OBITO -廻光-   作:大兄貴

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兎の夢

 南の地区の外れ。広々とした田畑や廃屋が点々とするくらいで、真昼間でもひと気はないに等しい。

 里の中心部と比べると人口も利便性も下回り、生活を送るには不便極まりないが、建物がまばらで景観は良好、自然豊かで心が安らぎ、静かで落ち着けるという利点もある。人がいないので当然だが治安も良い。

 ただし、里外の森と隣接する関係で、鳥獣や妖怪の侵入も少なくない。夏は虫も多い。危険度で分類すれば里内でも(比較的にだが)高い方である。端っこはどの地区も似たようなものだ。

 好き好んで住居を構えるのは、よほど自然がお気に入りか、人々の活気に苦手意識を持つか、選り好みを否定した結果か。いずれにしても、身を守るための手段は備えて然るべきだろう。ある日に突然、狂暴な妖怪にさらわれて行方を晦ませても、いざという時に誰にも気づかれず、気にされないままに終わりかねない。

 実際のところ、この妖怪の世界において、前触れなく姿を消す人間は珍しくない。身の安全が保証されていない外来人であれば尚更だろう。

 

――森林の傍に建つ一軒の家屋。出入り口付近の景色が奇妙に歪むと、発生した歪が渦状に巻き始める。

 空気を吸い込むような「ズズズ」という異音とともに、左巻きの渦に巻かれた姿が出現し、軒先の砂利道に着地した。巴模様の浮かぶ赤い瞳は、瞬きとともに黒色へと戻る。

 

 里の中心部からこの場所まで距離はあるが、それを踏み越える方法があれば到着は一瞬だ。人間の里を飛び越えて、遠く辺境の地にまで足を運ぶとしても、襖を開いて隣の部屋に入る時と大差はない。手足を動かずとも済む分、労力はさらに少ないだろう。遠出した感覚もなければ、時間もあまり経過していない。

 白熱しためんこ遊びも、慧音との合間の立ち話も、ほんの数分前の出来事。今しがた立ち去ったのだ。彼女の言葉がオビトの耳に、殊更にはっきりと残っていた理由でもあった。

 

「…………」

 

 もうそろそろ。いつまでも端っこになど居らず、同じ場所に在るべきと。人々を背にするだけではない、今度は隣に在るべきであると。そのように慧音は言った。

 

 彼女には知りようがない。豊富な知識を持つ賢人とて分からず、知り得もしないことはある。

 天上の魔力が満ちる時、人や妖怪達の『歴史』を視通す白澤の眼にさえ、オビトが歩んできた軌跡は映らない。ゆえに自らの立場から助言を呈するしかない。相手の立場で物事を考えられず、言えもしない身であると承知した上で。困っている人間は外来人とて捨て置けない、心優しき彼女はおそらく、口にせずにはいられなかったのだ。

 長らく道を外して、まっすぐ歩けずにいた十数年分のツケ。後ろめたさが絶無と言えば、やはり嘘になるだろう。だが今は着実に前へと進んでいる。今さら人の親切を無下にするほど落ちぶれても、捻くれてもいない。

 

 卑屈に構えることも、自嘲に逃げることもない。急ぐこともない。もう少し時間が必要である、というだけだ。

 この世に縛られた死人でも、誰かに動かされる生者でもない。己自身の意志で歩む者として、正しいと信じた道を堂々と踏み締めて進めばいい。

 

「……?」

 

 無用な思考を早々と切り、扉を潜って店内に踏み入った瞬間。オビトの視線が一点に集中した。

 正面から入ってすぐ横。左側の角に置かれた机の傍に、あるはずのない物が見えている。人が背負うくらいの大きさの籠だ。

 それからもう一つ。古風で質素な内装に不似合いな、浮いた装飾の肘かけ椅子。普段はオビトを含めて誰も座らず放置されているだけの椅子に、見覚えのある姿が腰かけていた。

 

 薄紫色の長髪に兎耳。特徴的な容姿を抜きにしても、本人の妖気(チャクラ)を感知するだけで判別できる。一目見るだけで分かりやすく、忘れてもいない、何かとよく見かける妖怪だ。以前よりも遭遇率が不自然に高い人物である。

 里の中を歩き回る際は、耳を隠すなり、和装に身を包むはずが、どういうわけかいつもの格好のまま。人の多い中心部から遠く離れ、付近に人っ子一人いない寂れた場所だからと、変装をサボっているのだろうか。

