OBITO -廻光-   作:大兄貴

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心の中に(1)

 雲一つない晴天、じりじりと焼けつく炎天下。せみの鳴き声がうるさく響き渡る。

 

 戸口に立つ女性が暑そうに汗を拭いながら、小さな桶を手に水を地面に撒いている。少しでも涼しさと心地よさを確保して快適な今日を、と思い通りにはなかなかにいかないようで、焼け石にじゅわっと水をかけるだけ。少量でも多量でも意味を成さない。蒸し風呂とまで表現するのは大げさながら、意地悪にも太陽は猛暑に苦しむ人や妖怪をあざ笑う。

 空に昇り地を照らす太陽への信仰心を抱く、暑さ以上に熱心な者にもお構いなし。涼みたければ氷菓子を贅沢にも五本は頬張るか、休暇を楽しむ寺子屋の子供達に倣って川遊びに洒落込むか、危険な獣が跋扈する深い森を通って湖へ――人ならざる者共が集まる避暑地を命知らずにも訪れよとでも言うのか。空を自由に飛べる者なら雲の合間を漂いつつ、可憐な辻斬りをやり過ごして天に召される道もある。

 

「確かに届けたぞ」

 

 この里には生活必需品を含む日用品の他、こだわりの甘味の専門店や風変わりな材木店など、大小様々な商品を取り扱う店が数多く存在し、その中には購入した物の配達を引き受ける店もある。買い物へ行く時間がなかったり、天気や体調が悪いなどで外出が億劫である時にも心強い味方となる役務だ。

 

「いつもご苦労さまです」

 

 特に今日のような暑い中、真夏の炎天下を好んで走り回る配達員はいまい。額どころか全身に汗をだらだらと流して、早く終われと願いながら体力と気力を削るくらいなら、屋内で氷菓子を手に涼みながら客とのんびり応対する方が楽だ。

 数ある中でも唯一、荒れ狂う自然現象はどこ吹くそよ風、春夏秋冬朝昼晩、里内のどこへでも――時に里を超えて、南は辺境から北は辺境、西は辺境から東の端っこまで網羅する上、数分かからず配達を完遂できる者を擁する、というより一から百までを一人で回す超人的な店長と専門店が存在する。

 

「今日も暑いですねえ」女性は息を吐いた。「ところで……大丈夫なのですか? 本当に」

 

 他に従業員もおらず、たった一人の働きで成り立つ上に、配達まで店長直々に行うぶっ飛んだ『煎餅専門店』。だが慣れとは凄いもので、お茶のお供を過去に何度も希望した者達なら驚かず不思議にも思わない。

 

「えっと。この時期に、そのような……?」

 

 良くも悪くもすっかり毒された一人である、そんな彼女が解せない理由は他にある。配達に訪れた店長さんの恰好である。

 暑い日に外を歩き回るなら通常、暑さに備えた涼しい格好をする。道行く人々が根拠となろう。日焼けを嫌がり肌を出さない者も居るだろうが――顎から下を隠す黒衣、厚い皮の手袋、見るからに暑苦しい服装で里中を飛び回る者が居るとしたらどうか。

 常人なら誰がどう見ても思うだろう。地獄のような修行か拷問を己に強いているか、氷菓子十年分が賞品の我慢大会にでも参加しているか、あるいは連日の猛暑で体温調節機能がぶっ壊れたのではないかと。

 

「問題ない。暑さには慣れがある」

「そうですか……」

 

 女性が心配そうに振る舞いつつも、「そうですか」と口にして言葉を終えた理由は簡単で、この格好に慣れが出始めているから。慣れが行き届いていなかった当初も、店を利用した里人達は不思議にこそ思えど、日々煎餅を焼いては里人のために届けてくれる者を奇怪な目で見たりはしなかった。そもそもこの世界は、季節に不似合いな恰好程度でどうこう思うほど、ありふれた『常識』の色に塗れていない。

 ここにいる男も――うちはオビトもまた、外の世界にとって『非常識』に分類される力の持ち主。

 

(時期、か)

 

 人間には温度を感じ取る知覚が備わっている。夏のお日様の下では暑さを、冬空の下では寒さを。太陽の下に長時間晒された金属や、燃え盛る炎に手を触れると熱さを、氷を掌に握ると冷たさを感じる。

 体が特異な細胞に侵食されて、作りや機能が変質したオビトの場合、知覚の一部が通常のそれとは異なり、これら全てが後者にしかならない。真夏の炎天下や灼熱の砂漠を歩けば『暑さ』ではなく『熱さ』を、極寒の雪原や山を歩けば『寒さ』ではなく『冷たさ』を知覚するに止まり、体のだるさや寒気などの不調をきたすことはない。火遁を浴びれば大火傷、氷遁なら凍りつく体ではあるが。

 輪廻写輪眼の瞳術が司る熱砂、溶岩など異常な気候の空間とは違い、幻想郷の常識的な気候では春夏秋冬、どんな恰好で歩き回ろうと体調を崩すことがないため、厚着や素っ裸でも配達任務に支障はない。柱間細胞を持たぬ人間だとしても、忍ならある程度の過酷な環境にも適応できるよう訓練を受ける。忍と呼ばれる人間が存在せず、定義すら知る由もない人里においては、いずれの場合でも異色として映るだろう。

 その一方で服も着ずに通りを歩くと、大抵は悪い意味で目立ったり、白眼もとい白い目で見られるか否かの判断程度は、人の道を外れた現在でも常識の一つとして持ち合わせている。早い話が衣替えをしていないだけだ。

 

「次は……」

 

 女性にお礼を言われて見送られた後、そこそこ大きな通りをオビトは徒歩で移動中。次なる配達先は近所なので、瞳術・神威による時空間移動に頼る必要はない。

 周辺は中央の賑やかな地区から少し離れているが、時間帯もあり人通りは割と多い。手紙を届けに走る飛脚、額に汗して荷車を引く者、通りや家屋の前で談笑する者、無邪気に笑いながら元気に傍を走り抜ける子供、足取りが浮くように軽い鼻歌詩人、首の浮いた者、謎の球体を頭部に乗せた者、毎月の食費が尋常ではない主に辟易する従者、メイド服姿を道案内する傀儡使い。

 

「…………」

 

 ふとオビトは足を止める。特別に目を惹く輩が傍を通りすぎたり、気になるチャクラを感じたからではない。視界の端に映ったものが答えだった。

 家屋と家屋の間、誰も居ないと思われた路地の暗がりに、何者かがうつ伏せで倒れている。猛暑による熱中症か何かで意識を失った里人とも思ったが、近づいてよく見ると、人間とは異なるチャクラの色が写輪眼で確認できた。白狼天狗や夜雀に感じるものと同じ妖気だ。

 見た目は人間の少女。桃色の長い髪が広がり、風船のように膨らんだ特徴的なスカートには三日月状の切れ目が、目と口を表す並びでいくつも入っている。声をかけても返事はなく、体を揺すっても反応を示さない。傍から見ると行き倒れである。

 

(近くに――)

 

 人ならざる者とて捨て置くのは忍だけに忍ぶが忍びない。里人なら里医者に運んで終わるとしても、人間の人間による人間のための里で、人外たる者をどこへ運ぶべきかが問題だ。妖怪を看る場所など里にはない。しかも真昼間に。

 知る限りでは一つ、里医者でも治せない難病の患者が世話になるという、迷いの竹林にある『永遠亭』。人外専門の医療機関ではないが、八意永琳という凄腕の薬師兼医師が居り、里医者と違って妖怪の出入りがある。竹林の中を進むためには案内人が必須のところ、以前に足を運んだ際に時空間移動用の印づけは済ませていた。

 

――がしっ。

 

 時空間へ転送しようと姿勢を低めた時だ。地に伏して顔を上げないままに、腕を伸ばして足首をがっちりと掴んだ。呆気にとられて動きが止まるのも当然。

 

「は……は――…」

 

 絞り出される小さな声。ゆっくりと顔が上げられる。髪色とおそろいの瞳がぎらりと光り、口元は真一文字に結ばれている。発散する凄まじい妖気の風がオビトの頬を撫でた。

 

「――…腹ペコだ」

 

 

――◇◇◇

 

 

「我が世の春が来たーッ!」

 

 大皿に山盛りの三色団子を前に、少女は休む間もなくばくばくと頬張り続けている。向かいに座るオビトは湯呑を手に、その尋常ならぬ食べっぷりを物珍しげな表情で眺めていた。ここは里内でも一、二を争う人気の甘味処である。

 水を得たわかさぎのごとく夢中なのは団子だけではない。小柄な容姿の割に大食いなのか、大福餅に寿甘、桜餅に草餅、白黒饅頭に中華まん、おはぎに白玉ぜんざい、他にも豊富な種類がざっと一通り。何度目かも数えていないおかわり。ちなみに運んできた店員が風変わりで、勤務中にもかかわらず団子をもぐもぐしていた。

 

「充実した時間だった……礼を言うぞ人の子よ。んふふ」

 

 可憐な容姿から紡がれた厳かな口調。神奈子や純狐などの前例を知るオビトは驚かない。ただしその二名とは異なり、少女は食事中ずっと――否、あの路地で遭遇してから貌の表情が延々と変わらず、喜怒哀楽どころか感情そのものが表れていない。つまり無表情のまま甘味を楽しんでいた。

 物を食して美味しいと思えば表情に出る。少女にはそれが全く見られない。礼を口にして(無表情ながらも)笑い声まで発したというのに。例えるなら能面でも被り、面の穴から声だけが漏れ出したかのようだ。

 オビトも表情が乏しい方とはいえ、ここにきてさらに上をいく者が偶然にも現れたのだ。

 

「何者だ?」

「ふふ? はへのほほ?」

 

 口一杯に詰め込んでもごもごと喋る。おそらくは『何者』が誰を指す言葉かを聞き返した少女に、オビトは湯呑を置いて「お前だ」と真面目に返す。向こうが笑いを取りに来ても反応は同じだろう。

 

「わらひは、がっ!」

「ガ? 蟲の妖怪か。月光浴には早いが」

「否っ!」ごくんと呑み込んで咳払いする。「――私の名は、『秦こころ』っ! 偉大にして崇高にして希少なる、面霊気っ!」

 

 むせつつも高らかに名乗る本人はなおも無表情。自分の世界にでも入り込んだのか、周りに配慮しない大きすぎる声に他の客も驚いたようだ。その中にいた少女が二名ほど、何故か警戒に満ちた視線をこれでもかと送っている。甘味を口一杯に頬張りながら。

