舞台には相応しい。隠岐奈が自前の能力で再現して形にした物だ。

 

「さっきも言ったがね。私からすれば人間も、それ以外も似たようなものだ。そこに魂があり、体か心かの違いがあるだけ。作りも簡単だ」

 

 全体を噛み砕いた後、さらに砕いて磨り潰した言い方をするなら、肉体と精神が混ざって形成された器に魂を入れた物が『生き物』である。違いがあるとすれば、人間は形ある肉体を命の拠り所とし、妖怪や神霊は形なき精神を拠り所とする。

 生命と精神が引き起こす事象、つまり力にのみ着目して、生き物の『個』を決定づける自我や心などの部分を不要と位置づけるならば、母体だの畏怖心だのを用意する手間暇もなくして、それを一から作り出すこともできる。元となる生命力と精神力が欠片でもあれば、「生き物と見なせる程度にまで高める」ことにより、いわゆる『もどき』が生れ落ちる。

 どこかの造形師が神仏の御神体を作って神霊をも生みかねないなら、隠岐奈は妖怪をも作りかねない能力。幻想郷においては特別な意味を持ち、スキマ妖怪と共に一世界を裏から支える賢者の力は強弱や大小だけでは測れない。妖怪の在り方を根底から覆す瞳力とはある意味で対極に位置する。

 

「どんな能力も使いよう……奴らが師と呼ぶだけはある」

 

 生物としての要素、僅かな残滓を基に生命力や精神力を操作し、必要な調整を施すことで疑似的な生命体を創造する。魂を持たず自我も心も内在していない、戦うための『力』だけを具象化させた代物だ。

 似たところで言えば、陰陽遁による六道の万物創造。不都合な事象を夢に書き変える瞳術・イザナギの元となる力でもある。無から形を作る陰遁、形に命を吹き込む陽遁――これらを用いて生まれた生命体と聞いて、真っ先に思い浮かぶのはやはり尾獣だろう。一から九までの尾獣は全て、神樹に宿る莫大な自然エネルギーを人為的に作り変えて生み出された。性質はともかく仕組みは重なる部分も多い。人と同じように心を持ち、言葉を話すか否かの大きな違いはあるが――。

 

 陰陽遁は万物を創り出す力であり、生命や精神力の操作と生命体の創造も使い方の一部に過ぎない。しかしながら、忍界とは異なる法則や事象の下で動く世界の、人ならざる者が振るう能力に常識も何もない。これまで散々と目の当たりにし、思い知らされてきたように、慣れ親しんだ常識はほとんど、それこそ参考程度にしか役立たないと言い切ってもいい。全ての忍術の始祖にあたる『六道の力』とは異なる進化を遂げた同等以上の能力、などと見なしても大げさな反応にはならない。見方と解釈次第では大筒木にさえ匹敵する可能性もある。

 

(…………)

 

 絶えず背後から感じるざわつき。渦巻く気配が今まで以上に強まり、酷くなるばかり。振り払うことはできず、終わりを迎える時まで消えることもない。

 外道の術を解除できない以上、右目は輪廻眼を使い続けることを強いられる。この状況では致命的だ。どちらかと言えば、万華鏡の瞳力を欠く方が制約は大きくなり、戦術が狭まるのは間違いない。こういった時に不便なる言葉を使うのだろう、十尾の人柱力だった頃に味わった苦悩と鬱陶しさが蘇る破目になるとは皮肉が効いている。

 瞳術使い以前に忍だ、戦いにおいて瞳術一辺倒だった時は一度もない。ひとつの術や技に頼り切りの立ち回りで生き延びられるほど忍の世は甘くない。それでも有効な戦術が一通り、たった一枚の手札に限られてしまえば、馬鹿の一つ覚えのような芸のないやり方に傾倒する時もあるだろう。此方に来てからも一度や二度ではなかった。厄介な可能性が頭をよぎった理由は一目瞭然。

 

「ここまでとはな……」

 

