OBITO -廻光-   作:大兄貴

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憩いの里

 今日も多くの人々が行き交う通り。一昔前の古風な木造家屋がところ狭しと立ち並ぶ中、ひと際に存在感を放つ大きな建物。洒落たのれんを掲げる一軒の団子屋の前に人影が二つある。

 

「うーん。困ったなあ」

 

 白髪を鏡餅のように盛った老婆が一人、腰を押さえて「ふぉぉぉ」としゃがれた呻き声を出しながら、もの凄い表情でもがき苦しんでいる真っ最中。血走った目をカッと見開き、汗をだらだらと流すさまは、傍から見ても尋常な様子ではない。その割に座り込もうともせず、直立不動で踏ん張り続けている。倒れたら負け――否、死ぬとでも言いたげに、違う意味で老骨に鞭を打ちまくっているようだ。足元には大きな買い物袋が四つ。

 もう一人は鳥打帽を被った金髪の少女。困り果てた様子で頬をかき、捨て置くつもりもないようだが、なにぶん気迫と表情が無駄に凄まじく近寄りがたい。触れたくとも戸惑わせる。腰が悪いところを除けば、その辺の下手なやんちゃ者よりも覇気と生命力に溢れ、百年どころか妖怪並に長生きしかねないさまは、老人の穏やかで静かな生活とは無縁と思わされる。若かりし頃はとんでもない暴れん坊だったのかもしれない。

 

「ねえ、少しくらい休んでったら? 他の客も少ないし、こっちは全然いいよ。なんなら奥の部屋を使っても――」

「ならんっ!」老婆の一喝が響く。「久々に息子夫婦と可愛い孫が遊びに来とるっ! 今日中にやらなきゃならんことが山積みでなっ! 今日だけは……今日だけはどーしても、なんっとしてでも戻らねばならぬっ! たとえこの命尽きようともぉっ!」

「尽きちゃ駄目でしょ! 可愛いのは分かるけど、まず自分を大事にしなきゃ! 元も子もなくなるって!」

 

 実に多種多様な人間や妖怪が暮らす里。当初は呆れ気味で対応していた少女も、やたらと元気一杯に喋りまくる老婆の影響を受けたのか、すっかり勢いに乗せられている。心配する気持ちはあるようだが、相変わらず気迫に圧されて手も足も出ず、こう着状態で一向に進展する気配がない。

 

「ええぃっ! 嬢ちゃんも将来、家庭を持てばわかるっ! 幸福に満ち満ちた未来を掴み取れ若人よっ!」

「いや私、ようか――…あっ」

「くくっ」老婆の不敵な笑い。「どっこい、息子の嫁は――」

「何を騒いでいる?」

 

 突如として聞こえた声の主は、身内の話を楽しげに語り始めた老婆でも、困惑しつつも聞いていた少女でもない。二人の会話、というより老婆が声高にまくし立てる場に、割って入るように響いた。

 少女は慌てながらも「いらっしゃい」とお客を振り向いた。老婆の腰から不吉な音がしたかと思えば、泡を吹きかねない表情で白目を剥く。

 

「いや~ごめんねぇ、気にしないで……」

 

 音もなく近づいた一人の男。最初に目についたのは、あまりどころか見かけない服装だった。

 里人の服装は大抵、着物や和服といった和装。妖怪は里内で暮らす者、正体を隠すために変装して外から入り込む者などを除けば、洋装か和洋折衷が大半を占める。この人間は和装の分類ではあるが、膝下まである丈、あご下まで覆う広い襟元、指先まで隠す袖にちらっと見える分厚い手袋と、顔以外は肌をほとんど見せていない。里人が着る一般的な物とはかけ離れている。まるで色々な衣服を着こなす外来人のように。

 珍しい客も居たものだと少女が思っていると、団子屋に姿を見せたオビトは怪訝な表情で老婆を映した。

 

「屋根の上まで聞こえていたぞ。何かあったのか?」

「『屋根』?」少女は咳払いする。「あー……いやその、このお婆さんがね、腰を痛めたみたいで。奥で休んでいいって言ったんだけど、今すぐ帰るの一点張りで……荷物もあるのに」

 

 里の人間は普通、地面に足を着けて歩いたり走る。外来人も(おそらくは)同じだろう。翼もなしに大空を飛ぶ妖怪でさえ、里内を歩き回る時は地上に下りる。精々が地面から数センチ、数十センチほど浮遊する程度である。妖精ならメートル単位かもしれない。人間であるはずの男は、どこぞの怪盗や忍者のように建物の屋根や樹々を飛び移って移動するのだろうか。

 変装が得意な怪盗はともかく、忍者であるはずがない。断じてあるはずがない。

 

「そういう事情か。ならオレが送ろう」

「え、いいの? そりゃこっちは助かるけど。貴方は?」

「構わん。用事は済んだ」

 

 ざっと見たところ、大きさと重量、数からして大の男二人か三人で運搬できる鉾、ではなく荷物の量。腰を痛めた老体で持ち帰るのはおろか、手ぶらでも無理だろう。健康体でも一人で持ち歩ける量ではない。人間よりも力持ちである妖怪、チャクラを扱う忍などは片手でも十分ではあるが。

 少女が変に難しく考え込み、まじまじと見つめる中で、腰の痛みに悶絶する老婆へと視線を向けた。しっかりとした声量と滑舌で「なにっ!?」と素っ頓狂な声を上げるほど元気が有り余っているようだ。

 

「ありがたい!」老婆が歓喜した。腰を押さえながら。「いやはや、さすがは我が孫。頼りになるな!」

「ま、孫? 貴方が?」驚いた少女が注目する。

「今日会ったばかりだが」

 