 無表情で大声を上げる姿も珍奇だが、それ以上に奇怪なのは本人の周りに浮かぶ『お面』の数々だろう。半透明で実体を持たないソレが、青白く燃ゆるチャクラに包まれて、投影された映像のように宙に浮かんでいる。

 さらに奇妙なのは、本人の傍に浮かぶお面の表情が、先ほどから何回か変化していること。甘味処を訪れた際にはひょっとこ、食事中は福の神。一皿を平らげて次の品を選んでいた時は猿らしき面、合間合間に喋る時はひょっとこに戻り、食事を再開すると福の神に戻った。忙しなくとまでは言わずとも、同じ面の変化は何度も見られた。

 

「面霊気、秦()()()……聞き覚えのない名だ」

()()()だっ!」無表情で傾げられる首。「じゃない、()()()だ。間違えた」

「そうか。オレは()()()だ」

 

 なるべくなら間違えても想像したくのない禍々しい姿。人や妖怪達が食事を楽しむ平穏な甘味処で、恐ろしく似つかわしくない物騒なモノを連想する。改名はしない。

 

「ほう。お互いさまか」

「そうなる」

「わーい」

 

 文字にしても判りやすい喜びようだ。無邪気な声にも同じ感情が含まれるのに、目に見える表情からはやはり覗えない。翁の面が浮かんで見えていても、面と向かって話すと奇怪な感覚は否めない。

 あまりに表情に出ないために、素顔を模ったお面でも被っているか、お面の方が素顔かと錯覚しそうな――人ならざる者ゆえにと様々な考えが浮かんでは消える。幻想郷や忍界にも前例はない。

 

「とにもかくかく、死んでも心に留めとけ、おバカ者っ」

「こころ、か……なら覚えがある」

 

 腹を空かした行き倒れという形での遭遇や大食いなど、この短時間で濃い体験をもたらした人物。表情豊かな面霊気・秦こころなる妖怪に関する情報は把握済み。稗田家当主が記した幻想郷縁起によって。

 面霊気はお面に霊魂が宿って生まれる付喪神の類。付喪神は長く使われた古い道具が化けて生まれる、名の通り神とされる霊的な存在だが、幻想郷では天狗や河童などの妖怪と同一視される。元々は妖怪も神も信仰の違いこそあれ、人の力や理解が届かない高位の魂を持つ点では共通するために、一括りにしても違和感は生じない。こころも例に漏れず特別な力を持つのだろう。

 自然現象や自然物、人間の体でもなく、身近にある物品に宿る付喪神。八坂の軍神を擁する括りとは別枠に収まる数々との親和性で考えると、必ずしも符合しないとは断言できない。どこぞの仙霊とて同じことを思うかもしれない。然るに神威を宿すオビトがそれに気づいて、見知らぬ面霊気に甘味を振舞ったわけではない。

 

「ともあれ、これで満足だろう。もう行く」

「厠か? 厠だろう、さては」

「荷配りを残している」席を立つオビト。「金はここに置いておく。忘れないことだ」

「案ずるな。その程度は朝団子前だ」

 

 物を買うなら代金を支払う。妖怪のこころとて人間世界の常識を知るように、危険な犯罪組織を率いる首魁として忍界の闇を生きてきたオビトも持ち合わせる常識だ。余計な悶着を避ける意味合いが大きいものの、木ノ葉の里で暮らしていた当時の感覚が欠片もないと言えば嘘になる。

 

「同志、オビトよ」こころは向き直る。「よもや己が身を削り、この私に至高なる幸を与えんとするとは。此度の素晴らしき時間は忘れないぞ」

「大げさだ」

 

 里においては煎餅専門店、自然に優しい材木店も経営する身として、菓子を購入する程度の金銭なら直ちに用意できる。組織で高額の賞金首を狩ったり、裏世界の物騒な連中との取引で動かしていた数千万両の金に比べたら安いものだ。

 周りの人や環境、世界も異なる場所に放り込まれた身で、様々な異物感に起因するマヒを起こしていないのは幸いか。

 

「しかしだ。至上なる施しを受けて何も返さないのはいただけない。配達とやら、私が手を貸してやろう」

「気にするな」

「遠慮はだめ。そうもあっさり拒否られたら傷つく」

「何かしたいなら」オビトは踵を返した。「オレに憑くのを止めさえすれば、お前に望むことはない」

 

 命の危機に瀕した里人ならともかく、最高に健康的で頑丈な体の妖怪を介抱して、空腹だからと甘味まで与えた理由がある。事の発端は、秦こころを里人と勘違いして迂闊にも近寄り、妖怪であると判明した瞬間にまで遡る。

――そもそも何故、こころは人通りのない路地に居たのか。答えは簡単、偶然にも選んだ道の真ん中で、目的の場所へと到着する前に行き倒れたから。彼女はどこかを目指していたわけだ。その場所こそオビトの店だった。

 次は訪ねようとした理由。答えはこころ自ら口にした『同志』なる言葉だ。店先でオビトの姿を見かけて以来、面霊気として何やらびびっと来るものがあった。生まれて初めて味わった感覚の正体、それが明らかになるまで『憑いて』みることに決めた。こころの一存で。あの場を何もせずに去っていたとしても、後々向こうから接触を図っていた。こころの一存で。早いか遅いかの違いでしかなかったのだ。

 甘味を馳走した理由は親切心ではない。こころを上機嫌にさせることで、勝手に練られた企みの全てを取り下げてもらおうと、博麗の暴力巫女と揶揄される人物や、人外たる妖精をも虜にする甘味を最大限に利用せんと考えたがために。人や物を閉鎖空間に隔離する神威や、忍術を用いた強引な解決手段に頼らず、機嫌を損ねて勝算を失わぬように、話し合いで容易かつ平和的に諦めさせるためだ。

 

 空腹という都合の好い状態、甘味好きなのも重なり、試みは実を結ぶかと思われた。

 

「いやー」

 

 即座に下された答えは悉くを拒絶する。人の声とは耳に入るものだが、今回は耳ではなくノー。面はまたもひょっとこ。

 オビトは一つだけ見落としていた。この世界に身を置く者として受け入れるべき常識を。ここは忍界の常識が通用しない、一から百まで全てが非常識な色に塗り潰された楽園であることを。面霊気ないし付喪神なる存在、こころ本人が常識破りなのだ。

 

「面霊気のお前を惑わせる何か……その正体を探りたいってわけか」

「話が早くて助かるー」

 

 ぱっと見は無表情。じっと目を凝らしても無表情。能面や鉄仮面のように表情が動かない。弾幕を用いる方の札遊びは不明だが、座して行う方やにらめっこでも負けなしと思わせる。

 その一方、声や動作からは感情がこれでもかと伝わる。表情を見るだけでは軽快な喋り方を予期できず、話を聞くだけでは感情を欠いた表情など頭に浮かばず、豊かな感情と無表情とが符合しない。言動は見事に対照的だ。

 感情を面に委ねて表現する能楽。舞台では面が主役であり、それを被る者は表現を引き立てる一役に過ぎない。こころ自身の表情は写輪眼でも見通せなかった。

 

「こっちからは何もできんぞ。言っておくがな」

「うへへ」

 

 実力行使で処理しない理由がある。第一に、小うるささはあれ、掲げた目的の直接的な妨げにはならないこと。第二に、こころが敵対心を微塵も持たぬこと。無闇やたらに敵を作るほど馬鹿でも狂人でもない。第三に、マダラを騙っていた頃とは異なり、他者の命が偽物ではない『本物』として映るようになったこと。

 過去に遭遇して脅威と見なした連中とは違う。ある程度の距離を保てるなら問題はない。

 

「で……どういう意味だ? 憑くってのは」

「『観察』するのー」こころは緩い口調で喋る。「どうして貴方が私の目に止まったのか。解らないことが綺麗さっぱり消えるまで、ず~っとじ~っと見させてもらう。それだけ」

 

 口の端に餡子を付けたまま親指を上げた。表情がないために得意げかどうかまでは判別できない。面霊気の被るお面は人間のそれと異なるが、見方次第で笑劇が似合うと言えなくもない。

 

「観るだけか。何かするってわけじゃないんだな」

 

 付け加えてまで表明した平和的な指標は実に好都合だ。妖怪の命と力の存続に必要不可欠な争いごとを遊びに置き換えたからと、面倒な弾幕を好き勝手にばら撒かれるのは、札を持たず規定に該当しない異邦人には好ましい行いとして映らない。

 もっとも、幻想郷における物事の正常な流れを決定づけるのは人間ではない。他ならぬ妖怪達の考えや行いだ。血生臭い殺し合いは向こうからお断りだろう。

 

「してほしいの? 四六時中でこぴんし続けていい?」

「するな」

 

 己の内に生じた疑問、違和感の正体を突き止めて払拭するために、こころは此方の行動を監視すると唐突な宣言をした。日々の生活における発言や行動を妨げる意味を含むならともかく、それ以外なら放置しても厄介ごとは呼ぶまい。

 忍の世では視る視られるなど日常茶飯事。とりわけマダラとして生きていた頃は、組織の内外から常に監視や警戒の目に晒され続けて、安息の時など一度もなかった。それに比べたらこころの言う観察など可愛いものだ。幻想郷での暮らしにしても、里外の森に潜む式神達を始めとして、妖怪賢者達『管理者』から監視の目を向けられることには、外から入った外来人として慣れがある。

 ちなみに式神達は幻想郷中にばら撒かれているが、外来人との理由だけで監視がつくことはない。妖怪と単身でやり合う力を持つだけでも足りない。人と妖の均衡を揺るがす要因となり得る者が特に向こうの目に留まる。その一方で監視の責務は管理者に存在せず、各々が自由に振る舞い、目を置くか否かの裁定に総意は不要との話なので、あの八雲紫が関与するかまでは判らない。

 

「待たれい、もう少し付き合え。一緒に食そうではないか?」

 

 ぜんざいに夢中だったこころが面を上げると、代金をテーブルに置いて店を出ようとするオビトの袖をがっちりと掴んだ。陽気なひょっとこのお面だ。

 

「オレは要らん。お前にと用意した物だ」

 

 テーブルに所狭しと並ぶ菓子の群は、底なしの胃袋を持たされた彼女だけが手を付けることを許された美味なる代物。甘味を愉しみ高揚した気持ちに興奮をもたらしたのか、頬を微かに紅潮させてふわりと浮かび上がると、ずいっと顔を近づけて「ほう?」と上ずった声を漏らした。無表情で。

 オビトは「騒がしい」の一言と共に襟首を掴む。こころは大人しく席に戻されると、何事もなかったように食べ始める。お面は福の神のまま変わらない。

 