 近づいて声をかけても返事はない。居眠りをかましている様子。

 

「何故ここに……」

 

 帰宅すると鈴仙の姿。理由は見当もつかないが、用もなく訪れたとは考えにくい。民家のない区域で薬を売る道理はないだろう。合間の休憩や暇潰しに足を運ぶべき場所なら他にもある。むしろありすぎる。

 少ない経験上、この椅子に腰掛ける者は、何かしらの用事を抱えている。というよりも、用があって来てみれば不在で、戻るまで座って待つことにした。睡魔に負けるほど長居していたとすれば、此方が出かけて間もなく入れ違う形で現れた、という経緯だろうか。あまり時間は経っていないはずだが――。

 

「ん~――…やったぁ――…」

 

 声をかけても無駄、軽く肩を揺っても無反応。緩み切った顔でよだれを垂らし、寝言まで漏らす始末だ。能力で脳波を弄って熟睡状態を作り出したのか、日頃の疲れが溜まっているだけか、布団の上でもないのに本格的に眠りこけている。しかも余所である。

 叩き起こすこともできようが、力づくは賢明ではない。そんな手間をかけるよりも、瞳術使いにはぴったりの方法がある。いつだったか博麗神社の巫女に用いて、気合いを込めた『喝』もなしに怒りを爆発させた方法だ。

 赤く染まるオビトの目。爆睡する鈴仙の前に来ると、閉じた瞼を指で押し開き、視線を合わせる。そのまま瞳力を解放した。

 

「ん――…?」

 

 びくっと体が震えた直後、瞼がぱっちりと開き、目の前にある顔を捉えた。

 そこからは早かった。一瞬だけ固まり、間もなく「うひゃぁっ!」と素っ頓狂な声を上げ、反射的に離れようとした結果、後ろに体重が一気にかかり、肘掛け椅子ごと派手にひっくり返った。背中から落ちて腰を床に強打し、「んぎゃっ!」と痛そうな声が続けざまに上がる。

 暴力的で過激とは言えずとも、荒っぽく騒々しい起こし方、というより展開になったようだ。目が覚めていきなり顔が至近距離に映ったのでは、無理もない反応かもしれない。

 

「あ、貴方、何をっ……!」

 

 仰向けのままオビトを見上げ、息も絶え絶えに言葉を紡いだ。よほど驚き焦りが生じたのか、胸が上下し、頬は微かに紅潮している。

 対照的に眉一つ動かさず、手を差し出しながら「大げさな奴だ」とだけ返すオビト。鈴仙は慌てて脚を閉じると、自力で体を起こした。立ち上がって衣服の埃を払い落とし、平静を保とうと咳払いして今一度に向かい合う(椅子はオビトが元に戻した)。

 

「びっくりさせないでよ、もう。腰痛いんだけど?」

「そこまでか。悪いことをしたな」

「いいわよ別に……寝てたのが悪いんだし」

 

 鈴仙は髪を撫でつける。腰を強打してもなお睨み一つ見せない。妖怪が激情を露わにした時の妖気の動きは判りやすいが、どうやら嘘はなさそうだ。

 写輪眼の基本瞳術が一つ『幻術眼』。視覚に訴えて相手の脳内に入り込み、体の動きを封じたり操ったり、妖気や魔力の主導権を奪ったり、瞳力次第では記憶に干渉したりと便利な能力だ。今のように睡眠中の者を強制的に覚醒させるのにも役立つ。

 眼の扱いに慣れがあり、ある程度のチャクラと精密なコントロールがそろえば、負担はほとんどかからない。医療忍術への造詣が深く、チャクラの繊細な扱いに長けていれば、気持ちよく健康的に目覚めさせることもできる。飛び起きたのは瞳力の影響ではなく、単に鈴仙が驚いただけである。

 

「こっちの台詞でもあるがな……『びっくり』ってのは。なんでお前が居る?」

 

 知らぬ間に来ていたということは、家主の許可もなしに入り込んだわけだが、そこにオビトは触れなかった。留守の間にどこの誰が居座り、椅子で居眠りしていようが、惰眠を貪ろうが、地べたに寝転んでぐーすかイビキをかいていようが、気にするほどのことではない。