 辺り一面に散らばる樹木の残骸、見渡す限りに広がる樹海。そしてもう一つ。

 否、二つや三つ、十や二十どころではない。軽く見積もっても百を超える妖怪もどきが、その数を増やしながら視界を一杯に埋め尽くしつつある。手傷を負いながらも何とか撃破した三体を遥かに上回る軍勢が、摩多羅隠岐奈一人の手によって簡単に生み出されていく。垂れ流される黒い物質は止まる気配がない。

 幻想郷に住まう本物の妖怪や神霊達とは違う。量産型白ゼツのような同一の外形のほか、生き物としての魂の有無、『程度の能力』と後ろに付く何らかの固有能力を振るうわけでもない。肉体を破壊すれば止まりもする。その一方で腕力や速力など、妖怪としての並外れた身体能力は完璧に再現されており、烏合の衆なる言葉が当てはまらない。使用できる瞳力とチャクラに制限がある分、十尾の分裂体共を相手取るよりも遥かに脅威的な状況に陥ったと言える。

 量と質を併せ持つ大軍勢。飢えた人型共はあちこちで蠢き、凄まじい重圧が体に負荷をかけ続ける。

 

「あらためて問おう、オビトよ」

 

 ことのほか静かな声が聞こえた瞬間、黙り込んでいたオビトの目が大きく開かれる。大群の後ろに隠れ潜んでいたはずの、隠岐奈の姿がいつの間にか目の前にあった。椅子に座ることなくふわふわと浮いている。近くにいたからハッキリと耳に入ったのだろうか。

 

「『夢など見てはおるまいな』? 失った物が戻るとでも思っているのか? 今のお前が」

 

 隠岐奈はじっと無表情で見つめている。愛情も狂喜も嘲笑もない。一度として見せなかった感情が表れたのだ。

 オビトの様子は変わらない。変わりようもない。ただ、目論み通りに溢れ出したモノに覆われるばかりのオビトから、少しばかり違う感情が一つだけ、ひしめく殺気のほんの僅かな隙間を通り抜けて、間に割って入るように進み出たのは事実だった。

 

「……思ってなどいないさ。夢なんぞからは覚めている……とっくにな」

 

 今となっては飽きるほどに思い返した。暗示のように言い聞かせたり、人前で偉そうに誇らしげに語るべきことでもない。気まぐれかも判らない問いかけにあえて、クソ真面目にも向かい合うならば、このように答えるだろう。現(うつつ)の世を否定し尽くし、偽りの夢に溺れていた頃の『マダラ』など、この隠岐奈の前にも居やしないと。

 だからこそ同じように、目の当たりにしたある一つの現実を受け入れていた。認めたくないからと目を背けて、抑え切れぬ激情のままに己を見失い、手を下した本人に刃を向けたのではない。他ならぬ己の意志で毅然と選び進んだ道だ。

 

 受け入れていたことだ。この現実ははっきりと解る。

 

 失われ往くものならば。まだ少しでもそこにいるならば、その手をしっかりと掴んで、引っ張り起こすことができる。だが手を掴まなければ、伸ばしさえしなければ、何もできないのだ。背を向けて去り往く者に待ったをかけて、立ち止まらせることもできない。

 

「あいつは……」

 

 秦こころ。感情豊かで騒がしい、お調子者の面霊気。

 今さっき隠岐奈の――否、この手にかかって失われたのは、かつて掬い取ったもの。守るべきものを守れもせず、みすみす見殺しにしたという物言いは、正論以外の何物でもない。何も間違ってなどいない。結局は誰かを天秤にかけたのだ――他の誰かの手から逃れたいがために。己が助かりたいがために。

 摩多羅隠岐奈。彼女を前に非情になり切れることができていれば、結末は今と違うものになっていた。平穏な世界に暮らす妖怪達、彼らを見守る側に立つ者を、『殺すべき敵』として殺めることができなかった。手を伸ばすことを最後まで躊躇ったせいで、あの少女を犠牲にしてしまった。これならいっそ、ありがちな人質にでもしていたなら――。

 

(――…ッ!)