「面の付喪神、秦こころ。見たところ甘味に夢中だ……お前はな」

「もぐ?」

「となれば、ここに縛りつけるのは容易い。この意味が分かるか」

「……もぐっ!?」

 

 去り際にまたしてもオビトの裾をむんずと掴み止め、「私が食べ終えるまで待て」と言いたげな重圧を振り撒いたこころが、口元に小豆を付着させてもごもごと声を発した。面は大飛出に変化する。

 こころと同じ髪色をした二人の少女も、別の席からオビト達に注目している。腕に包帯を巻いた方はハッとした表情で息を呑んだ。もう一人はのほほんと呑気な顔で見守る。

 

「『付喪神』は長く大切に使われた物に宿り、大切に扱わなければ祟って厄をもたらす。凄まじい憤りと共にな……粗末に扱われるのを毛嫌いしている」

「もぐっ……!」

「お前は面霊気だが、それが『物』なら食い物でも良い気分はしない。お前自身もしたがらないはずだ。現に皿は洗浄後のように粗一つなく綺麗に見える」

「もぐ……」

 

 物を大切に扱わぬ者を祟るのが付喪神なら、付喪神自身も粗末には扱うことは考えまい。自分の顔面に泥をべったりと塗りたくるような暴挙だ。こころの様子から察するに、人知を超えた妖怪や神の類ゆえにと例外扱いはないと思われる。

 山盛りなのは団子だけにあらず。何度か注文を追加して数を増やした。胃袋は少しばかり大きめのようだが、それは理解の及ぶ範囲での話であり、今やただの大食い程度では到底食べ切れぬ量がテーブルの上に座している。幻想郷の民達がいかに常識破りの能力を持てども、食事の許容量まで突き破る輩はいまい。胃袋を破るという意味では正しいとしても。

 

「つまり……全てを平らげん限り、この場を永遠に動けん。お前はな」

 

 取り憑いて離れないと高らかに宣言したところで、付喪神である彼女が物を粗末にできなければ、掴まれた手をこの場で振り払い、甘味処を去ろうと直ちに追いかけては来られない。食べ終えるまでは席に縛りつけられるに等しい。鎖や枷は形ある物質に過ぎず、形なき概念的な拘束具には遠く届かない。

 

「も……ぐっ……」

「お前に力があるのかどうか。切り抜けてみせろ……秦こころ」

 

 店の従業員は天より舞い降りし無類の団子好きで、お残しは決して許さない。咀嚼音が喧しい上に団子の串を千本のごとく投げてハリネズミを量産する勢いがある。猪突猛進な忍の頭突きを真正面から食らおうとひび一つ入らない頑丈な面でも、目出し穴に直撃すれば激痛は避けられない。

 彼女の前にそびえる壁の高さを思えば、颯爽と逃げて身を隠す時間は十分に稼げよう。

 

「もぐっ……おのれ……おのれえええっ……!」

 

 後ろ姿は遠ざかり、早々にのれんを潜って消える。与えられるべくして与えられた試練を噛み締めて、無表情で気合いを入れたこころは一呼吸置き、口に運ぶ速度を急激に上げていく。

 甘味を相手に一人奮闘する姿を、離れた席から神妙な面持ちで見守っていた誰かが、ついに呼吸を乱して頭を抱える。

 相方は動じなかった。戦況を冷静に分析した後、優雅な動作で扇子を閉じると、意を決心した表情で頷いた。

 

 

――◇◇◇

 

 

「……こんな馬鹿なことが」

 

 閑静で清潔な店内にてこぼれた呟き。焼き上がったばかりの品々を受け皿にざーっと補充しながら、生じた誤算に関して思考を張り巡らせるが、頭を悩ませても原因は分からず時間だけが過ぎる。

 そんなオビトに屈強な体格の客が近づき、「おう兄ちゃん」と響くような低音で話しかけた。迫力のある見た目で威圧感を放ち、筋骨隆々な体は現役の傭兵か何かに見える。傷だらけの恐ろしげな顔には豪快な笑い、オビトの方も慣れた口調で「アンタか」と振り向いた。

 

「ガキどもがうるさくてよ。いつ来てもイイ店じゃねえか、なぁ?」

「自覚はないがな。あまり」

「色は目立たねえが、隠れた名店って感じが気に入ってんだ。味も好みだし、値段も手ごろだしよ」

 

 賑わいのある地区の店舗と比べると見劣りする部分は多い。師と仰ぐ者の教えを受けて独立したばかりで知名度が低く、外れた場所にあり立地も良くないために、他の地区から遥々足を運ぶ者は少ない。客足はもっぱら近所からだ。

 煎餅を焼く理由が商売ではなく個人の趣味である関係で、価格の設定は(安直に考えた結果として)他の店よりかなり低いが、売上の増加に繋がる宣伝等は一度もしたことがない。それにより客足がゼロに落ち込もうと店は畳まれず、これからもひっそりと焼き続けるだろう。

 

「……おっと、忘れるとこだった。前に頼んだ材木なんだがよ」

 

 煎餅の代金を支払おうと財布の紐を解いた時、客が思い出したように口を開いた。申し訳なさそうに頭を掻いている。

 

「四から九番、二十一番の角材がもうちょいあれなんだ。手間かけて悪ぃけどよ――」

「追加だな。分かった、伝えておく」

「済まねえな、助かるぜ」

 

 里内における経営に携わるのは煎餅専門店と材木店の二つ。もう一つは別の地区にあり影分身に任せている。客の出入りは一部を除いてほとんどない。オビト一人だけで回す事情もあり、扱う品が異なるこの店との直接的な繋がりがあるために、此方からの連絡が直ちに行き届く強みがある。ちなみに後々店舗を移転する予定であり、地底世界にある『旧都』の視察も考えている。

 木材は人々の生活の必需品で、市場における需要の高さは言わずもがな。その供給先を確保するにあたり、命の危険が伴わないルートなら需要はさらに高まり、長期に亘る安定性が保証できるなら引く手数多となる。オビトの材木店は好条件を満たす店舗であるにもかかわらず、建築材に限定した受注生産であり、在庫はなく見本を店内に置くのみ。煎餅とは違い一般向けではない。

 

「にしてもよぉ、浮かねえ面だなさっきから。どーしたよ?」

「イヤ……少しな」

「まさかたぁ思うけどよ」客はちらりと背後を見る。「……あれか?」

 

 オビトは感情が豊かな方ではない。表情の変化にも乏しい。人によっては普段と変わらぬようにも見えるが、客は煎餅材木共に常連の一人として即座に察した。先ほどの小さな呟きと関係があると。あるいは初対面の他人でも、店内のある一点に目を向けるだけで分かるかもしれない。

――明らかに見覚えのある桃色髪、切れ目の入った膨らみスカート。吸い込まれそうな目。表情が豊かで乏しい何かが店先から覗き込んでいる。

 

「真昼間だってのに。人の童じゃねえよな? 長年の勘で判るぜ」

「……間違いではない」

 

 まだ昼間で人間が活動する時間帯。妖怪が里内に姿を見せるのは(里人に扮した輩は別として)日の入り後だが、元より妖怪は基本に囚われない自由人ばかりで、物事の定義や基準を平然と無視する生き物だ。何もかも唐突で予期するのは不可能に近い。

 実はこの店に出入りする客は、他所と比較しても妖怪の割合が高く、日が沈んで以降は入れ替わるように人外が姿を見せる。獣の耳や尾、異形の翼を隠そうともしない者、「ふわふわと宙を浮かびながら」来店する者などは、露骨すぎて見分けるのに写輪眼でチャクラを視通すまでもない。

 

「引っ込み思案の恥ずかしがり、ってな感じだなぁなんか。下のガキにそっくりだぜ。お前さんの知り合いか?」

「否定はしないが中身は逆だ。おそらくな」

「ってこたぁ……?」

 

 無表情で一言も喋らず、澄んだ瞳でオビトを映し続ける人物。よもや外見だけでは思うまい。感情表現が豊かすぎる上に、耳障りなほど口数が多く、声も胃袋も大きい元気一杯な輩などと。

 他人の空似では決してない人物がいる――この現実はどう足掻いても否定のしようがない。幻想郷や忍界にも変化の術が存在する以上、視認だけで見抜くなどできまいが、近距離から感知できるチャクラは本人と数分違わない。付喪神の性質を利用して甘味処に縛りつけたはずの本人である。

 

「勝ちを得たのは誰かね? 私だよー、同志っ」

 

 出入り口のど真ん中に立つこころ。自信満々(と思われる)な様子でオビトを見ている。その割に終始無表情なのは甘味処に居た時と何も変わらない。例によってお面は福の神。

 

「用事思い出しちまったぜ。じゃあな兄ちゃん、喧嘩すんなよ?」

 

 何の前触れもない真昼間からの出来事。怖いもの知らずに見えた客も不意を突かれて焦ったか、先が読めない妖怪の飛びっぷりに付き合う気はないのか、会計を終えるなり早々に回れ右すると、入店した面霊気と入れ替わる形で帰ってしまった。

 暫しの沈黙。店内は他に誰もおらず、人通りのない表からは鳥の声しか聞こえない。

 

「この短時間で……信じられん」

 

 甘味処で大量の甘味を一人で相手取っていたこころ。テーブルに盛られていた量を考えると、甘味だけに甘く見積もっても数時間は格闘を強いられると思われた。だがあれから甘味処を後にして、残りの配達を終わらせて店へ戻り、焼き上げていた煎餅を売り場に出すまで十分も経っていない。こころはその僅かな時間で完食して店を脱出、ここまで辿り着いたことになる。

 付喪神は物を大切にしない輩を祟り、本人も粗末に扱うことを嫌がる。こころの皿が未使用同然に綺麗だった辺り、食べ切らない内に残したり捨てた可能性は皆無か極めて低い。まだ見ぬ未知の力を隠していたとでも言うのか。

 

「よろしい。丁寧に教えて進ぜよう」

 

 狐の面に変化する。ふわりと浮かんで店内をゆったりと動き、オビトの前にある勘定台の上まで来ると、軽やかに下りて腰かけた。以前にどこかの自由奔放な輩が勝手に持ち込んだ、店の内装に合わない装飾の椅子と丸テーブルを華麗に無視して。

 

「半分まで食べ終えて『戻しかけ』て、もぐもぐうるさい店員のやつに団子の串で的当てされかけた時だ――私の元に救世主が舞い降りたのだ。飢えた獣よろしく貪欲に目を光らせる桃ヤローが」

「桃ヤロー?」

「奴は私の頼みを快く引き受けた。腰巾着もあとから入って来て、何故か頭を下げて感謝した。なんだかちょっと気分がよくなった」

 