 いつの間にか居た客人を見て分かるように、出入り口は普段から施錠されていない。盗られて困るような物は置かず、荒らしに入る物好きもいない。保管したい大事な物があれば、神威の時空間に放り込めばいい話だ。収容量は無制限、常に携帯しているも同然で、いつでも手間なく一瞬で取り出せる上に、自身と一部の例外を除けば不可侵となる物置があれば、鍵どころか建物さえ不要だろう。置くにしても適当な結界を組み上げたり罠を張る方が、鍵をかけたり重厚な鋼鉄の壁で囲むよりも防犯性は勝る。

 オビトが気になったのは理由、ここを訪れた目的の方だった。鈴仙の姿はこれまでも里内で見かけ、何度か顔も合わせたが、中心部や他の地区からも離れた場所で、人の拠点で爆睡中の場面に出くわしたのは初めてだ。普段と異なる行動を見せれば、その相手が誰であれ、色々と考えを巡らせもする。

 

「ちょっとね」鈴仙は視線を外す。「留守だったから、休息ついでに帰るまで待ってたんだけど。寝ちゃったのはその、言い訳しないわ」

 

 薬を入れた籠がある辺り、里を訪れた理由はいつもの商売だろう。お手製の薬を売るために鈴仙は時折、南の方角にある迷いの竹林から人里まで遠出する。

 ちなみに余談ながら、効き目抜群の良質な品々をそろえているにもかかわらず、売り上げは何故かあまり芳しくない。陽が落ちて帰路に就く頃になっても、籠の重さがほとんど変わらない日はザラにある。本日の成果が如何ほどか、中身が本当に薬なのかも、確認していないオビトには分からない。

 

「それはいいが、わざわざ会いに来るほどの用か? 何があった」

 

 鈴仙は深刻な表情で見つめる。呑気に眠りこける無防備な姿を見て一度は呆れたオビトも、急変した表情とただならぬ雰囲気に押し黙り、緊張感を含んだ面持ちで視線を捉える。

 

「実は……」

 

 緊急を要する頼みごと、一生に何度かのお願い。用事と聞いて思い当たる節はある。時たまにその辺で顔を合わせると、鈴仙が決まって持ちかける『力試し』。弾幕による決闘でもなければ、命を賭した殺し合いでもなく、幻術を用いた瞳力のぶつけ合い。以前にタケノコの件で一瞥を交えたことがある。

 曰くその目的は、自らの能力を磨いて高めるため。つまり『修行』だ。具体的に何を為すための鍛錬かは不明ながら、他に類を見ない異界の瞳力は好い刺激になると豪語にしていた。熱の入り具合が尋常ではないのか、最近は異様に高い頻度で遭遇する。まるで示し合わせたかのように。

 

「…………」

 

 今回も例に漏れないと思いきや、どうも様子がおかしい。思いつめた顔でにこりともせず、里内で何度も目にした表情は見る影もない。

 行く先々で姿を見せた鈴仙。柱の陰や壁の間、屋根の上から橋の下まで、色々な場所を通りかかる度に『偶然』にも前に現れ、ワクワクを前面に出して嬉しそうに試し合いを仕掛けてきた。その様子を水を得た魚と表現するなら、今は水分を失ってカラカラに乾燥し切った干物。あの時の鈴仙はいないようだ。

 よほど大切な用事で来たのだろう。オビトが再び口を開きかけた時、鈴仙が目を見開いた。

 

「――さあ。勝負よオビトっ! 今日こそ決着つけてやるわっ!」

 

 沈黙。面と向かって名指しを受けるも、見返すだけでオビトは無言だった。

 

 理由は簡単だ。目と耳を疑ったのだ。赤い瞳に星々を輝かせ、にこやかに笑い、びしっと指さす鈴仙の姿に。意気揚々と気合いを込めた声に。嘘のような変わりようは真実か否か。

 写輪眼も忍の武器であり練度や使い方次第。微細な妖気の動きを捉えて嘘や隠しごとを視抜く。鈴仙も能力の応用で同じことができる。ゆえにこの眼を以ってしても、その心の内は判らないわけだが、鈴仙という人物をそれなりに知る立場であれば、今の彼女を見て真意を疑う方が無理がある。

 

「勘違いか……予想外とは言えないがな。いつも通りだとしても」

 

