【完結】ニンジャと白面   作:いらえ丸

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快走かな、快走かな!

 アオギリホウオウの実家は、決して裕福ではなかった。

 けれども、幼き日のアオギリホウオウは一度としてひもじい思いをした事はなかった。

 

 ウマ娘という生き物は基本、その運動量相応に多くのエネルギーを必要とする。当然として、程度こそ違えど殆どのウマ娘は人の子より健啖家である。

 アオギリホウオウもまた、例外ではなかった。けれど、並みのウマ娘程度には食うに困る事はなかったのである。それは偏に、大黒柱たる父の献身あっての事だった。

 お陰で、アオギリホウオウはすくすくと育つ事ができたのだ。

 

 アオギリホウオウは、オムライスが好きだ。

 誕生日に父が作ってくれたオムライスがとても美味しかったのだ。

 畑で穫れたニンジンを使ったオムライスは、今でも世界一美味しい料理だと思っている。

 

 裕福ではなかったし、近所から村八分にされていたアオギリだったが、幸せな記憶というものは確かに在ったのである。

 当時、アオギリの存在を肯定してくれるのは、家族だけだった。

 幼少の日、心を開ける相手は家族だけだった。

 

 エアコンのない家で、

 交通の便も悪い田舎で、

 精一杯のご馳走がオムライスな、

 そんな実家が、アオギリホウオウは大好きだった。 

 

 

 

 仮に、

 そんな大好きな家を壊した存在がいたとして、

 その存在に、アオギリホウオウが如何な感情を抱くのか。

 

 凡そ、多くの人に想像のつくものではない。 

 

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

 

 夏合宿を終えて、暫しの時が流れた。

 

 来る菊花賞前哨戦・神戸新聞杯に向け、アオギリホウオウは追い切りトレーニングを行っていた。

 追い切りとはレース直前に行われるトレーニングの事であり、本番前に実力を発揮し切れるよう現時点での競走能力を計る為のトレーニングだ。やり方は色々あるが、今行っているアオギリの追い切りメニューは併走であった。併走相手はミホノブルボンだ。

 決まった歩幅で決まった速度で走るブルボンを、相変わらずの前傾大跳びで追い廻すアオギリホウオウ。その気迫の程はまさにレースさながら。こうやってこそ、アオギリの実力は発揮されるのである。

 

 また、今回のレースは怪我によりダービー未出走となったアオギリホウオウの復帰戦というのもあり、メディアの注目度も高く、出走前の取材の申し込みが後を絶たなかった。

 いくらメディア嫌いのアルデバランでも、多すぎるオファーは断り切れない。最終調整の段になって、トレーニング風景の撮影のみOKとなり、比較的信用できる取材陣のみを呼ぶこととなった。

 

「「「おぉ……!」」」

 

 コースの外でカメラを構えていた記者たちが感嘆する。

 ミホノブルボンを追うアオギリホウオウの姿はどうだ。鬼気迫る圧はいっそう輝きを増し、軽やかな脚は夏上がりの確かな成長を感じさせた。

 タイム自体は特筆すべきものではない。しかし、取材陣はアオギリホウオウの様子を見て、彼女の怪我明けとは思えぬ壮健ぶりに驚いたのである。

 

 通常、大なり小なり怪我をしてしまったウマ娘は、怪我をする前の状態に戻す事を念頭に置くものだ。だが、どうやらアオギリホウオウはむしろ怪我明けの方が強くなっている様である。

 心身共に、アオギリの競走能力は以前にも増して仕上がっていたのだ。

 これには記者陣もニッコリ。記事の内容に困る事もない。

 

「よし、終了。二人とも良い調子だ。水を飲んで休め」

 

 定刻通りの切り上げ、いつもの怪人キツネニンジャスタイルのトレーナーが担当ウマ娘を労う。

 

「了解しました」

「押忍。にしても凄い数のカメラですね」

「たまにああやってやらないと、彼奴ら暴走するのだ。我慢してくれ」

「あー、いえいえ我慢とかそういうんは……」

 