 完食に至らぬ限りは席に縛られて動けない。付喪神の性質を利用して時間稼ぎを試みただけで、食べ切るにあたり何の制約も課していない。人数や制限時間はもちろん、オビト自身は完食さえ強いておらず身を隠してもいない。何なら残しても問題はなかった。

 席はともかく規律には縛られていないのに、こころは他者の助けを借りてまで律儀に挑み、最後まで投げ出さずやり遂げた。付喪神として物を粗末に扱うことなく。

 

「大した伏兵がいたものだ」

「うむ」こころは足をばたばたと振り、オビトの袖を掴んでぶんぶんと揺らす。「華奢な見た目に似合わず、もの凄い食欲だった。私が苦労して詰め込んでいた団子を一口で平らげてしまった。しかもまだ注文してた」

 

 去り際に確認した大皿の団子は、短時間で食するのは不可能と断言できる量だった。それを一口でなどもってのほか。追加で注文するなど正気の沙汰ではない。こころの話が本当なら、底なし沼ならぬ胃袋も、幻想の地が擁する七ならぬ百不思議に数えられるのだろうか。

 

「……私も団子は好きだが、奴は私の比ではなかった。二つの意味で思い知らされたぞ。上には上がいると」

 

 上には上がいる。この言葉を体現できる者の一人や二人は存在するものだ。何とか越えようと足掻いても越えられない壁を知らず、受け入れようともしないうちは、井の中の諏訪子で在り続けるだろう。

 団子好きが団子で負けて言い訳をせず、素直に敗北を認めたならば、感じた衝撃の大きさは余程のものなのだ――と、昨日今日に会ったばかりの面霊気について分かったように、二つ目が何かも訊かぬままにオビトは頷いた。

 

「ぱっと見たけど、他は置いてない感じかなー。焼いた米粉の香ばしさよ」

 

 こころは急に話題を変えて店内を眺める。会計用の長台には何種類かの煎餅がガラス越しに置かれ、壁際の木棚には袋詰めにされた物も几帳面に陳列。隅っこには色合いと内装を無視した装飾の肘掛椅子とテーブルが一組。あえて長台に腰かけた理由は不明である。

 落ち着きがあり清潔感もあるが、やはり賑わいのある地区の店舗と比較すると一昔前。先ほど来店した客が指摘した通り、客を惹きつける流行りの内装ではない。取り扱う物は煎餅のみで品数も少なく、種類が豊富な老舗の店舗と比べると、商品を見て回る楽しさも薄い。それ以外の品を一つも置かない、超がつくほどに特化された先鋭的な専門店である。

 

「団子の方が好みか? お前は」

「甘味は全般好き。ここも良い表情してる」

「『表情』?」

「人間には解らないことも、解っちゃうの。私だもんね」

 

 棚に並んだ煎餅の袋に手を触れながら、得意げな口調でえっへんと胸を張るこころ。口を開く度に切り替わるお面はともかく、何を言うにも不変なる表情については、初めは慣れのなかったオビトも気に留めなくなっていた。

 

「気に入ったなら、なによりだ」

「んー? なんかてきとー」

 

 人と妖怪は生きる世界が異なる。双方が共存する土地で語るのは些か的外れと思われるが、体の作りや寿命を始めとする様々な差異に着目するなら、この言葉もあながち間違いではない。人には決して知覚できないモノの数々も、人の外にある妖怪や妖精は感じ取る。そもそも始まりが、生まれからして違うのだ。全てを同じとする方が不自然だろう。妖怪とは正反対ながら、神の一端に触れた過去の経験と記憶は、非常識的な物事に対する滞りない理解に役立っている。

 思いのほか短い返答をオビトが口に出したのは、思考を遍く外部へ発信する必要性を、昔からの消えない癖で否定したに過ぎない。無表情ではなく無意識のうちに。

 

「なかなかに美味そうだな。じゅるり」

 

 美味しいもの、美味と思われるものを見た時、生唾を飲み込んだり垂らすのは生物として、人でも妖怪でも不自然とは言うまい。

 こころの場合は言葉まで紡いだのだから掴めない。妖怪とは「こういうもの」なのだ。

 

「欲しいなら構わんぞ」

「今は持ち合わせがない。また後日にして、貴方の『観察』を優先しよう」

 

 本人の傍に浮かぶ半透明の面が姥らしきものに変わる。今まで隠されていた新しい表情、初めての感情が表へ出てきたのだ。オビトは目を向ける前に「金は要らん」と一言。

 金属や紙に金銭的な価値を見出さないどこぞの巫女とは違い、こころが不思議そうに首を傾げるのも当然だった。幻想郷が外界にとって非常識な世界とはいえ、品物を購入するにあたり金銭を要するかどうか程度は判り切っている。この建物が商品を売る『店』の体をとる以上、金銭の支払い義務が対価として生じるのは常識であると。外界が妖怪など非常識な存在を否定しようとも、幻想郷は外界における常識の全てを拒むわけではない。

 

「ただは申し訳ないぞ。厚意だけ受けておこう」

「売れ残りはどの店でも出る。手放したところで支障はない」

 

 店内をあらためて見渡すこころ。木棚には袋詰めの煎餅が置かれているが、棚が大きい割に商品が少なく、まばらで点々として寂しく映る。ガラス越しに見える方にしても同様に。

 売れ行きが芳しい店なら在庫は多めに確保する。他所にある人気の老舗煎餅屋は、現にオビトの店より品数は遥かに勝る。売れ残りという言葉を聞いて経営状態に疑問を呈しても無理はない。

 

「そうだな――」オビトは暫し考える。「ここにある品を全てお前に譲って、同じことを毎日何か月と繰り返しても問題はない。言うならオレの趣味だ……この店はな」

「商売が本意じゃないのか。無償で配る『ぼらんてぃあ』ってやつだな? やりおる」

 

 こころの当てずっぽうも割と的を射ていた。オビトは売れ残りや割れ煎、時には焼き立ても無償で他所に配ることがある。最近だと場所は遠いが、寺子屋で教鞭を執る上白沢慧音を通じて、子供達用にと大袋をいくつか送ったことも。だが「少し違う」とオビトは返答する。

 

「『魔法の森』の古道具屋を知っているか?」

「名前だけなら。ろくでもないガラクタばかり押しつけると」

「行ったことはないのか」

「すまぬ」

 

 古い物に魂が宿り生まれた付喪神、という身の上だけでは古道具屋との関連性はでき上がらないようだが、オビトが話題に挙げた理由は自分の店の方にあった。

 煎餅を焼いて売るのは趣味であり商売ではない。この言い方は正誤半々である。

 

――魔法の森。茸の生育に適した薄暗く湿っぽい森で、ある特定の区域を指す呼び名であると共に、幻想郷全域に鬱蒼と広がる緑の大海原を総称した名としても通る。森林を形成する樹々が外へ出ても途切れず辺境にまで続くからだ。そのため、魔法の森と繋がる出入り口は数多くあるが、うち一つが人間の里からさほど遠くない場所にぽっかりと開き、くだんの古道具屋がすぐ傍にある。

 名を香霖堂。森近霖之助という人物が一人で経営する店で、幻想郷のみならず、地底界や冥界、果ては外界の物品まで取り扱う道具屋だ。この店主が少々癖のある人物で、気に入った物を拾い集めては持ち帰る収集癖が商売魂に優るという、いわゆる蒐集家としての面が目立つ。自分の店を持ちながらも肝心の商売が二の次だからか、ツケをあっさり許したり、店の物を勝手に持ち出されてもあまり気にしない。

 商売をする気はあるとのことで、山の天狗達が発行する『文々。新聞』に時々広告を載せたりと客集めにも意識を向けるようだが、商品の中には本人のお気に入りや気まぐれで非売の印を押された物も多く、売買が成立して人の手に渡るのは使い道のないガラクタになりやすい。ちなみに博麗の巫女や白黒魔法使いなど常連も何人かいるようだ。

 趣味で店を開いている点は同じであるために、全ての事情を一から懇切丁寧に説明せずとも、「香霖堂」という名称を用いるだけで事は済むのだが、こころなどの例外が現れることもある。

 

「自分より周りの利とな。好きでやるのは理想的だが、元を取る以上の金は必要ではないか? 先々のことを考えるなら」

 

 心身を取り巻く言い知れぬ違和感、会話を通じてその正体を突き止める目的ゆえか、あるいは純粋に興味を抱いたのか、意外にも深い所まで疑問を投げかけるこころ。

 

「確かにな」オビトが頷いた。「そのために必要な諸々は得ている。それで足りるってだけだ」

 

 目先の利益のみを安直に求めるならば、長期的で持続性のある経営に注力する必要性は薄い。後者なら論外と切り捨てる一方で、前者の場合は残された課題を短期間に達成できさえすれば、その後のやり方を多少変えても不利益は生じない。元々の価格設定が(市場価格を考慮しつつ)安価なこともあり、利益度外視で商品を配布したり、己の財としたりと比較的自由が利く。然るにオビトの場合は煎餅作りが本意であり商売は二の次だ。宣伝目的の配布はせず、広告も載せないなど徹底して無関心。ただ「煎餅を焼いている」だけである。

 利益の追求に消極的すぎると、こころの言うようにいずれは破綻するだろう。煎餅を焼くだけとはいえ、原料費を含む諸々の費用の支出は避けられないが、諸々を賄うにあたり所々で手を打っている。木遁による材木の安定的な供給ルートが一つだ。宣伝を行わない点は同じである一方、需要の高い物の参入は市場に多大な影響を及ぼすために、煎餅とは違い安価には設定しておらず、一定期間の供給量と供給先にも厳しい制約を課している。揺るがぬ安心と信頼が明日の煎餅作りを助けているのだ。

 

「ほう、幻想郷(ここ)で言い切っちゃうか。大胆だな」

 

 人間の生活に必須となる衣食住。衣と食は言わずもがな、住にしても木遁や神威で事足りるのは当然として、煎餅作りに用いる米などの原料以外は、土地や建物も含めてほとんどが自給自足。数の少ない品々を無償で配ったところで、不利益と見なせる不利益は生じない。失うものなら金銭より体力とチャクラの方が多い。

 この店が建つ土地は、農地としての土壌や土性、地盤や利便性など様々な要因を総合的に考慮して、利用価値が著しく低いと判断された不毛の地を安価で買い取り、土遁を用いて慣らした場所。店が入る建物にしても、他所から譲り受けたり、使われない廃屋を拝借したわけではない。建築関連の書物を読み漁り習得して磨き上げた、木遁『四柱家の術』により造り上げた物だ。簡素な作りだが煎餅を焼いて売る分には何の問題もない。