 親指をぐっと上げてウインクする陽気な老婆。顔を見合わせる少女とオビト。

 里に住む人間、力なき外来人ひとりでは完遂不可能な任務。心配は無用と言いたげにオビトが手をかざすと、足元に置かれた荷物が周囲の空間ごとぐにゃりと歪み、発生した渦に巻かれて消え失せた。流れ作業のような展開に少女の口は『О』となり、老婆はにやりと怪しげに笑う。赤い目に黒が戻った。

 それから老婆は「とうっ!」と地面を蹴って跳び上がり、宙でくるりと一回転、オビトの背におぶさる。弱った足腰の痛みなどどこ吹く風と言いたげな身軽さ、奇怪さに面食らいながらも、少女は冷静さを保とうと考える。そして今までの言動が嘘っぱちだったと思いかけたところで、再び老婆の腰から聞こえた嫌な音。さらに困惑する破目になった。

 老婆がおぶさるなり、二人の姿は残像を残して消えてしまった。通りを行く人々の目さえ欺いて。

 

 人と妖怪が共存する幻想郷。癖の強い妖怪が跋扈する一方、齢を重ねた人間も負けず劣らずの色濃さ。もちろん『空間操作』という、地上では稀有な能力を平然と振るう外来人も、物珍しいと言えばその通り。穢れ切った少女は暫し物思いにふけっていた。

 

「騒がしいなあ。隣の建物まで丸聞こえだったよ」

 

 故意か偶然か職業柄の偵察か、似たような台詞を笑い交じりに言いながら、どこからか現れた二人目。我に返った少女の視線が向けられる。

 青色の髪に赤い瞳、愛嬌のある顔つきの少女が近寄り、手を上げて「よっ」と軽快な挨拶をする。良く言えば愛想よく親しげで、意地悪く言えば気安く馴れ馴れしい態度は、顔も知らぬ赤の他人ではあり得ない。団子をよく買いに来る上客か、付き合いの長い友人か――むしろ別の意味で敵対的な関係にあるのか。

 

「なんか大変そうね。どう? 最近の客足」

「はっ」金髪の少女は鼻で笑う。「だ~れに言ってんの? 今月も勝つのはこっち。来月も再来月も、ず~っと私の一人勝ちっ。相手にならないって」

「うぐっ……未来予想図まで描くか。全部勝ってるみたいに言ってさー」

「勝ってるじゃん?」

 

 勝ち負けや優劣は勝負ごとの世界で決まる。相手を負かせて人生の勝利者と成り上がるか、地べたを這いつくばる負け犬と成り下がるか、それは何も美しさや華やかさで雌雄を決する『命名決闘』にのみ適用される定義や概念ではない。血で血を洗う野蛮な殺し合いでも断じてない。

 平和的に繰り広げられる争いごとの一例として挙がるのは、幼子の喧嘩よりも穏やかで、しかし激しく火花を散らし合い、しのぎを削る勝負ごと。真に人気があり、売り上げの優る団子屋は果たしてどちらか、二人は日々競い合っている。

 青髪の少女が自分の店を出てから一分もかからず、相手の狩場へと気軽に足を運ぶことのできる、簡単な理由がある。周辺の人口や立地、利便性など互いの有利不利に影響されず、商売敵を目と鼻の先で挑発し、威圧をかけるために都合の好い場所はどこか。答えは判り切っている。

 

「どうよお隣さん。ぐうの音も出ないってやつでしょ? これが現実」

「でもないよ」青髪の少女はのんびりと見返す。「出るもんは出るさ。団子しかない奴と違ってねー」

「その団子の話してんだけどなぁ~今。逸らした時点で負けですぜ」

「ふっふっふ。じゃあ訊くけど……例えば『今』の人間が誰か、知ってるかい? 見てたんでしょ」

 

 試すような口調で問いかける。勝ち誇った笑みを引っ込めると、金髪の少女は通りの方に視線を投げた。行き交う人々の姿はまばらで、騒ぎの元が消えたからか、誰も此方のやり取りを気に留める様子はない。話し声も足音も聞こえない。

 青髪の少女へと視線が戻る。今度は向こうが得意げで、自慢げな表情を見せる番だった。金髪の少女はじっと眺めた後、どこから取り出したのか、鮮やかで毒々しい色の怪しい団子を頬張り、擬音が付きかねない様子でもぐもぐと味わいながら「うん」と一言。

 

「妖怪っぽさあるよね。化けたら巫女辺りがすっ飛んできそう。年寄りでも容赦なさそうだし……アレ」

「……いや違うから。外来人の方ね」

「へぇ、あの人も外から。足腰のわりに元気だね」

「鼻に串突っ込まれたい?」ボケ倒す同業者を笑顔で威圧する。「前に話したでしょ。というか、都の一件で連絡あったはず。どんだけのめり込んでるんだか」

 

 好物をごくりと呑み込むと、緩んだ表情でにやりとする。帽子と金髪の間から僅かに覗いた白い物が、ぴくりと見せつけるように動いた。

 故郷にいる仲間や友人は、遠く離れていても傍に立っている。ともに日常を過ごす隣人となればさらに近い。だからといって、団子に情熱を注ぐあまり、好きを通り越して傾倒するようでは、その他のやり取りに支障が出るのは自明の理。現時点では調査と収集を緊急に要する物には該当しない、個人的な趣味の範囲に収まる情報とはいえ、この調子ではいつか足元を掬われて転ぶなりし、いざという時の連携の足枷となりかねない。とぼけた態度が冗談でなければの話だが。

 

「そういや」金髪の少女は欠伸する。「あの祭りごと、参加してたんだっけ。上から何か言われなかったの?」

「ま、そこら辺はてきとーに。世渡りは上手い方って思ってるから。考えなしの下っ端どもよりはね」

「逃げ道は用意しとくもんよね」

 