 ぱたぱた胸の前で手を振るアオギリホウオウ。ニンジャトレーナーは腕時計を確認し、時間が来た事をサブトレーナーに伝えた。

 お面越しの視線を受け、アグネスタキオンはパンパンと手を叩いた。

 

「はいはいはい。取材はこれまでだから、記者の方々は帰ってくれたまえ」

 

 言われ、不承不承というように去っていく記者たち。

 とはいえ彼らは引き際を弁えている。あまりやり過ぎると文字通りの鉄拳が飛んでくるかもしれないのだ。嘘か真かこのチームのトレーナーは記者殺しの逸話に事欠かない。火のない所に煙はどうので触らぬニンジャに祟りなしである。

 

 記者陣が去ると、一同は休憩タイムとなった。

 秋に入ったとはいえ、まだまだ夏の残滓が肌を湿らせる。簡易テントの影の下、各々集まって休んでいた。

 

「あれ? あの人は……」

 

 休憩入ってしばらく、椅子に座ってトレーナーのマッサージを受けていたアオギリホウオウは、遠くでこちらを眺めている人影を発見した。

 遠目では判別がつき難いが、どうやら白毛の小柄なウマ娘であるらしい。彼女は、ぼんやりした視線をアルデバランに……否、被施術中のアオギリホウオウに向けていた。

 

「む。奴は……トライアンフか」

 

 この中で最も視力が良いのはニンジャトレーナーだ。施術中の手技を止める事もなく、トレーナーは件のウマ娘を横目に呟いた。

 

 情報に反応し、スポドリ補給中のミホノブルボンが口を開く。

 

「彼女はアオギリホウオウ=サンと同期のトライアンフ=サンですね。現在、ジュベナイル含め無敗でGⅠを3勝しています。今シーズンではダブルティアラのウマ娘です。残る秋華賞を勝利すれば、彼女は無敗のトリプルティアラウマ娘になります」

「む、無敗……!?」

 

 ブルボンの解説に、アオギリホウオウは恐れ慄いた。無敗でダブルティアラなど、雲上ウマ娘にも程がある。

 なまじGⅠレースの気迫を生で感じ取った事のある今だからこそ、その凄まじさが骨身に染みた。

 

 スイープトウショウの魔法以降、ティアラウマ娘の躍進は留まる事を知らない。無敗でダブルティアラなど、完全に選ばれし者だ。

 アオギリは努めて弱気になりそうな心を追い払った。むしろ、同世代にそんな強い相手がいる事はラッキーであると思い直した。

 

「見学かな?」

「偵察じゃないか?」

「にしては随分と大胆……というより雑だねェ」

 

 意識が逸れると、そういえばという気持ちが湧いてきた。チームメンバーの会話を聞きながら、アオギリホウオウは首を傾げた。

 

「トライアンフさんって、どういう方なんでしょう?」

 

 素朴な疑問であった。同期ではあるが、路線が違う事もあってアオギリホウオウはそんな凄いウマ娘のことをこれまでろくに知らなかった。

 基本、アオギリホウオウは他人に無関心なのである。脳裏で親友のウマ娘が何か言っていたような気がするが、覚えていない。

 

 アルデバラン・メンバーは各々顔を見合わせた。

 会話を回すように、施術部位を切り替えたトレーナーが云った。

 

「私も話した事はないから、そのウマとなりは知らんんな。オヌシらはどうだ?」

 

 問われて、ライスとブルボン、タキオンの三人は緩く首を振った。

 そんな中、補食のスシを嚥下し終えたオグリキャップが口を開いた。

 

「少しだけだが、話した事はあるぞ」

「ほう?」

 

 意外だった。コミュ弱という訳ではないが、コミュ強という訳でもないオグリが謎多きティアラウマ娘と顔見知りだとは。何気にニンジャトレーナーが一番驚いていた。

 

「食堂で相席になってな。まあ、あまり多く話した訳ではないが、どうやら卵焼きは甘い方が好きらしいぞ。食事中は三角食べだった。それと、けっこう食べるタイプでもあったな」

 

 オグリが言うと、アオギリホウオウを含むその場の全員が苦笑した。きょとんとするオグリ。

 何となく分かったが、まぁそれくらいだろう。ニンジャトレーナーは、今度はトレーナー的視点で以て口を開いた。

 