 ちなみに店を里内に構えた理由は主に三つ。「里の人間を襲ってはならない」という約定の外にある異邦人ゆえの立場、里外に構える必要がないこと、阿求からの助言を受けたことだ。妖怪の脅威や利便性は重要視していない。どこに居ても命を狙われる忍界なら別として。

 

「でもどうせ建てるなら、どどーんと大きいやつがいい。屋敷とかなら見てて楽しいし私も住めるし」

「それはそれで面倒だ。洗練されてないってのもある」

 

 あえて言うなら土地が足りなかったり、人の少ない地区とて景観などの問題もある。

 広大な湖面と森が一望できる館、鬱蒼とした竹林に佇む屋敷――人気や他の建造物の有無で好条件がそろおうと、術の練度が足りなければ話にならない。挿し木や大槍樹を始めとした、敵の命を奪う方向性に尖った物騒な術は使い慣れる一方、人間の生活に寄与する平和的な使い方など忍界では経験がなかった。現在でも小さな家屋を作ったり、角材を生成できる程度に止まる。木ノ葉隠れのヤマトという木遁使いの忍のように、二階建ての大きな旅館を造り出したり、数軒の家屋を一度に建てるまでには至らない。

 この体に半身として植わる細胞が十尾の抜け殻、外道魔像が由来であるのに対して、ヤマトに移植された細胞は大蛇丸が培養した物。傷を治す治癒・再生力が弱い代わりに、実験を重ねて改造を施した分だけ汎用性は優る。これが大元である千手柱間ともなると、屋敷やら何やらを覆い尽くす規模の樹海を創造して、辺りの景色と環境を作り変えるのだから途方もない。

 

「うーん……住居は兼ねていないのか。寝起きはどこで?」

「拠点の話なら、里にはないぞ」

「強いて言いたまえ同志よ」

「ここになる」

 

 上階に居住空間が設けられた店もあるが、この建物は煎餅を焼くためのもので、品物が陳列された店内と、長台の奥にある作業場の他には、原料や道具を保管する倉庫があるのみ。

 誰かと一緒に住むでもなく、特異な体細胞の影響で睡眠すら必要としないオビトにとって、住まいを構える必要性は皆無と言える。休養をとるだけなら野宿や適当な廃屋、他のどこより安全な神威空間となろう。

 

「それは困るぞ。寝床をこしらえるのに差し支える。どうしたものか……」

「寝床? 誰のだ」

「なんと酔狂な。この私以外にいるだろうか?」

「お前の……」オビトはこころを映す。「そうか。お前は寝る方か」

 

 人々の信仰から生まれるものが神なら、妖怪は信仰から外れた逸れ者。生まれの違いこそあれ、人間と比べて超越的な力や、様々なズレを持つ部分は共通する。神とは近しいが人間からは遠い、ゆえに妖怪や神の存在に慣れのある人間――否、「元々は慣れのなかった」人間がそれらを前にした場合、同じ人間相手とは異なる、人によっては奇怪に思える着眼点が見つかる場合もある。

 人間との明確な差異は生活習慣にも表れている。例えば睡眠。昼夜の逆転なら可愛い方で、睡眠時間の長短が極端すぎる者、眠らずに生きていける者もいる。その中でもぶっ飛んだ例では、以前の習慣をなぞるに過ぎない者、趣味嗜好や真似事で床に就く者すらも。体細胞の影響で後天的に睡眠を否定したオビトとは異なり、生まれながらに持つ性質である。

 いずれも一般的な人間では考えられまい。妖怪達に怖れられ気に入られた、幻想郷最強の人間と囁かれる博麗の巫女ですら、命の脈動を保つために睡眠は必要だ。

 

「そうも徹底して張りつかなければ取り払えんものか? その違和感ってやつは」

「いな、いな。他所と行き来して時間を使うくらいなら、ここに身を置く方が手間を省けて好い」

「要は能率の問題か。妖怪の感覚は分からんが、十分すぎる徹底っぷりだ。人間……オレにしてみたらな」

「うへへ」

 

 会話しながら店内を一通り歩き回った後、オビトの元へ戻ったこころは、受け皿に並んだ品々を眺める。指紋が付くのも構わずガラスに貼りつく姿は好奇心旺盛な子供のようだ。

 豊かな感情と無邪気な振る舞い、写輪眼でも先が読めない言動は、妖怪よりも妖精のそれに近しい。動かない表情に代わり、顔の近くに浮かぶ御面が頻繁に変わる。ここまで一度も被っていない辺り、付け替えではなく切り替えの方が言葉として正確だ。

 

「限られた時間、変わるけど変わらない表情、脇に追いやった体の動き……心に訴えかける感情を表現するには足りる。それが正しくできるかどうかで見えるもの、感じるものが変わる。自他ともに」

「面霊気なりにオレの言動を観続け……お前自身に訴えるモノの正体を探ろうって腹か。何らかのきっかけを掴む助けにはなるかもしれんな」

「素晴らしき舞台から観てみよー」

 

 能の御面と言えば能面。人間の魂を収める器であり、人ならざる者の姿であり、人の世とは異なる世界を垣間見る一瞬でもある。面を被ることで体と同化して、人の外にある存在と成り、全ての感情表現は面に委ねられる。

 ぱっと見は表情のない面だが、正確には喜怒哀楽がぼかされた中間的な表情を持っている。数字の一を無表情、百を喜怒哀楽の感情とするなら、二から九十九までの多彩な表情を演じる役割が面によって与えられている。表情を欠いていたり、感情表現に乏しい表情に関連して、比喩として使われる言葉でもある。

 面を被りて人の身を脱し、外なる者と成りて初めて幕を開く能楽。妖や神が支配する世界に生まれて、元より人の身を外したこころならば、面を持たずとも主役と成るだろう。人の身であるオビトの姿や動きを観て、面霊気は何を感じ取るのか。かつて脱ぎ捨てた無情なる面を垣間見れば、あるいは狂い惑う結末を引き寄せるか。

 時間をもう少しだけ巻き戻して、偽りの世界を欲した者を目の当たりにしていたら、果たして彼女は正気でいられたのか。

 

「水を差すようだがな……ここはだめだ。他を探すか、眠らん以外にないぞ」

 

 こころの頼みはこうだ。目的を果たすために、できる限り長々と傍に身を置きたい。寝起きを共にする下準備が必要であると。オビトとしても妨げにならぬ限り、個人的な考えや行動に干渉する気はない。勝手にやれとの放任である。

 

「寝れないのきついー。貴方の布団でいいから、入れてー」

「オレの寝床など、ハナからどこにもない。諦めろ」

「私が諦めるのを諦めろ」

「知らん」

 

 生きるための食事が必須ではない妖怪は数知れず。こころ自身もその一人だが、寝食の寝までは否定できない。同じように趣味嗜好以外では食事を摂らず眠らないオビトは、里内にも外にも、素晴らしき安眠領域である神威空間にも布団は敷いていない。生涯で唯一の寝床は忍界、十数年ほど前の木ノ葉の里にひっそりと存在したが、現在は跡形も残されていない。

 

「どうにも腑に落ちんな。突き詰めて迫るほどには……」

 

 行き来する手間を省くために、観察対象の傍に身を置こうとする。秘密裏に行う監視の意図はなく、向こうから接触して素性と目的を明かした。それ自体に不可解な点は見られない。突拍子もない提案にしても、一刻を争う事態でわらにも縋る思いなら解らなくもない。此度の行いが正しいか否か、人間か妖怪かは別として。

 秦こころは落ち着き払っている。終始変わらない表情はともかく、口数の多い彼女の言葉や声から、急ぎや焦りが毛の先ほども感じられない。写輪眼を通して視えるチャクラにも、人や妖怪が心を乱した時に決まって表れる、特有の変化が生じていない。至って平静そのものだ。

 きわめつきは、急ぎの提案か否かの問いを投げたところ、「そうかもしれない」と曖昧に肯定した直後、自発的に行動を起こしたはずの本人が「分からない」と口を濁したことだ。

 

「胸辺りに引っかかる違和感……上手く言い表せないけど、早々に取り除きたいと思った。そうしたほうが好いと」

「分からんことが多い。誰かに言われてのことか?」

「違う」はっきりと否定するこころ。「私が考えて決めた」

「…………」

 

 ここにきて急な進展を見せたようだ。それも妙な方向性で。初めは遊びや冗談の範疇かと思われた唐突な頼みが、おかしな方向に舵を切り始めた気がしてならない。此方までこころへの違和感を抱き始める始末だ。妖怪賢者とは別の意味で先が読めない。

 飄々とした胡散臭さとは違う。むしろ彼女は素直で直情的、表情という見たままの裏表はあれど、内面の裏表はない。

 面霊気ひいては付喪神に関連する情報を見落としているのか。記憶を辿るも言動に思い当たる節はない。

 

「試食してもいいだろうか?」

「好きにしろ」

「あっさり。んふふ」

 

 奇しくも観察する側に引き込まれたオビト。こころも煎餅を頬張りながら、澄み切った瞳でじっと見つめ返す。ちなみにこの店の品々、来店した客のほとんど全員がきちんと代金を支払うが、実のところ規定はない。

 

「うまうま」

 

 甘味処で山積みの団子と諸々を堪能して間もないはずが、平気そうに袋から取り出してはばりぼりとする。唐突な滞在宣言を一方的に行った言動を見て、一刻の猶予もないのかと深読みしたが、福の神らしき面を浮かべてかじる姿を見ていると、杞憂という言葉が頭をよぎる。思い過ごしではないかと。

 どす黒い負の心が蔓延る殺伐とした世界を生きていた身として、平穏を満喫する者達の内面を読み取る眼力は未熟と言わざるを得ない。

 

「これ全部、貴方が作ってるの? やりおる」

「質にこだわり、手を尽くした逸品だ。自負はある」

 

 この店は量より質。基本的に大量生産を行わず、一日に作る量には限りがある。金銭を得るための商売心に背を向けて、客集めの宣伝もどこ吹く風、店の造りや内装への気配りですら、清潔感以外は必要最低限とする強硬的な姿勢と引き換えに、揺るがぬ職人魂を前面に出して臨んでいる。全ての意識を煎餅作りへと向けて。

 煎餅作りにおいて素材の質や技術の高さも重要だが、何よりも職人自身が「今より良い物を作る」と心の底から渇望する強い意志、飽くなき探求心こそ最たるもの。過程と結果を褒めはしても満足はせず、限界を決めずにどこまでも高みを目指す気持ちを持てば、より質の良い物を自ずと求めるようになる。