 仲間内でもそれなりに高い地位は、実力だけで掴み取った功績ではない。上からの執拗な追及をやり過ごす手段を用意するにあたり、有力者に取り入るためのパイプは無視できない。というよりむしろ、伴わない実力だけで立ち回る方が非現実的だ。その辺の面倒な事情を熟知する同胞であり、飽きもせずに団子を頬張り続ける同志にも自覚はあるだろう。

 

「んじゃ、他の連中は? 深入りした奴、何人もいたんでしょ」

「そーだね」

「つってもさ。妖怪やら巫女やら、怖いけど知れた奴ばっかだし。力まなくたってどうにでもなるでしょ。冗談抜きでヤバい奴はともかく」

 

 境界の妖怪や博麗の巫女。幻想郷では広く知られた名だ。とりわけあの二人を始めとして、命知らずにも『向こう』へと渡って問題を起こした連中は、お気楽な兎達の間でもよく知られている。平和ボケした兎の大半は、妖怪など怖るるに足らずという思いが行き過ぎて、いっそ攻め込んで来てほしいとまで軽々しく口にするが、ある程度の地位にある者は思慮深く過小評価しない。

 ただし一方で、脅威と見なしていないのも事実。その理由は単純に、地上の人間や妖怪達を知り尽くしているからだ。天地ほどに開いた力の差以上に、知識や情報は絶対的な強みとなる。逆に言えば、無知とは何よりの弱み。現在の惨状が証明している。

 

「ご名答っ」青髪の少女はパチンと指を鳴らす。「情報がなけりゃ、上は納得しない。安心できない。だから知らない奴は怖いし、知る由もなけりゃもっと怖い。目立たず慎重に、それとなーくやれってね」

「……うわ、めんど。勘弁してよ。これ作ってる方が有意義だし。どうせ期待してないっしょあいつら」

 

 地位や役職がご立派といっても、兎は兎でしかない。エリート云々は仲間内で通用する言葉だ。何十年も前にこの地へと亡命した兎は例外としても、遣いのような精鋭部隊と同等以上の手駒など、少なくとも兎の中には居ないと言わしめる。贖罪のために薬を搗く程度の役割だ。

 

「こういう時に楽よね、兎って」

 

 お偉方が期待を抱かなければ、完遂が前提の任務など言い渡されるはずもない。重要度が高いものなら尚更だ。要は形だけの命令系統に過ぎず、何かに繋がるきっかけを掴めれば良し、掴めずとも良し、誰も本気にしていない。不真面目にのらりくらりとかわしたところで問題視されず、責任も問われない。腐るほどある前例通りならば。

 ゆえに二人は気楽に構える。分不相応な振る舞いを見せる必要はないと。面倒で疲れる任務は一握りの優秀な者達に任せればいい、と。同じように考える者ばかりではない、という問題は残るものの、そこから先は他人のやり方に口出しする破目になる。里での平穏な暮らしを守るためにも、上の意向に噛みつく選択肢はあり得ない。

 団子を食べたり、作ったり売ったりと、好きなことを自由にできるのは結局、見逃されているからでもある。月と地上を支配する者達から。

 

「どうなると思う? これから」

「さて」青髪の少女は素っ気ない。「力のない兎は見守るしかない。現実は残酷ねぇ」

 

 しょせんは一組織の指揮系統に組み込まれ、檻の中に囚われた不自由な飼い兎。天上の眼が何を思い、どう瞬くかは判りようもない。吉と凶のどちらが出るか、不明瞭にでも視通す眼があるとすれば、廻る運命を正しい方向へと導く歯車くらいのものだ。

 来たるべき時を待つとしよう。穢土より空を見上げながら。

 

 

――◇◇◇

 

 

 人間の里。幻想郷のほぼ中心に位置する人間達の住処。最も多くの人間が暮らし、危険な妖怪が蔓延る土地においては、心安らぐ唯一の安全地帯と言える場所だ。

 

 名称に『人間』と付いている理由。人が住むだけなら『里』だけでよく、個別の名をわざわざ用いる必要はない。特別な括りを設けるほど例外的な位置づけであるのは、この世界が妖怪の妖怪による、妖怪のための楽園ゆえ。仮に外の世界で妖怪が受け入れられた場合、妖怪の里なる括りで区別されただろう。

 里にも妖怪が住まうように――というよりも、妖怪の世界に人間がいる時点で、幻想郷は妖怪だけの土地ではない。しかしながら、外界における主役であり支配者を人間とするならば、妖怪は幻想郷における主役であり支配者。人間は基本的に支配される側であり、主役を後ろで引き立たせる脇役。そこに違いがあるとすれば、外界は妖怪を含む非常識的な物事が遍く、須らく淘汰されて然るべしと否定する一方で、妖怪の理想郷は人間を含む常識的な物事も肯定する。常識も非常識も、善も悪もまとめて抱擁して受け入れる。

 それは在来の人間だけに止まらない。博麗大結界の外から入り込んだ人間、俗に言われる外来人も例外ではない。人里はそんな者達の受け皿でもある。右も左も分からず、敵も味方も判らない中で、妖怪から身を守るために里を頼り、生きるために仲間である同族を要するのは、ほとんどの外来人が行き着く答えだ。

 

 その中には唯一無二と断言できるであろう、異色の外来人も存在する。似たような理由と経緯を持ちながらも、少しばかり込み入った事情がある稀有な一例だ。

 

「済まぬな。老いぼれの頼みなんぞ聞いてもらって」

「なんでもないことだ。これくらいはな」

 

 白味のない晴天、麗らかな日和。通りをゆったりと行く。

 不出来な飴細工のような脆さの腰に、里一つを丸ごと消し飛ばす(と思われる)巨大な爆発物を抱えながらも、陽気で若々しさにあふれた老婆。オビトの背中に大人しくおぶさり、明るくにこやかに喋っている。

