OBITO -廻光-   作:大兄貴

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-竜宮-
序章


 よく晴れた日、陽が沈んだ後にでも望遠鏡を覗き見れば、地上を生きる者の目にも身近に映るだろう。遥か頭上に鎮座し、青い惑星を高みより見下ろす光明が。手を伸ばしても届かない景色が、レンズを通せば目と鼻の先にグッと近づく。

 

 青い星には数多の生命が芽吹き、花開いている。比べて彼方はどうなのか。特別な移動手段でのみ到達可能で、特殊な素材で作られた衣服を着用しなければ歩き回れず、地表は岩石ばかりで人っ子ひとりいない、荒涼とした物寂しい場所。これを外の世界における『月』とするのが常識だ。

 しかしながら、である。外界における非常識が常識となる幻想世界では、その常識こそが非常識となる。すなわち、幻想世界に住まう者に言わせれば、まるで地上を歩くように人々が月面を歩き、地球で生きるように月で生きるというのは、誰もが知る常識である。その真偽を確かめる手段を有するのは、同じ地上人でも幻想世界の住民を置いて他にいない。外界の住民はいわば、目に見える表側の景色しか信じられず、目に見えない裏側など知る由もない。

――この場合の『表』と『裏』は、物理的な裏表を指す言葉ではない。地上の博麗大結界に似た古代の結界によって、表となる外側と、裏となる内側とで空間ごと隔絶されて存在する。内外の行き来は基本的に不可能で、例外的な手段は内側にのみ現存するため、結界の外側にいる人々、つまり外界の人間は干渉できず目視も認識もできない。

 月の『裏側』に人知れず隠されたその場所は――『月の都』と呼ばれる巨大な月面都市。家屋は主に中華風の建築様式が立ち並び、小さな一軒家からビルの群まで大小さまざま、人口も規模に見合うほど多い。そこに暮らす月の民は月人とも言い、人間や妖怪、神霊と多種多様さは地上と似通っている。当然ながら歴史も永く、その開闢は遡って遥か古の時代、地球における生命の創生期より始まり、今日に至るまで滅びることなく繁栄し続けている。

 

 規模が大きい分、色々な建物や場所が数知れずあるが、その中には地上で言う『里』、より具体的には――幻想郷における『人間の里』と遜色ない規模と機能を持つ区域もある。

 豪華な中華風の町並みではありながら、慎ましく庶民的な茶屋や出店が多く立ち並び、通りを行き交う人々で活気に溢れている。とある団子屋も例に漏れず大勢の客で賑わい、今日も繁盛しているようだ。

 

「ありがと~ございましたぁ~」

 

 頭に兎の耳を生やした少女、玉兎の店員が丁重にお客を見送る。買い物を終えて一人、また一人と店を後にしても、客足が途切れる様子はない。暖簾を潜る人々の姿は絶え間ない。

 都に住まう月人達の、のんびりと平和な毎日は、昨日今日に始まった話ではない。これまで幾度となく、現在も同じように、これから先もずっと、変わらぬ日常を過ごす定めにある。地上の民とは水と油であり相容れない。終わりなき時間を謳歌する者達にとって、時間に追われて生き急ぎ、生に苦痛や絶望を感じて、果ては自らの終焉を望むなど、心の底から愚かで馬鹿馬鹿しい。

 兎は碁を打つ。餅を搗く。苦しみも悲しみも知らず、鳥かごの中で手厚く飼われ続けるだろう。

 

「うーむ。絶品じゃな。毎日でも食えるわい」

「えへへー、でしょ? ここらじゃ一番だからねっ」

「そうじゃろう、そうじゃろう」

 

 椅子に深く腰かけ、注文した三色団子を頬張る一人の客。白いあごひげをたっぷりと蓄え、店内の明かりが禿頭にぴかっと反射する。お褒めの言葉を頂いた玉兎も自信たっぷりで、翁はふぉっふぉと笑った。

 