 

 ここは地獄ではない。月の眼はどこにもない。望んでいた者もいない。どんなに大切に思っていても、失ったものは永遠に戻らないことを知っている。無情な仮面とは何もかもが違った、豊かすぎる感情の数々を侍らせ踊らせていた、あの姿はもうどこにも居ないのだ。

 だが、まだだ。見失いはしない。この命に代えても。成すべきことを成すためには、もう一つ。

 

「お前は邪魔だ……隠岐奈。どうあっても消えてもらう」

 

 聞き分けのない輩をねじ伏せて引き込むために。幻想世界を護るための手足へと変えるために。動かすべき駒とするために。隠岐奈がどのような目的で立ち塞がるかなど、今となってはどうでもいい。摩多羅隠岐奈なる怪物をいかなる形であれ退け、この場を生き延びること以外に道はない。代えるべき命まで潰えては、もう二度と。

 灼熱の業火が吹き込む断崖絶壁を背にした状況でさえ、理解も常識も超越した力を平然と振るう輩から見れば、燃え往くには遠く及ばない遊びか何かに過ぎないのだ。かくも人間と人外の差は開いて止まないのだろうか。

 

「近くて遠い」隠岐奈の目が鋭くなる。「やはりお前と私が守りたいものは、似て非なるものだ」

 

 二度目の合図は瞬く間に下る。百を超える軍勢が一斉に飛び出し、樹木の群を掻い潜りながら迫り来る。逃げ場はどこにもない。

 命が燃ゆる。精神が高ぶる。踏み込みと共に幹が取り巻いた。乾いた音を立てて至る所が隆起、実るように膨れ上がると、瓜二つの姿が次々と樹に足を着けていく。オビトを引き裂かんとした四体分の妖怪もどきは、止めに入った四人のオビトに動きを妨害され、間もなく体内から樹木に貫かれて散った。樹から生成された分身達は一斉に足場を蹴る。

 

 木分身。木遁を用いた分身の術で、数ある分身の中でも精巧さは影分身に次ぐ物だ。己のチャクラを等分割しない分、術者の姿と中身を丸ごと「写し取る」ことはできず、実体も独立した意思も持たないが、常に本体とリアルタイムでチャクラのやり取りができる一番の違いがある。

 その性質上、畜生道の口寄せ輪廻眼と外道の術を組み合わせた死体や死骸の遠隔操作のように、本体と連動させて術や技を「使わせる」ことができる。外道の棒を仕込んで送受信の精度を高めれば、交信の速度と動作の精密性は通常の木分身を上回る。さらにそれ自体が高い耐久力を持つため、数と戦力を増強する用途でばら撒くなら最も使いやすい。よほど大量に作らなければチャクラの燃費も優る。

 磨き上げられた腕力と速力。身体能力の極致。ややこしい能力はほとんど抜きに、真正面から叩き潰さんとする荒くれた連中だ。厄介なことに一体一体の質にも抜かりがない。消えやすく多量のチャクラを使う影分身よりも、少ない消費でより戦闘能力に特化した物をぶつける方が事は優位に動く。ふざけたような軍勢の前では選択の余地がなかった。

 

(このまま……)

 

 戦闘にしろ普段使いにしろ、右目の万華鏡は湯水のごとく使用する瞳術。十八番が一つ使えないだけで持ち札を何枚か捨てる破目になった。逆を言えば、最も多用する術に割くチャクラを遠慮なく他に回せる。木分身は連動させる数に比例して負担が増加、本体と分身ともに使用できる術は限定されるが、おかげでそれなりの数を出しても特に負担も支障もない。扱える術をこれ以上に欠いても、この手勢では状況が不利になるだけだ。

 物量に圧倒されて焦り逸った瞬間に結末が決まる。殺すべき敵は人型の大群だけではない。今まさに接近した姿がそれだ。

 

「あえて言おうか。お前に敬意を表してね」

 

 オビトの掌に穿たれる穴。光をも吸い込むような物質が生まれ、歪みなき真円が形成された。長い棒状に変化したソレを握り締め、またもや手にした薙刀と打ち合い、二人は至近距離で睨み合う。淡い石竹色に発光する刀身が、愉快げに口元を広げる隠岐奈の顔を映した。

 外道とは異なる黒い棒。オビトが繰り出す未知なる術の数々に関心は向けつつも、取り立てて反応を示さなかった隠岐奈の目が、初めて興味深げに細まる。

 