「トライアンフ……父親はURAの役員らしいな。ブルボン=サンの言った通り、これまで無敗のダブルティアラウマ娘だ。また、映像を見るにその戦法に一貫性はない。とんでもない奴だ」

 

 言って、施術部位を切り替える。まるで宝石の靴を扱うように、ニンジャトレーナーはアオギリホウオウにマッサージを施していた。

 

「一貫性、ですか?」

 

 トレーナーはうむとうなずくと、続けて言った。

 

「メイクデビューではブルボン=サンの様な逃げをしていた。だが、ジュベナイルではライス=サンめいた先行策だった。かと思えば桜花賞ではルドルフの様な差し戦法で勝っていたし、オークスでは最初逃げるフリして最後にゴボウ抜き。ぶっちゃけ分からんウマ娘だ」

 

 トレーナーの言葉に、他の面々もうなずく。

 なるほど、言われてみると一貫していない。スタートからゴールまで全力で競り合うしかできないアオギリホウオウとは正反対である。

 まさしく天才の所業だ。同じく天才と名高きオグリやタキオンでも、真似しようとして出来るものではないだろう。変幻自在の脚質で言えば、かのマヤノトップガンめいた才を感じざるを得ない。

 

 ふと、件の天才ウマ娘の方を見て見てみると、ぼんやりしていた視線がアオギリホウオウの脚……否、そこにマッサージを施しているトレーナーに向けられている事に気が付いた。

 

「あれ、師匠見てません?」

「視線は感じるが……まぁ私の見てくれは目立つからな」

 

 ニンジャトレーナーは事もなげに言い切った。

 事実、現在のトレーナーはニンジャ頭巾にキツネ面。加えて007めいたスーツ姿なので、そりゃ目立つでしょうよという話である。

 もう慣れてしまったが、このトレーナーはスーツに頭巾にキツネ面という究極完全体不審者なのである。

 

 白毛のウマ娘は、なおもぼんやりとこちらを眺め見ていた。

 

「トライアンフさん、なんだか不思議な方って感じしますね」

「まぁ、走っていればいずれ見える事もあるだろうが、とにかく今は……」

 

 下腿マッサージが終わり、そろそろトレーニングの続きである。

 

「前哨戦だ」

「はい!」

 

 元気よく返事をするアオギリホウオウと、それを微笑ましく見る一同であった。

 

 意気軒昂。神戸新聞杯へ向け、アオギリのやる気はマックスだった。

 

 

 

ーーーーーーーーーー

 

 

 

 神戸新聞杯。

 

 秋の冠を競う前哨レースとしても知られるこの重賞は、来る菊花賞を目指す夏の上がりウマ娘が多数入り乱れる熾烈な戦いである。

 レースは芝2400mの外回りコースが使用される。開催場所は阪神レース場。スタートからゴールまでに二度も急坂を上る必要があり、二度目の坂はゴール前というのもあって最後の最後までスタミナと根性を要求されるタフなレースだ。

 また、阪神レース場はメイクデビューと同じ場所である為、アオギリにとっては慣れた芝であった。

 

「今回の主役はこの娘でしょう。前走の皐月賞では残念な結果でしたが、無事怪我を完治し戻って来ました。このレースが復帰戦となります。パドック、追い切りともに元気な姿を見せてくれていますね」

 

 アオギリホウオウが本バ場に入ると、観客席だけでなく出走ウマ娘全員からの視線を感じ取った。

 その視線の意味を、アオギリホウオウは正確に推し量る事はできない。けれど、その中には以前とは違う感情が混じっている事は分かった。

 警戒というより注目。同情というより心配。なんとなく分かった。

 優しいな、とアオギリは思った。

 

「すぅー、はぁ……」

 

 深呼吸ひとつ。パンと両頬を叩いて、アオギリホウオウは気合を入れた。

 そして、アオギリは周囲のウマ娘を見やり、あえて笑った。

 

「皆さん、よろしくお願いしますね」

 