 全くの別件で接触し、詳しい事情を明かす流れに入ると予感させてからの、飛躍した提案を投げつけた鈴仙。

 油断させる意図か、意表を突くための故意かはともかく、急すぎる展開自体は珍しくもない。妖怪達が起こす『異変』の渦中では、何気ない会話から突発的に闘いの火ぶたが切られ、激しい弾幕が飛び交う。短気で喧嘩っ早く、人の話を聞かない者同士のやり取りは、往々にして自分本位であり配慮はなきに等しい。

 

「律儀に頼みに来るとはな。思い通りに事を運びたければ、力づくって手もある……それを咎める奴はいない」

「意地悪ね」鈴仙は笑う。「貴方が『遊ばない』から。かかわらないからでしょ、私たちに。無理強いが通るわけもないし、言葉でお願いするのが一番。そう思っただけよ。だって……」

 

 途中で言葉を切り、再び視線を外す鈴仙。オビトは表情を変えない。

 

 幻想郷で発生する紛争は平和的な決闘を以って収める。この世界の土台となる絶対的な規律の存在は、札を持たず弾も撃てず、一切の関与を持たない異邦人にとって、無用な争いごとを避けるために都合が好い。だが裏を返せば、野蛮で好戦的な連中には殺し合いの大義名分となる。守るべき規律に縛られず自由である分、身の安全が保障されないのは周知の事実だ。

 異変に駆り立てられていないからか、異邦人を前にした言動としては、鈴仙のやり方は穏便で大人しいものだ。争いと穢れを忌避していた元玉兎ゆえか、他の妖怪に比べると穏健であり、遷都の一件で精神面に大きな変化をもたらしたとの話もある。時期としてはちょうど、外界との境にある屋敷で療養生活を送っていた頃だ。誰かに詳しい話を聞いたこともなく、幻想郷中の歴史が集約する稗田家の資料を通して知ったに過ぎない。

 重要な転機となったのだろう。此度の積極的な姿勢一つを取っても、その出来事が尾を引いているのかもしれない。初対面の頃には気にも留めなかった一面だ。

 

「いつになく本気か。熱心な奴だ」

 

 向上心の塊のような兎が所望する試し合い。燃え滾る熱意を見るに、渇望という言い方も似合うだろう。二度や三度のお断り程度で諦める雰囲気ではない。

 

「お約束だけど――」鈴仙はオビトを見返す。「――タダとは言わないわ。貴方がしたいこと、欲しい物があるなら、聞いてあげる。どうかしら?」

 

 対価の提示は交渉ごとの基本。相手と対等に立ち回るための手札をそろえ、向こうが最も欲するものを的確に判断し、不足なく用意して、滞りなく提供できる立場を作り固める。実力行使という簡単な方法を採らないのであれば、事を有利に動かすためには相応の代償が必要だ。でなければ付け入る隙が生まれ、欲しいものも手に入らない。

 鈴仙が口にした見返りは具体的ではない。何らかの物品でもなければ、戦争に勝つための戦力を提供するわけでもない。肝心の内容を相手に委ねている。喋り出しで『なんでも』を口にしないだけ幾分か賢明とはいえ、抜け穴だらけで解釈し放題となる内容の提示は命取り。人の命が軽々しく扱われる裏の世界では、自ら死にに行くようなものだ。

 もっとも、忍などの人間であればの話で、力ある妖怪が支配する世界では、留意すべき細かな注意点も心配ごとも、色々な場面で言動の妨げとなる制約も塵と化す。深く考えない適当な物言いでも、ある程度の相手には交渉や取引が効力を発揮してしまうほど、妖怪はデタラメで理不尽な力を持っている。鈴仙は力に拠らない方法を採った様子だが、言葉選びには妖怪らしさが出ていると言える。

 

「そうか。なら……」

「あ、帰れとかはダメ。そういうのはナシね」

「だろうな」オビトは即座に返す。「……別に念を押さなくてもいい。分かっている」

「ふふっ。安心した」

 

 先手を打つように『勝負』を口に出したのだ。とんちや屁理屈を持ち出すには手遅れで、誤魔化すつもりも毛頭ない。鈴仙はオビトが乗り気ではないと考えている様子だ。

 仮に鈴仙の頼みを拒否するとして、力づくでの解決に至らないのは同じ立場だ。距離を置きたいほど鬱陶しい輩がいれば、幻術を用いて隠れたり遠ざける方法が本来、精神面に抱える弱点が命取りとなる妖怪相手には極めて有効だが、彼女は数少ない例外の一人。脳波や精神の波を含む、物事の波長を自在に操る能力、それを制御する強靭な精神と写輪眼は相性が悪い。使い慣れてもいるだろう。完全に抑え込むのは容易ではない。