「私のこの目に映るのは、その身を寄せ合う者共の受け皿となる楽園……そこに在る『妖怪』という概念そのものだ。お前の言う『何者か』なんぞじゃないのさ」

 

 名前や外見、能力や性格ひいては性質。生き物を個別的に分けて指し示す数々だ。その者をその者足らしめる独自かつ特有の要素、物事の判断材料となる情報とも言える。

 列挙し始めるとキリがないが、たとえば『隠岐奈』や『オビト』と名を聞いただけでも、それを知る者になら誰を指すのかは忽ち判る。『金髪の狩衣』や『黒髪の装束』、『後戸』や『忍界』、『扉』や『写輪眼』、『神霊』や『忍』などの事細かで具体的な要素を次々とつけ足していけば、より確実に個人を判別できる。逆に一つでも欠いたり差異があれば、人によっては別人と判断する可能性があり、悉くを欠けば同一の人物とは見られず認識も受けない。常識的な人間は元より、非常識的な数多の妖怪や神霊も皆一様に、これらの要素を以って呼び分けている。

 

「どうしてか分かるか?」隠岐奈の目が光る。「それさえあれば事足りるからだ。一世界を存続させるためにはね」

 

 彼女に見る例外もある。幻想世界の創造主であり賢者の一角として、他にはない特別な椅子に座する者は常に、広く見渡す目を以って世界を映している。重要なものは個人を指し示すものではなく『妖怪』、正確に言えば『人外』、より厳密には『非常識的な人や事象』という全体的な観点。そこから様々な物事を考えて判断する。

 

「非常識と常識、幻と現、内と外……双つを明確に分ける境界線と、形作られる楽園、そこに暮らす『種』としての定義や概念があれば……どこの誰がどうのこうの、なんて無価値で無意味でちっぽけな話なんぞ、在るべき世界の形を守るためには役立たんのだよ」

 

 優雅にしなやかに、流れるような薙刀捌きでありながら、どこか不格好で滑稽に見える動きで何度も積極的に打ち込む。

 刀身が美しい軌跡を描く度に衝突、大胆で好戦的な主張を受け取るばかりで、傍から見ればオビトの防戦一方。最初に交えてから元の位置を動いてもいない。完成形に近づいた薙刀に曇りも歪みも生じないように、オビトの手にある黒い棒も形状を変える様子はない。

 

「『秦こころ』……あれもそうだった。名だの外形だの、個を指し示すものなんてのはお飾りだ」

 

 瞬きもせずに視線を捉え続ける隠岐奈。瞼の奥には消えず、試すような口調を隠そうともしない。

 

「付喪神でも面霊気でもない。楽園を機能させるための、歯車。我々にとっての常識……外界にとっての非常識的な世界を構成する要素の、ほんの一欠けらに過ぎない。『妖怪』さえいれば代えは利くのだよ。いくらでもね」

「高をくくった訳か」オビトの手に力がこもる「皆を支える側にいる、お前が……」

「馬鹿者め。そんなだから欲しくなるんだ」

 

 何もない無情に混じり、僅かに覗いた苛立ち。一振りと共に強烈な一閃が走り、打ち込んだ反動で距離を取る。

 切っ先に収束する霊力の渦。妖力に魔力、気力と複数のエネルギーが乱雑に繊細に、急速に寄り集まり、ビリビリと空気を振動させた。オビトが足裏を蹴ると同時に、隠岐奈の脇を何体もの人型が通りすぎ、獰猛で狂暴な本能を剥き出して襲いかかる。

 幾度となく炸裂する挿し木、切り裂かれ力なく落ちていく肉片。身構える姿を狙って射出される何本もの黒い棒。殺意を乗せた一撃が隠岐奈を捉えた。

 

「……!」

 

 いつの間にか現れた妖怪もどきの一体が、視認した瞬間に姿を消した。何かが触れた感覚、痛みが遅れて走り、深々と生じた傷から大量の鮮血が噴き出す。

 呼吸が止まる。視界が揺らぎ、意識が分散する。体勢を崩したオビトの隙を突くのは容易く、鬼の拳が咄嗟にまとった鎧ごと叩き割り、後続した二体分の一撃と共に地上へと向かった。「さあ」と待っていたかのように芝居がかった声を響かせる。