 人ひとりを背負ったり抱えている状態でも、忍の足腰なら走ったり、屋根から屋根へと跳び移って先を急げるが、乗り心地はお世辞にも良くない上、あまり激しく動くと腰に抱えた物が盛大にアートしかねない。十八番となる瞳術で移動するにしても、必要な印づけを済ませていないどころか、足を運んだ機会さえ一度もない。稗田邸や寺子屋、貸本屋などの有名所くらいだろう。本人による道案内が必須となる状況では、時空間でのんびり待機してもらうこともできない。オビトに残された選択肢はずばり、徒歩である。

 

 軒先で談笑する二人の女性、鞠を抱えて家の戸口を覗くおかっぱ頭の少女、友達と独楽遊びに興じる少年のはしゃぎ声。荷車を引く男の鼻歌がすれ違い、すぐ横を何人かの子供が元気に走り抜けていく。今日も里は平和そのものだ。

 

「ときに若人よ。名はなんと言う?」

「オビトだ」

 

 相手が老若男女、人でも妖怪でも神様でも、オビトの接し方に変化はない。自身よりも長く生き、人生経験が豊かな先輩でも、寺子屋で勉学に励む子供でも、訳の分からない人外でも、口調や態度は良くも悪くも平常運転。逸れ者としての生き方が与えた影響でもある。

 それは時に礼儀や常識の欠如と受け取られ、相手方の心証を悪化させかねない一方で、弱みを見せず対等な立場で事を進める時には有利に働く場合も少なくない。表に居場所を持たないお尋ね者、犯罪者達が幅を利かす世界では特に該当する。渦巻く悪意、過剰で一辺倒な損得や打算、裏切りや殺し合いも日常茶飯事。その中で上手く立ち回るためには、人間が何の気なしに取る些細な言動にも注意を払うのが常。親切心や優しさといった善意が、一変して甘さへと成り果てる無慈悲で凄惨な世界だ。同じ闇の中にいたオビト自身の体験談でもあった。

 言わずもがな、老婆の前では何の役にも立たない。詳しい事情も状況も当時とは違う。染み汚れのように癖は、幼少の頃とは異なる言動や思考のほんの一部に過ぎない。要は無意識である。道端に転がる小石や、動き回る方のこいしと同じように。

 

「ほほう」老婆は快活に笑う。「老人の扱いには慣れがあると見たぞ、トビオ。よほど親切にしてきたと見える」

「さあな……昔の話だ」

 

 オビトはぼんやりと返すも否定はしない。できなかった、とも言えるだろう。間違えられた名前は別としても。

 時を遡ること十数年前。足腰を痛めたり、重い荷に四苦八苦したりと、さまざまな理由で困窮する老人達を見かける度に起こした行動の数々は、老婆の言う『慣れ』を体に叩き込んだ。客観的な視点から見ても『人助け』以外の何物でもない行いによって。

 里のお婆さん連合が独自に構築する超広域情報網に引っかかり、それらの行動が瞬く間に知れ渡った結果、確信犯を疑われるほどの驚異的な遭遇率を叩き出したことも。木ノ葉の忍としてこなす任務にまで支障が出始めたことも、お礼に飴などのお菓子を贈られたことも、中忍試験の真っ最中に飴を喉に詰まらせて倒れ伏したことも、言い訳のしようがない事実だった。当時の記憶が薄かろうと濃かろうと、自らが高々と積み上げた過去だけはどう足掻いても消えない。

 人前で口に出すのもはばかられる、思い返しても物騒な頼みごとをした老人――否、元老人もたった一人だけ存在したが、こちらもすでに過去である。

 

「昔ねえ。そいつぁ『外』にいた頃、かね?」

「間違いじゃないが……」

「あたしらとは違う目ぇしてるはずだ。道理でね」

 

 老婆の言う目は写輪眼を具体的に指すのか、何かしらの比喩か。幻想郷と外界を比べて見出した差異とは何か。意味ありげな言葉の続きを語ろうとはせず、踏み締める歩みと時間が過ぎゆくのみ。

――ちなみに『忍界』は、幻想郷から見た異界に分類されるだけで、実情は全く異なる。博麗大結界の内と外、どこにも存在しない世界である。ゆえにこの土地に住む者は、人間も人外も誰一人、ありふれた異界の一つとしては視られず、認識もできない。いかなる常識や非常識の面からでも干渉不可能な、文字通りの異次元に在る場所だ。その辺りは向こうと幻想郷を比較して、妖怪を含む非常識な物事に対する双方の視点や、空に浮かぶ『月』の成り立ちを見るだけでも説明は事足りる。

 外界において忘れられるなり、否定されるなり、消えるなりして常識の内から放り出された非常識な物事。それらを大結界の中へと引き寄せる『幻と実体の境界』の効力も及ばないため、忍界に関連する人や事象は本来、幻想郷には在りようがない。この世界の創造主であり管理者である妖怪達や、数億年もの永い歴史を歩んだ知識の神でさえも、少し前までは忍の『し』の字も知る由はなかった。老婆や団子屋のような一介の住民となれば言うに及ばない。

 

「トビオよ。あの団子屋の嬢ちゃん……お前さんの目から見て、どう映ったかね」

「どういうことだ?」

 

 急激な話題の切り替えにも動じず、ゆったりとした歩みの中で聞き返す。

 襟巻きで首を隠した少女が一人、家屋の壁に寄りかかり、じっと通りを眺めている。その傍をオビト達が通りかかった。

 

「愛らしさを感じたかね」

「……分からん。そういう話は」

「じゃあ」老婆はにやりとする。「どんな人間に見えたか、だけでも聞かせておくれ」

 

 全く別の何かを中身に詰めたような、意味深な言葉ばかりが飛び出す。年の功というものか、曖昧な言葉選びで試すように喋るだけでも、聞く側に熟考を強要するには十分だ。数百年、数千年以上を生き長らえる妖怪と、百年かそこらの寿命しかない人間を比べても、内面の強かさは老婆の方が上だろう。腰はともかくとして。