 稗田家の当主、かの有名な博麗の巫女、境界の妖怪をも唸らせて、いずれはうちはの名店『うちはせんべい』が作り出す至高の味にも比肩し追い抜くために、日々努力を惜しまず精進する所存だ。

 

「貴方のこだわりよう。気軽にばりっとするの、申し訳ない気持ちになっちゃう」

「そいつは間違いだ」オビトは腕組みした。「気軽が悪いものか。他者に食してもらい……賛辞を贈られるのは、職人冥利に尽きるというもの。真の評価とは金でなど買えん」

「なんと……もはや芸・術っ……!」

 

 感情を大いに高ぶらせるこころ。物を粗末にしたがらない付喪神ゆえか、ばりぼりと派手な音を立てて頬張る割に、足元には欠片や粉末一つ落とさない。永遠に変わらぬ神威の吸引力を利用した清掃は、元より隅々まで行き届いて抜かりないが、こころが食べ始めることでさらに清潔に近づいた気がしない、わけでもない。口元に付着した物は別として。

 今やこの店は、付喪神の加護を受けた巨大な白い皿に等しい。皿が汚れ一つなく綺麗に越したことはない。不快な気持ちを抱く者が居るのか。面霊気は煎餅を芸術の域と見なしたようだが、彼女もまた素晴らしき芸術を作り出したのだ。

 

「まさに。愛すべき『能』よ」

 

 あっという間に完食すると、こころは一人納得した様子で頷いた。

 本日二度目と思われる食休みに入り、うーんと疲れたように伸びをする傍を、憑かれたオビトが通り抜けて出入り口へと向かう。こころはふわふわと宙に浮かんで、鼻歌を交えつつ視線を送っていた。

 ふと我に帰った様子で着地すると、何も言わずに出て行ったオビトの後を追う。

 

 表へ出るなり快晴の空を仰ぐこころ。夏の太陽が照りつけ、鳥や虫の声が耳に入る。

 この辺はただっ広い田畑ばかりで、人の住む家屋は遠目に点々と散らばるだけで人気はない。最東端の高台にある博麗神社ほどではないにしろ、人の少ない地区のさらに外れなので、里内での立地や利便性は好くない。店の傍には鬱蒼とした森があり、傍から見ると妖怪や獣が入り放題の無防備な建物に思える。

 

「まだ用があるのか?」

 

 何気ない口調で喋るオビトに足早に追いつきながらも、のんびりとした様子で「ありっぱなしだ」と即答したこころ。二人は店の後方に広がる森林に踏み入っていた。

 

「忘れたか。戦いはすでに始まっているのだ」

「……だったな」

 

 事前に相談を受けた上での協力ならまだしも、何の前触れもない接触に始まり、急な提案を流れ作業のごとく認識したに過ぎない。行動を共にする気満々の者が近くにいても、いまいちオビトは実感が湧かない。こころの行動は確かに一方的ながらも、思考や行動を強制する内容ではなく、目の届く場所に「いるだけ」なので、普段の生活とほとんど変わらない。能について熱く語られようと、でこぴんされようとも。

 然るにオビトの平常運転は、こころの存在を薄める要因になる。それが嫌なのか、口数と体の動きをも増やす面霊気。例をいくつか挙げると、十三の辺りから口数が減少したオビトが無言で森を歩く間、こころは無表情で辺りを飛び回り、時折オビトの眼前に逆さまで漂ったり、真横から顔をじっと眺めたり、肩に掴まろうとして失敗したり、本当にでこぴんしようとして腕ごと頭をすり抜けたりと、何とも言いがたい内容のちょっかいをかけ続けていた。妖怪の行動は人間の童以上に読みにくいのだ。

 

「むー? ここは」

 

 やがて二人は開けた場所に辿り着いた。辺りを樹々に囲まれた森ではあるが、店からは徒歩で三分もかからない近場。樹々の密集具合も魔法の森や妖怪の山ほど酷くなく、頭上から差し込む日の光で周辺は明るい。竹林や湖のように霧も立ち込めておらず見通しは良好で、森の中というより庭という表現が似合う。

 広場の真ん中には小さめの窯。泥や粘土を固めて作られた物のようで、煙突が備え付けられている。近くには石材や角材が積まれていて、落ち葉を浮かべる水場、湿った土や砂を収めた穴があり、何かの作業場であろうことはこころにも分かった。

 

「唐傘鍛冶屋の好敵手……という感じでもないな。何を作っている?」

「炭だ」

「ほほう」こころは窯に近寄る。「火を起こす物から手製か。まさかコレも」

「オレが作った。ここにある物は全てだ」

「自給自足の域だな。感心だぞ同志よ」

 

 煎餅の焼き上げにあたり火元として使用する木炭。米などの材料は他所から仕入れる一方、炭などの道具は手作りである。忍の世界でも忍の術を戦闘以外の物事に利用する者がいるように、幻想郷に身を置くオビトも自らが収めた技術を、煎餅作りにおいていかんなく発揮していた。

 木材関連の物は全て、柱間細胞への適合と共に発現した木遁の産物。窯はこの広場や土地を慣らすのに用いた土遁による物だ。火着けは当然ながら火遁を用いている。元々持っていたチャクラの性質変化は火だけだったが、土と水(と陽)の属性に関しては、それらを組み合わせる木遁を開花させた際に手に入れた。土遁を始めとする忍術が本来は戦闘用である関係で、これにより作られた物はチャクラを含み、耐熱や物理的な耐久性に富む。土で作られた窯は金属のごとく頑丈だ。多少手荒く扱っても損壊せず、万一壊れた場合の修復も楽という点で、その辺にある同じ物より使いやすさは上と言える。

 木炭は饒舌ではない白と、毒舌ではない黒の両方を生産しているが、焼き上げる煎餅が量より質、生産量も少ない関係で、作りやすく使いやすく汎用性も勝る黒炭より、作りにくく使いにくい白炭の方が多い。日頃より良い煎餅を追求し続ける職人魂が欲した答えだ。ちなみに竹炭は木ではなく竹、生産がさらに難しい上に用途も不適格なので作られていない。

 

「貴方の意思と力が世に生み出した物。これから生み出す物。是非とも観させてもらいたい」

「イヤ……もう終わった。時間通りだ」

 

 頭を垂れたこころはすぐに顔を上げて、再び窯の方へと目を向ける。火や薪の弾ける音もなく静かで、煙突からは何も昇っていない。すでに稼働し終えた後のようだ。こころはオビトに視線を戻す。

 

「手伝おって思ったのにー。施しを受けてばかりとは情けない」

「気にするな。オレがやったことだ」

「や。私もなんかやりたい」

 

 窯の傍に積もった灰色の土が退かされた。白っぽく変色した木を掻き出すオビトの真似をして、できあがった炭を取り出していく。それを見て「律儀な奴だ」と口にしたオビトに、こころは「芋掘りみたいでワクワクする」と返した。芋堀りの経験があるか否かは突っ込まなかった。

 火入れに着手したのは十日以上も前。白炭は黒炭とは異なり、生産過程で窯の内部から取り出した木を、水分を含む灰と土を直ちに被せて、急激に冷却する必要がある。この作業を挟むことで硬く焼しめられた炭となる。

 

「……いい感じだ」

 

 口を開いたのはオビトではなくこころ。炭同士が触れ合い発した、金属にも似た音を聞いて本人が何を思ったのか、出会って間もないオビトには解りようもない。

 表情からは感情が覗えず、目に見える御面から読み取るしかないが、静かにこぼれた穏やかな声を耳にすると、直に映さずとも手に取れる気がした。感情の豊かな面霊気が持つ喜怒哀楽の情を。理解を始める程度なら叶うのだろうか。

 

「音を奏でたのは貴方。聴くだけでも感情が解る。けれどそうじゃない音もある……聴き取れるものは形を持つだけで、中身が掬えない。どうして震えているの」

 

 オビト自身が生み出した物なのだ。それが奏でる音色は他ならぬ本人のものだと理解したこころでも、自分が無意識に奏でるものの正体は解らない。

 ぽつりと紡がれた静かな声を耳にして、作業を止めて顔を向けたオビトだが、視線が捉えた時には元の雰囲気に戻っていた。感情が激変したと思われた面の表情は、芋掘りもとい炭掘りの最中に見せていた、ひょっとこのまま変わらない。

 何かが引っかかったオビトが、夢中になって掘りまくる姿に言葉をかけようとした時、面霊気は「閃いたぞ」と喋った。

 

「ここにあるの全部、家まで運んでやろう」

「一人でか?」

「こう見えて腕力には自負がある。人間の男にだって負けないぞたぶん。えっへん」

 

 灰の山から掘り出した炭を運搬する手伝い、というより一人で引き受ける気満々な様子。自分から嬉々として願い出るほどやる気に満ち溢れている。

 人や物の転送を神威で行うオビトにとって、物の運搬はほんの些細な作業でしかない。運びたい物に触れるなり、視点を合わせるなり、出入り口を開くなりして時空間へと放り込める。向こうは人っ子一人いない専有空間で、内部は無限の広さを誇るので収容量に限りがない。出し入れも自由自在で時間はかからない。しかも白炭は黒炭より生産量が数少なく、使用する量や頻度まで少ないこともあり、オビト一人でも余裕でこなせる。

 ぱっと見でも大した量ではない。神威を使わない方が手間と言える。

 

「悪いが手を借りてまで――」

 

 途中でオビトが口をつぐんだ理由は一目瞭然である。こころはやる気満々で、ふざけている様子は全くない。面がひょっとこから狐へ変わるほどに真剣そのものだ。

 小さな物事にも全力で当たる徹底した性格なのか、本人が口にした違和感との関連性は不明ながら、距離としては決して遠くない場所まで少量の物資を「運ぶ」だけ――たったそれだけの作業が人生の一大事とでも言いたげに、面霊気は凄まじい熱意を見せているのだ。さすがにオビトも気迫に押されて無下にはできなかった。

 

「なら、お前に任せよう」

「そーこなくてはっ」くるくると回るこころ。「なんとか舟に乗った気でいたまえっ」

「大きい方ならいいがな」

 

 恨みや憎しみなど負の心に理解がある一方、他者への配慮や親切心を始めとする善の心、その中でも個人の想いに関してはとりわけ疎いオビト。人の絆や愛が何たるかを無自覚にでも知り、知る由があった木ノ葉の温かみを捨て去り、人生の半分以上を偽りの面を被って生きてきた身ゆえに。

 それでも幻想郷の住民達とのかかわりを通じて、こころのように違和感という形で、他者の心に疑問や引っかかりを覚える程度には近づいた。本人の熱意に押し負けた形ではあるが、自分一人でも楽々とこなせる作業を任せた理由だった。