 

「これもまた我々の一面だ。我が面を叩き壊され、大切なものを失い、どこまで私を殺めてくれる? こんなもので終わるな、失望させるな――お前を全部出してみろっ!」

 

 得体の知れぬ多面。星の数ほどの感情が蠢き、逸れた表情が切り替わる。満を持して開演した舞台、幻想的とは縁遠い明かりが照らす真ん中で誇らしげに天を仰ぎ、観客も拍手もない中で不愉快にも愉快に両手を掲げた。

 不可思議に輝く薙刀が、大それてふわりと振り下ろされる。とても謙虚で酷く傲慢な根源の正体が扇状に迸り、色彩を壊し尽くす光が辺り一面を満たした瞬間、降り注いだ巨大規模の閃光が群を成して眼下の樹海を呑み込んだ。生命も精神も無に帰する力が地上を駆け巡り、敵味方も無差別に消し滅ぼしていく。生命力に満ち溢れていた大地は枯れ果て、無常な瓦礫と成り果てた残骸の山々さえ死に絶えていく。後戸より一片も残さず失われていく。

 

「強かで便利なだけの駒なら……とっとと丸め込んで終幕でいい。『テスト』なんぞ端から要らんのだよ。うちはオビト」

 

 ぽつりと紡がれた独り言。美しい貌に儚げな表情で、隠岐奈はすっと目を閉じる。

 常識の外にある妖怪共で代用できる強大な力、できないであろう稀有な力。できるはずもない唯一無二の能力。そこに着目するならば、さらに優れた適性を持った候補も過去にいた。かつて幻想世界に踏み入り、生きながら死んでいたもう一人の異端者は、畏怖も無理解も根底から覆す瞳力やチャクラも含め、ほとんどの面で上回っていたものだ。無念にも行動を起こす前に出不精が手を打ち、幻想世界に住まう何者の手も届かぬ彼方へと去ったが――異様に共通点が多く、不自然なほどに似通った当該人物が再び姿を見せたのは、幸せを呼ぶ白兎の手にさえ負えぬ幸運の極みだった。

 

 人々の心から生まれる妖怪や神は、形ある外面よりも形なき内面を見る生き物であり、人間よりも遥かにそれらを視通す能力に長けている。竹林の兎や地底の覚が分かりやすい例だろう。妖怪達が常識の世界から追い出されて以降も、外界を支配する現実の力が膨れ上がるほどに、そういった人外らしさを含めた幻想の力も強まり、拍車をかけるばかりだ。

 ゆえに初めから視えていた。様々な側面を擁する摩多羅には、秘匿された真実が手に取るように解った。言葉を交わさず、刃を交えずとも、顔を合わせるだけで。お人好しを地で往く温かさを含んだ陽の光、無慈悲を地で往く冷徹さを含んだ陰の闇、まるで「異なる二つの心を併せ持つかのような」表情。喜怒哀楽の感情ならともかく、ひとつの体に複数の心が宿るはずもなく、分別だの二面性だの多重人格だのと呼ぶのも的外れ。どちらでもあるという弱みであり強み、欲したのは他ならぬ『うちはオビト』らしさ。『闇黒』ともじった此度のテストを実施した本当の理由だった。

 

「この気持ち、解らないだろう? それでいい」

 

 不合格を望んでいた本人の希望を叶えるのは簡単だ。面霊気の終わりを目の当たりにした時、敵に向ける殺意どころか敵意も、戦意も綺麗さっぱり喪失した腑抜けに成り果てること。大事なものを奪われてもなお情けや慈悲を考える、甘ちゃん坊やか臆病者だったなら、今頃はとっくに後戸の国より放り出して幕引きだった。その結末に正しさや美しさを認める者がいるように、醜悪で誤った茶番と切り捨てる者もいるという、どこにでもある話である。