 獣めいた笑みは、何に見えた事だろう。

 あるウマ娘は気合を入れ直した。あるウマ娘は視線の意味に気づいて気を引き締めた。あるウマ娘は過去を思い出していた。

 すでに、レースの中心はアオギリホウオウであった。

 

 

 

 阪神レース場に、音高くファンファーレが響き渡った。

 仁川の前哨戦が始まる。各ウマ娘がゲートに収まると、狭い檻の中でアオギリホウオウは静かに瞑目した。

 

 久しぶりの感覚だった。

 皐月賞では負傷し、続くダービーには出走できずにいた。以降、一度もレースに出てはいない。

 悲劇の後の復帰戦。だからこそ、アオギリホウオウへの世間の注目度は高い。同情か、期待か分からないが、出走ウマ娘も少なからず似たような感情を抱いていた様である。

 だが、今はどうでもいい事だ。緊張はしない。気負う事もない。

 母の為、チームの為、再戦を誓ったライバルの為に、全力で走るのみ。

 

 瞼の裏。深い集中により、凪いだ心情が映し出された。

 揺れる木々。舞い散る落葉。光が差し込む。木の葉の向こうで、巨鳥が鳴いた。

 

 眼を開ける。来た、来た、来た。この感覚、全身に血潮が巡り、泡立つような気の高まりが我知らず地面を掻いた。

 

 ゲートが開く数舜前、アオギリホウオウは僅かに姿勢を下げた。

 そう、無駄な事は考えるな。

 走って競って足掻き切って、最後に笑う者が勝者だ。

 

「スタート!」

 

 瞬間、ゲートから放たれたウマ娘が一斉に駆けだした。

 出遅れはない。逃げのウマ娘が三人、ハナを狙って競り合っている。少し遅れた形で、各々が得意なやり方で走っていた。

 

「4番ツーリングバイク逃げています。リードサスペンス、アレイキャットもこの位置、ハナに立つのは誰か。2バ身遅れて7番シャドゥストーカー、9番チョコチョコは外。エキサイトスタッフ並びます。1バ身後ろトモエナゲ、ブレイクチェイン、アオギリホウオウはここにいます。2番レベレントは……」

 

 そして先行集団後方に異彩の影あり、アオギリホウオウだ。

 アオギリホウオウは素晴らしいスタートからエンジン全開で走っている。だが、その立ち上がりは遅いと言わざるを得ない。仕方がないし、それでいい。

 大きく乱暴な歩幅は、ほんの僅かずつ、徐々に徐々に回転数を上げていく。力強く大地を踏みしめ、蹄鉄が芝を蹴り上げる。

 いつも通りの加速感。心に、あの日に在った熱が灯っている。身体に灼熱を、精神に冷徹を。無駄な思考は挟まない。

 アオギリホウオウにとって、野生こそ最高の生存術なのだ。

 

「ハナに立ったのはツーリングバイクです。コーナー曲がり切りまして直線。後ろにアレイキャットとリードサスペンス前を伺う。エキサイトスタッフ、トモエナゲが少し前に出ます。それぞれの思惑が綺麗に噛み合っています」

 

 だが、出走ウマ娘もまたさるもの。既にアオギリホウオウというウマ娘の異能は割れている。

 やり方は、あるのだ。

 

 当初、アオギリホウオウは典型的掛かりウマ娘だと思われていた。スタミナによるゴリ押し。それしか能がない早熟ウマ娘。そして、それは違うと示された。

 インタビューで、聞き取り調査で、彼女と競ったウマ娘にしか分からぬ共感覚。そうして分かった、アオギリホウオウは掛かりウマではなく、掛からせウマだという事が。

 一人旅はスタミナでゴリ押しされる。ウマ込みにはどこ吹く風で、バ群で囲むと掛からせられる。逃げると追い越され、差し切る末脚はいつの間にか削られている。あまつさえコーナーでビビればいつの間にか前に行かれてしまうのだ。こいつそんなに強くないのに、何でか知らんが勝っている。

 どうすりゃいいんだ。である。

 そして、多くのトレーナーは初歩に立ち直る事となった。普通にレースをするしかないじゃんという事に。

 