「あ、でもでも。前は客足、もっと凄かったんですよ。あの二人が居た頃なんかもう、毎日が大行列で、忙しすぎて人手も足りなくて。とにかくヤバかったんですっ」

「ほほう。その御仁、今どこに?」

「地上へ下りちゃって。二人とも自分の店を持ったらしくて……行ってみたいんですけどねえ」

 

 兎の生ける伝説。英雄と謳われし甘味の王。などと賞賛するのは大げさながら、玉兎達の間ではかなり有名な人物である。以前は都で団子屋を開いていたが、紆余曲折あって現在は地上に滞在中。二人そろって団子屋を開き、お隣さん同士で売り上げの競い合い。値段は手ごろながら美味しいと評判で、近所の甘味処が客を取られて苦労しているようだ。

 玉兎は耳を使って仲間と通信できる能力を持つ。その範囲は広く、地上にまで届くため、向こうに居る玉兎と情報のやり取りができる。一介の兎ゆえに足を運んだことはなくとも、地上へと下りた同胞の動向をきちんと把握している理由だ。

 翁は団子の串を皿に戻すと、あごひげを撫でながら「ふむ」と一考する。

 

「そうしてはいかがですかな? 喜ばれることでしょう」

「無理ですよ~」玉兎はため息交じりに言う。「だってほら、場所が場所じゃないですか。めんどーな手続きとか、許可取らなきゃだし。申請したってどうせ通らないし……」

 

 月から地上へと渡る手段は数えるほどしかない。途轍もなく厳格な審査と手続きを何回も踏む必要があるため、一般の月人では申請が通ることはまずあり得ない。たちの悪い夢枕や胡蝶夢丸の販売経路を開拓しようと自信満々に申請を出したところで即却下だろう。地上へと下りることが許されるのは、都でも高い地位にあるお偉方や、彼らとかかわるごく一部の月人のみ。地上で団子屋を開いている二人も関係者である。

 ちなみに月と地上は物理的な距離も遠いが、同じ裏側同士(月の都と幻想世界)を行き来する場合、外界と違って概念的な問題の占める割合が圧倒的に大きいため、距離の長短や時間の問題は必ずしも考慮されない。

 

「ま、今さら文句言ったってね。しょーがないし……ねえ?」

 

 地上からの月旅行はもちろん、月からの地上旅行が一般的ではない理由は簡単だ。月の民は地上との交流を望んでいない。そもそも月人達の中で、好き好んで下りたがる者はほとんどいない。地上と接点を持つ一部の有力者を除けば、個人的な理由で興味関心を持つ者くらいだろう。少なくともここには一人いるようだが。

 月と地上の民は決して交わらない。最たる要因は生物としての在り方に関する見解の相違。月の民は生物同士の競争、命のやり取りを禁忌とし、生死の概念を穢れたものと忌み嫌う。反対に地上の民は古来より熾烈な生存競争を繰り広げ、自らが生き残るための必然的、不可避的な手段として受け入れてきた。月と地上の物理的な距離や場所、裏表を隔てる結界など、双方を分かつ要因は数多くあるが、実情は考え方の差異が最も遠ざけている。

 このため、月人は地上人を愚かで罪深いと嫌って――否、それさえ通り越して無関心で、好き嫌い以前に関わろうとさえ思っていない。地上人から見ても、自分らを蛇蝎のごとく毛嫌いする連中を好ましく思うはずもなく、やむを得ない事情以外では相互不干渉を貫いている現状がある。都での生活が快適で不自由がないため、わざわざ地上に足を運ぶ必要性が絶無に等しい、という事情も拍車をかけている。

 

「店を空けるのもあんまり。みんなが寂しがりますから」

「こうも美味ければのう。皆がそう思う」

「ふふっ。のんびり待てばいいんですよ。いつかはその時が来る……時間ならいくらでもありますしね、私たちは」

 