 血迷って悶着を起こすよりは、平和的な話し合いで問題を解決する方が互いの利は多い。鈴仙の立場でも同じ考えを持つだろう。博麗の巫女や妖怪達を敵に回す意味はない。

 

「いいだろう。聞いてやる」

 

 話し合いで解決できる問題だ。力を持ち出すまでもない。鈴仙とは非友好的な間柄ではなく、血生臭く争い合う敵対関係でもない。何らかの因縁が取り巻くわけでもない。拒むべき理由がないオビトは呆気なく了承した。

 

「えっ!」鈴仙の声が上ずった。「ほんと? ウソじゃない? あとから取り消しとかその、怒るけど?」

「お前がソレを言うのか。疑う前に探ればいいだろう」

「だって貴方、判らないし……隠しごとしても」

 

 精神や感情など形なきものにも波はある。その動きを精確に読み取る能力を以ってすれば、相手の嘘を見破る程度は容易い。読心の力を持つ地底の覚妖怪とは異なり、肝心の中身までは解らず、真偽の判別だけに止まるものの、問答を交えて少しずつ皮を剥いでいけば、真実に辿り着くのは難しくない。能力がまともに通じる相手であれば。

 秘匿された心の内を視通し、掌握に至ったことは一度もない。特異な瞳力と強い精神力が強固な障壁となり、能力の干渉を寄せつけないからだ。

 

「心配するな。タケノコの時もそうだったが、殺し合うよりはいい。お互いにな」

 

 幻術のかけ合いは静かなる闘い。傍から見るやり取りは退屈に映るだろう。お互いに視線を合わせて、つまり向かい合って立っている光景があるだけで、拳のひとつも振り上げられることはない。勝敗が決して倒れ伏すまでは微動だにしない。

 なればこそ、破壊と殺戮をもたらす暴力的な紛争の火種とはならず、血の一滴も流れない。弾幕のような美しさも華やかさも、派手さも持たない代わりに、無血で平和的な部分はある意味で勝る。一般的な争いの範疇ではなく、人にも幻想郷にも危害が及ばなければ、他の妖怪達も文句は出ないだろう。

 

「ほんとに? 信じていいのよね? 反故にしたら注射針十万本だけど?」

「念を入れすぎだ」

 

 他人の嘘を簡単に見破るがゆえ、視通せない輩には殊更に疑り深く出る。道理としても正しい反応だ。

 里内でばったり出くわすと、良く言えば根気よく、悪く言えばしつこく頼み込んできたが、その度に断り続けてきた。都合上とはいえ、頑とした姿勢も響いているのだろう。事が一向に進展しないと業を煮やして、それならばと手っ取り早く拠点に乗り込んできた、といった経緯ならばしっくり来る。妖怪らしい強引な面は例に漏れない。

 

「それにオレも……関心がない訳じゃない。お前の能力にはな」

 

 瞳力による試し合いは竹林で一度、筍掘りのさなかに行われた。鈴仙は別れ際に再戦の意志を表明しており、日付と時間帯は未定ながら、オビトも応える形で返答した。書面がなく強制力もない口約束ではあれ、その場の流れや一時の勢いで口にした言葉ではない。

 オビトを暫し見つめたのち、鈴仙の表情がぱあっと明るくなり、飛びかねない勢いで「やったぁっ!」と歓喜の声を上げる。よほど嬉しかったのか、込み上げた感情を抑え切れない様子だ。

 

「ありがとっ! じゃあこっちも、ちゃんと聞くからさ。遠慮なく言って!」

「そんなものは要らん。見返りをもらうほどじゃない」

 

 異邦人が妖怪に何かを求めるとすれば、衣食住か庇護が真っ先に挙がるだろう。いずれも余所者には保障されていない。だがオビトには元より不要、行動を起こす上で必要な情報源にも当てがあり、欲しい煎餅とて店で買えば手に入る。ぱっと思いつくのはそのくらいで、他に望みもなしとなれば、見返りになど関心は向かない。