 逃げはクレバーに、先行は冷静に、差しは配分を気を付け、追込は気を伺って、最後の最後に競り勝つしかない。アオギリホウオウ相手だと、最終的にそこに行きつく。

 つまるところ、実戦の経験と、地力で勝つしかないのである。掛かっても、勝てるくらいにやるしかない。

 こと、心構えに関しては尚の事。

 

「今!」

 

 逃げウマが身構え、

 

「ここ!」

 

 後続ウマが叫び、

 

「帰ってきましたのね!」

 

 観客席でライバルが歓喜した。

 

 アオギリの本領が今、始まりの地にて蘇る。

 

「第4コーナー曲がります。アレイキャットが先頭! ツーリングバイクどうだ! エキサイトスタッフ、トモエナゲも抜け出した! アオギリホウオウも前に! リードサスペンス粘れるか! 阪神レース場、これから仁川の洗礼が待っているぞ!」

 

 最終コーナーを回り、最後の直線。

 逃げるウマ娘たちが雁首揃えて先頭に立った。その隣、その隙間に、白面の激流が切り込んでくる。もつれ込むように、出走ウマ娘全てが全身全霊で競り合ってきた。

 菊花賞に備えて消耗を抑えようと決めていたウマ娘も、アオギリホウオウにさほど注目していなかったウマ娘も、この場で走る者すべて、無自覚に抑え込んできた本能をさらけ出す事になった。

 血潮が躍る。意気が膨らむ。まだまだ行けると心が震える。皆が皆、本気も本気。

 ただ、誰より速く駆け抜けるべし。

 

 アオギリホウオウ、掛からせ力第三段階。

 ラストスパート。全員まとめて、掛かってこい!

 

「「「うぉおおおおおおお!」」

 

「「「ワァアアアアアーッ!」」」

 

 ウマ娘が吠え、芝が震え、会場の熱気が湧き上がった。

 これが見たかったのだ。

 

 アオギリが出るレースは良くも悪くもみんなが全力を賭す、賭せるのだ。

 逃げウマは二の矢を使い切り、差しウマは100%超の末脚を発揮できる。走る心さえあれば、誰もがアオギリホウオウと競り合う。土俵に上がる事ができるのだ。

 普段目立たないウマ娘が隠れた才能を発揮する。普段勝ちきれないウマ娘が勝ちきれるだけの底力を発揮する。そして、諦める心を壊すのだ。

 名門も、寒門も、鬼才も秀才も、出自も貧富も才能も実力も、何一つとして関係ない。

 今、この時、このレースには、走る為に走る奴しかいないのだ。

 

「がんばれぇえええ! アオギリィーッ!」

「ツーリングバイク! 行け! 行け! 行け! 粘れぇ!」

「差し切れ! 差せ! 差せ! 今だ! 行けぇーッ!」」

 

 歓声が跳ぶ。ファンの想いが木霊する。ウマ娘に夢を見る人たちが、声よ枯れよと叫び狂う。

 ここに来て、出走ウマ娘たちは更なる力を発揮した。背中を押されているようで、夢の上を走っているかの様。本気の先の全力の、もっと先。決して悪いものではない、魂に響く力の奔流。

 

 逃げの、先行の、差しの、追込の、全てのウマ娘が今、魂の領域に足を踏み入れた。

 膨れ上がる激情。ただ、前を往く為だけに、己の全てが燃え滾る。

 鳳凰の鎖が今、音を立てて砕け散った。

 

 

 

 そして、独り。

 

 微睡みの霊鳥が目を覚ます。

 

 

 

 アオギリは無心で走る。そこに距離の概念はなく、レースの駆け引きもまた存在しない。凡そ現代レースのセオリーを足蹴にするような出鱈目に過ぎる夢幻の豪脚。レースの異端児。

 しかし、異能こそあれ、彼女もまた歴としたウマ娘なのである。

 そして、ウマ娘とは他者の夢を背に乗せ走るのだ。

 ならば、アオギリホウオウというウマ娘に、それが成せぬ道理があろうか。

 

 薪がくべられる。心の炎こそ、アオギリの力になる。

 夢とは何か? 勝利か? 栄光か?