 一世界を代表して見守る立ち位置の者同士、目的を同じくする『賢者』とて足並みは必ずしもそろわず、考え方や行動原理はバラバラで派閥もある。傲慢で目立ちたがりな秘神が好むものは境界の賢者とは真逆。敵どころか味方でもある輩に対する、明確なる殺意を生じさせた直接的な要因もその一つだ。

 要たるは楽園を置いて他にない。そのために役立ち、多くの益を生む諸々が、少ない代償を投げ打つだけで手に入る。賢者の一角として幻想世界をよりよき先へと導けるならば、これも一つの必要な選択だ。

 

「もう少し……後ろを歩いていれば、よかったのさ」

 

 隠岐奈の目が開いた。独り言と思われた声は他でもない、あの男に向けられたものでもあった。

 失われて滅びたはずの姿がある。殺風景だった時よりも広々とした更地と化した地上に、何かがぽつんと一つだけ見える。背の高い人間一人を優に包み込む大きさの黒い球体だ。

 

 隠岐奈が降下しつつ指示を出すと、周りに侍らせた人型共を一体、また一体と飛ばして黒い球へと向かわせる。生物も無機物も関係なしに消し去る光を受けて、樹木も瓦礫も何もかもが跡形もない中、破片どころか丸々無傷で残されていた物の正体を探るために。内側にあるものが何かは心当たりしかないにしても、気配が感じられないのは奇妙なものだ。

 異様にも人型共が「消えていく」。誰かにやられたわけでも、隠岐奈が自ら能力の制御を解いたわけでもない。球体に到達して触れた者から順に、その姿も霊力も気配も痕跡さえ残さず、吸い込まれるように失われていく。何もなかったかのように無へと帰っていく。

 

「…………」

 

 果実の皮をナイフで剥くように、黒い球体の表面が少しずつ剥がされていく。じっと眺める隠岐奈の顔には疑問も恐怖もない。むしろ緊張が一気に消えたようで、ほっと安堵した表情だ。『本物』をぶつけたのは隠岐奈も同様。

 やがて中から現れたのは、勝ち気な総領娘の帽子のアレから生まれた何とかならぬ、裸ではなく分厚い黒衣をまとった姿。膨大な物量と質量を誇る樹海を丸ごと吹き飛ばす――否、拭い去る光を浴びて傷も付かなければ、隙間なく包まれていた人間が五体満足で立っているのも当然だ。『鬼』を再現したモドキによる拳の直撃を何発も受けて、無傷では済まなかったようだが、体を保護する物がなければ命潰えていただろう。

 

「まだ、だ……」

 

 足元を赤黒く染める血。分解した球体は反物状に変化、くるくると巻いてオビトの手に戻る。細長く伸びて先端が広がり、大きな笠にも似た形状に。肩で息をしながら掌を向ける。

 

「オレには……やらなきゃならないことが、あるんでね。それまでは、まだ……」

「殊勝だな」微笑む隠岐奈。「まったくその通り、お前は私とともに歩む運命にある。こんなテストごときで死なれては困るな」

 

 視線を上げたオビトの右目が見開かれる。隠岐奈の体が突然に浮き上がり、勢いよくオビトの方へと向かっていく。自らの意志で飛び出したのではない、強烈な引力に巻かれて引き寄せられたのだ。

 振り解けない様子で目の前にまで接近する。その姿を打たんと振るわれる直前、割って飛び込んだ数体のモドキが盾となり、隠岐奈はそれを足場に外側へと逃れた。代わりに触れたモドキは丸ごと消失、同時に攻撃を仕掛けた二体も後を追う。

 隠岐奈は体勢を立て直しながら黄色の光弾を連射、凄まじい速度で撃ち込まれるも、やはりモドキの二の舞、三の舞を演じるのみ。だめ押しで放たれた青白い熱線も、笠の表面に触れるや否や吸い込まれるように無力化された。「ほう」と感心した声を上げてオビトを見る。

 

「まだまだ元気なようだ。当分は死にそうにないな……安心したよ」

 