 容姿や性格を見ての印象を尋ねるだけなら、わざわざ『人間』という部分を不自然に強調して口に出す必要はない。人間として同じ視点を有するがゆえか、飄々と言葉遊びの多い妖怪よりも直接的で分かりやすい。

 

「『人間』みたいに見えたな」

 

 オビトは返答に困らず、包み隠さずに伝えた。

 あの団子屋には店員、あるいは店主の少女が一人いただけで、客以外の人間は見ていない。ならば考えずとも答えは明白。人の身を外した輩は、外見や言動以前に中身が人ではない。そんなような感想をオビトが言うと、老婆は感心した様子で「ほほう」と頷いた。

 

「やっぱりか。この目に狂いはなかったね」

「知ってたみたいだな……アンタも。その様子じゃ」

「そりゃそうさ」

 

 平然と里に居付き、美味しい団子を作って売る妖怪。あまりの人気に周辺の店から客足を奪い尽くし、他所への移転か廃業を余儀なくさせる破壊神。そこで買い物をしたことは一度もなく、少女とは知り合いでも何でもないが、うわさ程度はオビトも聞いていた。少し前に来たばかりの余所者でも知っている事情を、古くから里に住むであろう年配の在来人が知らぬはずもない。

 

「あの嬢ちゃんも、お隣さんもそう。あの辺りはとくに多い」

 

 人間の里に出没する妖怪。不相応かと思いきや、人間以外の種族も頻繁に出入りし、なんなら住居を構える者もいる。妖怪の立ち入りを禁止する規律も、理由も存在しないためだ。ちなみに人間が里の外へと出ることも許されているが、身の安全が保証されず、在来人でも自己責任となる。

 里内に住居や拠点を持つ者などを除けば、遭遇する時間帯は主に、妖怪達が活発化する夕刻や日没後。真っ昼間でも少ないだけで姿は見かける。豆腐屋に出没する式神然り、花屋に立ち寄る親切な花妖怪然り、酒を飲んで騒ぐ鬼然り。そもそも妖怪向けの商売を行う店舗がある時点で、出入りしない方がおかしいという話になる。

 無用な争いごとや混乱を生まぬために、理知的な妖怪はもっぱら人に化けるか、変装して歩き回るのが通常。特徴的な耳や羽、尻尾などを堂々と晒している輩も時々いるが――『幻想郷』という妖怪の楽園に身を置き、彼らと共存して生きる里人にとっては、必ずしも驚愕や嫌悪、畏怖の心を芽生えさせる要因とはならない。

 

「狂いがなかった、ってのは……」

 

 団子屋の少女が変化、変装して正体を隠した妖怪であると看破した、あるいは初めから老婆は知っていた。そちらの理由は色々と想像がつくにしても、此方にも『同じように』見えていたと考えた理由の方は分からない。初対面の里人が妖怪のチャクラ(妖力)を視通す写輪眼の能力を知っている、という可能性も否定はできまい。

 具体的な根拠があるのか、ふと気になったオビトが問いかけると、老婆は笑いながら「ないよ」と否定した。

 

「なんとなくで分かる。こんなとこに長く生きてると、そういう目は自然に養われるもんだ。なんでお前さんにそんな力があんのか……ってとこまではまあ、分かりようもないがね。そっから先は妖怪の領分さ」

「妖怪に囲まれた生活か……得るものはあるんだろうがな」

 

 危険と隣り合わせの環境に居続けていれば、身を守るための手段、感覚は意識せずとも研ぎ澄まされる。人の死が身近で当たり前となる戦時下では、大国の隠れ里という巨大な軍事力の庇護下にあろうと、失われる命に歯止めはかからず、気が休まる時はほとんどない。誰かが死ねば、明日は我が身。四方八方が敵だらけ、いつ死ぬかも分からないという意味では、里を捨てた抜け忍としての生活も似たようなものだ。

 比べて幻想郷に住む人々は違う。人を食らう強大な妖怪が跋扈し、抱いて然るべき畏怖はあれど、明日を心配する必要はない。今日では仲良く酒を酌み交わしたり、殴り合いの喧嘩をしたり、仲直りしたりと、全く別の意味で『危険』と常に隣り合わせだ。研磨される物も変わるだろう。

 

「よろしくないモンもな。深入りする方が野暮ってもんさ」

 

 一方で目に見えない方が、知らない方が幸せである真実は世に溢れている。特別な能力を持たずとも、人間として長く妖怪達を見てきた老婆には、写輪眼にも映らないものが視えている。オビトにはそう思えた。

 

「……そうだな」

 

 この里は人間のためにと銘打って、妖怪のために用意された特別な場所。表向きには里長という代表を形式的に置くだけで、実質的な管理者であり支配者は妖怪。管理も監視も統制も決定も裏方の仕事。幻想郷のど真ん中に位置する区域は、彼らの目を隅々まで張り巡らせ、行き渡らせるには都合が好い。どこを見回しても妖怪ばかりで、向けられた目を欺き、やり過ごすための隠れ蓑は存在しない。自らの糧となる人間達を庇護下に置き、適切に飼い馴らすための広く頑強な檻だ――などと大げさに粉飾を加えれば、里での暮らしは酷く凄惨なものと想像してしまう。

 実際には逆で、妖怪達からの手厚い保護の下、何不自由なく毎日を平穏に暮らせる安寧の地。むしろ安全な里から追い出され、外で生きることを余儀なくされるのは、死を宣告されたも同然の仕打ちだ。そして里人達が豊かな生活を享受し謳歌することは、彼らなしでは生きられない妖怪達からしても、心の底から望んだ在り方である。