 何より此度の依頼は、鈴仙自身の能力の向上を目的とした修行。そのために瞳力とチャクラを少々使うだけだ。要人の暗殺や戦争への介入・請け負いなど、莫大な金が動くような依頼、命にかかわる過酷な任務を頼まれたわけではない。独自の基準による判断と評価ではあるが、単純に報酬を貰うには値しない、というより方向性が違う問題である。

 

「うーん……いや、それはちょっと。私の都合だし」

 

 当然の対価を度外視し、見返りを求めないオビトの姿勢は、相手から見れば願ったりだろう。身を切らずとも利を得られるのだ。しかし鈴仙は納得していない様子で口を開いた。

 

「これじゃ私、すっごく嫌なヤツじゃない。こっちの気持ちも考えてほしいなぁ」

「なら後でもいいか。急に言われても思いつかん」

「不公平じゃない? それって。貴方がイイならまあ、構わないけど……」

 

 欲しいものはない。なければ相手に求めるものもない。対等に振る舞うなどのこだわりも持たない。それでも一方的な姿勢に否定的で、何らかの要求を望むのであれば、保留として後回しにすればいい。

 思いのほか真面目に考えるのもいいだろう。自分だけでは手に入らないもの、できないこと。やりたいこと。そこに新たな道を見出しても、思い通りに歩けないこともある。そんな時、すぐ傍にいて背中を押してくれる、頼りがいのある誰かが一人でもいれば、つまづこうとも臆する必要はない。怖れるものは何もない。

 簡単に見つかるはずもない。緩やかに過ぎゆく時を気ままに、自分らしく過ごしていれば、あるいは――。

 

「オビト?」

 

 我に返って視線を上げる。再び明瞭化した視界に、不思議そうに覗き込む鈴仙の顔。

 散々と駆り立てられ、追われ続けていた頃の反動か、長きを過ごす妖怪を前にするからか、気づけば物思いにふけったり、感傷に浸る時間が増えている気がした。

 物事の大きい小さいで語るならば、鈴仙との修行など、これまでよりもずっと小さく、ささやかなものだというのに。

 

「で……どうする。日程に空きがあれば、できるだけそっちに――」

「今すぐっ!」即答する鈴仙。「さあ、いつでもどこでも、どこからでもかかって来なさい! 返り討ちにしてやる――って感じに準備万端よ、こっちは」

「今日は無理だ。張り切ってるところ悪いがな」

 

 静かなる一蹴を耳にした瞬間。自信たっぷりな笑みが薄れ、凍りついたように動きが止まる。

 暴走染みた気合いの入りようを体現するかのごとく、危うい輝きを帯び始めていた赤眼が、パチパチと呆気に取られた様子で何度か瞬いた。正気に戻ったとの言い方も似合うだろう。狂喜的な言動は仕方なく落ち着きを見せたようだ。

 

「えー?」鈴仙は口を尖らせる。「どうして? せっかく来たのに」

「やることがあるんでな。色々」

 

 本日、この時間、この瞬間。火ぶたを切る気満々だったのだろう。だがオビトからすれば、事前の接触もなく急に言われるのも、乗り込んで来られるのも想定外であり予定外。先走って身構えた鈴仙が「裏切られた」と言いたげな恨めしい表情で見返しても知ったことではない。いつになく子供っぽい抗議もどこ吹く風だ。

 

「むー。それこそ後じゃダメなの? 本気なの私っ!」

「だったらこっちも準備が要る。腰を据えて臨まなければな。お前は簡単じゃない」

 

 理由は単純だ。片手間や流れ作業のように相手取るだけならば、望み通り直ちに実践できるだろう。時も場合も場所も選ばず、適当にこなせば手間をかけず数分で終わる。木陰で腕を枕に寝転んで本を読みながら、時折にちらっと一瞥する程度のお気楽さで十分だ。しかしながら、『波長操作』の練磨を目的とした試し合いでは、それ相応の瞳力をぶつけなければ、ただのお遊びと成り果てる。己の限界をぶち破るための成長には役立たない。

 時間をかけても手間をかけず、得るものがなければ意味がない。本気で臨みたい彼女の意にそぐわない。瞳術使いとして手抜きや半端は否定し尽くすべきだ。

 

「『本気』ってのが口先だけで……遊びが本意ってならそれでもいい。今ここでやってもいいが、どうする」

 

 わざと挑発的な物言いをする。不満げだった鈴仙は目を瞬き、少し得意げな表情で咳払い。口元のほころびを隠し切れていない。

 