 打ち倒す以前に触れもしない。様々な種族を再現した手駒や自前の技も通らない。兇悪な暴れ妖怪や神霊を仕置きするための、渾身の大技でも仕留め切れなかった時点で、それ以下の手札を悉く捨てさせられたはずが、オビトの容体を心配するばかりで気にする様子もない。薙刀を振り下ろした直後の方が焦りは見受けられた。

 摩多羅として神格化された神霊であり、賢者の名を持つ隠岐奈とて知らぬことはある。どこぞの星に在る未知の異界に精通せず、するはずもない点は他の者と変わらない。あの異変の中心人物となった外来人が保有する、能力の数々を詳細に把握し尽くしているわけではない。

 オビトが口を開かないのは、ご親切に教える気がないのも理由の一つ。隠岐奈も馬鹿正直には問いかけず、気にしてもいなかった。ひと際に特異なものが出てきても、本人の意識は相変わらずオビトに向いている。

 

(…………)

 

 ほんの僅かな油断や沈黙が命取りとなる。隠岐奈ほどの手練れでは殊更に実感せざるを得ない。致命傷を避けたとしても、動けなくなるか意識を失えば終わりだ。

 隠岐奈の強すぎる能力を右目で抑え込みながらでは消耗が激しく、無茶を強いて自ら限界を引き寄せるようなものだが、長引かせるより短期決戦で臨む方が好ましい現状では最善の選択。死を先延ばしできる上に体力とチャクラも温存できるのだ。全力でぶつかりに行けるのはある意味、唯一無二の救いと言える。

 

(潮時、だな。だが……)

 

 豊かすぎる感情、騒がしい無表情。脳裏にぼんやりと浮かぶ数々。宣言通り「終わらせない」時が来たようだ。

 

 オビトは早々と飛び出した。隠岐奈は間合いを取りつつ空間を指でなぞり、顕現した何枚もの扉が行く手を阻んで呑み込みにかかるも容赦なく大穴を穿ち、至る所に展開してばら撒かれた無数の光弾やレーザーでも焼き払えず。それ自体が内包するエネルギーを直に操作して無力化を図るも、能力が通らず打ち消された。死角を狙って懐に飛び込まんとしたモドキ達も、感知と洞察眼で動きを見切られ、例に漏れず木遁で始末されるばかり。術者であるオビトは外道の術に守られている。

 風火土雷水、陰と陽から成る『血継網羅』は性質変化の始源。基本となる五つ以上のチャクラ性質を組み合わせた術でもある。五つで全ての遁術を打ち砕き、七つで仙術など一部を除く事象を無へと帰す。人も物も触れるだけで消し滅ぼす陰陽遁が隠岐奈の力を寄せつけないのだ。

 

――求道玉。かつての戦争で十尾の人柱力となり、六道の力を得て発現した能力。十尾の本体が身体から抜けて以降は失われていたが、後に十尾のチャクラを再び取り込んで現出、さらに数年後の事件を境に眠りより目覚めた。

 

 神樹と九体の尾獣がない分、精度も数も以前より劣る。右目の輪廻眼を起点に発動する関係で、すり抜けとは併用できず、戦い方に制限がかかるため、多勢を相手取る場合は不向きでもある。自然エネルギーを元とする仙術の力にも弱い。自然の権化である妖精や、結びつきの強い妖怪の類には正常に効力を発揮しない可能性も視野に入れていたが、どうやら隠岐奈には通用する上に実質的な構図も一対一のままだ。

 隠岐奈から感じる殺意は、戦場を駆け回るために利用するに過ぎない物でもある。再三以上に駒として欲しがる姿勢を見るに、本当に命を奪う気はないのだろう。二童子を助っ人に呼び出す様子もない。好都合だ。

 

「あの子は死んだぞ」

 

 高らかに繰り返される隠岐奈の声。疾走するオビトの真下に巨大な扉が現出して上昇、群がるモドキ諸共に丸呑みにした。その扉をもう一枚の扉が呑み込み、さらに別の扉が呑み込むを繰り返して止まず、何枚もの扉の層が幾重にも重なり押し込めていく。

 

「肉体を壊した人間は戻らん。精神を壊した妖怪も、過ぎ去った時もだ。私を殺しても、お前が死んでも、行き着くところは同じ……このまま続けることに意味があるのか?」

 