 人と妖怪が共生して成り立つ世界。その在り方に異議を唱えたり、意見したりと干渉を図るのは里人の領分ではなく、余所者の出る幕でもない。深入りすべきではないという、忠告とも取れる老婆の私見には、オビトも同意見だった。無用な火遊びによって負う火傷の大きさは測り知れない。

 

「ただねえ。近頃はどーも、分からん奴が多い」

 

 買い食い中の少女が一人、拳よりも大きな白饅頭を頬張りながら店から出てきた。と思いきや直後につまづいて転倒し、手に提げていた袋の中身を盛大にぶちまける。二人の女性が慌てて近寄り、無事に助け起こされた。

 地面を踏みしめる靴音。通りを行くオビトは気づかず、立ち止まることもない。ひたすら黙って前を映していた。

 

「あたしら人間と、あちらさん。なんというか、あれだね……距離が近すぎる。そんな気がするな」

 

 すぎる。昔から妖怪に慣れ親しんだ在来人の目から見ても、物珍しさや異常性を認めたがゆえに飛び出した言葉だろう。

 双方の関係は歴史を辿れば分かりやすい。幻想郷が創られるより以前、数百年前に境界の妖怪によって『妖怪拡張計画』が立案されて以降も、現代より遥かに殺伐とした関係だった。

 人間は力づくで妖怪を退治し、妖怪は人間を容赦なく食い殺す。幾度となく繰り返される暴力と殺戮、血で血を洗い流す熾烈な生存競争。勝ち負けを競う闘いではない、生き残りをかけた本物の戦いだ。今で言う共生の可能性など入り込む余地はなく、人と妖怪が一緒に酒を飲んで騒ぐなど、当時はあり得ない光景だった。

 それから時が流れ、変わり目を何度か経て博麗大結界が生まれ、命名決闘法が確立された辺りから、互いの距離は目に見えて一気に縮まった。命のやり取りを時代遅れの旧方式として捨て去り、新しい方式に基づいた数々の『異変』を経て、以前とは見違えて良好な関係が築かれている。親密とはまた違うものの、殺し合うことはなくなった。

 

 古くから里に住む在来人なら理解に至っているはずだ。異邦人などよりもずっと深くまで。そんなオビトが違和感を覚えず、今まで気づかずにいた一つの『変化』を、老婆は淡々と指摘したのだ。なんとも涼しげな表情で。

 

「良いか悪いか……重要なのはどっちか、だが。アンタはどう思ってるんだ?」

「どっちかで言やぁ」老婆は息を吐く。「……よろしくないだろうさ。仲良しこよしが、じゃないよ。したけりゃすればいいけどねえ、度が過ぎるなら別だ。深刻な問題ってのは表にゃ出てこないもんさ」

 

 人間と妖怪。生きる世界の違いから、いつの時代も基本的に相容れない同士ではあるが、友好的な関係を築いた例はある。友人や恋人、家族を作るまでに仲を深めた例もある。彼らと共生する道を選んだ、平和な現代においては特に、妖怪が人里に居付く理由の一つになっている。

 妖怪は元来、人間と争い合う生き物であり、馴れ合いを好まない孤高な生き物でもある。個としての力も、生命力も強く寿命が長い上に、何をせずとも自然に生れ落ちる。人の手に負えない自然現象や災害、些細な物事であろうとも、畏怖は妖怪や神を生むきっかけとなる。

 力の弱い人間とは何もかもが逆で、他人の力を借りずとも独りで生きていける。自らの命にかかわるなどの、決して欠けない必然的な理由を除けば、他者との繋がりは生きる上で必須ではなく、当の妖怪達も不要と見なす傾向にある。これらは人間の世界でも常識と言える、古びた蝋燭の火を見るより明白な一般的な特徴である。目を凝らさずとも映る表面的な事実だ。

 

「表に出ないとなれば、奥底にある本質にまで踏み込むことになる」

「そう。妖怪への『怖れ』にな。そいつがなきゃ、まともに生きられない。だからあんまり近すぎるのも、向こうにとっちゃ都合が悪いはず。適度な距離感ってもんがなきゃね」

 

 人間は妖怪を怖れ、妖怪は怖れを食らう。その関係と構図は幻想郷の根幹をなす。

 簡単な話、人と妖怪が仲良くなれば、妖怪に対する負の感情は薄れ、怖れも消え失せる。畏怖を抱く人間がいなくなれば、妖怪は生き延びるための糧を失い、やがて存在意義をも失って衰滅の一途を辿る。妖怪がいなくなれば大結界の力が失われ、幻想世界は跡形もなく消滅に帰する。

 双方の均衡こそが要であり、いずれかを欠いても一世界の存続は望めない。だからこそかつて地上を照らした、全ての生物から畏怖や信仰を奪い尽くし、真逆の感情と心を植えつける夢幻の月光は妖怪、ひいては幻想郷に滅亡の危機を一夜にしてもたらした。それを受けて独自に行動を起こす者も出てきたくらいだ。

 

「理屈は分かるが……表面的と言えば同じだな、それも。何かもっと……」

 

 人々の畏怖とは複雑怪奇で、秘匿された妖怪の本質に迫る問題である。人と妖怪、個人や集団における互いの認識という単純な話では片づかない。極端ではあるが――人間は妖怪を怖がり、妖怪はそれを食らう生き物である――という種族としての関係性を定義化、概念化し、その全体を指す考え方が健在ならば、畏怖心が綺麗さっぱり消えたとしても、命にかかわる問題にはならない。

 だが、なり得はする。あくまで一時的な処置に過ぎない。曖昧で抽象的、具体性を著しく欠いた定義づけでは、不明瞭で不確定、不安定な基礎しか生まれない。僅かな揺れで崩落する砂上の楼閣だ。目先のことだけを考えるならともかく、妖怪達の未来を見据えた平穏には役立たない。妖怪の数、力の均衡、その存続を正しい形で守りたければ、やはり現在の関係性を維持することが唯一の道だ。