 些細な物事でも一つの「かかわり」には違いない。出会った当初とは異なり、秦こころの存在を身近に感じることで、視えるものが早くも視え始めた気がした。

 

 

――◇◇◇

 

 

 どこぞの賢者曰く、妖怪とは信仰が得られない、もしくは人々から見捨てられた、あるいは人々に背を向けた神様でもあるという。

 人の力や理解の届かない存在が神だとして、人に使われる物品が化けて生まれる付喪神の心に、果たして人の手が触れられるのか否か。当の妖怪でも判らずに生きている者は多いのだ。

 

 秦こころは付喪神であり立派な妖怪。人の身を外すがゆえに、人には為せないことをやってのける生き物だ。

 異邦人として幻想郷へと迷い込み、今日ではすっかり『妖怪』なる種族に慣れがあることに加えて、他者を外見だけで判断しないオビトは、力に自負を持つという彼女の発言を少しも疑わなかった。

 だからといって、華奢で可愛らしい容貌の少女がよもや、大の男でも何度か行き来して運搬する量の物を一度の移動だけで、しかも能力も道具も用いず腕力だけで運び切ったなら。抱えて運ぶというよりも、指で摘まむような感覚で軽々とこなしたならば。目に見えて驚愕を露わにはせずとも、慣れのある者に物の怪の人並外れっぷりを再認識させる要因にはなり得る。

 

「変わった奴だ」

 

 それは全く違う意味でぶっ飛んだ言動であった。こころは炭の運搬のみならず、煎餅作りの手伝いをも嬉々として願い出て――長い髪を後ろで一本に束ねるまではいいとしても、唐草模様の鉢巻を頭に巻いて気合いを入れながら、何度目かも分からないかけ声と共に生地をこねる姿を惜しげなく披露している。

 材料となる米の洗米と乾燥。時間を見ながら水気を取り除く工程は、後々の蒸す作業と焼きの出来不出来を左右させる。米粉を生成した後に投入する水分量の調節にしても、充てる時間や感覚にはコツと慣れを要する。とはいえ、ここまでの重要な工程は事前に済ませてあり、生地作りなら教えながらでも不便はないと判断した。

 何より真意を視通す目的もあった。初めは向こうにのみ生じていた違和感や異物感が今や、こころに接したオビトをも包み始めていた。心地好さも不快さも変哲もない感覚の正体を知るために、期せずして秦こころに同調して、普段通りの変わらぬ日常を過ごすことに決めた。

 

「どうだ同志よ、このでき栄えは。初めてとは思えないっ! とか言ってもいいぞ!」

 

 粘土のように夢中でこねていた生地を薄く延ばして持ち上げると、指先で回転させながら自慢げに言い放つ。傍に浮かぶひょっとこの面まで回っている。反時計回りにゆっくりと。

 

「……ほう」

 

 生地の練りは大胆にして繊細、粗も少なく卒なくこなされた具合。素人の仕事と見なすには遠い出来だ。いきなりの及第点と評価を下さざるを得ない。

 こころ本人にしても、器用で呑み込みの早い「大した奴」であることを、「大した奴」という言葉を用いて褒めてほしいのかは定かではないが、豊かな感情に不釣り合いな表情でじっと見つめて、何かを延々と待っている様子だったので、「大した奴」を「大した奴」だと判断するほかないオビトは、素直に「大した奴だ」と口にした。

 

「けれども、だ」こころは腕を組む。「なかなかに筋がいい……と評するなら、熟練たる貴方の技を盗めばもっと、高みに近づくのではなかろうか? この私に示して見せてー」

 

 他者を参考に真似て基礎を作り固める、独創性へのきっかけを掴むなど、自らの技術を高めるために大切なことは多々ある。煎餅作りも例外ではない。固い職人魂を以って事に当たるなら、できることは遍くやり遂げようとする。しかしながら、作業を手伝うに過ぎない今のこころが、向上心に満ち溢れる見習いや弟子か何かのように振る舞うなど、誰に予想できたのか。

 秦こころは本気なのだ――と、オビトは考える。どんな言動を見せて他者にどう思われようと、こころ自身は己の内に生じたものを探り続ける。それが掴まるまでは足掻くことを止めない、強かな気持ちが姿勢に表れている。ぱっと見や一瞥だけで生じるほどの、大きな何かを自らに感じさせた、『うちはオビト』という忍にあらゆる言動を期待している。炭の運搬や煎餅作りを始めとして、相手の動きに面なしで身を委ねることに並々ならぬ熱意を注がねば視えない景色があるのだと。

 煎餅作りは今現在の自身にとって、最も象徴的かつ印象的な行いの一つには違いない。こころが突き詰めて迫る理由としては頷けよう。能の外にある面霊気に芽生えた違和感の正体とは何か――。

 

「盗めるなら続けばいい。洗練された忍の技……新たな境地にな」

 

 生地をこねていたオビトの手が止まる。掌に青々しい『チャクラ』が渦を巻いて収束し始めた。高密度に圧縮されて可視化に至ったエネルギーは、チャクラを色で見分ける写輪眼を持たない、こころの目にもはっきりと映った。

 ある程度の球体状に膨れ上がり、生地に軽く触れさせると渦に絡め取られて同様に回転し始めた。単に回るだけではない、掌を時折僅かに上下させて調整を行いつつ、薄く延ばすように生地を慣れさせていく。煎餅作りを生業とする職人が用いる言葉として『技』と口にしたオビトだが、忍に言わせたら『術』とする方が正確だ。幻想郷に来てから会得した力である一方、実は忍界にも同じものが存在する。

 

――名を螺旋丸。かつての師であった四代目火影・波風ミナトが開発した術で、己のチャクラを乱回転させて圧縮、凄まじい破壊力を生み出す。渦を巻くようにチャクラが集まるために、ぱっと見は風遁と勘違いしやすいが、正しくはチャクラの形態変化のみを極めた術であり、爆発的な奔流に敵を巻き込んで吹き飛ばす仕組み。高い威力を持つ攻撃用の高等忍術である。本来であれば。

 オビトが使う螺旋丸は、螺旋丸だが螺旋丸ではない。つまりミナトやナルトのものとは異なる。込めるチャクラの量も、生み出す威力も本家には遠く及ばない。何故かと訊かれたら、敵を倒すために会得した術ではないからだ。用途はご覧の通りで、生地の質を高めるために使用されている。

 手でこねるよりも力加減が均一かつ細やか、力ではなくチャクラコントロールで行う関係で、人の手では不可能な細部にまで圧が及ぶために、粗がほとんど出ない。ついでに「触らない」ので手袋や機械を用いるよりさらに衛生的でもある。

 

「ぐっどぐっど。はよはよ教えてー」

 

 螺旋丸は会得難度が高めで、禁術や奥義級の一つ下辺りに位置する。ここで言う会得とは、術を覚えて扱える段階ではなく、忍の武器として十全に機能して、敵を撃破できるほどに練磨されたものを扱える状態を指す。生地を練る作業に用いる平和的かつ日常的な螺旋丸には、倒すどころか傷をつける威力も内包されず、本家に比べると難度は格段に下がる。

 精々が体に軽い衝撃を与える程度。煎餅作りには十分だ。

 

「無理だ」

「独り占めと申すか。富は恵まれない者に恵みたまえ」

「それなりのワケがある」

 

 教える気がないというより、そもそも教えようがないのだ。会得難度やこころの力量の問題ではない。

 螺旋丸あらため『螺煎丸』は忍の術であり、忍が扱う力である。その力に合う体とエネルギーを持ち、忍なりのチャクラの練り方と慣れを幼少より身につける必要がある。忍界とは異なる別世界の住民であり、忍のしの字も知らない者が急に使いこなすのは不可能。アカデミーに入学したての幼子に輪廻眼と外道魔像を与えて、今日中に尾獣をそろえて十尾を復活させて、無限月読を完成させて大筒木カグヤを目覚めさせろと命ずる程度には理不尽だ。

 

「イジワルめー。弟子を育てるのは師の役目だぞいっ」

「どっちも要らん。ここにはな」

 

 里内にある老舗の煎餅屋や甘味処には、後を任せる後継者の育成に力を注いでいたり、先代がすでに退いた店舗もある中、趣味で煎餅を焼く者には無縁で興味関心もない。こころが手伝いに積極的だからと、なんやかんや跡を継がせる展開にもなるまい。あえて芸術観から言うなら、この店の立ち位置は一瞬の輝きに魅せられることなく、永久の美に光明を垣間見ることもない。永遠の魔法を施されずとも、空から飛来した巨大な要石で圧し潰されても、いつもと変わらぬ姿で在り続けるだろう。

 余談ながら、以前に他所の煎餅屋を用事で訪れた時、空似と思われる人物から、跡を継いでほしいと熱烈に頼まれたことがあった。時の流れの悪戯かは定かではない。

 

「んふふー」

 

 こころは不敵な笑い、というより無表情で声を発した。脈絡のない切り替えは写輪眼でも先読みできないが、何かを感じたオビトが術を止めるには十分だった。

 目を凝らさずとも見えたのだ。こころの掌に青色のチャクラが収束し始めている。

 

「身近に潜むあらゆる可能性……意識し損ねるとはな。オレも甘い」

 

 忍の術が忍界にしか存在しないと言い切れるのは、幻想郷を始めとする別世界の数々が一つたりとも存在しない場合である。この世界の非常識っぷりに染まり、否が応でも慣れを覚えた現在では、見知った術や技と同じか似たものを目にしても驚愕には値しない。六道の陰陽遁など一部の超越的な力なら別だが、それ以外では精々が元となる力を連想して懐かしむ程度に止まる。大きな湖に棲む氷精の舞を目の当たりにして、六道の遠縁に当たる雪一族の血継限界・氷遁を思い浮かべるように。

 ゆえに秦こころが忍術を扱えたとて動揺はせず、疑問を抱くこともない。幻想郷は忍界の常識を幾度となく塗り替えてきたのだ。平穏な里で他の作業に意識を割いていれば、隙を突かれて意図せぬ現象に巻かれる場合もあろうが、今回はそれが彼女だっただけの話だ。掌が急に眩い閃光を生み出して、小規模ながら『喝』なしで爆発を起こしたとしても――。

 

「ううー……すまなかった」

 

 オビトの視界が真っ白な煙に覆われる数秒前、その一瞬の中で何とも奇妙なやり取りが行われた。厄介ごとを起こして謝罪の意を示すならば、大抵は事が発生して一呼吸置いた後に為されるものと思いきや、こころの掌に浮かんだ螺旋丸――ではなく、ただのチャクラ玉が喧しい破裂音と共に爆発四散する直前、耳にしただけで表情が思い浮かぶほどに判りやすい声が響いたのだ。