 命乞いにも聞こえる台詞に反して、声色は淡々としており、口元には無感情な笑み。両腕を伝って流れ出す黒い物に疑似的な生命が吹き込まれ、どくんと脈動して体に覆い被さり、肩から指先まで穢れなき純白色に染まる。橙色だった狩衣は白無垢にも似た色彩と形状に変化し、手にした薙刀の刀身が淡く輝いた。

 何もない空間に亀裂が入る。突き破って現れたオビトは一直線に進み、陰陽遁に触れないよう立ち回っていた隠岐奈も一転して近づいていく。二人は至近距離にまで迫り、棒状に変化した求道玉が白染めの刀身と打ち合った。

 

「知った口も叩ける。復讐なんぞで動く奴でもなければ、負の情とて抱きようもなかろう」

 

 事象を喰い滅ぼす陰陽遁も、それを扱うオビト自身を討つことはない。雑にでも仮説を立てた隠岐奈は瞬時に、扉を介して試験的に集めたオビトの力を元に、最も近しいと仮定した情報を整理、自分なりに精査して計算式を導き出した。採取した欠片に宿る生命力と精神力を必要な分だけ操作して最適な調整を行い、自分の能力に組み込んで現出させることで、血継網羅の求道玉と似通った紛い物を再現したのだ。

 本物とは程遠い粗末な物。性質変化の特性も何も内包せず、触れても埃一つさえ消えぬ代わりに、身を護る盾としては機能したようだ。オビトは一閃を防がれてもなお、顔色を変えず反応も示さない。

 

(意味ならある)

 

 摩多羅隠岐奈とこころ。二人の関係性は不明瞭にも見えていない。秘匿された隠岐奈の正体も解らず、こころの全部を知るわけでもない。

 ぼんやりとなら分かること。何の気なしに口にした、特別なる言い表しはきっと、真実しか語っていないのだ。二人の関係を指し示す言葉として。もう少し早くに判っていれば、面白いものでも見られたかもしれない。

 

「思い通りには……同じにはならないのさ」

 

 望みもしなかった身では贅沢な景色だろう。覗き見る機会もすでになくしている。今一度に訪れたところで、なくすことになる。だが全部を知らないのは隠岐奈も同じだ。口数を増やすまでもない。

 

「想い、か」くすりと笑いをこぼす隠岐奈。「ずいぶん気に入ってくれたようだ。私としても嬉しい限りだが、もう少しさらけ出すべきだな。お前を」

 

 傷を隠してばかりで、心を明かさず振る舞うばかり。そう思える言動の数々は、洗っても落ちない染み汚れであり、善も悪もひっくるめたこれまでが形成した『らしさ』でもある。嘘偽りで覆い隠されたものは一つもない。強情で意地っ張りでも、かっこつけの強がりでも、曲がりくねった道をまっすぐに歩いている。

 秘匿された心を覗き見た者たちは、この人間が考えるよりも多くいる。長きを生きる命とはそういうものだ。

 

「まあ、抑えつけるよりかは、ずっと好いがね」

 

 頭上をふと仰ぎ見てみる。幾度にも亘る舞踏の果てに、醜くも煌びやかな舞台衣裳が消え始めている。引き立て役として侍らせていた無感情の群もすでにない。

 しょせんは紛い物だ。本物に優る道理はない。初めは肩を並べていても、いずれは追い抜かれて、歩みさえ止めるのは必定。役を演じるのに夢中で時間を忘れていたのか、閉幕までは残り僅か。秒針の音が黙した時、短いようで長かった舞台に静けさが戻る。

 腕の一振りで純白の衣は雲散霧消し、細まった赤い目に隠岐奈が映る。隙間風がどこからか差し込んだ。

 

「ワケなんてのは、なくたっていいのさ。思うがままにやってしまえ――お人好しめ」

 

 にやりと明るく不敵に、傲慢な笑顔で元気に、励ますように力強く告げる。

 瞼を瞑って腕を広げると、懐に飛び込んだ黒い球が膨張し、隠岐奈は無の中へと沈み込んでいった。

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