 

(…………)

 

 老婆が口にした「近すぎる」距離。曰くこれまではなかったらしい、よろしくないと言わしめる何かが長く続けば、人間と妖怪の関係は、幻想郷の在り方は果たしてどのように変わるのか。今のオビトには先など視えなかった。

 黙り込んだオビトを、老婆は「心配するな」としゃがれた声で励ます。おぶさったままの背中を叩くように。

 

「どんなに小さな変化も、いつかは表立つ。形になって現れる……時間の流れにゃ逆らえんもんさ。お前さんがどう思うかは、そん時にならにゃ分からん。待たなきゃならん時も――」

 

 言葉は途中で切れた。老婆が「おっ」と背中で声を上げ、指をさした方へとオビトの視線が移る。色々と話している間に到着したようだ。

 現在地は里の中心部から西側に入り、南に逸れてすぐの辺りの、居住地が多く立ち並ぶ区域。少し奥まったところに白い塀が伸びており、表札を掲げた門がある。稗田邸などの由緒ある立派な屋敷ほどではないにしろ、周りと比較しても大きな家屋で、門を潜ると玄関口が見えた。

 

「――ここでいいぞ。いやあ、助かった」

 

 玄関扉の横には洒落た植木鉢が並び、雑草もなく手入れが綺麗に行き届いている。これが盆栽ならどこぞの姫が親指を上げたかもしれない。

 

「入らなくていいのか? 動けないんだろう」

「いんや、迎えがすぐ来る」

「迎え……そうか」

 

 一瞬。ほんの一瞬だけ、不謹慎な意味が頭をよぎりかけるも、オビトは辛うじて思い止まった。団子屋での無駄に騒がしいやり取りを見た影響だろうか。

 答えは言葉通り、すぐに現れた。扉の奥から慌ただしい足音が近づき、がらりと開いて出てきた着物姿の若い男性、続く二人目は女性。老婆を背負うオビトの姿を見るやいなや、呆気に取られた表情のまま三秒ほど静止、間もなく時が動き出し、二人そろって驚きの声を上げた。

 

「ちょっと母さん! いないと思ったら、こんな。それに貴方は――?」

 

 息子らしき男性が困惑するのも当然だろう。話の内容からして、探していた母の姿がどこにも見当たらないと思ったら、見知らぬ男におぶさって玄関先に現れた。涼しい顔で平然と「お帰り」を口にして、深々と頭を下げて家の中へとお連れする展開などあるはずもない。常識破りの妖怪ならいざ知らず。

 

「面倒だねえ」老婆は呆れ顔で呟き、口を開きかけたオビトを制止する。「あたしから話しとくよ。そこまで焼かせるわけにゃいかん」

 

 そう言い残してオビトから降りると、老婆は男性におぶさり、陽気に手を振って別れの挨拶。男性もオビトにお礼を言って、丁寧に頭を下げた後、一緒に家の中へと戻っていった。ちなみに男性がすぐに立ち止まり、廊下に置かれた何かを見下ろして「あれ?」と戸惑い気味に呟いたのは、団子屋で預かった荷物を運び入れていたからだ。時空間を介した移動に遮蔽物は関係ない。

 長いようで短かった奇妙な二人旅は、僅かな謎を残しながらも終わりを告げた。親子を見送った後、踵を返して去りかけたオビトの背中に、一人残っていた女性が「ねえっ」と声をかける。

 

「よかったら中で、お茶でもどう? お母さまが迷惑かけちゃったみたいだし」

「イヤ……遠慮しておこう」

 

 人をおぶって連れてきたに過ぎない、ただの人助け。Dランク任務よりも遥かに楽な作業に苦を強いる道理はない。何の報酬にも値しないとの認識であれば、オビトが誘いを断るのは必定だった。

 紆余曲折を経ても、完全には抜け切らない思考と言動。人の道を外した生き方以前に、忍として戦場を駆けていた時間の方が長い。そのツケは現在でも頻繁に表へと出てくる。

 

「まあまあ、そう言わずにさ~」

 

 にもかかわらず、立ち去ろうとしたオビトが足を止めた。途中で気が変わったからではない、女性が鼻歌交じりにそっと近寄り、腕を掴んでぐいっと引っ張ったからだ。

 陽気で快活な喋り方は老婆を思わせるが、初対面の割にやたらと馴れ馴れしく、さっぱりとした笑顔はどこか悪戯っぽい。強引さには既視感がある。何より奇妙だったのは、地面をずるずると引きずられず、まるで体を巨大な手でむんずと掴まれ、持ち上げられるような感覚を味わったこと。見返すオビトが眉をひそめた理由だ。

 

「お前。妖怪か」

 

 落ち着き払った一言。極めつきは女性の内から感じた独特のチャクラ、つまり人間が宿すはずのない『妖力』。妖怪のような人並外れた腕力。

 この人物が紛れもない、本物の妖怪であると確信を持つのに、チャクラを視抜く写輪眼を用いるまでもなかった。人の姿形を成そうとも、中身までは誤魔化せない。そもそも隠す気がないのだろう。

 

「なんでバレたし。あんた何者?」

「外来人だ」オビトは曖昧な返答をする。「妖怪がいるとはな……思いもしなかった」

 

 もっとも、この女性が妖怪であるか否かと、非友好的か否かは別の話である。ゆえにオビトに敵意はなく、いきなり正体を見破られた女性の方も、目を丸くするだけで穏やかなものだ。愉快げな笑みさえ浮かべている。

 

「だってここ、実家だし。外来人じゃ知らなくて当然かな? 里に住んでる妖怪もいるって」

「知ってはいたがな。人間と一緒に住んでるのか?」

「まあねっ。さっきの夫だし。子供もいるよ」

「そういう訳か……」

 