 もっとも今日では、些かカビの生えかけた考え方でもある。とある大きな出来事を経て、本当に僅かではあるが、互いの距離は昔よりも近づきつつある。月の都が幻想世界そのものに関与した事件が決定的となり、あの日を境に両者の関係性は微妙に変化した。

 都のお偉方の中には、いまだに地上を忌まわしき瑕穢の吹き溜まりと考え、地上の民を徹底して見下す選民思想に凝り固まった排他的な月人も多い。しかしながら、若い玉兎を中心として、変わりゆく毎日を懸命に生きる彼らに興味を抱く者も、少なからず増えている。理解し合うとまではならずとも、互いの認識に変化を及ぼすきっかけ程度は掴めるかもしれない。

 

「時は流れるもの。永久に近しきもまた、同じでしかなかろうて」

 

 団子のおかわりを皿に盛る玉兎。翁は黙って口に運ぶ。湯飲みを傾けて流し込み、皺だらけの顔に笑みを作った。

 客足は止む気配がなく、あちこちの席が空いては埋まるの繰り返し。注文はひっきりなしだ。一呼吸を置いて「食った食った」と満足げに腹をさすり、翁は代金をテーブルに残して腰を上げる。他の客の応対に動こうとした玉兎は、ふと気になって問いかけた。

 

「なんだかそれ、珍しいですね。これからどこかへ?」

 

 玉兎が注目したのは翁の荷物。釣り竿を担ぐように持ち、少し大きめの魚籠を腰から提げている。

 学び舎やお仕事、買い物帰りに立ち寄る客などは、重そうな大荷物を抱えて暖簾を潜ることもある。釣り具を持参したお客と顔を合わせるのは初めてだった。赤い液体が付着したキネを担いでいたり、中身をくり抜いた巨大なカボチャを着込んでいたり、がちゃつく鎧と兜で装備を固めていたりと、ぶっ飛んだ客人よりは控えめなだけで、あまり見かけない格好には違いない。

 月人の釣り人。物好きな客もいたものである。

 

「おお。もっと広いとこまで、ちょいとな」

「海とか? なんてね。一匹くらい魚がいたら面白いかもねえ、確かに」

 

 釣りは一般向けの趣味ではあるが、都においては一般的ではない。むしろ楽しむ人は皆無に等しい。養殖された魚を放した人工の生けす、地上の物を模した釣り堀などが僅かに点在するだけで、天然の魚が生息する水場は一つもない。人に飼われる穢れなき命と、自然に生きる穢れた命は、月と地上における生き方の違いを表している。

 月の海に穢れはない。水面には波も立たない。どれだけ高価な釣り具を用意しても、凄腕の釣り師を百人は動員しても、水底から根こそぎさらい尽くす巨大な網を持ち出しても、大物どころか小魚一匹も捕まらない。亀の上から糸を垂らし、魚籠にもたれて気長に当たりを待ったところで、食らいつく獲物はいない。

 たとえ千年、万年と、気が遠くなるほどの年月を経ても、永遠の中ではいかなる命も変わりようがない。

 

「いんや、退屈じゃよ。あまりにも。なればこそ狙いにいく」

「えっ? どういう――」

 

 玉兎は首を傾げて聞き返すも、振り返った翁はにっこりと笑うだけだった。

 終わりなき日常は新鮮味に、面白味に酷く欠ける。安定した平穏のために身も心も飼い殺し、前に進むことを拒むための言い訳に利用するならば、命を燃やし尽くして有意義な『変化』を手にする方がずっと生き物らしい。

 火種はどこにでも転がり、いくらでも生まれる。少しばかりきっかけを与えさえすれば、瞬く間に燃え広がるだろう。

 

「大海の主となればそう、釣り上げる価値がある。一万匹の大魚を寄せ集めても遠く及ばない……大きな獲物だ」

 

 四苦八苦する玉兎は「うーん」と唸るばかり。結局は最後まで答えようとせず、翁は再び背を向けると、陽気に手を振りながら店を出ていった。

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