「ん。まあ、そうね……仕方ないか。半端が嫌なのも、本気が見たいのも一緒だし……買われて悪い気しないし」

「日をあらためて来るといい。その時はちゃんと応えてやる」

 

 時間を割く余裕がないのではなく、予定が合わないという方が理由として正しい。

 オビトが過ごす時間は人並み以上に多い。ありふれた人間や妖怪とも異なり、基本的に睡眠や食事を摂らない特殊な体質ゆえ、それらに割り当てる時間がない分、一日の活動時間は単純に長くなる。両方とも摂る鈴仙と比べても差は大きい。草木も眠る真夜中だったなら、出直す手間を省けたかもしれない。

 鈴仙は「楽しみにしてる」と返した直後、「絶対だからね」と念を押して微笑む。熱意を隠さないのは無意識か、故意に見せつけているのか。徹底して食い下がる気持ちの強さ、頑固さは内面を通じて伝わってきた。

 

「よしっ。それじゃあ、二十分後にここで。またどっかに消えちゃダメよ」

「消える暇もないぞ。せっかちって言葉じゃ片づかんな」

「冗談よ」鈴仙はくすっと笑う。「日付が変わった後……そうね、二時くらいでどう? 夜中なら出歩く人間も少ないし、この辺りなら誰も来ないし。都合が好いわ」

「分かった。空けておく」

 

 落ち着いた返答ににっこりと笑いかけ、懐から小さな手帳を取り出すと、目の前で何やら書き込み始める鈴仙。その様子を見てふと気にかかる。

 

「今さらだが……瞳力ってだけなら、似たようなものは他にもある。未知の力ってのはそこまで興味深く映るものか? お前にとっても」

 

 ここまで熱心に励む気があれば、もっと相応しい人材を選定する意味もあるだろう。

 もしもの話ではあるが――快く協力するかは別として――あのマダラやイタチがここに居れば、彼らに丸投げして任せる方が為になるだろう。純粋な瞳力の大きさは前者、幻術の才能とキレは後者が格上だ。鈴仙が求める幻術の試し合いで言えば、指の動きだけで嵌めるイタチ以上の人材を他に知らない。この上ない刺激を与えたであろう。

 特に瞳術『月読』を以ってすれば、時間と空間、人や物の質量さえ思い通りとなる。いかなる幻術世界をも自在に創り出し、心身は現実のものと同一化され、刹那の時は永遠にも変わる。月読の世界にもう一つの『幻想郷』を創り出し、そこに住まう人間や妖怪を生み出し、現実世界と遜色ない時間と季節が廻り行く。それはまさに「現実のような幻」。

 これら三つは一世界を構成する不可欠な要素。必要な場所に必要なだけ留まり、必要な分だけ経験を積める修行の場とはもはや、必要とする者のためだけに作られた世界そのものだ。外道魔像が健在ならば限定月読の有意義な使い道を考える余地もあるが。

 

「そりゃそうよ。もちろん」鈴仙は静かに答える。「でもね、それだけじゃない。後から気づいたんだけど……」

「なんだ?」

 

 手帳をパタンと閉じると、顔を上げてオビトを観察する鈴仙。

 瞳の中に宿る煌めきがぼんやりと揺れ、温かな感触が頬をふわりと撫でるのを感じた。

 

「貴方の精神の『波』……私ってほら、そういうの視えるし、感じ取れるから。だから分かるんだけど、それがいくつか――」

 

 鈴仙が何を伝えたかったのか、最後まで分からず仕舞いだった。出入り口付近から風が吹き込んだ瞬間、咄嗟に反応したオビトと鈴仙が会話を切って同時に床を蹴り、その場から飛び退いたのだ。

 間一髪、崩落した建物の一部が落下し、今まさに二人が立っていた場所を直撃した。耳元を騒がせる凄まじい轟音、頭上に開いた大穴から陽の光が差し込む。

 二人がそろって意識を向けたのは、自分らを潰し損ねた大きな瓦礫ではなく、屋根と天井を派手にぶち抜いたものと、その原因を作った何かの方だった。

 

「いったい――?」

 

 返答する者は誰もいなかった。そう呟いた時にはすでに、オビトは瞬身の術で外へと飛び出していたからだ。鈴仙は驚きながらも急いで後を追った。

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