 なんのことはない。妖怪にしては回りくどさのない、直接的で分かりやすい表現を用いた女性と、実母らしい老婆を連れて戻った男性は、妖怪と人間の夫婦だった。そして二人の血を引く子供はおそらく、寺子屋の教師や古道具屋の店主と同じ半人半妖。ちなみにあの生命力に満ち溢れた、元気がアートしていた老婆は紛うことなき人間だ。

 深い絆を紡いだ人と妖怪。半分妖怪の孫を可愛がる祖母。かつては凄惨な争いを繰り広げていた双方が、手を取り合って共に生きていける平和な世の中。時代の変遷は人々の意識、在り方を少しずつ変えていく。二人の関係性もひとつの正しい答えということだ。

 

「妖怪か。上手くやっていけるもんだな、案外」

「およ? 気になる子でもいたり? もしかして」

「気にはなるな」オビトは老婆の言葉を思い返す。「互いが近いと言っても、違ったところは多い……人と妖怪は」

 

 在り方や生まれ方も異なる双方。どれだけ親密な関係にあり、夫婦の契りを交わすほどの間柄でも、種族の違いは埋まらない。物事の感覚や基準、常識までもを異にすれば、相手の考えに合わせたり、感情に配慮するのも難しくなる。意見の対立は十分に起こり得るだろう。そもそも同じ妖怪、人間同士でさえ対立や紛争は日常茶飯事。茨の道だったはずだ。

 にやにやとした笑みを引っ込めた女性は、少し黙った後に「ふふん」と察したようにウインクした。外見はオビトと近い年齢に見えても、実年齢は例によって上である。幻想郷ではよくあることだ。

 

「そりゃね。最初っから上手くなんかいかないよ。めっちゃ喧嘩したし」

「激しそうだな。かなり」

「手加減するってば」女性は慌てて言う。「まあ、手を出しちゃうのはこっちで、負けて謝るのは大抵――…こほんっ」

 

 周知の事実として、妖怪は人間よりも力が強く、気が強い者も多い。妖怪の少女一人と屈強な人間の男十人、殴る蹴るの大喧嘩を繰り広げたとしても、多勢に無勢を軽々と捻じ伏せて圧勝できる。二人の場合がどうなるかは想像に難くない。

 温厚で人に寛容、心優しい性格の夫となればおそらく、尻に敷かれるのは避けられまい。あの男性は恐妻家で、夫婦喧嘩では一度も勝った試しがないのではないか――オビトにはなんとなくそう思えた。

 

「けどさ、ぶつかり合うのはトーゼン。何百回も喧嘩して、仲直りして、お互いを深く知っていく。末永く付き合ってく上では大事なこと……そう思ってるから」

 

 女性は遠い目で呟いた後、すぐに明るい表情に戻り、少し驚いた様子のオビトに笑いかけた。

 

「案外、上手くやれる。ってね?」

 

 何もかもが異なるからこそ。根っこから相容れない同士だからこそ。数多くの対立やすれ違いを経て、長く苦楽を共にした二人の絆はより深まり、結びつきは強固となる。長い時間をかけて形作られる繋がりは、そう易々と失われないものだ。

 自信満々に復唱した後、返答を期待して待っていた女性だが、オビトは何も言わずに笑むだけだった。

 

「ささ、中に入ろっか? 遠慮しないでほら。夫と娘も紹介したいし、惚気でも聞いてちょーだいよっ」

「そんなのは別に――」

「あとで可愛い子も紹介するからさ。哨戒だけに知り合いが山にいてね、その子がまた――」

「話を聞け。連れてきただけでオレは――」

「聞くから聞きなさい」

「…………」

 

 ズバズバと容赦なく言い放ち、ぐいぐいと押す強引さ。妖怪らしさを発揮しまくっている。

 正体を一瞬で見抜かれた女性による一転攻勢、一瞬で押し黙ったオビトが言い返せず、会話の主導権を奪われ、頭も上がらないように見えるのは、彼女の妖怪らしさがもたらした結果なのか。実力行使などせずとも、その気になれば「すり抜け」て拘束を振り解き、瞬身の術を使って逃げれば済むはずが、何故かされるがままになっている。

 あれやこれやと揉める間に、玄関口の扉が再びガラリと開くと、老婆を連れて家に入っていた男性が出てきた。オビトを客人として、力づくで招き入れようと奮闘する女性を見るなり、優しい表情に「はわわ」と擬音が付きそうなほど慌てふためく。

 

「えっと……無理強いはその、よくない。ような……」

「あんたは黙ってなさい! つーか手ェ貸しなっ!」

「いやでも、お客さんは丁重に……」

「扱ってやるよっ! おらっ!」

 

 頭をかきながら遠慮がちに喋る夫に、目を丸くして喝を入れる恐妻。飛び上がるように膝を着き、即座に披露される夫の見事な土下座。その相手は他ならぬオビトで、招く側が「招かれて下さいっ!」と必死に頼み込む始末である。

 隠しごとなく本音を言い合える関係。否、ぶつけ合える関係。このやり取りを眺めるだけでも、二人の凄まじく、騒がしい仲の良さが分かりやすい。捕まったオビトは困惑した表情ながらも、冷めた反応は示さなかった。

 

(……うるさいくらいだな。ほほえましいもんだ……こうやって見ると)

 

 悪くない。良いかもしれない。そんなふうにはっきり『良い』とは、なんなら『素晴らしい』とも口にできず、心にも思えず、常に一歩も二歩も退いた見方に止まったのは何度目か。どうにも自力での解決はできそうにない。

 妖怪の剛力がオビトの体を軽々と動かす。衣の裾がはためく。楽しそうに腕を引っ張る女性、慌てて後を追う男性とともに、老婆の待つ扉の奥へと吸い込まれるように消えていった。

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