 否、ウマ娘にとって原初の渇望とは、走る事そのものだ。

 それが始まり、それが夢。原初の走りこそ、ウマ娘の神秘の極限。

 で、あるならば――。

 

 出走ウマ娘、その全てが野生を解き放っていた。

 後の菊花賞でなく、神戸新聞杯でなく、ただ走る為に走っていた。

 

 その時だ。

 ほんの僅か、アオギリホウオウの青の右目に炎が猛った。

 

 感知不能、不可思議な力が宿る。データ上、不可能な瞬発力が発揮される。

 仁川の洗礼を眼前に、アオギリホウオウは更なる力を呼び起こした。

 

 最後の上り坂。

 アオギリホウオウは――飛んだ。

 羽ばたくように、空を蹴るように。

 追い風を背に、飛ぶように駆け上った。そのまま空に行ってしまうように、力強く、けれど軽やかな足取りで、誰より速く昇り切ってみせた。

 

 その様に、その脚に、観客席にいたトレーナー陣には、既視感があった。分からない、分からないが……とにかく、アオギリホウオウというウマ娘の異質さに、これまでとは全く別種の影を感じ取った。

 ニンジャトレーナーは、ただ見とれていた。

 

 アオギリホウオウは最後の最後の一歩まで、全力で――。

 

「ゴォォォール! アオギリホウオウ先頭でゴールしました! 復帰戦で見事な白星! 続く菊花賞が今から楽しみです! 2着はブレイクチェイン! 3着はツーリングバイクです! 仁川の坂を、あっと言う間に駆け抜けましたアオギリホウオウ! 凄い末脚ィ!」

 

 観客たちの歓声が上がる中、意識を戻したアオギリはゆっくりギアを下げていった。

 客席では、世代四強の完全復活に沸いたファンたちが両手を上げて喝采していた。

 しばらくすると、アオギリホウオウの胸中に勝利の実感が湧いてきた。

 

「はぁ……! はぁ……! っしゃあ!」

 

 

 ガッツポーズを取り、天高く拳を突き上げる。

 歓喜というより安心感。鬱屈とした時間からの解放。安堵した帰属意識と自己実現。

 アオギリホウオウは、ホッとしてガッツポーズしたのである。

 

 そんな彼女に、多くの人々の歓声が捧げられた。万来の喝采。それどころか、出走ウマ娘さえ笑顔で息も絶え絶えに拍手を送っていた。

 客席の向こう。遠い関係者席ではアルデバランの面々がアオギリに手を振ってくれていた。

 

 歓声に手を振って応えながら、アオギリホウオウは最前席に見知った顔を見かけて外埒に歩み寄った。

 

「リーチェさん!」

 

 そこにいたのは、ホープフルで競い合ったインペラトリーチェであった。

 彼女は天上天下唯我独尊といった佇まいで腕組み仁王立ちしていた。けれども、その顔には柔らかな笑みが浮かべていた。

 

「お久しぶりですわ、アオギリさん。貴女、以前より強くなりましたのね。再戦が楽しみですわ!」

 

 アオギリホウオウは照れ臭そうにはにかみ、頬を掻く。

 

「ええ、しっかり成長してきました!」

 

 アオギリは笑っていた。インペラトリーチェもまた、笑っていた。

 何故か、ふんわり嬉しい気持ちになった。

 

「一緒に走った方々も皆さん素晴らしい走りでしたわ。けれど、貴女はそんな彼女達に勝ってみせたのですわ。真正面から、全力でね。誇りなさいな、それが勝者の特権よ。どうせなら格好よく決めてきなさいな」

 

 アオギリホウオウは背筋を伸ばし、大きく返事をした。

 

「はい!」

 

 

 

 神戸新聞杯。

 勝利者は、世代四強の一柱。

 瑞風・アオギリホウオウ。

 

 記事の中心には、笑顔の出走ウマ娘たちと握手するアオギリの写真が掲載されていた。




名前……カブ
誕生日……4月23日
身長……143cm
体重……微増
スリーサイズ……B77 W55 H79
髪色……鹿毛
白斑……小流星
目の色……橙色
憧れのウマ娘……スマートファルコン
モデル馬……特になし



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