 数多の御面を従える面霊気も、貌の表情は一つしかないので、苦労してまで想像に意識を割く必要はない。突然の爆発と音に驚いて、頭の中まで真っ白に染まれば、何も考えず沈黙を守るだろう。現状を打破する手段は存外あらゆる場所に散らばっているものだ。

 

「止め損ねたこっちにも非はある。ケガがなければいい」

 

 右眼を中心に巻いた渦が煙を吸い込んで換気する。見慣れた作業場が再び視界に現れると、顔面を煤だらけにしたこころが映った。

 何が起きたのかは分かり切っていた。螺旋丸に対抗して力を解放したところ、掌に作り出した光を暴発させてしまい、瞬く間に立ち昇った煙が辺りを覆い隠したのだ。長い髪が乱れて跳ねまくり、山姥の面が浮かんでいる。

 作業場は店の奥にあり、広さはなく道具も少ないので、瞳術を用いた換気なら隅々に行き渡るまで数秒程度。その僅かな間に悪い意味で急激な変化を遂げたのだ。

 

「今のも決闘に使うものか」

「ちょっと違う」こころは息を吐いた。「調整を誤った……空論なんて押しつけるんじゃなかった……」

 

 力のない人間が力のある妖怪と対等に争い合うための決闘法。端的に言うならば、互いの力関係に圧倒的な差が開かないように、妖怪が自らの力に加減を入れて人間に合わせる。遊びに用いる弾の殺傷力は皆無か極めて低い。何らかの理由で加減をし損なったり、当たり所によってはケガ人や死者も出るとの話だが。

 女の子の遊びと位置づけられる弾幕勝負に、大の男であり外来人であり興味もないオビトが関与したことは一度もないが、忍の術を真似て生地作りのために力を使って、消し飛ばさない程度に調整を施すのは、遊びの経験があるこころも初めてのようだ。

 

「無理して術に頼らんでもいい。生地の質を高める方法ならいくらでもある」

 

 チャクラの形態変化の極致、性質を持たない究極的に緻密で激しい力の流れは、高品質な生地を作り出すのに一役買っている。かといって螺煎丸を用いるのは生地をこね始める最初と仕上げで、一つ処に傾倒するわけではない。大部分は木遁の棒や手を使って直接的に造形――ではなく生地を作る。螺煎丸の利便性が高いとはいえ、やはり手で触れて初めて掴めるものは多い。

 

「大切なのは、己の魂を込めること。自分に見合うやり方を探すことだ。そうすれば自ずと掴める……何にも勝る至上の逸品をな」

 

 人は何を為すにも、先人達の教えと足跡を辿り、他者を模倣することから始めようとする。基礎を固める手本とするならいいが、そこに自分なりの独創性を見出そうとすれば、今度は自分の力で道を切り開かねばならない。誰も見たことのない未知への到達とは、自らの意思で探さなければ始まらない。先人達の後ろを歩くのではない、己自身が先人となり前を歩くのだ。

 忍の術に慣れがあるか以前に、他者のやり方をなぞるだけでは、本当に価値のある物は生まれない。こころにも同じ気質が備わる場合の話である。

 

「私らしさ――それさえ持つなら、私なりの色を込める余地は十分にある」 

「それがお前にとって、価値のあるものになる。なければ見つけたらいい。そのための平穏だ」

 

 常に死と隣り合わせにある戦乱の世では、命の灯は大小にかかわらず呆気なく吹き消える。己にとって価値のあるものが何かは個々により異なるも、汗や血を流して必死に掴み取ったものですら、終わりと共に失われて消える。その一方で、人と妖怪が共存して平穏に暮らす幻想郷では、忍界に蔓延っていたような痛みや喪失に苦しむことはない。穏やかな日常の中で大切なものを見つけて守り抜くことができる。

 外から入ってきた異邦人の身であり、殺伐とした忍界の闇黒を経験したオビトには、少なくともそのように感じられていた。

 

「うむ」こころの視線が落ちる。「舞台でもそうだ。表情と感情はあらかじめ決められているが……私の動きがそこになければ、私の舞台としては色あせ、無常に成り果てる。表立つばかりが主役ではない!」

 

 喜怒哀楽の表情を持つ面を被り、体を委ねて様々な感情を表現する能。面はこの世ならざる異なる存在と見なされ、面を被る者も己が魂を預けた瞬間から外なる異物と化す。舞台の上で役を演じる者は、身も心も掴まれて囚われる。

 然るに外なる者と成りて役に染まり、外の鬼共に取って代わられようとも、意志を呑まれて消失させるまでに己を失うわけではない。舞台上を吹き抜ける風に儚さはなく、預けた魂の真なる主にしか持ち得ぬ色彩が、相容れぬ異色に塗り潰されるわけでは決してない。表舞台の主役は面である一方、それを動かすもう一つの主役も裏方から世界を見ている。

 かつて深い絶望の現身と化した魂は、偽りの存在と成り果てた者の真なる表情と感情を奪い去り、己が全てを覆い隠す分厚い仮面を生み出すに至った。外なる者にすら見捨てられた偽りの面を。偽物の世界に縋り堕ちた過去を持つがゆえに、こころが紡いだ言葉はオビトに物思いを強いたのだ。彼女が面霊気としてあの場に立っていたのなら、いかなる役を演じて、表情を浮かべていたのかと。

 

「……そうだな」

 

 仮面のないオビトの反応に陰鬱さはない。声には微かな笑いも含まれていた。

 体を左右に揺らしていた少女が動きを止める。この場を包む空気はむしろ、気合いを入れすぎた彼女の力が暴発してからも変わらない。ほんの僅かな間だけ浮かんでいた狐の面も、早々にひょっとこへと戻っていた。

 オビトの肯定に言及はせず、暫し黙した後に「おかわりだ!」と元気よく言い放つ。たった一度の失敗で諦める気はない様子だ。

 今度は失敗しても違った形になるだろう。色褪せない自分なりの色彩に。

 

「その前に洗ってこい。裏手に井戸がある……逸っても良いものは作れん」

「我が身を清めよと申すか。それもまた良きもの」

「顔の方だ」

 

 先ほどの爆発で顔面は煤だらけ、跳ねまくった髪も直らない。身なりを気にしないのか、気にするのを忘れていたのか。人外たる妖怪ゆえか、付喪神ゆえか、面霊気ゆえか、それとも彼女ゆえなのか。

 

「うーん。お風呂沸かしてー」

「そんなものはない」

 

 人間の里には湯沸かしがないので、薪を使って風呂を沸かすが、煎餅作り専用で建てた店にはそれ自体がない。居住地が密集する地区から大きく外れた場所で上下水道も通っていない。外の世界と同等かそれ以上の高度な科学技術を保有する妖怪の山、結界の外から入ってきた紅魔館、現在の木ノ葉隠れの里などと比較すると、人間の里は基盤が発達していない。色々な不便や遅れを潰して諸々の問題を取り去るのは忍の術だ。

 平和的な日常生活においては、火遁と土遁、水遁、木遁で大抵の問題は解決できる。この三つと一つは忍界に居た頃から保有するチャクラ性質だ。火遁と土遁、木遁は建築物関連から煎餅作りまで幅広く、水遁は名の通り水が必要な時に重宝する。さらに神威を使えば、遠方にある川や湖から、水門やダム穴の要領で綺麗な水を引っ張って来られる。様々な作業で生じる廃棄物に関しては、神威空間での火遁による焼却処理で事は済んでいる。

 店の裏にある小さな井戸は、土遁と水遁、木遁を用いて自ら掘って作った物だ。干柿鬼鮫や千手扉間などのように、地中の水脈を探り当てたり、水脈そのものを作って湧き水を起こすほど高度に洗練はされていないが、顔を洗ったり喉を潤すなら不便はない。

 

「霊験あらたか?」

「そっちはあるかもしれんな。意味は違うが」

 

 霊水と呼ばれるものがある。神様のご利益があるとされる清い水で、博麗神社にある古井戸や妙な亀が棲む池、妖怪の山を流れる川や滝など、自然や神仏に近しい水場に散見される。巫女が自らの霊力を込めて作ることも。神々の存在が常識として受け入れられ、浸透している幻想郷では珍しくもない。ただし、霊験という言葉を立派な妖怪が口に出したこと、それ自体が珍しいか否かの判別まではつかない。

 神力や霊力の恩恵を持たない代わりに、他所の水場にはない特徴として、生き物の生命力たるチャクラが含まれている。六道の陰陽遁が生む力の影響を受ける関係で、医療忍術に用いる陽遁の回復力には及ばずとも、飲んだ者に精気と活力を与える程度はできる。風変わりな効能を含むという意味では、こころが口にした言葉も的外れではない。

 

「ふむ……ここは実に不思議なもので溢れている。来てよかった」

「『不思議』、か」オビトの手が止まる。「オレも感じていたことだ。初めはな」

「驚きは外来人のとっけーん」

 

 自分が知らないもの、信じていないものを目の当たりにして、何らかの心の変化が生じるのは自然と言える。

 幻想郷に放り込まれて間もない頃は、辺りに散らばる非常識な人や物、現象に幾度となく驚かされてきた。思考が及ばず、言葉では言い表せないほどの衝撃を受けた回数など、両手両足の指だけでは足らない。元いた世界には類を見ない数々ばかりで、見知った忍界の物差しが悉く叩き壊されたものだ。

 それでも、である。壊されても修理はできる。新しい物を見つけることも。己の常識を何度目かも判らないほどに壊され続けていたら、いずれは『慣れ』が出てくる。元より忍界における非常識の数々を見て感じてきた色濃い経験もあり、現在では幻想郷らしさに順応できている。向こうの物差しでは測れず、目や肌で感じられなかった物事も、徐々にだが捉えて解るようになってきた。摩訶不思議な多くの体験が今を形作っている。

 

「貴方の話。相応しい舞台を用意して聴きたいのー」

「聞くに耐えん、つまらん話だ」

「否かどうかは私が判断する」こころの鼻歌が交じる。「そこにある感情と、生まれる表情。どうしてそんなにも――…へぐッ!」

 

 紡がれた言葉はくしゃみと共に途切れる。オビトの袖でさらっと拭うこころの動きが自然すぎたせいか、本人は何気ない様子で「建物の裏だ」と繰り返しただけだった。

 

「待ってて。一緒に作りたいから」

 

 こころはつま先でくるりと踊るように一回り、上目遣いでじーっと眺めたのち、奥にある勝手口へ小走りで駆けていった。

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